音楽だより♪365
七島イ 竹内幸一
今日は久しぶりに朝から秋の日差しがあふれています。ゆっくりした台風が来ていましたので、しばらく暗い日が続いていましたが、今日は、やわらかな日差しの射す嬉しい朝です。素晴らしい快晴ですので、近くで行なわれている農業祭には、たくさんの方が訪れることでしょう。
さて今月は、「七島イ」について書いてみたいと思います。最近新聞にだいぶ出ましたので、私の体の中のノスタルジアの虫が目を覚ましました。たぶん知らない方が多いと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。
「七島イ」とは、和室の畳表に使っている元になる植物の名前です。私の子どもの頃は「しっと」と呼ばれていました。「しっと植え」「しっとじの(刈り取り)」などと使われていました。もう50年ほど前のことですので、記憶がおぼろで間違いもあるかもしれませんが、その「しっと」が畳表になるまでの様子を思い出しながら書いてみたいと思います。
私の子どもの頃は、たいがいの農家で「しっと」を栽培していました。今それが、10軒ほどしか栽培しなくなり、絶滅寸前ということで話題になったようです。ふるさとは、「しっと」に限らず、限界集落になり、村自体の存続が危ぶまれている様な現状です。「しっと」で収益が上がり、農業を続ける方が増えてくれればいいなと願っています。
ちょっと話が横道に逸れましたが、「しっと」栽培のスタートは、田植えのような感じで、泥田に苗を差し込んでいくところから始まったと思います。その苗が大きくなり、人の背丈を越えるほどになる頃、刈り取りの作業が始まります。その茎の太さは5,6ミリから1センチほどでしょうか?(よく思い出せません)
その茎を人が持てるほどの束にして縄で結び、家に持ち帰ります。それからその一本、一本を半分に分ける作業が始まります。「しっとをわく」と言っていました。針金を張った簡単な農機具?があり、それに「しっと」の根元から半分に裂くのです。上手な大人は、最初3本〜5本ぐらいを手に握れるほど少しだけ差し込んでいて、後でまとめて茎の先までを半分に割きます。
その針金を通る「しっと」のギュ〜ンという音が今もよみがえります。ピッ、ピッ、ピ、ギューンという、実に手際のいい連続音のする作業を、庭に電気をつけて夜なべ仕事でやっていました。私も少しは手伝った記憶もありますが、膨大な本数ですので長続きはしなかったのでしょう。家の中の蚊帳の中で、「まだ夏休みの宿題が済んでいないなあ。どうしよう」とか思いながら、その音を聞いていたものです。
次の日は、その白と緑に割かれた「しっと」の束を天日に干す作業です。道路の端や、運動場に延々と「しっと」が並びます。海の近い親戚では、海岸の砂浜に果てが見えないほど「しっと」が干されていました。
しかし、いい天気が続くときはいいのですが、夕立があったりすると大変です。それこそ血相を変えて濡れないように集めて持ち帰らねばならないのです。濡れてしまうと「色悪」と言って、それまでの苦労が水の泡になるほど、販売するときの値段が安くなるのです。
この天日干しは、1日で済んだのか、2,3日干したのかよく思い出せません。とにかくその1本、1本から完全に水分が抜けてから完成でした。それを蔵に仕舞って置いて、冬になると「むしろうち」が始まります。この時期になると、「しっと」から「むしろ」と名前が変わるのです。「むしろばた」と言う、畳表の織り機がありました。「より(縦糸)」の間を長い横棒が行き来します。その先に、干してからからになった「しっと」をひっかけると右のほうに、よりの間を引っ張られていきます。それから(その名前を知りませんが)、上から下ろして締める装置があり、ダンダンと締め付けます。しゅー、ダンダン、しゅうー、ダンダンと、むしろうちの音は、夜遅くまで続いていました。この仕事は、母の仕事でした。確か、両手、両足を使う作業ではなかったかと思います。
このむしろの縦糸になる「より」は、「いちび」という植物を水に晒して作ったものでした。(それにも栽培の経過があると思いますが、よく覚えません)
小さなくるくる回る装置で「よりをよる」のは母の実家の祖母がきて手伝ってくれていました。からからと音のする糸車のそばで、おばあちゃんは手を休めないまま、私の話し相手をしてくれました。
その「より」と「しっと」が組み合わさって、一枚のむしろが出来上がります。たぶん、一晩に、1枚か2枚ぐらいしか出来なかったのではないかと思います。
10枚のむしろができると、むしろの仲買人のおじさんが自転車でやってきます。おじさんは、むしろを広げて、色など確かめながら値段を決めます。確か、10枚で、2千円ぐらいではなかったかと思います。一晩しゅー、ダンダンとやって、200円ほどだったのでしょう。それでも、収入の少ない農業では、貴重な現金収入だと聞いたことがあります。 そのピッ、ピッ、ピ、ギューンや、しゅー、ダンダンの音に育てられた私たち団塊の世代の人間は、 ほとんどふるさとを捨てました。どこかの町の片隅で、新しいふるさとを大切にしながら生きています。生きて暮らしていくためには、それしか道はなかった気もしますが・・・ 貴重な「しっと」を作っている唯一の地区「国東」。膨大な手間隙をかけて、わずかの収入にしかならない「しっと」は、貧乏草とも呼ばれていたそうです。
連載その2
ミラツツキ
(オカリナ科講師 渡辺明子)
北からの紅葉の便りと共に渡り鳥の飛来が始まり、我が家にも今日「ミラツツキ」がやって来ました。翼に特徴的な白い斑点があり体長はスズメより少し大きい程度。橙色の体で、すっと伸びた尾羽を上下にタクトの様に振りながら「チッチッチッ」と、規則正しいリズムでさえずります…。ここまで読んで「あれれ?おかしいなあ。」「ミラツツキ?それはジョウビタキではないですか?」と思われた方、大正解です! もう20年以上も前から、毎年ジョウビタキが飛んできて、庭の木や電線やテレビのアンテナの先にとまってさえずるようになりました。冬鳥として全国に渡来する鳥ですが、群れをなすことはせず、一羽で自分のテリトリーを守る鳥のようです。そのため警戒心が強く、ちょっとした周囲の物音や気配ですぐ飛び立ってしまいます。 ある朝、主人の車のドアミラーに一羽のジョウビタキがとまっていました。私がわずか3メートル程の距離にいるのにも気づかない様子で、じっとミラーにとまったままでした。「何をしてるのかしら…?」興味津々で見ていると、やがてジョウビタキは、ミラーの上側から体をさかさまにして覗き込んだり、真横から首をかしげる様に見たりして鏡の中の来訪者に、何度も何度もアプローチをかけだしました。まるでイソップ物語のようでした。肉をくわえた犬が、橋の上から川を覗き込み、水面に写っている犬の肉の方が、大きく見えて「ワン!」と吠えてしまい、大切な肉を川に落としてしまった…というお話にそっくりな光景が目の前で展開されていました。鏡ですから、当然来訪者も同じ動きをしています。懸命なアプローチに何も答えない来訪者に、ついにくちばし攻撃が始まりました。勢いよく鏡を突きます。しかし来訪者は逃げません。ついに諦めたジョウビタキは、車体に真赤な糞をかけて飛び去りました。その日の夕方も、翌日も、またその翌日もジョウビキの「ミラー詣で」は続きました。不思議な事に、駐車場には他に黒やグレーの車もあったのですが、なぜか白色の主人の車のミラーだけがターゲットになっていました。我が家では、あまりにもけなげな「ミラー詣で」に敬意を込めて、ミラーを突く鳥「ミラツツキと呼ぶことにしました。 今年は異常気象が続いたので、山に鳥達の餌になる木の実がなっているか心配です。 春先に梅の花の蜜を求めていつも来るはずのメジロもあまり来ませんでした。メジロのために、みかんを半分に切って枝に刺しておきましたがヒヨドリが来て、あっという間にたいらげて行きました。大自然の中での生存競争の厳しさを物語っているようでした。ミラツツキの赤い糞の中には、赤い実の種が混ざっていました。梅もどきや南天の実を食べたのでしょうか。 森の木々は種(しゅ)の存続のために、鳥たちに餌として実を提供し、鳥の糞と共に遠く離れた場所で新たな若葉を芽吹かせます。そして森が茂り、地下水が浄化され、川や海の魚達が元気に泳ぐ…、そして人間がその魚を命の糧とする。太古からの大自然の大きな営みと恵みを思うとき、人間の身勝手やわがままで、生態系を壊すことのないように努力しなければと感じました。ミラツツキさん、来春までここでゆっくりと羽を休めてくださいね。でも車を替えたのでもう白ではなくなったのよ……ごめんなさい。
連載 その5
いつかは豪華な運動会 加世田 薫
次女の幼稚園の運動会が終わって、ほっとしている。運動会といえば、お弁当の準備。3年前に帰国後初めての長女の幼稚園の運動会のこと。イギリスで、子供に持たせるお弁当といえば、ジャムやチーズをはさんだサンドイッチ、りんご、ポテトチップスという簡素なものだった。
すっかりそれに慣れてしまい、その日のお昼に、私はサンドイッチとお菓子を準備した。お昼の時間。周りを見ると、煮物やお寿司、空揚げなど豪華なお弁当ばかり。まずい・・これは、見られないように食べなければ・・・。「もう半分食べ終わった顔しながら、食べてね!」そう言いながら、こっそり食べた。
あの時ばかりは、ああ、ここがイギリスだったらよかったのに・・と思った。それから1年後。私達に、素敵なお誘いが。娘の友人家族が、「よかったら運動会のお昼をご一緒に。」と誘ってくれたのである。
娘の友人の祖母、Iさんは、とっても料理上手。レタス巻きや空揚げ、煮物など、これ1人で全部?と尋ねたくなるぐらいの品数の料理がずらりと並ぶ。毎年、申し訳ないと思いながらも、すっかりご好意に甘えている。 普段、私はいつも人に作る側。料理上手ではないので大したものは作っていないが、一応専業主婦だし、出来合いのものを買うのは気がひける。野菜多めの食事となると、和食中心に。4人の娘はそれぞれ好き嫌いがあり、食材も限られる。でもたまに行く外食といえば、ジョイフルばかり・・・。
そんな中、Iさんの手料理を食べると、幸せな気持ちになる。心のこもった料理を頂くことほど贅沢なことはない。愛情が感じられて、ほっとする。卵焼きなど定番のおかずも、ごま油の風味があり、切り口も斜めになっていて、とても美しい。「料理は盗むもの」とどこかで読んだが、上手なものとそうでないものとの違いって、意外と細かなことだったりする。ほんのひと手間がかかっているかいないか。
料理で人をもてなせる人がうらやましい。今はどんなに小さな手間でもなるべく省いて作っている・・。ゆっくり料理ができるのはいつの日になることやら。作るのも食べるのもやっと、とにかく時間があるときに。子供に食べさせながら、自分も食べられる時に。立ちながらだったり、お皿によそわず食べたりという始末・・・。
でも、以前ラジオで聞いたのだが、大分は、土が良くて野菜もおいしいし、魚も、築地では手が出せないような値段で売られているものが二束三文で売られているそうだ。そんな恵まれた場所にいるので、落ち着いたらぜひ、いろいろ挑戦してみたい。いつかはIさんのように・・・。