音楽だより♪384
6月号
生活心理学 6 竹内幸一
初夏の日差しが強くなりましたが、まだ汗ばむほどでないのは、湿気が少ないからでしょうか?新樹からの風も快く、今はとてもいい時期ですね。
さて、半年にわたって連載してきました「生活心理学講座」もいよいよ今月で終わりとなりました。私の消化不良のせいで、分かりにくいところもあったのではないかと思います。長い間お付き合いいただき有難うございました。
6回目の最後のテーマは「ステップアップの心理学」というタイトルでした。健やかな人生を目指して(生活に生かす心理学)。自己管理が勝敗を決める(セルフコントロール)。成功のカギを握るのは誰か(他人任せから自分任せへ)。「自分史」を振り返る(自己の再発見と再検討)。壁を乗り越える(問題解決の技法)。落ち込み、悲観からの解放(ポジティブ・シンキング)。発想がぐんと広がる(創造的発想法)。自分の人生を生きる(自己実現)。・・・そういう項目について学びました。
項目を見ていると、これを読んで学べば、セルフコントロールが出来て、壁を乗り越え、落ち込みや悲観から解放され、創造的発想ができ、自己実現の道が開けてくるのではという、バラ色の未来がありそうな気がするかも知れません。しかし、事はそう簡単なことではありません。どのことも、やはり自分自身が強く心底からこうなりたいと求め、地道な努力がなければ簡単には手に入らない事ばかりです。
一例として、ダイエットに取り組んで成功した様子を書いてみましょう。
1、<問題意識を持つ>太り過ぎている事を認める。これではいけないとはっきり認識する。
2、<自分の行動や努力の跡を確かめる>ジョギングを始めるだけでなく、自分自身の目でその変化を確かめる工夫をする。体重変化をグラフに記入し、効果の進行を自分で確かめる。
3、<成功するという信念>「自分が行動すれば必ず体重を減らせる」と信じて毎日を過ごす。
4、<仲間を作る>
5、<無理な目標は立てない>
・・・・そういうきちんとした取り組みが出来るのは、「セルフコントロール」がカギであることはいうまでもありません。投げやりや怠惰では、自分で自分をコントロールすることはできません。自分を変えたいという、強力な問題意識を持つことがスタートになります。やはり、棚からぼた餅で成果のあることはないということなのでしょうね。
ただ漠然と自分に不満を持っているだけでは何も変わりません。こうして、きちんとした手順を教えてもらい、それを取り入れるということで、もしかしたら、セルフコントロールにつながることもありそうとだ思って、行動する一歩を踏み出していただければ嬉しいです。
いよいよ最後になりましたので、これまで学んできて感じたことをまとめとして書いておきましょう。
私はこれまで、優柔不断で、きちんとした信念もなく流れに翻弄されてきていました。いつもびくびくしつつ、人の顔色を見て、波風の立たないように、争いの起きないようにと、ひたすら逃げてきていました。
しかし、生きていくうちには、一つ問題がおさまれば、次の難関が不思議にやってきます。とは言え、それに立ち向かう気力や根性もなく、只々悶々と内に問題を押し込めているばかりでした。
独りでベッドに入り「ああ今日はまたこの問題で眠れないな」と憂鬱を抱えて、何度も反芻するばかりでした。いろいろ思いめぐらすものの、それは出口のない迷路で、ぎりぎりと歯噛みして夜が更けるばかりでした。
昨年末、これではもしかしたら壊れるかもと思うようになり、それこそ藁にも縋る思いで、何か少しでも手がかりがあればとこの講座を受けることにしたのでした。
たぶん具体的にこの講座が役だったということではないと思うのですが、これがバックにあるということで、今年の初めに、私は小さな一歩を踏み出すことができました。
それは、一通のメールから始まったのでした。このメールが、後にとても大きな展開になろうとは、それこそ夢にも思っていませんでした。
幸いなことに、このメールの気持ちをきちんと真っ直ぐに受け止めて、親身になって全力で応援してくれる貴重な方がいてくれました。様々な励ましや忠告をいただき、それから少しずつ前進できる日々になったのです。
その進行の裏には、「この生活心理学を学ばねばやっていけないような現実を抱えているんだ」ということが、自己証明の支えになっていた気がします。その意味では、やはりこの講座への申し込みが自己改革への原点になりました。
関が原、大坂夏の陣・・・と深刻なことを冗談に言っていたことを乗り越え、一騎打ちの直接対決も迎えました。いつもなら、へなへなとやり込められ、口ごもるところですが、今回はなぜか違っていました。60数年生きてきて、初めてはっきり「NO!」と言えた気がしています。この決然とした勇気の一言は、今までの私にありえない事でした。
「生活心理学」を学びたいという、おおもとの問題が、様々な方の助けをいただき、解決の日を迎えました。こんな日がこようとは、まさに青天の霹靂でした。今、この流れを振り返りながら改めて、言い知れぬ感慨にふけっています。
これからも様々な問題が出てくるでしょうが、この「生活心理学」を支えにして、何とか乗り越えて行けたらと思っています。
連載その4
歌うってこと
パート Ⅱ
(声楽・ピアノ科講師 白石まさ子)
皆さん小学校や中学、高校生の音楽の授業や部活のコーラスなどで、音楽の先生から“声をお腹から出しなさい!”と言われませんでしたか?
私もそのように教わりました。その時はまだ“丹田”と指導する先生はいなく、“おへそのあたりを使って!”“横隔膜を使って!”と指導されました。
最近は“丹田を使って声を出す”指導が日常になりテレビなどでも“丹田”という言葉を耳にすることが多くなりました。
では“丹田”の位置は?おへそから約10センチ下、恥骨の上あたりと私は指導しています。腹式呼吸はその“丹田”をゆっくり背中の方にくっつけるように押して息を吐いていく呼吸です。
体操やヨガでは息を口から吸って鼻から出しますが、歌では声を出すイメージで息を口からゆっくり出していきます。
そして呼吸法でもう一つ指導しているのはゆっくり出している息が無くなりそうになっても諦めず、もうひと絞り頑張って“丹田”を使い体の中に残っている息を出すことです。
皆さん初めは軽い酸欠状態になりクラっとくることもあるようですが、毎回レッスンでしていくうちに息が長くなり、歌を歌うとき何回も細かく息継ぎをしていたのが、息継ぎの回数が減り長いフレーズも息継ぎなしで歌えるようになっていきました。
皆さんご存知の通り音楽はフレーズがとても大切ですね。歌や息を使う楽器は特に息継ぎに気を使います。
息継ぎの場所を決めてどんなに練習しても、本番では緊張や予期せぬミスでフレーズの終わりまで息が足りなくなる時があります。その時は“丹田”でもうひと絞り!体に残っている息を使いフレーズの最後まで何とか歌い切ります。もうダメ!と思っても以外に体の中には息が残っているものなんですよ。
皆さん、呼吸法の練習はいりますが、カラオケやコーラスなどで息が足らなくなったとき、ぜひ“丹田”で絞りだし!を実践をしてみてください。
私と孫(1)
野崎 明敏(ほのぼのコーラス)
私の家系は、男は理系、女は文系らしい。息子や娘の所を見ても何となくそう言う事になっている。これは親が仕向けるのでは無くて勝手になっていると云うのが正しいようだ。
孫息子二人は何かの展開図を描いたり設計図のようなものを描いたり、孫娘は二人とも算数が弱くて文章の鑑賞や踊りなどの所作事によくはまっているようだし、まそんなことで自然に進んで行くのかな。
以前、階段の絵を試験の答案用紙の(裏に)書きまくった我が娘の子供が女の子で算数は苦手のようだ。バレーを習って喜んで踊っていたりしていたが、親たちのハラハラをよそに受験に精を出す風もなく怠け者の誹りを受けていた。
もう中学三年の夏休みだったか別府に家族で来ていて「テルマス」(温泉施設でプールも有る)に行っていた時の事。矢張り孫で千葉の小学生の男の子も来ていて一緒に遊び回っていたが、見るともなく見ていると泳げない男の子を上手に水の中に引き入れて上手に遊んでいる。
後で休憩室に上がってきた女の子の孫に「上手に面倒見ていたね。」と半ば褒めながら話をしていたら、はにかみながら嬉しそうに面白かったよと言っていた。
何だこの子はこんな事でも親にも褒めて貰った事が無かったのか。要するに言われた事でなしに自分の考えでやった事を褒められた訳だ。以来「じいじ」は好きと言われている。
この子は化けるよと私は周囲に言っていたが、大化けではないものの確かに兄貴が通っていた高校に受かって、まだ化ける可能性を持っている。人生は長い。
<特別寄稿>
キット・アームストロング
愛野由美子(ピアニスト)
いつもチェックしているNHKの番組「クラシック倶楽部」の録画を見ていて、ハッとする演奏に出会いました。キット・アームストロングの演奏によるバッハのパルティータ6番です。ものすごい天才少年という評判だけは知っていたのですが、演奏を聴いたのは初めてです。色んな音楽番組を録画しては、夜な夜な聴いていますが、こういう素晴らしい演奏にあたった時は嬉しくなります。
台湾系アメリカ人のキット。私たちアジア人から見ればほんとにどこにでもいそうな素直でまじめで賢そうな好青年です。今年23歳だそうですけど、インタビューで見せる笑顔にはまだ幼い面影が残っています。でもそのキットが一旦ピアノに向かうと、キリッと様子が一変します。パルティータの6番。一番最初の出だしのホ短調のアルペジオのところ、ここのセンセーショナルな入り方から、いきなり画面にくぎ付けになってしまいました。そこからずっと繰り広げられるキットによるバッハの世界。みずみずしくて、シャープで、臆することのない、思い切りのよい演奏。純粋に、ひたむきに、真っすぐバッハに向き合おうとしている姿勢が伝わってきます。
以前、私の尊敬する友人が「バッハというのは、もっともっと自由に弾いていいんだ」と力説していましたが、まさにその通りだと思います。グールドのバッハ、シフのバッハ、ジャズピアニストによるバッハ・・・同じバッハの曲でも全然違うスタイルの素晴らしい演奏がたくさんありますね。キットの弾くパルティータ6番を聴き終えて、ほかのピアニストの演奏も聴いてみたくなりました。Youtubeをチェックしたら、ペライアの演奏が出て来ました。これがまた全然キットとは違う、うっとりするほど円熟した素晴らしいパルティータでした!バッハの名曲は本当に色んな解釈による色んな演奏が可能なんだなあと、改めて感動しました。でも、これって街のピアノ教師としてはとても悩ましいことですよね。「これでいい」っていうのがないわけですからね。自由な取り組みを可能にするバッハの名曲ほど、ピアニストの全人格が問われる曲はないのかもしれません。パルティータの6番、私も弾きたくなってきた・・・!
「1992年、米・ロサンゼルス生まれのピアニスト / 作曲家、キット・アームストロング(Kit Armstrong)。巨匠アルフレート・ブレンデルが「私が出会った最高の才能」と賛辞を惜しまない、驚愕の才能をもつピアニスト」「アームストロングはカーティスとロンドンで学び、13歳でブレンデルに師事、さらに数学でも学位を持つという驚異的に明晰な頭脳を持ち、ヨーロッパ中のメジャー・オケや名指揮者たちと共演、数多くの音楽祭などに出演し絶賛を浴びているピアニスト」
愛野由美子ブログ「ピアノの音色」より (http://blog.goo.ne.jp/piano-no-neiro)
音楽だより385 エスプレシボ
ダニ騒動 竹内幸一
梅雨寒の日々が続いていましたが、今日は久しぶりに日差しが溢れています。少しずつ夏模様に変わって行くのでしょう。しのぎやすい夏になればいいですね。
さて今月は、久しぶりに心理学を離れ一般の話題に取り組みました。笑い話のようなものですが、どうぞこの悪戦苦闘を読んでください。
1カ月ほど前のことです。寝室にダニが出ました(と感じました)。これまでも時折そういうことがありましたので、いつものように、スプレー殺虫剤を散布して様子を見ました。
ところが何の効き目もありません。それどころか、パソコンの部屋や2階の居間にまで広がってきました。おかしいなと思いつつ日が過ぎると、ダニは、1階の教室までひろがって、どこへ行っても虫のうごめくむずむず感があり、チクチクと刺すのです。
何とかしなければと、ドラッグストアーから水を少し入れて薬を噴出させるバルサンを買ってきました。各部屋にと個数が増えましたので、かなりの値段になりました。
これで全滅しただろうと安心して、ようやくダニ騒動から解放されるかと思っていました。しかし、しばらくいいのですが、2,3日するとまたダニのうごめく症状がひどくなりました。
寝られないので、寝室を出て、2階のソファーで寝るとだいぶいい気がしました。しかし、だんだんそこもダニが広がってきました。
足、腹、背中と、あちこち飛んではもぞもぞ動く虫が感じられます。頭の毛の中にも確かに何かいて、動いています。夜眠ろうとして目を閉じていると、まつ毛のあたりに虫が飛びつき、ムズムズと動き始めるのもわかります。
どうにもならないので、害虫退治の業者に連絡して消毒してもらうことにしました。屋根裏から、ベッドのマットの下まで、実に念入りに消毒をしてくれました。
やれやれ、これでいくらなんでも解決だろうと喜んだのですが、少しいい様な夜が2,3日過ぎると、またダニが動き始めます。元の木阿弥になり途方にくれました。
スプレーやバルサンでもダメだったので、今出ている虫は、ダニではないのだろうと、私は確信しました。どんな虫がいるのかきちんと調べて、それに対応できる消毒をしなければ解決するはずはないと、業者に頼んでみました。
ところが、この業者の方が妙なことを言うのです。「虫が原因なら、私の方で、どんなことをしても解決します。しかし、その前に、申し上げにくいのですが、一度病院に行って診察してもらったらどうですか」と言うのです。
虫に刺された跡がない。同居の妻が全く虫の被害を感じていない。・・・それを理由に、私の訴えがおかしいと言う感じなのです。
ああ、虫が動いてる、動いてる。チクっと刺す。この現実の確かにある体に感じることが、否定されようとしていました。そんな馬鹿な…これが気のせいや、幻なものか。確かにあるものを、もうどこにも訴えられない虚しさは、どういえばわかってもらえるでしょうか?支えている土台が崩れて行ってしまう感じでした。もう何を言っても無駄と言う気分になりました。
それからも、性懲りなく私は悪あがきを続けました。これは、何とか自衛するしかないんだと決心をして、いろいろ素人考えの最後の抵抗をしました。高温にダニが弱いということから、毛布や衣類などムズムズの対象となるものを、コインランドリーに持って行き、高熱殺菌をしました。また、ダニを吸い取るという掃除機も買って、丁寧にベッドの上などの掃除をしました。
しかし一向に改善しません。そんな折、合奏指導している途中に、例の業者の方から電話がありました。「その後どうですか」「いや言いにくいけど、あまりよくないんですよ」「そうですか、虫のことならこちらでなんとでもしますので、とにかく一度病院に行ってみてくれませんか」と言うような会話でした。
今考えれば、とても良心的で誠実な対応の業者さんでした。多分その気持ちが通じたのだと思いますが、その電話の翌日、出張レッスンの帰りに私は思い切って皮膚科受診をしました。
訴えを聞いた医師は、ああ、またこれか、珍しくもないという感じで、「薬を10日分出しておきますね」と言うのです。「虫が出ているのでは?」と尋ねてみると「いえ、これは虫ではありません」と、断定しました。
出来たら虫の種類を教えてもらい、その消毒を頼もうとも思っていた私の思惑は見事に外れました。
説明によれば、「加齢による皮膚の乾燥で、皮膚が過敏になりアレルギー症状を起こしている」んだとか。
病院を出ると、梅雨晴れ間の美しい夕焼けが広がっていました。なんだか晴々とした気持ちになりました。
な~んだ早く言ってくれればいいのに。と、自分の強情な素人考えを棚に上げて、ひとりでずっこける感じでした。この悩みを解決してくれるなら100万円払ってもいいなどと妻に言っていたのが、滑稽な笑い話のようになってしまいました。
たぶん、薬よりも、医師の断定の言葉の力ではないかとも思いますが、診察の帰りから、ムズムズチクッがまったくないのです。不思議だなあ?どうなっているのだろう。半信半疑で、床に就くのですが、診察以後まったくダニは現われません。やはり、素人考えを通さず、素直に専門家の意見を聞き入れる事が大事ですね。それが今回の大きな教訓でした。
そのことをメールで業者の方へ知らせたら、すぐに喜びの電話がかかってきました。そこまで面倒を見てくれる良心的な方はなかなかいません。おかげで、助かりました。
連載その5
♪サンシティー音楽院
(ヴァイオリン科講師 徳田美和)
皆さん、こんにちは。
今年の梅雨は湿度があまりなく、肌寒くさえ感じますね。体調は崩されていませんか?
雨が降る日に、鉛筆を持ちながら文章を書くのも、落ち着いた気持ちになって良いなぁと感じながら、原稿を書いています。
さて、今回は、サンシティー音楽院について書いてみようと思います。
まず名前。太陽の街の音楽院!!
なんて明るくて希望に溢れた名前ー!
そして音楽院に入るとまずは院長先生がお出迎え。(絵)
楽譜と本が所狭しと置かれており、活動した写真が貼られており、このエスプレシボと演奏会のチラシなどが置かれたあの机。
なんとも落ち着くこの空間が私は大好きです。
いろんな人がいろんな音楽を奏でてきているこの教室は、壁にも音楽が染み込んでいそうで、だからこんな雰囲気がするのかなぁ。
ここでレッスンをする事が当たり前の日々になっていたこの頃でしたが、この前講師演奏会をさせていただいて、つくづく大好きな先生方と、お客様の雰囲気から大好きな音楽院だなぁと思い、ここでレッスンさせてもらえる事って…私にとっては本当に大切な時間なんだなぁと気付きました。
私が感じているサンシティー音楽院は、まず、大好きな音楽を勉強できる近所の音楽院。
テレビや看板で宣伝したり営利目的でしているのではなく、ただ、音楽をやりたい方はどなたでもいらっしゃい♪ という、受け入れる音楽院。
発表会をみていても、1人1人がそれぞれの想いで楽器を奏でられていて、この音楽院は、そんなふうに1人1人の想いを大切にするところだなぁと思っています。みんなサンシティー音楽院ファミリー。そんな感じがします。
先生方も皆さん本当に真面目。
真面目ゆえに天然なところもあり、先生方と一緒にいるといつも笑いが絶えません。
そしてそれぞれの先生に対して、あぁ素敵だなって尊敬しています。
別府のあの丘のあそこにしかない、世界にひとつのサンシティー音楽院。
素朴で真面目で、あったかくて笑いがあって、そんな音楽院が私は大好きです。
さて、私も自分の演奏を磨きつつ、今度のレッスンはどんな風にしようかなぁと楽しみながら、これからも生徒さんが音楽を楽しむお手伝いができたらと思います!♪
ありがとう、サンシティー音楽院 ♪
出会えて良かった、サンシティー音楽院 ♪
P.S
先生にこの原稿を提出したところ、先生に
「なんだかくすぐったいなあ・・・べた褒めしすぎじゃない?嬉しいけど。」と言われました。
そう言われると、こちらもなんだか恥ずかしくなってきました。まるでサンシティー音楽院へのラブレター⁈ 笑
きっちりと受け取っていただきます。笑
私の仕事は、なんでしょうね
竹川敏彦(ルベックリガール)
ギター新年会で焼肉とビールを摂取している時に、眼の前の席にすわっていたM岡さんが、「T川さんは、仕事をしよんのな。」と聞いてきた。
それは、「仕事もせんで毎日ギターを弾いて遊びくらしよんのやねえな。」と言う問いかけに聞こえた。
「どんな仕事をしてるんですか。」と聞かれることはあるけど、
「仕事をしている。」or「仕事をしてない。」を聞かれるのは、初めてである。
私は、小さな設計事務所に勤めているサラリーマンである。
毎日コツコツと図面を描いたり、積算をして、地道に働いている。
たまには、建設現場に行って現場担当者をいじめたりもする。
逆に客先から、監理が悪いと言われて、いじめられる事もある。
なにがM岡さんに、こいつは遊び人やなと疑念をもたせるにいたったか考えてみよう。
普段の生活態度に難があるようなきがする。
夜中の2~3時に目が覚めた時は、ビールを飲みながらギターの練習をすることがある。
それが原因か。
一流企業では、会社に私物であるギターを持ち込むなど言語道断であると聞いたことがある。
しかし、私は会社にギターを持ち込んで、昼休みに会議室で練習している。
それが原因か。
たまに仕事がなくて暇なときに(現在暇なのでこの原稿を書いている。)
インターネットでギターの楽譜を漁ったり、楽譜作成ソフトを使って次の練習曲を清書したりしてる。
それが原因か。
残業するのは嫌いなので、毎日定時に家に帰ってまずはビールを飲む。
それが原因か。
結局よくわからないので、M岡さんに直接きいてみます。
私と子供(4)上
野崎 明敏(ほのぼのコーラス)
また最初の子供に戻りましょう。
小学校高学年の頃自転車を買ってもらった嬉しさに家の近くを走り回っていたが、或る日会社の人事部の女性から野﨑さん!子供さんが大変よ。直ぐに帰ってあげて、交通事故で病院は「○○病院」だから。
まさに!取る物も取り敢えず我家の近くの病院へ直行。息子は気息奄々点滴液を吊るされてと言った状況、神さんに会うなり「おばあちゃんには連絡したから夜には来るわ」「じゃ、お前は家に帰っておばあちゃんの世話しろ今晩俺はここに居るから」と病院に居る事にした。
状況はこうだ。岸和田の家の近くは広い谷の中、バス道が中央を麓から山の方に続いている。そのバス道に交差する道は何れも坂道を下って来る事になる。そう云う感覚のない息子が飛び出てきた普段交通量の少ないバス道に「○○泥コン」の2トントラックが来たので息子は自転車ごとはねられたという事になる。
この泥コンと言うのは木造建築に使う壁の素材、工場で藁の須佐(すさ)を練りこんだものをトラックに移し建築現場まで運んで壁を塗ったりする。
息子は頭が痛いと訴える。看護婦さん今は看護師さんだが、以前はこう呼んでいた。息子に今にも死ぬような声出すんじゃないと叱っておいて看護婦さんに告げるとすぐ病室(10人位の大部屋)に来てくれて、ああ点滴が早や過ぎるわと言って速度をうんと落としてくれた。
さて息子の状態が落ち着いたときに、今日はお父さんが一緒に寝てあげようとベッドの中に入った。それまではベッドの下に寝ていた。
やれやれ、少しは休めるかと思ったのも束の間、今度は水が欲しいと言い出した、大体こんな時は水は禁物と心得ていたのだが執拗に水を欲しがるので、また看護婦さんにお伺いを立てに行ったらガーゼを水に浸してよく絞って唇を拭いてあげなさいとの事、そのようにしてやったら今度はかなり強くガーゼを吸い始めた、また看護婦さんに可なり水を吸っているのですが?とお伺いを立てるとごくごく飲むのでなかったら少し位は構いませんとの事、少し安心して朝まで過ごしたが何度ガーゼを持って洗面所まで行ったやら。
(続く)
音楽だより♪382
生活心理学 4 竹内幸一
そこまで春が来ているのはわかりますが、まだまだ風の冷たい日が続いています。今の天候は極端ですので、これが終わればいきなり<夏日>なんていうことにもなりかねませんね。寒くもなく、暑くもない穏やかな春の日々がたくさんありますように。
さて今月の生活心理学は、「過去・現在・未来の自分探し」ということで学びました。
自分を見つめる。人生のスタートを振り返る。家族の中の自分。青年期―子供と大人の間。親への反抗。大人への通過儀礼。中年期―人生の中間地点。歳を重ねていく事―人生の次の段階へ……といった項目が並んでいました。
今回の学習でのキーワードが二つありました。まずその一つ目は、「居場所」でした。
成長に伴って舞台は移り変わり、登場人物も入れ替わり、居場所探しの人生の旅は続きます。主人公の自分の現在が、どういう舞台にいるのか、その場のどんな体験によってどのような感情が生じているのかを冷静に考えてみる習慣が、真の自分を見つめることにつながります。
生まれてすぐの乳児期では、両親や祖父母などに囲まれた家庭に居場所があれば幸せです。しかし、今はこの当然のような育児の出来ない虐待と言った悲惨なケースもたくさんあります。安息の居場所を与えてもらえない乳幼児は、すべてを周りの人にゆだねる時から、暗い日々になります。
児童期では、小学校、青年期では、中学や高校、大学の教育機関や社会、家庭での居場所を求めて暮らします。少しずつ両親から離れ、学校の友人などとのかかわりが広がってゆきます。しかしながらここでも、いじめなどから、安らかな居場所を失っているケースも多くあります。
成人期には、社会の中で大人としての居場所、家庭という居場所を求めていろいろな人々と接触していきます。ここにも引きこもりなどの安住の居場所を持ちえない人がいます。
中年期には、責任ある役職に付いたり、家族関係も様々に変化していく中での居場所探しの日々になります。
老年期では、定年退職後の自分の居場所探しが、老後の自分を考えながらはじまります。
社会の中で自分なりに達成すべき目標や仕事を持ち、それに向かって進んでいく事、スポーツや趣味などに没頭できること、また仲の良い友人がいたり、温かい家庭が存在しているということは、そこに自分が生き生きとできる「居場所」があるということです。
今、自らが所属している居場所を改めて見つめることが、人生の幸せとは何かを考えるきっかけになるのではないかと思います。
もう一つのキーワードは「アイデンティティー」という舌を噛みそうな難しい言葉です。これは日本語で言うと、「主体性」、「同一性」、「存在証明」などと訳されています。簡潔に言うとアイデンティティーとは「自分が自分であること」を意味します。
発達心理学者のエリクソンはその著作の中で、「アイデンティティーは、人間の今ここにある、はかない存在を、錨のように定着させるものとして必要なのだ。・…実際、人間存在という社会的ジャングルにおいては、アイデンティティーの感覚を持っていなければ、自分は生きているのだと感じることすらできない」と説明しています。
人間がこの社会の荒波の中で生きていくためには、自分が自分であるという実感、つまり自分自身への納得感が必要であるということなのです。
アイデンティティーの危機には次のようなケースがあるそうです。「自分がこれから何をしたらいいかわからない」、「自分が世間の中でしっかり地に足を付けて生きている感じが持てない」、「自分が好きになれない」、「自分は誰か」、「自分は何か」という気持ちが起きているときは、アイデンティティーの危機なのだそうです。
では、アイデンティティーを確立するには、どういう手立てがあるのでしょうか。その3つの方法を書いておきましょう。
1.子供時代からの自分の過去を捉えなおす。
(何の制約も受けずに未来の自分を思い描いていた時期があります。しかし青年期以降になると、自分という人間を良く見つめたうえで、自分の希望を捉えなおし、修正して行かなくてはなりません。中年、老年になるときも常に過去の自分を捉えなおし修正することで、アイデンティティーが自分のものになります。)
2.社会の中に自分にふさわしい居場所を探す。
(暮らしていく中ではいくつかの居場所があります。この居場所の中で、自分でもよしとし、他人からもよしとされるものがその人の【適所】になります。高望みもせず、卑下もせず、自分の【適所】を見つける事ができるかどうかが大切なカギです。)
3.自分自身への納得感を持つ。
(自分自身を肯定的に捉えることです。過去・現在・未来と生涯にわたる発達段階の中で、居場所が移り変わって行く自分をみつめることが、真の自分探しになり、ひいてはそれが肯定感につながります。)
「自分とは何か」という嘘も掛値もない、丸裸の自分を見つけることが、自分の肯定につながるのです。この時代、この社会に人間として生きている自分。この自分は誰にも成り変わることはできません。その自分にぴったりの居場所を見つけるのはあなたです。
連載その3
歌うことって? パートⅠ
(声楽・ピアノ科講師 白石まさ子)
歌って“文化系?体育会系?”
初めて歌を習いに来られる方に1回目のレッスン時にいつもこの質問をします。
たいていの方は「文化系かな?」と迷われながら答えられます。
「いえいえ、歌は体育会系ですよ!レッスンを重ねるとわかりますよ!」と説明すると皆さん「まさか・・・そんなはずない・・・」という表情をされます。
いざレッスンが始まり1~3か月を過ぎると「先生!先生が歌は体育会系といった意味がよくわかりました!歌って本当に体育会系ですね!」と皆さん言われます。
私が“歌は体育会系!”という言葉に出会ったのは、10年前?大分県合唱連盟で理事をしていた時、春に行われた中高生の為の合唱コンクールの課題曲の講習会でした。
その時指導に来られた先生は、全国大会で金賞を取る合唱団の指揮をされる大変有名な先生で、多忙の中大分に指導に来てくださいました。そして講習会の終盤に先生は中高生の受講生に向かって「君たち!歌は文化系だと思うか!歌は体育会系だ!」と声高らかに説いておられました。
その時その言葉で私の体の中に化学反応が起こり「そう!そうだ!歌うことって体育会系なんだ!」と深く心の中に刻まれました。
運動選手のように毎日筋トレやランニング、ジムでの激しいトレーニングは確かにしませんが、腹式呼吸や下半身の軽い筋トレ、柔軟体操などは毎日欠かさず行っています。
歌い手は体が楽器、毎日メンテナンスを自分でしないと誰もしてくれません。
私はこの言葉に出合い私は腹式呼吸や筋トレの大切さを新たに実感し、トレーニングの方向性が定まりました。
これから皆さんどこかで歌われるとき、心の中で“歌は体育会系”と思ってぜひ歌ってみてください。何か新しい発見があるかもしれませんね。
私と子供(2)
野崎 明敏(ほのぼのコーラス)
この前は息子の話でしたから、今度は娘の話にしましょう。 娘が中学校位の子供の頃ですから今から40年も前の事でしょう。
或る日、彼女が血相を変えて私の所へ飛び込んで来ました。この試験の答え間違ってる?と言うのです。
こんな問題を持ち込んで来られたのは今までにも無かったし、大概の事は母親の所で止まってしまう、何故これが私の所まで流れて来るのか、一応話を聞いてみました。
問題は多分こうだったと思います。50mの高さの山に階段を作りたい、20cmの
石材を何個積めばその階段は出来るか?。
彼女は暫く考えた後に問題用紙の裏に階段の絵を描き始め一段20cm2段40cm順
々に描いて行って、なんと10段で2m100段で20m、更に250段で50mにな
る事を発見したそうです。
一々階段を描きながら其処まで到達した彼女はやったあ!と喜んで先生に答えを持って行ったそうです。
先生はじっと答案用紙を睨んで、駄目です。と言ったとか。
娘は言います、ねえ!絶対間違ってないよね。とうとう私は笑い出してしまった。え!お前本当にこれをやったのか?。紙の裏にちゃんと描いてあるでしょ、何べんも描いて数えたから間違いないよ!だのに先生は駄目だって言うの。お父さんも何で笑うの、私真面目に言ってるのに。
なあお前、こんな式を習わなかったか? Y=aX このYが50mとしてXを20
cmとするとaは幾つになるか?。娘は見たような気はするけどよく分からないと言います。あのなあ、世の中にはいろんな方法があるけど、多分先生が教えてくれたのは解析的方法、お前がやったのは強いて名前を付けると統計的方法とでも言うかな。
どっちが良い悪いと言う事ではなくて解析的な方法は全体がぱっとわかって便利な方法だね、兄ちゃんなんかは解析的な方法は得意だよ。ただ大人になってどうしても分からないときには統計的な方法を使うしかない場合も有るしね。
ところで先生の事悪く言ったりするんじゃないよ、先生は便利な方法を教えてあげようと思ったはずだから。
ここで娘は変な誤解をしたらしい。分からない事が有っても大人にはなれるんだ。その妙な誤解が自信となってその後の彼女の行動を律しているように思える。
いろんな幸運も有って高校、短大と卒業して今では二児の母として宝塚市の幼児教育のお手伝いをしているところを見ると、まあそれはそれでよい人生なのでしょうね。
<特別寄稿>
弾けないと
体操教室に変身!?
愛野由美子(ピアニスト)
生徒が曲を弾き進めていく上で、どうしても弾けないところ、突っかかるところ、指がもつれるところが出てきたりします。これは生徒に限ったことではなくて、実は私だってあることです。例えば、モーツァルトの16分音符の連続、ショパンのバラードのクライマックス、バッハのフーガ、チャイコフスキーの一見なんでもないところなのになぜかつっかかるあそこ、などなど、思い出そうと思えばいくらでも出てくる・・・。
さあ、生徒がどうしても同じところでつっかかってしまって苦労しているとき、どうするか。そんなとき「愛野ピアノ教室」は「愛野体操教室」に変身します。同じところでつっかかる原因は、まず頭の中がもつれていて、それが指のもつれにつながっているからです。そこでまず頭の中をきちんと整理することから始めます。生徒によって頭と指の動きのつながり方が違うし、指の強さ、器用さなども違うのでそうした一人ひとりの状態をよく観察した上で、「あ、これとこれがいけないな」とか「この指からこの指へ行くのが弱いな」と見極めをします。
そうしてここで見極めた問題点を克服するために、その子に合った練習メニューを作って、それをやらせます。指のもつれを解決したり、弱い指を鍛えたりするために、手や指の運動機能のレベルアップを目指した練習です。これをもうただひたすら繰り返し猛特訓してもらいます。これをやっている間は、音楽そのものを学ぶというよりはむしろ指の体操になってしまうわけです。というわけで、いつものように曲の練習をしていて、弾けないところが出てきたら、「さあー、愛野体操教室始めるよ~」と宣言して、私はトレーナーに変身するわけです。
もちろん音楽は体操ではありません。しかし、たくさんのピアノの鍵盤を操って自由自在に表現するための道具となる手や指の動きは、やはりこのような物理的肉体的な繰り返し訓練なしでは上手くいきません。私自身、子どもの頃からとても不器用でずっと思い通りにならない指と格闘してきたから、だからこそたくさんの練習法を学んだり自分で考え出したりして取り組んできました。その結果、こんな時にはこうするのが効果的というものをいくつかつかんできたと思っています。というわけで、今日もトレーナーを兼ねた先生になって、楽しくレッスンです!
音楽だより♪383
エスプレシボ5月号
生活心理学 5 竹内幸一
ようやく風薫る気持ちのいい季節になりました。これから大型連休で、いろいろレジャーの計画をされている方も多いことでしょう。そんないい時期に申し訳ないのですが、毎年、4月29日は、「春の音楽祭」を開かせてもらっています。年に一度のこの行事は、今年で32年目の開催になります。恒例のこの日を大事にして、ご協力、ご支援して下さる皆様に心よりお礼を申し上げます。多謝深謝!!!
さて今月の生活心理学は「本当の自分らしさを求めて」というタイトルで学びました。
本当の自分をさがして。無意識という心の世界。目的を持つ私たちの心。心のエネルギーの向かい方。心の機能とバランス。心の世界の影。私たちの心の仮面。本当に「私らしい」私になること・・・といった項目が並んでいます。
本当の自分?嘘の自分?いったい自分とはどんな人間だろうと、普通はあまり考えることがありません。仕事に貢献する自分。家庭を守る自分。各種団体で活動する自分。社会や周りの人たちとの関係で位置づけられる自分というものは「自分らしさ」を確立するうえで、とても大事なことです。
しかし、それだけでは何かが足りないのです。「私の中で一番私らしい自分」。「他の誰かに代わってもらいたいとこちらから願ったとしても、誰にも代わってもらえない私というもの」が見つかってはじめて、「本当の私」が確認できるのです。
それを見つけることが、この心理学の大きなテーマであり成果になることだろうと思います。そこから「私の人生はこれで良いのだ」という、自己を肯定する実感が生まれてくることにもなるからです。
さて「他の誰かに代わってもらえない自分」は、どうしたら見つかるのでしょうか?その手掛かりになるキーワードは、心理学や哲学で用いられる「実存」です。その3つの要素をご紹介しましょう。
⑴ 私・・・かけがえのない存在の私。それは人間一般としての私ではなく、全く独自の存在としての私です。
⑵ 有限性…自分はいろいろな制約を受けながらこの世に存在しています。かけがえのない自分を実現するために暮らしています。しかし、開花できる能力は限られています。深刻な限界、つまり有限性をもって存在している事実をはっきり自覚することです。
⑶ 一回性・・・かけがえのないこの自分の一生は、1回限りのものであり、くり返すことはできません。
その3つの要素の「実存」には辛く厳しい側面もあります。自分が全く独自の存在であるということは、まったく孤独な存在ということでもあります。自分の限界やくり返せない現実を知ることは、とても過酷なことでもあるのです。
しかし、それだからこそ、本当の自分を見つける事ができるとも言えます。自分の人生に限りがあることを知れば、その限られた一生の、くり返せない一つ一つの出会いの中で、自分や他者、すべての物事を慈しみ大切に思う事ができるようになります。「実存」をしっかり受け止めることで、自分を大切にすることや、自分の生活を大切にすることの、確かな根拠を得ることができるのです。
私たちは、心の仮面(ペルソナ)を持って暮らしています。社会と自分の内面の橋渡しをし、「私は社会的にこういうものだ」ということをはっきりさせるための働きをするものです。
仕事人としての仮面、親としての仮面、夫としての仮面、市民としての仮面、誰もが様々な仮面で、その場にふさわしい振る舞い方やものの考え方を使い分けています。「本当の私」である以外は何の役割も演じず、その場面に合わせた「心の仮面」を付けることなく生きている時間はほとんどありません。
心の中に仮面の働きをする性質があることを忘れないでいることが必要だと思います。余りにも自分の立場や役割に縛られ過ぎていないか、ペルソナに支配されていないかと自分を振り返ることが出来れば、避けられる問題もあることでしょう。
さらに言えば、その仮面の向こう側にこそ「本当の私」と言えるものがあるのです。自分探しの過程では、ペルソナの向こう側の「本当の私」といつも交流を持つように心がけることが、とても大切なことになります。
自分を指し示す名前を教わるより前のことを考えたことがあるでしょうか?「ただ自分だった」「まだ何物でもない何者かだった」という感じを、思い浮かべてみて下さい。「その感じ」を忘れないでいてほしいのです。こうしたところにこそ、「自分とは何か」を考える時に必ず戻ることになる原点があるからです。
様々なペルソナを付けた立場や役割、現在置かれている境遇などから形作られた自分より、さらに奥の方にある本当の自分を、実感してもらえればと思います。
良いとか悪いとか、筋が通るとか矛盾するとか、そういう現実世界での判断をちょっと控えめにして、その時々の心や体の「感じ」やイメージを十分に感じ取って、ふくらませてあげてみて下さい。
そうすることによって、私たちの心や体に世界の深いところから直接働きかけてくるものを知る事ができます。それこそが、私たちが世界でたった一人の「私」として一切の条件抜きで存在することの証です。他の誰でもない私の存在を、私の内側から支えている「本当の私」を見つけてみましょう。
連載その4
🎵ウェルカム、
サンシティー
(ヴァイオリン科講師 徳田美和)
緑と爽やかな風が気持ちの良い季節になりました。
さて、今回は、私が出会った外国人の生徒さんのお話です。
別府APUの学生さんで韓国人の方でした。とても優秀な方で、日本語も英語もペラペラ、イントネーションも完璧で、顔立ちも日本人と似ているので、外国の方!と、構える必要が全くない生徒さんでした。
年齢が近い事もあり、いろんな話をして下さいました。韓国の事、家族の事、幼い頃の事、日本人の彼の事、そしてヴァイオリンが大好きな事…
ヴァイオリンは幼い頃から憧れていたそうで、サンシティー音楽院に通って来られる事を本当に楽しんでくれていました。
彼女はバッハが特に好きで、私もバッハが好きなのでそこでも意気投合し、無伴奏バッハの曲に向けて、レッスンはいつも熱いものでした。
ヴァイオリンは全くの初心者でしたが、サンシティー最後のレッスンでは見事にバッハの無伴奏を一曲仕上げていかれました!
ヴァイオリンは、ある工房からレンタルして、その楽器で頑張られていました。
彼女の頑張りは本当にすごいなぁと思います。
外国で暮らすだけでまずは大変で、大学で学ぶ事が大変なのに、更に趣味でヴァイオリンまで挑戦し、楽器レンタルや、サンシティー音楽院への申し込みなど、全て自分でされていました。
人柄は、とても優しく、純粋な心を持った可愛いらしくて物腰の低い方でしたが、行動力は男前!といった感じでしょうか、かっこよかったです。彼女はAPUに通っている間はずっと習いに来て下さいました。
飾らない方で、いつも心をオープンにして私と接してくれていたので、今でも彼女のいろんな表情が思い浮かびます。
頑張った彼女はある会社に就職が決まり、東京へと旅立ちました。東京でもヴァイオリンを続けたいとの事で、私の友人を紹介し、東京でもしばらく続けていたようです。今は仕事の研修で大阪にいらっしゃるようです。
彼女は日本と縁のある方なのでしょうね。彼女の生き方もドラマが沢山だなぁと思います。
ヴァイオリン(音楽)がまた、彼女の人生に彩りを与えてくれているかと思うと、そのお手伝いが少しでもできた事を嬉しく思います。
そういえば彼女は、日本人の彼と結婚して、老後は別府に住みたい、と言っていました。
また、サンシティー音楽院に来られる日があるのかな⁈ ウェルカム、サンシティー!
その他にもベトナムの方(お子さん)も来られた事もあります。きっとまた国際的な出会いがありそうです^_^
私と子供(3)
野崎 明敏(ほのぼのコーラス)
男の子は電車や自動車を好むらしい。私の息子もその例にもれず、回らない口で「メルシェデシュベンツ」「ローロスロイス」などと喋っていたのは幼稚園前の頃であったろうか。大阪の堺市に住んでいたので南海電車は目の前を走るお馴染みの電車だった。
親も子供の興味のある絵本など買い与えるのは世の常、絵本の中の南海電車の項目に特急電車「高野号」が有った。「こうやごうごう」などと言いながら見ていたが、やがて乗りたいと言い始めた。うん「諏訪ノ森」から「難波」へ行ってな、そこで乗り換えるんや。何日か経つと行きたい行きたいと選挙の連呼のようになってきた。そこで一計を考え交換条件を出した。散髪屋へ行ったら「こうやごうごう」乗りに行ってあげよう。
早速或る日曜日、南海線の「諏訪ノ森駅」近くの踏切を超えて行きつけの散髪屋へ行って順番を待った。息子の番が来た。椅子に上がって散髪を始めたはよいが、頭を触ったり腕が顔の辺りを行き来して散髪屋さんが玩具を与えても収まらない。流石に散髪屋のおじさん「無理でっせ」「今日は帰りまひょ」という事になって店の外へ出た。
ちょっと歩いて駅の前まで来た。そのまま踏切を渡って家の方向に向かおうとしたら息子が「こうやごうごうは?」と聞いてきた。「散髪済んでないじゃないか」と言うと半べそ状態、すかさず「じゃ、散髪するか?」「うん!」でまたお店に逆戻り。おじさんに「お願いします」と頼んだら早速おじさんから「順番下がるけどええか?」息子に「ええな!」流石に息子も頷いて何分か後に椅子の上に上がった。
先ほどの態度は何所へ行ったのか実に大人しく散髪を終えて、「諏訪ノ森」駅から各駅停車の電車に乗って難波駅に着き駅員さんに聞いたところ特急券だけは買ってくださいとの事。難波駅から堺東駅迄の特急券2枚を買って南海高野線で堺東まで乗車、ここで降りると南海本線堺駅まではバスですぐです。
さて、ここで息子は何を得たのだろう。
順番待ちの厳しさを理解した。大人が使う「行く」とは単に行くのではなく。行って何か行為をするのである。
大きくそんな所だったのだろう。しかし大人世界に入るには言葉の持つ意味を正確に理解していないととんでもない事になるらしいのは分かっただろう。
こんなことを繰り返しながら大人になっていくという事は大人が考える以上に大変なことに違いない、と私も少し理解したことであった。
ハーモニアス別府
会員募集のお知らせ
ハーモニアス別府は、音楽文化を地道に育てている会です。サンシティー音楽院に事務局があり、竹内幸一が事務局長としてお世話をさせていただいております。
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