バックナンバー

204~233

  

サンシティー音楽院 音楽だより 490

エスプレシボ 

2024年4月号 

2024年4月1日発行・別府市南立石1の2 

発行者/竹内竜次 TEL (097721-9167

ラデツキー行進曲の手拍子は遠く過ぎても

 

先日、佐賀にいる姪っ子のピアノの発表会を観に行ったときのこと。

発表会当日の朝。ドレスを着せてもらって満足な様子で、屁理屈を並べ中々練習を始めない。両親に促されて渋々3回だけ練習。でも最後の難所のスケールがきまらない。

「最後のテンポ、落ち着いて入った方がいいかもよ、、」という母親からの助言もどこ吹く風。「まあなんとかなるやろ」とお祭りに出掛けていくような満面の笑顔で出て行った。

 

前の出番の子ども達は「発表会に向けてしっかり練習してきました」というミスのない折目正しい演奏が続き、やや不安になる。

案の定、姪っ子は想定外のところで迷子になり止まりかけ、家族全員おもわず腰を浮かす。さらに、聴いた事のないようなスピードでクライマックスに突入し、家族全員の息を止めにかかる。しかし、こちらの心配をよそに、朝は一度も成功していない最後のスケールは間違えずに弾き通し、ケロっとした顔で帰ってきた。

本人曰く「ほどほどにサボったのが良かった」そうな。恐れ入る。

 今では、沢山の冷汗をかいた過去の苦い経験から、自分がどれだけ下手くそで、人前である程度の精度で演奏するのに、どのくらい練習が必要かを知っている。だから演奏会前に姪っ子のように楽観的な心持ちには到底なれそうにない。でも思い返せば子供の頃は彼女と似たように、「なんとかなるさの精神」で本番を迎えていた気がする。 

憶えている本番での最初の苦い体験は小学生の頃。ピアノの発表会で弾いたラデツキー行進曲だ。

お正月に日本でも放映されるのでご存知の方も多いと思う。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコールで、大役を終えたマエストロたちが、笑顔で観客に手拍子を促すあの快活なマーチですね。その昔、ラデツキー将軍を讃えて披露された際に、聴衆が気に入って演奏に合わせて手拍子したのが始まりだとか。

今思えば、多分先生は場を盛り上げるために、このニューイヤーコンサートの再現をしたかったのだと思う。私の演奏が始まるとお客さんにおもむろに手拍子を促しはじめたではないか!

しかし、こちとら、チャランポランにしか練習していない。まあ弾けんとこはゆっくりでイイや、、くらいのつもりでいたのだからさあ大変。突然、始まった勢いよい拍手に「いやいやそんなの聞いてないよ。そんな速いテンポで練習したことないし!」と心の中で叫びつつ、手拍子に引きずられるように弾き終えたかどうかは、、、はてさて、記憶にない。

 よく、音楽一家だから、厳しい練習とかあったんでしょう?と聞かれる。

確かに父にギターの手解きを受けた最初の頃のレッスンは厳しかったように思う。

出来るまで何度も練習させられたので、私がその頃使っていた楽器の表面板には涙の跡があったとか、なかったとか、、。今では口を開けて弾いていたのでよだれの跡では、、という説が根強いですが。

練習回数も約束事があった。低学年の頃は、10個の珠がついたおもちゃのそろばんがピアノに取り付けてあって、それを端から端まで移動し終わるまで弾く(つまり10回は弾く)というルールがあった。年齢が上がるにつれ、それが平日は1時間、週末は2時間の練習に変わっていった。(休日、出掛けるときは前日までに、その2時間分の練習を済ましておかないといけなかった)

 憶えているのは日曜の夜の練習のことだ。

もう父もいないし時効だから白状しよう。

日曜の夜は両親共に共通の趣味のサークルに出掛けていく。

我々兄妹はまず、楽譜を開き、例のそろばんを7つ目あたりまで移動しておく。それから、父がいると観る事のできない「天才たけしの元気が出るテレビ」を堪能する。

9時ちょっと前には帰ってくるので、8時半くらいからは車の音も気にしつつ、ソワソワしながら観なければいけない。

車の音が聞こえたら一目散に下に降り、さも今まで練習していましたけど何か、、という風に楽器を持つのだ。

 
それでも、父のいる平日は誤魔化せないので一応約束の時間は楽器を持っていたんだろうけれど、そのせいで遊びに行けなかったという記憶はない。

学校から帰るとすぐに、友達の家へ直行。夕飯の支度の匂いがするまで野球をして遊んだ。コンクールの直前でも構わず34日のキャンプにも行ったなぁ。


「8時間練習するまで部屋から出してもらえなかった、、」というような、有名演奏家の幼少期の厳しい練習のエピソードみたいなやつを皆さん期待されるのだけど、我が家には前述のように抜け穴の多い緩やかな約束事があるだけだった。


でも今では、父の与えてくれたその厳しさとゆるさの塩梅に感謝している。 

8時間練習するまで飯抜きみたいな息苦しい日々が続いたら楽器などさっさとやめて、グレていたかもしれない。でもこれ以上サボっていたら音楽を仕事にすることはとてもできていないだろう。

幾度も痛い目に遭いながら覚えた”下手くそが演奏の仕事をするにあたって、問答無用でこなさなくてはならない練習量“に耐えうる集中力と忍耐力は辛うじて備わっているようだ。

それから不思議なことだが、いくら練習をサボっても、もう誰からも叱られないし、沢山練習したからといって褒めてもらえるわけでもないけれど、仕事とは関係なくこれからも練習を続けるだろうという確信がある。

ここまでやめずにいたお陰で、一生かけて弾き続けるに値する魅力と奥深さが,音楽とギターという楽器にはあると気づかされたから。

そのことを父には何より感謝せねばならないと思っている。

    竹内竜次(ギター科)

♪音楽院よりお知らせ

41回「春の音楽祭」開催!

当教室の生徒さんのための、年に一度の発表会「春の音楽祭」が以下の日程で開催予定です。どなたでもご自由にお聴きいただけます。

とき 428日(日)

1230分 受付開始

13時 ピアノ科開演

ところ サザンクロス3階視聴覚室ホール

演奏順は決まり次第お知らせ致します。

ギター科は14時開始。

演奏順20番~15時頃開始(予定)

演奏順30番~16時頃開始(予定)

※スケジュールはあくまで目安です。当日の進行状況により前後する場合がございます。予めご了承ください。 

ご出演の皆さまは、まず3階入り口にて受付をお済ませください。控室は4階です。

(控室は13時~16時まで使用可能です。)

皆さまが「なんとかなるやろの精神」で楽しく演奏できるのを願っています!

 

 

(くの)(うら)通信 <№83

日向時間 

いよいよきました春です。

冬の疲れも少し溜まっていたり

我が家の猫達もちょっとした怪我をしてみたり。。。

色々とありますが生まれ変わりの

季節が来ました!

 

来浦の風景も全てが美しいです。

そして、草原も緑になって来ました

そして、薪割りの仕事から草刈りになります。

僕の草刈りの技術もこの7年間で

随分腕が上がりました

草刈り機の歯の種類も色々揃えてあります。春の柔らかい草はワイヤーでいけるかなぁ…とか

草刈りのスピードを求める時は

径の少し大きめを使います。

小竹や萱みたいなものは

ブラックシャークとゆう歯でいけば大抵切れます。

草刈り機のメンテナンスも

覚えました。

これも一つの財産だなぁ…

と思って感謝しています。

 

今年は僕らの陶芸生活が独立して

25周年になります。

いつもの年よりは多くの展示会

九州を中心にしようと思っています

去る2月宮崎県、5月札幌そして

鹿児島の霧島と秋には福岡で予定しています。

 

2月の宮崎の展示会は色々な意味で

面白かったです。大分県と宮崎県の県民性の違いに驚きました。

例えば、2時に集合となると

大分では15分前にはみんな揃っています。宮崎では反対に2時過ぎてからぼちぼち集まり始めるそうです。

宮崎県では日向時間とゆうものが

有るそうです。懐しい…

僕らも沖縄生活が長かったので

沖縄時間を思い出します。

でも、僕らが沖縄を出る頃には

沖縄時間もすっかり影を潜めて

自分達の方が時間にルーズな人になっていました…時間にルーズだとゆう事はあまり良いことでは無いですが

のんびりしていたなぁ。。。

時間が今より少し間延びしていたように思います。

 

最近感じるのは

時が過ぎるのが早い!とゆう事。

年々時間が過ぎるのが早くなってるよね!?は、みんなの合言葉?

時を長く感じながら

ゆったりと生きる。。。。

これを実現できれば残り少ない

束の間の人生…

長く感じながら生きられるのでは?

と考えている所です。

例えば時間を忘れて何かしている時や、時々思い出す子供の時の

家族のなんてゆうこともない時間。

あまり先を見て先回りして考えて

生きていると時間がより早くなってしまうような気がします。

 

ゆっくりと田舎生活を満喫して

行こうと思いますが…

田舎生活は忙しいです!

どうすべきかなぁ…

泡盛でも飲みながら

少し考えてみたいと思います。

 

伊藤英明

 

  音楽だより  489 

エスプレシボ 

2024年3月号 

2024年3月1日発行・別府市南立石1の2 

発行者/竹内竜次

TEL (097721-9167

春に聴くシューマンの弦楽四重奏

レオンコロ・カルテット

 皆さんは好物だったものを食べすぎて、逆に全く食指が動かなくなってしまった経験はありませんか?

自慢じゃないですが、食い意地が張っている私は、鍋の榎茸と天丼の海老天を食べすぎて、しばらくは見るのも嫌になりましたが、、。

  音 楽の分野では、つい最近まで"弦楽四重奏"が、私の“食べ過ぎて食傷気味“にあたりました。

恐らく、誰かに勉強のために聴きなさいとでも言われたのでしょう。留学時代、廉価版のCDを買い漁り、寝ても覚めてもベートーヴェン、シューベルト、ブラームスのカルテットばかりを聴いていた時期があります。

しかし、4色の油絵具で隙間なく、べったりと空間を塗り潰していくような内向的かつ濃密で緊張感に満ちたカルテットの世界観に、いささか胃もたれ気味になり、、、しばらく遠ざかっていたのでした。

それから20年近くが経ち、久しぶりに耳にした、エベーヌやアロドといった若い世代の四重奏団のいくつかは、私が勝手にひきずっていたカルテットに対する「濃厚コッテリ」としたイメージをすっかり払拭してくれました。

中心から外に向かって放射される旋律は、シャープな音色で紡がれていきます。親密さはあるものの、それでいて風通しの良い開かれた音楽が展開されていて驚きました。

そんな新時代のカルテットの中で、最近、すっかり魅了されてしまったのが、レオンコロ四重奏団のデビューアルバムです。

 良いアンサンブルは、全てのパートが分離&独立して、立体的に聴こえるものだと思っていました。しかし、このカルテットは良い意味で、4つの声部の境目を感じさせません。

主役のメロディーを際立たせるため、あえて他の3人が音像をぼかし、背景に徹すると、まるでドイツリートの素朴な歌に寄り添うピアノ伴奏のようにも聴こえます。また、完全に4人が一体化している時は、オーケストラの弦楽器のセクションや合唱の如くスケールの大きなうねりを生み出します。もちろん4人が思う存分個性を発揮したポリフォニー(多声)も楽しい。

 まるでターミネーター2でシュワちゃんを追い詰めるT-1000みたいに、場面に応じて自由自在に形態をかえて音楽を進めていきます。(例えが古いな。すみません)

音色も多彩です。

人の声のような絹のようなやわらかな音色から、オケの金管セクションのような煌びやかな響きまで、こちらも変幻自在。 

CDの冒頭のベルエポックの傑作、M.ラヴェルの四重奏曲の精緻な演奏はもちろん素晴らしいのですが、二曲目におかれたR.シューマンの弦楽四重奏曲第三番にすっかりハマってしまいました。(この曲が気に入って他のカルテットの演奏もいくつか聴いてみたのですが、残念ながら全く別物。やはり"名演あっての名曲"なのですね)

曲は、主人公がためらいがちに恋人の名をつぶやくところから始まります。(シューマンさんだから、たぶんクララさんでしょうか?)

どうしようか迷いながらも、いてもたってもいられず恋人の元へ駆け出していくところまでが第一幕。

恋人の元へ向かう道すがらの二楽章では雲行が怪しくなります。行手を阻む激しい雷雨に遭い、主人公の心にも不安と迷いが生じます。しかし、心配された雨は次第に小降りになりやがて晴れ間が、、。

雨宿りしている間の三楽章では、恋人に初めて会った至福のひとときを思い返し、再び胸の高鳴りを感じ始めます。

そしてフィナーレは、自信と喜びに満ちた足取りで、恋人の元へ駆け出していくのでした、、。めでたしめでたし。

といったストーリーを私は勝手に考えて聴いています。

拙作の三文芝居の脚本は置いておくとしても、清々しいエネルギーと優美さが同居したレオンコロカルテットのシューマンは、この季節にこそ相応しいと感じます。四楽章が終わる頃には、ウキウキして外に出かけたくなるようなそんな作品です。

レオンコロ(レオンコロ=エスペラント語でライオンハートの意)カルテットのシューマンで、春の訪れを感じてみてはいかがでしょうか。

(ギター科 竹内竜次)

音楽院よりお知らせ

41回「春の音楽祭」開催! 

428日(日)サザンクロスにて当教室の生徒さんの為の年に一度の発表会「春の音楽祭」が開催予定です。すでに30名以上の生徒さんがエントリーされています。お申し込み締め切りは3月25日です。

皆さまのご応募おまちしております

 

(くの)(うら)通信 <№82>

車中泊の旅

2月は毎年の事ながら本当にあっとゆうまに過ぎ…

3月、来浦の家の周りは菜の花、水仙、ミモザあちこち春の花が咲き鶯も鳴きはじめ生命力が満ちてきています。いよいよ待ちに待った春本番!

先月217より宮崎県の綾町にあるギャリーで作品展をさせてもらえる機会を頂いて、初宮崎🚩作品と寝袋布団を我が家の軽貨物車に乗せて

3泊4日車中泊の旅へ行ってきました。

 

私達は長い間沖縄の島暮らし。

どこまでも地続きで車で他県まで行ける事が本当に新鮮で!!

うつわを乗せて旅が出来るなんて夢のよう…憧れでした。

 

引っ越して来て1ヶ月後20175月初車中泊の旅は中古の焼き物の窯を探す旅ヘ。佐賀県有田唐津の旅

宿代節約、各地の温泉に入り旅が出来るなんて最高!!すっかり気を良くしてその後も福岡、山口

納品や展示など兼ねて車中泊の旅ヘ出かけていましたが…

コロナ禍になり3年ほど自粛しており今回の宮崎旅は3年ぶりでした。

 

まだまだ寒い2月の車中泊どうなることやら?と思っていましたが、この期間全国的に異常な高温2月と思えない夏日宮崎の気温も2325℃!!

 

半袖になりたいぐらいで助かりました。

 

始めて訪ねた宮崎行きは高速を使わず下道を走り、日向の海岸沿いは、さすがサーフィンで有名な海岸。

サーフショップが立ち並び季節外れの陽気と相まって美しい海を横目に蘇鉄や椰子の木の街路樹を走っていると久しぶりに懐しい沖縄を体感とともに思い出しました。。。

来浦での暮しの風景や質感があまりにも南国沖縄と別世界なので思い出すことも無かったんだなぁ…と気が付きました。 

宮崎市内にたどりつく頃には夕日が堕ち、初日は高岡道の駅にて車中泊。

車中泊の食事は地元スーパーでお惣菜とつまみ、必ず地酒(日本酒)を買って飲んでみることも楽しみの一つ。また近場の温泉に行くのも楽しみの一つ!

この日平日木曜日にもかかわらず道の駅車中泊の車が多いのに驚きました。。。何故?! 

宮崎はプロ野球のキャンプ地。

丁度キャンプシーズンで車中泊の車が多かったようです。

3年ぶりの車中泊

3年分歳を重ねたから。。。

以前は寝られれば何処でも全然平気でしたが…朝なんだかカラダがあちこちギシギシと凝ってるような?!

その後予定してた車中泊はギャリーのオーナーさんのご厚意で良かったら店内で泊まってって下さい!のお言葉に素直に甘えさせて頂いて…

結局車中泊一泊残り2泊はギャリー泊となりました。

車中泊にも年齢的タイムリミットがあるのか?!

そんな事考えもしなかったけれど…

とつぶやきつつも

次は鹿児島霧島のお山の上のギャリーへうつわの納品旅をする計画中!せっかく九州へ来たんだから九州一周はぜひしてみたいと今からたのしみしています。    

 

伊藤 花

 音楽だより  488 

エスプレシボ 

2024年2月号

2024年2月1日発行・別府市南立石1の2 

発行者/竹内竜次

TEL (097721-9167

良い音ってどんな音?

 

正月中に、ほかの大人たちが同乗するのを早々に辞退したため、姪っ子とジェットコースターに乗るはめになりました。小さな子供も乗っているから大丈夫だろう、、と高を括っていたら、心臓が3度ほど喉から飛び出しかけまして、、。降りたら足がわなわな。多分平気なふりをして姪っ子を気遣ってみたものの顔はおそらくひきつっていたはず。

 

一緒に「怖かった!」と騒いでいた姪っ子に

「あのジェツトコースターもう一回乗るのと、毎日2時間ピアノ練習するのとどっちがいい?」

と訊くと食い気味の即答で「もう一回乗る!」。

いわく2時間も練習すると指がちぎれるんだそうです。

帰りには「春に来たらまた乗りたい!」と言い出す始末。にいには今年はまじめに毎日2時間練習しますので勘弁してもらえんやろうか、、、?

 

ところで、あの人は耳が肥えているから」とか「色んな演奏を聴いているうちに耳が肥えてきて、、良い音がわかるように、、、」といった言葉を時折耳にしますね。

 

でも私は音楽を聴けば聴くほど、“良い音“を説明するのが難しくなってきた気がしています。

 

例えば、以下はある同僚ギタリストと音について話していた時の彼の言葉。

「温かい音で奏でられる冷たい音楽もあるし、冷たい音(汚い音)でつくられた温かい音楽もあると思うんだけど、、」

今でもそのことについて時々考えます。

音の定義って難しいですね。

 

ピアニスト・藤田真央さんは著書の中で、自身の演奏に対して「明るく浮ついた音だ」「それはきみが真に悲しい経験をしていないからだ」といった批判を受けたことがあると述べていました。

昨年、その藤田さんのコンサートを生で聴く機会を得ました。

 

この人の音は確かに大まかに分類するならば「陽」の音です。でもそれは、01かのデジタル音のような奥行きのない“明るい音”とは違いました。

群青や深緑を内包した複雑で豊かで血の通った黄金色だと感ました。

(コンサート後半のリストのソナタは絶品。リストはもっとギラギラした音楽だと思っていたけれど、まろやかな音にハッとさせられました。何よりこの人は驚異的にフレーズの息が長い。それでいて急いて聴こえない。)

 

それから、不幸な悲しい体験をした方が、深い音楽を奏でられるというのは迷信だと思うのです。

 

優れた音楽家はきっと、ベートーヴェンの抱えた苦悩や、シューベルトの喜び、ドボルザークの郷愁を、自らの限られた体験から得た感情に安易に置き換えたりはしないでしょう。

想像力と謙虚さと愛情をもって、作曲家の人生に肉薄するまで長い時間考え続け、楽譜を読み続けるはず。そうした姿勢が、結果的に普遍的な喜びや悲しみに結びつき、私達に幸福感をもたらし、傷ついた心を癒すのではないかと思います。

 

最近メディアでの露出も頻繁で「天才!」とか「モーツァルトの生まれ変わり」、「既存の概念をうち壊す新しい解釈!」といったわかりやすい言葉で紹介されることが多い藤田さんですが(最近まで、彼がこんなに有名人だとは知らなかった)、その場の思いつきで“藤田真央”が前面に出るような弾き方は好まず、原典版を尊重し作曲家の意図を十分に吟味し慎重に検討を重ねたうえで新しい解釈にたどり着いている、、といった努力の過程はいつもショートカットされています。

 

かくいう私自身も、その個性的で、その場から湧き上がってくるような瑞々しい音楽を聴いて、藤田真央は天才肌なんだろうなあ、、と勝手に思い込んでいましたが、著書から知る彼の、音楽に対するどこまでも謙虚で誠実な姿勢には見習うべきことが沢山あります。

 

藤田さんは同じ著者の中で、平和への願いが自分の心の中にあったとしても、演奏に自らのメッセージや想いを込める事はあえてしない、、と書いていたのが印象的でした。それが作品そのものを濁らせてしまうことがある。自分はただ作品に向き合うのみと。

そのふわふわした童顔に似つかわしくない芯のある青年だと感じたのでした。

 

自戒の念を含めて思うのですが、メディアで演出された遠くの戦争や大きな災害に傷ついた人々を見て、心を痛めるのは簡単だけれど、近くにいる家族や隣人の抱える小さな悲しみに気付いたり寄り添うのはとても難しいですね。

しかし、隣のひとの気持ちに寄り添えずしてどうして能登の人たちの本当の気持ちがわかるでしょうか?

 

「被災地を慰問に訪れる音楽家の多くが「ふるさと」を演奏してくれたけど、本当は聴くのがとても苦痛だった、、」と東北の震災を実際に経験した方からお聞きしたことがあります。

想像力を欠いた安易な優しさは時として暴力的で、安住の地を奪われたばかりのひとに「ふるさと」を押し付けてしまうことになりかねないのですね。自分も気をつけなければ。

 

藤田真央の、その押し付けがましくない、たおやかな音を聴いていると、遠くの惨状を大袈裟に嘆いてみるのではなく、例え時間がかかっても、すぐ近くにいるひとの細やかな心情に寄り添おうとしているように感じられるから不思議です。

 

これからの深化が楽しみな音楽家の一人です。

 

ギター科       

竹内竜次

(くの)(うら)通信 <№81>

来浦通信、都合により今月はお休みします。

 

♪音楽院よりお知らせ

41回「春の音楽祭」開催!

 

428日(日)サザンクロスにて当教室の生徒さんの為の年に一度の発表会「春の音楽祭」が開催予定です。

お申し込み締め切りは3月25日です。

皆さまぜひ奮ってご参加ください!

  
  
  
 
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
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