さそり座の歌827    

 いろんなきっかけで趣味が始まる。ほんの偶然なのだが、私は、40才で俳句、そして、余り公開してなかったのだが、50才で茶道を始めた。

 出発年齢のきりが良かったので俳句をはじめて1

5年、お茶をはじめて5年と数えやすい。物忘れの激しい昨今では非常に分かりやすくて重宝している。実は今年55才になり、そのきりのよさを狙って始めようとしていることもある。だが、そのことはいずれ詳しくということにして、今回は、余りオープンにしていなかった茶道のことを書こう。

 裏千家の田邊宗咲先生に入門して、約5年になる。なんだか面映くてこっそりという感じだったのだが、一応、石の上にも3年をかなり越えたのでここらで全面公開することにした。

 田邊先生とは、20年ほど前に公民館のコーラス教室でご一緒したことがあった。そんなご縁で、時折お会いすると「あーら、お元気」とか声をかけていただいていた。

 ある時、音楽院に来ている声楽の先生と話しているとお茶の話になり、「お茶は、心が落ち着きますし、精神の統一にもいいですよ」とか言うのを聞いた。それが下地になって、ふと田邊先生を思い出し、入門したというわけだ。

 入門したものの、本当は、お茶をしているというのも恥ずかしくて言えないほどの進歩しかしていない。ギターの生徒さんに、家で練習してきてというのがおこがましくて赤面するほど、自宅練習をしないからだ。ちょっと30分でもというのがなかなか出来なくて、いつも先生の前だけで練習し、流れが止まってうろたえている。

 しかし、先生が稽古の終わりになると「いい色でお茶が点ちましたね」「手の動きがだいぶスムーズになりましたよ」とか、努めて何かいいところを探して一声かけてくださる。私も、どんなに練習していなくても、ギターの生徒さんにそのような声かけをしているので、なんだかくすぐったくなってしまう。しかし、それに甘えて、さぼり癖の付いたまま、ここまで来てしまった。申し訳ない。

 だが、叱られないからといって、そうそう気楽でもない。月曜日の午前中がお茶の時間なのだが、少し気が重いときも多い。よく出来ないという不安や、同じような失敗でまた恥をかくのかと思うと、かなり憂鬱になる。(ギターの生徒さんもそういうことがあるのだろうなあ)

 しかし何とか続いてきたのはなぜだろう。80才を過ぎても、矍鑠(かくしゃく)として明るい田邊先生の魅力が一番だろう。それに加え、私は時折自分に優等生的に言い聞かせることがあるのだ。こういう、自分が未熟で頭を下げるということが、暮らしの中にあるのはいいことなのだと。

 教えるという仕事をしていると、いわばいつも優位に立って人と接している。その逆の立場に立つと、恥ずかしい思いをする分だけやはり謙虚というものに出会うことになる。自分を磨く上で、これはいいことなのだと言い聞かせるのだが、精神的な負担との葛藤はこれからも続くことだろう。

 お茶では「お先に」という挨拶がよく出てくる。お菓子やお茶をいただく時、周りにいる他者への心配りがその言葉になる。そんなことも含め、ただお茶を飲む手順だけではないことを、またいずれ書きたいと思う。

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さそり座の歌 835

 
今年の別府アルゲリッチ音楽祭は、いろんなハプニングで大変だった。まず新型肺炎の影響で、北京からピアニストが来日できないということがあった。それに加え、なんと主役のアルゲリッチも病気になり参加できなくなった。順調に行っても事務局は徹夜状態が続くのに、今回の苦労は計り知れないだろうと胸が痛んだ。今頃、事務局の方はどんなに疲れていることだろう。

それに加え少し個人的なおまけがついた。事務局の方の苦労に比べれば、ほんの些細なことだが、今回は、我が家族もそれに関わったので、記念?に書き残しておこう。

病気休演したアルゲリッチが、お詫びの追加公演をしてくれるようになり、それが17日に決まった。何もかも急に決まったので、また事務局も慌てて準備をしたのだが、前日の練習場所が確保できず、我が家の教室がその候補に上がった。音楽祭のたびに、演奏会場に近いこともあり、いろんな方が練習に来たことはあるので、第何番目かの練習場所候補にはいつもなっている。しかし、今回は、世界のアルゲリッチがということで、ちょっと受け入れ態勢が一味ちがう対応になった。何しろ妻や娘が、普段しないところまで全力で掃除や飾り付けに励んだ。1,2回のトイレは和式なので、ひょっとしたら、3階の洋式トイレまで上がるかも・・・という推理も掃除の範囲の拡大につながった。(おかげで、この際にと、いろんなところが整理でき、家の美化運動にはこれが一番とあとで笑いあったものだ)

また、教室に、人の出入りがあっても悪かろうということで、レッスンも全部変更した。出来たらピアノにサインでもしてもらえたらと、ゴールドのマジックまで買い込んで(笑い)、準備万端整えて待っていたら、今朝11時、事務局から練習中止の電話がはいった。

準備をしながら、なんとなく、そんなことがあるのかな。たぶん実現しないだろうという予感もしていたので、やっぱりという感じだったが、気抜けしてしまったのには変わりなかった。3人で、打ち上げをしようと、昼はご馳走を食べに外へ出て気を紛らせた。その後私は完全に空けた午後を、大分まで出て俳句の本を1冊買い、シカゴという今話題のミュージカル映画を1本見た。

もうひとつ、また笑い話のようなおまけをひとつ追加しよう。息子の福岡の友達が、アルゲリッチの入場券を買っていたのだが、土曜日はどうしても行けないので、贈呈するから行ってくれんかという話になったらしい。息子のほうは、土曜日のレッスンなどの予定を変えて待っていたら、今朝になって、その入場の半券がどうしても見つからんと連絡があったそうだ。

ま、そういうこともある。ちょっとした食い違いで流れがギクシャクしたりするものだ。

しかし、これまで少しづつだが、アルゲリッチ音楽祭に関わっていたおかげで、練習場所の候補になっただけでも、光栄なことではないかと思う。別府に住んでいて、音楽を仕事にしていて、日本中が注目するアルゲリッチ音楽祭に関われる事を誇りに思って、今回の幻の記念イベントを書き残しておこう。

さそり座の歌 865

 先日久し振りに、野菜の炒め物の中にソーセージが入っていて、家族の中で話題が広がった。私たち団塊の世代は、物心つくころ「まるは」の魚肉ソーセージや、チキンラーメンなど宣伝に乗って現われた新しい食物に驚かされたものだ。

 ソーセージは、弁当のおかずに良く使われていた。しかし、それは私たち農家にとってはめったに買えないものだった。学校で弁当を開くと、おかずはたいがいジャガイモや南瓜の天ぷらや煮つけなど、家の畑で手に入るものが多かった。

ソーセージを弁当に入れてくる子は決まっていた。教員や役場など現金収入のある子の弁当には、フライパンで少し焼いたソーセージが美味しそうにおかずに入っていて、子供心ながら、うらやましい思いで見ていたものだ。時折親が、「給料取りはいいなあ、毎月お金が入るんやから」と言うのも関連して思い出す。現金収入のないということが、弁当のおかずにもかかわっていることを、当時のソーセージから私は学んだ。

そんな話をしたら、20代の娘も思い出を話しだした。やはり学校の頃のおかずの話だった。

たまたま近くの子の弁当をのぞいたら、おかずにソーセージが入っていたらしい。しかしそれは、何も手を加えていない生のままのソーセージが、大きく輪切りにされていたものだった。それだけしかないおかずを見て、何かを感じた娘が、今も覚えていたようだ。

昔、子供が学校に行っている頃、運動会の日に、ホカホカ弁当を開いて独りで階段に座って食べている子供がいるのを見てかわいそうに思ったこともある。

しかしあれからかなりの時間が過ぎて、今報道される虐待の現状を知るにつけ、我々の子育ての間はそんなことは決してなかったのにと思う。たとえ生でも、ソーセージのおかずを準備してやった。「ごめんね、仕事でどうしても出来ないから、これでお弁当を買って」と、お金を渡したりの、子供を思う親心は失っていなかった。

何がどう曲がったの分からないが、今は、いわば人としての本能であるはずのような、親心が失われる時代になった。いろんな報道が信じられないほどだが、もう珍しくもない社会現象になっている。怖ろしいことだ。



さそり座の歌 866


 ビデオが壊れたので、日曜日に大分まで買いに行った。もう時代がDVDに移っているようで、ビデオは目立たない端のほうにあった。そして、買うとき、7年後にデジタル放送に変わるので、この機種は使えなくなるとの説明もあった。新しい波が次々起こっているようだ。

 翌日、その取り付けに二人の店員がやってきた。一人は中年、そして、もう一人は学校を出たばかりのような若い兄ちゃんだった。その若い方は見習いで、中年のほうが教育をするために連れてきていたのだ。

 中年が、少し声をかけて作業を始めさせる。しかし結構複雑なのか、なかなか出来ない。出来なくても、中年は辛抱強く見守っている。

 兄ちゃんは、困ったように、説明書を引っ張り出して読んだりしながらあれこれやっている。しかしなかなかすすまない。

 私たちが見ているので、中年もだんだん焦ってくる。お客さんにあまり待たせるのも悪いかなという思いと、この子に仕事を覚えさせて早く独り前にさせたいという間で、天秤が揺れているのが表情で読み取れた。あまり進まないときは、ちょっとだけ手を出して、ヒントを与えたりしている。自分がやれば、10分で済むようなところを、じっと見ているのも、大変な忍耐が要るようだ。

 しかし、手を出したのでは、仕事は済むが、その兄ちゃんは、技術がきちんと自分のものにはならない。きっとほんの2、3日でひとりでまわるようになるのだろう。それが出来るのには、自分で考え、自分で発見して切り開かねばどうにもならないようになるのだ。

育てながら仕事をこなすという現場を見る機会があって、教育の効果ということを考えた。先日も、湯布院の山奥から、ひとりでギターを勉強したんですという人がやってきて、1か月だけレッスンを受けた。よくあるタイプなのだが、この人はかなり無茶苦茶な譜読みなどはあったが、結構CDに入っているような難曲を弾いて遊んでいた。それらの曲を、私のところで5年、10年とレッスンを受けている人たちが弾けるかというと、そうではなかった。この落差について、私は煩悶する。

 少ししづつ少しづつ丁寧に楽器を学ぶということで、自主独立のエネルギーが奪われているような気がするのだ。

きちんとした基本と、音楽に遊ぶ野生のような意欲との両立が出来てこそ、本当の教育になりそうな気がする。つまり、3日後にはひとりで仕事をさせるんだという座標が、どうすれば生まれるのかということが、私のこれからの課題なのだと考えた。








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