直線上に配置
936 045
937 046
938 047
939 048
940 049
941 050
942 051
943 052
944 053
945 054
946 055
947 056
948 057
949 058
950 059
951 060 
952  
953  
954  
955  
956  
957  
958  
959  
960  
961  
962  
963  
964  
965  
966  
967  
968  
969  
970  
971  
972  
973  
974  
975  
976  
977  
978  
979  
980  
981  
982  
983  
984  
985  
986  
987  
988  
989  
990  
991  
992  
993  
994  
995  
996  
997  
998  
999  
000  
001  
002  
003  
004  
005  
006  
007  
008  
009  
010  
011  
012  
013  
014  
015  
016  
017  
018  
019  
020  
021  
022  
023  
024  
025  
026  
027  
028  
029  
030  
031  
032  
033  
034  
035  
036  
037   
038   
039  
040  
040  
041  
042  
043  
044  

文学へのお誘い

さそり座の歌 1061

 うろ覚えで恐縮だが、ある女優が自分のブログで「子供を持って初めて、本当の大人の親になれた気がします」というようなことを書いたら、それに抗議の声がたくさん届いたというのだ。

 「子供を持たない人間はだめなのか?」「結婚してないのはもっとだめなのか」といった声がたくさんあり、それに対して「そういう事をいう方がおかしい」という反論も少しは出たそうだ。

 いわゆるネットでの炎上という例を時折見る。その正否はともかく、抗議が殺到することを炎上というようだ。見えないところから、気に入らない声に抗議をする野次馬がパソコンの前にたくさんいるという事だろう。

 最近「忖度」という言葉が話題になった。証拠を残さないように、総理の意向に沿った解決策を講じることを「忖度」したというようだ。

 それはともかく、この女優がブログに記入する時、「子供が欲しくても持てない人のこと」「結婚したくても、そのチャンスに恵まれなかった人」のことを、忖度しなければならないのだろうか?思いを人に押し付けるものではなく、自分自身の内面の気持ちを表現するだけの事は、認められてもいいのではないだろうか。

 私も最近、音楽院で出している新聞に、孫が仏壇に置手紙をしたことを書いた。それに対し、誰からも抗議をいただいてはいないが、その女優の例を思うと、少しだけ何かが引っかかる。

 周りを見ると、結婚して居ない方、結婚していても、子供を持っていない方が相当多い。そんな方々は、ご自分の現状を認めて、皆さん広い心で子供や孫の話を明るく受け止めてくれているのだろうか?

 同じようなケースと言えるかどうか自信はないが、例えば、「マラソンを走る喜び」、「山登りの喜び」を目にすることがある。それに対し、私の不自由な足ではそれは全く可能性がないことなので、妬んだり悔しく思ったりするだろうか。たぶんそういう気持ちは全くない。そういう記事を書くとき、障害者のことを忖度するべきだとは、少しも思わない。

 高級料亭で、ほんのちょっとしか箸をつけない豪華な料理を前にする政治家が、餓死して行く難民のことを忖度するだろうか?そんな奇特な政治家がいれば、この世はもっと幸せが満ちることだろう。

 周りとの摩擦を少なくするために、忖度する気持ちも大事だとは思うが、それにがんじがらめになると、何も言えなくなりそうだ。

俳句の部屋へ
詩の部屋へ

さそり座の歌 1062
    

ギター連盟40周年記念
祝賀会にあたり
  竹内幸一

窓から、蝉時雨が激しく降ってきます。この暑さの中で、蝉たちは限りある命の日々を大切にいつくしんでいます。この命の輝きの蝉時雨に励まされながら、少し、連盟の40年を振り返ってみることにしました。

私は現在68歳。その中の40年ですから、私の人生の半分以上は、連盟とかかわってきたことになります。40周年の記念誌をめくりながら、皆さんの若々しい顔に、長い時間の経過を味わっています。そして、いろいろと思い出を残してくださった、今はもう亡き方のことも、懐かしく思い出しています。

6→8→10→8→10→10→12→

11→13→13。この数字、皆さん、何だかわかりますか?そう、出演サークル数の変動の様子です。定演の31回目から40回目までを並べてみました。なんとこの10年で、6サークルから13サークルへと、倍増しているのです。

 「倍増」なんてことは簡単に口にできることではありません。何を夢みたいなことを言っているんだと、笑われるようなことです。しかし、皆さんのおかげで、何と別府ギターサークル連盟は、この10年でそれを成し遂げていたのです。この40周年のお祝いの会に、先ずその成果を喜び合いたいと思います。

 ギターを愛する方が増えることは、ギターを仕事にしています私にとりまして、何よりの喜びです。そして、ギターを学ぶだけでなく、時間的などの負担も増える合奏団へ参加して下さることは、なおさらありがたいことです。そのご協力で、連盟は成り立っています。ギターへの情熱がなければ、なかなか両立は出来ないことでしょう。

それに加えまして、指導者が増えたことも特筆するべきことです。第31回定演では、サークルを率いる指導者が、わずか2名でした。それが10年たった今、指導者がなんと5名に増えているのです。これが連盟発展の大きな支えになっていることは明白です。

 それぞれの指導者が支持基盤を固め、毎年の連盟定演を目指してくれることで、100名を超えるゆるぎない別府ギターサークル連盟になりました。これは、九州の各地の先生方からも驚異の目で見られている成果です。

 少し個人的なことになりますが、私のところでギターを学んでくださっている方の中で、もう34年余りになる方が数名います。本当にギターを好きになってくれて、ギターに生涯をささげてくれていると言っても過言ではないほどです。

 それはとても嬉しいことですが、その熱い気持ちが感じられるだけに、厳しい時間の経過をさびしく味わうことも多くなりました。

毎年同じように集まってくれる合奏団の顔ぶれを見ながら、この方々と、いつまでもいつまでも合奏が続けられたらどんなにいいだろうと切に思います。どの方も、みんな、好きになってくれたギターを来年も再来年も続けてもらえたらいいなと強く願っています。

しかし、痛み止めを飲みながら、また補聴器をつけながら、痛む手をかばいながら頑張ってくれていた方も、泣く泣く力尽きてしまうこともあります。「ギターに戻りたい。今度の新薬が効いてくれることに希望を賭けています」というメールをいただいた方もおります。

40年という時間が過ぎることは、ある意味残酷なことでもあります。しかし、生涯をギターに打ち込んでくれた方と出会えたことは、私の何よりの喜びです。どんなにお礼を言っても言い足りません。幸せなお付き合いをさせていただき、感謝するばかりです。長い間一緒に合奏してきた仲間もきっとそうでしょう。それが連盟の大きな存在価値でもあります。

45周年、50周年…新しい仲間が加わり、新しい指導者が増えて、この連盟の伝統が続いていく事を願いつつ、このお祝いの会が出来たことを皆さんと共に喜びあいたいと思います。

バック
ナンバ
823
824
825
826
827
828
829
830
831
832
833
834
835
836
837
838
839
840
841
842
843
844
845
846
847
848
849
850
851
852
853
854
855
856
857
858
859
860
861
862
863
864
865
866
867
868
869
870
871
872
873
874

875
876
877
878
879
880
881
882
883
884
885
886
887
888
889
890
891
892
893
894
895
896
897
898
899
900
901
902
903
904
905
906
907
908
909
910
911
912
913
914
915
916
917
918
919
920
921
922
923
924
925
926
927
928
929
930
931
932
933
934
935

  さそり座の歌

inserted by FC2 system