さそり座の歌 824 

 
今日は初雪が降った。昼過ぎ、まだ明るい日差しの中に、ちらほらと白いものが見えたので、娘に「早く出た方がいいよ」と話しながら、窓の外を見ていた。
 4時ごろになると、すっかり暗くなり雪も本降りになってきた。何度かせかせるのだが、もう少し練習するとか、風呂に入ってからとか、何とかかんとかで結局出たの
は6時ごろになった。明日、佐賀のほうで、伴奏の仕事があり朝8時半から会場に入るとかで、泊り込みの予定になっていたのだ。
 佐賀で大学を終えたせいで、いろんなつながりから、あちらでの演奏の仕事がよく来る。週に一度は佐賀まで出かけるような暮らしで、いつも帰り着くまでが心配なのだが、本人は慣れているというか、なめているというか、今日も平気で出かけた。
 ところが今回は、出発して30分も経った頃だろうか「坂道で止まって、動けん。どうしようか」と、立ち往生の携帯電話がはいった。だから、あれほど言っていたのにと、ぶすくた言ってもどうにもならない。とにかく待っとけといって、妻を乗せて車を出発させた。
 しかし走りながら、昨年の恐怖を思い起こしていた。福岡へ息子のコンサートを聴きに行くのに、若者を二人乗せて、(高速が通行止めだったので)城島経由で出かけたことがある。あの時は朝だったが、凍った急カーブの坂道を命の縮む思いでゆるゆると上り下りしたのを思うと、行きたいのだが、どうしてもすすめなくなった。
 二重災難になると妻を説得して坂道の入り口にあるGSに車を入れた。 そこからJAFに電話するのだが、殺到しているのかどうしてもつながらない。そうこうしている内に、娘から、知らない人が3人ほどで車を脇に寄せてくれたから、ここから歩いて帰ると知らせが来た。いてもたってもいられない妻は、止めるのも聞かず山への道路を歩いて迎えにいった。
 スタンドの待合室での時間の長かったこと。娘から、今母親と出会ったと知らせが来てやれやれと安堵した。それから二人の姿が見えるまで、雪の降る暗い夜道をじっと見続けた。
 着いて良かったなあという暇もなく、早く行かないと電車がなくなるとかで、そこから駅へ直行した。切符を買って、やっと送り出して、ほんとに大きなやれやれのため息をついた。

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さそり座の歌 832

 今日の茶道教室は、利休忌という特別プログラムだった。こういう全員参加の行事のときは、個人の指導がない。それで、作法途中に立ち止まって大汗をかくという、試練の時間がないので、少しばかり気楽だった。

利休居士の肖像画の掛け軸を、床の間にかけ、香を焚くところからいろんなことがスタートする。面白い伝統だと思うが、そのいろんなことを誰からするかということは、表裏に、数字や絵の書かれた竹片を箱から取って、籤引きで決める。それも恭しく箱を回し、それを取り出すのも、手順があって私はいつも戸惑うことになる。でも、あなたがお先に、いえあなたこそと順番を決める混乱を思うと、やはり伝統の知恵なのだろうなと思う。

まず部屋に入ってどこに座るのかが、籤できまる。その札によっては、お世話役なども決まってくる。一同席に着いた後、また籤の箱が回り、その順番により床の間の花を生ける。床の間には参加人数(今回は9名)分の一輪挿しの花瓶が置かれていて、それぞれが利休居士に一礼した後、山盛りになっている花の中から、好きなのを2、3本選んで花瓶に挿す。

それが終わると、今度はまた籤をして、茶を点てる人、飲む人が決まってくる。それぞれ順番に釜の前に座り、茶を点てそれを誰かが飲むという流れが続く。全員が終わるまで、淡々とその手順の変わることはない。

およそ、その終わり頃になると十二時になるので、私は午後の自分の仕事のために、他の方より先に失礼する。まだ他の人はそれから昼食をして、三時過ぎまでいるようだが、私はとてもそこまでは付き合えないので、午前中だけということで了解を頂いている。

今の私の暮らしは(社会全体の雰囲気もそのようだが)、何かとあくせく気ぜわしいことが多い。それからすれば、朝9時過ぎに出てきて、午後3時過ぎまでの習い事など、なんと悠長な時間の使い方だろうと思う。

しかし、のんびりした湯をこぼす音や、茶を点てるかすかな音を聞きながら、私は正座をして考えるのだ。

私の普段の暮らしの中で、時折重苦しくやってくる飢えや渇きとは、いったい何なのだろうと思う。私は何を求め、そして満たされずにひりひりと浮遊しているのだろうか。

茶を入れ、湯を流しこみ、かきまぜ、それを飲む。ただそれだけのことを、淡々と続けていく事を、自分でしたり、見たりしていると、そこには何かがあるような気がするのだ。

いや、禅問答のような極端な言い方だが、なにもないということを認めることが、何かがあるということにつながるのだ。

まだまだほんの初心者で、茶の真髄などには程遠い自分である。しかし茶のおかげで、妙に浮ついた自分が、日常のありふれた暮らしに時おり脚が付くような気がする時がある。そのことを素直に喜んでいる昨今である。


さそり座の859 


 6月の第3日曜日は父の日となっている。毎年、妻や娘がネクタイとかズボンとかの衣類をみつくろってプレゼントにしてくれる。というのも、私は身なりには無頓着で、洗っているものならどんなものでも、あればいいというタイプなので、この機会にということらしい。しかし、折角の好意だが、(ここだけの話)、ほんとは、ネクタイなどありがたくないのにお礼を言うのは、少ししんどい。

 それで、今年は先回りして、「自分で自分のプレゼントを買ったからもう何も要らない」と宣言した。チェロに興味が出てきたので、「パブロ・カザルスチェロ全集」を買い込んだのだ。

 ということでこの問題は終わりと思っていたが、父の日当日になって、二人が、「何と思う?」と包みを出してきた。持ってみるとかなり重い。分からないまま包みをあけると額が出てきた。それには笑いたくなるほどの下手な字で「ようしそれでいいぞ」と筆字で書いてあった。

 もう20年ほど前になるが、子育て真っ最中に、私は「ようしそれでいいぞ」という1冊の本を読んだ。子供が荒れたり、成績が落ちたりして、どうしようもない状態のときでも、「ようしそれでいいぞ、その位置から一緒に歩き出そう」といつも子どもに寄り添う教育者の本だった。

この教育論を書くと長くなるので省くが、私は、いわばこの「ようしそれでいいぞ」を家訓にして子育てに取り組んだ。その文字を下手な筆字で書いて部屋に貼っていたのだ。それが、引越しにも付いてきて、今は台所の壁にまだ残っていた。それこそ古文書のように色あせ、下のほうは破れて「ぞ」という文字はちぎれてなくなっていた。

その「ようしそれでいい・・」が、裏打ちされて、きれいに額に納まっていた。こんな下手な字を・・・と苦笑しながらも、この1枚の紙が、そんな形で生まれ変わったのが、嬉しくないはずはなかった。

いつもいつも、そんなゆとりの気持ちではなかった。時には子どもたちに腹を立てることもあった。しかし、おりおりに「ようしそれでいいぞ、その位置から一緒に歩き出そう」と思い直して、ここまできた。

今、一緒に音楽活動をしてもらえるように育った子どもたちに囲まれて、あの「ようしそれでいいぞ」の額入りの文字に、手を合わせたいような気持ちになっている。

 

蕗7

さそり座の歌 860

 最近、真夏日といわれる暑い日が、まだ7月のはじめというのに続いている。屋上のコンクリが焼けると、このパソコンを置いてある3階の部屋は、何をするのも汗だくという事になる。寝室も3階にあるのだが、熱く蒸れて寝られたものではない。そこで、例年今頃になると、1階のソファーへ緊急移動して睡眠をとるのを毎晩の日課にしていた。しかし、今年は、そのソファーが、教室を広く使うという行政改革のあおりで放出され、避暑地は消えてしまっているのだ。この夏の夜がどうなるのか、不安になって来る。

ヨーロッパやアメリカのどこかで極端な猛暑が続き、多数の死者が出たという話は、もう毎年見慣れた新聞記事になっている。ひょっとして、今年はその猛暑が、日本を襲うような異常気象にならなければいいがと心配になる。そんなことになると、1階のソファー問題どころではなくなる。

つい最近「ザ・デイ・アフター・ツモロウ」という映画を見た。温暖化で、北極の氷が解け、地球の半分が大寒波に襲われるという内容だった。例によってそれを予言する科学者は、奇人変人扱いで、その対策は後手に回り、大被害が出てしまうことになる。

これなど、最近のいろんな異常気象を思えば、とても未来の絵空事と思える人は少ないことだろう。温暖化への対策と経済効率とか暢気に言っているときは、まだ平和なうちだ。しかし、いずれ、地球を滅ぼすか、あるいは車の使用をやめるか、そのどちらか1つを選べという崖っぷちの時が来そうな気がする。

しかし、そんな時も、学者の予言に対し、なんだかんだといって、人は車に乗り続けるのだろうか。行くところまで行かなければ、人類の営みは終わらないのかもしれない。ネズミの繁殖と同じで、自分の知恵でそれをコントロールすることはできないという、動物の宿命を背負って人類史は流れていくのだ。それは、あまりにも悲しくさびしいことだ。そしてあるとき突然、大寒波に襲われ、死の氷河期へ突入するのだ。

3階の天井から熱波の余熱が降り注いでいるせいか、暗黒の未来へと話が進んでしまった。まだ当分は何も心配ないとは思うが、その当分がどのくらいの期間なのかは、皆目分からない。

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