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文学へのお誘い

さそり座の歌 1060

 すぐ近くに不二家のペコちゃんの店があった。孫たちが来た時、店内でアイスクリームを食べたりして時折利用していた。その店が最近閉店した。春休みに遊びに来た孫が、それがわかった時、とてもがっかりしていた。

 その店は、都会的な店員がいて、清潔そうでおしゃれな店だったが、売り上げが伸びなかったのだろうか?閉店の理由はわからないが、残念なことだった。

 そういえば、車を走らせていて気が付いたのだが、以前何回か利用したことのある、横断道路沿いにある大きなビデオレンタル店が店を閉めていた。

 かなり以前に、こういう店が出てきたころ、ビデオを借りて週末などに楽しむのは大きな魅力だった。たいがい1本借りるのに、200円とか300円が通常の値段だった。その頃ごくたまに、新聞のチラシで、一本100円という、特売のお知らせが出て、大喜びでレンタル店に出掛けたものだった。

 最近あまり行かないのでわからないが、たぶん今は、100円が当たり前になっているようだ。それどころか、店頭の表示に、80円とか70円と出ているのも珍しくない。

 過当安値競争の見本のような商売ではないかと思う。他店と比べて安い方に客が流れることを防ぐために、負けずに安くする。しかしながら、パイは限られているので、安ければとそれに飛びついて、客が大幅に増えるという事もないに違いない。安売りで、だんだん店の体力が消耗して、倒産という事になったのだろう。

 それらが店を閉めようと決断するまでには、売り上げ増のために相当の創意工夫をして、最後の努力やあがきを繰り返したことだろう。その経営者の苦労は、外からではうかがい知ることはできない。

 店を閉めた今、経営者の人たちは今頃どうしているだろうか?大きな借金に頭を抱えて苦しんでいるだろうか。それとも、やれやれこれで肩の荷が降りたと、一息ついているだろうか。

 商売に夢をかけて、大きな投資をし、時流に乗って収益が相当出た時期もあったことだろう。自分の選んだ道に自信を持ち、商売の才覚を自慢したくなることもあったかもしれない。

 しかし、インターネットの普及に伴い、通販やパソコン配信などの新しい時代の波が押し寄せ、没落してしまう仕事がある。

 過去の実績や温情など全く通用しない、過酷な商売の実相を少し垣間見た気がする。

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さそり座の歌 1061

 うろ覚えで恐縮だが、ある女優が自分のブログで「子供を持って初めて、本当の大人の親になれた気がします」というようなことを書いたら、それに抗議の声がたくさん届いたというのだ。

 「子供を持たない人間はだめなのか?」「結婚してないのはもっとだめなのか」といった声がたくさんあり、それに対して「そういう事をいう方がおかしい」という反論も少しは出たそうだ。

 いわゆるネットでの炎上という例を時折見る。その正否はともかく、抗議が殺到することを炎上というようだ。見えないところから、気に入らない声に抗議をする野次馬がパソコンの前にたくさんいるという事だろう。

 最近「忖度」という言葉が話題になった。証拠を残さないように、総理の意向に沿った解決策を講じることを「忖度」したというようだ。

 それはともかく、この女優がブログに記入する時、「子供が欲しくても持てない人のこと」「結婚したくても、そのチャンスに恵まれなかった人」のことを、忖度しなければならないのだろうか?思いを人に押し付けるものではなく、自分自身の内面の気持ちを表現するだけの事は、認められてもいいのではないだろうか。

 私も最近、音楽院で出している新聞に、孫が仏壇に置手紙をしたことを書いた。それに対し、誰からも抗議をいただいてはいないが、その女優の例を思うと、少しだけ何かが引っかかる。

 周りを見ると、結婚して居ない方、結婚していても、子供を持っていない方が相当多い。そんな方々は、ご自分の現状を認めて、皆さん広い心で子供や孫の話を明るく受け止めてくれているのだろうか?

 同じようなケースと言えるかどうか自信はないが、例えば、「マラソンを走る喜び」、「山登りの喜び」を目にすることがある。それに対し、私の不自由な足ではそれは全く可能性がないことなので、妬んだり悔しく思ったりするだろうか。たぶんそういう気持ちは全くない。そういう記事を書くとき、障害者のことを忖度するべきだとは、少しも思わない。

 高級料亭で、ほんのちょっとしか箸をつけない豪華な料理を前にする政治家が、餓死して行く難民のことを忖度するだろうか?そんな奇特な政治家がいれば、この世はもっと幸せが満ちることだろう。

 周りとの摩擦を少なくするために、忖度する気持ちも大事だとは思うが、それにがんじがらめになると、何も言えなくなりそうだ。

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  さそり座の歌

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