♪346 エスプレシボ  4月号
===========大往生   竹内幸一
 今年の前半は、肌寒い日や雨の日が多かった気がします。しかし、もうそろそろ桜も咲いて、確かに春を迎えたことを実感する日も近いことでしょう。楽しみですね。
 さて今月は「大往生したけりゃ医療とかかわるな(自然死のすすめ)中村仁一著・幻冬舎」という本を読みましたので、その感想を書いて見たいと思います。
 この本の新聞広告を見たとき「おお!」っと、はじかれるような衝撃を受けましたので、さっそく本を取り寄せてみました。ベストセラーになっているようですので、きっと同じような効果が広告にあったのでしょう。
本の帯に「死ぬのは“がん”に限る。ただし、治療はせずに」と、常識を打ち砕く文字が躍っていました。
 以前、抗がん剤や放射線の効果についての論争があったのを記憶していますが、その内容を詳しくは知らないままでした。しかし、素人考えのおぼろな感覚ですが、身近にいた元気そうな方が余りにも早く亡くなっていくのを体験して、抗がん剤や放射線に不安を感じていました。あの頃の元気そうなまま、何もしなかったら、どうだったのだろうかと、不明の闇を探っていました。
 何となくもやもやとしている中でこの本と出あい、やはりそうかと、霧が晴れていく気がしたのでした。
 しかしながら、この本の内容は、世間一般の常識から見れば、極めて異端、異常な意見ばかりです。救急車には乗るな、呼ぶな。鼻チューブや胃へ直接への栄養補給はするな。水分補給の点滴もお断り。がんなどの検診は受けるな。ガンの早期発見の不幸、手遅れの幸せ・・・etc
 本流、本道?を行く医学会から見れば、目をむくようなことが本の中に並んでいます。治療最前線の現役のお医者さんたちは、怒っているのでしょうか、それとも笑い飛ばしているのでしょうか?
 私がこの本の中で一番「そうならいいな」と素直に思ったところは、自然死の場合、がんが痛まないという報告です。この本の著者の中村先生は老人ホームで働いています。そこで体験した、たくさんのがん患者さんの自然死が、とても安らかだったという報告を書いているからです。
 手術、抗がん剤、放射線と体を痛めつけて、マカロニ状態になり、耐え難い苦しい思いをするよりは、何もしないで、安らかに死ねたらどんなにいいだろうと、誰でも思うことでしょう。たとえその方が、生きている時間が短いにしても、それを選びたくなります。
がんは放置すれば痛まない。『それが本当ならいいな』と思うばかりですが、それは大きな選択です。どちらかを選べば、やり直しがききません。
今の医学界には、膨大な臨床例のデータがあることでしょう。その積み重ねの上で、こういう治療をすれば、治ります。治る可能性があります。延命が期待できます。…と情理を尽くして説明を受ければ、いくら苦しい事が待っていようとも、やはりその方向を選びたくなります。
それを蹴って、自然死の方向へ進むことは、ある意味、命を捨てる覚悟も必要になるような勇気が要ります。自分自身は勿論、周りの家族などの気持ちも含めて、簡単に選べることではありません。
どちらを選んだにしろ、それが一番よかったんだと信じなければ気持ちが救われません。現代医学の最先端の治療を、出来得る限り尽くした、何も思い残すことはない、これで良かったんだと、納得して終末を迎えるのも一つの確かな選択です。
一回限りの命を、どのように終わらせるかは、とても難しい問題です。あなたは、どういう終わり方をしたいのかと、この本は問いかけているのです。そういう話題のことは、避けて通りがちですが、この中村先生は「自分の死を考える集い」を16年にわたって続けています。
その中の行事の一つとして、生前葬ということで、棺桶に入る体験の会を開いたりもしています。ふざけているような感じですが、それをしたあと、人生観が変わるのだそうです。生きている今の時間を、いとおしく大切に思うようになるというのです。大切な思いですね。
また中村先生個人の意識不明の事態への事前指示も公開されています。自分の終末へのはっきりした意思表示がわかります。
1.救急車を呼ばない。2.開頭手術お断り。 3.蘇生術お断り。 4.人工透析しない。 5.経口摂取が不能の場合、他の治療をしない。 6.人工呼吸器は、改善の見込みがなければ取り外す。…と医者らしく極めて具体的に指示が出されています。それは自然死への道筋です。
そのような選択へのキーワードとして「大往生」という言葉が本の題名に出てきているのだと思います。辞書を引くと「少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、りっぱな死に方であること。」と、大往生の説明が出ています。
自分自身の最後を、「大往生」で迎えるにはどうしたらいいのかと、たまには考えてみるのもいいことだと思います。
 
連載その8
 誕生月
       高橋由紀子(声楽&ピアノ科)

 四月ですね。私にとっては誕生月になります。暖かい陽気と花がいっせいに芽吹くいい季節に生まれたものだと思います。
 今年の誕生日は久々に丸いケーキを買って年齢の数だけロウソクを立ててみようと思います。何本立てるかは内緒ですが(笑)隙間なく立てることになるのは確実です。
 最近のお気に入りのドラマの一場面ですが、46歳のヒロインの誕生日に46本のロウソクを立てたケーキが出てきました。
もちろんヒロインは10本をひとまとめに大きなロウソクを4本と小さなロウソクを6本立ててくれればいいのにと怒るのですが、ロウソク担当の男性が、誕生日は、生まれてきたこととこの年まで元気で生きてこれたことを喜ぶ日、そして、ロウソクの1本1本が今までがんばってきた証で自分を褒めてあげる日、10本をひとまとめにするなんてとんでもない、と言います。ケーキはロウソクの炎で火事寸前なのですが、妙に感動しました。
 確かに年齢を重ねるごとに、一年一年が重たくなってきたような気がします。次の年の事を考える前に、ここまでがんばったんだからもういいかなっと思うこともあります。
眠りにつく前にこのまま目覚めなくてもいいかなっと。思い残すこと・・・やり残したこと・・・やってみたいこと・・・特になし。悟りの境地?ではないと思うのですが、全く欲無しです。エネルギーがなくなったのか、今が充実しているのか・・・無です。
 ただこういう自分にはなりたくないという願望はあります。自分が無くなったまま、ただ生かされること。これは絶対に嫌です。そうは言ってもどうなるか分からないのが困ったもんです。
自分で意思表示が出来なくなる場合もあるので、嫌な事だけはしっかり伝えています。延命治療は絶対に嫌だとか、もちろん臓器移植など、いただくのも差し上げるのも絶対に嫌だとか、考えられる範囲、周りに伝えたり、保険証の裏に記載したりしています。
 今年、もし誕生日を迎えることが出来たら・・・いつものように母に感謝し、一年がんばった自分を褒めてあげ、少しの間喜びに浸った後には、ロウソクを吹き消し、その後は、あと何年生きるのか、あと何年がんばらないといけないのか、しみじみ思うことと思いますが、この世も魂の修行の場と考えて、また一日一日生きていきたいと思います。


【新春俳句大会入選
優秀句作品集】 
(その3・最終回)
 
生ありと 枝先もやす 寒椿 
(秋虹) 3点
特選 鋭い観察力と豊かな抒情性を感じます。 (京 )   

霊廟の静けさ深く白い息 
(笑風) 3点
特選 霊廟の厳かで清澄な中で静かに祈る姿が見えてきました。 (はなかっぱ)

蜜柑山遠くかすむは伊予の国
(連山) 3点
特選 伊予の蜜柑山からは、豊前・豊後の国が見えているでしょう。そう思うと楽しいですね。伊予も豊前・豊後も豊かな土地です。ありがたいことですね。(龍女)

冬の暮れ 竹の穂先の 眠りけり
(ぶんぶん) 3点
特選  冬の暮のしんしんとした情景が浮かびます。あの繊細な竹の穂先が眠るほどだから。まねのできない表現です。(連山)
 
平穏と希望の年にと 祈る旦
 (春よ来い)  3点
特選 今年ほど 平穏を祈る年はありません  希望のもてる年でありますように 。(ごん太) 

冬帽子脱いで二礼と二拍かな 
(十遍捨逸句) 3点
準特選 寒いけどやはりここでは思い切ってとらないと・・・ニレイとニハクが快い。(香)   
並選 私も初詣に行きましたが、お賽銭を投げてちょんと拝んでおしまい。この句のよう帽子をとって丁寧に拝むとご利益も多いでしょう。(龍女)

鏡見る仕事始めの朝来たり 
(美空) 2点
準特選 新しい年を迎え、さぁ今年も!働く人の心意気を感じます。(コケー)

みかん?くことを覚えし孫の指 
(十遍捨逸句) 2点     
並選 親の気持ちも至福いっぱいですね。 (京)
並選 真剣なまなざしで、みかんを剥こうとしている小さなお手手。また一歩成長したのですね。(春よ来い)

開拓の海に傾れし 蜜柑山
(れもん)  2点
準特選 蜜柑山の下に広がる海が見えてきます。(ごん太)  

幼子がにぎりしみかんいと甘き
(笑風) 1点
並選 純粋な幼子の愛らしさが伝わってきます。(春)
 
温泉と炬燵蜜柑の至福かな 
(春よ来い) 1点
並選 日常生活の幸せな一こまを大切にしたいと思いました。(春)

指先の 爪に残りし みかんの香
(葉ボタン)1点
並選 みかんを食べて、しばらく経った後のことをよく捉えています。時間の経過を感じさせていい句です。(ぶんぶん)

おしゃべりも 又リハビリや 日脚延ぶ (龍女) 1点
並選 何気ない日常ですが、この場の和やかな雰囲気が浮かびます。(コケー)

里帰り 足下ひびく しもばしら
(葉ボタン) 1点
並選 何気ないことがふと新鮮に思えたりなつかしく心に迫ったりします。(美空)

男生まる深夜の空に冬銀河 
(連山) 1点
並選 男の子の誕生と冬銀河がとても神秘的で、どちらも輝いていて素敵です。(美空)

みかん食べ ホット息継ぐ 三が日
(春)1点
並選 日ごろの忙しさから解放されて、くつろいだ日を過ごしています。お正月気分がよく出ています。(ぶんぶん)

初春や 座敷の隅に 古みかん 
(香)1点
並選 正月の間帰っていた孫たちがいなくなったあと、ふと、座敷の隅に見つけたしぼんだみかんである。孫は来てうれし、帰ってうれしである。 (十遍捨逸句)

ひたすらに蜜柑の筋むく女かな 
(はなかっぱ) 1点
並選 気になるとうつくしいほどにすじをとる人をみかけたことがあるけど、性格がじゃまするのかも。(葉ボタン)
 

♪347 エスプレシボ  5月号

ふるさとの山 竹内幸一
 今日は、4月22日です。窓から見えるいつもの山が、ほとんど隠れている雨の日曜日です。少し早いのですが、月末に春の音楽祭がありますので、今日この新聞を何とか仕上げておこうとパソコンに向かっています。
時折、話の流れの中で、「出身はどちらですか?ずっと別府ですか?」と尋ねられることがあります。「国東です」と答え、「国東のどこですか」と、たいがい話が進展していきます。そんなこともありましたので、今回は私の生まれ故郷のことを少し書かせてください。
私の生まれたところは、陸の孤島といわれる国東半島にある小さな村でした。合併前の昔の住所で言うと、大分県東国東郡国東町来浦という、いかにも田舎らしい地名のところです。
半島の中心にある山から小さな谷が海岸まで幾つか広がっている中の一つで、「旅人が来た浦だから、来浦(くのうら)」と言うのだと、小学校の先生が話していた記憶があります。それが確かなことかどうかはわかりませんが、なるほどと思ったので、今でも覚えています。
 谷の奥に、来浦富士(写真左)と千灯岳(右)があり、谷には、ハエの釣れる清流の来浦川が流れています。それはどこにでもあるようなごくありふれた農村でした。谷は、7つの区に分けられていて、私の住む所は3区でした。1区とか7区の方は、3区にある小・中学校までかなりの距離がありましたが、幸い私は学校が近くで助かりました。当時は子供も多く、神社のお祭りなども、いつも大変な賑わいを見せていました。
それが、いつしか過疎の村となり、小・中学校も、廃校になってしまいました。小学校は「139年間ありがとう」と看板を出し、今年の3月に廃校になりました。・・・大きな時代の流れの中で、ふるさとは大きく変貌して行きました。
 出身地の故郷のことなど、全く思い出しもしない。何の感慨もない。今暮らしているところが、自分の大切なふるさとだと、割り切っているような声も時折聞きます。いつまでも過ぎ去った昔に引きずられ、感傷に浸るより、自分の暮らしの「今、ここ」に思いを込めることは、当然のことでもあります。
 私もふるさとを離れ40年余り、その時々に暮らしていく場所で、ほとんど故郷のことを思わずに生きてきました。何度も引越しをし、各地を放浪しながら何かを求めていくうちに、いつしかこの別府にたどり着き、もう30年ほど暮らしています。おそらくここが終の棲家になることでしょう。
 もうほとんど、これからは何の変化もないような晩年に近づいた今、なぜか、故郷のことを思います。それは、理屈とか損得などとは無縁の、ごく自然に心の中から噴出してくるノスタルジアです。
 石川啄木の「一握の砂」の中に、次の短歌があります。
 ふるさとの山に向かひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
 この気持ちが、素直にすっと沁み込んで来るようになったのです。それは、極めて個人的なことだと思いますので、どなたにもわかってもらえることではないのかもしれません。
なぜ、ふるさとの山に何も言うことがないのでしょうか?なぜ、ふるさとの山はありがたいのでしょうか?…それを、理詰めで問われても、説明できそうにもありません。
 久しぶりに、ふるさとの谷に車で入ると、真正面に来浦富士が見えます。また生家の庭から「来浦富士」を、のんびり眺めるとき、「何も言うことがない」「ありがたい」という、清々しいベールにつつまれる気がするのです。
 この感慨は何なのでしょうか。良くわかりませんが、これまで生きてきた、恥や失敗、言い知れぬ悲しさやさびしさなどを、このふるさとの山だけは、「ご苦労さん、ようがんばったな」と黙って抱きとめてくれる感じなのです。
 時代の流れの中で、おそらくこの地はいずれ荒れ果て、生家は朽ちていくのでしょう。残念ながら、妻や子供たちに、この地への愛着をあまり期待するわけには行きません。この地への望郷の念は、さびしい気もしますが、たぶん私1人だけのもので終わることでしょう。
しかし、私は、「来浦富士」の見える地で、永遠の眠りにつきたいと思っています。老いた母を送ったあと、累代の末裔として、雑草に埋もれていく生家で最後の土になっていくのが、今の私のささやかな望みです。

連載その9
 大学病院残酷物語
       高橋由紀子(声楽&ピアノ科)


2月の終わりに兄嫁さんのお母さんが挾間町にある大学病院に検査入院しました。
 10ヵ月ほど前、別府の病院の担当医(大学から来ていた先生)から「大学病院でしか検査できないから」と言われてはいたのですが、忘れた頃の「ベッドが空いたので入院できます」の連絡でした。その後の大学病院の入院手続きの連絡漏れなどの不手際などがあり、何ともいい加減だなという感はありました。また、入院する前「3日間の検査で入院が2週間ぐらいです」と言われていたのに、「入院した時点で検査スケジュールを組むので、検査まで10日掛かります」と言われ、この時点で入院が2週間以上掛かることが判明し、何となく嫌〜な予感はしました。ついでに別府から連れて行った先生は担当ではなく、全く知らない3人の先生が担当になりました。助授、医員、研修医。まあ大学病院だからある程度は実験台にされる覚悟はありましたが・・・。
 やっと検査の日になり、兄嫁さんの妹が付き添いました。「検査は30分くらいで終わります」と言われ、待合室で待っていたそうです。ところが、2時間近くたっても終わらないので、心配になり病室をのぞいたところ、病室では3人の先生が右往左往しており、何事かあったのではと思い心配になったそうで
す。その時、遅れている説明をするどころか「治療中です!」と怒られたそうです。心配になりながらも検査が終わるのを待ち、先生に言われた言葉が「今日は液が取れませんでした。高齢になると取れないことがあるんですよ〜今度はレントゲンを撮ってレントゲンを見ながら液を取りますね〜」(検査の内容は、
脳を圧迫しているであろう脳脊髄液を脊髄から抽出して脳の状態を見るという検査です)。取れないってことあるの?その日は何とも納得がいかないながらも、そんなものかとも思ったのですが・・・。
 翌朝、おばあちゃんが「腰が痛いって言ったら看護師さんが湿布くれた」と言うので、貼ってあげようと背中を見たところ、なんと!脊髄に沿って無数の針穴がありました!!ざっと数えても21カ所。確か局部麻酔とか言っていたから、それを抜いても20カ所!針を刺しまくった跡でした。昨日、2時間掛かった理由がやっと分かりました。刺して刺して刺しまくった結果で、ましてや液が取れなかっとは、酷いとしか言いようがありません。「治療中です!」ではなく「実験中です!」が正しかったのです。夕方覗いた時も「腰から血が出よらんかえ」と何度も聞くおばあちゃんが本当に哀れでした。局部麻酔をしているからと言って、こんなに針を刺していいものなのでしょうか???医療関係者に聞いてみても「それはひどい!局部麻酔をしていても、針を刺されるとず〜んと内臓を押されるような鈍い痛みがあり患者さんはかなり辛いはず。液が取れないのなら、針刺しも数回で止めて、レントゲンに切り替えるべき!」私もそれが正論だと思いました。
 その後、レントゲンを見ながらやっと成功し(それでも数カ所刺されていましたが)、やっとこれで解放されると思いきや、これまで出てこなかった別府から連れて行った先生が「あともう少し検査の結果がないと外科を説得出来ないので、もう一回検査をしたいんですよね」との申し出があり、再度、液を取ることになりました。ところが(信じられませんが)また「取れませんでした」の言葉。正しく大分弁で言うと「取りきらんやった」です。今度の言い訳が「この間取った先生が居なかったので今度その先生が居る時に取ります(by研修医)」。言い訳にもなっていません。背中には新たに10カ所の針穴が追加され、
なぜ一人で取ろうとしたのか、本当に全く理解出来ませんでした。
 兄嫁さんの妹が待合室で待って居る時に、入院している女性が携帯で何やら外部の人と話しているのを聞いたそうです。「先生から、この薬に変えますって言われたんやけど大丈夫かなぁ・・・やっぱり・・・そうよなあ、治験(治験とは医薬品もしくは医療機器の製造販売に関して、薬事法上の承認を得るために行われる臨床試験のこと)の材料にしようと思って!」と怒っていたそうです。妹もこれを聞いて、検査結果が出たら早々に違う病院へ行こうっと誓ったそうです。
 結局、検査の為と40カ所あまり脊髄に針を刺され、2週間と言われた入院は5週間になりました。「ベッドが空いたから入院出来ます」と言われた割には、2人部屋のおばあちゃんの隣のベッドは、5週間の内の3週間は空いており、他の部屋もそこここに空きベッドが見られたのはなぜでしょう?たまたまで
すか?そうそう、別府から大学病院に連れて行った先生、3月末で役職付きで別の病院に移動されました。もしかしておばあちゃんは手土産だったのでしょうか。美味しい材料を持ってきたよ〜!(怖すぎる)
 
 サンシティー音楽院 ご利用のきまり
連載その3
 皆様に音楽院を気持ちよくご利用いただくために、下記の決まりを設けています。皆様のご協力をお願いいたします。
4.レッスン時間の変更 
*事前にご相談いただき、講師の空き時間があり、教室が空いている場合は変更できます。
 *講師が待機している当日の変更はご遠慮下さい。
*講師の都合によりレッスンが出来ない場合は、代替レッスンを必ず実施いたします。
  ○変更希望や、お休み連絡は、講師と直接連絡を取り合ってください。音楽院にお問合せいただいても、先生の都合
は分かりかねますのでよろしくお願いします。
5.貸し教室 
*練習等で教室を使用する場合は、1時間に付き2千円頂いております。
   但し、レッスンを最優先しますので、レッスンが入っていない空き時間に限ります。
6.レッスン回数
下記のお休みがない月は、4回レッスンになります。
規定のお休みが重なった場合はどちらかを実施して、月に3回は必ずレッスンします。
<音楽院のお休み>
1月(お正月休み 1日〜7日)
    5月(春の音楽祭後の1週間はお休みです)
    8月(お盆休み 8月10日〜16日)
祭日のある月(祭日はお休みになります)レッスン3回
○月曜日の振り替え休日(ハッピーマンデー)はレッスンいたします。
   *毎月29日〜31日にあたる5週目はお休みです。
7.ワンレッスンや月2回レッスンコース
料金・時間につきましては、担当の講師とご相談下さい。
8.発表会
 音楽院の皆さんすべてが参加できる「春の音楽祭」を、所定の会費をいただいて実施しています。例年4月に開催しています。
どうぞ年間の目標にしてください。
 
★第29回春の音楽祭 終了御礼
 ご出演の皆様大変有難うございました。
 舞台に立つのはいろんな負担もあった事と思います。お疲れ様でした。有難うございました。
 来年は、30周年記念の「春の音楽祭」を中央公民館の大ホールで(10月に会場の予約が取れましたら)開催の予定です。生涯の思い出に、多くの皆様のチャレンジをお待ちしています。この日を目指してがんばりましょう。                                   
 
音楽だより♪348 
いかともちから 竹内幸一
 5月の終りの、とても穏やかな日曜日です。ハイキングとかに出かけて、気持ちのいい時間を過ごしている方も多いかもしれませんね。私のほうは、何も行事がないこの日にと、この新聞の作成に取り掛かりました。
 さて今月のタイトルです。??(笑)・・これ何語でしょうか。意味が分からない方がほとんどでしょうね。では、解説を・・・。
 先月号にふるさとのことを書いていましたら、ふと思い出すことがありました。「いかともちから」「いかともちょんのやろ」という、ふるさとの方言を使う場面です。それがなぜか思い浮かんだので、今月はそれを取り上げてみました。
 とりあえずこの意味が分かるように、翻訳?して見ましょう。「いかともちから」→(いいかとおもうちから)の省略形。「いいかともちょんのやろ」→(いいかとおもうているんやろ)の省略形。意味は、<良いかと思っているのでしょ!。>ということで、強い攻撃の言葉です。
 これは小学校の高学年の女子が、気に入らない子を取り囲んで責める、または改心させる、あるいはいじめるかも?という場面に使われていた言葉です。
 あなたは「いいと思っているのでしょうが」、それは間違っていますよ。心を入れ替えなさい。反省しなさい。…と、取り囲んだ正義派の女子が、悪役の標的の子を攻撃するのです。
「いかともちから」は記憶に残っていたのですが、ふとそのあとに続く意味が、なぜかはっきりとこの年になって理解できたのです。「間違っている」、「反省しろ」とは言わずに、ただただ「いかともちから」と繰り返していただけの気がします。
 まあ、それは子供社会の中の当然起きてくる現象の一つなんでしょう。しかしながら、当時そんなことでめげて登校拒否になる子など一人もいませんでした。みんなそんな中で切磋琢磨し、立派な社会人に育っています。たくましさが、今の子供とは少し違うような気がします。何かが変わってきたのでしょうか?
 それはともかく、今、私に面と向かって「いいかと思っているのやろ、それは間違っているよ」と、誰も言ってくれない暮らしをしているのに気がつきました。
 例えば、私は、5月のはじめに小さなサロンコンサートを開きました。私なりに良かれと思って努力したつもりです。しかし、聴く人が聴けば、「いいかとおもちょんのやろ」と、ガン!とやられるかもしれません。誰にもレッスンを受けない日々が長く続くと、進んでいく方向が、とんでもないところを目指したりすることもあるからです。
 その点、音楽院の生徒さんは、レッスンのたびに自分を修正するヒントをもらえます。(もらえるはずです・・・講師の力量にもよりますが・汗)
習っているということは、一つの安心だと思います。導いてくれるままに進んでいけば、それなりのところへ登れます。どう登るかの登山道まで自分で探すのは、とても大変なことです。
 しかし、ごくたまにですが、なかには自信を持っている生徒さんもいて、講師の助言を無視して進む方もいます。「こりゃ、救いようがないなあ、あんたのいいようにしよ」と、投げてしまうケースもないわけではありません。せっかく月謝を払っているのですから、講師からたくさん学び取ってほしいものです。
 生徒さんの力量に応じてレッスンをしているつもりですが、時には、意味が理解できないこともあるかもしれません。そのときには「親の小言はあとで効く」を思い出してもらえればと思います。
 私の場合、何十年も経って、あの講習会で言っていたことは、こういうことだったのかと、霧が晴れるように理解できることもありました。
 例えば、「音符を読み取れるより早く弾くな」と言われました。音符を読んでいないで、指だけで弾いている事が、どれだけ危ない演奏なのかが、かなり長く経ってから分かりました。その場では、何のことやらわからなかったのですが…。
 またアウフタクト(弱起の曲)の場合、同じ大きさでも、出だしのはじめの音は、下から叩き、小節の一拍目の音は、上から叩くと習いました。これも、何のことやら全く意味が分からなかったのですが、こういうことだったのかと、実感するときがあり、嬉しくなったものです。
 習っている皆さんも、時には理解できないときや、また、なんで今こんなことをしないといけないのだろうと不思議に思うこともあるかも知れません。長い先を見据えての、講師の配慮が何年かすると分かることもありますので、どうぞ気長にがんばってください。
 かなりいい年齢になると、誰も叱ってくれなくなります。時折、家庭生活やグループでのおつきあいなど、いろんな場面での自分を見つめて、自分で自分に「いかともちょんのやろ」と、問い直してみるのも大切なことですね。
 あのたくましい女子に出てきてもらって、うだうだしてばかりの政治家に「いかともちょんのやろ!」とガツンとやってもらいたいですね(笑)

連載その10
ソーシャルネットワーキングサービス   高橋由紀子(声楽&ピアノ科)
4月から仕事でFacebookを始めました。以前、mixiを個人ではやっていたのですが、長く続きませんでした。今回は仕事で情報を発信する方法の一つとして、ブログ、Twitter、Facebookなど、どれにしようかと考えたのですが、流行に乗ってFacebookを始めることにしました。
 ネットの世界といえば、目まぐるしく進化し便利になってきたなあとつくづく思います。分からないことも検索で調べられないことはないし、you  tubeなどの動画サイトを利用すれば、知らない曲でもプロアマ問わず演奏を見ることが出来るし、有難い限りです。
 ただ、いざ自分が情報発信の立場になるといろいろと苦労があります。始めたからには毎日の更新を目指していますが、一番の問題はネタ探しです。(この原稿を書くのと同じく、一番苦労するところです。)
 しかし、ネタを探さないといけないと思うと、いつもは見過ごしたり、考えなかったりする事を、じっくり見たり考えたりするようになるので、発見もたくさんあります。よくいうアンテナを張るという感じで、それはそれで面白さもあります。本当に何もネタがない時は、そのアンテナがとても役に立ちます。メジロの事故だったり、キジバトの巣作りだったり、池の鯉だったり、花壇の花だったり、まあ、どうでもいいようなことでも写真付きの文章にして、紹介するようにしています。デジカメのおかげでデータもすぐにパソコンに落とすことができるので、今書きたいことをすぐにアップでき、新聞記事を書いているような感覚です。その文章に対して、「いいね!」を押してもらったり、コメントをいただいたりすると、それはそれで嬉しくて、もっといいネタを探そうとかいい写真を撮ろうとか、励みにもなります。
 インターネット上での人と人とのコミュニケーションなので、気をつけないといけないところもたくさんありますが、上手に利用すればこれもひとつの趣味といえるのかもしれません。
 最近、90歳のおばあちゃんのブログが話題になっていることを知りました。10年前にパソコンを購入し、最初はカレンダーや年賀状を作っていたそうですが、75歳の友人の勧めでブログを始め、趣味の水彩画や日々の様子などをアップしているそうです。毎日みんなのコメントを読むのが楽しみで、夜中でも目が覚めた時にパソコンを覗いてしまうとか。おばあちゃんにとっては、ブログは生きがいになっているようで、頭の体操にもなり元気でいられるのでずっと続けたいと、インタビューに書いていました。
 お年寄りの孤立化や孤独死などが言われる昨今、もしパソコン一つで、このおばあちゃんのような生きがいや心のよりどころになるようであれば、これもすばらしい趣味の一つだと思います。
 私が始めたFacebookは、最初、若い人がターゲットだったのですが、いざ始めてみると10代から60代くらいまで、結構バランスよく反応があります。こういうコミュニティーのシステムも年齢どうのこうのではなく、個人個人の性格や興味関心が大きく影響しているようです。全く興味のない人はやらないし、全く知らない人のコメントも楽しみでしょうがないと言う人もいるし、人それぞれで、盛り上がれる人は大いに盛り上がって楽しめば良いと思います。
 私も歳を取って、母の庭や畑を受け継ぐのかなぁとか、ちくちく縫い物でもしているのかなぁとか考えたりもしますが、それプラス庭に咲いた花や畑で採れた野菜を写真に撮っては掲載し、洋服を作っては掲載し、更新することで「今日も生きてます」という発信にもなり、孤独死しても、意外に早く見つけてもらえそうな気がしてきました。これはこれで有り難いことです。(笑)
 
ギターを習い始めて
        衛藤智子(ギター)
サンシティー音楽院のギター教室に通い始めて、早いもので10ヶ月が経ちます。今日は、
私の短い楽器歴の中での二つの発見を書いてみようと思います。
 「あなたは毎回どうやって新しい曲を弾けるようにしますか。」これは最近友人に聞かれた質問です。私の答えは、「まず楽譜に合わせて、一つ一つ指の位置や動きを目で確認しながらの音を出していきます。動きに慣れてきたら、次第にテンポを速めていき、どうしてもテンポが遅れてしまうところは指だけでなく、目でも動きを覚えるよう何度もその動きを繰り返します。」というものでした。こう答えている最中に、「目」という言葉が意外に多く登場するなあ、ということに気付きました。これが私の一つ目の発見です。つまり、自分がある曲を習得しようとするときには、思っていた以上に目(視覚)に頼っているということです。皆さんはどうですか?もちろん楽器の演奏は、様々な感覚を複合的に使ってなされるものだとは思いますが、人それぞれ、細部は異なるのではないでしょうか。主に、耳(聴覚)でメロディーを覚えられる方、指(触覚)で覚えられる方、私のように目(視覚)で、またその他の体の器官(感覚)を使って覚えられる方、様々だと思います。(もし、耳や指、目以外の方法で覚えられる方がいれば、お話伺いたいものです!)友人によると、「自分の習得方法を意識することが、より効率的な練習につながる。また、楽器演奏以外にも新たな技術を身につける際に自分にとっての効果的な練習方法を見つける鍵になる。」とのことでした。私の場合は、例えばレッスンで先生に模範演奏をしてもらう際に耳だけでなく、目を使って聴くと後で練習するときに役に立つのかもしれません。(まだ先生の指の動きを見たからといって、すぐにそれができる訳でもありませんが・・・。)趣味で外国語を勉強する際にも、単語を何度も書く(目+手を使う)と覚えます。
 また、少し話がそれますが、人によって記憶と結びついている感覚は異なるそうです。私が小さい頃の出来事を思い出そうとすると、映像が浮かんできます。保育園の運動会でお遊戯する自分、子どもたちの周りを取り囲む親たち、杉の井パレスのベッドでトランポリンをする自分、窓から見えていた夜景などが、写真をコマ送りするように浮かびます。他方、友人は匂いを思い出すそうです。川の匂い、みかん畑の匂い、晩ご飯の匂い・・・というように。もしかすると、「海」「花火」「月の光」「雲」というような曲を作ったクロード・ドビュッシーには記憶が音となって浮かんでいたのかもしれません。彼は曲を作ろうとして作曲したというよりも、自分の思い出を譜面の上に記していただけなのかもしれません。彼にとっての思い出のアルバムは楽譜だったのかもしれません。
 次に、もう一つの発見ですが、ギターを弾いている時には別の人物になることができるということです。例えば、夏の昼下がり。風通しの良い涼しい部屋で、冷えたソーダ水でも飲みながらギターをかき鳴らせば、イソップ童話『アリとキリギリス』の『キリギリス』になったような気分が味わえます。普段どちらかといえば自分は『アリ』タイプで「世の中にうまい話などない。」と信じ、堅実な道を選ぶタイプですが、この時ばかりは、「ケセラセラ?」と、明日できることは明日にしましょう、という気分になります。また、毎回新しい曲を始めるときには必ず、スター・ウォーズの『C-3PO』(金色の人形ロボット。動きが本当にぎこちない。)になったような気がします。新しい曲に対する指の不自由な感じが「よし、練習して克服してやろう!」というチャレンジ精神をもたらします。(キリギリスも、ロボットも「人物」ではないですね。)このなりきり気分は、太陽の動きとともに変化していき、スペインの古城を赤く染める夕日の下でギターを弾く青年になったり、ブラジルの海辺でボサノバを弾く老紳士になったり、と距離も年代も性別も、そしてギターの実力も!超越し、なかなか楽しいものです。
 こんな私の夢は、いつかフランス語の歌を弾き語りして、カーラ・ブルーニになることです!    拙文失礼致しました。                             
 
♪349エスプレシボ 7月号

長寿企業七つの訓え 竹内幸一

 今日も梅雨らしい雨が降っています。しかし、沖縄地方では梅雨明け宣言が出ましたので、この雨も、まもなく終わることでしょう。
 さて今回は、新聞で、長寿企業の記事を読んで、少し考えるところがありましたので、それを取り上げることにしました。大分県内には、創業100年以上の企業が、357社あるそうです。その中でもっとも古いのは、山本屋種苗店(1593年創業)だそうです。何と、徳川家康が江戸城に入った頃の400年以上前に出来たようです。すごい歴史ですね。
 創業100年を越す企業には、どのような共通点があるのか、そのデータをまとめて、「長寿企業七つの訓(おし)え」が発表されました。
 音楽院は、企業とはとても言えない零細個人企業です。しかし、少しは参考にしてもいいかなと思って、その訓えに沿って、音楽院の現状を見つめてみることにしました。
訓え その1、変化に向けた行動
 時代の流れに対応して、音楽教室がどう対応していけばいいのか、考えなければといけないと言うことなのでしょう。音楽を必要とする年齢層、経済状態の様子、暮らしの中での趣味の変遷等、きちんと捉えて、対応したいものです。
もう25年以上も前に、これからは中高年の時代だからと、「中高年の皆さんのためのギター教室」と言う取り組みをしたことがありました。その時に入会した方が、今も活躍してくれていることを思うと、しっかり現実を見て、具体的な対策を練ることが、どれだけ大切かが分かります。
訓え その2 顧客本位の徹底と実践
楽器を学ぼうとする皆さんが、どのようなことを求めているのか、はっきりとこちらが認識することで、喜んでもらえる対応が出来るかどうかが決まります。心を豊かにする趣味なのか、どんな曲を弾いて遊びたいのか、人とのふれあいや交流を求めているのか…それらをきちんと感じ取り、機敏な対応をすることが、生徒さんを大切にすることになります。
訓え その3 人的資源を生かす
講師の評価は、二つの面があります。音楽的な実力、それを教える能力、そして、何よりも生徒さんから信頼をいただける、誠実で包容力のある人柄が求められます。
いくら音楽のレベルが高くても、人間関係の構築がまずければ、生徒さんは去っていきます。しかし、信頼してもらえるいい指導をしていけば、生徒さんの弟や妹、または、親が仲良しの友人知人に、芋づる式に生徒さんが広がっていきます。一人を大切にして育てることが出来れば、自然にその枝葉が広がっていくのです。
すべてが優秀な先生を採用できるわけではありません。音楽院としては、現在来てくれている講師の皆さんを、どのようにしたら、より素晴らしい講師になってもらえるか、いろんなヒントを贈り続けることが求められます。それが人的資源を生かすと言うことにつながるのでしょう。
訓え その4 地域との共存共栄
講師の皆さんの中には、地域密着の、ボランティア演奏に取り組んでいる方もおられます。地域に根を張る上で、とても大切なことだと思います。
訓えその5 経営理念
行き当たりばったりで音楽院を約30年やってきて、今、はたと考え込んでいます。院長として、確固たる経営理念というものが、これまでなかったと言うことに気づかされました。
仕方がないので(笑),付け焼刃で、これからの経営理念を急遽考えました。
音楽院は「出会いを喜ぶ場」であり続けたいと思います。講師と生徒さん、そして講師や生徒さんどうしが、音楽院という場で、出会いの喜びを味わっていただけることを、経営理念の柱にしたいと思います。
講師の皆さんは、生徒さん一人ひとりとの出会いを喜び、その方の音楽人生に大きな贈り物が出来るように、全力で頑張ります。
生徒さんは、先生との出会いを喜んでもらえればと思います。何も知らなかった音楽の世界の広がりが、人生の財産になってほしいのです。また、コンサートや合奏で、様々な新しい人とのお付き合いが広がることも「出会いを喜ぶ場」として音楽院が存続していく大きな役割です。
訓え その6 「当たり前」の継続
生徒さんを大切にし、楽器をやさしく、楽しく教えるためには、日々勉強です。マンネリ化して退屈になった講師からは、音楽を育てる新たな情熱は生まれません。又、人間関係の糧になる、自分磨きの読書なども、プロの講師になるには欠かせないことです。それは、今日だけの特別なことではなく、人を育てると言う仕事を続ける以上、日々の継続が「当たり前」のことなのです。
訓え その7 自社への客観的な認識
恥ずかしながら、今回これを書いてはじめて、きちんと音楽院を見つめることが出来た気がします。まだまだ、穴だらけの甘い認識と思いますが、今日が新しいスタートの日になりました。
行き当たりばったりの、思いつき対応の、つぎはぎだらけの日々が、思い返されます。
しかしながら、この7つの訓えに出会えたのも、何かのご縁でしょう。額に入れて飾り、これからの支えにしたいと思います。どうぞこれからも「出会いを喜ぶ場」としての音楽院をよろしくお願いします。
連載その11
迷い犬
   高橋由紀子(声楽&ピアノ科)

 6月12日に職場に犬が迷い込みました。最初に見つけた人いわく、何度も追いやっても帰ってくるし、首輪をしているので飼い犬だろうから、どうにか家に帰らないかと近くの公園のところまで連れて行って離してみても、やはり帰ってくるそうです。
 犬が迷い込んだらしいと聞いたので、Facebookに載せようと写真を撮りに行きました。まだ幼さが残る柴犬と何かのmixのようでした。赤い首輪をしたとても人懐っこい子で、可愛らしかったです。
 ところが、もう保健所を呼んでいるとのこと。こういう事だけはホントに素早いというか、面倒な事はさっさと済ませたいというか・・・。今は三日で殺処分と聞きましたので、少しでも早く飼い主が見つからないかと思い、Facebookに掲載しました。すると、今までに見たこともないようなアクセス数とシェアの数がありました。
すべて殺処分を心配する声と誰か引き取り手がないかという心温まる声ばかりでした。また、こっそりと事務所の入口にポスターを作成して「よかったら使ってください」と置き手紙を置いて行ってくれた人もいました。保健所に問い合わせたところ、次の週に殺処分する動物管理事務所が来るまでは保護しますということでしたので、近くのお店や郵便局にもポスターをお願いしました。
保健所に押しつけた当の職場は「うちは関係ないから」とか「こういう掲示物は貼れません」とか散々でしたが、「それはかわいそうに」と貼ってくれる周りのお店の方々や「貼れる掲示物が決まっているので掲示は出来ませんが、何かありましたらお知らせしますのでポスターをお預かりしておきます」と言ってくれる郵便局の人など、いろいろな人間を垣間見ることになりました。
同じ所に何十年も勤めたり、公の職場でリストラに合うこともなく、ちょっと嫌なことがあると病気休暇を取得したりしてのうのうと過ごしていると、自分で考えるとか行動するとか、想像力もなくなってしまうのでしょうか。のうのうと暮らしているので、一見いい人っぽくは見えるのですが、ただただ軽蔑に値する人間達です。ただ、それ以上に今回は、いろいろと考えて行動する人達が多かったので、そういう人間達がかすんで見えたのが幸いでした。
 2日後には預かり主さんが見つかり、早々にその子を引き取ってくれました。保健所にも4件問い合わせがあり、その内の3人は預かりたいと申し出てくださったそうです。
 その後、預かり主さんのところで10日ほど過ごしました。動物病院で診てもらったところ、10ヵ月前後の女の子ということも分かりましたが、残念ながら飼い主さんは現れませんでした。
 それから、今後の事も考えて早めに里親を捜した方がいいだろうということで、子犬の譲渡会に連れて行ったそうです。そこで運良く里親になってくださる方が見つかったそうですが、なんと預かり主さん(お医者さんです)が以前努めていた病院のかかりつけのお子さんの家庭だったそうです。預かり主さんも知っている人に引き取られる偶然に驚いていましたが、これも必然なのかもしれません。たくさんの人の思いが導いてくれたような気がします。
 今回、この子のおかげで、犬の里親を捜すページや子犬の譲渡会など、少しでも殺処分などから尊い命を救おうと動いている人達がたくさんいることを知りました。もしペットを飼いたいと考えている方がいらっしゃれば、こういうサイトや譲渡会などをぜひ一度覗いてみて下さい。可愛いペットとの出会いもたくさんあると思いますよ。
退職して、思うこと
      笠木哲也(ルベックスペシャル)
 2、3年くらい前からだろうか、長年やってきた仕事が、少しづつ辛くなり始めた。残業が多くて仕事が終わった後は、疲れ果てて、ギターの練習も、音楽活動もままにならない。人生も残り少なくなってきているのに、仕事に追われる生活に終止符を、打とうと考えた。
 他にしたい事がまだあるのに、と言う気持ちも強くなってきたが、仕事をやめた後の生活は、大丈夫だろうか、と言う不安も、拭いきれなかった。
 色々と迷った末、思い切って、今年の3月いっぱいで退職をした。
 さて、これからは思う存分に自分の時間が取れる。慌てないでゆっくりとした有意義な時間を過ごそうと思った。
 しかし、思ったようにはいかない。最初の一ヶ月はいろんな手続きで、あっという間に過ぎていった。時間が自由に取れるので、気になっていた症状を医者に見てもらったところ、長年の使用で、かなりガタがきているらしい。
 5月に入ってからは、リハビリを兼ねてスポーツジムに通い始めた。有酸素運動をすると、血圧が下がることを、初めて体験した。かなり前から高血圧の薬を服用してたので、これは効果があると感じ、続けていこうと思った。
 5月からは、竹内先生が企画をしてくれた、6月の退職記念コンサートに向けてのギターの練習にも励んでいる。これが又、うまくいかない。
 まだ時間があるとタカをくくっていたら、またたくまに時間は過ぎて行き、間に合わなくなってしまった。
 在職中から、慰問などで結構ギター(エレキギター)は弾いているのだが、クラシックギターのソロは、かなり手ごわい。
 若い頃はもっと弾けてたような気がするがと、自己弁護をしてみるが、今になって振り返ると、やはり弾けてはいなかったのだと思う。
 指の訓練をかねて、以前練習した、カルカッシ教則本を初めからやり直してみると、かなり新しい発見をする。
 弾けないところも多い。でも楽しくなってくるから面白い。コンサートで弾く曲は、あまり負担のかからない曲を選んだつもりだったが、思うように弾けない。
 自由時間が増えて、ノンビリしすぎた。油断大敵である。
 コンサートが終わったら、ちょっと一息ついて、いろんな事が楽しめる人生を、過ごしていきたいと思います。
 
♪ 笠木哲也 退職記念 コンサート ♪
平成24年6月24日(日)午後3時〜
ライブハウス・竹の里 主催・スペシャル
<コンサートプログラム>
■第1部 ルベックスペシャル有志によるお祝い演奏 
1.魔笛の主題による変奏曲・茶色の小瓶・・・  竹内 幸一
2.コンドルは飛んでいく 他 新山 俊則
3.ラブ イズ オーバー 他 手嶋 修一
4.マリア・ルイサ・・・・ 時田 好弘
5.さくら変奏曲 ・ チェロ組曲よりプレリュード・・・・・・・竹川 敏彦
6.フェリシダージ・
タンゴアンスカイ ・・・・溝口 伸一
7.パッサカリア(ヴァイス)・川の流れのように・ディアハンターのテーマ(マイヤーズ)・・・・・・・・・・竹内 竜次
■第2部 笠木哲也コンサート 
1.日本の童謡 (ギターソロ・笠木哲也)
  花かげ・おぼろ月夜・うれしいひなまつり・浜千鳥 あの子はだーれ・月の砂漠・夕やけ小やけ・上を向いて歩こう
2.ギター二重奏 (高野一男&笠木哲也)
    マズルカ (タレガ)ロシアの思い出(F.ソル)  Intoroduction  
3.古賀メロディー (ギターソロ・笠木哲也) 湯の町エレジー・影を慕いて
4.船村徹メロディー (ギターソロ・笠木哲也) 乱れ髪・別れの一本杉
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