音楽だより♪334 エスプレシボ  

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東日本大震災の被害を受けられたすべての皆様に、お見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々に、心よりお悔やみ申し上げます。
被災された皆様およびご家族の方々の、一日も早い復旧、復興をお祈り申し上げます。

        サンシティー音楽院 一同
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黎明(れいめい)
                竹内幸一
 もう4月になろうかというのに、寒い日が続いています。今年は特別寒いですね。しかし、ここよりもっと身も心も寒い被災地での方々のことを思うと、心が痛みます。体育館等の避難所の寒さは、いかばかりでしょうか?いろんな意味で春の訪れが切に待たれます。

 大震災の発生以来、テレビは全力でその情報を伝えています。しばらくは、テレビの番組欄が真っ白でした。そういうのを初めて見ましたが、それだけ日本国始まって以来の非常事態だという事だったのでしょう。

 そのころ、<何もかもそこへ行きつく蜃気楼>
という句を作りました。風呂に入っていると、今頃、何日も風呂に入っていない人がいるだろうなと思います。温かい布団に入れば、体育館の床の上はどんなだろうと思います。電気が点かない、水が飲めない・・・想像もつかないような過酷な日々を送っている方がたくさんいます。

 大変な事態ですが、ここを底にして、これから少しずつ復興へ向かってほしいところです。しかし、残念ながら、まだ原発問題が解決していません。被曝覚悟で懸命に作業をしている方々の努力の実る日が、一日も早く来ることを願わずにはいられません。

 悲劇の洪水が毎日体に流し込まれると、何だか心臓の辺りが重苦しくなります。テレビで見るのでさえそうですから、現場で、住み慣れた家が跡形もなくなったところに立ち、途方にくれている方々の精神の苦しみ、悲しみは、いかばかりでしょうか。察して余りあるものがあります。

 そんな時期に少し心温まる報道を読みました。
「希望の調べに涙」という見出しで、仙台フィルハーモニー管弦楽団の無料コンサートの様子を知らせたものでした。

 「弦楽のためのアダージョ(バーバー)」(これは、同時テロの犠牲者を悼む、ニューヨーク貿易センター跡でも演奏されました)、「弦楽のためのセレナーデ(チャイコフスキー)」等が、約100名の被災者の皆さんの前で演奏されたそうです。「悲しみや苦しみは絶ち難いですが、前を向いて進んで行こうと思いをこめます」と、指揮者の佐藤寿一さんが演奏前に挨拶したそうです。

 仙台フィルはこれから、「音楽の力による復興センター」を立ち上げ、被災地や避難所を訪ねてコンサートを開催するそうです。仙台フィルの復興への合言葉は、「つながれ心、つながれ力」です。勿論、衣食住が一番大事ですが、ズタズタになった心を癒すという事も、生身の人間にとってとても助かる大切なことだと思います。音楽によって果たす復興支援は、貴重な支えになることでしょう。

 いろんな立場の方が、それぞれの役割を果たして、復興に協力していますが、音楽家も、音楽家にできる使命をたくさんの方が果たしています。

 名門ベルリンフィルが、日本時間の3月30日午前3時から救援募金コンサートを開くそうです。インターネットで全世界に中継されます。

 ロック界も、そうそうたるメンバー総勢38組が、「ソングス・フォー・ジャパン」という曲集を作り、募金集めのために発売されたそうです。

 アメリカの歌手、レディー・ガガさんは、募金のために腕輪を作り、その売り上げはもう1億円を超えているそうです。腕輪に記されている言葉は「プレイ・フォー・ジャパン(日本のための祷り)」だそうです。

 活動休止中の歌手、宇多田ヒカルさんが、被災地への義援金を寄付したそうです。関係者によると金額は8000万円。宇多田さんは26日、ホームページで「母の生まれ故郷である岩手、祖母が眠る宮城も大きな被害を受け、今自分に何が出来るか考えた」とコメントしています。

 そんな桁外れのことは誰にでもできることではありませんが、ほんの少しずつの思いも、集まれば相当大きなものになっていくはずです。街の片隅の名もない音楽関係者も、一緒に立ち上がれたらと思います。

 私も、音楽を通してささやかながら何かできたらと考え、復興支援コンサートを計画しました。

 もうあちこちで募金などされて、ご協力されている方も多いと思いますが、どうぞ、このコンサートでもご支援をお願いします。

 東日本大震災復興<黎明>支援
   竹内幸一ギターコンサート
     〜武井守成の優しい抒情の世界〜
「武井守成」は、日本のクラシックギター黎明期の偉人です。その作曲した珠玉のギター曲を演奏します。
【とき】5月22日(日)午後2時開演
【ところ】ライブハウス 音や・竹の里
【入場料】1,500円(募金1,000円+飲み物代500円)
◎黎明→明け方。転じて、黎明期(れいめいき)とは、ある事柄が形になる前の始まりの時期を表します。復興が軌道に乗って夜明けが始まるように祈りをこめています。

連載 その21   
フルート科 石井暁子

 みなさん、こんにちは。4月がやって来ましたね。3月11日にあの大きな地震があってから、毎日色々な事が目まぐるしく起こって、日々が飛ぶように過ぎていっています。
 今回の地震では、東北から離れた、ここ九州に住んでいても、或いは日本の何処に住んでいたとしても、とても他人事とは思えない、本当に大変な事が起こってしまったと感じています。
 私は実家が東京なので、地震が起きた当日は、まず両親と妹が心配でした。地震があったのを知ってから、すぐ実家に電話してみましたが、もう繋がりません。20分かけても繋がらないので、妹にメールすると、30分程してから返信があり、地震があった時、母と外出中でタクシーに乗っていたとの事。車の走っている、その道路ごと揺れて怖かったという事と、その後母を実家に降ろして、自分はマンションに帰ったけれども、その後、実家に公衆電話から電話をかけて、父も家も大丈夫だったという事を確認した、という内容でした。私は慌てて、コンビニの公衆電話へ行き、実家にかけると、すぐ繋がり、父と母と話す事が出来ました。父は家の中にいて、家が壊れるかと思ったと言っていましたが、たいした被害もなく、落ち着いていて、元気そうでした。母は、私はあまり地震は怖くないの…といって、頼もしい(?)限りでしたが、とにかく2人共何事もなくて安心しました。
 あれから毎日、テレビのニュース等で地震の被害の大きさ、酷さが伝えられ、起こった事のあまりの重大さ、深刻さに、茫然としてしまう様な事もありました。それでも、この頃ニュースを見ていて感じるのは、被災された方々の、心底つらい中でのギリギリの力強さみたいなものでした。
 自分の家族を亡くされたり、両親とはぐれて再会出来ていなかったりする子供たち、夫や妻を亡くされて途方に暮れている方々…。そんな方々が本当に沢山いらっしゃいます。それでも、そんな中でも、自分も被災しながらも避難所を回って、お年寄りを励まそうとする子供たち、家族を亡くされたつらい中でも、何か自分に出来る事があるのでは…と、仮設のお風呂やトイレを作って、被災された人達に使ってもらえれば、と頑張っている方々などなど。
 実際に被災された方々は本当に本当に大変だと思います。地震にあわれた方でなければ、その本当のつらさはわからないと思います。私達は、それをテレビの画面から感じ取る事しかできませんが、その大変さ、心底つらい中で、人と人とが支え合って、助け合って、励まし合って生きて行こうとする力強さ、希望のようなものを感じました。
 食べる物も寝る所も不自由なく、当たり前の様にある私達に、今、出来る事は何なのか…を自問自答しているこの頃です。

歌は元気の源               
       工藤 美智子

 私は、別府市で一番歴史のある「混声合唱団 クールあおやま」に所属して10年程になります。
パートはソプラノ。メンバーは20歳台から80歳台と幅広く、みんなコーラスの好きな人の集まりです。団員は60数名いますが、演奏会への出場者は45名位です。
 若い人が少なく、時代を感じますが、歌う曲目は若いし、とてもステキな私の好きな曲が選曲されていますのでとても楽しいです。
 80歳を過ぎた人も、もう辞めようかといつも云っている人も辞めずに頑張って笑顔で歌っています。
そして、歌っている人はみんな背筋もピンと伸びていて姿勢も良いし、はつらつとして若々しく見えます。ストレス解消にもなるし、元気が出ます。
 昨年は創立50周年記念定期演奏会を終えました。よくこれまで続けてこられたものだと感心いたします。元々は青山小学校のPTAから始まったと聞いております。人が生まれて50歳になっているのと同じです。
 メンバーの中には50年続けられた人も数人おられます。
その証に女性のステージ衣装の紫のドレスがあるのですが、私は中途から入団したので何時から着ているのかわかりませんが、貴重な品だとわかります。
 作った当時は若くて、みなさんスマートでさぞかし素敵だったでしょうと思われるドレスを現在もクールあおやまのユニホームのように着て歌っています。歳を重ねるとどうしても体形を維持するのが難しいです。これも年代を感じさせられます。友達に聞いてみると賛否両論です。ステキという人、やめたほうがよいという人いろいろありますが、まだまだ愛着があるようです。
 今年の定期演奏会は7月3日(日)ですが、只今それに向けて、練習に励んでいます。
 一つ紹介しますと「山田耕筰による五つの歌 編曲 三善 晃」となっています。これは女声合唱だったものを混声合唱で歌いたいという要望があって編曲されたとあります。曲は1.この道 2.赤とんぼ 3.待ちぼうけ 4.からたちの花 5.ペチカの5曲です。良い曲です。4つのパートの音が組み合わさり、きれいなハーモニーを作り出して、私もうっとりします。
 北原白秋の美しい詩に「ああいい曲だなあ」そして「男性の声がすばらしいなあ」と思いながら歌っています。
これらのすばらしい日本の歌はずっと歌い続けてほしいと願っています。
 他に英語の曲を4曲、Top of the world などよく知られた曲で、楽しいです。音符に英語をのせるのは難しいですが、楠本先生の指導のもと懸命に取組んでいます。
明るく、軽く、流す、膨らませる、ぼかすなどと云って指導してくださいます。
 先生もお若いし、エネルギッシュで私たちをぐいぐい引っぱってくださるとても魅力のある先生です。
 もう一つ平成19年に初演の組曲「別府鶴見火山」があります。作詞は佐々木均太郎先生、作曲は佐藤 眞先生です。
 6つの曲があり、1曲1曲が別府の美しい風景をうたっており、歌うほど情景が想像でき、別府の宣伝になる組曲です。
さらに、今年は男声コーラス、女声コーラスを練習しており、楽しい演奏会になるよう頑張っています。
 私もソプラノの一員でありますが、只今ボイストレーニングを白石先生の指導を受けて、声の出し方、腹式呼吸の仕方などを教わり、少しずつではありますが声が出るようになった気分でいます。
 定演まであと3ヶ月とちょっとになり、ぼつぼつ歌詞を暗譜しなければならない状況になりました。兎に角歌っていて楽しいです。歌って元気を出しましょう。
 是非、演奏会にご来場いただき、ご感想をお聞かせください。
 入団希望者はいつでも歓迎ですよ。

新春俳句大会
【入選優秀句作品集】 その 2

枯れ草を 座布団代わりに  猫二匹 (秋虹)   3点
 準特選 可愛い猫が枯れ草の上で仲良く寝そべってる様子が目に浮かびます。(ごん太)
 並選  猫も、あのふわふわのスプリングが忘れられません。老猫の日向ぼこかな。(美々たぶ)

火を付けて枯れ草土に返しけり (美々たぶ) 3点
 準特選 地球上の生命あるものはすべて土に帰ります。そして又新しい命を生みます。これって輪廻?感じ方が素敵な句ですね。(さくら草)
 並選 枯れてなお次の命につながっている。生命の循環を思います。(まる子)

雪載せて 母の愛せし 桜草 (さくら草)2点
  準特選 人生の全てを受け入れ、慈悲深いお母様の姿が重なって胸が熱くなりました。(秋虹)
 
正月の ぞうにくいたし 入れ歯浮く (葉ぼたん)2点
  準特選 一茶か はたまた山頭火!? 人生の悲哀ここにあり!(大袈裟か?)(香)      つづく

音楽だより♪335エスプレシボ 5月号

厚顔
          竹内幸一
 奄美・沖縄地方は梅雨に入ったと新聞に載っていました。平均より11日早いそうですが、今年の夏はどんな夏になるのでしょうか。天の神様に、人に優しい気候にしてくださいと、みんなでお願いしたいですね。

 さて、今月の題は「厚顔」です。裏面に原稿を書いてくれた同級生の文から取りました。パソコンの文字変換ミスだと思うのですが、この文の中に「厚顔の美少年」と言う言葉がありました。たぶん「紅顔の美少年」のつもりで書いてくれたのだと思いますが、厚かましい私のことをよく捉えている造語だと感心(笑)しました。

 彼の文を読んで、面映いと言うか、くすぐったいと言うか、気恥ずかしいと言うか…まったく持って居心地の悪い思いがしました。「おい、竹内」「おう、岡原」…と数少ない呼び捨てに出来る付き合いなのに、「先生」には参りました。

 このまま掲載するのも何だかな…、書き換えてもらうのも気の毒だし、と迷いましたが、まあ「厚顔」の私の本性丸出しで、行け行けどんどんとそのまま使わせてもらいました。

 そのお礼に(と言うのも変ですが)少し、ここで彼のことを紹介させてください。

 中学生のときの私のあだ名は「ドラ」でした。変声期で声が急に「ドラ声」に変わったせいでした。今となっては、はっきりしませんが、それを言い出したのは岡原のような気がします。不思議ですが、体育館の入り口の下にあるトイレで、二人で並んで立ちションをしているとき、彼が「ドラ・・・・」何とかかんとかと言ったのが、なぜか鮮明に思い出されます。

 彼は、豪放磊落、明朗闊達、誰にも好かれて人気のあるスポーツマンでした。そのやさしい明るさは、あの頃から少しも変わっていません。

 彼は柔道が強かったこともあり、卒業後は警察へ入りました。その後何十年も音信不通でしたが、あるとき突然「別府署に来たんじゃ。遊びにこんかえ」と電話がありました。

 私は人見知りのほうですので、積極的に人と接するタイプではありません。たぶん、その電話が一回だけでしたら、そのまま生涯会わなかっただろうと思います。しかし、その後も彼は何度か電話をくれて近況を話し合いました。それで、句集を出したとき、それを一冊彼にやろうと警察を尋ねました。ちょうど別府署にもう一人同級生がいて、それも呼んでくれて、コーヒーを飲みながら話しをしました。

 その後、副署長から署長になり彼は定年を迎えました。それからのギター入門のいきさつは彼の文章の通りです。

 それに、うれしいことに、この音楽院には、彼とも遊び友達だった方が、もう一人、ほのぼのコーラスに来てくれています。

 あるとき、岡原の発案で、「一緒に飯を食おう」と近くの春香苑で、ミニ同窓会を開きました。幼い頃のこと、学校時代のこと、卒業以後のこと、話は、長時間尽きることがありませんでした。へー、そんなこともあったんか・・・50年ほど前の知らなかった出来事も聞いて驚いたりしたものです。

 この新聞の原稿をお願いしたとき、「時間はいっぱいあるけどな、文を書く学がねえからな」と彼は謙遜していました。(とてもしっかりしたいい文を書いてくれました)。

 その謙虚な人柄が、ギターと言う趣味を実現させたのだと思います。功成り名を遂げた人は、往々にして過去の身分やプライドを捨てきれずに、かたくなな思いに縛られている場合があります。心の柔軟性を失っていると、人に頭を下げて、恥をかきつつ何かをゼロから始めると言うのは、なかなか出来ることではありません。

 そういう意味で、彼の精神の柔らかさには感動します。すごいことだと思います。ギターを始めて良かったと言ってもらえるように、全力で応援したいと思います。

 ギターを弾いているときや、話をしている時、彼はとても優しい感じです。しかしながら、たぶん仕事になると、彼は猫から虎になるんでしょう。彼の現役時代は、暴力団の担当を長年してきたそうです。今でも街を歩いていると、その筋の方がきちんと最敬礼するようです。

 住まいのあるところの別の市に赴任しているときは、「責任者が市に不在ではいけない」と、ずっと官舎に住んでいました。今年は、まだ1日しか家に帰っていないと話していることもありました。仕事に忠実で、熱心な日々を送ってきたのだと思います。

 暴力団の対応や、家庭での不在で、奥さんは長いこと心配や苦労をされてきたことでしょう。その奥さんが、ギターのことを全面的に応援してくれているようです。(ほほえましい話を聞かされています)

 楽譜を大きく書いて、音符の読み方を教えてくれたり、「曲になってきたよ」と演奏を聴いて応援してくれているようです。素晴らしいことですね。

 それにしても、彼の文章を読んで、こういうことを言うと、そう取られるのか・・・と新鮮な気持ちになりました。長年同じことを繰り返していると、何かが慢性的になり不用意なことを言う、それこそ「厚顔」の指導者になってしまう可能性があります。彼のやりたい希望も改めて確認できました。これから10年ほど、お互い元気で、ギターを絆の日々を過ごしていきましょう。

連載 その22
頑張れ楽天!ほどほどに、、、。  
ギター科 竹内竜次

 楽天が頑張っています。
 ただ、震災後ホームに戻れずに、心身ともに疲労が溜まっているはずですし、復興のシンボルとして背負わされているプレッシャーもそれに拍車をかけることでしょう。このままシーズン終了までこの緊張感と集中力を維持するのは、いくら鍛え上げられた才能の集まりだとはいえ酷なことです。選手の想いはよくわかるけれど気持ちをもっと楽にしてプレーしてほしいなあと思います。
 話は変わりますが、僕は小学生の頃から西武ライオンズの熱烈なファンでした。毎日父親よりも先に朝刊のスポーツ欄を見て打率なんかも細かにチェックを欠かしませんでした。「ブコビッチまたノーヒットか。役に立たんなあ」といった具合に。(けどこのブコビッチが日本シリーズでタイムリー打ったおかげで工藤が勝ったんだよなあ)。
 その当時黄金時代の西武は強かったので、秋は日本シリーズと農業祭が僕にとっての2大イベントでした。ある年の日本シリーズ。一目散に学校から帰ってランドセルも下さずにテレビをつけると、なんと秋山がホームランを打ったシーンが目に飛び込んできました。リプレイだと思ったら、ちょうど打った瞬間だったんですね。なんだかとてももったいない気がしたのを覚えています。いまだに真っ青な秋空と、レフトスタンドに吸い込まれていった秋山の打球と、その時の家の様子なんかがぱっと鮮明に浮かんできます。その当時に起こった他の事はほとんど覚えてないのですが、、、。
 今年は、被災地に明るいニュースを届けるためにも、田中マー君には力で相手をねじ伏せ、大いに吠えてもらいたいし、岩隈には涼しい顔をして強打者をきりきり舞いさせてほしいです。ただ、勝って被災地のファンを喜ばすことも大事ですが、時には負けて負けて、「なんか!俺らがこんなに頑張りよんのになさけねー。」「あんな球おれでも打てるぞ山崎!」とか野次ってもらってもいいんではないのでしょうか。それも野球の醍醐味だし、勝ちまくったから、励まされるとは限らないんだし。
 「今スポーツにできることは、、、」「被災地に笑顔と希望を届けたい」といった発言が選手からも多く聞かれます。選手自身が義援金を募ったり、被災地に入り直接励ましたりといった活動も盛んに行われています。選手である前に一人の人間として行動するのは素晴らしいし立派なことだと思います。そして自分のプレーで勇気づけたいという気持ちもわかります。ただ生産的な経済活動の外にあるスポーツや芸術の分野において(特に生産性を重んじるこの国では)「いま本当にこんなことをしていていいのか」というひけめと遠慮、そして前述の楽天の選手のように「なんとか力を送りたい」という必要以上の力みが、不自然な緊張を生んでいるのではないかと僕は思います。
 実際に日々を暮らしていく上で、必要なものをスポーツや芸術で生み出すことはできません。野球や音楽に、それを見たり聴いたりしたものの運命を変えるほどの影響力があるとも思えません。しかし今、ことさら力み返って「スポーツの底力」や「音楽の治癒力」を語る必要も、そして非生産的で役に立たないものだと嘆く必要もないのではないか、と思うのです。利便性や効率を追求し原発のような危険で殺伐とした塊を生み出しつつも、今日までスポーツや芸術は絶えることはありませんでした。生きる上で根源的な欲求に深く結びついているからでしょう。スポーツや音楽が今できることは小さくも大きくもないと思います。0でも100でもないはずです。今まで通り人々の日々のささやかな喜びや慰めになり得るものを黙々と全力で差し出し続けること、それだけだと思うのです。
 正直、子供の頃、秋山のホームランを見て勇気がわいたとか、人生に希望が持てたということはなかったと思います。けれど、僕の記憶の中ではとても大事なひとコマです。大げさな話かもしれませんが、結局人生はそうしたささやかな喜びや驚きや何かの集積でなんとか成り立っているものではないのでしょうか。
 ちなみに震災後、スポーツ選手の行動でぼくが一番印象に残っているのは、まだボランティアの受け入れも整っていない中、「居ても立ってもいられなくて」と、自ら車を飛ばして被災地岩手に行ってしまったサッカーの小笠原選手です。何の役にも立たないかもしれないし、多額の寄付をした訳でもないですが、この心持ちが僕は好きです。

60の手習い                    
岡原 博司 (ギター科)

 サンシティー音楽院の皆さん、こんにちは、私は、昨年3月、定年退職を機に竹内幸一先生にギター指導を受け始めた岡原と申します。よろしくお願いします。
 現役時代の私は、仕事の繁忙を言い訳として「趣味」と言えるものを持ちませんでした。
 しかし、定年を控え、焦りにも似た感じで「何か趣味と言えるものを身に付けたい。」と思うようになりました。
 そこで思いついたのが、ギターでした。私は、もともと流行歌を歌うことが好きで、テレビなどでギターの弾き語りで渋い演歌などを歌っているのを見ると、「格好いいなあ、羨ましいなあ。」と思っていたものです。
 それで、頭に浮かんだのが、別府でギター講師をされている、私と同じ国東出身で幼馴染の竹内幸一先生だったのです。
 竹内先生は、幼少の頃から温厚誠実、頭脳明晰、色白で厚顔(紅顔?)の美少年。一方私は、色黒で一見して短気粗暴(「根は優しくて、弱い者いじめはしたことが無い。」と自負しています)、頭脳は迷うほうの「メイセキ」でしたので、歌うことは好きでしたが、音楽も苦手で楽譜が読めないため楽器も弾けないまま還暦を迎えてしまいました。
 このように私には、「楽譜が読めない。」=「楽器(ギター)は弾けない。」という気持ちがあり、壁のように大きく立ちはだかっていたため、竹内先生に電話をするのがためらわれたのです。
 しかし、「ギターで歌謡曲の弾き語りを。」という願望は絶ち難く、いよいよ定年を間近に控えたある日、思い切って竹内先生に電話したのです。
 すると竹内先生は、入門(?)を了解するというよりも私の入門申し込みを自分のことのように喜んでくれたのです。
 そして、いよいよサンシティーの門をくぐり、初めて自分のギターと教本を頂いた時には、正直言って緊張し、大袈裟ではありませんが身震いしました。
 さらに、その時竹内先生が「『ちょうちょう』が1ヶ月位で弾けるようになるといいなあ。」と言われた時には、「えー『ちょうちょう』でもそんなにかかるの?」というのが正直な感想でしたが1年が経過した現在、まともに『ちょうちょう』も弾けない現実を前にギターの難しさと奥の深さ、はたまた自分自身の能力の限界をひしひしと感じているところです。そんな折、実は竹内先生から年賀状を頂き、それには「10年後を目指して気長にじっくり行きましょう。」との添え書きが寄せられていました。
 わたしは、この添え書きを見てホッとした気分になるとともに、この添え書きの意味を、「10年ぐらい経てば、『趣味ギター』と言えるようになると思うから気長に頑張って。」という先生からの激励と受け止め、これからも練習を続けて10年後には「続けていて良かった」と言えるように頑張ろうと初老の身に「喝!」を入れている今日この頃です。
 竹内先生、今後ともよろしくお願いいたします。

新春俳句大会
【入選優秀句作品集】 その 3

折り紙の 兎の耳を 赤く立て(京)    2点
並選 今年の干支を折ったのですね   お孫さんと一緒に折ったのかしら?(ごん太)

 並選 なんとなく このウサギに 今年の夢を たくしてみたい気持ち。(葉ぼたん)     続く


エスプレシボ 336 6月号
 
偉大なるマンネリズム     竹内幸一
 もう梅雨のような雨が降っています。それに加えて(今日は5月28日ですが)、早々に台風が九州を目指しているようです。

 雨に加えて台風直撃ということで、毎年開催していた「薔薇コンサート」が中止になりました。年間の恒例行事が欠けるのは寂しいですが、やはり自然の脅威には、素直に従うしかありませんね。

 さて今月のタイトルは、「偉大なるマンネリズム」です。これは、ラジオパーソナリティー「22人のカリスマ」(軍司貞則著・扶桑者)の中から取りました。「おはようパーソナリティー道上洋三です」という番組が22年目に入る頃、インタビューに答えて「偉大なるマンネリズム」ということを道上が言っていました。それは番組への自信と誇りの言葉でもありました。

 ところで、5月27日(第4金曜日)、いつもとまったく変わらず、毎月恒例の鶴見病院さわやかコンサートが開かれました。終わった夜、家族がほんのささやかなお祝いをしてくれましたが、この日のさわやかコンサートは、240回目の開催でした。毎月1回開催して積み重ね、この日で20年を迎えたのです。

 ちょっと神経質?だと思いますが、この2,3日いろいろ気をつけました。運転には注意をし、睡眠も良くとり、食べるものもきちんと食べました(笑)。239回目まで休まず来ていて、記念すべき240回目を、体調不良とかで休む様なことにはなりたくないと思ったのです。

 今、私の内面でひとつの達成感の喜びがあります。それは、この20年、休まないで続けることのできる体力を与えてくださった、神様のご配慮への感謝でもあります。

 もともと幼い頃から、体にはいろんな障害がありました。そのどの面から攻められても、倒れてしまいかねない要因を抱えながら暮らしています。それが、どういう訳か、この働き盛り(?)の20年、ほとんど風邪もひかずに過ごすことができました。ありがたい限りです。

 元気で過ごせたその背景の一つに、さわやかコンサートがあるのではないかと思うのです。最初からこのコンサートにかかわっている関係で、別に何もしていないのですが、一応この会の世話役ということでここまで来ています。その立場という、月に一度の責任は、体を緩ませない程良い緊張感へつながっているのではないかと思います。

 それと同じような例をひとつ加えてみましょう。私のかかわっているオペラ鑑賞の会が、月に2回あります。ご存知のように、オペラというのは長たらしくて、なかなか観終わるのには忍耐のいるものです。ちょっと予習をと思って、一人で見ていると、眠くて、眠くてどうにもならなくなります。

 しかし、鑑賞会のお世話役として皆さんと一緒に観るときは、不思議に眠くないのです。事前に登場人物の関係をあらわす解説図を作成し、ちょっとだけ説明を皆さんにするので、内容がだいぶわかっているからでしょうか。それとも、皆さんを誘って鑑賞に来て頂きながら、世話役が寝たんでは立場がないという緊張感があるんでしょうか?

 <1行広告>オペラ鑑賞会参加者募集中!(笑)

 何にしろ、長い人生を暮らしていく上で、このような主体性のある何かに出会うご縁をいただくということは、とても素晴らしいことだと、さわやかコンサートの240回目を迎えて、改めて強く思っています。どういうご配慮かわかりませんが、いろんないきさつから、この企画に出会えて本当に良かったと感謝するばかりです。

 もちろん、この日を迎えられたのは、快くボランティアで一緒に演奏してくださる方、いろんな準備から片づけまでしてくださる病院スタッフの方、そして聴いてくださる患者さんなどの、人の輪(和)があるからに他なりません。それは、私の生きて行く支えにもなっています。心よりお礼を申し上げます。ご一緒に、この240回を喜び合いましょう。

 240回目は、普段の月と何も変わることなく、淡々といつもと同じように始まり、終わりました。

 向上心も大事ですが、いいものを作ろうとして、無理をすると、出演者に負担がかかり、長続きしない気がします。今、さわやかコンサートは、マンネリといえば、この上なくマンネリでしょう。第4金曜日の夜にコンサート→その帰りに次の月の選曲→次の月の演奏会前にリハーサル→本番。ただひたすらその繰り返しで、曲目も出演者の皆さんにお任せして何の制約もありません。

 その持続のマンネリは、機関車の動輪なのかもしれません。何かことを始めるときには、いろんな目配り、気配りをして、ようやくゆっくりと車輪が動き始めます。しかしいったん加速が付いてしまうと、後は割りと順調に進みます。

 しかし時折、100回目とか、20年目とかに、走りながらでも少しだけ駅に停まるのも大切なことだろうと思います。自分の置かれている幸せを感謝することが、また次へのエネルギーにもなるからです。とりあえず、あと5年、300回(25年)を目指して、この私の使命が継続できればと念願しているところです。

連載 その23
<私の好きな事・好きなもの>  
フルート科  石井暁子

 みなさん、こんにちは。梅雨の季節がやって来ましたね。今年は5月も暑かったり寒かったりで、体調を管理するのが大変でしたね。これから夏にかけてはどうなるのかしら?という所ですが、この梅雨時にぴったり!という感じではないのですが(笑)、最近見たオペラのDVDの話を今日は書いて見ようかな、と思います。
 私は元々、オペラに詳しいという訳でも、オペラフリークという訳でもないのですが、勉強も兼ねて、ベルディのオペラ「椿姫」のDVDを見る機会がありました。たまたま、比較的新しい2004年のウィーンフィルの演奏と、ちょっと古い、1990年代に録画された、ショルティ指揮の演奏(オーケストラの名前を失念しました。ごめんなさい。)の物と2つ見る事が出来ました。この2つの演奏は、同じ「椿姫」という作品でありながら、雰囲気も演出も、まるで違ったものになっていて、1つの同じ作品をこうも違った様に作る事が可能なのだという事に非常に驚きました。
 古い方の「椿姫」は、舞台の趣も、とても凝った感じの重厚感のあるものでしたが、新しい2004年の作品の方では、舞台はほとんど一面白い壁だけ、という物でした。演出も古い方は1800年代半ばのパリを再現しようとしていたのに対して、新しい作品の方では、現代に近づけて描かれてありました。でも、2つの「椿姫」で決定的に違ったのは、ソプラノ歌手の役の捉え方、役の表現の仕方の違い、といったものだったように思います。
 「椿姫」は1800年代半ばのパリを舞台にした作品で、主人公の高級娼婦である「ヴィオレッタ(ソプラノ歌手)」とフランスの田舎・プロヴァンスから出て来た青年アルフレートとの悲劇の愛の物語で、主人公のヴィオレッタは最終的に、愛が叶ったその瞬間に、自らの病の為に死んでしまうという結末のオペラです。
 2004年の作品の椿姫のソプラノ歌手は、舞台に出て来て歌い始めたその瞬間から、その音程の確かさ、声量、技術、ダイナミックレンジの広さなど、どれを取っても完璧に近く、それは、舞台が終わるまで変わる事なく、若くして才能のある歌手という印象でした。それに対して、古い方の作品のソプラノ歌手は、最初、緊張の為か、堅さが見られ、音程や声量なども充分でないように見受けられました。ところが、舞台が進んで2幕目に入ると、このソプラノ歌手は緊張がほぐれてきたのか、調子が良くなり、伸び伸びと、生き生きとしてきたのです。幕が進むにつれてその歌声は、どんどん真に迫ったものとなり、彼女自身が「ヴィオレッタ」として、そこに本当に存在し、そこで本当に悲劇が繰り広げられているかの様でした。そして、見ているこちら側が、彼女と一緒になって、そこで起きている出来事を同時に体験し、また、彼女の叶わぬ愛の歌が悲しく、しかし美しく、心の中に流れ込んで来るのでした。この様なオペラを見たのは初めての事でしたが、素晴らしい経験でした。
 どちらの「椿姫」も、全く趣が異なり、素晴らしい舞台だったのですが、どちらの作品が私の心を揺さぶったかといえば、やはり、古い方の作品になるかと思います。この2つの「椿姫」を見て思ったのは、人の心の琴線に本当に触れる事の出来る演奏というのは、「技術」だけではない「何か」が必要なのだと思いました。そして、その「何か」を捜し続ける事、求め続ける事が、私にとって音楽を続ける意味なのだろうと思いました。
 偶然にも?結論らしいものが出た所で(笑)、主人と交代で書かせて頂いて来たこのコラムの私の分が、今回で最終回になりました。普段、あまり文章を書いたりする機会もないので、毎回四苦八苦しながらでしたが、こうして何か 書かせ
て頂く事によって、自分自身でも新たに考えさせられたり、気付かされる事も多く、本当にいい勉強になりました。そして、短い間でしたが、拙い文章を読んで下さった皆様に、心よりお礼申し上げます。また、紙の上ではなく(笑)何処かでお目にかかる日を楽しみにしています。ありがとうございました。

発表会                      
野口佳子(ギター科)


4月29日、発表会に参加しました。ギター歴4年目にして初参加です。緊張しました。途中何を弾いてるのか、どこを弾いてるのかわからなくなりました。やはり間違えました。
 発表会の前週のレッスン日、先生に「ビジュアル的にニコニコしながら弾いたほうがいいですか?体揺らしたほうがいいですか?」などいらんことを考えてる私に「発表会ですから」と、「発表会当日は今より7割8割程度しか弾けないのを覚悟してもっと練習をしたほうが…」とやんわり喝を。その通りでした。
 私の以前使っていたギターは、隣人の引っ越しの際に出たごみの中から見つけたものです。
 そのギターは、ボディーにガムのおまけのシールが貼られ、弦は黒ずんでたり錆びてたりしていて、しかも一本切れている。昔流行った白いギターです。
 そのギターを持ってサンシティー音楽院のドアをたたきました。先生は何も言わず、快くそのギターでのレッスンを引き受けてくれました。知人から今になって「よくあんなギターを使いよって、先生何も言わんかったなあ?サドルが高いから弦とボディが離れすぎて相当弾きにくいわっ!!」といわれました。
 無知って怖いものです。そのギターがどれほどのものか、ギターの種類があるってことすらも知らずに、ただただギターをジャンジャン弾けるようになりたい、カッコいい自分になりたい、子供に弾いて聞かせたり、一緒に歌いたいとの一心で。
 演奏が終わり、観客席にいた子供たちを見ました。失敗はしたけれど子供たちは手を高く上げ拍手をしてくれていました。私が発表会に出ることで何か感じてくれることがあったらいいなあと思いました。
 毎週毎週練習がままならない私を温かいまなざしでレッスンしてくれる先生、何も知らなかった私が人に聞かせる曲を弾けるようになりました。ちょっと大袈裟ですが、一つ自信が持てるものが出来、今からの人生の糧になるものを持てたと思います。ありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
 また、ギターをくれた隣のおばちゃん、いつもレッスン日には子供を預かってくれる母、夜中に練習してもなにも言わない家族、この場をかりてありがとうございます。
また来年も発表会に出たいです。

お礼とお知らせ
東日本大震災復興支援・竹内幸一ギターコンサートが5月22日に無事開催できました。皆様のご協力で、4万5千円を大分合同新聞福祉事業団へ届けることができました。ご支援ありがとうございました。(竹内幸一)

新春俳句大会
【入選優秀句作品集】 その 4

一つだけ 夢があるのよ 雪の旦 
(さくら草) 2点
並選  どんな夢か???  Bコンでソロリサイタル!?  あさの使い方に敬意!(香)
並選  一つだけ、という、ひかえめで、小さな想いが、かわいらしくて、叶ってほしいな、という気持ちになりました。(美空)
                      
日の透ける 産毛の中の 冬芽かな (鴨) 2点
並選   寒い毎日ですけど春の準備もしているのです。(扇山)
並選       ・・・・・・(京)

土手に沿ひ 水仙の道 生まれけり
(ごん太) 1点
並選  水仙は、いつも並んで咲いていますね。灯台へ続く道にも、土手にも・・・「生まれけり」がいいです。(龍女)
     
                  (つづく)
幼子が 踏む霜柱 さくさくと(秋虹) 1点
 並選     ・・・・・・(京) 

剣立つ中のほほえみ水仙花 (鴨) 1点
 並選 水仙の葉を剣と見立てたのはおもしろいと思いました。
     風の中剣に守られ可愛い花を咲かせる水仙の健気さ美しさが見えました。(まる子)

逆境に 生き抜く草に 励み得て(香)1点
  並選 人間も自然の一部分…。大自然の恵みからいろいろと気づかされますね。(秋虹)

水仙の 葉組整え 凛と挿す (京) 1点
 並選  水仙には凛という言葉が似合います。(扇山)

 

エスプレシボ  7月号 ♪337
 
再スタートのために
                竹内幸一
 雨が降り続いたり、急に暑くなったりで、体を順応させるのが大変な毎日が続いています。皆様、体調を崩さないように、涼しくなる秋までがんばりましょう。

 今月は、少し気分的にきつい話になります。暑い季節に大変済みませんが、どうぞお付き合いください。

 芥川龍之介の短編小説に「地獄変」という作品があります。高名な絵師が、殿様から地獄の様子を描いた屏風を頼まれます。絵師は、イメージをリアルにしたいと、殿様に、女官を一人乗せた牛車を目の前で燃やしてもらいたいと頼みます。

 希望を聞いて、殿様は牛車を燃やします。絵師が見ていると、何とその牛車の中に、こよなく愛している自分の娘がいるではありませんか。しかし、絵師はその牛車を凝視し、後世に残る地獄絵図を残したというお話です。

 絵師のように、地獄を見たい人など誰もいないでしょう。しかし、毎日の新聞やテレビには、目をそむけたくなるようなことが沢山あります。あまり多すぎて、ある程度不感症にならなければ、精神が持たない世の中です。

 たとえば、千葉県で起きた「体重5キロ、2歳児餓死」という記事がありました。標準体重は13〜15キロのはずなのに、たった5キロになって亡くなっていました。胃の中には何もなかったそうです。どれだけお母さんを呼んで泣いたでしょうか。泣き疲れて眠り、また泣いて・・・そんなことを思うと、涙が出てきました。

 唖然とするような児童虐待の記事は、残念ながら珍しいことではありません。それは、個別の親だけの問題ではないのでしょう。その背景に広がる、貧困や精神の荒廃などの、大きな地獄の深い闇のあることが新聞記事から読み取れます。

 今度の東日本大震災では、信じられないような怖ろしい光景が伝えられました。地震や津波の猛威は、まさに地獄図でした。

 それに加え、原発の恐怖は、今も解決されていません。ひまわりを植えて、それに放射線を吸い取らせるとか、悠長なことを言っています。しかも、そのひまわりの後始末は、どうしたらいいか分からないというのです。

 その程度のことしか対応できないで、よく安全神話が出来上がったものです。最近の対応の様子は、おろおろするばかりで、きちんと制御できないことを、はっきり示しています。

 津波に流された街も大変です。しかし、日がたつにつれて、復興に取り組む、人間の素晴らしいエネルギーを見ることができるでしょう。

 しかし、原発近くの、無音の町や村は、どうなるのでしょうか。街全体が、呼吸をしない異様な地獄地帯に成り果てています。

 家を捨て、仕事を捨てて見知らぬところへ避難している方々の気持ちは、どんなものでしょうか。何か少しでも辛いことに出会うたびに、家に帰れたら、原発さえなかったらと、繰り返し思うことでしょう。自殺してしまった酪農の方が居りました。「これから先のことを思うと、気が狂いそうになる」という声も読みました。

 どう解決が付くかも全く見通せない時に、「原発を推進する」という政府の発表がありました。その一番の理由は、経済活動の継続のためのようです。

 企業活動を第一に優先することから、農業や漁業は切り捨てられてきました。食えない若者は皆町へ出て、福島をはじめ農業県は、限界集落の過疎地になりました。

 (しかし、町へ出た若者がみんな幸せになった訳ではありません。企業の都合による、使い捨てのパートや派遣、季節工でした。闇を抱える人が沢山生まれました。2歳児の母親になりました)

 過疎地の貧困にあえぐ県に、首都圏の電力を確保するためにと、札束付きの原発が押し付けられたのです。東京では、湯水のように電気を使い、享楽の経済活動を続けてきました。

 そして、最後のとどめは、過疎どころか、人一人住めない福島に、今回してしまったのです。家があり、畑があり、学校がそのまま何も変わらず残っていても、そこは無音の地獄なのです。

 遠くから、ふるさとを思う方々の気持ちは、いかばかりでしょうか?「家に帰りたい」という、いくら内面で叫んでもとどかない、空しい声があります。その飢餓状態は、2歳の子供と同じような地獄と言えるのかも知れません。

 誰に対しての発言か良くわかりませんが、今回のことに対し「天罰」、「集団ヒステリー」と言う大都会にぬくぬくと住む方も居ります。少なくとも、長い間踏みにじられた上に、家を捨てて避難している方々にとって、これはあまりにも過酷な言葉ではないかと思います。

 原発は天災ではありません。やめようと、みんなで決めれば、もうその得体の知れない恐怖から逃れることが可能なのです。

 広島、長崎への原爆、そして今回起きた福島の、日本の自滅につながる原発問題。これだけ放射線の怖さを味わった国民は他にありません。ドイツやイタリア、スイスなどより先に、真っ先に声を大にして、今こそ「脱原発」を叫ぶ時期だと、私は思います。

連載 その24(最終回)
刑事コロンボ〜
ピーター・フォークさんを偲ぶ

ギター科  竹内竜次 


 刑事コロンボでおなじみのピーター・フォークさんが亡くなりましたね。実は最近、「コロンボ・シリーズ」に奥さんと2人でハマってしまい、毎回見るのを楽しみにしていて、勝手に近しい存在になっていたので、この訃報はショックでした。
 よれよれのコートも、安葉巻も、ぼさぼさの髪形も、実は敵の懐に入る隠れ蓑だ、という人もいるけれど僕はそうは思いません。いや、正確に言うと、コロンボを、そんな計算高い人間だと思いたくないのです。昆虫好きな人が服が汚れようとお構いなしで草むらをかけまわるように、事件のトリックを推理して解決することだけに執着があって他はきっとどうでもいいんだと思います。そんな少年のようなコロンボの愛くるしい目が、時折冷徹に光って見えるときがあって、何故だろう?と不思議に思っていたのですが、実は片目は義眼だったのですね。納得でした。
 コロンボのもう一つの魅力は、社会的に立派な地位を築いていて、しかも財力もある犯人や、上司である警察幹部にも、まったく臆することなく、もしくは意に介せず、いつの間にかヤリこめてしまう痛快さですよね。
 この辺りは、日本でいうところの「釣りバカ日誌」の浜ちゃんと共通するものを感じます。「自分たちの恐れる既存のヒエラルキーや社会性に敬意を払わず、好き勝手に生きている人がいたら面白いのになあ」という庶民の儚い願いは、どこの国でもいっしょなんですね。裏を返せばお金持ちや権威に対するあこがれは強いんだろうなとも思います。
 ただ、日本のサスペンスドラマと違って、犯人の、犯行に及ぶまでの愛憎劇とか、金の恨みとかといったネチネチ、ドロドロした人間ドラマがなくて、クールに犯人とコロンボの心理戦、頭脳戦だけで最後まで見せてしまうところが、僕は好きです。
 コロンボはいつも冷静で、感情的になって怒鳴ったり、犯人を恫喝したり、また、犯人に同情したりせずに事件を解決する訳ですが、一度だけ好意を抱いた犯人のために、逮捕後、お酒を用意しておいた事がありました。それから、珍しく声を荒げたこともあります。その2回とも、人の生死がかかっている場面でした。普段がドライなだけにそういったシーンはより鮮明に僕の記憶に残っています。
 それから、コロンボ・ファン皆が望んでいることなんでしょうけど「うちのかみさん」って見てみたいですよね。うちの奥さんは、「ああ見えて、絶対、コロンボの奥さんはすごい綺麗な人だよ!」と言い張るのですが、、、。
 もちろんコロンボさん自身にもお会いしたいけれど、帰り際にぶらっと戻ってきて「そういえば、竹内さん、あたしゃ、あなたの秘密わかっちゃったんですよ。ふふふ、、」とか意味ありげに言われたら、生きた心地がしないのでヤメときます。
 これで、2年間担当させて頂いた連載も最終回です。自分の視野が狭くならないように、なるべく音楽のことは書かないようにしよう。と決めて書かせて頂きました。これからも、色々な分野で起こった出来事に感動出来るように、しっかりアンテナを張っておきたいと思います。拙い文章にお付き合い頂き有り難うございました!


6年後の自分へ継続                      
伊田 剛 (ギター科)

 皆さん、こんにちは。ギターを習い始めて早いものでもうすぐ4年目になりそうです。週1回のレッスンに通い、初めての原稿依頼。何を書こうかと考えても、中々内容がうかばず締め切りまじかとなりようやくパソコンの前に座っています。
 まずは自己紹介ですね。私は、多趣味でロードバイクから始まり、登山やジム通い、ギターにあとスロットなど自由気ままな毎日を送っています。あと食べるのも大好きです。
 ロードバイクは滝のように落ちる汗をかきながらゴール目指して自転車のペダルをよいしょ、よいしょと前にこぎ進んで行くのです。その時の水の美味しいこと。周りの景色を堪能しながら(息が荒れていて余裕は無いのですが)、目指すゴールに着いては美味しいお蕎麦(ご当地料理)を堪能しています。
 登山においても同じように頂上目指し途中の景色や一緒に登る仲間との会話を楽しみながら気持ちの良い汗をかいています。帰りには温泉に入り疲れを癒しています。仲間と共に一つのゴールに向かって計画し実行することが大好きな自分です。
さて本題のギターですが、運動は好きなのですがどうしても音楽に関してはまったくの音痴で小学生、中学生の時の成績は低レベルそのものでした。リズム感が無くカラオケに行っても人の歌を聞くのがいつもの事でした。  そんな時職場の先輩がギターで弾き語りをしてくれました。自分にもこんな能力?があったらと羨ましく思い、先輩に教わりながら始めたのがきっかけでした。
 指先が痛かったりうまく弦を押さえることが出来ず上手くなるんだろうかと思いながら数ヶ月。スポーツ以外にも音楽の趣味も持ちたい。もっとうまく弾けるようになり好きな人に聞いてもらいたいと思いレッスンに通うことになりました。
 そうしながら今年の10月で4年目になります。以前の状態と比較して少しは弾けるようになったのか、不安に思いながらも頑張って継続しています。
 とりとめも無い話で終わりそうですが今後も宜しくお願い致します。

♪お礼とお知らせ♪
サンシティー音楽院講師による連載エッセーは、今回、二人で2年間という担当期間が無事終了しました。石井暁子先生、竹内竜次先生、長い間、毎月の重荷を抱え、それを果たしていただいて有難うございました。お疲れ様でした。
8月号より、新連載が始まります。
<筆者のご紹介>
声楽科&ピアノ科講師
高橋由紀子先生
 1年間(12回)の連載をしていただけることになりました。
 皆様、どうぞお楽しみに。

新春俳句大会
【入選優秀句作品集】 その 5

幼子が 踏む霜柱 さくさくと (秋虹) 1点
 並選     ・・・・・・(京) 

剣立つ 中のほほえみ 水仙花 (鴨) 1点
 並選 水仙の葉を剣と見立てたのはおもしろいと思いました。風の中剣に守られ可愛い花を咲かせる水仙の健気さ美しさが見えました。(まる子)

逆境に 生き抜く草に 励み得て (香)1点
 並選 人間も自然の一部分…。大自然の恵みからいろいろと気づかされますね。(秋虹)

水仙の 葉組整え 凛と挿す (京) 1点
 並選  水仙には凛という言葉が似合います。(扇山)
              (おわり)

 

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