音楽だより♪329 エスプレシボ  11月号
悲歌のシンフォニー

竹内幸一 

 秋は音楽会の季節です。これまで一年間蓄えた音楽の積み重ねを皆さんに聴いていただく機会がたくさんあります。さわやかな秋風の中を、音楽会に出かけましょう。

 今月の終わりには、「第32回魅惑のギターステージ」というギターにとって年間最大のコンサートも開かれます。またどうぞ皆さん応援してください。

 さて今月は、ふとしたことから耳にした曲に、全身が痺れるような感銘を受けましたので、その曲を皆さんにご紹介したいと思います。

 曲の題名は今回のタイトルのとおりですが、詳しく書くと「悲歌のシンフォニー(《交響曲》第3番 作品36)」となっています。作曲者は、ヘンリク・ミコワイ・グレツキといい、1933年にポーランドで生れています。

 初めは小学校の教員で、作曲を志したのは22歳の時でした。最初は現代的な音楽でしたが、晩年「闇夜からの解放」をテーマとし、重々しく緩やかなテンポの曲へと純化されていき、世界に認められる作曲家になりました。

 現代音楽の作曲家ですが、この曲はロマン派的でとても優美で、心に沁みこんでくる誰にも分かりやすい曲です。

 本当は、いろいろな前置きの先入観なしで、ただ黙ってこの曲を聴いていただければ、それで十分なのですが、なにぶん、紙の上の文字?ではどうにもなりません。また、この新聞の残りのスペースも埋まりませんので(笑)、参考程度にこの曲の概略を読んでみて下さい。

 作曲者グレツキはポーランドのカトヴィツェ州・オシュウェンツィムという町に生まれました。ここはいうまでもなく、ナチの強制収容所のあったアウシュヴィッツです。戦後のポーランド人やユダヤ人の大虐殺の記憶の生々しいころ、そしてまた独裁政権の時代を通じて、ポーランドの苦難の時代を、グレツキは生きてきたのです。

 パソコンのUチューブでこの曲を聴くと、オーケストラが廃墟のようなアウシュヴッツの中で演奏している盤もあります。
その背景など何も考えなくて、純粋に音楽を聴いていただければいいのだと、私は思いますが・・・。

 第1楽章は、その歴史の深い地層の奥から、5分あまりはほとんど聞こえないような、ごく小さな波のような音楽が、次第に姿を見せてきます。立ち込めた霧がゆっくりと晴れていくような、穏やかで息の長い序奏です。

 同じテーマの繰り返しが次第に大きくなり、中間部にソプラノに入ります。「私の愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分かち合い給え…」と歌われます。

 この曲は題名に「悲歌」とあるように、体の芯にやさしく流れ込んでくるソプラノが大きな魅力です。言葉の意味は分かりませんが、その天使のようで、清純で汚れの無い歌声を聴くだけで、魂が抱きとめられ、大きな癒しの世界に入れます。

 第2楽章では、「お母さま、どうか泣かないでください…」とソプラノが歌います。これは、第二次世界大戦末期に、囚人の身となった18歳の少女が、ゲシュタポ収容所の壁に書いた祈りの言葉だそうです。18歳の少女が、独房の中でさえ、母を思いやって壁に文字を刻んだのです。

 そんな話も胸を打ちますが、この部分は、私の最も好きなところです。体が丸ごと締め付けられるような、大きな感動があります。

 また第3楽章では、「わたしの愛しい息子はどこへ行ってしまったの?…」と歌われます。これはオポーレ地方の方言を使った民謡だそうです。

 武装蜂起のときに敵に殺されてしまった息子…どこで「眠っている」かも分からないと、悲しみを訴える年老いた母の嘆きが、切々と歌われます。

 深くて重い「悲しみ」が、この曲の柱です。この悲しみは、涙が簡単に出てくるものとは違います。真正面から、なかなか「悲しい」とは、気恥ずかしくて言えないものです。感傷的で、センチメンタルな面を表に出す「悲しみ」はよく見かけます。しかし、この曲の「悲しみ」は、それらとは基本的に違うのです。

 ともすれば、残虐非道の歴史への憎しみ、怨念、怒り、反感、敵意 敵対、敵視をないまぜにして、反戦や平和を声高に訴えがちです。しかし、この曲は、そんな強くて荒々しい主張が前面に出ているわけではありません。

 ただただ、「悲しみ」だけに焦点を絞っているのです。「同じ人間同士が、なぜこんなことをしてしまうのだろう。これまでも、そしてこれからも、この殺し合いは続くのだろうか」・・・と、人間の存在の根源を見つめているのです。

 否定したくなる人間のしでかした罪悪が大きければ大きいほど、「悲しみ」は、重く深いものになります。その現実をしっかりと受け止め、つつみこむ「悲しみ」に心が震えます。

 この曲は、3楽章ともレントという珍しい作り方です。全楽章を通じて非常にテンポはゆっくりとしています。目を閉じて、この曲を味わっていると、天国の花野をゆっくり浮遊しているような感じがします。

 ご存知の方もおられるでしょうが、貸し出しCDのところにこの盤を置いておきますので、良かったら一度聴いてみてください。神々しくも切ない「悲しみ」!味わってみてください。
皆様のご感想をお待ちしています。

 連載 その17
<「学ぶ」=「感動」!?>
ギター科 竹内竜次

 先日のギタートリオコンサートには、沢山のお客様にお越し頂き、お陰様で無事コンサートを終えることが出来ました。
来て頂いたお一人お一人に感謝の気持ちをお伝えしたいのですが、お会いする機会の少ない方もいらっしゃいますので、この場を借りてお礼申し上げます。本当に有り難うございました。

 一つのコンサートを終えるとまだまだ学ぶことが沢山あるなあ、と痛感させられます。共演させて頂いた松下さんが、以前「本番の出来だけでなく、コンサートの準備段階からコンサートを終えるまでトータルで、スタッフ、共演者、そしてお客さんとの信頼関係をいかに築くことが出来るか、がコンサート成功のカギだと思う」ということをおっしゃっていましたが、今回本当にそう思いました。会を盛り上げてくれる良き共演者、良きお客さま、そして良きスタッフに恵まれて幸せでした。

 「学ぶ」ということで思い出すのが、喉頭癌から復帰後初のコンサートで、魂を絞り出すような渾身の指揮を見せてくれた小澤征爾さんの(そしてそれに全身全霊で応えたサイトウ・キネン・オーケストラも感動的でしたが)インタビューです。
 「病後は、もちろんリハビリは大変だったけど、良かったこともある。それ以前と違ってたくさん勉強する時間ができたから。それまで忙しすぎて気付かなかった事が結構あって、細かく勉強しなおすと新しい発見があるんだよね。」といつものように飾らない少年のような眼差しでおっしゃっていたのが印象的でした。世界で認められた一流の音楽家の、しかも75歳になるマエストロの言葉ですから驚きです。

でも考えてみると、僕の生徒さんや、合奏団の方々のなかで、70歳に近い年齢で頑張っておられる方がたくさんいらっしゃるんですね。そうした、皆さんが「学ぶ」意欲と、「学ぶ」姿勢の両方を失わずに持ち続けていることに驚きと尊敬の念を覚えます。

 僕も70歳をすぎて「いやあ、まだまだ勉強することが沢山あるなあ」といえるカッコいいおじいちゃんになりたいですね。それにしても小澤さんの指揮はかっこよかったなあ。久しぶりに、首根っこを掴まれて揺さぶられるような演奏を聴きました。「学ぶ」事って「感動」から始まるのかもしれませんね。もう何度も同じ曲を指揮されているだろうに、あの公演で「素晴らしい曲だなあ」と誰よりも強く感動していたのは小澤さんでしたから。

 感動できるアンテナ、錆つかないようにしておきたいですね。


ピアノ科のおともだち
       ごしょうかい

白石まさ子先生クラス B
♪橋本実莉(はしもとみり)
南立石小学校2年
 
わたしは、ほいくえんのときからおもちゃのピアノをひいていました。
 ピアノがたのしそうだったし、ともだちがならっていたのではじめました。
 上手にひけたときは、とてもうれしいです。
たのしいことは、先生とのれんしゅうです。
たいへんなことは、ゆびづかいです。
いやなことまちがえることです。

高橋由紀子先生クラス @
 ♪松尾海咲(まつおみさき)
          青山中学2年
幼稚園からピアノをはじめました。
友だちやまわりの人がひいていたので、ひけるようになりたいなあーと思って始めました。
ピアノをならっていて、その曲をひけるようになったときの達成感がすきです。
これからの夢や希望は、今はまだ決まっていないけど、今できることを一生懸命やっていきたいと思います。
 

高橋紗由美先生クラス @
♪末広美咲(すえひろみさき)
          南立石小学校6年
 
お母さんも小さいころ習っていたので、小学校3年生のときにピアノをはじめました。

 たのしいことは、すきな曲のがくふがもらえることです。
 私ががんばりたいことは、むずかしい曲をひけるようになることです。


♪姫野祥吾(ひめのしょうご)
          南立石小学校6年
 
ぼくは、おもしろそうだったから、小学校の3年生のときにピアノをはじめました。
いろんな曲がひけてうれしいです。
これからもいろんな曲をひきたいです。

ハーモニアス別府 第11回
ハッピーコンサート開催!!
 10月24日(日)光の園
 雨の中でしたが、たくさんの方の応援をいただき、なごやかなコンサートが開催できました。


<お詫びとお願い>

 皆様には、なにかといつも大変お世話になっております。有難うございます。
 ところで、私の聴力のことですが、最近また少し機能が劣化しているようです。
 聞こえが悪いと、話が通じなかったり、知らん顔をしていたり、無視しているような状態になることもあるかと思います。済みません。
 みなさまに、不快な思いや、話が通じずにご迷惑をおかけしているのではと、不安に思い、心配しています。
 申し訳ありませんが、聞こえてないと思われましたら、なるべく右の耳のほうへお話下さると有りがたいです。それに、大事なことは、出来ましたら、なるべく大きな声で話していただけると、大変助かります。
 これからも、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、ご寛容にどうぞよろしくお願い致します。
          竹内 幸一

 

エスプレシボ♪330 

ことば  竹内幸一 

 第32回目の魅惑のギターステージを、昨日終えた朝です。缶コーヒーを飲んでパソコンに向かっています。先延ばしにしてきましたので、気合を入れてこれから新聞に取り掛かります。

 駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人・・・という文句があります。その言い方でいうと、「出演する人、券を売ってくれる人、招待をする人、喜んで、または興味を持って会場に足を運んでくれる人」がいてくれてこそ、会場いっぱいのお客さんの前での演奏会が完成します。32年目の歴史が刻めたことを、四方八方のすべての方にお礼を申し上げたいと思います。有難うございました。

 その昨日の演奏会で、ルベックムーンの平均年齢を73歳と司会が紹介したところ、会場から大きなどよめきが上がりました。また、「100歳で母親を亡くしました」、「104歳で父を亡くしました」という喪中葉書も今年は届き、少し驚かされました。昨今は、長寿の時代のようです。

 ただ、長寿であるだけでは、少しさびしいですが、ムーンの方々は、指や頭をふんだんに使い、ギターに取り組んでくれています。練習日や演奏会の日に向けての気持ちの張りが、元気の源かもしれません。素晴らしいことです。

 前置きが長くなりましたが、そういう事から今月は、90歳から詩作を始めた、柴田 トヨさん(1911年6月26日生まれ )をご紹介したいと思います。

 何かを始めるという時に、もう年だから・・・という言葉をよく聞きます。そうやって、自分の世界を少しずつ狭くしているのは、大変残念なことです。90歳から新しいことを始める方もいるのです。そして柴田さんは、なんと、もうすぐ100歳になろうかという99歳の時に、詩集「くじけないで」を出版したのです。

 その中のいくつかを、ご紹介しましょう。

溶けてゆく

ポットから  注がれる  お湯は  やさしい  言葉のようだ  私の  心の角砂糖は  カップの中で  気持ちよく  溶けてゆく

 貯金

私ね  人から  やさしさを貰ったら  心に貯金しておくの  さびしくなった時は  それを引き出して  元気になる  あなたも  今から 積んでおきなさい  年金より  いいわよ

 例外も勿論ありますが、人はたいがい、その人の様子や態度によって接しています。おおらかで優しい人にはそのように、いらいらしてとげとげしい人にはそのように・・・いつしか対応する態度になってしまいます。同じ方が、相手によってこうも様子が違うものかと驚かされることがありませんか。
 柴田トヨさんが、上のような詩を書けるという事は、そのように接してもらえるお人柄なのだと思います。

 ことば
何気なく  言った  ことばが  人を  どれほど  傷つけていたか  後になって  気がつくことがある

 本当にそうですね。それは心の中の負債です。軽率に口から滑り出たことばが、取り返しのつかないことを引き起こします。その場面が時おり浮かんできて、 悔しく悲しい思いに縛られます。しかし何度反省しても、もうその場面は消せません。思いの至らない未熟な自分を、繰り返し悔しく思うばかりです。

 こおろぎ
深夜  コタツに入って  詩を書き始めた  私  本当は  と  一行書いて  涙があふれた
何処かで  こおろぎが鳴いている  泣く人遊んで
あげない  コロコロ鳴いている  こおろぎコロスケ
明日もおいでね  明日は笑顔で  待ってるよ

 この柴田さんの詩集「くじけないで」のあとがきに「ひとり暮らし20年。私しっかり生きてます」と書いています。

 生きていれば、いつも、いつも、次々いろんな波がやってきます。さびしいときもあります。つらい時もあります。
 柴田さんは、それから目をそらすことなく、詩を書くことで日々を乗り越えてきました。その悲しみを認めて、そこから立ち上がる自分を見つけ出してきたのです。

 秘密
私ね  死にたいって  思ったことが  何度もあったの  でも  詩を作り始めて  多くの人に励まされて  今はもう  泣きごとは言わない

 これは、この詩集の最後に掲載されている作品です。今年の2月に作った99歳の時のものです。

 柴田さんの暮らしに、詩があってよかったですね。90歳で新しいことを始めた、やわらかでしなやかな心が、幸せな日々につながりました。

 ギターがあって良かった。音楽が自分の暮らしにあって良かった。この新聞を読んでくださっている皆様に、そう言っていただけたら大変嬉しいです。

 少なくとも私は、幾つで終わりがこようとも、ギターがあってよかったと、自信を持って言えます。

連載 その18
「今ではない遠い日に連れて行ってくれる音楽」フォーレを聴く
ギター科 竹内竜次

 ある晴れた日の静かな午後にフォーレのピアノの小品を聴く。僕にとって最上の贅沢の一つです。仕事でフォーレの作品を演奏することになり勉強のために聴き始めたのですが、何度も聴くうちにすっかりその魅力に取りつかれてしまいました。
 音楽は、今ここでないどこかに自分を運んでくれる乗り物みたいなものだと思います。フォーレの音楽は、温かで静かな自分だけが持つ原風景のある場所へ連れて行ってくれます。もしくは何も余計なことは言わないけど黙って話を聞いてくれる古い友人のような存在です。  
 フォーレは息の長い作曲家でしたが、彼の生きた時代は音楽史における激動の時代、大きな変革の時でした。ちょうどワーグナーがまだ存命で、ブラームスがあぶらの乗りきった時期に音楽の道を歩み始め、80年に及ぼうとするその生涯の間に、ドビュッシーやラヴェルが彼らの世界を確立し、ストラビンスキーが革新と驚きをもたらし、パリでは若い「6人組」が活躍し注目を浴び始めていました。そんな中でフォーレは、誰からも影響を受けることなく「時代を超えた音楽家」として黙々と自分の創作活動に打ち込んだのでした。しかし、次々に登場する才能から生みだされる新しく野心的な試みに人々が心を奪われ、喝采を送る華やかなパリにおいて、一見聴きやすく斬新さとは無縁のフォーレの作品はその存在を軽んじられることも多かったようです。
 時折、フォーレの作品の中でショパンの音楽に似たフレーズが出てきます。しかし、音楽の中身は大きく違います。人によって音楽には好みがありますし、これは僕の個人的な思いにすぎませんが「自分はこんなに悲しく美しいのです!」と感傷的にナルシスティックに訴えるショパンの音楽(ショパンファンのみなさんごめんなさい。)よりも僕はフォーレの控えめさが好きです。
 フォーレの音楽には官能的な旋律や魂を揺さぶる慟哭、これでもかと見せびらかすような煌びやかな技巧といったものはありません。メロディーやリズムはシンプルといってよいほどです。しかし、そこには公平な優しい眼差しのようなものがあります。
 誰しも自分の身に「人生の転機となる事件」が降りかかった時、世界で一番自分が悲しいと勘違いしたり、喜びのあまり興奮して周りを顧みずに自分の思いを優先させてしまうものですよね。それは「公平さ」を欠いた個人的な感情にすぎません。しかし、時が経つにつれ冷静に相対的に物事をふりかえる事の出来る時期が訪れ、その時初めて共感を得ることのできる普遍的な意味での「喜び」や「悲しみ」になる気がするのです。フォーレの音楽にあるのは、そうした時間の審判を受けた、そして時間だけが持つ優しさに包まれた、ずっと遠い日の「喜び」であり「悲しみ」であるように思います。そこには直接的な感情の爆発はありませんが、人生の奥行きや深みを知らせてくれる何かが存在します。
 たとえば、初めて聞くおばあちゃんの若かりし日の淡い恋の思い出の告白、子供の頃に見た夕焼けの色、あるいはずっと果たせずにいた約束や遠い日の後悔、、、、、。幸せに過ごした時間の柔らかな記憶や、胸に残る引っかかりや痛みをフォーレは音楽に乗せて柔らかに運んできてくれます。僕にとってそのような体験はフォーレの音楽を聴く以外には起こりえません。小説や映画ほど鮮明なメッセージはありませんが、それゆえに僕の錆つきかけたイマジネーションをフル稼働させる楽しみを与えてくれるのではないかと思います。
 フォーレのピアノ作品のCDの中では、パスカル・ロジェというピアニストのアルバムをよく聴きます。ロジェはフランスものの名手です。この人のドビュッシーやラヴェルの演奏は勿論素晴らしいのですが、知的な部分が勝っているのと、ロジェの持つやや硬質なタッチがドライな印象を与えていて何度も聴くほど好きにはなれませんでした。しかし、フォーレのアルバムはこの人の深入りしない溺れないスタイルと、フォーレの音楽の持つ控えめさと誠実さが絶妙にマッチしていて大好きなアルバムの一つです。ちょっと遠い日々を思い出しながらぼんやりしたい方におすすめです。[前回のレオン・フライシャーのCDも思っていたより反響があってびっくりしましたが、また貸出用のCDの棚にこっそり置いておきますね]

ピアノ科のおともだち
       ごしょうかい

高橋紗由美先生クラス A

♪佐藤千祥(さとうちあき)
          青山中学校2年
 
私は、お母さんにすすめられたのと、自分でも楽しそうだと思ったので、小学校一年生の時ぐらいにピアノをはじめました。
好きな曲が弾けるようになるのが嬉しいです。これから、自分の好きな曲が沢山弾けるようになりたいです。


♪平野綾子(ひらのあやこ)
          羽室台高校1年
 
私は、前からピアノが好きだったので、小学校6年生の時に始めました。
楽譜が読めるようになり、自分の弾きたい曲がだいぶ弾けるようになったことが、嬉しいことです。これからも練習をがんばり、今まで以上にピアノが弾けるようになればいいと思います。

♪小川さくら(おがわさくら)
          別府青山高校3年
 
私は、音楽が好きで、親にすすめられたので、5歳からピアノを始めました。
上手く曲を感じ取れた時は、嬉しいです。
これからもずっと音楽にふれる生活をしていたいです。


<修ちゃんに心臓移植を>

 皆様ご協力有難うございました。沢山の方の心温まる思いをいただき、感激いたしました。有難うございました。
一応11月の末に、第1次集計をしました。
合計4万1千円となり、「修ちゃんを救う会」に振り込ませて頂きました。
ご協力をいただいた皆様方をご紹介します。
笠木哲也様、ルベックムーン様、千村宣子様、中浦秀子様、永嶋順子様、工藤美智子様、福本澄子様、岡本清子様、青谷久子様、周藤康一様、清末昭子様、高橋幸子様、佐藤直美様、岡原博司様 ・・・(お名前漏れがありましたらお許し下さい。申し訳ありませんがお知らせ下さい。)
なお、匿名で、私の知らない時に募金箱に入れてくださった方、また直接個人的に振込みをされた方もおられます。
皆様大変有難うございました。沢山の方のお気持ちが、小さな命の灯を必ず救えるものと信じます。
          竹内 幸一


 

エスプレシボ  331

私の椅子
竹内幸一 
 新しい年のスタートを寿ぐように、窓に明るい日差しの溢れている朝です。皆様お正月をいかがお過ごしでしょうか。どうぞ今年も、昨年同様この新聞を通してのお付き合いもよろしくお願いします。

幾たびも季節がめぐり
たくさんの年月が過ぎ去って行きました
遥かな道程の後に
今日また
新しい一歩を踏み出すことができます
缶コーヒー一杯のささやかな幸せにも
手を合わせられる日々を
過ごしたいと思います
                2011.1.1.

 これは、私の今年の年賀状に書いた一文です。たかが缶コーヒー、されど缶コーヒーなのですが、これは、たぶん私の個人的で特殊な事情なので、お分かりになりにくいかもしれませんね。

 私は、こういう集中力を要する新聞を作ったり、気合を入れて演奏する時の前に、缶コーヒーを一本飲みます。本当は、体の要求としてはもっとたくさん飲みたいのですが、効き目がなくなることや体への悪影響が心配で、ここぞという時しか飲まないのです。他人が見ていると面白いと思いますが、自分で自分に許可を出した一本を飲むとき、私は缶コーヒーを目の前に掲げて、感謝と祈りの挨拶をします。これから取り組むことがうまくいきますように、そして、何だか分からないけど、「缶コーヒー有難う」という気分にもなるのです。おかしな儀式ですね。

 さて、前置きが長くなりましたが、今月は私の椅子という事で書こうと思います。

 小さな写真を入れましたが、この椅子は、パソコン、テレビ、ステレオなど、物に溢れている3畳の部屋の隙間にあるものです。もう二十年ほど前でしょうか、妻と娘が何かのお祝いに買ってくれたものです。ビニール張りの安価なもので、だいぶ擦り切れて破れていますが、仕事以外の時間を、ほとんどこの椅子で過ごしています。

 学校の教室の椅子、会社の椅子、書斎の椅子、鏡台の前の椅子、食卓の椅子・・・それぞれの方に、いろんな椅子があります。椅子はともかく、皆さんそれぞれ独自のポジションがあり、そこで日々の暮らしを送っています。ただ、いろいろな流れの継続の後に、今の位置にいますので、自分がどういう椅子に座って生きているのか、じっくり確認することなく日が流れている気がします。それで、節目の正月でもありますし、自分の座っている椅子を少し見つめてみることにしました。大げさに言えば、自分の原点はどこにあるかという事でしょうか。

 リクライニングを少し倒して、好きなCDを聴きながら、うつらうつらするのは、至福の時間です。また、龍馬伝を見たり、オペラや映画などのDVDを見たりもよくしています。

 しかし、時間が来れば(うっかり失念したり、寝過ごしたりしてご迷惑をおかけする時もありますが)この椅子を離れて出かけます。レッスンや練習、そして食事やトイレにも勿論出かけます。この椅子を起点として、さまざまな方角へ私の暮らしは広がっているのです。

 最近「孤舟」という、仕事を辞めた後の男性の様子を描いた本を読みました。その物語は、椅子を失ったことによる、孤独、寂しさ、悲哀等を描いたものだと思います。勿論、仕事の椅子がなくなれば、次の椅子があるはずなのですが、そう簡単には見つけられないようです。

 その点、私の場合は、幸か不幸か定年というものがありません。早晩、耳の聞こえが悪くなったり、足の痛みが増したりして引退という事態にもなるでしょうが、まだ当分は続けられそうです。

 それにしても、あと何年この状態が残されているのでしょうか。知り合いがいないかと思って、新聞のお悔やみ欄を毎日見ます。その亡くなった年齢を見ながら、時おり、この年齢なら、あと6年か、あと8年か・・・と思います。そのたびに、自分は、これからどう時間を過ごして生きたらいいのだろうと、自問します。しかし、それも束の間のことで、いつしか流されていくばかりです。

 まあ、人生とはそんなものなのかもしれませんね。小賢しい人智で考えるより、神様の与えてくれる使命に身を任せればいいのでしょう。人様のお役に立てることが、まだ自分に残されているのなら、神様がそれだけの時間を与えてくださることでしょう。それに身を任せて、行ける所まで行くことにします。

 ギターの神様のセゴビアは、心臓発作(94歳)で亡くなりました。ギターの練習をしていたのに音が聞こえなくなったので、奥さんが見に行ったら、椅子に座ったまま眠るように亡くなっていたそうです。神様らしい素晴らしい最期ですね。

 もし叶えられるなら、「ご飯よ」と呼びにきたとき、この椅子でセゴビアのギター曲を聴きながら、眠るように・・・というのが私の夢です。(なかなか、思い通りにはならないと思いますが)

 とはいえ、まだ現実は続きます。これからも、缶コーヒーを掲げて、気合を入れて取り組むことに沢山出会いたいし、また自分でもその試練のテーマを設定する意欲を失わない一年に出来たらと思っています。

 皆様今年もよろしくお願い致します。

連載 その19
<私の好きな事・好きな物>
フルート科 石井暁子

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年も一年どうぞよろしくお願い致します。つたない文章ではありますが、このコラムを通して、皆さんに何かが伝わればいいなと思っています。
 今年は、ありがたい事に一月から「愛の里」での100才記念コンサートを始めとして、いくつか既に演奏の仕事を頂いています。その中の一つに、二月の桝屋さんでの映画音楽特集のコンサートがあります。これは、主人のギター・ソロとギターとフルートのデュエットで、古今東西の映画音楽の中から何曲かピックアップして、演奏させて頂くというコンサートです。
 このコンサートのお話を頂いてから、数ある映画音楽の中から、どの曲をプログラムに入れるかの選択をする為に、色々な映画を見たり、CDを聴いたりする内に、ギタリストの鈴木大介さんの「キネマ楽園」というCDと出会いました。(鈴木大介さんは、本当に映画好きな方の様で、小さい頃から数え切れない程の映画に親しんで来られた様です。)このCDはその題名の通り、映画音楽ばかりを集めたCDなのですが、最初の一曲目が始まった途端に、「これは、いい!!」とピピッと来るCDで、繰り返し聴けば聴く程、演奏の良さ、素晴らしさを知らされる一枚になりました。
 今まで「映画音楽」と聞くと、クラシック音楽に対して、何か耳障りは良いけれど、差し障りのない軽い音楽という感じを捨て切れなかったのですが、この鈴木大介さんの演奏は、その価値観を完全に変えてしまう程のレベルの高いものでした。
 新旧織り交ぜて、14曲程入っているCDの中には、オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」から「ムーン・リバー」や、フランス映画の「男と女」等もありましたが、その中でも私が心惹かれた演奏の中に、イタリア映画の巨匠エンニオ・モリコーネが監督し、作曲も手掛けた「夕餉の食卓」という一曲と、これもイタリア映画の名作で、ヘンリー・マンシーニが作曲し、あまりにも有名になってしまった「ひまわり」の二曲がありました。「夕餉の食卓」の方は、今なかなか手に入らない様で、映画の内容を知る事が出来なくて、残念なのですが、曲の方は、淡々と、そして静かに流れる何気ないメロディをずっと聴いていたくなる様な、そしてずっと聴いている内に、心が癒されていく様な、そんな曲でした。そして「ひまわり」の方は、あまりにも有名ですが、決して大げさなのではなく、切なく、しみじみと心に伝わる様な演奏で、ある意味、こちらの方は映画の内容を、演奏が超えている様な感じさえしました。
 この鈴木大介さんの演奏を聴く内に、私が考えさせられた事は、演奏する曲がどの様なものであろうとも、一番大切な事は、その曲に対してどの位気持ちを込められるのか、どの様な想いで、その曲を演奏するのか、という事に全ては尽きる、という事でした。「キネマ楽園」を聴いていると、曲の向こう側にある鈴木大介さんの想い一ひとつひとつの映画を見た時の背景や気持ちまでもが、曲にのって、こちら側に伝わって来る様な気がするのです。時に切なく、時に優しく、時に軽快に……。そして、その想いがこちら側に伝わった時、初めて人の心を動かし、人の心に残る演奏になる……。そんな事を気付かせてくれた素敵なCDでした。いつか私もそんな演奏がしたいなぁ、としみじみ思いました。皆さんも機会があったら、このCD聴いてみて下さいね!
 
ギター科のおともだち
       ごしょうかい
      竹内竜次先生クラス 

♪かいせいや
5才
 英語の先生が教えてくれたので、2才からギターを始めました。
 リズムのれんしゅうがたのしいです。
 ゆめは、ゴセイジャーになることです。


♪土佐路涼平(とさじりょうへい)
            豊岡小学校3年
 えいごの先生がやっていて、たのしそうだったからはじめようと思いました。6才からはじめました。
 あたらしい曲がひけるようになったときがうれしいです。
 これからの夢は、ギターの曲がいっぱいひけるようになることです。
 
♪深田大輝(ふかだだいき)
          南立石小学校6年
 おもしろそうだったので、6才からギターを始めました。
 曲がうまくひけたときがうれしいです。
 これからもっとうまくひけるようになりたいです。

♪近藤大海(こんどうたいかい)
          岩田高校1年
 ギター部に入って上手な先輩にあこがれたので、中学1年生から始めました。
 嬉しいこと、楽しいことは、ギターに夢中になれたことです。
 将来の夢は、医者になることです。



音楽だより♪332 
エスプレシボ 2月号

フジヤマ時計店
                     竹内幸一 
 ほんの少し前に、新年号の新聞に取り組んだ気がしますが、もう1ヶ月が過ぎています。疾走する?転げ落ちていく?人生の後半は、あれよあれよという間に時間が過ぎて行く感じがします。そんな感じだからこそ、こうして新聞に取り組むのは、少しだけ立ち止まる時間かもしれません。ちょっとだけ止まって、周りを見回すことは、貴重なことだろうと自己満足して、またパソコンに文字を打ち込みます。拙い文ですが、今月もどうぞ最後までお付き合い下さい。

 さて今月のタイトルは、「フジヤマ時計店」です。一度も入った事のないお店なのですが、いつも信号で止まるところの右手にあるお店なので、印象に残っています。古い長屋の一角にある、これ以上小さくは出来ないような小さな小さなお店です。照明も暗く橙色のぼんやりした明かりの中に、レトロな掛け時計がいくつか見えます。宮沢賢治の童話が始まるような雰囲気があります。

 この長屋には、いろんな小さな店が元ありました。クリーニング店、電気店、散髪屋など・・・みんな廃業して、埃だらけの空き店舗になっています。そんな中で、お客さんが入ることがあるのだろうかという様な、名前だけが大きい(失礼)フジヤマ時計店が頑張っています。

 もう一つ、信号で止まった時によく見ているお店をご紹介しましょう。そこは「前岡鮮魚店」と軒下の古ぼけたビニールのひさしに書いています。ご夫婦でやっている小さな魚屋さんです。

 車の窓から見ると、奥さんが魚を捌いたり、ご主人が仕入れのトロ箱を運び込んだりしています。店には裸電球がぼんやり灯っています。マジックで値段を書いた札が、いろんな魚の上に並んでいます。

 入り口あたりには、小さな風車や鯉のぼりなどを吊り下げて飾っています。風に吹かれている風車を、こういうところで見かけるのはとても新鮮です。何だか手作りの味わいのする、人間のぬくもりのあるお店なのです。

 近所のおばあさんが、入り口の椅子に腰掛けて、にこにこしながら店の人と、何か世間話をしているのもよく見かけます。隣近所との長年のお付き合いがあるからこそ、店の前に駐車場もないこのお店が維持できているのかもしれません。

 私は、こういうお店を見ると、なんだか心が温もってくるのです。このようなお店で頑張る人々が、いつまでも暮らしていければいいなと思います。

 私のふるさとは過疎の村ですが、今話題の買い物難民の地域でもあります。フジヤマ時計店や前岡鮮魚店のようなお店は、すべてつぶれてしまいました。親戚に酒屋さんがありました。そこの方が「リポビタンDが、自分の店の仕入れ値よりも安い値段で、別府あたりのスーパーで売っているんですよ」と、諦め顔で話していました。しばらくして、ここも、店を閉めました。大量販売、大量仕入れの大きな店に、個人商店が太刀打ち出来るはずもありません。簡単につぶされてしまいます。

 私のふるさとでは、ちょっと食料品など買い物をしようとするのには、バスに40分ほども乗って町まで行かねばなりません。86歳の母親に、卵や豆腐を抱えて、バスの乗り降りが出来るでしょうか。

 大手のスーパーが進出して、根こそぎ個人商店をつぶします。そうすると、暮らしていけない人が多くなり、人が激減します。そして、吸い上げられるだけ吸い上げたら、その大手スーパーもさっと引き上げていきます。中心街の大分でさえ、売り上げが減ればパルコも閉店しています。

 話は突然変わりますが、「ワークシェアリング」という言葉があります。労働時間の短縮などにより、より多くの人で仕事の総量を分け合うことだそうです。主に、雇用の維持・創出を目的として行われます。

 少しずつ一人一人の給料を減らし、失業している人を救済するために、みんなが協力しあうことのようです。オランダあたりで実施されています。

 こういうルールは自然に出来上がるものではありません。やはり、企業も大事ですが、そのためにも個人が暮らしていけるようでなければという、政治の力があればこそだろうと思います。

 簡単な図式ですが、大多数の個人が暮らしていけなければ、物を買う人がいなくなります。そうなれば、一部のガリバーだけが繁栄というのも、次第に厳しくなってきます。その救済には、ガリバー自体の援助よりも、個人を大事にするということが、いずれは政治と結びつくはずと思います。夢まぼろしの甘い絵空事かもしれませんが、私はそう思いたいのです。

 フジヤマ時計店や前岡鮮魚店が暮らして行け、その人たちが買い物の出来る街こそが、今盛んに言われている街の活性化の根本です。

 それが、本来の姿になってほしいと思うのです。そうなるには、野放しの大企業営利活動に対して、一般大衆の願いが通るようなルールを作れる政治が必要だと思います。いつまでも、どうしても、叶わない夢なのでしょうか?

 このサンシティー音楽院も、ヤマハやカワイなどと比べれば、ほんの小さな音楽の場です。近所にヤマハが進出してくれば、ひとたまりもなく吹き飛ばされてしまうかもしれません。しかし、個人の店にはそれなりの味わいもあります。個人のいない企業に、生の声で語りかける、この個人のエスプレシボが発行できるでしょうか?

 第6回 新春俳句大会開催 
 皆様ご協力有難うございました。お蔭様で、今年も盛大な俳句会が無事終了出来ました。
 激戦の戦いを勝ち抜いた皆様おめでとうございます。選評を読むと、句の良さがまた改めて分かります。どうぞ秀句を味わってみてください。
 
【一席】
教卓に 姿勢正しき 水仙花   (まる子) 14点
 特選  厳粛な教室に凛とした水仙の清楚な優しさを感じました。(万)
 特選  気持ちのいい句です。自分の気持も引き締まる気がします。水仙 だからでしょう。教卓がいいですね。(扇山)
   特選 だれがいけたか 教室にりんとたたずむ すいせんが見られる。(葉ぼたん)
 特選 教育の原点が教卓に輝いています。(鴨)
 準特選 ”気を付け、礼!”と言う声が聞こえて来る様です。(美々たぶ)

【二席】
泣き止みし 子にご褒美の 冬の虹 (美々たぶ) 13点
 特選何故なのか、沢山泣いた後の美しい虹。ほらほら見てご覧といわれて、虹に見入る幼い子。まだしゃくり上げて・・可愛いですね。(さくら草) 
特選 年末に二度虹を見ました。思わず声が出て足も止まり見とれてしまいました。本当にご褒美のように美しい天からの贈り物でした。(まる子)
準特選 子供をあやす・・・ような事もなくなり、何かうらやましく思いました。(龍女)
準特選 このような、おおらかな感性の親に育てられる子は幸せである。(京) 
並選  親御さんの願いや想いがたくさん詰まった一句ですね。お子さんの健やかな未来に乾杯!(秋虹) 
並選  人に聞くとかなりはっきりとした虹を一度に二つ見たとか つい いつまでも眺めていたいものですね(葉ぼたん)並選  泣いていた子が泣き止んでほっとして、外の景色も見えるゆとりができた作者。 そんな時見た虹は、とっても優しい色をしていたでしょうね。きっとその虹は、子のご褒美というより、あやしてくれたお母さんかおばあちゃんに神様がくれたプレゼントじゃないかと思います。心がほっこりしました。何はともあれ良かったですね。(クッキー)

【三席】
水仙の香に 望郷の 涙かな   (秋虹) 8点特選故郷は良いものですよね〜  水仙の香りに故郷を思い涙する  とても素敵な句だと思います。(ごん太)
特選 ふるさとは、心の中にあって、いつも自分を支えてくれるものです。こんな、ふとした瞬間に、ふるさとを思い出す心情に、共感しました。水仙を見て、ではなく、香に、というところに、繊細さを感じました。(美空)
並選 子供の頃からお正月には南天や千両の赤い実と一緒に水仙が活けられていました。ふるさとの家ではどこの庭にも水仙があったものです。懐かしい香りがしてふるさとの両親の顔が浮かびます。(さくら草)
並選 ふるさとの庭が思い出されます。(鴨)

【次席】みな海を 見て咲き揃ふ 野水仙(龍女)7点
特選 2〜3本の蕾を待って、皆咲きました。海は広いな大きいな〜と唄ってるようです。(美々たぶ)
特選 以前、福岡の能古島で海に面して広がる水仙を見た時のすがすがしい感動が蘇りました。(秋虹)
並選 広大な海の風景と、小さくて可愛らしい水仙の花が良く合います。(鴨)

【入選優秀句作品集】 その 1
灯台へ 続く小径の 水仙花 (扇山) 6点
特選景色が、はっきりと浮かんで見えます。作者と一緒に歩いているようです。(龍女) 
準特選  遠くに見える灯台、足もとの水仙と、具体的な景の捉え方が素晴らしいと思います。(鴨)
並選   灯台に続く水仙と言う表現が好きです。(ごん太)

水仙を活けて座敷の整へり(美々たぶ) 6点
準特選 清潔で静謐な座敷に凛とした水仙が活  けられ客を迎える様が浮かびます。(まる子)
準特選  花があっての座敷です。その花が水仙ということで座敷がしまって見えます。整へりが いいと思います。(扇山)
並選  並が申し訳ないほど 良い句です(香)
並選  正月の準備が整い新しい年を迎える清々しさを感じました。(万)

冬晴れの 海を見下ろす 坂の町(まる子) 6点
特選  冬の晴れた日、海がとてもきれいな色をして輝いて見えます。 そんな景色を見ていると気持ちまでも晴れやかになります。絵が見える素敵な句だと思います。(クッキー)並選 私もまさに「坂の町」に住み、毎日海を見下ろして暮らしています。気持ちいいです。(龍女)
並選 南立石公園近くの橋から見える冬の別府湾の景色が好きです。毎日の喧騒をひと時忘れてしまいます。その風景かな?と思いましたので(万)
並選 別府大好きっ子の私としては、別府の良さが一杯詰まったこの句が好きです。(美空)

淑やかに 草履を揃え 春着の娘(まる子) 4点
準特選お正月かな それとも二十歳なのかなそんなときでないと今は 大和なでしこは みられない。(葉ぼたん)
準特選 愛娘の日頃と違うしとやかさに嬉しくもありいつか嫁すであろう一抹の淋しさも感じます。(万)

城跡と言う草むらの冬すみれ(龍女) 4点
準特選昔は栄えた城のあった場所も、今は草むらとなってしまった。でもそこに、小さな命がある・・・という、無常の切なさの中に、前向きな明るさを感じたので、いいなと思いました。(美空)
準特選 今はもう城主のいない草むらにそっと咲く冬すみれ。その小さいすみれは、草むらの中でもしっかりと生き抜いている。そこに目を向ける作者に、人に流される事なくしっかりと根を張り、自分を生きようとする意思が感じられました。(クッキー)

引き返す 勇気試さる 雪の道 (ごん太)3点
並選初詣に出かけたけれど雪で大変、どうしよ  う。危ないし時間が掛かるし、やっぱり引き返しましょう。小さい勇気だけれど、人生も同じ事ですね。時にはあやまりを認めて、よし、引き返そうって。(さくら草)
並選 雪に慣れてない人の決心の為所(しどころ)です。もっと深い意味もありそう。。(美々たぶ)
並選 山登りをしていたら、引き返すというのは、とても勇気がいるそうですね。 もう少しいけばたどり着くかも…でも今日は雪がひどい。ここで止めて又いつか登ろう。征服欲より引き返すという勇気ある決断をするのは、とても大切な気がしました。冬山の登山を想像してしまいましたが、違うのかもしれません。でもいつも前進しなくても立ち止まりや引き返すのも素敵な事だなと思ってこの句をとりました。(クッキー)

水仙と 紅椿置く 母の窓 (さくら草) 3点
特選 臥床生活の母かも知れないが、親への深 い気持ちが感じられる。(京) 

歓声と 水仙横に 五人抜き(葉ぼたん)3点
特選 春剣道大会 熱気の館内から ふと目をや ると庭に水仙が・・・鮮やかに情景が浮かびます(香)  

inserted by FC2 system