エスプレシボ 342
 
Aさんのこと
                竹内幸一
 11月の終わりに、33回目の魅惑のギターステージが、沢山の方のご協力で、今年も無事開催できました。ご出演の皆様、そして会場で応援してくださった皆様、いつも変わらないご支援有難うございました。

 やれやれ、今年最後の大山を越えたと安堵していたころ、愕然とする喪中はがきが届きました。

 年末に、喪中はがきが届くのは、毎年の恒例のことです。それはたいがい、知人、友人の祖父母など、私の知らない方がお亡くなりになったという知らせです。

 しかし、その中の一枚に、「8月に、夫**が永眠いたしました」という文字が眼に入り、息を呑みました。体が硬直しました。

 今月は、別のことを書こうという心積もりがあったのですが、なんとしてもAさんを追悼することを書かねばと、合掌しつつパソコンに向かっています。

 もう、古い話ですが、私は、21歳で病院を出てからギターにたどり着くまで、10年ほど放浪していました。先は見えなかったのですが、どこかに自分の夢をかけることがあるはずだという思いで、漂流していたのです。

 そのころ幻の中の光を求めて、職場を3回変わりました。1回目の職場は4ヶ月ほどでした。日給が600円という仕事でした。今では、バイトで時給700円というようなほど変わっていますが…

 そこをやめて、大分の古国府にある会社に縁あって2度目の職場を見つけました。Aさんとはそこで出会い、これまでいろいろとお付き合いが続いていました。

 Aさんは、印刷物のデザインや版下作りの仕事をしていました。同じ部屋で、私は写真植字機という機械で印刷文字をタイプし、出来上がればそれをAさんにまわします。Aさんはその文字の印画紙を切り貼りし、印刷物の元が出来上がり、それを撮影、印刷という流れの作業が続きました。

 そこでは、日給が千円になったという喜びもありましたが、やはり満たされない日々でした。思い立って、近くにある上野が丘高校内の通信制の高校に行ったりもしていました。

 その高校で、「ぶんご」という冊子を作ったことがありました。その表紙に、Aさんが精密な豊後梅の絵を描いてくれました。この方の絵は、実に細密で、毎年いただく年賀状を見てよく感嘆したものです。
 年賀状には、猿など、動物の絵を描いているのですが、その毛の一本、一本が、丁寧に、丁寧に、どれほど時間をかけただろうと思わせるほどの労作でした。その根気と、絵を仕上げる情熱には、怖ろしいほどの気迫がありました。

 また、ギターの椅子のことも忘れられない思い出です。ギターを弾くときの椅子の高さが、どうも合わないという話をしたところ、「じゃ、合うのを作ってあげるよ」というのです。材料を買ってきて、鋸で切り、釘を打ち、私の好みの高さの椅子を作ってくれました。仕上げには、黒いペンキを塗って、完成させてくれたのです。

 どうして、こんなに良くしてもらえるのだろうと、不思議に思うほどでした。当時、7回ほどふらふらと引越しし、その黒い椅子も一緒に動いていましたが、いつの間にか、見当たらなくなりました。申し訳ない限りです。

 そんな日々の中、Aさんは、いつも話し相手になって、いろんな相談に乗ってくれました。「あんたは、こんなところで埋もれる人じゃねえ」と、よくそんな過分なことを、まるで暗示をかけるように言っていただきました。そんなありがたい応援があったればこそ、今の私がある気がします。

 ホップ、ステップ、ジャンプと3度目の職場へ移ることができたのは、Aさんのお陰でした。同業他社への移動は、あまり喜ばれることではないのですが、Aさんが、新しい就職先の会社の社長に話をつけてくれて、また別府に戻ることになったのです。そのお陰で、この別府を拠点として暮らすことになり、たぶん、ここが終の棲家になることでしょう。

 その職場では7年ほど働きましたが、やはり止むに止まれぬ内面の思いが膨らみ、夢へ向けて、ゼロからのスタートをしたのは、28歳のときでした。ある程度の収入を捨てて、楽器店でギターを教えるというスタートをしました。生徒が10名ほどになるのに、3,4年かかりました。

 あれから、約30数年、さまざまなことがあり、沢山の方のご協力で、今年33回目の定演を開くまでに至りました。

 仕事柄、行事をすると時折新聞に記事が出ることがありました。そのたびに、Aさんから電話をいただきました。まるで自分のことのように、嬉しそうに、「私も嬉しい、何かをやる人と思っていた」と、明るい声で喜んでくれました。

 時折、別府に出てきたからと、寄ってくれることもありました。そういえば、最近、声を聞かないなと何となく思っていましたが、こんなことになっているとは・・・、知らないままで、申し訳ないことをしてしまいました。一度でもお見舞いに伺いたかったのに・・・。
 明日11月27日の日曜日には、お参りに寄せてもらおうと思っています。いろいろと長いこと、本当に有難うございました。大きな心の中の支えを喪い残念でなりません。心よりお礼を申し上げ、ご冥福をお祈りします。合掌。

連載その5
 血のりとこり
       高橋由紀子(声楽&ピアノ科)

 仕事柄、毎日パソコンを10〜14時間ほど見ている状態です。作業に没頭している時は、一度も席を立たずに3時間ほど同じ姿勢で作業をしていることもあります。それに伴い身体にもいろいろな弊害が出てきています。首、肩、背中のこり、腰痛、股関節の痛み、手首の痛み、頭痛、目の疲れなどです。
 いろいろな症状の中で目に見えて一番びっくりしたのが、結膜下出血を起こした時です。朝起きて鏡を見ると、白目にべったりと血のりのようなものがついていました。何が起こったのか分からず、打った?殴られた?何かした?と、寝ぼけた頭で記憶をたどるばかりでしたが、もちろん何かをした覚えもありません。痛みもなく、血がしたたるわけでもないので、まずネットで調べてみました。症状から結膜下出血のようで、放っておくと1週間ほどで出血部分がなくなると書いていました。ひとまずホッとしたものの、一応、病院に行って診てもらいましたが、先生にも心配いりませんよと言われ、目に栄養を与える目薬を処方されただけでした。目を酷使し結膜下の毛細血管が切れたのが原因のようですが、充血は日常茶飯事でも、真っ赤な血のりのようなものが白目にあると鏡を見るたびに、ぞっとしました。本人以上に回りの人たちも気持ち悪かったようです。その後、また同じようなことが起こったのですが、2度目は慣れたもので、何もせずに放っておきました。慣れていいものでもないと思うのですが・・・。
 また、今年は特にこりを感じた年でもありました。こりすぎて気分が悪くなったり、眠れなかったりという時もありました。「こり」とよく言ったものだと思うのですが、触ると固まっている部分がこりこりっとしていて、揉まれるとこりこりっと音がするような気がします。揉み上手の友人曰く、首から肩はもちろん背中までこり固まっているようです。
 さすがに、たかがこりと放ってもおけないので、こりに効きそうな事をいろいろと始めてみました。
 まず、全身のリンパマッサージを経験しました。マッサージ自体経験がなかったので、最初はどんなものかと思ったのですが、施術後は、身体が軽くなったような感じで、とても気持ちよかったです。最初、リンパが詰まっている辺りを揉まれると痛くてたまらないのですが、そのうちリンパが流れてくると痛みもなくなり、うたた寝しそうなぐらいの気持ち良さでした。ただし、1週間もたたないうちに、また、体が固まってくるのと、ほぐれるまでは何度か通わないといけないという事を考えると、時間と費用の面で、なかなか続けるのは難しいです。
 次に、よもぎ蒸し。女性特有の疾患などに効果があると言われるよもぎ蒸しですが、身体を芯から温めることによって、筋肉もほぐれるのではないかと思い始めました。これも最高に気持ちいいです。汗だくになるまで蒸されてシャワーを浴びるとスッキリします。使用したよもぎにはいろいろな薬草もブレンドされていて、香りも良くアロマ効果もあり、心身共にリラックス出来ます。これは自宅用に購入しましたので、いつでも好きな時によもぎ代だけで出来ます。美容もかねて続けていけると思います。
 あと、夏からシークヮーサーのジュースを飲み始めました。酢は疲労回復効果や血行促進効果で筋肉のこりをほぐすとも言いますし、酸っぱいつながりで飲み始めました。実際、数値的に計った訳ではないので何に効いているかは分かりませんが、身体にはいい感じなので、これも続けていくつもりです。
 などなど、身体のこりをほぐすのにいろいろとやっていますが、要はこまめに身体を動かすことが一番です!ただ、それが分かっていてもなかなか出来ない状況なので、プラス自分に合ったこりに良さそうなことを探している状態です。
 これから寒くなると、ますますちぢこまって身体もこり固まってきますので、自分に合った方法でこれからもこりと向き合っていきたいと思います。


想い出の履歴
      甲斐 晶子 (トキハ文化教室)
 昭和35年1月に結婚。主人も私も無職でしたが、生活の心配などしたことは有りませんでした。ところが同年3月、突然姑が北浜に有る旅館を買収。夫は三男でしたが私達が姑と旅館業に従事することになりました。
 公務員の家庭に育った私は、全く未知の世界に入り、その日からの苦労はお話になりません。ひたすら止まることのない仕事の渦に巻き込まれ、いつの間にか51年が経っていました。
 仕事から離れて半年が過ぎた今年4月、ギター教室を訪ねました。先生をはじめ、諸先輩の皆様方には、高齢の私に驚かれたことでしょう。
 年のことは考えていなかった私も、ギターの学習をしながら、9月9日、教本「おもいで」の和音の練習に入りましたのに、音が出ません。「どうしよう」と、すごく戸惑いました。
 ケンショウエン、指曲がり病と、年老いた指が障害になったようです。ギターを弾けないかも知れないと不安になりました。が、外出先でふと見たテレビの画面に、手首のない少年がギターを楽しそうにひいているのを見た時、使い古した手だけれど何とか音を出してみよう。時間の有る限り、ギターと過ごしました。
 9月30日の教室の日に、きれいな音ではありませんが、「よく練習しましたね」とお褒めの言葉をいただきました。とっても嬉しい瞬間でしたが、次のハードルはもっと厳しいと気持ちを引きしめています。
 実は、残り少ない時間にあせっている自分を感じていますが、最近流れてくる音楽の中に、ギターの響きを探していることにも気がつきました。
 思えば、昭和23年頃巡業に来たバタヤンこと田端義夫の「帰り船」
 昭和33年頃、プレスリーがヒットさせた「ハートブレークホテル」 エレキギター?
 昭和39年古賀メロディーでギターを弾きながら夜の別府を流す男達。
 私のギターの想い出は演歌ですが、誰もが身近に感じながら手にすることの少ない楽器に、幾星霜を経てやっと辿りついたようです。
 ご迷惑をおかけするかもしれませんが、ギターと共に美しく年を取っていけたらと願っています。
 
サンシティー音楽院 ご利用のきまり
連載その1
 皆様に音楽院を気持ちよくご利用いただくために、下記の決まりを設けています。皆様のご協力をお願いいたします。
1.音楽院への入会金 2,000円
2.月謝について
*納入時期 前月の末日までにお願いします。(来月も受講しますという意思表示にしたがって、講師は翌月のレッスン時間を空けて、生徒さんをお待ちしています)*前月末までにお休みのご連絡をいただければ、次の月の月謝は頂きません。
*月謝金額は、科目、担当講師、進度によって違いがあります。
*月謝は郵便通帳よりの自動引き落としも出来ますので、ご利用下さい。小さな子どもさんに現金を持たせなくて済みます。通帳に、きちんと月謝支払い記録が残ります。どこの郵便局でも、サンシティー音楽院と言っていただければ手続きが出来ます。
 

音楽だより♪343 
エスプレシボ 新年号

あヽ青春の胸の血は…
                竹内幸一
 2012年1月1日の朝8時半です。皆様、明けましておめでとうございます。1年の初仕事に、この新聞に取り組みます。また一年、この新聞を絆に昨年同様のお付き合いをお願いします。

 さて、今回のタイトルは「あヽ青春の胸の血は」です。このタイトルをご存知の方は、たぶん私と同じように、50年程前が少年、少女だった方でしょう。若い方にはなじみが無いと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。

 私の車の中の物入れに、一本のカセットテープがあります。よく覚えませんが、もう20年ほど前の古いもので、パッケージの印刷が色あせています。どこかのドライブインで、トイレ休憩中に買ったものです。そのテープの名前は「舟木一夫ベスト・高校三年生」です。普段車を走らせている時は、8枚入っている音楽や物語のCDを聴いています。しかし、半年か1年の間に、ふとこのテープを聴きたくなる時がやってくるのです。

 昨年の終わりに、ヘルペス(帯状発疹)に罹りました。首の周りや顔に小さな赤い吹き出物が出来ました。ダニにでも刺されたのかな?と思って放っていたら、次第に発疹は大きくなり、根が深まり、痛みがズキズキと奥に刺さりこんできます。

 病院嫌いの私は、歯医者以外には、めったに行きません。しかし、「この痛みは尋常じゃない?ちょっとやばい」と、自分から保険証を引っ張り出してきたのです。(家人から、さっさと病院に行くとは…と妙に感心されてしまいましたが…笑)

 何事だろうと、内心とても不安な気持ちで診察を受けたのですが、医者はこともなげに「あ、これはヘルペスですね」とごくありふれた感じで言いました。病名がついて、飲み薬と塗り薬が出て気持ち的には、ホッと安堵しました。しかし、首の周りのキリキリ、じくじく、むずむず、ヒリヒリ感は続きます。シャツの襟がそこに触るととても痛いので、亀のように首を前に出したまま動けません。

 そんな折でした。2度目に病院へ行く車の中で、ふとこのテープを聴きたくなったのです。テープには、当然、高校三年生、そして、修学旅行、学園広場、仲間たち、あヽ青春の胸の血はなど、いわゆる「学園ソング」が12曲入っています。

 これらを聴いていると、なぜか分からないのですが、張り詰めた何かが少しずつ溶けていきます。気持ちの中の重い霧が晴れていく感じがするのです。揺りかごに揺られているような・・・そんな気分でしょうか?

 ♪離れ離れに なろうとも クラス仲間は いつまでも・・・♪二度と帰らぬ 思い出乗せて・・・♪空に向かって あげた手に 若さがいっぱい飛んでいた・・・♪涙をこぶしで ぬぐっていたら・・・♪帽子まるめているあいつ りんご齧っているあいつ・・・♪溢れる若さあればこそ 未来に向かい われら立つ・・・・・・そんな歌詞が続きます。

 それらの歌声は、50年前の少年、少女の成長と同時進行で歌われたものです。いわば青春の子守唄みたいなものと言ってもいいでしょう。
 それぞれの時代に、それぞれの年代の方が、50年後に思い出す曲が、やはりあることでしょう。若者に受けなければ、流行歌はヒットしないのでしょうから。

 それにしても、最近の紅白には(個人的にですが)知っている曲がほとんどありません。時代に取り残されている感じもして、眠くなるばかりです。裏番組の教育テレビのクラシックハイライトのほうは、知らない曲でも感動がありますが・・・。

 もう化石のようなものですが、私が初めて買った45回転(なつかしい)のレコードは、忘れもしません、舟木一夫の「仲間たち」でした。ほんの小さなポータブル電蓄から流れてくる声を、何度聴いたことでしょうか。そのお陰で(笑)「仲間たち」は、ギター仲間と時折行くカラオケの数少ない貴重なレパートリーになっています。(やはり幼いころの耳からの刺激は大事ですね。このころもっとクラシックを聴いていれば…など思いますが、当然、もう手遅れですね)

 このカセットテープを時折聴いていると、50年前を鮮明に思い出します。そして、あのころの自分と今の気持ちにあまり変わりが無いような気さえもするのです。「君たちがいて僕がいた」と言う歌の中に♪大人になるのは こわいけど…と言う歌詞があります。

 このテープに浸っていい気持ちになるのは、ひょっとしたら、まだ自分は大人に成っていないからではないか?と思うこともあります。暮らしていく中で、周りの方の行動やひとことに、深い思いやりを感じて、この方、大人だなあと感動することが良くあります。それに引き換え、この自分の不用意な発言や行動に、悔いることの何と多いことでしょうか。(反省!)

 しかしながら、今日は新年のスタートです。せめて気持ちだけでも♪溢れる若さあればこそ 未来に向かい われら立つ……ですね。どの方も、人生で、今が一番若い。そして生きている限りは、私たちの前に未来があります。背筋を伸ばして、新しい年を共に歩いて行きましょう。

連載その6
 東京
       高橋由紀子(声楽&ピアノ科)

 3年前に姪が東京の大学に進学をしたのをきっかけに、毎年、東京に出掛けるようになりました。
 それまでは東京にはあまり縁がなく、21歳の時に資格を取るのに1ヶ月ほど滞在したことと、ディズニーランドへ遊びに行く際に少し立ち寄ったぐらいでした。
 それに東京というとあまりいい印象がなく、遊びにだけ行こうとは思わなかったのかもしれません。お財布をすられたのも東京だし、駅の出口が分からずに迷ったのも東京だし、四方八方からくる人の波に恐怖を感じたのも東京だし、東京のイメージとしては、人が多くて、ごみごみしていて、危ないところというイメージが強くありました。
 しかし、ここ何回か東京に行く度にそのイメージが変わってきました。年齢を重ねた分、見え方も変わってきたのかもしれません。
 いろいろと歩きまわって思ったのですが、思っていた以上に緑が多いということでした。
 姪の通っている大学は三鷹市にあります。都心からは少し離れていますが、東京ドーム13個分の緑豊かな敷地というのに、まず驚きました。正門を入ると向こうが見えないほど長く続く、約600メートルの直進の道路があり、その道路の両脇には幹の直径が70〜80cmくらいありそうなりっぱな桜並木が続いていました。別府も桜の美しい場所が多いと思っていましたが、これほど幹の太い桜並木は見たことがありません。構内も木や森が多く静かで、空気も違うような気がしました。そこにいると東京にいるのを忘れるぐらいの心地良さでした。
 それと同じような感覚を受けたのが、明治神宮でした。明治神宮は東京の渋谷にあり、近くには原宿、表参道と若者達がにぎわう場所があるのですが、一歩境内の中に入ると、空気が変わり、静けさが待っていました。どうしてこんなに静かなんだろうと不思議に思うぐらいに静かで、心が落ち着く場所でした。
 その他に東京駅から皇居周辺を歩いた時も、赤坂から六本木、東京タワー、都庁周辺を歩いた時も、常に合間合間に緑がありました。見上げるばかりの高層ビルを眺めていても、必ず側に緑があったり、狭いながらも洒落た休憩スペースがあったりと、楽しく街を歩くことが出来ました。
 それから、東京にはたくさんのすばらしい美術館や博物館があるので、必ず何カ所か見て帰るようにしています。展覧会などがなくても常設展でも十分に見応えがあり、大きな館になるとスケールの大きさや展示物の多さ、内容に圧倒されます。上野の国立西洋美術館と国立科学博物館を二本立てで見た時は、時間が足りず、最後の方は駆け足で見るはめになってしまいました。国立新美術館を見た時は、いくつもの展覧会の中の一つを見たのですが、それでも2時間ほど掛かってしまい、他のすべての展覧会の広さを考えると、その大きさに驚いてしまいました。
 一流のものを気軽に見られる贅沢さ、羨ましい限りです。九州だと、福岡がやっとでしょうか。美術館や博物館と連携している大学の学生は、無料もしくはかなりの割引で観覧出来るので、姪にも学生の間にあちこちと見て回るように勧めています。
 まだまだ、見てみたいところ行ってみたいところが次々に出てくるので、かなり東京が好きになってきたんだと思います。
 江戸時代から続く都の文化や洗練された街並みはさすがだと思います。また東京の人のおしゃれの仕方やスマートな身のこなしやマナーの良さにも感心します。
 山あり海あり温泉ありの大分でのんびり過ごせるのも贅沢だと思いますが、それはもう少し先の話で、まだまだ井の中の蛙にならないように、広い世界に出て刺激を受けることが大切だと感じています。
 いつまでも柔らかい脳で、すばらしいなあと思うところは、素直に吸収していける柔軟さをこれからも持ち続けたいと思います。

オンチの挑戦
      穴井 靖人 (トキハ文化教室)
 
小学校に入学する以前から、私は音痴と言われていた。自分ではそんなつもりでは無いが、何かを歌う度に「お前はオンチだなあ」と言われ、だんだん自信も無くなった。
 小学校、中学校と進むにつれて音楽の授業は苦痛そのものであった。校歌や運動会の応援歌などみんなで歌うときは良いが、時に一人で歌わなければならない時は、小さな声で何とかごまかしたり拒否したりした。当時は人数も多く、歌えなければそれで済まされていた。
 中学生のある時、順番が回ってきて仕方なく、それでも一生懸命声を張り上げて歌ったのに、先生からはふざけていると思われ、皆の前でひどく叱られた事があった。それからは、音楽に対する関心は全く無くなって行った。
 高校を卒業し、東京で学生寮の生活をするようになって、暇をみては以前から興味のあったラジオやアンプの製作(と言っても簡単なもの)に熱中するようになり、音楽を聴く楽しさを味わった。自分の作った機械から音が流れる楽しさ、高音、低音が調節できる面白さに心が躍った。
 小遣いに少しでも余裕が出来ると、秋葉原に走って行き真空管やコンデンサーなどの部品を買って夜を徹して組み立てた。そして音質を試すために歌謡曲やセミクラシック等のレコードも買って聴いて楽しんだ。
 その楽しみは就職してもしばらくは続けたが、時が経つにつれて真空管の時代は終わり、音響機器も高度なものになり自作は追いつけなくなった。既製品を買って音を楽しむ時代に移って行った。
 その後、カラオケの流行期に入り、我が家でもカラオケ装置を買い求め人の集まる度にテープを回したが、自分ではオンチの自覚があり満足には唄えなかった。しかし、若い日に聴いた自作のスピーカーから流れる音楽の記憶はなつかしく心を熱くするものがあった。
 大人の世界に入って、様々な場面で酒を飲んではカラオケを唄わなければならない事も多くなり、酒を飲んでいると、なんとかオンチを克服することができるような気もし、唄う事の楽しさも感じるようになって来た。
 演歌のメロディーで流れるギターの音は特に心に響いた。そして、恐れ多くも自分でギターを弾けないだろうかと思っている時に、文化教室の事を知り初歩からの挑戦を始めました。
 高齢になってからの素人には無謀な挑戦かも知れないが、可能な限り努力を続けたいと思っていますのでよろしくお願い致します。


音楽だより♪344 2月号


芋粥          竹内幸一
 1月の終わりの今朝は、気持ちの明るくなるような日差しが窓に溢れています。寒さは厳しいですが、この日差しで、固い木の芽もほころんでくるのではないでしょうか。芽吹きが楽しみですね。
 さて今月は、芥川龍之介の短編小説「芋粥」から話を広げてみたいと思います。教科書にも出てましたので、この作品をご存知の方は多いことでしょう。平安朝の時代に、ある下級武士が当時高級品で一般庶民にはなかなか口にできなかった芋粥(山の芋を切り込んで、甘葛の汁で煮た粥)を、腹いっぱい飲むのを夢に見ていたお話です。
 ある正月の宴会で、その武士は、ほんの一椀だけの芋粥を口に出来ます。そのとき「いつになったら、これに飽ける事かのう」と空の椀を眺めてつぶやきます。それを耳にした上役の藤原利仁が「太夫殿は、芋粥に飽かれたことがないそうな」と、自分の館のある越前の国まで連れて行き、芋粥をご馳走することになるのです。
 殿の命令で膨大な山芋が集められ、5つ程の大釜に芋粥が作られているのを見ただけで、夢に見ていた武士は、萎えてしまうのです。「芋粥を食う時になるということが、そう早く来てはならないような心持がする」「せっかく辛抱していたことが、無駄な骨折りにさえ思われる」
 「どうぞ遠慮なく」となみなみと注がれた椀を出されるのですが、半分ほどを汗びっしょりになりながら飲み、武士は、後の追加を必死の思いで断ったのでした。「芋粥に飽きたいという欲望を、ひそかに只一人大事に守っていた、幸福な彼」はもういなくなりました。
 今、私自身がこれと同じようなことを味わっていますので、(少し自慢話になり申し訳ないですが)そのことを書かせてださい。
 ある文学サークルの機関紙に、短いエッセイを連載しています。1974年の9月15日に第1回目を書いています。もう38年ほど前のことになります。その連載が、200回になり、300回になるたびに、「1000回を目指すぞ」と自分に言い聞かせ、積み重ねが好きな私の、内面の大きな楽しみでもありました。
 600回や700回の節目でも、そう思っていました。その当時は、1000回への高い壁ははるかかなたの遠くにあり、頼もしいがっちりした目的でした。
 ところがいつしか日は過ぎ、それが現在、990回まで来てしまいました。順調に行けば、今年中には1000回という大台に行くかも知れません。しかし、なんだか、今、心の中が「芋粥」状態なのです。あれだけ楽しみに、自分を励ますエネルギーにしてきたのに、不思議といえば不思議ですが、その日が簡単に来てほしくないような気分なのです。大台到達が、ある種のさびしさ、虚しさに結びつくような気がしているからです。
 1001回を書いたところで、周りにどんな変化があるでしょうか?「それがどうした」と、同じような日常が、延々と続いていくばかりです。それから、私は、内面で何を励みにして書き続けたらいいのでしょうか。
同じような意味で、この新聞もあと16回で360号になります。毎月の30年連続発行が、来年の春には達成できるかもしれません。しかし、多少のお祝い騒動があったとして、また、同じように361号に取り組むことになります。
来年は、ルベックの魅惑のギターステージも35周年の記念の会になります。音楽院の春の音楽祭も30周年の記念の会になります。
しかし、そのどれもこれも、「やったあ!万歳」と終了できるものではありません。完結の日ではないのです。また次の1回を積み重ねていくばかりです。
ちょっと大げさになりますが、人生とはなんだろう?幸福とはなんだろうと、またしみじみ考えてしまうのです。
小説の中で名前もなかった、某という赤鼻の下級武士は、死の床にあるとき、この芋粥体験のことをどう思うでしょうか。上役からあざ笑われ、子供からも馬鹿にされた貧相な人生。そんな暮らしの中で、「芋粥に飽きたい」という夢を持ち続けて生きたほうが幸せだったと思うでしょうか。それとも、とにもかくにも、「あの時、藤原利仁殿のお陰で、芋粥に、飽く事が出来た」と、苦笑しながら思い出すでしょうか。
昨年の大晦日に、私は次の俳句を作りました。
つつがなき 日々も果てあり 年惜しむ
いろいろな回数が積み重なり、節目を迎えられるということは、本当は、とても幸せなことだと内面では理解しています。とても贅沢な思いで、この現実を捉えているので、この芋粥のような記事になったのでしょう。ひょっとしたら、天の神様の恩恵に対する感謝や畏敬の念の足りない、不遜な思い上がりの自分なのかもしれません。
つつがない日々も、いつか終わりが来ます。一年一年を、そしてどの回も一回一回を大切にしなければと肝に銘じています。もしかして3年後か、あるいは8年後か、誰にも分からない終わりの日がやって来ます。そのとき、「何が残ったわけでもないけど、1000回書いたんだ。まんざら捨てた人生でもなかった」と、微笑んでその日を迎えられればと念願しています。気持ちを新たにして1000回の峰を目指し、そのあとも何とか乗り越えて行けたらと思っています。
 

第7回 新春俳句大会開催 
 皆様ご協力有難うございました。お蔭様で、今年も盛大な俳句会が無事終了出来ました。
 激戦の戦いを勝ち抜いた皆様おめでとうございます。選評を読むと、句の良さがまた改めて分かります。どうぞ秀句を味わってみてください。
 
 <個人得点ランキング>
(応募いただいた個人の3句が、どれだけ選句されたかの合計)
1.龍女さん            21点
2.ぶんぶんさん         16点
3.美空さん& コケーさん   15点
4.笑風さん            10点
5.れもんさん&はなかっぱさん 9点
 
【一席】
蜜柑むく 手のゆるゆると 母卒寿
                    (コケー) 15点
 特選  年を重ね 握力も弱ってきた母の ゆっくりとした手の動きがこれまでの人生と重ね合わさって 作者の母への愛情と感謝を感じます。(笑風)
 特選 ご長寿をお慶び申し上げます。「ゆるゆると…」の表現に、激動の時代をまっすぐに生きてこられたご母堂様の訓えに対する、作者の尊敬と感謝が感じられ感動しました。ご健勝をお祈りいたします。(秋虹)
   特選 お母さんを見つめるまなざしの温かさが、この句を生みました。(ぶんぶん)
 準徳選 母への深い思いやりがいっぱいです。 (京)
 並選 老いた母の蜜柑むく手は遅く、しかもやや震えている。元気であってくれるだけでうれしい。 (十遍捨逸句)
 並選 90歳のお母様にそそぐ優しい眼差しと敬意。”手のゆるゆると”に癒されます。(れもん)
並選 お母さんに注がれる 優しい眼差しが 良いなぁと思いました 。( ごん太)
並選 卒寿のお母様のゆったりとした動 作に健やかな生活が思われます。(はなかっぱ)
【二席】
日向ぼこ 気のいい猫と 座を分けて
                     (龍女) 14点
 特選 気のいい猫」という表現に思わず微笑んでしまいました!!(春)
特選 なにか、ほのぼのとしてきます。きっと日だまりをねこにわけてもらったような。(葉ボタン)
準特選 「座を分けて」がいいですね。譲ったり譲られたりの思いやりの心が、気持ちを温かくします。(ぶんぶん)
並選 屈託のない暖かさですね。 (京)
並選  気のいい猫、可愛さ倍増ですね。仲良く日向ぼこしている穏やかな時間、平和な日常の風景。(はなかっぱ)
並選 猫より犬が・・・・と思っていたがこんな猫もいい。(香)
並選 ほんとうに猫は居心地の良い穴場を知っているなと感じます。(れもん)
並選 小春日和ののどかな縁側で 飼い猫と並んでゴロゴロとしている ゆるゆるとした時間がうらやましいです。(笑風)
並選 おひさまのぬくもりを仲良く半分こ。ほのぼのとします。今年も猫ちゃんにとって良い年でありますように。(秋虹)
 
【三席】
母在れば ふるさとの谷 淑気満つ
                  (ぶんぶん)13点
特選 一度聴いたら忘れない一句、五七五それぞれが響き、まさに淑気に満たされるようです。(コケ一)
 特選 久しぶりにみる故郷の谷 今は亡き母が遠くにいるようで・・・情景が浮かぶ秀句(香)
準特選 幾つになっても母親への思慕は深いものですね。新年の朝、やはり心を寄せるのはお母様の事ですね。(れもん) 
準特選 母上がご健在なのですね。羨ましいです。(龍女)
準特選 ふるさとのお正月、母の周りに集まって、お正月気分は盛り上がります。母親にはいつまでもこの世にあってほしいですね。
お母さんのいないふるさとなんて。(春よ来い)
並選 だんだんアラ還の時期を迎え親の居るありがたみをひしひしと感じます〜いつまでも貴女の子どもでいたいと願う気持ちが出てると思いました。(笑風)
 
【次席】
弾き初めや空気に音の生まれけり
(美空)9点
準特選 年の初めの魂の一音。より良い音を求めて奏でる緊張感が伝わります。(秋虹)
 準特選 冷たくて寒々しいツーンと静かな冬の空気の中にポーンと響く音色がはじけて生まれていく。その様子が「生まれけり」という言葉の中にあると思う。(彩) 
準特選 うまい表現だと思いました。音楽と共に暮らす一年が始まりました。 (はなかっぱ)
準特選 たぶんギターのことでしょうが弦が音を出すのではなく空気から音が生まれるという表現にしたところに新鮮さと謙虚さをかんじます。(連山)
並選 いつもと同じなのに 何か違う わかります!(香)
 
【入選優秀句作品集】 その 1
 
嫁方の 雑煮味わう 新家族 (れもん) 7点
特選 雑煮はそれぞれの家庭によって作り方や味が違うもの。 今年は結婚後初めてのお正月。嫁さんの家の流儀の雑煮を初めておいしく頂いた。初々しく、明るい正月風景が描けた。(十遍捨逸句)
準特選  美味しいけど、ちょっと今までの雑煮と違う味かな?受け入れることでまた家族の輪が広がっている温かさが素敵です。(美空)
並選 おいしかったのでしょうか(連山)
並選  昔を思い出しました。「○子の雑煮は美味しいね」と新婚の夫。そばにいた姑の複雑な顔。身の置き所のなかった新妻の私。(春よ来い)
 
冬晴れの吾子の残り香布団干し (笑風) 6点
特選 お正月久しぶりに吾子が帰って来た。でもあっという間に都会の生活に戻っていってしまった。 冬晴れの布団干し吾子の残り香・・母の愛と切なさ・・(春よ来い)
準特選 冬の間は布団を干せる日差しに恵まれないが、今日は絶好の布団干し日和だ。ほのかに我が子の匂いがする布団、母親にしか感得できない幸せなひとときである。(十遍捨逸句)
並選 晴れ晴れした冬の日、お母さんかおばあちゃんが帰省した孫または子供の布団を干してあげていると「わーいい気持ちだな」と思いながら微かに残った子の香りにつつまれる。 「う〜ん」なんだか幸せになる句(彩)
 
きらきらの 長き爪もて 蜜柑剥く
                     (龍女)6点
特選 蜜柑とキラキラの爪とのコントラストがとても良かった。お里帰りでしょうか。蜜柑の温かさと素朴さが際立っています。(美空)
並選 蜜柑剥いてる姿が想像できます。剥きづらいでしょうし後の手入れも大変でしょうに。そんな光景をよく俳句にしたと思います。(連山)
並選 若い女性の指、きれいでうっとり見とれてしまいます。そんな光景が浮かんできました。(作者とは違った見方かもしれませんが・・)(コケー)
並選  きっと若いオシャレな女性なんでしょうね  誰のために蜜柑を剥いたのかしら?(ごん太)
 
(全入選句は、順次掲載していきます)
 
 
 
 



 



 
 
 
 

♪345 エスプレシボ 3月号

====3つの初心   竹内幸一
 寒い日が続いています。皆様お変わりないですか。昨年までは、暖冬とかで、冬の寒さをあまり感じなくなっていましたので、長い寒さが辛いですね。でも3月の声を聞けば、春の日差しが溢れてくることでしょう。楽しみですね。
 さて今月は、能の大成者「世阿弥」の書き残した「花鏡」の中の「初心忘るべからず」を取り上げてみました。世阿弥というと「風姿花伝」が一番有名です。実は、この中の「秘すれば花」について書こうと思っていたのですが、文献を読めば読むほど頭の中が混乱(笑)してきましたので、急遽今月は方向転換したしだいです。
 世阿弥の書き残しているものは、能役者としてどうあるべきかという様々な芸術論ですが、それは音楽の道にも通じることがたくさんあります。
「初心忘るべからず」にもいろいろ考えさせられることがありましたので、それをお伝えできればと思い、取り上げることにしました。
 初志貫徹(初めに心に決めた志を最後まで貫き通すこと)という言葉があります。私もそうでしたが、現在、これと混同している方が多いようです。しかし、世阿弥の言う「初心忘るべからず」は少し違うのです。
 世阿弥の唱える初心は、3種類あります。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。
 初心という言葉は、「初心者」「初体験」という言葉に置き換えてもらえばいいかと思います。
では、私のギター歴?に沿って、3つの初心の内容を少しご紹介してみましょう。
●是非とも初心忘るべからず
 私がギターに触れるきっかけに恵まれたのは、中学1年生(14才)の終わりのことでした。半年入院し、留年のため半年家でぶらぶら過ごすことになったことから、いわば暇つぶし?にギターを手にしたのです。しかし、そのほんの小さな偶然から、以後50年、私はギターを抱いて生きていくことになったのです。
 町までバスで1時間かけて行き、4千円のギターを買いました。古賀政男の「30日間ギター独習」の本がおまけについていました。30日間なんてとんでもない、50年かけてもギターの山は高くなるばかりですが・・・。
 日当たりのいい縁側で、弦の名前や指を覚え、苦労しながら何となく音楽みたいな音が続いて出たときの喜びは忘れられません。人差し指で全弦を押さえるFコードなど、難関もありました。
 世阿弥は、そのいろいろな「初体験」を忘れるなというのです。その位置から今の自分へたどり着いた大本のことを踏まえて、今の自分を磨けというのです。
●時々の初心忘るべからず
 何も知らない頃から、20代、30代、40代とギターとのふれあいは続いて行きます。その間にはいろんな節目がありました。会社を休んで(サボって)3畳の部屋でギターを弾いていたことがあります。カルカッシの25のエチュードでした。弾きながら、「ギターだけ弾けて暮らせたら、どんなにいいだろう」夢を見ていました。
ギターを学ぶ先生との出会いも大切なキーポイントでした。深尾先生、木村先生、吉野先生、松田先生…いろんなアタックで未熟な私を引っ張ってくれました。それぞれの先生の、厳しく、また温かいご指導のお陰で、私は、ギターを投げ出すことがなかったのだと思います。
結婚。自分の教室の開設。1回目の演奏会(以後どれだけ恥をかいたことか。25年以上もお付き合いをしている生徒さんが、「よく間違えて、はらはらして聴いたものです」となつかしそうに話すことがあります。大汗)
いろんな節目での初めての苦労や喜びの体験を、世阿弥は「時々の初心忘るべからず」というのです。そのことを思いながら、今の自分をもっともっと磨いて行けと教えるのです。
●老後の初心忘るべからず
 還暦を過ぎ、人生の冬へ向かう頃になりました。ある程度長くギターを弾いていると、それなりの地位も得て、演奏レベルも少しは上がってきます。練習をしなくても、そこそこ教えられますが、手垢のついたマンネリで、自分の中の倦怠に気づくこともあります。周りの人から先生、先生とおだてられたりもしています。いつしか、慢心する時期なのです。
 しかし、もう残り少ないのです。あと10年も現役でいられれば最高でしょう。その終わりを見据えることは、初めての体験です。初心者です。これから自分はどうあるべきなのかと、深く考えながら日々を過ごすことが、世阿弥の言う「老後の初心」なのでしょう。これからのギターの日々に、初心者としてどう立ち向かうかが、私の最後のギター生命にもかかわることかもしれません。
その最晩年をよりよく過ごすためにも、「是非とも初心忘るべからず」「時々の初心忘るべからず」という教えがあるのです。
初心は、お一人お一人みんな違います。それぞれの方のいろんな時期の「初心」を大切にしてくだされば、約600年前に60歳のときに書いた世阿弥の思いが、皆さんの中に広がる事でしょう。

連載その7
 手作り
       高橋由紀子(声楽&ピアノ科)

 春の気配を感じつつもまだまだ寒い日が続きますね。寒い日は家の中で暖かくして静かに過ごせたらと思います。本を読んだり映画を見たりするのもよいのですが、最近は、編み物や布をちくちくと縫いたいという気分になることが多いです。
 母が洋裁をしているので、ミシン・針・糸・布などが身近にいつもあります。産まれてから現在に至るまで、私の洋服のほとんどが母の手作りです。20代の頃までは、母にも覚えるように言われて、自分の洋服を縫うことも多かったのですが、最近は仕事の忙しさや体力の衰えを理由に母に頼ることがほとんどで
す。母も以前は他人様の洋服を縫っていたのですが、今は家族のものだけを縫うようになりました。洋服以外にも端切れなどを利用して、敷物やかばんや帽子など、簡単に言えば作れるものは何でも作っています。天気が良い日は好きな花の栽培や畑仕事をし、天気が悪い時は家の中で何かしら布を触っています。今は好きな時に好きなものを自由に作れるので本当に楽しいようです。つくづく縫物が好きなんだなあと思います。
 陽のあたる仕事部屋で縫物をし、うとうとと居眠りをしていると思ったら亡くなっていた、というのが最高の人生の終わり方だそうです。50年以上使い込んだ足踏みのミシンがカタカタと動いていたら戻ってきているんだなあと思って、とも言われています。
まあ、そういう家庭環境なので自然に縫物や編み物にも興味があり、ふつふつと創作意欲が湧いてくるのも納得します。
 今までの自分の手作りで強く記憶に残っているところでは、小学2年生の時にパジャマを作った時の事をよく覚えています。どうしても縫い上げて、それを着て寝るんだと、眠くて眠くてしょうがないのに夜中の2時ぐらいまでふらふらしながらどうにか縫い上げ、ボタンは間に合いませんでしたが、ボタンなしのパジャマを着て満足しながら寝たことを覚えています。ただただ眠かったというのを今でも鮮明に思い出されます。
 それから6年生の時は、家庭科の授業で洋服カバーに刺繍をするというのがあったのですが、何を思ったのか、小学校の校舎・講堂・運動場などの景色を刺繍していました。今見てもよくもまあこんな細かい作業をやったものだと我ながら感心しますが、ほとんど洋服カバーの役割を果たさないまま、箪笥の奥の方に眠ってしまいました。
 また、20代の時に複雑なデザインと複数の糸を替えた編みこみのセータを編んだのですが、かなりの重量になってしまい、数回しか袖を通さないまま、箪笥の肥やしになってしまいました。時間と手間を考えてももったいない限りです。
 こうやって振り返ると“蛙の子は蛙”で、確かに物作りの遺伝子を受け継いでいると思います。母が作る洋服は、何よりも着心地がよく、体型の変化があれば補正し20年以上前の洋服もたくさん残っています。これはもう着ないなあと思うと端切れとし、パッチワークの一部となったり小物の一部となったりして、次の役割を持ってどこかここかに残っています。
 ネットが普及した今、自宅でも簡単に洋服も買えますし、ポチとボタンを押したくもなるのですが、着心地や同じ洋服を着ている人が居たらなどと考えると躊躇してなかなか購入も出来ません。自分の中で、他人と一緒のものを着るのは制服以外はありえないという思いがあるからかもしれません。
 こうなると母が居なくなってしまったらどうしようと切実に考えてしまうのですが、幸いにも母の洋服が合うようになってきましたので、多分これからも母の手作りの洋服にお世話になると思います。
 洋服作りの達人は無理でも自分の身体に合う自分の好きなデザインの洋服を作れるようにこれから少しずつでも練習しておこうかなと思います。
 

ギター教室に通い始めて
      堀之内知恵 (トキハ文化教室)
                                
竹内先生のギター教室に通い始めて、7ヶ月が経ちました。いつも満足に練習できずに不安な気もちを抱えて、レッスンに行くのですが、先生がよいところを見つけて誉めてくださったり、先生や他の生徒さんのきれいなギターの音色を聴いたりして、レッスンが終わり帰る頃には、いつも気分がリフレッシュされ、さわやかな気もちになっています。
私がギターを習い始めたきっかけは、「ギターが弾けないと、これからちょっと困る」理由があるからです。(分かりにくくてすみません・・・)「絶対にギターが弾けるようになりたい!!」という強い思いというより、「なんだか難しそうだけど、がんばってみなければ・・・」という消極的な理由でした。
しかし、少しずつですが、弾けるようになると、やはり嬉しくて楽しくなります。ギター教室に通う理由も、「もっとうまくなりたい。いろいろな曲を弾いてみたい!」という積極的な理由になりつつあります。
私には、3歳と1歳の二人の子どもがいるのですが、私が二人の前でギターの練習をしていると、必ず寄ってきて、ギターを触ります。そんな様子を、遊びに来ていた義母が見ており、子どもたちの誕生日に一台ずつ、アンパンマンのおもちゃのギターを買ってくれました。二人はとても喜び、私よりも長い時間、ギターを抱えています。「この子達もいつか本物のギターを弾くときが来るのかなあ・・・」と想像すると、なんだか嬉しくなります。
これからも、少しずつですが、ギターを楽しみ、音楽を楽しんでいきたいと思っています。よろしくお願いします。
【新春俳句大会入選
優秀句作品集】 その 2
 
両の手に程よき重さみかんかな 
(美空) 4点
特選 蜜柑を両手でつつむように持っている。その様子や作者の物にたいする視点あたたかさが伝わってくる句です。(彩)


並選 今年はあまりおいしいみかんをいただいてないけどなぜか、おいしそうなみかんのようです。(葉ボタン)
 
気に入りの遊びはぬり絵三が日 
(はなかっぱ) 4点
特選 子育ての頃の光景が浮かんできます。さらりと調子良く詠まれた所が素敵です。(れもん)
並選 ぬりえがお気に入りで、まだまだ安心。まだまだ可愛い。そのうちゲームにはまると大変!(龍女)
 
寒月に 勝る電飾 なかりけり
             (はなかっぱ)4点
準特選 自然の美しさに感動です!(春)
並選 森羅万象、壮大な宇宙のひろがりを感じます。人々への意味深いメッセージですね。(秋虹)
並選 どんなイルミネーションも自然の美しさには勝てない。冬空を照らす月の色は作ろうとしても作れない色であり趣である。(彩)
 
石段を一気に上(のぼ)る初詣
(京)4点
準特選  どこにもよらずに一気にのぼると、ごりやくがありそうです。(葉ボタン)
準特選  新たな年が開け 良い一年になるよう気合を入れて石段を駆け上る若い息吹を感じました。(笑風)
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