サンシティー音楽院 音楽だより♪325 

覚悟
竹内幸一 

 雨が続いています。梅雨ですから当然ではありますが、降り過ぎて土砂崩れなどの被害が出るのは困ったものですね。

 ところで湿り気が多いと、ギターがしっとりして音が良くないですね。乾燥剤や空調などの対策もありますが、一番いいのは弦を震わせてギターを振動させることだそうですよ。雨の日は、ギターのためにも、おうちでギターと仲良く♪遊びましょ♪!

 さて今月は、「覚悟」という、なんだか大げさな題になっています。実は、最近、ギターの仲間の重要な方が脳梗塞で入院しました。それを仲間にお知らせした返信に、「覚悟」という言葉がありましたので、取り上げてみました。

 その返信メールの一部を掲載してみます。
【メールを見て驚いています。幸いに軽そうで、まだ良かったのかな?と思います。・・・略・・・

 他人事でなく、私にも何時その様な事態がくるかも知れず、、、とは言え、日頃の不摂生を止める事も出来ず、、後に続く言葉は、私などは、『気を付けましょう!』ではなく、『覚悟を決めましょう!』と言う事になります。ここまで身近な方が、この様な事になった事は、大変ショックです。】

 入院の知らせを受けた後、夕食の時に、妻に言いました。
「少し間違っていたら、今ごろ、こちらが倒れていて・・・しばらくレッスンができません・・・と、あちこちに電話をしてもらうことになっていたかも知れんな」と。

 同年代の、元気そうな方の突然の入院でしたので、何だか自分のこととして、つい置き換えてみることになったのです。普段は、まだまだ・・・当分は大丈夫と思いつつ、呑気に日を過ごしています。しかし、ありうるんだという現実が、そこまで来ていることを実感したのです。まだまだ心底からではないかもしれませんが、そんなことも起こりうるんだなという「覚悟」を、少しだけでも、しなければと思ったのです。

 そんな折、一冊の本を読みました。「パリのおばあさんの物語(スージー・モルゲンステルヌ著・岸惠子訳・千倉書房)」という、フランスで子供から大人まで読み継がれているという本です。この本は、妻が、オカリナの先生に薦められて買い込んだので、我が家に登場しました。

 本の内容は、75歳のおばあさんが、老いをしっかりと見つめ、それを明るく認めていくお話です。

 山歩きが大好きだったのを医者から止められます。→良かったわ、靴が磨り減らなくて済むわ。

 玉ねぎとにんにくをこんがりいためた料理が好きでした。でももう胃が受け付けなくなりました。→良かったわ。もうこれで玉ねぎを切って眼を泣きはらすこともなくなったわ。

 豊かだった黒髪が白髪に変わります。→すてきだわ。子供のときから、変身するのが大好きだったんだもの。

 足腰が弱っていること、眼が疲れること、いろんなことをすべて認めて、おばあさんは、暮らします。いろんなことが出来なくなりますが、「出来ることだけやればいいんだわ」と自分に言い聞かせます。苦楽が刻んだ皺だらけの自分の顔を見て「何て美しいの」とおばあさんはつぶやくのです。

 おばあさんは、思い出と差し向かいで、一人で食事をします。

 子ども達が学校に行くのに手を振り、勉強を手伝い、兵役で戦場に行くのを見つめ、彼女の人生から立ち去っていくのを見送りました。

 ナチスに追われ、命からがら逃げたこともありました。ご主人と甘い婚約時代もありました。

 子ども達やご主人に、いったいどれくらいの食事を準備したでしょうか。これまで洗った皿をならべたら・・フランス一周するほどです。

 お祭りで精一杯のご馳走をし、テーブルに並べました。とっておきの銀食器やクリスタルグラスも出しました。「おいしいわあ!」という歓声の声が今も聞こえてきます。

 いろんな思い出が次々に湧いてきます。しかしおばあさんは言うのです。

 「おばあさん。もういちど、若くなってみたいと思いませんか?」という問いに、おばあさんは驚いて、ためらうことなく答えます。

 「いいえ」

 その答えはやさしいけれど、決然としていました。「わたしにも、若いときがあったのよ。わたしのぶんの若さは、もうもらったの。今は、年を取るのが私の番」

 彼女は人生の道のりの美しかったことや、山積みの苦難も知りました。

 「もういちど、同じ道をたどってどうするの?だって私に用意された道は、今通ってきたこの道一つなのよ」

 そういう一行で、この物語は終わっています。

 それぞれ方に、それぞれの人生の道があります。たった一つの道です。振り返れば、消しゴムで消してしまいたいような恥ずかしいこともたくさんあります。

 しかし、私は、自分の歩いてきた道を、おばあさんを見習って認めたいと思います。

 様々な喜びや苦難をひっくるめて、この人生がいつ終わっても、満足と言える自分でありたいと思うのです。あやふやな「覚悟」だとは思いますが、その覚悟のために本当に役立つことを、この本は、やさしく教えてくれました。

 


連載 その13
男女の不思議!?
        ギター科 竹内竜次

 ムシムシした過ごし辛い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。夏の食欲がない時にゴーヤを食べると、この苦みに負けてなるものか!と不思議と力が出てきますが、あれは僕だけでしょうか?皆さんの「夏乗り切り法」があったら教えてください。
 さて、この夏、奥さんの両親が別府に来ることになりました。「大分の名所もあらかた見て回ったし、今回は黒川温泉に行こう」ということになり、良い宿はないか、とインターネットであれこれ探していると口コミのページを発見。読んでみると、すべて好意的なコメントばかりでなく、なかなか正直に感想を書いている人が多く興味深かったです。
 8割を褒め、後の2割に注文をつけ(風呂が熱すぎる、料理が少ない、従業員の足音が気になるetc、、、)しかし、最後には「大方満足しました。また、来たい。」とスマートに結んでいる人が大多数でした。そんな中、注文を通り過ぎ辛辣で攻撃的な非難の言葉を並べているコメントもありました。そして、面白いことにそのほとんどは男性が書いたものでした。女性のコメントは批判的であっても建設的で、「こうしたら良くなるのでは」といった具体策が書かれていますが、男性が書いたものは、批判のための批判としか受け取れないような内容ばかり。「テレビが旧式なのは困る!」という文句をつけたものまであり、黒川温泉まで来て、まだ、現実世界とつながっていたいのか、と思わず吹き出してしまいました。
男というのは、まったくしょうもない生き物ですね。相手より高い目線でものを言いたいのか、自分をえらく見せたいのか、批判するのが大好きです。こんな宿の口コミ評価の中にまで、その習性がはっきり出るんですね。そういえばサッカーか野球の試合を見ていて、ぶりぶり試合内容に文句を言っていた僕に、妹が「なんで世の中の男はみんな、自分が監督よりエライと思っているんやろうか?」とあきれていました。今回のワールドカップも、「どーせ1勝もできないだろう」とタカをくくって岡田監督を集中攻撃していた評論家の皆さんは今頃汗をかいてるんでしょうね、、。
 おいおい、女性票を取り込もうとしてないか、って。いえいえ、そんなことは決してありません! 女性にだって困ったところや××なところや××なとこだって、、もごもご、、、。あまり敵を増やしたくないので、急にディミヌエンドからピアニッニッシモ。(××については身近な女性を思い出して想像していただくとして、、、)
 そういえば友人が教えてくれたのですが、インターネットで「妻」を検索すると、「プレゼント」「誕生日」「旅行」といったポジティブな言葉が出てくるのに対し、「夫」を検索すると、「離婚」「嫌い」「保険金」、、、と言った言葉が上位を占めるんだそうです。こ、こわい、、、ですね。

オペラへのお誘い
菅田敬子 (ほのぼのコーラス)

 エスプレシボの行事予定に、オペラ鑑賞講座(水)午後1時40分〜(500円)とお知らせのコーナーがあります。
 私は、オペラはあまりにも格調高くて、外国語だし内容もあまり分からないしと、身近に感じていなかったのですが、数年前テレビで、三大テノール(ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ)の素晴らしい歌声を聴いてから、声だけでこんなにも感動を与えられるものかと、オペラ歌手のすごさに目が覚めた思いがしたのです。
 当時の三人はほれぼれする程男性的でカッコ良く、私の目もハートマークになってしまいました。それがきっかけになり、オペラを聴いてみることにしました。
 毎回のプラグラムは、観る人が順番に選びます。それを竹内先生が図入りの解説をして下さり、だいたいの話の筋書きが分かったところで部屋を暗くして、スイッチオンです。
 世界の有名な豪華絢爛の劇場の映像から入っていきます。指揮者やオーケストラの音合わせ等を聴いていると、その場に居なくとも、素晴らしい劇場で今から始まる物語に期待感が高まります。
 物語が進んで、いい音楽と伸びやかな歌声に聞き惚れていると、ふっと午後のまどろみの時間の中に入ってしまうことがあります。
 そんな時、奥様がコーヒーとお菓子をそっと差し出してくれます。
 そんな優雅なひとときを月に1回、サンシティーロイヤルシートに座って楽しんでいます。
 まだシートに空きがございますので、ご一緒にいかがでしょうか。

猫の額ほどの菜園
      吉弘美穂子(ほのぼのコーラス)

 きっかけは、食用に買ったジャガイモをすっかり忘れていて、そのジャガイモが余りにも立派な芽を出していたのです。それを捨てるのも気がとがめてしまい、「そうだこれを植えてみましょう」と思いついたのが3年前だったのです。それまでは花しか植えたことがないのに、です。
 狭い庭には枝を広げた柿の木が1本あり、その下を避けてのことですからますます狭い。そういう場所に植えたジャガイモなのに、土を掘るところころと出てくる、出てくる、自分で植えて収穫するなんて初めての経験で、そのうれしかったこと、思わず笑顔満開です。
 翌年は、ジャガイモ、ナス、キュウリ、ピーマンの苗を2本ずつ買ってきて、インターネットで野菜の育て方を見ながら、支柱を立てたり、わき芽を欠いたり、肥料を施したりと、野菜のことなど何も知らなかったのに、花が咲いて実がだんだんと大きくなる様子はとてもうれしいものです。
 しかし今年はどうですかねえ、場所も余り移動ができませんし、気候も順調とはいかないし、初めて植えたモロヘイヤもなかなか大きく育ちません。さてさて一回でも食べられるかしら?今のところは心もとない状態であります。キュウリのほうは花も咲き実も収穫しつつあります。朝となく、昼となく毎日眺めては成長の具合を楽しんでいるのです。
 猫の額の菜園で野菜を育ててみて、初めて実感したものです。我が家の不作はお店に行って買えば済みますが、自然を相手の農業などは本当に大変な事なのだと。地球温暖化のことまで猫の額ほどの菜園から心が地続きになりました。


サンシティー音楽院 音楽だより♪326 

目的がある
竹内幸一 

 明けそうで、なかなか明けなかった梅雨がようやくあがりました。窓から見える山の上には、夏らしい大きな入道雲が盛り上がっています。

 さて、今月は、最近コンサートが4つほど続きましたので、その紹介をさせてください。それぞれに、多くの方の思い入れや、人生の歴史が刻み込まれているものばかりです。

 <7月4日> 別府ギターサークル連盟第33回定期演奏会(別府市社会福祉会館) これは年に1回開催されているものですが、私の参加している演奏会では、最も長く続いているものです。33年前というと、何と私はまだ20代・・・夢、幻のような(笑)はるか昔のことです。

 今年は、8団体(約80名)の参加で、各サークルがいろいろなギター合奏を披露しました。CTVの撮影もあり、後日放映されました。みんなで力を合わせて何かを作り上げるという事は、新しい人間関係の育成にもなっています。生涯、話をすることもなかったはずの方々が、職業、年齢などの垣根を越えて親しく集います。素晴らしいことだと思います。

 <7月11日> サンシティー音楽院講師演奏会(シャンテドール) この音楽院で指導をしている先生方のコンサートです。いわばプロの見本市ですので、演奏者側には、かなり強いプレッシャーのあるコンサートです。

 大学の卒演の時がピークで、以後、演奏レベルが落ちるばかり、後は教えることに専念?というケースもよくあります。

 きちんと指導ができるかどうかは、やはり常日頃の心がけにかかっています。新しいものへの探究心がなければ、音楽の生命力が弱ってきます。これまでの知識の切り売りでは、時間が過ぎるばかりで、そのマンネリ感は、生徒さんにも伝わります。この年に一回のチャンスは、そのような立ち枯れに水を与えることにもなると思っています。

 今年の講師演奏会の終わりにもお話しましたが、長寿の方の心がけの一つに「好奇心」という事がよく出ます。これはどうなっているんだろうな?ちょっとかじってみようか・・・と、身のまわりのいろんなことに、新鮮なものを求めるのです。

 講師演奏会に出るという事は、新しい曲、出来るかどうかやってみないと分からないような難曲に取り組むことです。それは、一種の冒険でもありますが、わくわく感もあります。長く生きれば生きるほど、このわくわく感というのはなかなか手に入りません。とても貴重な場ではないかと思います。
このコンサートには、生徒さんがたくさん応援に来てくださいます。1曲も知っている曲がなかった。難しくて訳がわからん。・・・そういう感想も時おりお聞きします。

 そのお気持ちは良く分かります。しかし聴いてくださる方もこの場が「好奇心」のアンテナを伸ばす先になればと思います。プログラムの曲名を見て、「全く聴いたことがない」、また聴き終わっても「全くちんぷんかんぷん」でもいいと思うのです。何とかその未知のものを咀嚼しようとする頭の働き、好奇心は、それまで使うことのなかった脳細胞にダイナミックに働きかけていることでしょう。そのようなチャンスはなかなかありません。

それは、脳細胞の活性化、そして若返りにも有益なことになると思います。演奏する側も、聴く側も、このコンサートが、「好奇心」を満たす場になってくれたら嬉しいです。

 <7月18日> E・F・C100回到達記念コンサート(ライブハウス・竹の里) エチュード・ファミリー・クラブの略で、EFCの会と呼ばれている小さなコンサートです。2002年の4月にスタートし、8年4ヶ月をかけて100回という大台に到達しました。

 この会は、音楽を学んでいる方が、それぞれの進度に応じて演奏しています。各種の楽器が一同に揃うのも珍しいことと思います。このEFCがあったからこそ、ピアノを続けることが出来た、という嬉しいメールをいただいた方もおります。小さな目標ですが、上手に利用すれば、大きな成果になることでしょう。どうぞ皆さん、第2日曜日の夜、音楽院でのミニ発表会にご参加下さい。

 100回記念コンサートには、新しい方も来てくれ、これまでにない盛り上がりがありました。ただ残念なことは、この会の最多出場者のTさんが、身体の都合で欠席したことです。この会に向けての曲目まで準備している話をしていたのに、指の動きが回復しなかったので大変残念でした。

 Tさんは、このEFCをはじめ、ギターのいろんな催しに、どれも欠かさず大分から出席してくれるかけがえのない貴重な人材です。変わらぬギターへの情熱が、指へのいいリハビリになり、遠からず回復することでしょうが、一日も早い全快を待っています。

 <6月28日> 新スタート 第1回あすなろコンサート(ライブハウス・竹の里) この会は、音楽団体「ハーモニアス別府」の主催する新企画です。
 音楽を学んでいる方に、30分程度のまとまった時間の演奏の場を提供できたらとスタートしました。一曲だけ弾く機会は、少しはありますが、30分という、いわばミニリサイタルはなかなかチャンスがありません。それをご自分で企画し、人を集めるというのは、また違った大変なエネルギーが要ります。
 その場をハーモニアス別府が提供し、気軽に利用してもらえる会を開くことで、音楽に取り組んでいる方の側面支援が出来ればと思っています。これから大きく伸びていこうとしている若い学生さんの、一つのステップにもなれば幸いです。

 いくつかのコンサートについて書いてみました。だいぶ長くなりましたのでこれで終わりますが、どれも、それぞれに向けての「目標がある」という事は、掛け替えのないことだと思います。またご一緒に頑張りましょう。

 連載 その14
<私の好きな事・好きなもの>
フルート科  石井暁子

 みなさん、こんにちは。梅雨が明けてから、突然真夏がやって来た様な暑い日が毎日続いていますが、いかがお過ごしですか?こんなに暑いと本当にメゲてしまいそうになりますが、最近、一日の生活の中で、レッスンと練習を終えて、夕食を作って食べた後の、ホッとする時間に、インターネットの動物の動画のサイトを見て、元気をもらっています。
 最初は世界中の動画を紹介する、NHKの夜中の番組を見始めたのがきっかけでしたが、インターネットで、動物の(しかも鳥の!)動画があるのを見つけてから、毎日食い入る様にあちこち見ています。
 というのも、家には2年程前まで、セキセイインコがいました。7年程一緒にいましたので、家族の様な存在でしたが、病気で亡くなりました。それから、なかなか新しいインコを飼う勇気がなくて、今に至っていますが、鳥は大好きです。
 鳥の動画のサイトには、本当にたくさんの鳥さんが登場します。長い時間、一人でずっとお喋りしている子や、色々な歌を何曲も歌う子がいて、びっくりします。そんな色々な鳥さん達の中で、私が本当にすごいなぁ、と感心したのは、「ヨウム」というオウムよりも大型の、大きなグレーの鳥です。
 この鳥は人間の3才から5才児くらいの知能があると言われていて、言葉を覚えたり、歌を歌うだけではなくて、どうやら、本当に飼い主さんとの意思の疎通ができる様なのです。私が動画のサイトで見つけた「メルちゃん」というヨウムは、本当に飼い主さんと会話をしていました。
 例えば、「メルちゃん、何か食べたい?」と聞くと、「ぶどうが食べたい。」と返事をしたり、「何か飲む?」と聞くと「ジュースのお代わりが欲しい。」というのです。飼い主さんも、ごく普通にこのメルちゃんと会話していて、このメルちゃんの要求に対して、時には「今ご飯食べてるから待ってて!」と言い、すると、メルちゃんが「ご飯おいしい?」と聞くのです。もうこうなると、本当に家族がもう一人いるのと同じだなぁ、と思って感心しました。
 この動物のサイトを見ていて感じるのは、どの飼い主さんも自分の家の子を本当に可愛がって大事にしている、という事です。最近、思い付きでペットを飼い始めて、途中で面倒を見切れなくなり、ペットを捨てる人が増えているという話を聞きますが、それは人間の傲慢だと思います。
 私も家のセキセイインコと7年間一緒に過ごす内に、こんなに小さな小さな生き物にも、人間と同じ命がある事、そして、この小さな生き物は自分の命を一生懸命、精一杯、毎日生きているという事に気付かされました。人間よりもその命がはかなくて、か弱い分だけ、更に一生懸命生きている様に見えました。
この小さな命を見ていると、自分もしっかり生きなければ、と思いました。また、どんな小さな生き物にも、人間と同じ命があると言う事を忘れてはいけないと思いました。
 私もメルちゃんの様なヨウムを飼ってみたいなぁ、と思う気持ちがあるけれど、このヨウムという鳥は、寿命が50年近くある(大型のオウムやヨウム等の鳥類の寿命は長いのです。)ので、それを考えると…私の寿命が先に尽きてしまうかも(笑)。なので、残念ですが断念する事にしました(笑)。

ほのぼのコーラスに参加して
野崎 明敏 (ほのぼのコーラス)

 「ほのぼのコーラス」と云うサークルに所属しています。「ほのぼの」は字引でみると「かすかなさま」とあります。サークル名にしては一寸寂しい気がします。そこで字引をもっとよくよく見ると「人情の暖かみの感じられるさま」ともありました。これなら納得です。
 うたの世界で「人情の暖かみを感じられるさま」をさがすと、有りました。「万葉集」です。まず思い出されるのが次のうたです。
山上憶良臣(やまのうえのおくら)、宴(うたげ)を罷(まか)る歌一首
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我(わ)を待つらむぞ」巻13 340

 宴会を中座するのは気が引ける、きっと今日は早く帰ってね!と言われているのだろう。でもあからさまに「うちのかみさんがね」と言えば、「憶良のかみさんはね」と言われ、奥さんが悪く言われることになる。家庭の破壊に繋がりかねない。うまく子供に引っ掛けて、その母とぼかしたところは立派なものです。
 次に今の季節に思い出される歌です。
 痩人(やせびと)嗤笑(わらう)歌二首
大伴家持(おおとものやかもち)
「石麻呂(いしまろ)に我物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ」

  巻16 3875
「痩す痩すも生けらばあらむはたやはた鰻を捕ると川に流るな」  3876
 石麻呂<吉田連老(きちだのむらじおゆ)は痩せの大食いだったそうだ。だから或意味皮肉とも取れるが、こう云う事をづけづけ言えるのは、余程親しかったのではなかろうか。日頃の付き合いが偲ばれる。
 大意は 石麻呂さんよ。鰻は夏痩せによいと聞いている。捕ってきて食べなさいよ。

痩せていても生きていればよいことも有ろう。間違っても鰻捕りで川にはまって流されなさんなよ。
 万葉集の歌に曲が残っていれば楽しいでしょうね。

中学校の恩師へ
      利光ヒロエ(ほのぼのコーラス)

 先日は、私たちの還暦同窓会に出席してくださいまして有難うございます。
 ずい分久しくお目にかかっていませんでしたが、先生のお元気な姿に接し、うれしゅうございました。
 物故者が7名もいると知り、今元気に生きていることに感慨をおぼえました。
 45年ぶりに会った人がほとんどで、名前と当時の顔が一致せず、初めはとまどいましたが、話してゆくにつれいろんなエピソードも思い出されました。
 いい大人同士が「ちゃん」付けで呼び合い、男女のへだてなく、すっと45年前までタイムスリップしました。
 定年退職を迎えた人も多く、それぞれ社会に貢献した仕事を成し遂げた自信が、姿や顔に表れ、たのもしくうれしく思いました。
 神官になったAさんのサプライズで、お祓いも受け、なんだかこれから先も元気に生活できそうな思いです。もしつらいことがある時は、この日の充実した時間を思い返せば、何とか踏ん張ってゆけそうです。そして、いつでも帰れる故郷があることは幸せなことですね。
 偶然に9年間も共に机を並べて学びあったことは、必然なことだったのかもしれません。その後送られてきた写真や住所録をながめながら、「友こそ生涯の宝」だと思います。
 どうか先生もお元気な姿で、私たちを叱咤激励してください。またの再会を楽しみにしております。






サンシティー音楽院 音楽だより♪327 
猫を抱いて象と泳ぐ
竹内幸一 

 梅雨明けから、暑い日が連日続きましたね。この酷暑の夏を乗り越えるのが難儀な方も多かったことと思います。ご苦労様でした。体調の優れない方は、どうぞお大事になさってください。

 それだけに、今年ほど9月の声がうれしいことはありませんね。これでようやく、灼熱地獄から解放されることになるのかもしれません。そんな9月への願いが、希望通りになってくれるよう願わずにはいられません。

 さて今月は、最近読んだ「猫を抱いて象と泳ぐ(小川洋子著・文芸春秋社)」 という本について少し書いてみたいと思います。題名を見ると、まるで童話のようでもありますが、内容は実に奥深い含蓄のある小説でした。読み始めたときに、普通の日本の作家による作品とは違う違和感がありました。それは、外国の作家が書いたものを翻訳した感じだったからです。しかしどこを見てもABC作・小川洋子訳とは書いていません。

 日本人の作家が、このような内容の作品をどうして書けるのだろうと、いささか奇妙に思いながらも、物語にぐんぐん引き込まれていきました。

 この作品の題名をもう一つつけるとすると「リトル・アリョーヒンのチェス物語」とでもなるかもしれません。そうです。この小説は、チェスを主題にする作品なのです。

 私は、チェスのことを全く知りませんが、それでも引き込まれました。チェスをやったことのある方だったら、その何倍も面白かったことだろうと思います。

 その赤ん坊は唇がくっついて生れてきます。手術で切り離すのですが、下唇の皮がないので、脛の皮を移植します。脛の皮のせいで、下唇に毛がたくさん生えることなどもあり、少年はいじめられたりしながら、友達のいない気弱な暮らしを続けます。

 そんな少年が、ある日、導かれるように、バス会社の裏庭にある廃棄バスを訪れます。その廃バスを改造して住むマスターとの出会いが、チェスの始まりでした。ぶよぶよに太ったマスターは、少年がバスを尋ねると、まず、いろんな甘いデザートを作ります。

 それをたらふく一緒に食べた後、マスターはチェスを少年に教えるのです。そこで、ちょっとしたことから、少年は、マスターの猫を抱いてチェス盤の机の下にもぐりこんで、試合をするようになるのです。盤の裏を眺めていると、全体が見え、次の一手の着想がわくのです。以後少年のチェスのスタイルがそれでなければ、出来ないという事になります。

 マスターは日々巨大になり、突然死亡します。亡骸をバスの乗車口から運び出せずに、重機がバスを壊します。人に抱えられないマスターは、クレーンでトラックへ乗せられるというような巨体でした。

 しかし「慌てるな、坊や」と呼びかけるマスターは、少年の神様でした。マスターは、少年にチェスの何たるかを教えてくれたのです。勝負にこだわるのではなく、その手順がいかに美しくできるかを求めたのです。そして、少年は机の下にもぐりこむこともあり、大きくなるとか、太ることへの極端な恐れを持っていました。少年はいくつになっても小さくなって机の下にもぐりこみ、そしてそこで、ボヤの煙を吸って生涯を終えることになるのでした。

 マスターと別れたあと、少年は、パシフィック海底チェス倶楽部というところで、人形を操ってチェスをするようになります。盤の下にもぐりこみ誰にも姿を見せないで、下から人形を操って相手をするのです。そのころから、チェスの天才棋士アリョーヒンにあやかって、少年は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれるようになります。

 人形に人気が出ると、対戦を求めて、いろんな強さの人がやってきます。いろいろな性格のチェスに相対して、少年は、いかに美しい棋譜を残すかに心を砕きます。そして、勝負のたびに「慌てるな、坊や」というマスターの優しい声を聞くのでした。

 その後、老人専用マンション「エチュード」へ少年は移ります。そこは、世界チェス連盟の会員ばかりしか入れないマンションでした。老いても、チェスがやりたくてたまらない人ばかりで、腕前も元は世界大会に通用する人ばかりです。そのお相手に、「リトル・アリョウーヒン」は選ばれたのです。

 そこでもいろんな対戦が続きます。猫を抱いて、机の下にもぐりこみ人形を動かすのです。チェスの駒に「ビショップ」というのがあります。その駒は、斜め移動の孤独な賢者で、祖先は象といわれています。

 チェス盤の上は、広い広い大陸、大海で、どこまでも旅のできる場所です。盤の下で猫を抱きながら、その盤の上を象(ビショップ)と一緒に泳ぐことから、この本の題名が付けられているのだと思います。

 ある時、国際マスターの称号を持つS氏が新聞記者を伴って、そのマンションを訪れます。S氏対10人の同時対局で、S氏はすべてに勝ちます。その夜、嵐になったことから、S氏とリトル・アリョーヒンの試合が行なわれ、S氏を破るのです。その棋譜は、「ビショップの奇跡」と呼ばれチェス博物館に残されるのです。その一枚の棋譜だけが、リトル・アリョーヒンが存在したという唯一の証拠でした。その一枚の棋譜を糸口として、この膨大な小説を作り出した作家・小川洋子氏を敬服せざるを得ません。

 いかに美しい棋譜を残すか。もうかなり遅いかもしれませんが、これから生きていくうえで、心がけたいと思います。そして時おり「慌てるな、坊や」というマスターの声も、心の中に聞くことのできる作品でした。

 連載 その15
「TWO HANDS」
ギター科  竹内竜次

厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。雨はもちろん、夕立すら降らない日が多いので、農作物の影響が心配です。
 さて、今回はCDを一つご紹介しようと思います。職業柄、CDは山ほど聴くのですが、最近では、最後まできちんと通して聴かなかったり、封すら開けてない物もあったり、、、。昔のように何度も繰り返し聴くCDに巡り会う事が少なくなりました。
 そんな中で、最近出会った、付き合いの長くなりそうなCDのひとつが、レオン・フライシャー(ピアノ)の「TWO HANDS」です。
 14歳でデビューして以来「100年に一度の逸材」と言われ、演奏活動やレコーディングなど、順風満帆のキャリアを築き上げていたフライシャーでしたが、30代半ばで、原因不明の難病ジストニア(筋肉が、突如硬直してしまう運動障害)により、右手の自由を奪われてしまいます。演奏はおろか、字を書くことすら困難な状況に陥ってしまいました。
しかし、新たに見つかった治療法と、地道なリハビリの効果が徐々に表れ、35年の時を経て、奇跡的に両手での演奏家としてカムバックするのです。70歳を過ぎてからの復活でした。
 そうした、身体的な困難を乗り越えた演奏家は、そのエピソードが感動を呼んでいたとしても、必ずしも、演奏が魅力的であるとは限らない気がします。レコード会社も、演奏そのものではなく、そのエピソードを「売り」にしていることが多々あります。それで今回も、かなり冷めた状態で、この人の演奏を聴くことになりました。
 NHKの芸術劇場という番組で聴いたのが最初です。
 バッハの小品が、静かにすべての音を慈しむように始まり、気が付くと、いっしょに聴いていた奥さんも僕も、ポロポロと涙を流していました。音楽で興奮することや感動することはあっても、涙を流したのは初めての体験でしたし、おそらくこれからもそう多くはないでしょう。
 決して流麗ではありませんし、ミスも時折見られます。しかし、彼の紡ぐ音楽には、確かに僕たちの心を静かに震わす何かがありました。
 彼の音楽からは、こんな物語が浮かんできます。
 「深い夜の森に迷い込み、空腹と疲労と寒さで体も動かず、心も折れそうになっていた時、森の奥に、ぼんやりとした明かりを見つけました。明かりの先にある小屋から出てきた無口な老人は、部屋へと招き入れてくれます。そして、そっと、暖かなココアを出してくれるのでした、、、」
 ココアだけ。ココアだけなのがミソなのです。具だくさんの熱々のシチューや、焼きたてのパンは出てこないし、デザートのアップルパイもありません。でも、その必要もないのだと思います。ココアだけで十分なのです。
 音楽家にとって、手の自由を奪われるという、これ以上にない絶望の淵に立たされたのですから、葛藤や苦悩も当然あったことでしょう。手の具合が回復してからも、技術的な衰えと向き合うのは、辛いことだったと思います。それでも、微かな希望の光を辿るうち、「自然体」で音楽を奏でる術を、このフライシャーという音楽家は、見いだしていったのだと思います。
 肩肘張らず、だからといって、諦めや無力感に浸るわけでもありません。多くを望まず、日々の喜びや悲しみを、慎み深く、素直に黙々と受け入れる。そんな彼の生き方が、音楽に滲み出ている気がします。
 店頭では、なかなか手に入らないかもしれませんので、教室の貸し出し用のCD棚に、この「TWO HANDS」というアルバムを置いておきます。興味のある方は聴いてみ
て下さい。
 ごちそうは出してくれないですが、温かいココアをそっと出してくれるかもしれません。


捨ててきた未来をいとおしむ
 長沼英俊(オカリナ科)
 
 10歳代後半に将来の仕事を決めた。その時に他の全ての可能性を捨てた。音楽も捨てた未来の1つです。20―50歳代は仕事に精一杯努力し、自分なりに納得しています。努力して獲得したものも加齢とともに衰退していく。3年前から少し自由な時間ができたのでオカリナを始めました。
 音楽を理解するには楽器(声楽を含む)を本格的にしかも継続的に勉強するのが早道です。心地よい音楽の要素は音色、音の高低、強弱、長短を基本としたメロディ、リズム、ハーモニーです。演奏会後の自己満足のため毎日30分以上練習することを心がけています。
 3年経過し、綺麗な音色が出せない、絶対音階がわからない、リズムが苦手、暗譜ができない、採譜ができない、指が速く動かない、高音性難聴がある、なかなか上達しないなど捨ててきた音楽の大切さを痛感しました。
 刺激を受けるために、1.職場の歓送迎会、宴会開始前に演奏をしています。2.竹の里で2ヶ月に1回飛び入りコンサートに参加しています。3.実家に帰省時、子供が帰省時に演奏しています。4.東京、博多、大分、別府である音楽会を聞きに行っています。私にとって音楽は捨ててきた未来をいとおしむ鎮魂です。

ピアノ科のおともだち
      白石まさ子先生クラス @

♪松井花菜(まついはな)
南小学校6年
 わたしは、小学校の1年生の時に、お母さんにすすめられて、楽しそうだなと思って始めました。
 知っている曲や有名な曲をひけるようになったら、うれしかったり、楽しかったりします。
両手で合わせたりするのが大変です。
 有名な曲などいっぱいひけるようになることがゆめです。
 

♪竹本慧璃奈(たけもとえりな)
          明豊中学校1年
 私は、家でおもちゃのピアノをひいていて、もっとうまくひけたらいいなと思って、小学校6年生の時にはじめました。
 はじめたばかりのころは、指が思い通りに動かなくて大変だったけど、今はだいぶひけるようになってうれしいです。
 大人になって人前で、みんなのためにピアノをひいたり教えたりしたいです。



音楽だより♪328 エスプレシボ 10月号

田中淳子さんを悼む

                竹内幸一 

 朝晩は秋らしくなりましたが、昼間はまだ残暑が続いています。秋がなくて突然冬になりそうな感じですね。異常気象が多すぎて、何が平常だったか忘れてしまいそうで、少し俳句をたしなむ者にとっては、季節を捉えるのに苦労します。

 さて今月は、またさびしい話を書かねばなりません。辛いことですが、50代、60代の20年余りを、全力でギターに捧げてくれた田中淳子さん(享年79歳)のことを、皆様とご一緒に振り返らせてください。

 田中淳子さんは、1987年にご主人とお二人で中部公民館のギター教室に入門しています。しばらくして、ご主人は腰を痛めて退会しましたが、田中さんは、公民館から音楽院へ移りめきめき腕を上げました。以後、5弦会ギターアンサンブル、そしてルベックスペシャルでも長い間、ギター合奏を続けてきました。

 田中さんというと、一番に思い出すことがあります。まだ出会って間もないころでしたが、あるギタリストのコンサートのあと打ち上げをしました。そのとき、私の家族以外では、田中さんご夫妻だけが参加してくれました。近くの春香苑でのことでした。

 その時の会話の中で田中さんが「先生のやってるいろんなことを、応援してあげようねと、主人といつも話しているんですよ」と話してくれたのを、はっきりと覚えています。

 その言葉の通り、以後、コンサートへの協力や私的な面でのご支援など、様々なことで助けて頂きました。その温情は言葉に尽くせません。

 9月21日通夜、22日の葬儀へ参列し、お別れをしてきました。その時の通夜の読経は、偶然ですが、以前田中さんと同じころにギターの仲間であった方でした。ギターを愛してくれた田中さんに、一番ふさわしい方にこころをこめてお経を上げてもらい、さぞ喜んだことと思います。

 田中さんの訃報を合奏団の仲間に伝えた時に、一番に出た声は、「この前こそ田中さんの話をしたばかりなのに・・・」という事でした。

 後で思えば、それはとても不思議なことでした。
9月11日のルベックの練習日のことでした。何時ものように前半が終わった後、お茶を飲んで休憩していました。そのとき、どういうきっかけだったか分かりませんが、突然田中さんの話が出て、いろいろと思い出を語り合いました。

 青年の家で一泊の強化練習をしたとき、前夜の宴会が盛り上がり、二日酔いで翌朝からの練習に差し障りが出たことがありました。そのとき、「練習熱心な田中さんから叱られたなあ・・・」と、遠い思い出を懐かしんだりしたのです。

 そのとき、私は、昨年の秋に田中さんの入所しているホームへ慰問演奏に行った話をしました。田中さんは、職員の押す車椅子で聴きに来てくれました。久しぶりに見る田中さんは、小さく、小さくなっていましたが、確かに田中さんでした。私を見つけると、嬉しそうににこにこ笑っていました。近づいて握手をすると、感極まって涙を流してくれました。

 すぐ近くのホームですので、こういう事なら、もう少し何度も訪問すればよかったと悔やまれますが、それこそ後の祭りとなってしまいました。申し訳ない限りです。

 たまたまそんな話を合奏団の仲間でしたころ、田中さんは、医大への12日間の入院で最期の時を迎えようとしていたころでした。

 田中さんのときから変わらない何時もの合奏練習場所へ、今思えば、田中さんが、合奏団の仲間へお別れに来てくれていたのでしょう。有難うございました。

 また、そういう事にうとい私ですので、よく分からないのですが、田中さんのお洒落のセンスは、ハイレベルだったようです。上着の首の後ろの襟を立てていることがありました。誰かが、そっと後ろから、きちんと襟を折ってまっすぐにしてあげました。それに対して何も言わなかったのですが、しばらくすると、また襟が立っていたので、あれはお洒落だったのかと、初めて知った思い出もあります。

 訃報は、田中さんの娘さんからお知らせがありました。「ギターをしていた頃が一番楽しかった」と母がいつも言っていましたと、嬉しいお話をしてくれました。

 娘さんとは、初めて出会ったのですが、ホームを訪問したことなど、いろんなことがすべて伝わっていて、とても心安くお話しすることが出来ました。田中さんの思いが、娘さんからまた改めて伝わってきて、嬉しくてなりませんでした。深く感謝するばかりです。

 田中さんご夫妻には、ギター関係ばかりでなく、音楽院の開いているコーラスやオペラ講座などにもご参加をいただきました。それに、どれだけ助けられたか分かりません。

 また13年ほど前に、ご夫妻とご一緒に、パリやトレド、グラナダなどを旅行したことも大切な思い出です。いろんな大聖堂などを見学しつつ、イスラム文化などについてのご主人の造詣の深さに感嘆したものでした。その旅行で、ギター弾きには念願のアルハンブラ宮殿へ行きました。ご夫妻と一緒に、あの悠久の噴水をながめることができました。

 田中さんもお好きでしたので、葬儀では、その「アルハンブラ宮殿の思い出」をお別れに演奏させて頂きました。

 田中さん、長い間本当にお世話になりました。心より感謝し、ご冥福をお祈りします。合掌。

載 その16
<私の好きな事・好きな物>
フルート科 石井暁子

 みなさん、こんにちは。ものすごく暑かった夏が終わったかと思ったら、突然涼しくなったり、かと思えば又暑かったり…。この新聞が出る頃は一体どんな気候になっているのでしょう?今年は秋が短くなるかもしれないと聞きますが、一年の内でも過ごし易い、いい季節なのに、短いと残念です。秋は、芸術の秋・読書の秋・食欲の秋…(笑)と色々言われますが、夏の疲れた身体を癒すには、やっぱりバランスよく食べる事かな?と最近思います。
 実家の母が、私が子供の頃から自然食をやっていた事もあって、知らず知らずの内に頭に叩き込まれてしまった事がいくつかあります。例えば、夏が終わったら、きゅうりやトマト等の夏野菜は食べない事。何故なら身体を冷やすから。冬になったら根菜類を多く取る事。身体を温めてくれるから。果物もあまり多く取らない事。やはり、身体を冷やすから。白いお砂糖は身体に良くないので、極力取らない事。どうしてもお砂糖を使う時は、精製されていないものを使う事。醗酵食品(味噌・醤油や納豆等)は身体にいいので、なるべく取る事、等々…。これらの事は今では当たり前になっていて、守るのにそんなに苦労しませんが、一つだけなかなか実行できない事がありました。それは、もし食べるなら、お肉よりお魚のほうが、身体にいい、という事でした。
 私は昔から魚の臭いが苦手で、ましてや生のお刺身なんて、以っての外でした。なので、今、家では魚が食卓にのる事は滅多にありません。でも、ある時、大分で取れた新鮮な、とても美味しいお魚を頂いた事があって、新鮮なお魚はやはり美味しいのだ…という事がわかりました。それから、お魚を食べる機会が増え……ていけばよかったのですが、なんとこの時運悪く、魚の骨が喉にひっかかってしまい(笑)、それがどうしても取れずに、夜遅くになって病院へ行く羽目になってしまいました。たかが魚の骨なのですが、喉にひっかかって取れないとなると、顔面蒼白です。このまま骨が取れなかったらどうしよう…。フルートを吹けなくなったらどうしよう…。たかが魚の骨、されど魚の骨…です。
 到着した病院で、肉眼で検査しても骨が見当たらないと言う先生に、悲痛な面持ちで、まだ喉が痛く、絶対骨が刺さっている…と状況を説明する私の気持ちが先生に伝わったのか(笑)、レントゲンを撮る事になりました。しかし、レントゲンの写真でも骨は見つからず、それでもまだ骨が刺さっていると力説する私の気持ちを先生が汲んで下さって(笑)、内視鏡検査をする事に…。
 診察台の上で、緊張して、しゃちこばる私に、看護師さんが優しく「リラックスしてね〜。大丈夫よ〜」と言って、手を握ってくれるのですが、内視鏡検査のつらい事、つらい事。う〜〜、もう絶対魚なんか食べないぞ〜。二度と魚なんか食べるもんか、なんで骨なんか喉に刺さったんだ〜。と苦しさと戦いながら思ったのでした。
 結局、魚の骨は見つからず、喉に骨がひっかかった時に出来た傷の痛みが、骨がまだ喉にひっかかっている様に感じさせるのだろう…という事になりました。それでも、まだ頑なに骨が刺さっているのでは、と疑っていた私でしたが、その後、少しずつ痛みが無くなって行ったので、やはり魚の骨はひっかかっていなかったのだ…という笑い話になりました。
 その後、家の食卓はどうなったかと言うと、しば〜〜らくお魚はテーブルにのりませんでした。元々魚嫌いだったのですから、当然でした。
 しかし…ここ二週間程の事ですが、突然お肉が食べたくなくなりました。二日程、お肉もお魚もない、野菜中心の食事になりましたが、これではあまりに主人が気の毒です。そこで、一念発起してお魚を食べてみる事に…。挑戦したのは赤魚の煮付けです。これがなんと初挑戦にして、運良く成功してしまい、長年のお魚不足(夫婦共々)もあって、魚とはこんなに美味しかったのか〜。という事になり、今晩また、鰈の煮付けを作りました。今の所、魚料理は煮付けしか出来ませんが、お魚嫌いが復活しない様に、食べる時には重々骨に気をつけて、食べる事にしています(笑)。みなさんも、魚の骨には気をつけて下さいね!

ピアノ科のおともだち
       ごしょうかい

      白石まさ子先生クラス A


♪松村碧子(まつむらみどりこ)
西小学校4年
 わたしは、友達が習っていて、私も習いたいと思ったので5才からはじめました。
 発表会間近になると、練習をいっぱいしなくちゃいけないので大変です。
 私の夢は、パティシエになって、自分のお店を出して、楽しい毎日を送りたいです。


♪佐藤咲来(さとうさら)
          南立石小学校1年
 私は、1才からリトミックに通っていたので、その延長で、3才よりピアノをはじめました。音楽、ピアノ、歌が大好きです。
 ピアノを習っていてたのしいことは、ピアノを弾くことです。大変なことは、指を伸ばすことです。
 ピアノの先生になりたい!!!
 
♪後藤芽依(ごとうめい)
          南立石小学校2年
  習う前から、ピアノをひいて感じたことは、好きな音楽を自分でひけると思ったので、小学校の1年生からはじめました。
 ピアノで曲を弾けるようになったらうれしい。音楽の楽譜に使う音符をおぼえる事が楽しい。
私の夢は、好きな曲を、自分でじょうずにひけるようになることです。

♪園田紗英(そのださえ)
          西小学校3年
 わたしは、いろいろなきょくをひいてみたいとおもったので、ピアノを1年生の9月からはじめました。
 たのしいことは、いろいろなきよくをひけることです。うれしいことは、むずかしい曲をひけるようになったことです。
 大変なことは、むずかしい曲をりょう手であわせるときです。
 いやなことは、ママかられんしゅうしなさいと、おこられるときです。
 わたしのゆめは、いろんな曲がひけるようになることです。

♪園田紗己(そのださき)
          西小学校3年
 友だちがピアノをならっていて、すごくうまかったので、自分もうまくひけるようになりたいと思い、1年生の9月ぐらいからピアノをはじめました。
 うれしいことは、ピアノのはっぴょうかいで、まちがわずにひけることです。たのしいことは、ピアノのはっぴょうかいにでることです。大へんなことは、むずかしいところをひくときです。いやなことは、れんしゅうするとき、ままからおこられるときです。

松下隆二、池田慎司、竹内竜次ギタートリオコンサート 10月17日(日)によせて
今回素晴らしいギタリストであるお二人とコンサートができるのは大きな喜びです。2人の素晴らしさは、その高い技術や音楽性は勿論のこと、何よりもお客さんを楽しませ、幸せにできる音楽家であるということです。
ギター3重奏という形は、ギターの持つ可能性と魅力を存分に引き出してくれるはずです。すごく楽しいコンサートになると思います。皆様ぜひお聴き逃しなく!(竹内竜次)

 

inserted by FC2 system