サンシティー音楽院 音楽だより♪322
はみだしてごめんね
竹内幸一
花冷えの中で、時期の早い桜が終わろうとしています。雨が降ったり寒かったりで、今年は何だか桜の季節があっけなく終わった気がします。やはり桜は、4月に入って入学式を祝ってのような満開がいいですね。
さて今回は、あるファミリーレストランのメニューの名前を取り上げて見ました。少し変わった話題ですので、どんなことになるか分かりませんが、どうぞお付き合い下さい。
「ものは言いよう」という言葉があります。同じことを言うのでも、いろんな言い回しがあるという事です。その伝え方によれば、まわりの方との人間関係にも、いろんな影響が出ることもあります。普段から不用意な発言には気をつけたいものです。
振り返れば、あんなことなぜ言ってしまったのか、と、いつまでも悔いが残り、想い出す場面があります。後でいくら悔やんでも、それで壊れた事は元に戻らないので、ただただ反省するばかりです。
いろんなネーミングにも、なるほどなあと思わせるものによく出会います。コピーライターという職業の方が、考え出しているのでしょうか?それは、売り上げにも大きく響いているようです。
例えば、同じ料理でも、そのメニューのネーミングによって、売り上げに相当響くという例が、「はみだしてごめんね」だと思います。
いつでしたかインターネット上に、**万食が出て売り切れになり、このステーキは販売中止になったと出ていました。 今はまた再開されているようですが、その「はみだしてごめんね」が消費者の心を掴んだ成果だという事だと思います。
今度提供するステーキの大きさが、いかに大きいかを宣伝するために、担当者はいろいろ考えたことでしょう。「超ビッグ200グラム、しかもお値段据え置き」や「大満足の大きなステーキ」とかは、よくあるメニュー名です。
普通は、こういう声高に押し付けて売り込むことが多いのではないでしょうか?しかし、この「はみだしてごめんね」は一歩引いているのです。鉄板から肉がはみだすという事は、それだけ、大きいんだという主張に他なりません。
しかし、まさに「ものは言いよう」で、メニューの品質を正確に伝えているのです。その上、そうなることを「ごめんね」と謝っています。何故かそういう風に言われると、何となくくすぐられるようなこころよさがある気がします。
もう一つ、引いている例を書いてみましょう。それは、コンビニなどのトイレのお知らせです。ここによく見かけるのは「いつも、美しく使っていただいて、有難うございます」というのがあります。
押し付け圧迫型の場合は、次のようなのが多いですね。「トイレはきれいに使いましょう」、「みんなで使う所ですから汚さないようにしましょう」、「汚すな!」、「一歩前!!(笑)」とかがあります。
それに比べて、まだ使っていない前に、「美しく使っていただいて」と先を越され、「ありがとうございます」と早々にお礼を言われるのは、圧迫型とは少し違う心持がします。
いろんな方がいますので、受け取り方も様々でしょうが、やはり「ものは言いよう」のひとつだと思って、取り上げてみました。
まあ、少しニュアンスが違うこともありますが、俳句の場合も、この「ものは言いよう」で名句になったり、平凡な句になったりする気がします。
一つだけ例を挙げてみましょう。
瀧の上に 水現れて 落ちにけり (後藤夜半)
この句は、日本の名句100選にも取り上げられている有名な句です。その解説に・・・
瀧を見上げる。瀧の頂上に水の盛り上がりが現れて、流れにそって落下していく。その速度を視線で追い続けていると、引き込まれる幻覚に襲われる。瀧の上の一点に焦点を絞り、落下の過程をスローモーションで描いた俳句手法の代表句。・・・・
とあります。
これを極めて平凡な句にするとしたら、
瀧の上から 水が流れて 落ちにけり でしょうか。言っている事はほぼ同じだと思います。しかし、受ける感動は全く違います。
それがどこから来ているかといえば、「水現れて」という言葉の力でしょう。もっと突き詰めれば、「現れて」という「ものは言いよう」の言葉を発見したことが、名句につながった手柄なのだと思います。
出来上がったものを鑑賞するのは簡単です。しかし、古今の名句に生れている、ごく単純で新鮮な言い換えが、どれほど難しいかを、俳句を始めて20年ほどになって、改めてしみじみ感じています。
その感性の冴えが生み出す言葉を、たくさんものにできるかどうかが、名句への近道です。しかし、ごくありふれた月並みで陳腐な説明の言葉しか、なかなか見つけられません。「はみだしてごめんね」の作者の方は、俳句に取り組んでも上達するのでは・・・笑。
いよいよ春の音楽祭ですね。皆様準備は進んでいるでしょうか?今回は、もし普段の力が出なくても、「長く通ってきてくれているのに、上手に演奏ができるようにさせてあげることが出来なくて、ごめんね」と言う先生が、もしかしたら出てくるかもしれません。「うまく弾けなくて、先生に申し訳ない」と言ってくださる謙虚な方へのお礼に・・・。
連載 その10
歩く!歩くとき!歩け!
ギター科 竹内竜次
桜がちらほら咲き始めているというのに、寒暖の差が激しい日が多く、まだ頑固な冬爺さんが居座っているようですね。春の女神と、春の音楽祭が待ち遠しい季節です。
昔から、スポーツとは縁のない生活を送っていて、腹の出っ張り具合は気になるものの、取り立てて対策を講じてきませんでした。それが、ふとしたハズミで、毎日ウォーキング(といってもタイソウなものでなく、近所を30〜40分歩くだけですが)をするようになりました。
ある休日の出来事。左手を突き指してしまい、演奏会が迫っていて練習しないとヤバいのに、出来ない、、、という状況に陥ってしまいました。家にいても、イライラして落ち着かないし、それなら、外でも歩いてくるか、、、、というのが歩き始めたきっかけです。長く続く事って、案外、力の抜けた理由から始まるのかもしれません。健康の事を考えて、そろそろ一念発起して!というのだと、力みすぎて、あまり長くもたなかったのではないかと思います。
何はともあれ、そうして始めた、歩く!事が何とも気持ちいい!
大げさな言い方かもしれませんが、五感は勿論、皮膚の隅々でその日の空気を感じ取る のがわかります。
どこからともなく香る新芽の匂い、雨上がりの、しっとりとしているけれど、街全体が洗われたような爽やかさ。地面を踏みしめる足裏の感触。耳の感覚がなくなるくらいに刺すような冷たい空気を吸い込む心地よさ、、、、。
子供の頃、刈り取られた後の田んぼで、日が暮れるまで、蛙やバッタを、夢中になって追いかけていた頃以来、ずっと眠っていた細かな感覚が、少しづつ呼び覚まされていく気がしました。
一歩、一歩、足を踏み出す、歩く!という動作は、人間の持つ一番、原始的で根源的な、ポジティブな(文字通り前向きな)行為なんでしょうね。疲れていたり、イヤなことがあったり、ぱっとしない一日だったとしても、無我夢中で歩くことで、気持ちがさっぱりとして次への活力が生まれているから不思議です。
そうそう。先日、仕事で長崎に行ってきました。夜、よし歩くぞ!と出掛けたものの、すぐに音を上げてしまいました。あのアップダウンの差が多い地形は、トレーニングにはなっても、だらだら歩くウォーキング初心者にはコタエました。食い物は旨いし、大好きな街だけれど、長崎に生まれなくて良かった、、、。
ブルーベリージャム作り奮戦記
内宮 健治 (ルベックスペシャル)
食べる前から、何となくしゃれた爽やかな響きのある名前のジャムです。
ツツジ科の落葉小低木で実は生食、ジャム、ゼリーなどの原料にもちうるとの事です。
年甲斐も無く、本当にふらっと人の勧めに乗せられ8年前小さな苗を25本、植えてみました。
食べ物より、もっぱらアルコールが大好きな私としては、大した期待も持たず育て始めたのですが、毎日眺めていると多少なりとも可愛くなるから不思議なものです。
肥料も鶏糞を醗酵させたものだとか、菜種油粕、はては骨粉等々思いつくものは即座に手に入れ施肥、雑草が生えると即座に草取り,それは、それは、私なりに手塩に掛けて育てました。
こちらの想いが届いたのか2年目、小さな可愛そうな位小さな木でしたが数粒の実をつけてくれました。
こうなると益々可愛くなるもので丹精を込め育てる事4年を過ぎた頃、一応まあまあの量の実の確保が出来そうになったので生食からジャム作りに挑戦、現在に至っています。
男子厨房に入らずと言いますが、私も頑固と言われるほどこの点は貫き通した(その方が自分に都合が良いからが本音)積りでしたが、定年後時間の余裕が出来た事もありますが自分で育てたブルーベリーからジャムを作り、親しい友人に食べてもらい、あいつも中々やるなとの私の意外性を認めてもらえたら面白いなとの下心から始めたもので、そもそも動機が不純と言われても仕方の無い事ではあります。
真夏の暑い台所で、古女房の手伝いの申し出も断固断り汗止めの鉢巻と計量器、目覚まし時計を友とし一切を一人でやっています、作るにあたって自分らしいジャムとは何か、大げさですが目標を次のように定めました。
1)
自家栽培以外のブルーベリーは使わない。(無農薬へのこだわり)
2)
ペプチン等の増量剤は一切使用しない。
3)
腐敗防止剤は使わず冷蔵庫保存とする。
4)
なるべくブルーベリーの粒粒感を残す。
5)
しつこい甘さでなくさらっとした甘さに抑える。
結果1)、2)、3)はクリヤー出来ますが問題は5)で、個人差がかなりある事です。
東 京の友人は私の依頼した批評に答えるため、孫を含め家族一族郎党を集め私が送ったジャムと、三越デパートで購入したかなりグレードの高い(価格の高い)ものと比較、講評結果は、
@
粒粒感は私の方が良い A甘さが強い、但し孫はこれ位が良いとの事。他の方の批評は好評でしたが、どこまでその言葉を信用していいものか?。(年齢が本音を言わせないことがままある)
たかが素人のジャム作りでさえ結構苦労しますが、ビジネスで食べ物を取り扱っている方々の目に見えない所でのご苦労はいかばかりかと思います、身近な所では我が家の永年勤続シエフにも感謝です。
今年の作柄どうだろうか、実が一杯付いたとしても山鳥、鹿、カラス、等の害の防止をどうするか、やぶ蚊や足長蜂に悩まされながらの真夏の一粒一粒の取り入れ等楽しい悩みはありますが、毎年少しずつ工夫を凝らし他所にない、喜んで食べてもらえるブルーベリージャムが作れればいいなと念願し、今年もチャレンジです。
春の音楽祭に向けて
山本 充児 (中部公民館)
今年も「春の音楽祭」が近づいてきました。これまで何度か出演させていただきましたが、この音楽祭の良いところは、@独特の緊張感の中、人前で演奏するという貴重な経験ができること、A1つの曲に対して集中して練習できること、B他の方々の演奏を聴くことで刺激を受けること、だと思います。
そして、日常はなかなか十分な練習をしていない自分ですが、この時期は自分にとっていちばんギターの練習をする時期でもあります。ただ、曲を練習し始める頃はぜんぜん弾くことができなくて、練習が楽しくないと感じることもあります。
そういう時に私は「曲の中で自分が好きなところをとりあえず1か所見つける」というのを心がけています。まずはその好きな部分が弾けるようになるまで練習し、うまく弾けるようになったら、さらに他に好きな部分を見つけて練習する―こうすることで練習が楽しくなるような気がします。とはいっても本番の演奏ではいつも失敗してしまいますが…。
ギターを始めて7年ほど経ちますが、まだまだ楽譜の音符どおりに弾くことだけが精一杯です。もっと曲の強弱や表現ができるようなギターの演奏をしたいなと思います。
音楽だより♪323 エスプレシボ
須崎嘉夫さんを悼む
竹内幸一
今月は、3月に続きまた悲しい話を書かねばなりません。ギター連盟や音楽院にとり、また個人的にも大変お世話になった大切な方ですので、引き続きのさびしい話で申し訳ありませんが、今回も追悼文を書かせてください。
4月30日に享年82歳でお亡くなりになられた須崎嘉夫さんとは、25年ほどのお付き合いになります。最初は、横断道路にある『華』という喫茶店での出会いでした。喫茶店で、現在のルベックスペシャルの主だったメンバーと「ギターで歌う会」という弾き語りの会を始めたのです。それを聞きに奥さんと二人で参加してくれたのがお付き合いの始まりでした。
その出会いがきっかけで、奥さんと二人でギターをはじめることになりました。いつもお二人で並んでギターの練習をしていました。なんでも二人でやっていくという、おしどり夫婦の姿が思い出されます。ルベックムーンの前身である五弦会で合奏にも参加し、会の代表も務めてくれました。
また、サークルの代表で、ギター連盟にも参加し、連盟の副会長としてのご協力を頂きました。特に、まだきちんとした規約を持たなかった連盟が、社会教育関係団体に加入する上での規約作成では、大変お世話になりました。法務局に定年までお勤めだったという専門分野の博識を活かし、我々にはどうにも対応できない条文の連盟規約を完成させてくれました。今年も、社教団体の申請をしましたが、その書類の中に、須崎さんに作って頂いた規約を加えることで認定を頂きました。
その後、ギターとともに、奥さんには、ほのぼのコーラスやピアノ教室にも参加して頂きました。
そのようにしてお付き合いが深まっていくうちに、個人的なことでもいろいろとお世話をして頂くようになりました。特に、息子がギターのコンクールで優勝してのマスコミ対応、そしてフランスへ留学するための壮行会などでは、一方ならないご尽力を頂きました。須崎さんのお世話で、我が家の暮らしでは全く縁の無かった、県知事や市長に直接出会って、ギターの成果を報告できる機会を作って頂きました。息子は、そのような晴れがましい場をあまり望まない時もあり、私は須崎さんと息子との間で少し困ったのもなつかしい思い出です。
また、もう15年以上も前になりますが、息子がフランス留学する前に、ニューライフプラザで壮行演奏会を開いてくれました。細々した式次第など、いろいろとプランを作っていただくために、何度も須崎さん宅にお邪魔してお話したものです。お家にお伺いすると、転ばんばかりに急いで玄関に出てきてくれて、満面の笑みで大歓迎してくれました。
壮行会の当日は、舞台のセッティングや椅子並べなど、大車輪のお働きでした。ネクタイ姿でしたが、それを全部脱ぎ捨て、上は下着だけになり汗だくで仕事をしてくれていたのを、鮮明に思い出します。
その会では、私達両親にも、胸につける大きな赤いリボンを用意してくださり、晴れがましい席を作ってくれました。そのとき、『須崎さんは、何でここまでしてくださるのだろう』と何度も何度も思ったものでした。
その後、ギター仲間でスペイン・パリの旅を計画しました。それにご夫妻で参加して頂きました。私にとっての初めての海外旅行を、須崎さんご夫妻とご一緒できた事も、大切な思い出です。出発のころ、奥さんの具合が悪く、行きの飛行機の中で、熱や咳に苦しんでおらて心配しました。幸い、スペインに着いてからは回復し、アルハンブラ宮殿などを無事見学することが出来たのは幸いでした。
7年ほど前に、今の車を買ったのですが、そのときにも須崎さんにお世話になりました。音楽院の裏に駐車場があるのですが、輪止めがないと危ないと、造りに来てくれたのです。コンクリや輪止めに置く直方体の止め石など全部用意してくれていました。バケツでコンクリをかき混ぜ、輪止めが動かないように取り付けてくれました。その駐車場は、路面が波打った関係で舗装をやりかえ、今はその輪止めがありません。車のバックの苦手な私は、輪止めがないので時おり、うしろの壁に車を当てています。
歩くのも早く、思い立った事は即実行タイプの須崎さんでしたが、5年ほど前に前立腺がんを患ってから元気がなくなり、人権擁護委員などいろんな役職をすべて退いたようです。時おりお会いすると、「先生の開く行事にだけは、何としても参加したいと思っているのですが、行けずに済みません」といつも謝ってくれるので、こちらが恐縮するばかりでした。そんな体調の中、娘の結婚式には無理を押して出席してくれました。
昨年の終わりの小春日和のころ、たまたま、須崎さんご夫妻がゆっくり道を歩いているのに出会いました。「散歩ですか」と尋ねると、近くのスーパーまで買い物に行くというので、車に乗ってもらいました。店の前で降りた後、車の姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振ってくれていました。それが須崎さんとのお別れになってしまいました。
新聞で須崎さんの訃報を知りましたが、すでに通夜、葬儀は終わっていて、大変申し訳ないことをしてしまいました。お家にお参りに行き、須崎さんの遺影に接して、ただただ、お礼の手を合わせるだけでした。かなり認知症の進んでいた奥さんも、病院から親戚の方に付き添われて葬儀に参加したそうです。須崎さんの写真を手でしきりに撫でていたので、たぶん事態が分かったのでしょうと、ご遺族の方がおっしゃっていました。
今年も桜が咲いて、散って行きました。でも、もう須崎さんにお会いする事はできません。合掌。
逝く人や 今年も咲いて 散る桜
連載 その11
私の好きな事・好きなもの
フルート科 石井暁子
みなさん、こんにちは。あっという間に5月ですね。みなさんの手元にこの新聞が届く頃には、ゴールデンウイークも終わっているかと思いますが、お休みをどのように過ごされましたか?
私がこのコラムを書いている今は、まだ4月の25日なのですが、今年の春はお天気が不順で、暑かったり寒かったり、体調管理がなかなか大変でしたね。
今月は「アンサンブルの楽しみ」という事をちょっと書いてみようかなと思います。
今日が4月の25日なので、あと4日で「春の音楽祭」がやって来る訳ですが、今年はフルートの生徒さんの参加率がとてもよく、沢山の方が参加して下さる事になったので、初の試みではありますが、参加者全員で最後に合奏をしてみる事にしました。
普段は別々の日の、別々の時間にレッスンしている方々ばかりで、年一回の春の音楽祭の時だけ他の方と会うと言う方も中にはいらっしゃいますので、どうなるかな〜?と思っていますが、ぶっつけ本番では少々心配だったので、昨日、集まれる方だけ集まって、一時間程練習してみました。すると、どうでしょう?手前みそになりますが(笑)、これがなかなか良いのです。
いつもレッスンでは、最高でも私と生徒さんの2本のフルートの音しかしないものが、6本7本…と重なったのを聴いた時、素朴に、「あぁ、いいなぁ」と思いました。
「アンサンブル」とはフランス語で「一緒に、共に、そろって」という意味です。一緒に、共に、そろって合奏をするという事は、自分の音だけではなく、一緒に演奏している仲間の音を聴き、それぞれのパートが支え合いながら、一つの曲を作っていくという事です。
その全員の気持ちが一つになった時には、フルート一本×人数分+アルファの力が湧いて来るという気がします。
4月29日の春の音楽祭では、私も10本のフルートの内の1本として、みんなと気持ちを合わせて、アンサンブルを楽しみたいと思っています。
雨ニモマケズ・・・
池尻 順子 (中部公民館)
風にも暑さにも負けずに大好きなギターの練習に励んでいます、とはとても言えず、仕事と家事に追われ、夜新聞を読みながらうたた寝して顔にインクの染みをつけたりしています。
年を重ねるばかりであまり進歩がないので、別の話題に振替える事にしました。 「雨ニモマケズ」は宮沢賢治の詩ですが、私はこの詩を10歳の頃丸暗記していました。
父が銀行員であった為転勤が多く、丁度転校して間もない頃で、中々新しい環境になじめずしょんぼりしていた私を見かねたのか、とにかくこの詩を空で言えるまで覚えなさいと父が言うのです。意味もよくわからないままにいつとはなく暗記していましたが、その頃には新しい友達もでき、もう詩の事は忘れていました。
いつの間にか月日が流れ、父もこの世を去り次男が10歳の時、学校の授業で「雨ニモマケズ」の詩を暗記するように言われたと話すのです。
その時遠い昔の記憶が懐かしくよみがえり、何だか不思議な気持ちになったのを覚えています。次男はクラスで一番先に暗唱できたと嬉しそうに話していましたが、どこかで父が笑っているような気がしたのです。
今この詩を読み返してみても、少しも古臭くなく、素朴な温かい思いに包まれるようです。
現在わけあって母子家庭となり経済的には負けそうな状況ですが、健康と笑顔さえあれば幸せはいつも近くにあるのだと感じられるように過ごしたいと思う毎日です。
段々新しい事が覚えにくい年齢になってきましたが、苦しい時には時々この詩を口ずさみ、根性のなさにも負けずギターだけは頑張って続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。
ギター教室に入会して
斉藤 和子 (トキハ教室)
一年前の春、思いきってギター教室のドアを開けました。
最初は、はずかしさと不安感が強く、友達に声かけをして誘いましたが、誰からもいい返事がもらえず、結局一人で入会しました。
ギターを習いたいと思ったきっかけは、手芸が大好きで一日中手を動かしていた母が認知症になったからです。
ギターは手を動かすだけでなく、頭を使い声を出します。
そして、日々の練習の積み重ねが大切であり、年齢を重ねても、努力次第で習得できるのではと思いました。
まだまだ指が動かず、レッスンでは失敗ばかりですが、マイペースで頑張っていきたいと思っています。
サンシティー音楽院 音楽だより♪324
エスプレシボ 6月号
友愛の功罪
竹内幸一
風薫る季節になりました。若葉、青葉が地球の生命力を見せてくれますね。それを見ているだけで、心が和みます。
さて今月は、少し政治のことについて書いてみたいと思います。物事には、いろんな面を見ての捉え方がありますので、一つの方向に決め付ける事は、勿論出来ません。
この文は、私のきわめて個人的な思いですので、ご賛同いただけないこともあるかと思います。しかし、もしかしたら、そういう見方もあるのかもと、お付き合いいただけたら嬉しいです。
最近、【友愛】を掲げて登場し、大きな期待を受けていたH首相が迷走して、支持率低落傾向にあります。テレビのインタビューとかを見ていて、何だかその肌触りが今までの政治家にない感じで、私は好きでした。誠実という感じの人柄の見えるしゃべり口に、好感を持っていましたので、ここまでの迷走が残念でなりません。
今の様子を見ていますと、いろんな内情は分かりませんが、友愛という優しさと、リーダーシップは、両立しないのではと思わせられます。まわりの人材のどの人も裏切らないで物事を進めていくという事は、結局、迷走するしかないのかもしれません。
しかし、友愛、やさしさを敏感に感じ取った一般国民、特に沖縄の方は、H首相に夢と希望を託せると思ったのではないでしょうか。
長年の基地の問題を、ここで、この首相に全力でぶつけてみようと思わせてくれたのです。それは俗な言葉で言えば「寝た子を起こした」のが、H首相の友愛ではなかったかと思います。
かつてない反対運動の盛り上がりの団結は、首長すべてに、民意は「基地は要らないということだ」と言わせています。どの方も、主張に一点の曇りもない感じです。
本当は、基地を作る事で、経済援助を受けての町起こしありかも・・・と思う町長もいるかもしれません。しかし、今の状況では、とてもそんな声を出せないでいるようです。これからそれが、どう変わるか分かりませんが・・・。
これだけ、大衆の一致団結を生み出すことが出来たのは、歴史的なことかもしれません。今までの老獪な政治家なら、意味不明の、期待を持たせない事を言いつつ、裏で根回しをして有力者を抱きこみ、何となく政府やアメリカの方針に持って行った事でしょう。
その中で、地元民にくすぶる不平、不満はあっても、それはごく一部にしか広がらず、「どうせだめか、国のやることだものな」という、閉塞感の中で、時が過ぎて行った気がします。どうせ、国には逆らえないという諦めが、人々の中に長年澱んでいたのです。
ところが、今はどうでしょうか。首相が会ってお話をしたいと言っても、「会わない」と、断わることができるのです。お上のいう事は、すべてごもっともという時代から見れば、この民衆団結の力強さは、これまでになかったことではないかと思います。
それらすべて、H首相の友愛によるものでしょう。眠っていた猫が、虎になってむっくり起き上がり、みんなでいっせいに声をそろえて、「ガオー」と吼えたのです。
多種多様の思いを持つ人々を、一つの方向にまとめることは、政治家にとって至難のことでしょう。それを成し遂げ、国民の願いを吸い上げたH首相は、これからの真の日本の将来にとって、どう評価されるのか、歴史の裁定が待たれるところです。
だいぶ前に沖縄へ行き、レンタカーで観光したことがあります。そのとき、金網の張ってある基地の横を走りました。その距離のあまりにも遥かなことに、その時は衝撃を受けました。一般道の真横に、とてつもなく大きな基地がありました。
ほんの束の間の体験でしたが、それは、今の私にとって、やはりよそ事でしかありません。轟音や事故などでの、沖縄の人たちの長年の苦しみ、悩みは、申し訳ないのですが、今の私には全くと言っていいほど、無縁になっているのです。
大分でも、日出生台でアメリカ軍の訓練が行なわれています。それもごく一部の方が問題にしているだけで、私の暮らしの中では、やはりよそ事でしかありません。
基地の問題は、また特に見解の違いが起こることです。アメリカの世界戦略に利用されているだけだ、いや、日本を守る抑止力に基地が必要なのだ・・・と、それぞれの言い分に力強さがあり、それに憲法問題も絡みますので、統一する事は難しいことでしょう。
しかし、何にしろ、今の沖縄の方々の民意は、「基地は要らない」ということでまっしぐらのようです。
それが本当ならいいなと思うのですが、いろんな折衝報告の中で、アメリカ側が、「民意の納得が得られないところには行かない」と言っていました。アメリカがそう言ってくれ、H首相が沖縄の完璧な民意を誘導したのであれば、もう、日本の態度は決定的なはずです。進む方向は決まっています。
そんな甘いものではない事は百も承知ですが、今回は、「友愛」の功罪について、私の考えを書いてみました。何かの折に、皆様のご意見も聞かせてください。
政治の世界は、一寸先が闇ですので、この新聞が出るころ、この歴史的なH首相が存在しているかどうか分かりませんが・・・・
連載 その12
勝っても負けても、、、
ギター科 竹内竜次
今年は春らしい天気が少なかったですね。もう夏到来か!という汗ばむ陽気の日があるかと思えば、急にとんでもなく冷え込んだりして、風邪をひかれている方も多いようです。皆さんも体調管理にはくれぐれも注意して下さい。
さて、もうすぐサッカーワールドカップが始まりますね。高校生の時、友達からボール一つで出来るサッカーというスポーツの素晴らしさについて、切々と説かれ「そんなもんかいな」とおもっていたのですが、フランス大会からサッカーにハマって以来J-リーグからヨーロッパのサッカーまでチェックするようになってしまいました。しかし残念なことに、日韓共催の時の熱狂はどこへやら、今回は、いまいち盛り上がりに欠けていますね。不況の影響でスポンサーの元気がないこと、南アフリカという馴染みの薄い、しかも治安に不安のある開催地であること、など理由は様々なようですが、なにより「日本代表に期待が持てない」「勝てる気がしない」というのが冷めた空気の最大の理由のようです。日本選手も深刻な顔をして、「体が壊れるまで走る」とか「代表のためにすべてを懸けて戦う」といったお決まりの言葉を口にし、顔には悲壮感が漂っています。
そんな時、急逝した巨人の木村拓也コーチの選手時代のヒーローインタビューを思い出しました。木村拓也内野手といえば、失礼ながらスパースターというよりは、どちらかといえばいぶし銀の名脇役という印象です。自らも語っておられましたが、プロで生き残るために、すべてのポジションを守れるように努力を重ねられたそうです。急遽キャチャーの代役を務め、チームを危機から救ったエピソードは特集番組で何度も紹介されていました。
そんな、あまり目立たない、そして人知れず苦労をしてきたであろう木村選手が、ヒーローインタビューのお立ち台で、「野球は楽しいです!勝っても、負けても野球は楽しいです!」と本当に嬉しそうに、屈託なく爽やかに語っていたのがとても印象的でした。
最近、 「プロのギタリストになりたいんですけど」と言って習いに来るドレミも知らない若者や、「先生には、何年したらなれますか?」と聞いてくる人がいて驚いたことがあります。(僕が若い時は「プロになりたい。」なんて言葉は、コンクールでいくつか賞をもらっても、簡単には口に出せなかったのですが。)そういう子に限って地味な練習の繰り返しに我慢しきれずにリタイヤしてしまいます。華やかなスポットライトは浴びたいけど、シンドイことや時間のかかることはしたくない。というわけです。よくよく話を聞いてみるとギターや音楽が好きというより「ホールでいっぱいの人から拍手とかもらってCDとか出して、なんかカッコいいしお金も儲かりそう」という何とも安易な理由だったりします。
「夢を持とう!」という言葉は聞こえはいいけれど、若者からお金を絞り取ろうとするズルイ大人たちのキャッチフレーズに聞こえてなりません。「甘いなあ」と思う反面、それに踊らされてしまった若い人たちの後に残る無力感を思うとかわいそうな気もします。
サッカーの日本代表も同じですよね。選手たちには「今回は、負けてもいいから、サッカーってホントに面白いなあ、サッカーって楽しいなあ、と子供たちに思ってもらえるようなプレーがしたい」と口にしてくれたら、と思います。もちろん勝利は人を興奮させ活力を与えてくれます。しかし、それだけが選手たちがサッカーを続ける理由ではないはずです。今は「勝てなけりゃ意味がない」「バンバン活躍して点取らなきゃ。ヒーローにならなきゃ」という空気に選手が呑まれている気がするのです。
子供たちに「夢」とか「希望」という薄っぺらい言葉を押し付けるのではなく、今日一日の充実感を語れる大人に、そして分野は何であれ、プロであれアマチュアであれ、木村選手のように「勝っても負けても〜は楽しいです」と胸を張って言える人間でありたいものです。
15年ぶりの春の音楽祭
宗岡 俊二 (中部公民館)
そうだった、弾くのは舞台の上だった。
そういえばこうして竜くんがチューニングやってくれて・・・
よし、出番、礼はできた、頭は下げた。落ち着いているぞ。出だしも良し、――――
あれっー中指さん、なんでいま9フレット押さえようとしたの、そこは8フレットだったでしょ、えっ、どうしたの、やべっ、指がふるえてきたよ、
止まれよ、止まらない、この指いったい誰の指!?言うこと聞かないじゃない、
わぉ薬指、3弦押さえてくれよ、なんで2弦に行くの、これじゃとんでもない音が出てる、きっと、
だれかこの指の震え止めて――――、
そうだ、あがってんだ、きっと、
ここはサザンクロスの舞台じゃありません。自宅です、自分の部屋です、あなたはいつもの練習をやっているんです。
だめ、ぜんっぜん効き目なし、
みんな笑ってる、きっと(見て見て、あの指、あんなに震えてるよ)
音も汚い、和音はすっかり雑音だし、この6ヶ月の練習はなんだったんだよ、
舞台降りちゃうか、それも勇気がいるなあ、
言っているうちに、もう終わる、最後のジャラーンくらい間違うなよ。
ワー終わった、終わった、早く降りるぞ、恥ずかしい。
4月29日、春の音楽祭に15年ぶりに再デビュー果たした心境の実況録音でした。「水神の踊り」のはずが、「酔神」の踊りになったのでした。
仕事で九州各地を回ってやっと帰ってきました。古巣の中部公民館に入れてもらいました。映画好き、落語好きの58歳です。よろしくお願いします。
お先にどうぞ
岡本 清子 (中部公民館)
3年前迄の私の午前中は、5分、10分がすごく大切な時間の生活をしていました。
特に土曜日でのレッスンは、ちょっとだけお店を閉めてのギター教室です。レッスンが終了すれば、お店に走って・・・レッスンの反省は道中で・・・落ち込んでいる暇なく仕事、仕事。
楽譜を追うのが必死で、レッスン曲を楽しんでいる余裕などありませんでした。
あわただしい生活でのレッスン日でしたが、今こうしてギターを続けていられたのも、一重に竹内先生の気配り、教室の皆様のお心遣い・・・順番待ちでの割り込みに「お先にどうぞ」のお蔭でした。
「お先にどうぞ」の言葉に、どれだけ助けられたことでしょう。大変感謝致しています。
ご協力いただいて、継続は力なりの私ですが、壺井栄文学女史が生前好んでいた言葉に「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」がありますが、今の私は柚子の心境です。
柚子のように根を張って、香りのよい実が付くまで時は長いけど、私もゆっくり音色の良いギターを弾くことができるまで、急がずに、結果を求めずにギターを続けていければと思っています。
そして何時か「お先にどうぞ」という事の出来る教室の仲間の一人で居られたらと願っています。
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あすなろコンサート参加者募集
♪日時 年に2回程度。(6月・12月を予定))
♪会場 ライブハウス・竹の里
♪参加資格 ハーモニアス別府会員
♪演奏時間 30分(3組)
♪演奏に対する謝礼はありません。
♪事務局にて簡単なプログラムを作成。
♪入場料 一般1000円、ハーモニアス
別府会員500円(1ドリンク付き)
*年間計画で、ミニリサイタルを!!