サンシティー音楽院 音楽だより♪279
エスプレシボ
9月号2006年 9月1日発行・ 別府市南立石1の2
発行者/竹内 幸一 TEL 21-9167*FAX 21-9160
ホームページ 竹内幸一と行く文学・音楽紀行
Email takesan@oregano.ocn.ne.jp
(本紙へのご感想、ご意見をいただけると嬉しいです)
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第2、第3の
「禁じられた遊び」を
竹内幸一
台風が、酷暑をどこかに押しやって、秋を連れてきたのかもしれません。今日(8月20日)は、寒くて、窓を閉めて眠りました。とはいえ、これからまだしばらく残暑が続くことでしょう。
さて今回は、パソコンのある机の横に、1冊のぼろぼろのギター教本を置いて、この原稿を書き始めました。本自体がばらけていますが、中心を毛糸で綴じているので、ようやく散逸せずにいる、骨董的な代物です。しかし、まだ現役でレッスンに登場し、私の生活を支えてくれています。
この教本は、ヤマハのクラシックギターコースの、入門してすぐの初心者が使うものです。およそ30年前にこの教本を使って、「ギターのレッスンの仕方」を伝授してくださる先生がいました。今回はそのことについて書いてみたいと思います。
私は、最初、テレビの「ギターを弾こう」でギターに目覚め、以後4人の先生についてレッスンを受けました。一人目は、大分のエトウ南海堂のギター教室、その後ヤマハ音楽教室に通い、二人の先生に指導を受けました。それから、神戸のギタリストのところへも通いましたが、今回お話したいのは、ヤマハでの二人目になるY先生のことです。
丁度、このY先生の頃、グループ4人ほどでしたが、福岡までグレイド5級の試験を受けに行きました。5級には講師資格もあるということでした。この試験に、たまたまどういう訳か、私一人が合格するという幸運がありました。それは、紙切れ1枚の合格証書でしたが、それまでぼんやりギターにあこがれていた私を、1歩前に進ませるきっかけになりました。その試験に落ちていたら、もしかすると、私のこれまでのギター生活30年はなかったかもと思えるほどの、大きなターニングポイントでした。
「ギターを教えるようになりたい」という希望を、Y先生に話すと、Y先生の自宅で「講師になるための指導」をしてくれるようになりました。ぼろぼろの本(30年前は新しい)を開くと、教えていただいたいろんなことが、あちこちに書き込まれています。「手の力を抜いて軽く」「ここは何回もやる」など、もう薄くなった鉛筆のへたくそな字が、あちこちにあります。みっちり、個人レッスンを受けた後、ヤマハの教室に出かけ、他の方と一緒のグループレッスンを受けていました。また、Y先生の指導するカルチャーセンターの講座に同行させてもらい、実地の指導法も学ばせていただきました。
そう言えば、と今になって冷や汗で思うのですが、そのご指導に対し、レッスン料などを払った記憶がありません。Y先生のぐいぐいと引っ張る情熱に、ただついていくばかりでした。親の意見に従う素直な子供のように、ただただ、言われるとおり教えを受けるばかりで、甘えていたのだと思います。今思えば、常識もない生徒でしたが、その育てるというおおらかな情熱に、胸が熱くなる思いです。遅ればせながら、今頃そのありがたさを噛み締めています。
また、これを書きながら思い出しましたが、これからそのY先生の自宅レッスンに出かけようとする頃、妻が、何だかお産が近そうだといいました。それならと、Y先生に電話をして、お休みをさせてもらったのです。まだ、鶴見団地に住むころでしたが、その日長男が、生まれました。それもこれも、もう30年も前のことになります。
Y先生の教えをいただいて、私はギターを教える暮らしに飛び込みました。今こうして、Y先生のことを思い出すと、その育てるという情熱に感嘆するばかりです。私には、まねの出来ないことですが、やはり、少しでも育てるということの恩返しをしなければと、ぼろぼろの1冊の教本を見ながら思っています。
難しい曲も弾けない、耳も良く聞こえない・・・そんな私のレッスンの日々ですが、もう20年を越しても飽きずに私のところに来てくれる方も、かなりの数になりました。ありがたい限りです。しかし、それだけの期間通って来ていただいているのに、十分に育てられたという自信が、私にはありません。申し訳ない気持ちでいっぱいです。もっと、もっといろんなギターの楽しさが伝えられたらと、反省するばかりです。
育てるという視点で、最近いろいろ考えていたのですが、一応の結論として、今回のタイトルのようになりました。「禁じられた遊び」は、クラシックギターの、大ヒット曲です。この曲の引力で、どれだけギターファンを獲得したか分かりません。病院のコンサートとかでもいつもリクエストの1位になります。
しかし、それから、一足飛びに「魔笛」や「アルハンブラ」に行くと、挫折感がかなりでます。ギターを学ぶ人たちに、第2、第3の禁じられた遊びに匹敵する曲を提供することが、指導者の役割だと思うのです。「魔笛」へ行くまでのつなぎに、魅力ある曲をどれだけ生徒さんに贈ることが出来るかが、本当のギター好きを育てる基本になると思います。
ところが、このところ私自身、ポピュラーなどに目をそらしたりして、そういう原点の努力を怠っていました。その反省と、育てるという視点から、今度10月21日に開く、私のコンサートの曲目を決めました。
ただ単に弾けると言う段階から、「いい曲だな」「私もあの曲を弾いてみたいな」という心を込めた演奏が出来るよう、努力しているつもりです。またクラシック音楽入門の糸口にもなってくれたらと思います。私の選んだ、珠玉の20曲のうちのいくつかが、禁じられた遊びに続く、静かなブームになってくれたらというのが、今回の私の強い願いです。ギターを愛する皆さんに、クラシックギターの良さを再発見してもらえるよう、コンサートの日まで頑張りますので、またどうぞ応援してください。
<行事予定>
■ギター連盟・市長と語る会 9月2日(土)西部・7時
■オペラ鑑賞 ワーグナー楽劇「神々の黄昏」@
9月6日(水)午後1時半〜
<500円>
■第54回エチュード・ファミリー・クラブ例会
9月10日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
9月13日・27日 水曜日午後2時から。
■第16回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
9月20日(水)午前10時半〜光の園
■第184回 さわやかコンサート
9月22日(金)鶴見病院 6時40分〜
■ハーモニアス別府 第2回ふれあい音楽講座
9月28日(木)午後2時〜 1,000円
DVDオペラ鑑賞「トゥーランドット」
■竹内幸一ギターコンサート <オンパク行事>
ギタリストの宝・珠玉の20の小品
10月21日(土)午後3時開演 サンヨーコーヒー・カフェプラザ 1,500円(コーヒー・ケーキつき)
■ハッピーコンサート 10月29日(日)午後2時
光の園 <出演者募集中>
■第28回魅惑のギターステージ
12月17日(日)午後2時 中会議室
●ルベックスペシャルのお知らせ
9月は、2・9・16・23・30の5回練習です。
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
祭日お休み 9月23日(土)
5週目のお休み 29(金)〜30(土)
リレー随筆 139
ギターに出会って 羽田愛子
ギターを習い始めてもう1年になります。昔から歌も下手でリズム感もなく、音楽は全くだめな私でしたが、仕事上音楽にふれあう機会があり、何か楽器を弾けるようになりたいという想いをずっともっていました。
丁度昨年の今頃、仕事にいきづまり、何をするにもやる気をもてなかった私に、仕事の先輩が「ギターを習ってみたら?」と声をかけて下さいました。その先輩も当楽院でギターを習っており、会う度ギターの魅力についてたくさん語って下さいました。
教室に通い始めて、「楽器を習う」ことがこんなに難しく大変なものだとは思いませんでした。人が何かに打ち込む、また達成する為には日々の積み重ね、努力が必要だと改めて感じました。
指が痛くて動かず・・・楽譜が読めず・・・こんな小さな葛藤の中で、もっと上手く弾けるようになりたいと毎晩練習してきました。その中で、私はいつしかギターに癒されるようになり、少しずつですが楽しんで弾けるようになりました。
また、今年の4月に行われた春の音楽祭にも参加させていただき、緊張のあまり記憶がほとんどありませんが、貴重な体験をさせていただき感謝しております。
仕事をしながらで自宅での練習が十分にできないこともあり、竹内先生には大変御迷惑をおかけしています。ギターに出会えたことに感謝し、もっと多くの曲を弾けるよう努力していきたいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。
山口ギターコンクール独奏上級の部
石丸 陸 君 2位(1位なし)に輝く
石丸陸君(15歳・岩田高校1年・竹内竜次ギタークラス)が、8月6日に山口県下関市で開かれた「第34回山口ギターコンクールで」1位なしの首席2位に輝きました。おめでとうございます。
本人の努力と、ご家族の温かい応援があってこその素晴らしい成果でした。目標は、プロのギター奏者という石丸君の今後の活躍を期待しています。12月のルベックの定演では、石丸君の独奏をお聴きいただけます。どうぞ皆さま、お楽しみに。
溝口伸一 ギターリサイタル
8月19日に喫茶「浪漫」で、溝口君の初の独奏コンサートが開催されました。難易度の高い曲を10曲演奏し、集まったファンから感動の拍手を受けました。予想以上にファンが集まり、急遽、2回公演(どちらも満席)になるほどの人気ぶりでした。
皆さんの熱い声援をしっかり受け止め、これからまた、たゆみない地道な努力を重ねて行ってほしいと思います。また一段と素晴らしい演奏家になって、皆さんの前に登場してもらえる日を楽しみにしています。
ドイツ徒然草<8> 竹内宏子
ドイツといえば「やっぱりウィンナーは美味しいのですか?」とよく聞かれます。とっても美味しいです!よくインビス(屋台?)に焼き立てを買いに行きました。私が食べた中で美味しかったのは、中がまだミンチの粒が残っていて、ジューシーなハンバーグのようなもの。よく食べたのは、小さく切ったウィンナーにカレー粉をかけて食べる「カリーブルスト」。また、ホフブロイハウスのあるミュンヘンでは、白くて油っこくない「ヴァイスブルスト」が絶品でした。これは食べ方にコツが合って、まず外の薄皮を剥かなければいけません。私が食べていると周りの人が「ちがうよ、こうだよ!」と教えてくれ、真似てできるようになると皆から拍手をしてもらえました(ダンケ!)。
ただ、ウィンナーは日本で売られているような小ぶりなものはありません。短いものでも食パンからはみ出すくらい。なので、毎日食べるにはちょっと、胃にもたれそうです・・・。
CDレコーディング実況!G 竹内竜次
色々な方から、思いがけずありがたい声をかけて頂いて。少しずつCDの山が減っていっています。皆さん、本当に有難うございます。
買っていただくのは、もちろんうれしいのですが、「難しかったけど、2回聴いたで!」
「他はわからんけど、最後の曲がよかった」
「毎日聴いていると、曲名と曲が一致するようになった」 「車で何度も聴いていると、演奏者の人柄が伝わってきますね」 etc・・そんな率直な感想が何よりぼくの宝物となります。
皆さんのお話を聴いていると、1回目は、知らない曲ばかりでよく分からなかったけど、何回も聴いているうちに「何だかいい曲だなあ」と思えるようになったという方が、結構いらっしゃいます。
1回目は「なんじゃこりゃ?」と思われた方も、次回は、少し違った場面で聴くことをおすすめします。例えば、秋の夜長に、・・・例えば、雨の降る日に・・・
いずれにしても、皆様のご意見(お叱りご批判を含めて)は、僕の演奏家としての財産になります。正直な感想を、また、こっそり教えてください。お待ちしています。
サンシティー音楽院 音楽だより♪280
エスプレシボ
悲しみのモーツァルト
竹内幸一
秋が深まってきました。日ざしが柔らかくなり、空気が澄んで過ごしやすい日々ですが、寒い冬へ向かっているという一抹のさびしさもどこかに感じます。
今回は、そのこころよさと、さびしさや憂いを併せ持つ時期にふさわしい、モーツァルトを取り上げてみました。生誕250年ということで、今年はいろいろな特集があり、皆さまもモーツアルトにどこかでふれていることでしょう。
今年の2月から、テレビで「毎日モーツアルト」という番組が始まりました。ほんの10分ほどの番組ですが、私は、朝の日課として楽しく見続けています。モーツアルトが大好きな人のお話、住んでいたウイーンなどの映像、それに年代に合わせた曲の演奏が1曲いつも加わります。それを見ていると、次第にモーツァルトの全体像が見えてきました。伝記などを読んでも、ああ、これはあのことだなと良く理解できるようになりました。
今回は、そのモーツァルトの曲の持つ、明るい中の憂いや悲しみについて、私なりに考えてみたことを書いてみたいと思います。まず、伝記を読んでいてはじめて知ったのですが、モーツァルトの子供のことです。詳しい方はご存知でしょうが、モーツァルトは6人の子供がいて、なんとそのうち4人も亡くしているのです。第1子長男(生後2ヶ月と2日で死亡)、第3子三男(生後28日で死亡)、第4子長女(6ヶ月で死亡)、第5子次女(生まれてすぐに死亡)。ちなみに第2子次男は成人し、官吏として暮らしました。また第6子四男は作曲家となり、モーツァルト2世と名乗っていましたが、作品には恵まれていません。なお生き延びた二人とも生涯独身で、モーツァルトの血筋は完全に途絶えています。
26歳で結婚し、35歳で亡くなるまでの9年間に、モーツァルトは数々の名曲を残しています。しかしその裏に、人間の悲しみの中でも特に辛いという、愛児との別れをなんと4回も体験しているのです。並の神経では耐えられない悲しみや絶望を噛み締める時間のなかで、ひたすら作曲活動を続けたのです。
しかし、モーツァルトの曲は、ほとんどが長調で作られています。悲しみを、悲しみと表せる短調の曲がなぜか極端に少ないのです。それは、皆さんも聴いてお分かりと思いますが、明るそうな曲調の中にどことなく憂いが潜んでいるのが、モーツァルトの特徴です。大声で悲しい、辛いと叫ばずにいたのは、モーツァルトの反骨心でしょうか、それとも道化でしょうか?
そのことを解き明かすような伝記の事例を2つ書きましょう。モーツァルトにとって、その父親レオポルトの存在は何よりも大きいものでした。晩年はいろいろな葛藤もありましたが、全てを知らせあうという手紙のやり取りは、生涯固い絆で結ばれていたことの証でした。しかし、その父の死後一番に作曲されたのは、素晴らしく愉快な「音楽の冗談」という曲でした。その曲の中には、父親の作曲したものを思い起こさせる部分が織り込まれてはいましたが・・・。
次に、妻コンスタンツェについて書いてみましょう。良妻賢母からは遠く、軽薄、軽率で浪費癖があり、コケットで友達感覚の妻でした。常に夫をやきもきさせる躁鬱性の性格のうえ体の弱い人でしたが、モーツァルトは9年間の結婚生活の間いつも妻を思い大切にしていました。
モーツァルトの晩年は、失意と窮迫の日々でした。作曲をするペンを持つより、借金の申し込みをする手紙を書くほうが多いような日が続きました。人気のあるころは予約演奏会を開けば、押すな押すなの盛況でしたが、最後は、申込者がたった一人という現実が待ち構えていました。
そんな中で、妻コンスタンツェは、足が痛いとかでバーデンという温泉地へよく保養に出かけるのです。その妻へ送金する手紙が残されています。「最愛、最上の妻よ!25フローリン送ります。湯治の費用に当ててください。残りは僕がそちらに行ったときに払うことにします」。また別の日の手紙は、読んでいると涙が出そうです。「昨日3フローリンぽっち受け取って笑ってしまわなかったかい?ぜんぜんないよりましだろうと思ったんだ。大いに楽しんでおくれ。愛しい人」
必死で借金を重ねながら(それもうまくいかないのに)、妻には何も言わないのです。保養などやめてくれとなどと怒鳴らないのです。そしてそんな暮らしの中で、一見明るそうな音楽を書いて行くのです。
バイオリニストの辻久子さんが「モーツァルトは、心に天国を求めて作曲していたんだ」ということが分かった時、本当の深みのある演奏できるようになったと書いています。祈りにも似たその思いを、自分の心に重ね合わせて演奏しているそうです。
いろんなエピソードもあるように、モーツァルトは道化師の面もあったようです。しかし、その内面に隠されている、いや押し込めて出さないようにしている悲哀がモーツァルトにはありました。それが、やはりいつしか曲ににじみ出ているのだろうと思います。それが、多くの人に共感を呼び起こすことに通じているのではないでしょうか?声高に叫ぶのではなく、内面に秘めていればこそ、その崇高な思いが魂の浄化へつながり、天国を見せてくれるのかもしれません。今年は、お陰で私は、モーツアルト再発見の年になりました。ありがたいことです。皆さまもどうぞ味わって見てください。
<行事予定>
■オペラ鑑賞 ワーグナー楽劇「神々の黄昏」A
10月4日(水)午後1時半〜
<500円>
■ギターとフルートの夕べ in枡屋 オンパク
10月7日(土)19時 2500円(ワンドリンク)
竹内竜次&石井暁子出演 予 22-0401
■第55回エチュード・ファミリー・クラブ例会
10月8日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
10月11日・25日 水曜日午後2時から。
■第17回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
10月18日(水)午前10時半〜光の園
■竹内幸一ギターコンサート <オンパク行事>
ギタリストの宝・珠玉の20の小品
*2日間の開催になりました!
10月21日(土)午後3時開演
10月22日(日)午後3時開演
サンヨーコーヒー・カフェプラザ1,500円(コーヒー・ケーキつき)前売り券発売中です。お願いします。
■ハーモニアス別府 第3回ふれあい音楽講座
10月26日(木)午後2時〜 1,000円
CD鑑賞「巨匠 パブロ・カザルスを聴く」
■第185回 さわやかコンサート
10月27日(金)鶴見病院 6時40分〜
■ハッピーコンサート 10月29日(日)午後1時半
光の園 入場無料 (ギター・オカリナ・ピアノ・ヴァイオリン・声楽・チェロ・フルート・合唱・・・といろいろな楽しみが揃っています。どうぞご来場下さい。
■第28回魅惑のギターステージ
<モーツァルト生誕250年記念プログラム演奏>
12月17日(日)午後2時 中会議室 800円
●ルベックスペシャルのお知らせ
10月は、7・14・21・28の4回練習です。
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
5週目のお休み 29(日)〜31(火)
リレー随筆 140
ピアノと私 井上裕子 今から40年以上も前、私が幼稚園生だったころ、わが家にピアノはまだなく、大好きな近所のおにいちゃん“順ちゃん”の家に足踏み式オルガンがあった。順ちゃんは自己流でいろんな曲を弾いて聞かせてくれ、私はそれを見よう見まねで弾いてみるのが楽しくて、幼稚園から帰ると順ちゃんの家に入り浸っていた。それが私の音楽との出合いだった。
やがて私もピアノ教室に通い始め、わが家にもまず電子オルガン、そしてピアノがやって来た。当時の私は自分の気持ちを外に出さない子で、親も少々持て余していたようだが、ピアノに向かう時だけは感情が表に出た。以来、ピアノは私の大切な友達になった。何人か先生について練習に励んだころもあれば、仕事やスキューバダイビングなど他の趣味に没頭してまったく触れない時期も長くあったが、2年ほど前からまた先生について習い始め、ピアノのある暮らしが戻ってきた。
素晴らしい音楽を“聴く”のは楽しい。でも“自分で弾く”のにはそれとは違う楽しさがある。よーく知っている曲でも、思い通りに弾けない。はがゆい。でも一日、一週間、一ヶ月とゆっくり積み重ねていくうちに、必ず、そう本当に必ず、ほんの少しだけど、「できた!」という手応えが生まれる。すると何かしら自分流の表現をしたくなる。これが“自分で弾く”最大の喜びではないかと、このごろ思うようになった。その手応えは自分にしかわからないもの。しかもほんの少しずつでも積み重ねない限り、生まれない。積み重ねは苦手なたちだが、この秘かな喜びを体感すると抜けられない。
私に音楽の楽しさを教えてくれた順ちゃんは、今でもピアノでジャズやベートーヴェンを弾き、父上の葬儀には自分で作った曲を流したそうだ。“聴く”だけでなく、“弾く”楽しみを知ると、音楽の喜びはきっと倍増する。今またそのことを再確認する日々である。
ドイツ徒然草<9> 竹内宏子
ドイツは3大「B」といわれる偉大な作曲家がいます。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス。今回はこの中で、よく秋に例えられるブラームスについて。ブラームスは、ドイツ最北端のハンブルクで生まれました。ブラームスの性格は、たくさんの著書で色々なことを言われていますが、一人でいるのが好きだった、人見知りだった、などと言われます。またそんな彼の性格は、生まれた土地柄からくるものとも、よく言われています。このブラームスを生んだハンブルクには以前から興味があり、北へ足を伸ばしてみました。駅に降り立つと、思っていたより大都市。第二次世界大戦で古い建物はほとんど(ブラームスの生家も)崩されたそうで、コンクリート作りの建物が多いようです。そのせいか、人通りも車通りも多いのですが、雰囲気は殺風景で人工的なようなイメージを受けます。しかもその日は曇りで、雲が低く下がっていました。南ドイツで見た曇り空とは雲の位置が違います。そして、行き交う人の洋服があまりカラフルでない気が…?これは時期や人によって異なりますが。そんな雰囲気を受ける町である反面、ハンブルク港の海辺に立ってみると、大きく心が広がっていくような気がしました。ドイツは海に面する所が北側にしかなく、海・港がハンブルクの最大の特徴です。山や大地の広がりではなく、海の広がりは、本当に独特です。(別府は山も海もありますね!)ブラームスは、恵まれたとは言えない20歳位までの頃をこのハンブルクで過ごしましたが、この大きく広がる海を見て、何を感じたのでしょう…。ハンブルクに来てみて、やはりぱっと見の派手さではなく、奥深いところから何かが染み出てくるような、またそれが大きく広がっていくような、そんなブラームスの音楽を感じさせるものが、このハンブルクにある気がしました。ハンブルクから滞在地ヴィスバーデンに戻り、先生に感想を話すと先生は、「北ドイツの人々は、友達になるには長くかかるけど、一度友達になれば絆の強い仲になれるそうよ」と話して下さいました。ハンブルクとブラームスを思い出して、納得…。
今度は南ドイツへ。ブラームスが30〜40歳の間滞在したバーデンバーデン。そこは、まさに楽園。温泉保養地であるため、美しいペンションやお店があり、小川が流れ、その周りには芝生の丘。青い空が高く広がっていました。途中雲って小雨が降ってきましたが、それもまた風情があって良いとさえ思える所です。行き交うのは、お金持ちそうな?方々と犬(←?)。オシャレでカラフルな(笑)服を着て、芝生の中を散歩したり、木陰のベンチに腰かけたりして、ゆっくりと時を過ごしています。(私の軽井沢のイメージ←行ったことはないです笑)そんな楽園から少し離れた丘に、ブラームスハウスがありました。家自体は改築されて新しくなっていますが、家具の一部や楽譜は残されています。少し高台にある家に居ると、ここで一人静かに過ごしたのかな…と想像が膨らみます。南へ、またはイタリアへ生涯憧れ続けたというブラームスにとって、この地は夢の場所だったかもしれません。大変気に入っていた手紙なども残されています。一説では、ブラームスが好きな人を追いかけてここへ来たとも言われています。。。。でも実らぬ恋なのですが・・・
CDレコーディング実況!H 竹内竜次
カザルスとモンポウ
スペイン、カタルーニアが生んだ2人の音楽家、パブロ・カザルスとフェデリコ・モンポウの晩年の写真を見比べてみると、とてもよく似ている。どちらも頑固そうで、江戸の職人さんといった風貌なのだ。しかし二人の歩んだ道はずいぶんと違う。一人は熱い情熱でもって世界中を駆け巡り、一人は、ひっそりと故郷の文化と自分の音楽世界の融合を試みた。
カザルスは、武勇伝の類の話には、事欠かない。留学しようと訪れたベルギーの学校では、生徒たちの目の前で、先生に田舎者と馬鹿にされたことに腹を立て、一番前に座っていた生徒のチェロをかっさらい猛然と弾きまくって先生を黙らせた。カザルスの実力に気付き、慌てて「君はこの学校で首席になれる」と引き止める先生の言うことも聴かず、さっさとスペインに帰ってしまったそうだ。プロの演奏家になってからも、共演した指揮者が、その日演奏する予定のドヴォルザークのコンチェルトを、「なんて下らん曲だ」といったことが許せず、開演を待たずに、これまた帰ってしまった。そして何より彼の名を全世界に知らしめたのは、「鳥の歌」である。フランコ軍事政権に反発し、故郷カタロニアを去ったカザルスは、望郷の念と、平和への願いをこめてカタロニア民謡「鳥の歌」を弾き続けた。ホワイトハウスでも演奏し、カザルスの演奏がケネディ大統領にキューバ危機の平和的解決を決断させたとも言われている。
さて一方のモンポウのほうは、カザルスのような、威勢のいい逸話はあまり聞かない。彼の憧れた作曲家、フォーレ(当時のパリ国立音楽院の学長)に会いにパリまで行ったのだが、待合室まで行って急に怖くなって逃げ出してしまった、という彼の繊細さを語るエピソードぐらいしか残っていない。作曲家として一部の評論家から、「凝縮された神秘」と賞賛されたが、全世界から脚光を浴びるようなことはなかった。しかし本人は、そんなことは一向に気にすることなく、自分の信じる音楽を作り続けた。こんな風に言った人がいる。モンポウの音楽は、打ち明け話だ、と。本当にそうだ、と僕も思う。カザルスの音楽が、ケネディー大統領ばりの雄弁な演説だとすると、モンポウのそれは、静かに語られるうち明け話そのものだ。そこには、人々を瞬く間にひきつけるカリスマ的な魅力や、世界を動かすエネルギーはないかもしれない。しかし、極めて個人的な語り口は親密で、静かにとつとつと語られるそのメロディーは、時として深く胸にしみこんでくる。
カザルスの鳥の歌ももちろん深く切実な悲しみが込められていて、心を揺さぶられた方も多いと思う。今度は、モンポウの小さな声にも耳を傾けてください。しばらくすると、あなただけにこっそり語りかけてきますから・・・(CDでは、モンポウの自演、ラローチャ、それからもちろんソノリテの中にも入っています。(笑)
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サンシティー音楽院 音楽だより♪282
エスプレシボ 12月号
弱点披露
竹内幸一
晴天が長く続くかと思うと、最近は雨の多い毎日です。ひと雨ごとに、これから本格的な寒さに向かうのでしょう。でも、銀杏黄葉の輝くような明るさも素敵ですね。季節それぞれの美しさを満喫しましょう。
さて、今月は、弱点披露と言うタイトルで書こうと思います。これを書こうと思わせたのは、つい最近、一人の方が、ハーモニアス別府の主催する歌声サークル「野ばらの会」に新入会したことからです。
この方の入会の様子を書かせていただきます。最初の挨拶で、「私は、耳が遠くて良く聴こえないのですが、歌が大好きなので、入会させていただきました」と、ニコニコして、明るく話をしてくれました。聞くところによるとこの方は、音楽に合わせて運動する体操の習い事もしているんだそうです。
その方の様子は、うつむいて暗いところなど少しもありません。ランランランといつもスキップをするような明るさが、体に溢れていました。勿論、これまでにはいろんな葛藤や悩みもあった事でしょうが、私は、その様子を見ながら、感動していました。前へ進もうとする、生きることへの清々しい意欲がまぶしいほどでした。
確かに、歌の先生のしゃべる声も良く聴こえていないようでした。次の歌のページ数を言っても、分からないようです。補聴器を使ったりもしていました。しかし、最初からもうまわりの方が「この人は、障害があるんだから」とページ数を書いた紙を渡したりしていました。「ごめん、私、聞こえんのよ」とはっきりみんなに知らせることで、周りの人たちが、いろんな手助けを体操の会でもしているそうです。
それは、素晴らしい光景でした。そうなんだ。こういう生き方もあるんだと、私は清々しい気持ちになりました。人とのコミュニケーションがうまく取れないことは、大変な負担です。ともすれば、いろんなトラブルやわずらわしさを避けて、引きこもりがちになります。実は、私も耳が良く聴こえないので、その気持ちは良く分かります。しかし、そのまま引きこもる人もいれば、ずんずん人中へ歩みだす人もいるのです。この違いはどこから来るものでしょうか?
私の場合、まだどこかに耳が良く聴こえないということを隠そうとする意識があります。弱点を知られたくないという暮らしをしています。しかし時折、近くの人が、「あの人が何か言ってるよ」と、教えてくれることがあります。それであわてて、その方のほうを向いて話をするのですが、誰も言ってくれなければ知らん顔をしたままになります。そういうケースは、私が気がつかないだけで、たくさんあることでしょう。それは、無視されたとか、話を聞こうともせんとか・・・まわりを不愉快にさせ、悪い誤解につながることでもあります。あとでトラブルの元にもなったりします。しかし、その悪印象は、私の中に弱点をおおっぴらにしたくないと言う、姑息な思いがあることから生まれるものです。
「良く聴こえないんです」と、明るくみんなに伝えることが出来れば、それなりに、カバーしてもらえることもあるでしょう。
しかし、やはり人の心には見栄とか虚栄とかの弱さがあります。弱点披露するのは、勇気が要ります。なかなかそう思いどおりにはなりません。でも、ついでに?と言うのも変ですが、この際ですから、私の出不精3点セットの弱点をご披露しましょう。 まず一つ目は耳の難聴です。次にあるのは足の痛みです。右足の股関節が痛んで、長く歩けません。それで時折旅行などの企画を催促されるのですが、実現が無理なのです。本当は手術するといいのですが、仕事から長期離脱するので、ルベックの30周年が終わるまで、我慢して頑張るつもりです。もう少し機敏にあちこち動けばいいのにという時も見かけるでしょうが、しばらくは、どうぞご容赦下さい。それから、20歳前に腎臓病をした関係で、トイレに行くのが近いと言うこともあります。これも結構不便です。
普通なら、そういう出不精にさせる3点セットがあると、いろいろ面倒になって、なかなか人の中には出たくなくなります。しかし、いろんな条件の中で、前に進む人と、暗く落ち込んで引きこもる人がおります。その分かれ道はどこにあるのでしょうか?歌声サークルに、耳の障害があっても、周りの人々を信じて明るく飛び込む意欲は、どこから生まれるのでしょうか?
自分の弱点を、自分ではっきり認めることは辛いことです。ましてや、それを人に知られたり、またこちらから言うのは、なおさら心理的な負担があります。お情けや、哀れみを請うような泣き言を並べることになるかもしれないとか思うと、なおさら、口ごもりたくなります。
しかし、弱点を持ちながらでも人は生きていかねばなりません。大変ですが、弱点を披露しても、この今の暮らしの中で生きていくんだと言う、「生命力」を自分の中にいつも育てる必要があります。その強い決意があればこそ、人は前に進んでいけるのでしょう。
まわりを信じて、弱点披露して飛び込めば、思わぬ未来が開ける可能性があります。私の場合、半端な弱点披露ではありますが、幸いなことに、10年も20年も私の拙いレッスンに通ってきてくれる人がいます。音楽のことも良く分からないし、音の間違いも良く聴き取れないのですが、ムーンや、ひまわりの合奏団の方が、私を待ってくれています。それはかけがえのない嬉しいことです。
いろんな弱点を披露すれば、それに見合うだけの、私を支えるものに恵まれる気がします。逃げないで、周りを信じるところからスタートできるのでしょう。勇気の要ることですが、弱点披露してさわやかに生きると言うことを、忘れないでいたいと思っています。
<行事予定>
■オペラ鑑賞 道化師
12月6日(水)午後1時半〜
<500円
■第57回エチュード・ファミリー・クラブ例会
12月10日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
12月13日・27日 水曜日午後2時から。
■第28回 魅惑のギターステージ
ギターの独奏、合奏がたくさん楽しめます。
12月17日(日)午後2時 中会議室 800円
前売り券発売中です。応援してください!
■第19回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
12月20日(水)午前10時半〜光の園
■ハーモニアス別府 第5回ふれあい音楽講座
12月21日(木)午後2時〜 1,000円
DVD鑑賞 モーツァルト「魔笛」その2
■第5回きらきらコンサート 無料 22日午後2時〜
トキハ別府店8階カルチャールーム
■第187回 さわやかクリスマスコンサート
12月22日(金)鶴見病院 6時40分〜
■竹内ファミリー クリスマスコンサート 12月24日
サンタの国の12ヶ月
第2回べっぷ優ゆうきずなコンサート
参加協力券 大人500円 小学生300円
■春の音楽祭 4月29日(日・祭) サザンクロス
●ルベックスペシャルのお知らせ
12月は、2・7・9・14・16の4回練習です。
木曜日が2回入っていますので、お願いします。
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
5週目のお休み 29(金)〜31(日)
お正月休み 新年1月1日(月)〜7日(日)
リレー随筆 142
ギターと趣味の遍歴 その2
竹川敏彦
そして、46歳になった2005年5月、インターネットでギターアンサンブルアクアを発見した。初心者歓迎と書いてあるが、ギターコンクールで銀賞受賞とも書いてある。
あまりレベルが低くても面白くないが、高すぎても、ついていけないんじゃないかと悩んだ。今勤めている会社から5分くらいの所が練習場所だから負担にはならない。
ついに決心して入会希望のメールを送った。メールにギター歴、30年。レベルは中級(あくまで主観)と書いたので、アクアの皆様に変な期待をいだかせた。ギター歴30年は嘘じゃないけど、実質3年と書けばよかったと思っている。この間26年間あまり使われなかった河野のギターが活躍できる状況となった。
初練習の日、練習室の前でこのまま帰ろうかと思ったが、勇気をふるって中に入る。アクアのメンバーが2人、二重奏の練習している。簡単な挨拶をした後、ギターを取り出してチューニングするが、緊張のあまり冷や汗がダラダラ状態。他のメンバーが三々五々集まって、合奏練習が始まったがほとんど弾けない。弾けないのは仕方がないとしても、全然面白くない。合奏はみんなのペースに合わせて、ある程度弾けるから面白いのであって、弾けなければ意味がないと判った。
当時コンサート用に5〜6曲の練習をしていたので、取り合えず1曲づつ30%でも、50%でも弾ける部分を増やそうと練習した。一人で自分のペースで練習していた時は、小さな音で弾いていた。近所迷惑にならないし、小さい音の方が綺麗な音がでやすいので好都合だからだ。しかし、音が小さいと指摘され。無理矢理大きい音で弾くと、音が割れて汚いと注意された。爪の形や右手のフォームなども含めて、これは今も課題事項になっている。課題は他には一杯あるけど。
初練習から1ヶ月後、ある病院のロビーでミニコンサートとなった。自分も末席に座り、ギターを弾くこととなった。弾ける部分だけ邪魔にならないように弾けば良いと考えていた。本番直前になると、右手の親指が重い。付け根がしびれて動かない。頭は他人ごとのように白々としているが、緊張しているのだと気が付く。アクアのメンバーが8人、聞いている人は7人。こちらの方が人数は多いと考え冷静になろうとしたが、右手の親指が重くて動かない状態は最後まで続いた。
最初の1曲が始まってしまえば、怒濤のように終わった気がした。それからは、ギターコンクールに絞った練習に変わった。「序奏とファンダンゴ」。練習するにつれ理解できてきたが、大した名曲である。コンクールまで1ヶ月。自分が弾くのは無理だろうけど、運転手代わりについて行くかと思った。しかし、低音を鳴らすだけでもいいから一緒にステージで弾こうとはげまされ決心した。結果は、銅賞だった。去年は銀賞だったのに。6〜7分の曲があっという間に終わった気がした。いまのは、待った。もう1回弾かせてと言いたかった。
その年の11月頃、別府にもギターアンサンブルがあるんじゃないかとインターネットで検索。別府に引っ越して4年たつし、地域に密着した活動もいいんじゃないと考えた結果だった。すると、公民館毎に4〜5もグループがある。西部地区公民館が、土曜日の夜7時〜9時、練習となっている。これが良いかなと公民館に電話をすると、世話役の手嶋会長の名前と電話番号を教えてくれた。
電話してみると今年の活動はもう終わって、来年は2月から練習を再開する予定なので、先生に連絡して来年、見学にくればとのこと。
2月になり、公民館に顔をだすと時田さんが座っている。見学にきたのですが、と言うと時田さんも始めてきたから判らないとの返事。後に時田、竹川、プライムギター新人コンビの誕生でした。その時はプライムギターという言葉もしらなかったけど。その日は、楽譜を切り貼りしてパート譜を作成して終わり。
その日の夜に、竹内先生からルベックスペシャルにようこそと、メールをもらいルベックに入ることとなった。ルベックで驚いた事は、アルト、プライム、バス、コントラバスとパートが別れていること。指揮者がいること。先日も指揮者の高野さんが練習中に自分に向かって、手をひらひらさせて、おいでおいでをするのだが、それが、音量が少ないからもっと音を出せという合図だと気づくまで5〜10秒もかかった。
そして、佐賀ギターフェステバルでの演奏。あんなに大きなステージで演奏したのは始めてだった。小さなミスは何カ所かあったが、時田さんがカバーしてくれた。そこが合奏のよさの一つだと思う。そして長崎ギター合奏団の演奏の、すばらしさに驚愕した。最初の一音から、一糸乱れぬ演奏。自信を持って弾ききっている様子。他の合奏団を圧倒している。同じアマチュ アとしてあのレベルまでいけるものかと考えさせられた。長崎合奏団の演奏で、最初の一音の出だしの重要性を教えられた。
今年も残すところ2ヶ月。12/17の演奏会で今年をしめくくるようだが、最高の演奏をしたいと思います。その為には、練習しかありません。自分は、コツコツと練習して少しずつうまくなっていると感じられるのが好きなようです。成長が止まって、マンネリと感じだしたら、飽きてきた兆候でしょう。
今のやる気を維持するためにも、色々なことにチャレンジしたいと考えています。今は、ギターを弾くのが面白いから練習しているだけです。 (おわり)
ドイツ徒然草<10> 竹内宏子
ザンクト・シュテファン教会(マインツ)
ドイツでもう一度訪れるとしたら、ぜひシュテファン教会を選びたい。木組みの可愛い家々が並ぶ旧市街地を通りぬけた先の、小さな丘の上に、この教会はある。中に一歩入ると、そこは別世界。青い光が礼拝堂に満ちて、まるで海の中。何と!この教会の窓のほとんどは、シャガールのステンドグラスで飾られている。
教会は第2次世界大戦に爆撃を受け、戦後再建されたもので、再建の際、シャガールにステンドグラスを依頼したそうだ。シャガールは80歳の晩年の頃。この時シャガールは、深い願いを込めて、このシュテファン教会のステンドグラスを引き受け、そして作成したに違いない。なぜって、シュテファン教会のステンドグラスを依頼したのはドイツである。シャガールは、ユダヤ人迫害を受け、彼の作品までもが退廃芸術だと烙印を押されてしまったのに!!このステンドグラスは、何と許しと、愛に満ちた芸術だろう。もう戦争があったことをすっかり忘れてしまいそうな今でも、シャガールのステンドグラスは生きて、強く優しく私達に語りかけてくれる。迫害に迫害を返しても、戦いに戦いを返しても何が残るだろう。私の大好きなミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で、『目には目を・・・?そんなことしたら、世界中の目がつぶれてしまう』と歌うように。
シャガールのステンドグラスを通して礼拝堂を満たす青い光は、ただ美しいとは少し違う、悲しくて、温かくて、澄んでいる。
(A教室に飾ったパネルはシャガールのステンドグラスを小さく印刷したハガキです)
☆☆べっぷ優ゆうを応援!☆☆
クリスマス☆チャリティーコンサート
12月24日(日) 午後1時半・
ニューライフプラザ
(協力券: 500円 小学生以下300円)
ここ数年「春の音楽祭」のおみやげに、美味しいクッキーを提供して下さっている、障害者授産施設「べっぷ優ゆう」の活動を応援する、チャリティーコンサートが開かれます。
普段何も応援できないので、今回は、竹内ファミリー全員で、演奏のお手伝いをすることになりました。障害者自立支援法の施行以来、各施設の運営は大変厳しくなっています。どうぞ、皆様の心温かい応援をお願いします。ちょうどクリスマスイブの日ですが、皆様のご声援・ご参加をお待ちしています。協力券は、音楽院にもありますので、どうぞお求め下さい。