音楽だより♪313 エスプレシボ  

滝口京子さんを悼む
                竹内幸一 

 雨の降らない梅雨が続いています。あちこちの紫陽花が、悲しそうに萎れて咲いています。農業や飲み水のためにも、きちんと梅雨になってほしいですね。

 さて今月は、いろんな方面で活躍し、多くの方から惜しまれながらお亡くなりになりました滝口さんを偲び、これまでのお礼を少しだけでも書かせていただきたいと思います。

 6月20日に、たくさんの方が、一輪の白バラを献花するお別れ会がありました。そのとき、私は、今までのご縁で、少しだけギターを弾く機会を頂きました。その日、会場に向かいながら、「これが、滝口さんから依頼をうける最後のイベント、最後の演奏になるんだな」と思いつつ車を走らせました。思い起こせば、これまでどれだけ滝口さんに、貴重な演奏機会を頂いていたかわかりません・・・・・・。

 滝口さんは、アイデアやイベント企画が、泉のように湧いてくる方でした。しかも湧いてくるだけでなく、それを実現させてしまう、決断力と行動力のある方でした。またその人柄を慕って、滝口さんのやることなら応援しようと言う、有力な人材も周りに揃っていました。

 その、ほんの一端ではありますが、時おり私にも声がかかり、ギターを演奏する機会をいただきました。トータルブレインのオープン記念や、冨士屋での地獄蒸しの会など、いろんな催しがありました。

 振り返れば、滝口さんと初めてお会いしたのは、13年ほど前になります。前事務局長の福田さんよりお誘いを受け、ハーモニアス別府という音楽団体に入ってからのことでした。滝口さんは、この会の発足から重要な柱として、活動していた方です。

 いろんないきさつから、ハーモニアスと深く関わるようになった私は、いつしか会の事務局長という大役を引き受けるようになっていました。それが、これまで何とか続けられたのは、陰になり日向になり、いろんな面で責任を担って仕事をしてくれた滝口さんがいてくれたからに他なりません。印刷物の手配、看板やお花の手配など、細々した事は全部してくれていました。いろいろ困ったことが出ても、最後には滝口さんに頼れば、どうにかなるという安心感がありました。

 実は、今年のニューイヤーコンサート関係のいろんな手配も、入院しながら、電話やメールですべてしてくれていたのです。そして、入院して痛みなどがあるなかで、時おり電話やメールを頂いて「何もお手伝いできずに済みません。申し訳ないです。」「いろいろお任せしてしまって済みませんが、もう少しだけ待ってください」・・・と、いつも謝る滝口さんに、ただただ恐縮するばかりでした。

 病気とは、毅然と闘い、治ることを当然のことのように思っている感じでした。「実は、肝臓に転移しまして・・・、でもラジオ波照射で焼けば大丈夫です」「人様に見せられないほど痩せてしまって・・・でも一時的なことと思います」・・・こちらが愕然とし、のけぞるようなことを、さらっと言えたのも、治るという裏づけがあったからこそでしょう。それは、自分自身を慰め、そしてまわりの方に心配かけないようにする思いやりでもあったのでしょうか。

 しかし、今年のニューイヤーコンサートが終わってしばらくしてからだったでしょうか、「こんなに長引くとは思っていませんでした」と言う、少し元気のない声を聞きました。そしてそれからしばらく経ってから「来年の、ニューイヤーコンサートは、お手伝いができないかもしれません」というさびしいお知らせがありました。

 その後、お花はどこどこへ・・・、印刷は、タクシーは、看板は・・・という連絡先のデータがメールで届きました。またそれぞれのところへ、私への連絡メールや電話番号が送られ、後がうまく行くようにと手配をしてくれていました。

 そのとき教えていただいた花屋さんに、今年の春の音楽祭の記念品を頼みました。きれいな花の鉢を70鉢届けてもらいました。

 4月29日、まだスタッフが会場に来る前、花を飾り終わったあと、花屋さんと滝口さんの話をしました。
「具合はどうなんですか」「今は、痛みの治療をしているようですね」「滝口さんには、大変お世話になりましてね、彼女のお蔭で、アルゲリッチ音楽祭へ花が納められるようになり、大変助けられているんですよ」「そうだったんですか、早く治るといいですね」

 翌日分かったのですが、そんな話を花屋さんとしていた4月29日が、滝口さんの命日となっていたのです。しかも、その4月29日は、奇しくも滝口さんの誕生日でもあったそうです。

 先日のお別れ会のとき、ハーモニアスからということで、お花をその花屋さんに依頼しました。祭壇横に、とてもセンスのいい花を、心をこめて活けてくれていました。またご自分のお店のお花も出してくれていました。

 市役所に勤め、女性初の部長候補と騒がれるほど、実力を認められる仕事をし、その後、ビーコンプラザ事務局、アルゲリッチ音楽祭事務局と活躍し、そして夢にしていた念願の、『トータルブレイン』の開業に至りました。

 その閃光のような活躍の軌跡は、多くの人々の心の中に刻まれています。悔しくて、残念でなりませんが、天命を認めるほかありません。謹んでご冥福をお祈り致します。いろいろとありがとうございました。

 
連載 その2
「素っ裸」のススメ
  (竹内竜次 ギター科講師)

 世の中には、複雑に入り組んだ物事を筋道立ててさらっと説明できる人がいます。または不意に訪れた気まずい沈黙を、3日間徹夜で考えてきたような興味深い話題や、おもしろい話で、楽しく和やかな空気に変えてくれる人がいます。
 僕はそんな人たちを心から尊敬し羨ましく思います。なぜならそれは僕のもっとも苦手とする分野だからです。
 僕が何かを説明しようとすればするほど、相手を混乱の渦へと巻き込み、重苦しい沈黙を破らなければと口にした言葉は、大抵見当はずれで言わなければ良かったと後悔する事になります。
 人間よく出来たもので、しゃべることが苦手な代わりに、こうして「書く」ことは苦になりません。時間さえあれば長い話を要約し文章にまとめることも出来ますし、たまに文を読んで頂いた方に「本業より上手いんじゃないか」とからかわれることもあります。
 確かに文を書いている間は知的にふるまえたり、少しだけ良い人に見せることも可能かもしれません。しかしそれは、自分を大きく見せる武器にはなっても、等身大の自分ではありませんし、自分以上の自分でいるのは疲れるものです。
 肝心の本業の演奏する事に関して白状しましょう。色々な経験を積ませて頂いてだんだんと緊張をコントロール出来る様になってきましたし、またその緊張感が良い結果を生むこともまれにあります。それでも大抵の場合、「良い演奏をしよう、かっこよく弾こう」と考えれば考えるほど決まって現実は逆の道をすたこらさっさと進んでいくのです。頭は真っ白、冷や汗がたらたらのたぐいは日常茶飯事。震えや吐き気が来ることもあります。当然格好付けたり、自分を飾る余裕なんか全くありません。そこにあるのは100パーセント素の自分です。そんな裸の自分をさらけ出すのは恐ろしくもあり、恥ずかしくもあります。それでも何も隠すことのない清々しさを
自分自身がしっかりと感じているのも確かなのです。
 余談ですが最近アイドルの人が裸になって捕まりましたね。やったことの善し悪しとは別にして少し気持ちがわかる気もします。あれだけ自分とは違う人間を常に演じなければならない人です(しかもいつもすごくカッコよかったり、仏のように良い人を!)。たまに素の自分に、たまらなく戻りたくなったとしても不思議ではありませんよね。
 話を音楽の方の「裸」のはなしに戻しましょう。
 僕は発表会で弾く生徒さんの演奏後の顔を見るのが好きです。皆さん、照れくさく恥ずかしそうではあるけれど清々しさに満ちています。「ああ裸になれたんだなあ」と嬉しくなります。
 人は誰でも良く思われたい!カッコをつけたい!という心理と、すっ裸でいたい!という相反する気持ちとが頭の中で綱引きをしているのではないかと思うのです。しかし年齢を重ねれば重ねるほど背負うものが増え、本当の素の自分でいることは難しくなります。むしろ裸でいたいと思ってもいさせてもらえない前述のアイドルのような思いをされている方も多いのではないでしょうか。
「素っ裸」大いに結構!少し恥ずかしいかもしれませんが、音楽をする時くらい力を抜いていこうではありませんか。
 これからこのコーナーで皆さんと銭湯の中で話しているようなざっくばらんなお付き合いが出来ればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


コードがわかって、
嬉しい!

後藤一成(ギター教室・ルベックムーン)


 トキハでの竹内先生のギター教室でレッス
ンを受け始めて6年目になります。その他
ムーンの合奏団にも参加させて貰っていて
楽しくやっています。
 今レッスンでは「クラシック・ギター第3巻」の中ほどを習っていますが、コードの説明の図表があり、これが理解できたので、目
からうろこが落ちたと言う感じになり大変喜
んでいます。
 常々、コードをうまく弾けたらいいなあ、と思っていたので、この図表を教わり本当に
良かったと思います。
 なぜなら、コードを読めたら、やさしいも
のなら、どんな曲でも大体伴奏ができるよ
うになると思うからです。
 一つのコード方式で、伴奏しようとすれば、
Low Position からHigh Position にわたり、
左手を大幅に移動させないといけません。
 それが、この教本の図式によると、一方
の方式だけでなく、二つの方式を混合して
使用し、二つから便利な方のコードを採用
することによって、左手を大幅に移動させ
る必要がなくなります。
 市販のコード・ブックを見ると写真入りの
コード表だけで、分厚い一冊の本になって
います。これを覚えようとしてもそれは不可
能です。
 それがこの教本によると、E-Group方式
とA-Group方式のコードの二つを暗記すれ
ば、すべての曲で、左手を大幅に移動させ
ないで伴奏が出来ると言うことです。
 本当に良い教材と先生に出逢えて、感謝
しています。これからもギターに精進したい
と思いますのでよろしくお願いします。

今一度
 高橋 勇 (ギター教室・ルベックムーン)

私がギターを弾き出したのは、中学校二年生のころ、45年前のことでした。
そのころギターで、歌謡曲、演歌、フォークソング、などをかき鳴らしていました。最後には、エレキギターにまで、手を伸ばしてみましたが、結局ガットギターに、落ち着いています。
そのころは平凡、明星、そんな月刊誌などの、歌本のふろくでコードを弾いていましたが、その、意味もわからずに過ぎてきました。最近になってそんな、基礎が気になりだしている私です。
いまごろになり、あれこれと本を、さがしては、なんとか、読めないかといろいろと、試行錯誤をしているこのごろです。竹内先生の基礎講座も聞きたい、スポーツのクラブもと、いろいろな事に首を突っ込んでいる私ですから、どれもこれも今一になり、困りはてています。
それでもやりたい、続けたいあれこれと、時間を合わせたりしてやりくりしているのですがうまく、いきません。
今、私に目を使うことが出来るならば、あれもこれもと、また、よけいなものをしょいこむのでしょうから、これくらいが、いいのかもしれません、
それでも、最近はもう一度楽譜が見たい・・・そんな、むりな、願望をもっている、私なのです。
神様もし、目が見えるようにしてくれたらもうすこし、ギターに、身をいれてがんばりますので、望みをかなえてくれませんか。

九州ギター音楽協会主催
松下隆二ギターコンサート
時:8月2日(日)13時〜
所:別府ビーコンプラザ・リハーサル室
入場料:1,500円 <前売り券発売中>
★     ルベック30周年記念のコンサートでゲスト出演された福岡在住のギタリスト「松下隆二」さんが別府で公開レッスンとコンサートを開きます。是非お出かけ下さい。
*13時〜公開レッスン
  独奏&合奏の指導を行ないます。
*15時〜コンサート
  前奏曲第5番(ロボス)、粉屋の踊り(ファリャ)、コンドルは飛んでいく・・・etc
◎賛助出演 竹内竜次・溝口伸一

 

サンシティー音楽院 音楽だより♪314 

夢のトリオ
竹内幸一 
 先月、雨の降らない梅雨と書いたら、後半になって際限もなく降り続いています。老人ホームや高速道路などが濁流に流されて、甚大な被害が出ています。困ったものですね。

 さて今月は、演奏会の感想を書いてみたいと思います。夜9時過ぎまで会場に居ました。今10時ですが、感動の新鮮なうちにと、パソコンに向かっています。

 今夜のコンサートは、夢のトリオ「チョン・ミョンフン(P)、樫本大進(Vn)、趙 静(Vc)」の3名によるコンサートでした。この演奏会を聴いて、私の中で最大の誉め言葉をいえば、「最後まで全く眠くなかった」という事です。

 少し余談になりますが、私は毎日眠りにつくときに、枕元に置いてあるCDを聴きます。今は、120枚のモーツアルト全集を4,5日おきに交換しながら聴いています。
 これがとってもいい気持ちにさせてくれる音楽ばかりなのです。弦楽四重奏とかを聴いていると、うつらうつらしながら、天国の花園に遊ぶとはこういう気分だろうなと思うほどです。たいがい、4、5曲で夢路に入りますので、CDが終わることを確認する事は、全くありません。

 ところが、その習性がいつしか身についたのか、音楽会などでも、いい音楽を聴くと、条件反射のように眠くなるようになりました。余りクラシックに詳しくないせいもあり、難しい曲は退屈してしまうという事もあるのだと思います。

 そういう事もあり、今日の演奏会のプログラムを見たとき、「これは眠るぞ・・・!」という確信?が芽生えたほどでした。1部に、シューベルトのピアノトリオ(全4楽章・約40分)1曲、休憩後の2部に、ブラームスのピアノトリオ(全4楽章・約40分)1曲という、実にシンプルなプログラム構成だったからです。

 しかしながら、見事にその心配は裏切られました。最後まで、音楽の喜びに浸ることが出来ました。これが、どこから来るものか、演奏を聴きながら考えて見ましたが、やはりピアノが覚醒させてくれるんだと、思い至りました。
 チョン・ミョンフンは有名な指揮者で、そのオケは何度か聴いたことがありますが、ピアノは初めてでした。

 そのピアノの音がそういいとも思いませんでしたし、何だか余裕がありすぎて、投げやりな弾き方に見えることもありました。

 しかし、ピアノを弾きながら、音楽全体を、そして若い情熱的な二人を、指揮していると、いつしか分かりました。ゆるゆると流すところがあり、緊張感を持ってダイナミックに盛り上がるところがあり、その音楽の動きがあるお蔭で、眠気を奪っているのだと思いました。

 ヴァイオリンとチェロの二人を包み込むように、ピアノが額縁になるときがあります。額縁の中で、若い二人は、楽しそうに全力で音楽を奏でます。ところが、ふたりの間から、ここはわしの出番だと、ぬっとピアノが出てくるのです。その良く聞こえる音が、きれいだとは思わないのですが、その音の一つ一つが、その位置になくてはならない存在感があるのです。音楽の流れに染み渡り、私達に、ピアノの音でしっかりと音楽を語ってくれます。

 その万感をこめたようなピアノの旋律は、小手先の小細工で出るものではありません。ピアノの持つあるがままの音を素朴に共鳴させています。力や技で作り出したものではないのです。それは、音楽の歌心の真髄を、神から与えられている人にしか出せないものだと思います。

 ヴァイオリンの樫本大進は、なんと、あの世界一のオーケストラともいわれるベルリンフィルの第1コンサートマスターに内定したそうです。日本から大リーグに行く野球選手に例えれば、4番でエースになったようなものだと誰かが言っていました。

 最後にアンコールでソロもありましたが、繊細、ダイナミック、力強さ、そして安心して聴かせる落ち着きもありました。世界の桧舞台で、これから日本人の希望の星になる様な活躍をしてくれることでしょう。

 趙 静のチェロは、安定したテクニックで、おおらかな音楽性もあるようでした。しかしあとの二人の凄さの中では、どうしても線が細く見えてしまう感じでした。とはいえ、、最後のインタビューでは、日本語でしゃべり、その上手なのに驚かされました。

 今日は、3人レッスン変更のお願いをして夜の時間を空けましたが、この迷惑を平気でかけていると、最悪の場合、生徒さんを失うことにもつながります。そういう事で、いろいろ行って見たいなと思うことがあっても、つい億劫になって、やめとこうという事になってしまいます。

 誰かさんが、60歳や80歳は、仕事をするしか能がない。そんな時から遊びを覚えることなどは、出来ませんよと、言っていました。私は、これから先もずっと仕事をするしか能がないのかな?

 60の手習い、70歳の趣味悠々・・・現実にたくさんの人がこの音楽院にも来てくれているのに、それが見えない人もいるんですね。

 私も、これからは、60歳からだって遊べるぞ・・・といえる日を少しずつ増やしたいと思います・・・レッスンの変更をお願いした時は、どうぞご協力をお願いしますね。たまには、又、音楽会に行きたいと思います。よろしくお願いします。

 

サンシティーのみなさん、お変わりなくお過
ごしでしょうか? 新しい住所が決まりまし
たので、お知らせいたします。佐賀へお越しの
際は、遊びにいらして下さいね♪(加藤宏子)
〒849-1321 鹿島市古枝甲91−20です。
お手紙を下さったのに、戻ってきてしまった方がいらした
そうで、大変申し訳ありません。もう届くように
なりました!表札を出してなくて・・・ごめんなさい

連載 その3
私の好きな事・好きなもの
    フルート科 石井暁子

  今月は何について書こうかな、と随分前から思いを巡らせていましたが、今日は<アンサンブル>という事について書いてみようかなと思います。  
 前々号のこのコラムでF・マルタンの「バラード」という作品について少し触れました。この曲はとても精密に精緻に書かれているだけでなく、曲の最初から最後まで神秘的な緊張感が漂っているような作品です。この様な作品、つまりソロの楽器とそれを支えてくれるピアノが非常に密接な関係を持ち、ピアノが伴奏に終始せず、その作品の中で重要な役割を担うような作品では<アンサンブル>が非常に大切になってきます。
 この前の講師演奏会のマルタンの「バラード」では義妹(旧姓・竹内宏子)が私のパートナーを務めてくれました。私にとっては彼女は義妹以上の存在で、これまでフルートの重要な作品を彼女と一緒に何曲もやってきました。
 私にとってもそうでしたが、彼女にとってもいつも全てが新曲で、いつも2人で手探りしながら曲を仕上げて行きました。それはある時は本当に大変だったろうと思います。ソリストが曲をどの方向へ進ませてよいか、はっきりわかっていない状態ではもう片方のパートナーも迷ってしまうという事です。
 でもやっと、ここの所、曲の中での迷いが減って確かな手応えを感じられる様になってから、彼女とのアンサンブルに磨きがかかってくるような気がしています。   講師演奏会の前の1、2ヶ月は本当に素晴らしい時間を一緒に過ごす事が出来ました。マルタンの「バラード」は本当に合わせるのが大変な曲です。お互いの呼吸をいつも感じていないと上手く行きません。彼女は私の呼吸や私の「気」を本当に敏感に感じ取ってくれます。 曲の中では、今、この瞬間に音が入って来て欲しい、このタイミングで次の音へ移って欲しい、という様な場面がいくつもあります。それが前へも後ろへもほんの少しでもずれても駄目だという瞬間を、彼女は逃さずに入って来てくれるのです。
 私はその瞬間がたまらなく好きです。音楽がぴたっとはまったその瞬間に無上の喜びを感じ、私は自分のフルートが本当に自由になったような気がするのです。  一つの曲をここまでの密度を持って演奏する事は簡単な事ではありません。彼女も私も時間をかけてここまでやって来ました。でも、何より一番大切なのは、お互いに100%信頼しているという事ではないかと思います。私はいつも、私自身がどう吹きたいのかがはっきりすれば、言葉にせずとも彼女はそれを私の音の中に読み取ってくれるはずだと思っている、という事です。
 そこには義姉・義妹という枠を超えて、音楽を通して育ててきた絆のようなものがあるからだと私は思っています。 音楽を通して、この様な経験をさせてもらえた事に本当に感謝していますし、私の音楽人生がここまで豊かになったのは、彼女がいてくれたからだと思っています。
 なんだか彼女へのラブレターみたいになってしまいましたが(笑)、昨年11月に結婚し、佐賀の新しい環境の中で新たな一歩を踏み出そうとしている大事な妹への感謝と励みになれば……。と思っている今日この頃です。

雑  感 
宇都宮 福巳(ギター教室・ルベックムーン)
 会社を退職し大阪から別府へ転居して早8年余り、古希と言う字が手を伸ばせば届く所まで近づいて来ました。思えば、40年程続いて居るゴルフ、別府へ来てから始めたギターやボランティア、友人に勧められ最近始めた合唱やソシアルダンス、と数多くの趣味に多くの友人知己を得て楽しく充実した日日を過ごしています。
 只何をやってもなかなか上達せず、「皆何でこんなに上手なんだろう」と挫折感を味わうことが度々です。
 マスコミでは、「高齢化社会、高齢化社会」と騒ぎ立てて居ますが、実際に趣味を共にしている方達も、私より年長者の方が数多くいらっしゃいます。
 其の方達、男性も然りながら女性の皆さんの元気で明るく、溌剌としているのには尊敬と驚きの念を禁じえません。「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」と書いたサムエル、ウルマンの詩、を其のまま実践して居るのでしょうか?
 「年を重ねただけで人は老いない、理想を失う時に初めて老いが来る。」私などその諸先輩から見れば、まだまだ鼻たれ小僧なのだと思います。
 勿論周りの皆さまや、その他ご高齢者の方方も表には見せない大変な問題を数多く抱えて居らっしゃる事でしょう。でも私も思います、いや思おうとしています、例え暗く悲しく挫折感を味わった時も「くよくよしても始まらない、きっと明日は良い事が有る」と、そして出来るか如何かは別として、少しでも世の中や人の為になる事が有れば、お手伝いしたいと。
 時折紅灯の巷を彷徨う昔からの私の悪い癖も、「元気だから行けるんでしょ」とおおらかに許してくれる妻に感謝しながら、私も諸先輩の様に生涯を元気で明るく、心をときめかせながら、青春で過ごしたいと思っています。

思いのままに         
  富松 睦子(ギター教室・ルベックムーン) 
 はじめてギターという楽器を知ったのは、小学生の時だった。
 当時としては珍しく音楽好きのグループがあり「00バンド」とかの名前で、町役場の助役さんを頭に学校の先生、薬剤師、カメラ屋さん、自転車屋さん、割烹旅館の若旦那といった集まりだった。お祭りや何かのイベントではよくかり出され人気者だった。
 兄もそのメンバーの一人で、たまにギター、アコーデオン、マンドリンなど借りてきては弾いていた。それが上手か下手か子供の私には解るはずもなく、只かっこ良くて憧れたものだった。
 それから何十年もの年月が過ぎ、時間にも余裕が出来かけたころ、先生との出会いがあった。音楽の事は全く駄目、まして楽譜も読めず、若くはなく、覚えられるのか不安が大きかった。迷いに迷いながら、子供の頃の憧れも少し手伝い、思い切って教えていただくことに決めた。
 自分だけのギターができた事は、何よりうれしかった。やっとドレミが解りかけた頃、春の音楽祭という難関に出会った。学芸会などとは程遠く、私には、初めての大舞台になった。出番が近づくにつれ、胸はドキドキ、手はブルブル、足はガタガタ、おまけに頭は真っ白になった。これでは弾けるはずもなく、大失敗に終わった。 年に一度の大舞台の失敗はまだひきづったまま。先生が、竹内先生でなかったら、とっくに匙を投げられていただろうし、今まで続けて来られなかったと思う。
 『正法眼蔵』の意を教えていただき、どんなにかありがたく、慰められ、救われた思いがしたかわかりません。
*先生の言われる一行日記のつもりで書いてみました。

教本のページめくれば書き込みの 
     ひとつひとつに深き思い出

レッスンを終えて夕暮れ帰り道     
   いっと にっと と足拍子とり

なぜ弾けぬギター持つ手を叱りつつ 
     白きムクゲに問いかけており 



 音楽だより♪315 エスプレシボ  9月号

素晴らしき哉、人生!

                    竹内幸一 
  
 長雨の後、残暑の厳しい毎日が続いています。しかし、もう夜は涼しく、秋の深まりを感じさせますね。寒暖の差の激しさに体を順応させるのが大変ですが、皆様どうぞお元気でお過ごし下さい。

 さて今月は、1946年(私の生まれる2年前)に出来た古いアメリカ映画を見ましたので、それをご紹介しましょう。「素晴らしき哉、人生!」というタイトルは、いかにも人間の善意の時代を象徴するような、古き良き時代の香りがします。

 内容は、ジョージという男の半生の物語です。高校を卒業して、いざ大学へという希望に満ちた時、父親が亡くなり、家業を継がざるを得なくなります。代わりに弟のハリーがジョージのための学資で大学へ行き、その卒業後に、ハリーが家業を継ぐという約束でした。しかし、4年後に大学を卒業した弟は、結婚相手を連れていました。そしてその結婚の条件が、その娘の家の家業を継ぐという事でした。

 弟の結婚というお祝いのためにも、ジョージは、いろんな夢を諦めて、家業の零細な住宅金融会社の仕事を継続せざるを得ませんでした。

 そうしているうちに、叔父さんであり副社長のビリーが、銀行で8千ドルを紛失するという事件が起きます。その8千ドルがなければ、銀行監査にあって会社は倒産という事になるのです。

 お金を探し回って疲れ果てたジョージは、絶望の余り橋の欄干に持たれ、生まれてこなければ良かったと、飛び込もうとするのです。

 生きていくうちには、気持ちが暗く沈みこむようなことが続くことがあります。例えば、最近の私の場合、8月30日に開くコンサートに参加してくれる方がとても少ないのです。選挙があり、他のコーラスの15周年記念や、九重での音楽イベントなども重なっています。

 そんなときに、来てくれると予約を入れてくれていた方から、「ごめん、96歳になる母親の具合が悪いのよ。それに私が行かないと、一緒に行くといっていた友達も、キャンセルしてと言うのよ。11月に行くからごめんね」と電話が入ります。勿論、いつもお世話になっている方ですから、不機嫌な声は出せません。「いいですよ」と明るく返事をせざるをえません。

 しかし予定の半分行くかどうかという時に、2名減は、またひどく応えます。またそんなときに限って、「選挙の立会人になっていたのを忘れていた」と、断わりの電話が続いたりするのです。

 いつもお客さんが多い、凄い集客力・・・というようなこれまでのことが、見栄や自惚れになって、なおさら自分を苦しめます。ジョージのように橋の欄干から飛び込もうとまでは行きませんが、何だかがっくりしてしまいます。年に四回もやるという事自体が、無理で失敗だったのかと、足もとからよろけてしまいます。

 さて・・・話をジョージに戻しましょう。今まさに飛び込もうとする水面に、ある老人が、先に飛び込みます。それを見てジョージは、自分が死ぬことを忘れて、無我夢中で水に飛び込みその老人を助けるのです。

 ここから先はファンタジーです。老人は、翼のない天使でした。地上からの、「ジョージを助けて」というたくさんの祈りに応えて、天からジョージを助けるために使わされた天使だったのです。天使は、「生まれてこなければ良かった」というジョージに、ジョージのいない人々の暮らしを見せます。

 小さい頃ジョージがした事、例えば弟が水に溺れているのを助けた、薬屋のおじいさんの薬の間違いを教えたとかがないと、弟が死んでいたり、薬屋の主人は殺人罪でつかまっていたりします。

 それに、何より、親しい友達の警官や、結婚していた妻や、最愛の母親が、「あんただれ?」と胡散臭そうに見て、誰も相手にしないのです。どこで誰にすがって訴えても、キチガイ扱いをされ無視されるのです。

 自分が存在しない。どこにも自分がいない。その茫漠たる辛さ、悲しさ、さびしさ・・・・

 そんな時、片方の耳が聞こえないというもとの状態が戻ります。殴られて、口から出ていた血も元のとおりに出てきます。そんな辛い現実が戻ったことが嬉しいのです。そして会社に戻れば、「横領で会社を倒産させた、逮捕する」と言われるのですが、それが嬉しいのです。自分がいることを認めてくれる、確かな声を聞いた喜びが、体に溢れているのです。

 実はこのあとに、もっと大きなハッピーエンドがあるのですが、あえてそれは書きません。

 私もいろいろな場面で、たくさんの方々とふれあい、助けられて、60年過ぎました。この長い存在の中で、実に様々なことを体験し、喜び、そして泣いて来ました。それは、ジョージの存在の喜びに他なりません。

 「逮捕する」という過酷な言葉も、存在すればこそ出会えることです。

 客席が閑散としているのは、さびしいことでしょう。しかし、それに出会えることさえも、存在の喜びと捉えることができた時、私もひとまわり成長できるのではないかと思います。そのぎりぎりのところが見えたとき、人は、「素晴らしき哉、人生!」と叫ぶのでしょう。


連載 その4  いい顔
  (竹内竜次 ギター科講師)
天気予報では、もう秋が近づいていると告げています。勝手なもので余りに暑いと「夏バテで、何もする気がおきない。」とか言うくせに、もう秋と聞くとなんだか寂しい気がしてきます。
 賑やかな蝉と甲子園の大歓声と無慈悲に照りつけるカラカラのお天道様に、麦茶と扇風機とで心細くダラダラと対抗しつつ、8月の終わりには、子供の頃から脈々と受け継がれては儚く消える「今年の夏こそはやるぞ!」という壮大な目標を「ええと、来年こそは」にこっそり変更するのが、正しい夏の過ごし方だと思います。
 甲子園では明豊高校の健闘が光りましたね。ただ喜怒哀楽を体いっぱいに表す他校の球児に比べ、少し表情が乏しいと感じたのは僕だけでしょうか?
「表情」で印象に残っているのはこの夏ベルリンで開催中の世界陸上・女子長距離走決勝でのひとコマです。
  レースは、周回遅れの日本人選手を一人残しほぼ終わっていました。しかし、ゴールを目指しただ一人走る彼女に、場内からは割れんばかりの励ましの歓声と暖かい拍手が送られ続け、一際小さな彼女を包んでいました。ゴール後は大会マスコットに抱き抱えられ健闘を称えられたり、海外のマスコミにインタビューを受けるなど金メダル級の扱いでした。
 その場内の雰囲気も勿論素晴らしかったのですが、僕が印象に残っているのは、その選手のゴールした時の表情です。自分の持てるものをすべて出し切った充足感と走る喜びに満ちた爽やかな笑顔でした。長距離走に付き物の苦悶の表情や、恥ずかしさや悔しさが滲んだ顔を想像していた僕にとって、それは意外な表情でした。
 勿論これを美談として語ることに抵抗を覚える方もいらっしゃるかもしれません。結果がすべての世界だ。と言いきってしまえばそれまでです。しかしだからこそ、彼らは想像を絶する厳しい練習を日々積み重ね、代表としてのプレッシャーと戦いながらあの舞台に臨む訳です。それをすべて乗り越えてこそのあの笑顔だと思うのです。
 ウサイン・ボルトの超人的な走りは私たちを驚嘆させ、その凄まじい記録の誕生に誰もが興奮したでしょう。しかしそれは凡人の僕からはかけ離れた別世界の出来事です。それに対してビリ(失礼)でゴールしたその日本人選手の表情を見て僕は「なんか走るの楽しそうだな。ジョギングでもしてみようかな」と感じたのです。
それは陸上でも音楽でも同じなのだと思います。スゴいもの、レベル高いものだからといって必ずしもその素晴らしさ、楽しさが伝わるとは限らない、レベルとは関係なくその走者(奏者?)の表情がその魅力を伝える事もあるのだということを彼女から教えられました。
 自分は「いい顔」で楽器を弾いているだろうか?「いい表情」でレッスン出来ているだろうか?ふとそんなことを振り返った夏の出来事でした。


いつのまにか25年
岡本久子(ギター教室・ルベックムーン)
 ギターを習い始めて いつの間にか25年になりました。
始めたきっかけは「中高年のためのギター教室」という見出しの新聞記事を偶然目にしたことからです。いつかピアノを習いたいという思いはずっと持っていたのですが、我家の床の間に鎮座するギターの存在も少しだけ気になっていました。
 そのギターは妹が20歳頃ギター教室に通ったのですがすぐに止めてしまい、甥二人がいる我家で使うのではと持ってきたもので、なぜだか床の間に置いたままとなっていました。息子たちは毎日目にするにも拘らず、その存在を一向に気にすることなく、手にすることもありませんでした。
 今まで少しだけ気になっていた存在のギターでしたが、その新聞記事を読んだ時、瞬時にギターを弾いてみたいと思いました。
 しかし、時間が経つにつれ、私に出来るかしらこの年で・・・と、申し込み〆切日までの毎日は「電話しよう」いや「止めておこう」の繰返しでした。
とうとう締切日となってしまいました。その日もこの繰り返しの中で“中高年のための”ということは若い人向けではないということ、中高年の私でもやれるのではないかしらとやっと決心し、恐る恐る電話しました。この時の心境は、〆切日当日なので断られるのではないかという心配と断られることによる安堵の気持と両方でした。すると奥様のやさしい声で「まだ大丈夫ですよ。どうぞおいでください」という返事でした。
 当日教室へ行くと部屋の中は各々の思いで集まった人で一杯でした。先生の説明の後、5名一グループで いくつかのグループに分かれて無料レッスンが始まりました。一ヶ月経ち、いよいよ本格的にレッスンを受けるかどうかの別れ道、この時は迷わずレッスンを受けることに決めました。
 始めて5年間位は息子たちの試験中であろうが毎日弾いていました。しかし、義母の看病のため中断したり、仕事が忙しく練習をしないままレッスンを受けたりの繰返しで上達とはほど遠く、むしろこの頃では体のあちこちに故障を生じたこともあり、急下降している状態です。
 これまでうまくいかない時、なんでこんなむずかしい楽器を始めたのだろうと思ったこともありましたが、今まで止めずにこられたのは、小さなオーケストラと言われるギターの音色の魅力と五絃会・ルベックムーンというグループでの練習の楽しさと仲間たちの存在、なによりも竹内先生のやさしい指導とちっともうまくいかなかったのに、気恥ずかしいちょっとした褒め言葉(年を取っても褒められることは嬉しいものですね)のお陰です。
 いつの間にか中年から高年となってしまったこれからは、ボケ防止のためにもなるべく長く続けたいと思っております。
 余談ですが、本格的なレッスンを始めた沢山の同期生も年月が経つにつれ、各々の事情で止めて行きましたが、今も続けている同期生がルベックムーンに3名おります。これからもお互い励まし合いながら記録を伸ばしていきたいものです。

十年一昔
 宮原 誠 (ギター教室・ルベックムーン)
文化、医療、公共交通機関等全ての面で充実している都会から市とは名ばかりの、車が無ければ陸の孤島に等しく設備の整った医療機関、文化施設も無い田舎の市民となって十年。早くも『一昔』が過ぎてしまいました。
 その間『合併』により市域は広くなったものの、施設は体育館が出来たぐらいで相変わらず何も無く、美術鑑賞・観劇等は博多へ、もし不幸にして脳梗塞・心筋梗塞と言う時間との勝負の時は『諦める』覚悟の連続でした。
 十年の間にはオリンピックは三回行われ、国政では首相が5人も代わり、すぐ隣りには相変わらず核開発を進める傍若無人な怖い国が存在しているのに日本の将来像は……と思いつつ果たして私の一昔はと振り返って見ますと、都会の便利さと引き換えにした田舎の生活はとても有意義な日々の連続だった気がします。
自然に恵まれ、海に恵まれ、匂いの無い澄んだ空気と美味い農作物に恵まれ、何よりも30数年苦しんだ喘息が移住後僅か2ヶ月で完治した事が大きな収穫でした。
以降太公望にとって憧れのマイボートを入手、このための海技免許を取得して海へ、又、若かった頃からの夢ギターにも挑戦出来ました。
その他園芸・写真・読書・星座鑑賞・バードウォッチング・バドミントンと言う趣味に時間を費やしながら、時には植木屋・造園屋・大工そして一番大切な買い物にと、ただただばたばたとその日その日が過ぎてしまった気がします。
そんな時間を忘れたルンルンな本人とは裏腹に可哀想なのは同居人(妻)のようです。私同様に趣味の多い彼女は当初はトキハの文化教室に通っていたものの、自分で運転出来ないためアッシー君に遠慮して止めてしまいました。時々『男の人は良いよね!!』とボヤかれますが、今では唯一私のギターレッスン中にするウィンドウショッピングが楽しみのようです。
幸いにして二人共『旅が好き』なため、時々ゴマをスッてストレスを解消してもらっている十年でした。
思えば、今の家を建てるに当たり『俺も週1〜2回は料理をするから』とシンクを高くはしたものの、台所に立つことは殆どなく今だに空約束です。
いつも感謝しているのに素直に『有難う』と口に出せなかった十年、この後も同じように過ぎて行くのでしょう。本当に一昔経ったのか?とまるで十年一日『光陰矢の如し』でした。
そう言えば、先日ギターのレッスン時に先生から『左指がバタバタしている…』と指摘されました。『こんな注意は初めて1〜2年の頃にされるのでは?』とシュン!私のギターも十年一日です。せめてムーンの皆さんに極力迷惑をお掛けしない腕には成りたいとは思ってはいますが…又機会があれば十年後に書かせて頂きます。了



サンシティー音楽院 音楽だより♪316 
10月号
もっとも遠い銀河
                   竹内幸一 

 さわやかな秋風の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。朝晩は少し冷えますので、どうぞ風邪をひかないようにお気をつけ下さい。

 さて今月は、「最も遠い銀河(白川道著・幻冬舎)上・下巻」を読みましたので、その感想文を書いてみようと思います。

 この本は、幻冬舎創立15周年記念特別書き下ろし作品で、原稿用紙2,510枚という壮大な長編でした。しかし、その長さが少しも苦にならない、魅力溢れる作品でした。もう寝よう、少しギターの練習をしなければ、目が疲れたからもうやめよう・・・と思いつつ、もう1ページだけ、もう少しだけと本にかじりついていました。そこまでさせてくれる本に出合えたという事だけでも、数少ない貴重な体験でした。

 この作品の著者「白川道(しらかわとおる)」の作品を読むのは初めてでした。プロフィールを読むと、様々な仕事を体験したあと、作家になっています。     
 
 大手電機メーカー、大手広告代理店、先物取引会社、旅行会社や書店の起業、妻の父の会社で役員、兜町の投資顧問会社、株式投資顧問会社を起業し、何十億という金を動かす、女子大生と同棲しながら、1年間に1億円を使いきるような生活を送る・・・等々、波乱万丈の暮らしをしてきました。

 インサイダー取引等の違法行為で逮捕され、その服役中に小説の書き方を勉強し、なんと49歳で小説家デビューという変わった経歴の作家でした。その様々な体験が、いろんな分野でのちょっとした表現に生きて、物語の背景をなすリアリティーを作り出していました。これから、この作者のほかの作品を読むのが楽しみです。
 この作品を読みながら、私は松本清張の「砂の器」を思い起こしていました。天才ピアニストが、今まさに大ホールをいっぱいにして、成功の絶頂のリサイタルを開こうとしている時、砂の器は崩れ去っていくのです。その蔭に、執念深く事件を追う二人の刑事の姿がありました。

 この作品にも、父母をなくし、極貧の中から、まっとうな暮らしへ這い登ろうとする青年の前に、がんを患った退職警官が立ちはだかります。建築家として名を残せる大きな仕事を掴み、大きな会社の令嬢と結ばれる寸前に、夢はくずれ散って行くのです。

 物語にのめりこんでいると、粘り強く、執念深く主人公を追い詰めていく老いた元警官に、強い憎しみを覚えるほどでした。それだけ、小説の中に私を取り込んでいく筆力が、この作者にあったのだろうと思います。

 この小説には、すこし純粋で美しすぎる二人組がかなり出てきます。晴之と美里(極貧の子供時代から共に暮らし、終生、愛で結ばれる。美里の変わらない自己犠牲がこの物語の軸になる)。晴之と木島(不良仲間の木島は茜の兄淳介を殺害し、生涯の友人として、すべての罪をかぶり自殺する)。渡誠一郎・良一警官親子(親の姿を見て尊敬していた息子は、親と同じ刑事になる)。晴之と堀峰(同級生として、すべてを語れる付き合いをする)・・・

 等々、拾い上げてみると、どれもこれも汚れがなく美しく描かれています。主な登場人物は、みな誰かと信頼に裏打ちされた関係を持っています。それは美しすぎる小説の中の部品ですが、その複合物の作り出す大きな流れは、きっちりと融合して大河になっています。その美しい銀河のまわる中で、様々なドラマが進んでいくのです。

 李京愛の作った詩「遠い銀河」がこの本の題名になっています。 その詩は、物語の中によく出てきます。

光、生まれる朝
光、支配する午後
光、眠る夜
生まれいでたる光かがやかざれば、
夜の闇に朽ちるのみ、
一瞬の光は永遠の輝きを持って、
遠い銀河に眠る

 この詩を書いた、李京愛の、いついかなる時も、晴之を信じるという、無条件の思いも、心に残ります。李京愛も、晴之と同じような生い立ちがありました。

 人は生れ落ちた時、その種子が日蔭に生まれるか、日当たりのいいところに生まれるかによって、その宿命を背負う・・・という様なフレーズもその詩と関連して、小説の中によく出てきます。持って生まれた不平等の中での人間関係は、「もっとも遠い銀河」になるのだと言っているのかも知れません。

 その遠い距離を縮めるために、少しづつ嘘をついて、それが結局まわりの大切な人を、失うことにつながっていきます。退職後の老刑事は、癌で亡くなる直前に、遺言を残すように、主人公に語りかけます。最後の力を振り絞るような、その愛情をこめた言葉で、主人公は、夢を追うことで、何の罪もないまわりの人を苦しめていることから、身を引くことを決意するのです。

 がんの悪化を家族に隠して、ついに真実に至った時に、退職警官の命は燃え尽きます。そして、主人公、桐生晴之もまた、すべてを整理して、愛する美里を沈めた故郷の小樽の海へ身を投げるのです。

 いずれこれは映画になるのではないか・・・とすれば、晴之は誰がいいか、茜にはどの女優がなるか・・・とかも思わせてくれながら、実に楽しく物語を味わうことの出来た本でした。

  <行事予定>
■オペラ鑑賞講座  「仮面舞踏会」その1
10月7日(水)午後1時40分〜 500円
■第91回 E・F・C例会 
10月11日(日)夜7時〜サンシティー音楽院
■第53回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」  10月21(水)午前10時半〜光の園
■第10回 音楽入門初歩の初歩講座
 10月21日(水)午後1時50分〜音楽院 500円
■ハーモニアス別府 第37回ふれあい音楽講座   
   10月15日(木)午後2時〜 1,000円  
   オペラ「セヴィリアの理髪師」 鑑賞その2
■ほのぼの歌声サークル 
  10月14・28日・水曜日午後2時
■第221回 さわやかコンサート
10月23日(金)鶴見病院 6時40分〜
■第10回ハッピーコンサート 無料 2時開演
 10月18日(日)大分県医師会館7Fホール
★クラシックギターで聴く日本の歌 その3
  時代、涙そうそう、ドレミの歌、たき火…全26曲 
・ギター演奏 竹内幸一   ・会場 竹の里
11月1日(日)午後2時〜1,500円(1ドリンク付)ご予約受付中!(30名様限定・ご予約はお早めに)
■第31回魅惑のギターステージ 800円
 11月29日(日)午後2時開演 ビーコンプラザ
  10月15日前売り券(800円)発売予定です。
■竹内ファミリー クリスマス・ランチコンサート
  12月20日(日)12時〜 1,500円(30名様限  定) リストランテ La torre di Z  (中央公民館前)
■第8回キラキラコンサート 12月25日(金)2時
 ご出演の方は11月27日までに曲決めをお願いします。
●ルベックスペシャルのお知らせ
10月の練習日 3・10・24日の3回
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ 
■5週目のお休み 10月29(木)〜31日(土)

連載 その5
私の好きな事・好きなもの
        フルート科 石井暁子
 皆さんこんにちは。早いものでもう10月になりましたね。ここまで来ると今年も後少しだなあといつも思います。
 さて、今月は「音」について私が日頃考えていることを書いてみようかな、と思います。
 もう2ヶ月ほど前になりましたが、次のベルリンフィルのコンサートマスターに内定した樫本大進さん、チョンミュンフンさん、チョウチンさんのトリオの演奏会を聞きに行く機会がありました。3人の演奏はそれぞれとても素晴らしかったのですが、私が心を奪われたのは樫本さんのヴァイオリンの音色そのものでした。
 フルートという楽器は、その音域や機動力がヴァイオリンに近いこともあって、比較されることが多々あります。ヴァイオリンの為の作品をフルートで演奏することもあり、編曲も沢山されています。そのような作品をフルートで演奏するときは、原曲のヴァイオリンで演奏されているものを勉強することが不可欠です。
 フルートを吹く側から見ると、ヴァイオリンには息の制限がないので、フレーズを長く取ることが出来たり、重音を出せるなど羨ましいことが沢山あります。私の今まで聴いてきたヴァイオリンの巨匠たちや多くの現代のヴァイオリニストの音は、木の温もりのある太くて土のにおいのするような音が多く、それにはヴァイオリンにしかない魅力がありました。けれども私がいつも思うのは、フルートの出す透明感のある音はヴァイオリンには出せないだろう、フフフ・・・・ということでした。
 それに対して樫本さんの音は、私がフルートで実現させたいと思っている音色そのものだった様な気がします。
 音域が上がれば上がるほど透明度を増すような、音そのものが限りなく透明に近い美しい銀色の糸を思わせるような、そんな素晴らしい音だったのです。
その音色の素晴らしさが際だったのは、アンコールで彼が演奏して下さったクライスラーの「愛の悲しみ」だったような気がします。その音を聞いた瞬間に本当の至福を味わいました。天に向かって立ち上る、限りなく美しいその音色に例えようもなく憧れ、いつか自分もそんな音色が出したいと思いました。
 私がいつも思うのは音にはその人自身が表れると言うことです。
 どの楽器であろうと、どの作品であろうと、その人の音や演奏に奏者自身が表れてしまうことをいつも考えます。
 もし自分が疲れていたり、元気がなかったり、怒っていたり、または邪な事を考えていたりすれば、それは即、音に表れてしまうということです。これは本当に怖いことだと思います。自分がいつも負の感情にとらわれていると、そのような音しか鳴らなくなると言うことだと思っています。また、逆にいつも明るく元気で喜びに満ちあふれていれば、音を通して人を幸せにすることが出来るのだと思いました。私が樫本さんの音を聴いた時のように、、、、。
 いつか、そんな素晴らしい素敵な音色をフルートで奏でることが出来ることを信じて、日々努力しているこの頃です。


忘れられない日
後藤敬三(ギター教室・ルベックムーン)
 
不肖私 このたびゴルフプレー中に骨折してしまい全治2ケ月とのことで合同練習にしばらく参加できず皆様にご迷惑おかけする事お詫び申し上げます。
さて
’05.4.10
この日は私が通っていたギター教室の発表会の日でした。
定年後にもう一度ギターをやりたい!と一念発起して 福岡の自宅そばの教室に行きだして一年たったころでした。
朝から西新の会場ではリハーサルで熱気にあふれていました。何かの雑誌で高名な歌舞伎役者でも興行初日は緊張で天変地異が起こって中止にならないかと思うそうですが、全く初体験の私もそういう心境でした。皆さんとてもうまくプロの中に一人アマがと言う印象でした。
リハーサルの順番が来て仕方なく弾きましたが 緊張で音がうまくでず散々な出来でした。
10分後 おちこんで観客席からみていたときです。突然会場全体が激しく揺れだしました。
天井のライトが落ちるかという激しい揺れ!そうです あの福岡西方沖地震です。震度6は強烈でした。収まってすぐ ”余震が来る”の声で全員外に飛び出しました。
30分後とりあえず再会されましたが自宅や会社の被害のチェックのため棄権する方もおられましたが小生は続けて本番もひきましたがやはり駄目でした。
最後に先生が今日の日はみなさん忘れられない日になるでしょうと締めくくられたのが印象的な1日でした。
あれから4年、春の音楽祭に今年は出演しました。福岡時代よりましでしたがやはりイマイチで女房にもほめてもらえませんでしたが、先生の(正法眼蔵)に救われ、来年こそと思うこのごろです。

健康診断
 小島 美江(ギター教室・ルベックムーン)

先日、市から配布された特定健康診査の受診をした時のことです。
看護師さんから「この問診票は市の方へ提出しなければならないので一応書いて下さい」とさりげなく渡されました。
いくつかの項目に「はい」「いいえ」で答える様式です。
「今日は 何月何日かわりますか」
「ひとりで買い物に行きますか」の問いに苦笑しながら、軽い気持ちで記入していたのですが、終盤になって「人の役にたっていると思いますか」そんな項目になって、ハタとペンが止ってしまいました。
胸をはって「役にたってる」とも言えないし、全然「役にたってない」と言うのもシャクだし、自分の日常を振り返りながら、ボンヤリ窓の外をながめていました。
「何かわからない事がありますか?」
看護師さんの声にニヤッと照れ笑いしながら○印をつけました。
検査が終わって帰りの車の中、「なんか役にたっている筈や」と自分に言い聞かせながら、 来年の検診もこの程度で受けられますように、そして車の座席にギターを乗せて走っていられます様に、とつい祈ってしまいました。
あとは CDのボリュームを最強にして気分転換、これが一番!
曲目はナイショです。

村上CDコレクション
貸し出し文庫誕生!!

 村上忠生さん(大分市)より、皆さんのお役に立ててくださいと、名盤ばかりの

CD100枚を寄贈して頂きました。
 貸し出しノートに記入していただいて、どうぞ皆様音楽の喜びの恩恵を受けてください。



 

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