音楽だより♪299 
エスプレシボ  5月号
佐東 勝さんを悼む 竹内幸一 
 
 平成20年4月30日、81年の生涯を終えられた佐東勝さんの葬儀が行われました。まぶしい春の日差しの溢れる日に、佐東さんは旅立ちました。

 今、葬儀から帰って喪服を脱ぎ、パソコンの前に座っています。今日は、ご遺族の依頼をいただき、厳粛な場でギターの演奏をさせて頂きました。

 ギターを持って手を合わせ、目が不自由な中で合奏団に参加していただいたこと、おばあちゃんと二人で、いろんなコンサートの応援をしたいただいたことなどの御礼を言いました。そして佐東さんが好きでよく弾いていた古賀メロデイーの中から、「酒は涙か溜め息か」「影を慕いて」の2曲を、お別れに弾かせて頂きました。

 佐東さんは、65歳の頃から80歳まで変らずにギターを愛してくれました。昨年、80歳になりしばらくして、ギターをやめる決断をしました。その時のことを別のところに掲載していましたので、ここに再掲してみます。
 
 『毎週火曜日の午後は、ギターの出張レッスンに出かけている。目の不自由な二人の方の自宅に出かけて、口移しのレッスンをしているのだ。

 いつものように、最初は、Sさん宅を訪れる。Sさんは玄関まで出迎えてくれ、「今日はだいぶ涼しいですね」とか言いながら、応接間に入っていく。

 そこまではいつもと変らない流れだった。しかし、応接間に一歩入って、「うっ」と思った。いつもの場所に、ギターも譜面台も用意されていなかったからだ。

 「先生、今日は、そこのソファーに掛けて下さい」と、Sさんがいつもと違う場所へ私を導いた。そこで私は、全てを察した。

 ソファーに座った私に、何か言いたそうにして、Sさんの顔がゆがんだ。涙が滲み、すべり落ちてきて、しゃべろうにも感極まって声が出ないのだ。

「よく頑張りましたよ、80歳まで続けたんですからね。立派なものですよ」と、私のほうが声をかけて、慰めた。
 しばらくして、Sさんの奥さんも出てきて、両手を突いて、「家まで来ていただいて、長い間よくしていただいたのに・・・」と、丁重に挨拶してくれる。Sさんは、奥さんの持ってきたハンカチで、しきりに涙をぬぐっていた。
 先生の30周年記念コンサートまでは、どんなことがあってもがんばるから・・・と口癖のように言いながら、今日まで来ていた。しかし、しばらく前から、ギターを抱える姿勢が、ちょっと弾いていると、ずるずるっと崩れるようになっていた。もうそろそろ無理かなと思いながらも、何も言わずに励ましていた。

 目の悪くなる前に7年、そして失明後3年ほど休み自宅レッスンになって5年ほどになりますかね、とかいう思い出話をして、お茶を飲んだ。

 もうこのドアを開けて、この部屋へ入ることもないかも知れない、と思いつつ、Sさんにお別れの挨拶をした。玄関で靴を履いていると、壁を伝って出てきたSさんが、見えない目で私を見つめた。そして、その目から、大粒の涙がこぼれた。

 Sさんは目が不自由。そして奥さんは耳が不自由。笑いながら、「二人で一人前だから」とよく話していたが、これからお二人が、いつまでもお元気でと祈りつつ、S邸をあとにした。
 時が過ぎてゆき、少しづつ身のまわりが変わっていく。』

 30周年記念コンサートのチラシなどが出来たら、一番に佐東さんのところに届けなければと思いながらも、ご無沙汰していました。昨年の末から入院していたそうですが、お見舞いにも行かないまま、訃報を聞くことになり、申し訳ないことをしてしまいました。

 佐東さんは、ほんとに30周年のことは、いつも気にしてくれていました。「今は休んでますが、30周年のときには、なんとしてもがんばって合奏団ムーンに復帰し、演奏会に出ます」

 そして最近は、「合奏は無理ですが、客席で応援します。必ず行きますから知らせてください」とも言ってくれていました。

 残念ながら、その願いを果たしてあげることが出来ませんでした。しかし、私は、今、佐東さんとの別れを、とても豊かな気持ちで迎えています。本当に、生涯を通してのお付き合いをさせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 ギターを教える仕事をしていると、全く縁もゆかりもない初めての方と出会えます。それから、ギターを通してお付き合いが深まり、長いことご一緒に暮らしていける喜びがあります。

 しかしながら、時が過ぎてゆくと、いつしかさびしい日が来ることも、最近身に沁みて感じるようになりました。やはりこれは、30年という長さの重みですね。軽々しい数字ではない時間を過ごしてきたことになるんですね。

 それだけに、11月30日の30周年記念コンサートは、佐東さんを始め、これまで応援していただいた方の思いがすべて集まった、一つの集大成になります。この思いを纏め上げる力が私にあるかどうか分かりませんが、また気合を入れなおして、私のギター人生の全てをかけて、大イベントになるこの日を迎えたいと思います。

 どうぞご出演の皆さんも、思いを果たせなかった佐東さんの願いも受け継ぎ、この記念のコンサートに出られる喜びを味わいながら、ご協力をお願いします。力を合わせて成功させましょう。
 
<行事予定>
■オペラ鑑賞 後宮からの逃走 @
5月7日(水)午後1時半〜 500円
 ■第74回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
5月11日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■第36回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
  5月21日(水)午前10時半〜
■ほのぼの歌声サークル 
  5月14・28日・水曜日午後2時
■第204回 さわやかコンサート
5月23日(金)鶴見病院 6時40分〜
■別府ギターサークル連盟 第31回
  定期演奏会 7月6日 西部公民館2時
■サンシティー音楽院講師演奏会 千円
  7月13日(日)午後2時〜シャンテドール
■ルベック30周年記念
 第30回「魅惑のギターステージ」
 11月30日(日)午後2時 ビーコン・フィル 千円
●ルベックスペシャルのお知らせ
5月の練習日 3・10・17(3回)
 *4月より第1〜3週の3回になりました。
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
□     5週目のお休み 29(木)〜31(土)
□     音楽祭の後のお休み
4月30日(水)〜5月7日(水)
◎5月は3回レッスンになります。
◎音楽祭に出演されなかった生徒さんもお休みになります。
春のギターフェアー開催
●5月8日〜14日 サンシティー音楽院
いい楽器を持つと、少々の困難に会ってもへこたれずに壁を越えていけます。あなたの生涯の趣味は、素晴らしい掛け替えのない財産になります。30万円〜・・・ご希望の価格帯がありましたらお知らせ下さい。お取り寄せします。

白石まさ子 心の歌便り  その 1  
 (声楽・ピアノ科講師)
 
<まずは自己紹介>
 
 みなさん、こんにちは。徳田美和先生の後を引き継ぎました、白石まさ子です。

 大阪府大阪市生まれの生粋の難波っ子です。皆さんの前では標準語で話すようにしていますが、自宅に戻った瞬間大阪弁に戻ります。1年間、音楽のことはもちろん、大阪にいた頃の話なども書くつもりですので、私の下手な文章にお付き合いください。

 私が生まれ育った所は、大阪市の一番北に位置する淀川区と言う所です。わかりやすく言えばJR「新大阪駅」の近くです。今はマンションやビルが立ち並び都会の町並みになってしまいましたが、子供のころは一面田畑で、このあぜ道を通って小学校に通っていました。皆さん想像できますか?

 私の子供の頃はテレビゲームなど無かったので、お友達と空が暗くなるまで外で遊んでいました。自転車、探検、お花摘み、縄跳び、公園のブランコ、ジャングルジム、滑り台など自然と共に良く遊びました。この頃は時計が無くても、太陽の位置やかげり、腹時計で自然と時間がわかりましたし、咲いている花や空、空気の感触で季節感が味わえました。

 そして、私がクラシックに目覚めたのは幼稚園の頃に見た一本の映画、ディズ二ーの「ファンタジア」です。この映画はクラシックの名曲を映像にした映画で、ベートーベンの交響曲第6番「田園」を見たときの感動は今でも忘れること出来ません。その後、父が買ってくれた「田園」のレコードを毎日聞いて、“いつか私もベートーベンのような音楽家になるぞ!”と思っていましたが現実はそう上手くはいかないものです。

 そしてピアノ、電子オルガンを習い、今は声楽、歌の勉強に励んでいます。音楽好きだった父の影響で小さいときから童謡、唱歌のレコードを良く聞き、歌が好きになりました

 昔も今も、人前で歌うのは大好きです。

 大分に来て15年、スピーディーな生活からゆったりした生活になり、環境も変わったことに当時は戸惑いもありましたが、今はじっくり音楽に向き合うことができ、この時間の流れがとても心地良いです。
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                                     ルベック30周年記念演奏会 11月30日
魅惑のギターステージのすべて bS
<メインゲスト>稲垣 稔(ギタリスト)
 高名な天文学者である関勉さんは、小惑星を発見することにおいて、日本を代表する方です。その方が、稲垣先生のギター音楽に感動して、発見した星に、なんと「Inagaki」と命名してくれたのです。ギタリストでは、世界の巨匠「セゴビア」に続く名誉だそうです。

 『5824番の“稲垣”は、関西在住の名ギタリスト稲垣稔氏のことである。氏は日本を代表する若手ギタリストの1人で国際的にも有名な人。去る1994年11月8日銘器フレタを携えて四国を訪れ、今治市でリサイタルを行なった。その名演の数々を聞いている私の胸に小惑星“Inagaki”の星が浮かんだのである。
ギタリストとしては、すでに“Segovia”が出ている。1980年にセゴビア国際ギターコンクールで第一位を獲得している氏にとって今回の命名は意味深いものがあろう。』

関勉著者『ホウキ星が呼んでいる』(1995年2月1日発行)より抜粋

エスプレシボに感謝

     牛嶋 廣(臼杵市

 いつも音楽だよりを楽しく読ませて戴いています。感動と人として生きていく為の、爽やかな気持ちを戴いています。有難うございます。

 今、私の手元にエスプレシボ第246号があります。ルベックの25周年記念演奏会を目前にしての「一期一会」の言葉の解説、演奏会に出演される45人の皆様との出会い、出会いの大切さ、そして、25周年記念演奏会成功への決意。

 一つの演奏会を開催するためには、私達には分からないたくさんのことをクリアしなければいけないのですね。

 第247号には、25周年記念演奏会後のご家族の素晴らしい会話が掲載されていたので、演奏会に参加された方に差し上げたら、とっても感動しましたと喜んで戴きました。

 そして、284号ではルベック30周年記念演奏会への岩をも砕く固いご決意の記事に心打たれました。

 11月30日(日)の演奏会には、音楽の素晴らしさと、多くの皆さんとの出会いを求めて、家内ともども参加します。

 私は熊本出身ですが、おてもやんの事は、全然知りませんでした。興味深く読ませて戴きました。今後も、エスプレシボの記事を楽しみにしています。                                    

 

エスプレシボ300回記念おめでとうございます 

徳田美和(大分市

ずっと続けられている竹内先生はすごいです。先生の文章を始め、いろんな方の文章を読むのを毎月楽しみにしています。

面白いなぁと思う記事は沢山あります。文章もですが、年に一度の「新春俳句大会」も面白く拝見しています。短い俳句の中に想いがこもっていて、俳句ってよくできていますね。俳句を考えようとすると、慌ただしく過ぎていく日常も少し違う角度から見れたりするのかな、と感じました。

私はエスプレシボを読み始めてまだ1年半年くらいですが、300回となると、とても長いですね。過去の記事も読んでみたいです。エスプレシボは皆さんの貴重な日記(歴史)ですね。これからも楽しみにしています。

 

音と、人と…                     渡辺明子(別府市

 音楽院でオカリナ科を担当させて頂くようになって3ヶ月が経ちました。

「第25回春の音楽祭」、「エスプレシボ300号記念」等々、サンシティー音楽院の大きな節目の時期に、皆様のお仲間に入れていただけたことを心から嬉しく思っています。

春の音楽祭では出演された皆様が、それぞれに一生懸命練習された成果を発表され、ほのぼのとした温かみのある音色に心をうたれました。

1部と2部の間に、お弁当を囲んで音楽院の講師の方々との「初顔合わせ」がありました。初めてで少し戸惑っていた私に、やさしく声を掛けてくださったり、講師演奏会のお話をしてくださったり、自己紹介で冗談を交し合う雰囲気もあったりと、終始笑顔が絶えず緊張がほぐれました。

 先輩講師の皆様方が、25年の長きに渡って、この明るい雰囲気で「音と、人と」を大切にしながら音楽院の歴史を積み重ねてこられたのだなあと、実感いたしました。

「もしオカリナを続けていなかったら、このすばらしい出会いはなかっただろう…」と思うと、皆様とのご縁を頂けたことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

おめでとうございます

   宮崎阿喜子(安岐町

この度は、エスプレシボの 300号 発行おめでとうございます。
 私は 牛嶋さんの紹介でエスプレシボを読ませていただくようになりました。
 まだ、二年程であまり長くないのですが 竹内先生の音楽紀行やコンサートや行事の内容がわかり楽しく読ませていただいております。

又、竹内先生が国東市の御出身と知り、勝手に親しみを感じさせていただいております。
 ご家族で音楽の活動をされておられる様子で、素晴らしいことですね。羨ましく思います。   この、エスプレシボの発行といい、鶴見病院のコンサートといい、 長く継続されていることに対して尊敬いたします。

一口に300号と言っても体調が良くないと続きませんし、本当に大変なことだと思います。これからも毎月楽しみに 読ませていただきますのでよろしくお願いいたします。

300号 発行達成 誠におめでとうございます。                                     

 

 

 

エスプレシボ300号記念おめでとうございます。

     清末昭子(別府市

私も読ませて頂くようになって100号近くになります。ほんとうに毎月ありがとうございます。

編集長の竹内幸一先生の「継続は力なり」は凄い事だと思います。特に毎月のエッセーをとても楽しみにしています。

私がギターに魅せられたのは、映画「禁じられた遊び」のテーマ「愛のロマンス」でした。ちょうど人生の節目に竹内先生との出会いに恵まれ、ギターに出会う事が出来ました。

「愛のロマンスは」、絶対に弾ける様になるまで頑張ろうと決心していました。でも志も思うようにはいきません。挫折です。

この2年位前から左の親指

の関節炎に悩まされています。セーハが痛くて出来ないのです。綺麗な音が出ないのです。指の具合の良い時に弾いてみますが、無理をした分だけ後をひいてしまいます。でもまだ諦めてはいません。

...けど年齢も経て行きます。今までの様にはまいりません。指が動かなくなった時が辞める時かなと思いますが、最後はこの「愛のロマンス」を弾いて、自分なりに納得して終わりたいのです。

それまでは、いろんな曲に挑戦して行きたいのでまだまだ皆様の仲間で居させてください。そしてエスプレシボを、ず〜っと読ませてください。                              

                       エスプレシボ発行300回達成おめでとうございます。

     高橋幸子(別府市

1口に300回といいますが、年数にしてみると何んと25年!!25年もの間こつこつと粘り強く作成してこられた事に敬服いたします。

体調がすぐれないとき、忙しい時、原稿が集らない時など、さぞかしさまざまなプレッシャーにさいなまされたことでしょう。

でも エスプレシボの一読者ファンとして毎回の新聞を読むのを楽しみに待っています。これからも健康に留意されてずーっと続けて発行されることを期待しております。

 

孫生 ひこばえノート

遠藤れい子(別府市 

ひこばえ(孫生)とは、「伐った草木の根株から出た芽」だそうです。稲刈りのあと、しばらくすると稲芽が出て、小さな稲穂がついているのを見たことがあります。

 私は、看護の仕事を退職して、4年が経ちます。仕事を辞めるときに、稲刈りが終わり(人生の大きな仕事が終わり)ました。これからは時間にゆとりが出来るので、何か、毎日できるものをしようと思いたちました。そして「食べたものを書く」という食事日誌を2003年12月5日からつけ始めました。「20042013.石原10年日記」石原出版社(俳句 皆川盤水添)に朝、昼、夕と食事内容を毎日記録しています。

 食事日誌をつけていると、メモをすることが苦痛ではなくなり、もう1冊「備忘録」を書き始めました。現在は「孫生ひこばえノート」として、自分のことから孫のことまで365日間記録しています。(まとめて数日分書くことがあり、書き始めと終了の日時を記入しています)。

 医師及び作家「故.斉藤茂太さん」は妻がしゃべった一言をメモ帳に書き残し、それが奥さんの宝物になっているそうです。

斉藤茂太さん(父は歌人。茂吉)は1945年からメモ帳に書き残し、50年以上(50冊以上)のメモ帳を残していました。出版本もたくさんあります。書くことが趣味からプロになられたんですね。

人間の頭(脳)は記憶装置に限界がありますが、記録したものはすぐに再生できます。

 私には3人の子どもがいます。長男(真五28歳)、長女(美幸26歳)、次女(怜奈24歳)は15年以上前に、サンシティー音楽院・竹内幸一先生よりギターを教えてもらいました。

ヨーロッパ旅行へも連れて行ってもらいました。春の音楽祭にはギターを弾く子ども達を、私は観客席より聴いていました。

ところが、昨年と今年は舞台に立って「ほのぼの歌声サークル」のメンバーとして歌わせていただきました。

 3年前、岡本清子さんより「一緒に歌いませんか?」と誘っていただきました。私は導かれるように翌週から、サンシティー音楽院の教室にいました。「ありがたいなあ」とご縁を感じています。

 私の趣味といえば現在「書く、歌う、踊る」です。西部公民館にて「世界のフォークダンス」を習っています。この「三拍子」を続けられる限り、やり遂げたいなあと思っています。そのためには、三拍子が揃うように少しの努力を続けて行きたいです。

 ところで、あなたの三拍子は「何ですか?」。

 

エスプレシボ300号達成おめでとうございます。

石井時江(東京都)

 さて、東京は三鷹市に在住の私が、毎月“エスプレシボ”を手にできる幸運に恵まれるようになったのは、長女が縁あって竹内家に迎えられるという、これまた音楽を橋渡しにした滅多にない幸運に恵まれたからに他なりません。

 別府・湯布院・・・今まで縁もゆかりも無かったこの九州の温泉地が、日本列島の中の最も身近な地域になったのです。

 少々前置きが長くなりましたが、“エスプレシボ”は、私にとって単なるサンシティー音楽院の情報紙ではありません。なんと申しましょうか、読み重ねるにしたがって、発行者のお人柄やあたたかな人間性、社会を見つめる確かな眼、自然や動植物に対する細やかな愛情など、実に眼を見張るような内容に感動し、共鳴し、時に大いに助けられたりしています。

 その一例を・・・。何年か前、こんな英文が紹介されたことがありました。“This,too,shall path away.「これも過ぎ去るだろう」。

自分自身に何も困ったことが起こっていない時は、頭の上を通り過ぎていってしまうような英文なのですが、何か本当にどうしたらいいのか分からない様な困難に出会って「どうしよう」と悩んでいる時、人々はこの短文に救われるのです。

 いつか長い人生の途上で、人は何度か「どうしよう」と困り果て、死んでしまいたいとさえ思うことがきっとある筈・・・そんな時です。この言葉が生き生きとこちらに働きかけてくれるのは。

よしがんばろう、今を乗り越えれば、きっと幸せな日々が待っていてくれるに違いないと思えた時、人々はがんばって生きていく力が湧いてくるでしょう。

 サンシティー音楽院の“エスプレシボ”の存在。それはこの明日への希望を持ちにくい混沌としたこの国に生きていかねばならない時、どんなに大きな支えになることか・・・。

 目が不自由でもギターを楽しみたいという希望をかなえてあげるという、この限りない優しさに私は感動しました。

 又、女手一つで鮮魚店を長年にわたって営んできた**さんが、お店を閉める時のカラー写真入りの紙面、これ又涙なしでは読めない記事でした。

 どうか、いつまでも“エスプレシボ”が今のまま続いて発刊されますように。300号おめでとう!!心から愛読者としてエールを送り、感謝申し上げます。

 

エスプレシボ300号発行おめでとうございます!

千村宣子(別府市

古いファイルを調べてみますと126号から愛読させていただいていました。叶うならば第1号からのものを読んでみたいものです。
 毎月お仕事をされながら、日常生活で感じられたことを文にまとめられたり限られたスペースに多くの記事を載せて一枚の新聞を作られる作業は
大変な労力がいることでしょう。
 先生のエッセイにはいつもギターや生徒、ご家族への愛情が溢れていて、また生きていくことへの真摯な姿が覗えて深く感動しています。
 時には厳しいご意見に襟を正し、微笑ましい話題に笑みを浮かべ、毎月今度はどんな話題かと楽しみにしています。
 また日頃出会って話を交わすことのない方々のギターへの思いなどを読んでその方の人となりを知ることができ仲間意識が深まりました。
 読み返せば、もうギターをやめられた方や亡くなられた方のエッセイなどが大事な思い出として残っています。
 猫物語やパリ通信、ヨーロッパ旅行記なども長篇で読み応えがあり、おもしろかったですね。
 どうぞ今後もバラエティーに富んだ楽しいエスプレシボを発行しつづけてください。

300号おめでとうございます    

中浦秀子(別府市

300号と言えば月1回の発行ですから25年にもなるんで

すね 本当に凄い事です。

私は65号から ずっと読ませて貰っています ご家族の事、映画、小説、旅行記、俳句等々その話題の豊富な事にはいつも驚かされます。

 そのエスプレシボを大事に保存して時々読み返したりするのが私の楽しみです。ずいぶん長い時が流れていったのだなぁとつくづく思います。

私が竹内先生にお会いしたのは20年前 お友達に誘われて行った魅惑のギターステージです。 初めて聞くギターアンサンブルの音色にうっとり。 ギターっていいなぁと感激したものです。

 アンケートに答えて、1か月無料ギターレッスン券が当たった時の嬉しかった事!ギターを習うきっかけでした。 初めてのレッスンでの先生の優しさは今までずっと変わりません。 覚えの悪い私を叱りもせず気長に丁寧に教えて下さいます 。お陰でひまわりのメンバーにも入れて貰い、 ハーモニアス、 歌声のばら、 ほのぼのといろんなサークルに参加。たくさんのお友達が出来、想い出もいっぱいできした。

先生には何とお礼を言ったらいいのか ありがとうの言葉をいくつ重ねても足りません。 感謝の気持ちでいっぱいです。 本当にありがとうございます。   これからもエスプレシボ楽しみにしています。

 

300号記念に読者の皆様よりたくさんの原稿を頂きました。身に余るお言葉の数々に恐縮したり、喜んだりしながら、有難く読ませて頂きました。

 皆様の声を励みに、力の続く限り、このエスプレシボを続けて行きたいと思います。

どうぞこれからも、このエスプレシボを絆に、末永くお付き合いをよろしくお願いします。     ・・・(竹内) 

 

白石まさ子 心の歌便り

連載 その 2  

(声楽・ピアノ科講師)                   「ブラボー、ブラボー」の歓声の中、第10回アルゲリッチ音楽祭が終わりました。

オーケストラ演奏、室内楽と聞きにいかれた方も多かったのではないでしょうか。

10回目とあって、アーチストの皆さんの特別な気持ちがこもった素晴らしい音楽祭でした。特に総監督のアルゲリッチさんの演奏は言葉では言い表せない感動で、胸が一杯になりました。

私は縁あって、第1回目からボランティアをさせて頂いています。初めての仕事は3日間行われたピアノコンサートの影アナでした。3日ともそれぞれのアーティストが奏でるピアノ演奏にすっかり聞き入ってしまい、改めてピアノの魅力を再認識しました。

中でもフー・ツォンの奏でるショパンに私はすっかり魅了されてしまい、後にCDを探して買ったほどです。その後の音楽祭で再来日され、ソロのコンサートもありましたが、その日体調を崩し聞きに行けなかったという悲しい思い出があります。また是非、素敵なショパンを聞かせて欲しいです。

この10年間、アルゲリッチ音楽祭で私が得たことはたくさんあります。今まで声楽曲しか聞かなかった私が、ピアノ、交響曲、管弦楽など幅広い音楽を聞くようになったこと、もちろんCDも増えました。音楽祭を支える人たちの熱意と苦労にふれ、ボランティア意識が高まったこと。これは後、私のいろんな活動にプラスとなり原動力になっています。

そして音楽祭に参加できる嬉しさ、素晴らしい音楽に触れられることで幸せ一杯になること。“音楽ってなんて人の心を癒してくれるのだろう”と毎年この音楽祭に参加して思っています。また来年のアルゲリッチ音楽祭が楽しみですね。


           

エスプレシボ300号を迎えて

        竹内幸一

25年。長かったような・・・短かったような日々が過ぎ、この日を迎えることが出来ました。節目ですので、保存ファイルを引っ張り出して見ました。

昭和58年の7月に、ホテル白菊で音楽院の開院パーティーを開いたことを載せて第1号が出ています。見事な?悪筆の手書きで記事を書いています。5年ほど過ぎて、第61号からワープロ作成文章の貼り付けに進化しています。

それから12年ほど後の204号から、パソコン作成の紙面づくりになっています。これで現在に至るのですが、筆記用具や印刷技術の移り変わりを振り返ると、やはり25年の長さを感じますね。

そして、こういう歴史を読んでいますと、これまでいかに多くの方に助けていただいたかを痛感します。その数の多さに呆然とするほどです。それに何より、このエスプレシボを読んで下さる方がいてくれたからこそ、この日があったのです。心よりお礼を申し上げます。

 さて、突然ですが今回は、尊厳死のことについて少し考えてみました。記念号にうまく結びつくかどうか分かりませんが、どうぞお付き合いください。

 先日テレビで「尊厳死を考える」という特集番組がありました。医者、法律家、患者、障害者等・・・それぞれの立場から見る角度で、いろいろ複雑な問題が絡み合っていることが分かりました。今回はその問題点などについては、触れません。極めて個人的な尊厳死感を書いてみたいと思います。

 「徒(いたずら)に死期を引き延ばすための延命措置を断わる」、「苦痛を和らげる処置は最大限に実施」、「植物状態での生命維持装置を断わる」とかの願いを持つ人が尊厳死協会に入り、自分の死に方の選択をします。

安らかな人間らしい最後を迎える権利を、他の誰でもない生前の自分が決めて、その日を迎えようというのです。

 私は、その選択の背景に、これまでの自分の人生の肯定感を感じます。いろいろでこぼこはあったけれども、ここまで歩いてきた自分を、誉めてやりたい。朽ちる肉体の意志に任せて安らかにこの世を去りたい。

呼吸器を装着しないことや麻薬を使うことで、生きる時間が少なくなっても構わない・・・という意志表示を、生前にしているのが尊厳死の願いです。

しかし、ちょっと立場が変れば、身近な人には、11秒でも生きていてもらいたいと願うかもしれません。この装置をつければ、苦しさが減るといわれれば、それに飛びつくかもしれません。未知との遭遇には、分からないことがたくさんありそうです。

どの程度までの医療を施すかを、家族などが判断するには、難しい選択があります。兄弟や親戚で意見が別れることもあるでしょう。その判断を家族などの見送る人にさせるのは大変酷な精神的負担です。

そんなときに、もし本人の意志がはっきりしていれば、「父が、それを望んだんだから」と、みんなが安らかな気持ちで方向を決められることでしょう。

病気ばかりして親を心配させたり、不用意なことを言って人を傷つけたりもしました。人間関係で困ったことや、辛いこともありました。音楽を仕事にしていながら、たくさん恥もかきました。しかしもちろん生きているうちには、いいことも少しはありました。そのでこぼこをトータルして、最期を迎えることになります。それは、どなたでも一緒のことです。

 もうこれで充分。大満足ではないけど、自分なりに、ここまで歩んだ道を、「まあ、よくやってきたな」と言ってやれたら幸せですね。

 ほんのささやかな、B41枚の新聞300枚は、世の中のダイナミックな動きから見れば、ほんの小さなピンホールでしかありません。しかし、私個人にとっては、死の床で、「自分に出来る精一杯のことをやってきた」という大きな支えの一つになる気がしています。

そして、それのお蔭で、尊厳死の選択へとつながっていくことができるのかも知れません。そういう思いまでさせてもらえる「エスプレシボ」との出会いに、私自身が、今、深く感謝しております。

       (2008/5/27

エスプレシボ発刊300号おめでとうございます                            

宗岡 俊二(八女市

 月間発行ですからざーっと計算してみても25年、エスプレシボは竹内先生30代半ば、サンシティー音楽院創設と同時にスタートしたんですね。

 「続ける力 −仕事・勉強で成功する王道」と云う新書本が出ています。

 「続ける力」と聞けば竹内先生がすぐに浮かんできます。

 たしか200号の折にも「今鹿児島にいます」と題して拙文を書かせていただきました。

 竹内先生の「続ける力」に触れた内容だったと記憶します。

 ひまわり、ムーン、スペシャルなどルベックのいくつかの輪も、サンシティーにつながる皆さんの数多い縁も、竹内先生の穏やかな笑顔と懐の深さ、そしてこの「続ける力」がきっと強い求心力になっています。

まだまだ増えて広がり続けるいくつもの同心円に見えます。つなぎの役割を立派に果たしているエスプレシボよこれからも永遠に、ですね。

 毎号欠かさず転任赴任地にエスプレシボが届きます。

 なつかしい名前にその活躍を喜んだり、新人さんの育っていく速さに驚嘆したり。

 先生の上質のエッセイも楽しみです。猫の話もいい、幼少年時代の回想録もいい、青春のほろ苦さもいい、日常茶飯事も。そして今の時代に悲憤慷慨する文にも共振しています。

 エスプレシボが届くことで、離れていてもサンシティーはいつも私の身近でした。

 あれから8年と4ヶ月たって(エスプレシボに休刊はきっとなかったはずですから)、私は、鹿児島から熊本、いったん大分の臼杵に帰り、宮崎、そして大分竹田、今は福岡・八女市にいます。

 定年まであと4年、別府市に戻り次第、サンシティーに入り再びクラシックギターのイロハからやり直すのが、56歳、目下私の夢見る明日です。

 

 

継続に乾杯

池田 京二(別府市

 エスプレシボ300号の発刊に、大いなる乾杯のエールを贈りたい。竹内幸一さんの、この継続力の源は何かを改めて考えてみたい。

 別府文学サークへの入会が切っ掛けで、初めて18歳の竹内少年に会った時、ひ弱な表情と背中合わせに何かへの執着みたいな陰を感じた。それが何なのか、永く付き合うなかで、わたしの心には一つの輪郭が出来ている。それは、生きるということへの執着だと思う。更に言えば、良い意味での自己顕示欲の強さでもあると思っている。

 「エスプレシボ」と共に鶴見病院での「さわやかコンサート」の継続も賞賛に値するが、数字の上では遥かに大きな記録が他にもある。「さそり座の歌」である。これは別府文学サークル通信に掲載している小文だが、511日付けの942号が既に私のメールに届けられている。お世辞にも美文とは言い難いが、書き慣れた文体で起承転結が一応あり、何よりも本音で書いていることが素晴らしい。本音と言う感覚は、俳句や詩にしろ挨拶文に至るまで全ての文章に伺えることである。

 この三つに共通するのは、今を生きている自分を何よりも大切にしていることだと思う。継続はマンネリという人もいるが、マンネリも一つの力量だと言いたい。

 ところで、竹内さんは俳句の創作にも執着しているようだが、これも創作数が増えるにこしたことはないのだが、間違っても一つの教祖みたいな存在にはならないよう自覚を深めて欲しいと、秘かに願うばかりではある。

 

祝 エスプレシボ300

竹内ファミリーは私たち夫婦の理想です

 発刊25年、ご苦労様でした。幸一さんの考えていること、家族の皆様の様子、会員の皆様の奮闘ぶりが手に取るように分かって毎号楽しみにしています。

それにしても、幸一さんを中心に、やさしい奥様、竜次君や宏子さん、暁子さん、それに愛猫たち、そして何十人いるのでしょうか、会員の皆様、もうこれは竹内ファミリーといって良いかもしれません。もはやサウンド・オブ・ミュージックのトラップ・ファミリーを超える世界です。

 私は、サンシティー音楽院の会員ではありませんが、家内が「ほのぼの」の準会員であったこと、そして何よりも、私たち夫婦が35年前に結婚した際の実質的な仲人が幸一さんだった縁もあり、ほそぼそと長いつきあいをさせてもらっています。

今も母が別府にいますので月に1回は帰省していますし、その際、幸一さんの俳句や音楽院の活動ぶりを合同新聞で読んでいます。

 今後も身体に留意して、幸一さんらしく純朴に、そして温かく、音楽活動を続けてください。福岡から応援しています。

(竹内幸一ファミリー福岡後援会  浜田宏司・知子)

 

エスプレシボ300号の発行おめでとうございます 

周藤康一(別府市

300号というのは、一月一回の発行で25年間、サンシティー音楽院の歴史ですね。

私とエスプレシボとの出会いは、竹内先生からギターを習い始めたとき‘9812月号(第186号)からでした。
 それから10年、毎月の発行を楽しみに、沢山の方々のいろいろなお話を、楽しく興味深く読ませていただきました。また竹内先生の巻頭言では、今までに何度となく勇気づけられました。まさに人生の応援歌ですね。これからも、先生や愛読者の皆さん方の嬉しいお話を期待しています。 
 私が出会った最初の号の冒頭には、「ルベック20周年 記念演奏会 いよいよ開催」という記事でした。時は’981220日(日)、場所はビーコンプラザ・フィルハーモニアホール。そのころ、先生が合奏団でギタロンをやってみないかと言われ、すぐにその大きな楽器と教本を持ってこられました。

ギタロンを弾いてみたら、現役時代に夢中になっていた和太鼓の音に相通じるようで楽しく弾き続け、そして、今年、第30回記念演奏会でギタロン歴10周年を迎えようようとしています。 
 しかし、こうして私が魅惑のギターステージ等に出演できるのも、エスプレシボを核とするサンシティー・ファミリーの方々のお陰と感謝しています。これからも音楽がある限り、子々孫々にわたり永遠に発行部数を伸ばしていってください。

 

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