音楽だより♪354 
思い出す 竹内幸一
昨日、年に一度の魅惑のギターステージが終わりました。たくさんの方のご協力で、今年も11月25日に無事ゴールに到達できて、ホッとしているところです。ご出演の皆様方、聴きに来てくださった皆様方、大変有難うございました。おかげさまで34回目のイベントが無事終わりました。心よりお礼を申し上げます。
さて、このやれやれというところで、朝からエスプレシボに取り組んでいます。いつだったか法事のときにお坊さんが、「忘れないで、思い出してあげることが一番の供養です」と話していました。それで今月は、時折思い出す私の父のことを書いてみたいと思います。どうぞお付き合いください。
私が物心ついたとき、父はいつも家にいました。教員をしていたのですが、結核になり長い自宅療養をしていたのです。3,4年入院していたこともありましたが、空気のいい田舎で療養し、時折通院するという暮らしをすることに切り替えていました。
夜明けまで咳が止まらなかったり、痰が出て苦しそうにしていることもありましたが、普段の生活はたいがい起きていましたので、元気そうに見えました。これから書くことは、その父の最後の一年ほどのことです。
父は美術が好きだったようで、福田平八郎に師事しようかという夢を描いた時期もあったと聞いたことがあります。しかし、もちろんそれが果たされることもなく、家で無為の暮らしをせざるを得なくなっていたのです。
普段はなにも描かないのですが、その絵画への願望が時折芽生えることがありました。私が中学1年生のときの頃でした。学校から帰ると、暇な父に学校のことをいろいろと話します。そんな話の中で、絵の宿題のことが出ると、父がそのテーマの作品に、急に取り組み始めるのでした。
静物ということで、野球のグローブを描いたことがありました。ちょっと古くなった結び紐のほつれが見え、絵からグローブの皮のにおいがしました。
それから、確か、「音」という題での宿題がありました。その話に乗って、また父が波紋の広がるような絵を描きました。その出来上がりごろのとき、私が「この真ん中、赤にしたほうが良いんじゃないん」と感想を言うと、「いやいや、これは一色がいいんだ」と応えました。黒一色で、紙いっぱいに音の波紋が広がっている絵でしたが、そんな父との会話も鮮明に思い出します。
ところで、今は見かけませんが、以前は、かなり大きめの洗濯石鹸というのがありました。なみなみの洗濯板(これも懐かしい歴史的道具ですね)に、洗濯物を置き、その上を洗濯石鹸でごしごしこすって洗濯していた時代のものです。(この話が、いかに古い話かがわかりますね。)
それはともかく、その洗濯石鹸を使って、彫刻の宿題が出ました。それも取り上げられて(笑)、父が熱心に彫刻刀で、その洗濯石鹸の中からうさぎを掘り出しました。今にもぴょんと飛び出しそうな躍動感のあるうさぎでした。
まあ、宿題を取り上げるだけならまだしも、私はそれを持って、恥ずかしげもなく学校の先生に見せていました。(厚かましいですね。笑)
私は、絵も字も全くだめですので、明らかに、これは私の描いたものではないと分かるのですが、当時の先生はおおらかでやさしかったのでしょう。「ほう、これはまたすごい」「こんなところの感じがとてもいいなあ」と、誉めてくれるのです。
その話を、「先生がこう言ってたよ」と父に話すと、うれしそうに、そうか、そうかと微笑んでいました。教育者が、そんなことをしていいのかな?息子の立場はどうなるんだ・・・とも思いますが、中々お茶目だったんでしょう。
私には分かりませんでしたが、少しずつ病状は悪くなっていたのでしょう。父は、私が中学1年生のときの3月に吐血して、生を終えました。私の宿題をしていた頃からわずか半年ほど経ってのことでした。享年38歳でした。
いろいろやりたいことや、職場への復帰を願いながらも、何も果たせず次第に弱っていく自分と闘っていたのだと思います。そんな中で、私の宿題を取り上げ、ささやかな喜びを見つけていたのかもしれません。何もすることのない、または出来ない日々ほど、辛いことはありません。そんなことを思うと、あれは、父の最後の、生の燃焼の貴重な作品だった気がします。今頃になって、ようやく父の本当の気持ちを推し量れるようになりました。
座敷の机に向かって、筆を使っている父の横顔は、厳然としていました。もう、父の倍ほど生きてきたのに、私は、その父の大人の風格を越えられません。いつまで経っても、越えられないままのことでしょう。
2年前に、父の50回忌をしました。伯父、叔母はみんな亡くなり、年寄りは母一人でした。あとは、従妹や、孫、曾孫という若い父を知らない顔ぶれでした。お坊さんも代替わりし、若い後継ぎが来てくれました。
50回忌で法事は終りだと、お坊さんが話していました。たぶんそのときに、「思い出してあげることが、供養なんですよ。そのためにも法事があるんです」とお坊さんが話してくれた気がします。
時間が経てば経つほど、思い出してくれる人が少なくなります。あなたにしか、思い出してあげられない方のことを、どうぞ思い出してあげてください。
               
連載その4
きっかけ
中原あおい(サクソフォン科)

 12月です。冬が始まりました。もう寒いんだし、とっくに始まってるよ!と思われる方もいらっしゃると思います。
冬は二十四節気では「立冬」(H24.11.7)から「立春」(H25.2.4)の前日まで。天文学的では「冬至」(H24.12.21)から「立春」の前日まで。旧暦では、10月から12月まで。現在は12月から2月までだそうです。
私もたまに旧暦を今のカレンダーと照らし合わせてみたりしますが、なんだか旧暦のほうが生活に合っている感じがします。私のおばあちゃんも元気な時には旧暦に合わせて野菜の種を蒔いたりしていました。
 ひな祭りの時期も旧暦のほうが、ぴったり桃の花が咲く季節ですし、やはり自然界の法則には旧暦のほうが合ってるのかもしれませんね。
 前置きが長くなりましたが、今回は「きっかけ」という言葉が浮かんだのでそれについて書いてみようと思います。
 きっかけ・・・「この人とはこういうきっかけで友達になったのよ」とか、「この仕事についたのは、こういうきっかけがあったからです」とか、「こんなきっかけがあって目覚めました」なんていうこともあります。私達のまわりは自分の意思で動くこともありますが、本当に些細なきっかけで縁ができて、それが一生のものとなることさえあります。
  私がサックスを吹くきっかけになったのは小学6年生(だったと思います)の時の音楽祭でした。それは近隣の町村を合わせた、かなり広い範囲の小・中学校の音楽の発表会のようなものでした。
 私は小さい頃からピアノは習っていましたが、あまり音楽が好きという訳ではあ
りませんでした。どちらかといえば文化系よりスポーツのほうが好きだったので、なんとなくおぼろげに中学生になったらバスケ部に入部しよう・・・くらいに思っていました。  そんなところに、中学生のお兄さん、お姉さんが演奏する「宇宙戦艦ヤマト」が耳に飛び込んできたのです。その頃、夕方のテレビで「宇宙戦艦ヤマト」が放映されていたのですが、そのテーマソングそっくりに演奏されていました。
 トロンボーンやホルンの音、ドラムのリズム、すべてがテレビから流れてくる音楽と全く同じです。子供心に大きな衝撃を受けました。それまではコンサートに連れて行ってもらっても、上手な人が弾いているとか、テレビから流れてくる音楽も自分の知らない世界で作られた物・・・というくらいの認識しかありませんでしたし、「この上手な人のようになりたい」という気持ちさえ持っていませんでした。しかしなぜか、「宇宙戦艦ヤマト」は私の心に衝撃的に入ってきました。
そしてそれを境に中学生になったら絶対ブラスバンド!!と決めてしまいました。
それから中学校に入学し、自分はブラスに入部するつもりでしたが、背が高かったので、なぜかバレー部の名簿に名前が載っていました。なぜだかわかりませんが、先生が勝手に決めていたようです。新入生は何日間か
のお試し期間のようなものがあり、その後正式に部活を決められるようなので、バレー部には数回顔を出しましたが担当の先生には辞めると伝えました。
 それから本命のブラスバンドに入りましたが、ブラスでは兄弟(姉妹)優先みた
いなところがありました。お姉さんが入部しているから妹も誘いなさい、みたいな風潮があって、一人っ子だった私は誰も知らないので、なんとなく勝手に入ってきた・・・みたいな感じでした。そこで一応希望楽器をフルートにして練習していたのですが、一ヶ月程して正式に楽器を決めることになり、フルートは体の小さな人とちょっと体の弱い人(楽器が軽いから?)ということになり、丈夫そうな私はアルトサックスにまわされました。  それから数ヶ月して、やはり体格が良いからということでテナーサックスのほうに変更させられました。
 テナーはアルトより大きいので結構重さがあります。サックス自体あまり好きではなかった私は、それから練習に行かなくなりました(笑)。
 随分帰宅部を続けていましたが、ある日ふらっとブラスに戻ると、なぜかアルトに戻されていました。やはりサックスはあまり好きではありませんでしたが、みんなと演奏できる、ひとつの曲を作り上げるという醍醐味は楽しいものでした。練習してもなかなかできない苦しさもありますが、やはり最後には楽しいという感情しか残りません。
 小学校の頃にヤマトを聴かなかったら、多分ブラスには入っていなかったし、サックスも吹いていなかったと思います。
 そして、そのときに知り合った友達とも30年以上の付き合いが続いています。別の人生もあったかもしれませんが、きっかけがきっかけを呼んで今こうしているんだなぁ…とふと思うときがあります。
 
ギターと私 その2    
     安部康二郎(ルベックムーン)
 
 後で先生の経歴を知っている知人から「電話をかけてよう一人で行ったな」と言われ、教わるレベルが違うのかなと思いましたが、レッスンは月4回(祭日は休み)毎週水曜日の午後3時から45分で、そのうち弾く前15分ぐらい音楽の話があり、まずスケールをやり、最初はやさしい曲で練習をしました。
 4月に大分市のコンパルホールで恒例の発表会をするので出演するように言われ、入会して2ヶ月ほどですが、独奏で、曲はビゼーの「真珠採り」を発表会まで練習しました。
 当日は大変緊張し、普段顔が赤いのに、真っ青だと家内が言っておりました。 
 無事弾き終わり、初めての経験で上がっていて、足台を忘れて舞台を降り、それを娘がビデオに撮っており、笑っていました。
 その後又9月に発表会があり、いろいろな曲を練習した中で、選曲して発表します。仕事の関係で、12月の末に辞めなくてはならず、H先生ともお別れしました。
 クラシックギターがいかに奥が深く長い年月が必要か判った様な気がします。
 昨年の10月に文化教室で竹内先生との出会いがあり、今年の1月にルベックムーンの
新年会で会員になり、入会の挨拶をしました。
「皆様にご迷惑をかけるか分かりませんが、とりあえず一年間頑張ってみます」と言ったのですが、11月25日の定期演奏会まで努まりそうです。
 ルベックムーンに入会して判った事は、ギターの基礎訓練を学び、一つの曲を全員が気持ちを合わせて弾くことではないでしょうか?実相寺の中央公園管理棟の2階にある一室で、毎週月曜日の午後2時から4時まで、一組5人で3パート、パートごとに違うメロディーとハーモニーを弾き、繰り返し、繰り返し何回も練習してきました。それが演奏する曲になっているのですが、思うように指が動かず大変苦労します。
 これを指導する竹内先生は、笑顔で根気良く献身的に教えられる姿には、頭が下がる思いです。
 ルベックムーンの皆さんは人生の先輩で、若くて元気で明るく、元の職種はまちまちですが、一緒に練習する時は楽しいです。
 5年前から3人の子供も独立し家内と二人の生活です。今までは、私も仕事をしていましたし、ゴルフや庭木の手入れ、シンビジューム等の花を育てていたので、余り考える事もありませんでしたが、今年の末で40年近くやってきた仕事を辞める決断をしたときは、一抹の寂しさを感じました。
 その頃に竹内先生よりルベックムーンの入会のお誘いがあり、本当に良かったと感謝しています。今後は仕事以外の事で人生を楽しみたいと思います。竹内先生をはじめ、ルベックムーンの皆様には、今後とも御指導の程よろしくお願い致します。
 
エスプレシボ♪355 
新年の抱負竹内幸一
皆様、明けましておめでとうございます。2013年の元旦です。今年も初仕事は、恒例のこの新聞作成からにしました。ほんの何時間かの違いですが、やはり新スタートの気分は、年が明けないと出てきません。俳句の「淑気(新春の漂う感じ)」の中で、初仕事に取り組みたいと思います。
さて今年のテーマは「新年の抱負」です。なんだか小学生の作文の題の様ですね。気恥ずかしい気もしますが、今年は私にとりまして人生の節目の年になりますので、再スタートの意味もこめまして、この題にしました。
どなたも長く生きていればいろんな事が積み重なってくることと思います。私も今年65歳になりますので、それなりに積み重なるものが出来てきました。通過点に過ぎないのですが、今年は数字的に、節目になることが重なりましたので、新年の抱負として紹介させていただければと思います。自慢話になるようで恐縮ですが、新年のお年玉としてご容赦いただけたら嬉しいです。
まずこの新聞です。今年の6月号で、360号になります。1年間12枚、10年間に120枚、そして30年間に360枚の発行・・・ということになります。
いつも節目に記念号を出してきましたので、今回も皆様にご協力をいただき、豪華な特別号ができればと思います。これまでこの新聞を読んでいただいた感想、これからの継続への激励など是非お寄せください。(長さ、内容は自由です)。4月末日を締め切りとして募集を致しますので、たくさんの方の原稿をお願いします。いろんな声の集まった記念号になるように、どうぞご協力をお願いします。
それから、この新聞と歩みを共にしてきました「サンシティー音楽院」が、6月末で開院30周年を迎えます。細々とした個人経営の音楽院(名前だけはでかい?笑)ですが、いろんな波風に吹き飛ばされることもなく、ここまで来ることができました。音楽院のあるビルは、開院当時いろんな店が音楽院も含め10軒入っていました。それが職種も変わり、また廃業したりして、商売を継続することの難しさを目の当たりにしてきた30年でした。
音楽院がここまで来ることができましたのは、心優しく、熱心な講師の先生方、そして、この音楽院を愛してくださる生徒の皆様方のおかげに他なりません。なかなかすべての方にお会いしてお礼を言うことができませんので、この新聞で、私の気持ちが伝われば、大変嬉しいです。心よりお礼を申し上げます。有難うございました。どうぞこれからも、この「出会いを喜ぶ場の音楽院」を末永くよろしくお願いします。
音楽院の30周年を記念しまして、4月29日に「春の大音楽祭」を、今年は中央公民館の大ホールで開催します。これまで使ったことのない大きな舞台ですが、たくさんの方のご出演をいただき、大音楽祭にふさわしい内容になればと思っています。どうぞこの日を目指して、記念の一曲を仕上げてください。目標は人生の宝になります。
ということで、私も気合を入れて、音楽院の30周年を記念してコンサートを開くことにしました。【第一部】 ポピュラーステージ 1、沖縄音楽の魅力(5曲) 2.ディズニー音楽の魅力(5曲) 【第2部】クラシックステージ ギター2重奏の魅力 カルリとソルの作品を息子の賛助出演で演奏します。これまで息子とは長い付き合い(笑)ですが、本格的な2重奏をしたことがありませんでした。今回初めてやってみようということで、正月休みから少しずつ練習に取り組んでいるところです。お楽しみに。
また詳細はお知らせしますが、3月31日の日曜日に開催しますので、その節は応援をよろしくお願いします。
もう一つの大きな節目は、ルベックのことです。今年で35周年を迎えます。ルベックは、この新聞や音楽院よりも古い歴史があるのです。
まだ私が20代の終りに、第1回目の魅惑のギターステージを、4人の仲間と一緒にスタートさせることができました。それがいつしか、35周年という節目の年になりました。それこそ走馬灯のように、様々な会場(青少年会館、国際観光会館(もう今はないので知らない方がいるかも)、中央公民館、フィルハーモニアホール等)、そしてたくさんのギターを愛する人たちの顔、顔、顔・・・・・・・が思い浮かんできて、胸が熱くなります。
ルベックは様々な弦楽器に変わっていった、弦楽器の大本になる古楽器の名前です。この節目に、また気持ちを新たにして、次を目指す新鮮なエネルギーにできたらと思います。
35周年記念の魅惑のギターステージは、12月1日の開催です。これまで使ったことのないビーコンプラザ・国際会議室で、ちょっと新鮮な気持ちで取り組みたいと思います。特別ゲストに、ギタリストの山口修さんも参加してくれます。またみんなで力を合わせて記念の会を成功させましょう。
たまたまではありますが、今年は節目になる数字が重なりました。しかし人生の一寸先は闇といいます。それが実現できるかどうかは誰にも分かりません。気持ちを引きしめて、慎重に取り組んで行こうと思います。
そして当然のことながら、どの行事も一緒に盛り上げてくださる方がいてくださればこそ、なんとか成り立っていくものばかりです。これまで同様、残り少ない限られた人生を共に歩んで、苦楽を共にしてくだされば幸いです。よろしくお願いします。
どこまで続けられるか分かりませんが、この節目を通過点にして、私も頑張ります。                                                         
連載その5
お正月の思い出
中原あおい(サクソフォン科)
明けましておめでとうございます。政権交代、原発、地震津波対策とまだまだ問題は山積みですが、暗い顔をしていても、一日は一日です。せめて私たちは笑顔で新年を迎えたいですね。「笑う門には福来る」です。
 さて、今でこそお正月といってもコンビニは1年中24時間開いていますし、デパートも2日から3日には初売りが始まります。私が子供の頃は年末からお正月三が日はお休みの店がほとんどでした。子供心に何か買い忘れた物はないか、お店が閉まってしまうので何も手に入らないぞ、となんとなく不安な気持ちになっていたのを覚えています。
また、ちょうどゲイラカイトが流行った頃でもあります。それまでの凧といえば竹ひごに糊付けして紙の やっこさんの絵がプリントされた凧にバランスを保たせる「足」をくっつけて飛ばしていましたが、一生懸命走ってもなかなか風に乗らずにコ トンと落ちてしまうことのほうが多い凧しかありませんでしたので、少しの風でも空高く舞い上がるゲイラカイトは憧れの的でした。突然出現 したこの凧は人気が高く品薄状態だったそうです。
私の家の隣に文房具屋さんがあったのですが、そこにもカイトが飾られていました。とても ほしかったのですが、たしか1000円で売られていたので、低学年だった私には買える金額ではありませんでした。
また私の家は両親が共働きだったのですが、仕事が28日に終わると、今度は父の姉が北九州に嫁いでいたので、その嫁ぎ先の魚屋さんに年末の手伝いに行っていました。祖父、祖母も加え、家族5人で年末年始は北九州で過ごしていました。父母は31日の夜まで片付けなどで働き、年越しは親戚一緒に大家族で過ごしました。魚屋さんなので、ブリ、鯛、フグ、蟹、エビ等は贅沢にお腹いっぱい食べられました。そして新年はおじさん、おばさんからたくさんのお年玉をもらえていたので楽しい冬休みでした。
元日が過ぎると、2日から北九州の親戚が、今度は大分の我が家にやってきます。そして一日中ゴロゴロして1週間ほど滞在します。そ の頃は子供だったので家にたくさんの人が来て嬉しかったのですが、両親は4日から仕事に戻ります。お正月中、母は休む暇もなく一日中食事をつくったり掃除をしたりしていました。仕事に行っても1時間の昼休みに帰ってきて、昼食を作り、また仕事に戻っていました。今思うと母 は大変だったろうと思います。
 それから高校生になると吹奏楽一色になり、夏休みも冬休みもありませんでした。唯一お正月は休みでしたが、毎日学校に行く癖がついていると 休みのほうが気持ちが落ち着きません。結局年末は除夜の鐘の鳴るころから部室に行くとやはり同じような人が登校しています。普段とかわらず楽器を練習したり、雑談したり、日の出の時間になると近くの公園まで行き数人で「君が代」を初日の出とともに演奏したりして遊びまし た。今ではそんな時間に学校に侵入していると怒られると思いますが、その頃は警備の人が見回りに来ても吹奏楽部員とわかればうるさく言われませんでした。その後神社にお参りに行って解散となります。お参りは部員全員でも行くのですが、やはりその前にいち早くコンクール等のお願いをしたいのです。
 そして現在は家族で宇佐神宮に行きお好み焼きを食べて帰るのが通常です。今では高速ができたので結構遠くまで初詣に出かけるという話も聞き ます。便利な世の中になりました。
 今年一年みなさんにとって素晴らしい年になりますように。


沢山のご縁に感謝!
        後藤千晶(ギター・宮崎県)
私がギターを初めて手にとったのは5歳の頃でした。周りの友達がピアノを弾いているのを見て、自分もピアノが弾きたいと思い、親にピアノを買って欲しいと頼んだ時に、ピアノを買ってあげる代わりにギターを習いなさいと言われたのが始めたきっかけでした。    ちょっと意味が分からない始まり方だと思う方も多いと思いますが、父がもともとギターをやっていたので、子供に習わせたかったのかもしれません。そんなこんなで、私は父が習っていたギターの先生に習い始めることになりました。習い始めてからは、毎日毎日夜遅くまで父の厳しい指導を受け、泣きながら練習をしました。レッスンも毎週欠かさずに行きました。そのおかげで、段々少しずつ曲が弾けるようになっていきました。しかし、半強制的にやっている気持ちもあって、ギターを弾いて楽しいと思えたことがあまりなく、いつも父に怒られないように上手に弾かなきゃ、と思いながら過ごしていました。
そんな時に、当時からお世話になっていた、現在日向市でギター教室を開いていらっしゃる上ノ山先生から、私が住んでいる門川町でフォレストヒルの先生方のレッスンがあるということを紹介して下さり、そこで初めて竜次先生に出会いました。
丁度その頃人生初のコンクールに挑戦するところで、コンクール対策レッスンのような感じで教えて下さいました。先生のレッスンは小学生だった私にも分かりやすく、なによりすごく楽しかったのを今でも覚えています。そして初めて受けたコンクール、右も左も分かりませんでしたが小学生から高校生までの部門で奇跡の3位入賞を果たしました。それからその年に、私は先生を変えて正式に竜次先生に習い始めました。今思うとこのことは人生を左右する大きな分岐点だったと思います。そして習い始めた年に、初めてルベック魅惑のギターステージに合奏として出させて頂きました。
それから、いろいろなコンクールやコンサートで沢山の経験を積ませていただき、去年初めて九州ギターコンクール出場しました。実は私はあまり家で練習をせず、毎回のごとくレッスン時には先生にご迷惑をおかけしているのですが、九州ギターコンクール時にも先生に叱咤激励をされて、これまでの自分には考えられないほど必死に練習に励みました。コンクールは入賞できずに終わりました。それがすごく悔しくて、舞台裏で先生に声をかけてもらった時には涙が止まりませんでした。しかし、このコンクールのおかげで、初めてちゃんとギターと真剣に向きあえました。向きあえたことで沢山勉強することができました。そして何より、自分はギターが好きなんだなということを改めて感じられました。なので、コンクール出場の機会を与えて下さった先生に感謝したいです。
そして今年、私はスペインギターコンクールに挑戦しました。初めて九州を出て、東京でのコンクールだったので、すごく不安で心細かったのですが、本番は不思議と緊張することもなく、リラックスして演奏ができ、2位をいただくことができました。先生に1位をあげたかったのですが…とりあえず1位はまた今度さしあげることにします。(笑)
さて、これまで長ったらしく話をしてきましたが、私がこうして今までギターを続けてこれたのは、先生をはじめ両親のおかげだとつくづく思います。ギターを始めて13年、竜次先生に習い始めて10年間、本当に沢山の方々に支えられて生きてきました。一つ一つのご縁のおかげで様々な経験をさせて頂きました。本当にお世話になりました。言葉にできないほど感謝しております。ありがとうございました! 
私は今年、愛知県に就職することが決まりました。旅立つ前に、今までお世話になった皆様に感謝の意を込めて、なんと!2013年2月24日(日)に音や・竹の里で私、後藤千晶のギターコンサートを聴いて頂くことになりました。!!皆様に聴いて頂く機会も当面の間ないと思いますので、お時間のある方は、良ければどうぞ足をお運び下さい。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。つたない文章で申し訳ございませんでした(汗)もしかしたら、これから連載をさせていただくかも…?! しれませんので、その時はどうか温かい心でよろしくお願いいたします…(笑)
 それでは、また会う日まで〜!
 
 204〜233
〜〜〜
356 エスプレシボ  2月号

経済/経済竹内幸一
 今年の冬は、寒い日が多いですね。そういえば先日、その寒さを増幅させるような番組を見ました。年寄りに、より冷たい寒風の吹きつける様子を描いた「老人漂流社会」という、行き場のない老人を扱った内容の番組でした。
 その冒頭で、65歳以上の老人が、今、日本に3千万人いるというアナウンスがあり、それを聞いてはっとしました。私も、この秋に65歳。つまり私も老人ということになります。そうだったのか・・・なんだか愕然となりました。
 まあ、それはともかく、その番組を見て、腹が立ち、とても悲しくもなりましたので、ここにその思いをぶつけてみたいと思います。糠に釘の、たわいない老人の愚痴ですが、どうぞお付き合いください。
 現在、5,6万円の年金で入れる「特別養護老人ホーム」の空きを待っている方が、全国に42万人いるそうです。お金がなくて身寄りのない方が、1,2ヶ月のショートステイのあと、あちこちをたらいまわしに連れまわされています。それでも、どこかにはいれる人はいい方かも知れませんが・・・
 運送業をしていたという方、また配管工をしていたという方が、番組で取り上げられていました。何十年も、真面目にこつこつ働いた挙句に、終の棲家がなく、漂流しているのです。ここで安らかに死にたいという場所が与えられていないのです。
 あれだけの悲惨な原発事故を起こした電力会社の偉い方が、老後のためにと5億円あまりの退職金を臆面もなくしゃーしゃーと受け取りました。そういう老後もあれば、1ヶ月でたらいまわしにされる老後もあります。
 運送業の方は、奥さんを亡くした後、あちこちを漂流していました。その過程で、これまで長い間暮らしてきた、思い出のたくさん詰まった市営住宅の荷物を始末せざるをえなくなりました。様々な品物は、津波がさらっていくように、すべてゴミにされます。業者が、食器棚などを踏み潰していました。手の届く品物をどんどんゴミ袋に詰めていました。奥さんと二人で過ごしたたくさんの思い出が、ほんの何分かで、ゴミの山になりました。
元運送業の老人は、時間に几帳面で、信頼される仕事をしていたそうです。申し訳ないのですが、「冬蜂の死にどころなく歩きけり」という、村上鬼城の俳句が思い浮かびました。真面目に長い間働き、社会に貢献してきた方が、どうして、このような目に会わなければならないのでしょうか?
運送業の方は、ほんのわずかな着替えと、奥さんの遺骨だけ持って、新しいところへ移って行きました。車椅子の老人が膝に抱えて持って行けるのは、奥さんの遺骨だけだったのです。
 配管工の方は、奥さんの墓参りがしたいと、施設の方に連れて行ってもらい、3日後に亡くなります。「家族と一緒にご飯をたべたいよ。もう出来ないことだけどな」と言ったのが印象に残っています。この方は看てくれていた息子さんが病気で倒れ、誰の助けもなくなり漂流することになりました。どの方も、いつどうなるか分からない未来を抱えているのです。そんないざという時に、私達はどうしたらいいのでしょうか?
 頭のいい官僚が考えれば、こういう事態になるのは、とっくの昔に分かっていたはずです。しかし、枯れ木に水をやるようなことは、してくれません。医療費削減のため病院から追い出し、生活保護費を減らします。経済発展のお荷物としか扱われないのです。
 今、経済、経済と声高に叫び、浮かれ景気になりつつあります。円安になり、株価は上がって、ついでに物価も上げるそうです。しかし、今度の補正予算の国債発行額は、7兆円あまり、当初の予算と合わせると、今年度の国債発行額は、52兆円だそうです。皆さん、52兆円という額が想像できますか?・・・それを目当てに、ウハウハと浮かれ、にんまりしている階層の人もいます。
 経済、経済、経済・・・経済はばら色のキーワードでしょうか?経済のために、原発を再稼動します。経済のために、原発を新設します。経済のために大型リストラをやります。日出のT・Iでは、500人のリストラだそうです。経済のためにT・P・Pが必要です。経済のために、大型公共工事をどんどんやります。
 私たち庶民の全く手の届かないところで、バブルが踊ります。膨大な借金を食い物にします。役に立たない無駄なダム、巨大港湾、定期便も飛ばない空港・・・残るのは借金だけです。
 経済という魔物が、私たちをいじめます。乾いたタオルを絞るように、際限もなく締め上げてきます。莫大な国債という借金のほとんどは、私たちの幸せに結びつかないところで、消えていきます。
そして、そのツケを、消費税や、各種税金で、私たちが、そして後を継ぐ若い人たちが背負わなければならないのです。何たることでしょう。
先日の新聞で、村に一軒しかないガソリンスタンドが店を閉めるという話が出ていました。過疎で荒涼となったところに住む老人が、灯油を買うのに困ると言っていました。暖を取る灯油でさえままならないのです。切り捨てられ、粗末に扱われ、村は滅んで行きます。莫大な借金の手当てで、大切に保護されているのは、どこのどなたでしょうか?
どうも今回は頭に血が上って、過激なことを書きすぎたようです。冷静になれば書き過ぎも見えてくることでしょう。老人は、短気でいけません。それにしても、もう私も老人なんですね。そのレッテルが、今回の腹立ちの最大の原因かも(笑)
                                                 
第8回 新春俳句大会開催 
 皆様ご協力有難うございました。お蔭様で、今年も盛大な俳句会が無事終了出来ました。
 激戦の戦いを勝ち抜いた皆様おめでとうございます。選評を読むと、句の良さがまた改めて分かります。どうぞ秀句を味わってみてください。
 
<個人総合得点ランキング>
(応募いただいた個人の3句が、どれだけ選句されたかの合計)
1.センザン・・・・・・・・・・・・15点
2.うめ酒・・・・・・・・・・・・・・11点
2.巳〜ちゃん・・・・・・・・・・11点
3.冬苺・・・・・・・・・・・・・・・・9点
3.秋虹・・・・・・・・・・・・・・・・9点
 
【一席】
落ち葉踏む さくさくと踏む 訃報聞く
                    (センザン) 10点
特選:悲しみが押し寄せて来るようすが伝わって来て春の句会には寂しすぎますが、目が離せない一句でした。(うめ酒)
特選:落ち葉と訃報 人生の無常を感じさせる秀句(香)
特選:リズミカルに読んできて最後にハッとさせられました。このリズムから余計に作者の様々な思いが伝わりました。(巳?ちゃん)
並選:訃報はいつも突然やって来ます。「さくさくと」踏む落ち葉の音が寂しさを募らせます。(十遍捨逸句)
●ありがとうございます。落ち葉踏む・・・・・は昨年暮れに農業の先生が肺がんで亡くなりました。その時の寂しさを詠んだ句です。
  俳句的にはいい句かどうかはわかりませんが、親しい人を失った時の悲しさが皆さんに伝わったのかもしれません。ありがとうございました
  森に行ったことのある方ならわかるかもしれませんが、秋は落ち葉でいっぱいです。地面が見えないほどです。そこを歩くと涙が出ます。ある会でその時のことを話した文があるので添付します。読んでいただけたらと思います。
 ♪今日は別荘のことを少し話してみたいと思います。私が生まれたのは山香町、立石という田舎です。小さいころから星をよく眺めていました。あの星に降りたらどんな景色が見えるのだろう、そこから空を見るとどうなんだろう。宇宙の果てはどうなっているだろうとか、そういう思いで星を見ていました。オリオン座の赤い星、ペテルギウスが好きでした。もちろん当時は星の名前など知りませんでした。
高校1年の時、友達3人で九重山に登りました。沢水のキャンプ場から見た夜空は満天の星というにふさわしいものでした。山香でも星は良く見えたのですが山間の町なので空が小さく,満天の星ではありませんでした。
 そういう事が原体験となって、ある程度余裕ができたらぜひ別荘を持ちたいと思うようになりました。随分探しました。でも地元の人はなかなか土地を売りたがりません。売っている土地は気に入りません。
ある日普段は通らない道をなんとなく土地を探しながらドライブしていると、何も使ってない斜面の土地がありました。畑にもならない土地なので、ひょっとしたらと思い近くで農作業している人に、あの土地は売らないだろうかと聞いてみました。すると“あの土地なら売るかも知らんなー”ということで、その人に間に立ってもらえるようお願いしました。それからも簡単ではなかったのですが、土地を買うことができました。そして念願の家を建てることができました。 
 星をテーマに玄関ポーチは天の川に見立ててタイルをはめ込みました。建具も星座を描いています。星見台も作りました。ところが意外にそこは星を見るのには適していませんでした。冬は寒いし、夏も夜露が多く望遠鏡に水滴がたまります。  そのうちにその土地を紹介してくれた人と仲良くなり、高橋さんというのですけど、その高橋さんに勧められて畑を少し借りて大根を植えてみました。それなりにしかできなかったのですが、だんだん面白くなり、大豆、胡瓜、トマト、ジャガイモ、トウモロコシと種類も増やし面積も1反、2反と増えていきました。
農業の経験は全くないので、すべて高橋さんから教えてもらいました。種の蒔き方、畝の作り方、草の取り方、土のかけ方、追肥の方法。本当にすべてを教えていただきました。今では星を見ることも少なくなり農業三昧です。あの時あの道を車で通らなかったなら、高橋さんに出会わなかったら、声をかけなかったら、私の人生は変わっていました。人生で出会いというのは本当に大切だと思います。その出会いによってその人の人生が変わることもあります。
 私の人生で先生と呼べる人は何人かいますが、高橋さんも間違いなくその中の一人です。
 最近は肺がんで歩くのも大変みたいで、酸素ボンベを引きずりながら農作業をしていました。それでも私の畑に目をかけいろいろアドバイスをしてくれました。今年の農業はほとんど終わりですけど。来年になって川のそばのこぶしの花が咲くころにジャガイモを植えます。これも高橋さんに習いました。
今日の1時からあなたのお葬式です。もうすぐはじまります。来年も頑張って、トウモロコシやサツマイモを作り奉仕に役立てたいと思います。あなたに会えたことを感謝します。
 
【二席】
土笛にいのち吹き込む初稽古 (秋虹)9点
特選:土笛に人が息を入れることで土笛が生きてくる。物にいのちを与えられる素晴らしさ、そしてその音色の素晴らしさを思いました。(中)
特選:「息」をでなく「いのち」吹きこむといったところがお手柄です。初稽古の意気込みと緊張感が描かれました。(十遍捨逸句)
特選: 「いのち吹き込む」が素晴らしい。土笛の音色は、はつ春を寿ぐにふさわしい音色ですね。 (冬苺)
●「お礼」
俳句大会でご褒美をいただいた秋虹です。丹精こめた美味しいお芋を沢山頂き、感謝いたします。
お礼の句です。
*唐芋の祝意両手にあふれけり
*焼き芋の湯気に漂う至福かな
お陰様で今年も元気に過ごせそうです。ありがとうございました。(秋虹)
 
【三席】
爪弾くや譜面の向こう鏡餅
(巳〜ちゃん)8点
特選:新年にギターの練習をしている。譜面の向こう側の鏡餅というのが臨場感があってリアリティーを感じます。(センザン)
並選:心新たに初稽古に励んでいる光景でしょうか。 (十遍捨逸句)
並選:私はできなかったが初弾きのようすが 目にうかびました。(葉ボタン)
並選:いつもの練習の一コマに、鏡餅があることで、気持ちが変わるような気がします。(虎馬)
 並選:新年からギターに向かう気合に一票!(貝)
 並選:さあ 今年も新たな気持ちで弾き初めです。 鏡餅にも日がさして。お正月の晴れやかな 息遣いが聞こえます。(雪あかり)
●驚きですね、今年も入賞なんて!(巳〜ちゃん)
 
【三席】
新暦 余命の一歩 踏み出せり(うめ酒)8点
準特選:暦が新しくなり皆に新しい一年が始まる。そしてそれぞれの天から与えれた余命を生きて行くのですね。(中)
準特選:いろいろあった去年 新年に向け 心新た(香)
準特選:余命などとおっしゃらず、「春風や闘志いだきて丘に立つ」(高濱?子)の気合いで新暦の余白を埋めていってください。 (十遍捨逸句)
準特選:そう思って新暦を見ると、一日一日が大切に思えてきます。すごい発見です。(貝)
● 賞品を頂き有難うございました。お芋のきんとんを作ろうと思います。(うめ酒)
♪入選秀句は次号より順次掲載していきます。
 
 サンシティー音楽院 新企画
世界の名画鑑賞コーナー スタート!
今月の名画
少女イレーヌ ルノワール1841〜1919
少女の白く透き通る肌、画家特有の筆触により
綿密に描写された赤毛の長い髪。子供を多く手がけたルノワールの肖像画の中の代表作です。
357 エスプレシボ3月号

エレーヌ 竹内幸一
 寒さの中にも、春の香りのするころとなりました。3月の声を聞くと、悴んでいた体や気持ちが新芽と一緒にほぐれていく気がしますね。背筋を伸ばして、新しい春を満喫しましょう。
 さて今月のタイトルは、教室に飾ってあるルノアールの絵の題名です。音楽院の新企画として教室に名画を飾るようにしたのですが、その最初に選ばれたのが、この可憐な少女を描いたルノワールの作品でした。
 実は昨年末に、新聞の全面を使って、世界の名画歳末謝恩特別セールという広告が出ました。それを見て、ちょっと気持ちが動いたので家族と相談しました。これをいくつか買って教室に飾ったらどうかな?と、提案したのです。唐突でしたので、「いいかも・・・」と言いながら日が過ぎていきました。
 ある日ふと思い出して新聞を引っ張り出すと、何と12月15日までの期間限定と大きく出ていました。その日は12月16日。一日過ぎています。ああ、やっぱり縁がなかったかとあきらめようかと思いましたが、まあ、ダメもとでと電話をしてみました。
 ところが一日遅れでも、通常1枚9,800円の立体複製画が、セール中は7,800円で、5枚以上買えば、6,200円と言う割引をそのまましてくれると言うのです。
 それなら、と、我が家にとっては大金ですが思い切って申し込むことにしました。と言うのも、以前、演奏を頼まれて行った所から、音楽院のために使ってくださいと謝礼をもらっていた分があったからです。それを何か有効に使いたいなと思いつつ眠らせていましたので、これなら音楽院のためにもなるだろうと、購入を決めました。
 ゴッホ、モディリアーニ、フェルメール、セザンヌ等7点を申し込みました。もちろん本物は、何十億円もするものばかりです。それが6,200円なのが、高いと言えば高いし、安いと言えば安い感じもします。これからの存在価値によって、その値段も決まってくる気がしますので、どうぞ皆さん、よかったら絵を眺めて味わってください。多くの皆さんに見ていただけると、先行投資が生きてきます。
 立体複製画というのは、油絵の具の盛り上がりも忠実に再現していますので、写真とは違い、(もちろん偽物ですが)、少しは本物の雰囲気もあります。深い色合いも出ている気がします。
 私は絵を描くのも鑑賞するのも、全く門外漢で少しも分かりません。これから、ど素人の勝手な意見を書きますが、頓珍漢なことも多いと思いますので、どうぞご容赦ください。
 私は、朝一番に、一日の日課にしているギター曲を練習します。下の教室が空いているときは、これまではいつもレッスンをする本箱の前で練習していました。しかし、最近、座る練習場所を変えて、絵の見えるところで練習するようにしたのです。
 一曲済んで次の曲に入るときに、目を上げると「世界の名画」が見えます。ちょっと眺めて、また楽譜に目を戻します。
それを繰り返すことが嫌ではないのです。何だか分からないのですが、なぜか飽きが来ません。何度見ても、絵に奥行きがある気がするのです。
 バックの奥深い森が見えたり、少女の青いリボンが見えたりと、新しい発見もあります。顔の表情も、その目の動きが、泣きそうだったり、歌いだしそうだったりと変化することもあります。物語があるのです。
 考えてみれば、私の60数年の生涯で、これほど一枚の絵をじっくり見つめたことは、初めてのことだったのです。それだけでも、この投資は少なくとも自分のためになっているのではと思っています。
 そうしているうちに、何だか蛇足ですが、妙なことに気がつきました。色の白い少女の清潔な顔の美しさは、素晴らしいものがあります。肌の色の透き通る白さは、健康的でとても魅力があります。しかし、手を見たときに、これが同じ人間の肌の色かな?と、ふと疑問に思ったのです。あまりにも手の色が濃すぎるのです。
 大体、体全体の色合いと言うのは、同じ人間ならそう変わらないのではと思うのです。それでいろいろと想像をめぐらせます。
あっそうか?顔は白粉など塗って化粧しているのか・・・でも、少女がそれでは興ざめな気もします。素肌の美しさであってほしいのです。
モデルになる直前に、冷たい水で茶碗を洗って、それで手が赤いのかな?(笑)・・・なんて妙なことも考えます。
 その想像の内容の真偽はともかく、私は絵と対話しているのだろうと思います。1880年。今から130年以上も前に描かれた一枚の絵が、私に語りかけるのです。フランスの印象派の絵と対話をするという機会が、この齢になって生まれたことを大切にしたいと思います。これから毎月、世界の名画が教室の壁に出てきますが、そのどの1点1点とも、じっくり話しあうのを楽しみにしています。

 連載その6
大切な人
     中原あおい(サクソフォン科講師)
 
2月のバレンタインデーも過ぎましたが、チョコレートはプレゼントされましたか?最近では、女性から男性に渡すよりも女性同士で交換し合う「友チョコ」のほうが多いそうですね。それだけ人と人のつながりが大切になってきたことの表れで
しょうか?高価な物でなくてもプレゼントをもらうということは、相手に思われている、忘れてないよって心の表れでもありますし、うれしいことですね。
 みなさん、大切な人・・・というとどんな人の顔を思い浮かべますか?両親や子供、恋人はもちろんだと思いますが、友達もかけがえのない財産ですね。日頃は気づかなくても、どれだけ心の支えになってくれているかわかりません。毎日変わりない日常生活の中でそれは永遠に続いていくように錯覚しがちですが、私たちが生きていること、それ自体は本当に奇跡的なことだと思います。
 若い頃は無関心だったのに、最近歳をとったせいか、それを痛感します。新しい記憶では、阪神・淡路大震災、東日本の大地震、そしてつい最近ではロシアに隕石が落下しました。 
また個人的には友人の車載カメラが撮影していた対向車の人身事故があります。どこにどんな危険が転がっているか想像できない毎日を送っています。
 先月のことですが、私の友人が亡くなりました。友人といっても30歳ほど年が上の人ですから、人生の先輩と言っても良いかと思います。彼女とは15年前に茶道教室で知り合いました。まだヒヨッコの私が責任者になっていろいろと会を進めていたのですが、年配の方々が嫌な顔ひとつせず、私を立ててくれ一生懸命盛り上げてくださいました。
彼女も初めてお茶をされるということでしたが、着物を着ることから練習されて教室の時には必ず着物を着て来られるほどになりました。庭に季節の花が咲けば教室に持ってきてくれたり、自分で作った料理を持ってきてくれたりと気遣いのある方でした。お茶の話をされるときは子供のように目を輝かせて楽しそうにおしゃべりをされていました。   
そのうち私は仕事が忙しくなり、たまにしか出席できなくなりましたが、それでも彼女に会った時は、着物をきちんと着て目をキラキラさせて以前と変わらず、いろんな話をしてくださいました。
 もちろん、彼女との交流もこれからずっと続くものだと信じていました。前回会った時もいつもと変わらず元気な笑顔で、話をしました。ところが、2月にはいって茶道教室の友人から彼女が亡くなったと突然の連絡がはいりました。本当に本当に、何がなんだかわからないくらいに戸惑いました。いつもは会わなくても、連絡をすれば必ず会えると思っていた人が突然居なくなってしまったのです。ご家族に伺った話では、彼女は病気を患っていた訳ではありませんでした。年明けに風邪をひいて、それがこじれて肺炎になったそうです。大事をとって入院されていたそうですが、彼女は痩せていたので体力がなく、最後には肺が
真っ白になってしまったそうです。
 私たちは、友達とあまり会う機会がなくても、元気かな?何してるかな?と思ったりはしますが、その都度連絡を取ったり、会いに行ったりということはほとんどありません。それはまず、その人が居なくなったりしないと信じているからです。でもそんな保証は本当は全くないのですね。今までに何度かそういうことがありました。ですから、あとでこうすればよかったと後悔しないように思いたったら行動しようと思っています。


 
第8回 新春俳句大会入選秀句 1 
 【次席】
いのち確と翅ゆらしゐる冬の蝶(冬苺)6点
準特選:どんな小さな命にも目をとめて優しく見守る気持ちがよく現れていると思う。(うめ酒)
準特選:寒さの中でも生きている蝶に命を感じているのがよくわかります。(センザン)
準特選:寒空に生まれてきてしまった冬の蝶。でも私は生きている。震える翅。でも耐えてみせる春はきっと来るから。(雪あかり)
お世 ●お世話になりました。俳句は、作るのも楽しいですが、人のを読むのも楽しい。そして、ひと様が、句にさまざまな感想を述べられるのを読むのも、又、とても楽しく勉強になりますね!句を作ることのむつかしさと同時に、
わが身の鑑賞力のなさを実感、反省しているところです。(毎月の西部公民館でも、感じていることですが・・・)又、12ヶ月先の「新春俳句大会」を楽しみにしています。(冬苺)
【入
落ち落葉にもお疲れ様と声をかけ (春)5点
  特選:落葉にもお疲れ様と言ってあげられる作者の優しさが、この句に感じられます。(雪うさぎ)       
並選並選:この方は、落葉にも、お年寄りにもそんな気持ちで接することでしょう。(貝)
  並選:葉っぱも一年間の役目を終え散っていく。その葉に対してお疲れ様という作者の優しさがよくわかります。(センザン)


しもしもばしら さくりとふめば ふるさとを
(葉ボタン)5点 
準特選:心と体が覚えている故郷ですね。(京)
準特選 : 作者は北国のご出身でしょうか。幼い頃の思い出か、それとも離れて住む親御さんの事 を思い出されているのでしょうか。(巳〜ちゃん)
並選:日本のふるさとの原風景がなつかしく浮かびます。「さくり」という音は春を呼んでいるようですね。(秋虹)

年末の 宝くじ買い 息を吐く (京)4点
特選:発表されるまでの緊張が切れた時がよくわかる。当たらないとしりつつも期待するもんねぇ(葉ボタン) 
並選:夢を買った時の、「あたるかな、ダメだろうな」という期待と諦めに、息を吐く…情景が浮かぶ気がします。(虎馬)
●今年の命題は三つに共通したものが流れており、共通した感覚の作品が多かったみたいですね。ご苦労でした。(京)

ひっそりと 行く猫の背に 落ち葉散る
(雪あかり)4点
準特選:日常の喧騒を離れ、猫の道にはゆったりとした時が流れているようですね。気持ちが温かくなる句で、癒されました。(秋虹)
並選:晩秋の背戸を歩くネコの上に落ち葉が・・・(香)
並選:猫と話せたら”何かあったの・・・”と聞いてみたくなる様な切ない風景。(うめ酒)

漁り火や イカ釣り船に 年暮るる
(雪あかり) 4点
特選:まさに冬の海で働く人の情景です。 (京)
並選:年の夜 漁火を点しているイカ釣り船が目に浮かび 良いなぁと思いました。( ごん太)
●改めて皆様の句、どれも素敵ですね。選ばなかった句もこんな素敵な作品があったのだなと感心しました。有難うございました。
            (雪あかり)
 
 サンシティー音楽院 
世界の名画鑑賞コーナー 
《3月の名画》
真珠の耳飾りの少女 
フェルメール 1632〜1675
青いターバンを着け、大粒の真珠の耳飾りが光る少女。その振り向いた瞬間の表情を描いたフェルメールの代表作。別名「青いターバンの少女」とも呼ばれています。
♪ルノワールの「少女イレーヌ」はB教室に展示しています。

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