サンシティー音楽院 音楽だより♪271 
 さくら紅葉 竹内幸一

 2006年のはじまりです。元日の朝8時15分、パソコンを開きました。今年の初仕事に、このエスプレシボを選んで、キーをたたき始めました。

 大きく深呼吸をして、ご一緒に新年のスタートを切りましょう。今年も頑張って書きますので、昨年同様、この音楽便りをよろしくお願いします。

 さて、今年のスタートは、私が趣味にして17年ほどになる俳句を取り上げたいと思います。今月のタイトル「さくら紅葉」は、俳句で使われる秋の季語です。それを使って昨年「なぜ今年 さくら紅葉の 目に沁みる」と言う句を作りました。

 その、なぜ目に沁みるかを、今回少し解きほぐしてみたいと思います。俳句は、春夏秋冬の日本の四季を詠む文芸です。その季節を表す言葉を「季語」と言い、私たちの作る俳句には、ほとんど例外なくそれが入っています。ですから、俳句を作ると言うことは、季節をあらわすたくさんの季語を学ぶと言うことが、大きな基礎的背景となるのです。

 秋になって、葉が枯れて色とりどりになっていくのは、毎年の美しい光景です。私はこれまで、その景色をひとくくりにして「紅葉」としていました。しかし、少しずついろんな俳句にふれていくうちに、紅葉にも様々な表現があることが分かりました。紅葉だけでも「初紅葉」「薄紅葉」「夕紅葉」「庭紅葉」「紅葉谷」・・・などなどあります。

黄色の銀杏などは「黄葉(もみじ)」とも分類されます。

 そして、それからまた細かく植物名をかぶせた紅葉の季語があるのです。「さくら紅葉(桜の木の葉が枯れて色づいている様子)」「葡萄紅葉」「蔦紅葉」「白膠木(ぬるで)紅葉」「漆紅葉」「満天星(どうだん)紅葉」・・・と、きりがないからやめますが、それぞれ固有の紅葉が、歳時記に並んでいます。

 私はこれまで、それらすべてをひとくくりにして紅葉を眺めていました。しかし「さくら紅葉」と言う季語を知り、それを使おうとしたときから、見る目が変わったのです。しかも、さくらと言う木がどれであるかと言うことが、はっきり分かって、「さくら紅葉」を見上げると、光景のピントがくっきりと合ったのです。白膠木とかの知らない植物の場合は、こういうことはありえません。

 「日の沁みて 桜紅葉の ふくらみぬ」「桜紅葉 日差しとろけて つつみけり」・・・はっきり言葉を認識すると、よく見るようになり句を授かることに結びつきます。

 それがいい句に結びつくかどうかは別にして、本当に昨年私は、さくら紅葉の美しさを心のそこから感じました。栄光園から乗り出している桜並木の下を通るとき、日差しに輝いたり、透けたりして小刻みに風に揺れる「さくら紅葉」を惚れ惚れと何度眺めたことでしょうか。自然の織り成す風景の一点に、これほど魅かれたのは初めてのことではなかったかと思うほどでした。

 それで、「なぜ今年 さくら紅葉の 目に沁みる」が出来たのです。それには、いろいろな要素もありますが、今ここで結論を書くとすれば、それは「さくら紅葉」と言う言葉をはっきり覚えたからだと思います。まず最初に「認識の言葉」ありきなのです。

 話は少し変わりますが、年齢を重ねるほど1年が過ぎるのが早くなるとよく言います。何かで読んだところによると、それは繰り返す回数によって新鮮さの度合いが違うところから、早さが変わるのだそうです。例えば小学生の頃などは、正月、学校、クリスマス・・・いろいろやってくるものすべて新鮮です。毎日毎日が新しいこととの出会いといっていいのかもしれません。その一つ一つに驚いて過ごしていると、時間をとても長く感じることでしょう。

 しかし、30回、40回、50回と正月を繰り返し、年賀状を読んでいると、いろんなことが色あせてきます。同じような日々が、さらさらと流れて行くようになります。ありふれた時間は、湯水のごとく流れ、もう1年が終わったのかと、年月の流れの早さを嘆くことが多くなるのです。

 そんなときにたった一つの「さくら紅葉」と言う言葉が、キラッと輝くのが、俳句との出会いの喜びです。繰り返されるエンドレステープのような日々に、一つずつ見えなかったものが見えてくる新鮮な光景に恵まれます。これは色あせた日々に、素晴らしい俳句の贈り物だと思います。

 しかし、よく考えれば、この新聞を読んでくださっている方のほとんどは、音楽をしている方です。その毎日は、新しい曲や、新しい楽器の奏法との出会いであり、新しい季語を覚えていることと同じようなものではないかと思います。

 新しいことは、難しいと言う言葉に置き換えてもいいでしょう。大変ですが、その出会いは、かけがえの無い新鮮な人生の宝物だと私は思います。難しいから新鮮なのです。新鮮だからいいのです。

 「舞台に出てあがらないのにはどうしたら?」というお尋ねを受けます。5回や6回では、まだ小学校にも上がれない年齢で、まだまだ舞台ではうぶで新鮮です。緊張してあがるのは当たり前です。20回出てやっと一応成人ですが、人生はこれからです。30回50回と出て初めて、「また春の音楽祭か」と、ふてぶてしく舞台に上がれるようになるのです。そこまでは、ともかく新鮮で<あがる音楽祭>もいい宝物ですよ。また今年もチャレンジしましょう。 
 
<行事予定>
 
 
■第46回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
1月8日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
  1月11日・18日 水曜日午後2時から。
■第176回 さわやかコンサート
1月27日(金)鶴見病院 6時40分〜
■第8回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
  1月18日(水)午前10時半〜
■ハーモニアス別府ニューイヤーコンサート
外山啓介ピアノコンサート
  1月21日(土)午後2時開演 2,000円
  ビーコンプラザ・国際会議室
  竹内幸一が事務局長として、全力を挙げて応援しています。皆様のご支援を心よりお願いします。輝く若い才能の華麗なピアノをどうぞお聴き下さい
■別府ギターサークル連盟新年役員会
  1月22日(日)午後2時 西部公民館2階
■オペラ鑑賞 歌劇「ファルスタッフ」(126分)
  1月29日(日)午後1時半〜 <500円>
■ミュージカル鑑賞会 錨を上げて(139分)
  1月31日(火)夜7時半〜<500円>
■第23回 春の音楽祭 4月29日 サザンクロス
●ルベックスペシャルのお知らせ
1月22日4時・パート編成会議 西部
     6時・新年会 春香苑
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
<年始のお休み> 1月7日(土)まで
<5週目のお休み>
1月29(日)〜31日(火)


リレー随筆 130 
二つの歌 (ギター科・佐藤睦美)

「ゆきだるま」

ちっちゃな ちっちゃな ゆきだるま
サンタさんが仲良しの 
二人に授けた小さな命
お願い 助けてください 
お願い 助けてください
ずっと二人は待ってたのよ 
病気にも負けず 世間にも負けず
もし 神様がいるのなら 
ちっちゃな命を守ってください
 
ちっちゃな ちっちゃな ゆきだるま 
クリスマスに願いを込めて 
彼女が懸命に作ったの
お願い がんばって 
お願い がんばって
手のひらにちょこんと ゆきだるま 
あなたがそう赤ちゃんなのね
もし 神様がいるのなら 
みんなの願いをかなえてください
(これは義妹が妊娠初期に入院してたころ書いたものです。実際に去年のクリスマスに妹が、手のひらサイズの小さな雪だるまのマスコットを作って、私のとこに送ってくれました。今年の秋に元気な男の子が生まれました。)

   
「二人の天使」

12月のある晴れた朝
水平線がくっきり見えて
空もすっきり晴れわたっていた
この道を 何度 君と歩いただろう
ベビーカーを押して 手をつないで 
歩いて・・いつも二人ぼっちの私たち
海を眺めては故郷を想い 波の音に安らいだ
あんなに頼りなかった君が 
今は兄となり妹の手を引いている
ああ 神様は 孤独な私に
二人の天使を授けてくれたんだ
 
雲がぽっかり浮かぶ美しい空 
道端の可愛い水仙 目の前に広がる田園風景
その美しさに気づかせてくれたのは君たち
とびっきりの笑顔ではしゃいだ声で走っていく・・私のかけがえのない宝物
空を見上げては故郷を想い 
澄んだ空気に満ち足りた
あんなに頼りなかった私が 
今は母になれたことに幸福を感じている
ああ 神様は 孤独な私に
二人の天使を授けてくれたんだ

<子供が小さい頃はよく散歩したっけ・・・今は近くでも車を使ったりしてダメですね(笑)>

リレー随筆 131 
ピアノ    田中こうき(ピアノ科 8才)

 ぼくがピアノをはじめたきっかけは、いとこがしていて、ぼくもやりたいと思ってはじめました。さいしょは、ひとりでバスにのるのがさみしかったけど、がまんして、がんばりました。
 今年おきた大じけんがあります。それは、弟が入会したことです。弟が入会したら、バスでいくさみしさをわすれはじめました。そして、ふつうにまっていたら、なんとおもらしをしていたので、すぐ親に言いました。そしたら、車がすぐ来たので安心しました。それからというもの、いつもトイレをして、いっています。

 ピアノをならって楽しかったことは、発表会です。なぜかというと、まちがえても、はくしゅをしてもらえるからです。つらかったことは、ありません。

 ぼくのしょうらいのゆめは、ピアニストです。

 四陸七海レポートI  ギター科 村上昭子
  〜オークランド〜シドニー編〜    
 
 オークランド、一般的な国名は「ニュージーランド」ですが、先住民族マオイの言葉では「アオテアロア(雲のたなびく地)」だそうです。

 入港したオークランドは都会で、午前中はオプショナルツアーで西オークランドにバスで行き最古の巨木と言われる「ジャイアントカウリ」を見るトレッキングに参加しましたが・・・船旅でのダラダラとした生活のせいか体重は増え、体力は減りとても疲れました。

 午後は市街地を一人でウィンドーショッピング(今までの寄港地でお土産を買い、所持金が少なくなった為)をしました。ショップの店員さんが日本人の店が多く、船の乗客以外の日本人と久しぶりに話して新鮮でした。結局観光はせずに1日が終わってしまいました。

 4日後、最後から2個目の寄港地シドニー「オーストラリア」に入港しました。今回は、友達と計画を立てて観光中心で楽しもう♪となり、何日か前から本を見ながら行きたい場所を決めて行動することにした。

 朝食は、日本で言う魚市場で伊勢海老??をお腹いっぱい食べ、そしてチャイナタウンでまた食べ、水族館へ行ったりオペラハウスで安いコンサートを訳もわからず見たりしました。夜は、キングス・クロス(飲み屋街)へ行きショットバーで飲みながら語り一晩過ごし始発でシドニーに戻り、充実した2日間を過ごしました。
 15個目の寄港地シドニーの2日目で初めて雨がふりました。それにはエピソードがあります。今回のクルーズデレクターが晴れ男で、雨季の多い寄港地でしたが奇跡的に晴天が続き、スタッフ達に驚かれるぐらいでした。

 シドニーでクルーズデレクターが盲腸になり緊急入院を告げられたぐらいから雨が降ったそうです。今まで雨が降らなかったので雨具の用意を怠ってた人が多く、ビジョビジョになりました。ちなみに私もです・・・。

 本当に旅が終わるんだと寂しいような嬉しいような感情になりつつハーバーブリッジの下をくぐりながらシドニーをあとにしました。
(つづく)

♪昨年のクリスマス会、参加してくれた皆さま、ご協力頂いたお家の方、厚く御礼申し上げます。
                  (竹内宏子)

<新連載>俳句のときめき  その1

 私は40歳のときに縁がありまして、俳句の世界へ入りました。以来、倉田紘文先生に師事し、現在に至っています。 今でも俳句のことはよく分からないのですが、ともかく17年ほど続いてきました。なぜくじけずに続けてきたのかと考えて見ますと、3つの要素があるように思います。

 まず一つは、倉田先生の人を育てると言う、文字通り慈愛溢れるお導きによるものがいちばんです。先生のお人柄や、作風に魅かれてここまでこられたと思っています。

 それが基本にあり、あと2つほど俳句を続ける環境がたまたま身の回りにありました。その一つはメール仲間の存在です。

 もう5年ほどになりますが、1日1句という1行日記を、読んでくださる方へ送信してきました。書いたものを読んでくれる人が居ると言うことほど、励みになることはありません。その1日一句のノルマが、どれだけ私の毎日を俳句モードにしてくれたか分かりません。これが無ければ、よほど気の向いたときしか俳句と取り組まなかったことでしょう。

 そんな中で、合同新聞の読者文芸の投稿を始めました。これもいろんな方が読んでくれていて、「読んでいるよ」とおりにふれて伝えてくれました。たまに特選があったりすると、お祝いのメールや電話をいただくこともありました。また、しばらく掲載されないと、「さびしいですね」と言ってくれる方もおりました。それもまた、俳句を作る大きな励みでした。

 実はこのたびその読者文芸の「2005年度年間賞」を倉田先生の推薦でいただきました。先生のご指導のおかげ、そしてメールや新聞の俳句を読んでくださった友人知人の存在のおかげで、この栄えある賞をいただけたのだと思います。

 推薦理由の中で「これからの活躍が期待できる」と倉田先生が書いてくださいました。その、期待を裏切らないために、これから少し本気で俳句を学んでみようと思います。それで、この場をお借りして、その学びの内容を少しでも皆様に伝えられたらと思い、連載を始めることにしました。どうぞお付き合いをお願いいたします。

 いずれは、お好きな方と一緒に共に学べる、俳句のグループも結成できればと夢見ています。
               (竹内幸一)

音楽だより♪272 
エスプレシボ  

第2回俳句大会 竹内幸一

 昨年に引き続き、サンシティー音楽院 新春メール俳句大会が開かれました。その結果を、皆さまにお届けします。選句、選評を読むことで、また違った鑑賞の視点のあることが分かる場合もあります。どうぞごゆっくり俳句の面白さを味わってください。(特選3点、準特選2点、並選1点と言うことで互選をし、結果を発表しています)

【第一席】    

餅をつく今日こそ祖母の晴れ舞台(長月)16点
 
特選 幼稚園で餅つき会がありおばあちゃんたちの見事なえとりや餅切りに感心したからです。(アクアビート)

特選 張り切って餅つきを仕切るおばあちゃんの姿と指示に従って手伝う孫達との和やかな場面が目に浮かびます。我が家でも毎年餅つきは母の采配で行われ、今のうちに手順を覚えなければと言いながらいつまでも元気で母の晴れ舞台であって欲しいと願っています。(雪うさぎ)

特選 年末には実家で餅をついて正月を迎えていましたが、ばあちゃんの手際の良さ、張り切った笑顔が浮かびます。(四苦八苦)

準特選 若い方の作品でしょうか、それとも子供に託けて自分の気持ちを詠ったのでしょうか。誇らしげな顔が浮びます。(林歌)

準特選 今の若いもんはへっぴり腰で餅もよう搗かん。「はーい!おばあちゃんお願いしま〜す」 手水を入れるリズムのよさに「おばあちゃん すご〜い!と感嘆の声があがります。まんざらでもないおばあちゃんの控えめな笑顔が見えます。(ゆめ女)

準特選  私も老いた母あり 昔取った杵柄 サスガ・・・(白狼)

並選  大晦日は、スーパーには、いくらでもある餅だけど、餅をつくだけに燃えている祖母の姿があふれています。(どろんぱ)

 【第二席】

まっすぐに私に向けて初日の出 (ゆめ女) 15点

 特選 そうです今年はポジティブに!私だけを見てくれていると思うのは勝手です。よ〜し頑張るぞと力が湧いてきます。(林歌)

特選 年の始めに清々しい希望が感じられました。(鉄太郎)

準特選すがすがしい、希望に溢れた気分のいい句です。(寒雀)

準特選素朴な感情がよく現れていると思います。     こうして人は新たな希望を抱き新年のスタートを切るのでしょう。(わんこ)

準特選 夢と希望に満ちた若々しさを感じます。(四苦八苦)

準特選 まわりには人が沢山いるのだけど、なぜか、自分だけに、輝いてくれている。そう思い願かけている、まわりのざわめきは耳にははいらないから一人きりの世界かも(どろんぱ)

並選    毎年初日の出は拝みます その通り(白狼)

  【第3席】
わんぱくな子等も正座のお年玉 (雪うさぎ) 9点

特選 その時だけの、子供たち、そして正座の後は、また部屋の中を走り回る姿が見えます。私に孫がいるから見えるのかな。(どろんぱ)

特選 今日はお正月、なんてったってお年玉を貰う楽しみが一番!子供達は神妙に正座。それが可愛い。でもちょっとは有り難味も分からせなくてはね。渡す方も貰う方も幸せな元旦ですね。(ゆめ女)

特選 『いつもはとても腕白な男の子たちが(私の弟3人)、静かにお父さんの前に正座して待っている様子』が目に浮かび、ほほえまし感じました。(ハッピー)

<佳作>
お年玉 孫はまだかと ドアのノブ (林歌) 6点  
天国へ銀杏落葉の道続く (寒雀) 5点
三姉妹 正座をさせて お年玉 (寒雀) 3点
年玉を渡し手と手の触れ合いぬ (長月) 3点
ねたさがす箸もせりあう鍋のなか(どろんぱ) 3点
寄鍋やゆらり豆腐のたよりなさ(雪うさぎ) 3点
湯煙も目に鮮やかに新たまり (白狼) 3点
寄せ鍋の 満足感じる 雑炊で (鉄太郎) 3点
おぶわれしその児も参加書初めに (わんこ) 2点
初春や 掛軸の翁 舞ってをり (雪うさぎ) 2点
寄せ鍋を 囲む人欲しき 夕餉かな (林歌) 2点 
鼻水につまむちりしが二枚とれ (どろんぱ) 1点
寄せ鍋も賑わいもなし侘び住まい (わんこ) 1点
寄鍋や いただく命の 数思ふ (寒雀) 1点
お年玉 縁なき今も ポチ袋 (ゆめ女) 1点 
新年の挨拶も兼ね音鳴らす(アクアビート) 1点
お年玉 受け取る子らに笑みうかび(鉄太郎) 1点
とうちゃんの小遣いよりも桁違い(四苦八苦) 1点行儀よく 両手揃える お年玉 (白狼) 1点
お年玉いまだ手を出すニートたち(どろんぱ) 1点
 
 いかがでしたでしょうか。俳句の楽しさや面白さが少しでもお届けできたら幸いです。俳句にしようと思って初めて見えてくることがあります。漫然と見過ごしているまわりの、ちょっとした景色を見つけられるのは、新しい喜びになりますね。

 今回は「寄鍋」「お年玉」の兼題と自由題の3句と言う事でメール募集をし、その後選句選評をいただいて、このような結果となりました。 整理の都合上現在はメールだけで行っています。メールをお持ちの方で、参加ご希望の方がおられましたら、どうぞ次回の開催には仲間になってください。

 また、投稿のできる雑誌のご紹介も3つほど出来ます。この機会に、よ〜しと思われる方は、どうぞご連絡下さい。俳句仲間になりましょう。

 <行事予定>
  
■第47回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
2月12日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
  2月8日・22日 水曜日午後2時から。
■第177回 さわやかコンサート
2月24日(金)鶴見病院 6時40分〜
■第9回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
  2月15日(水)午前10時半〜
■オペラ鑑賞 歌劇「さまよえるオランダ人」(135分)
  2月26日(日)午後1時半〜 <500円>
■ミュージカル鑑賞会 錨を上げて「キャバレー」
  2月19日(日)夜7時半〜<500円>
■第23回 春の音楽祭 4月29日 サザンクロス
  選曲はお済でしょうか?ちょっとむつかしいけど・・自分史に残る思い出の曲を、このチャンスに作りましょう。いつも毎年、4月29日のあなたの演奏が、あなたの最高なのです。その歴史をまた刻んでください。高望みはしなくていいのですが、あなたのできる範囲で、行ける所までは・・・行きましょう。

●ルベックスペシャルのお知らせ
2月4日(土)楽譜作成大会 夜7時西部
 ハサミ・糊持参。以後定例の土曜日練習あり。
 
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
祭日お休み 2月11日(土曜日)

【お知らせ】
文芸誌 文礫(ぶんれき)発売!
 竹内幸一俳句作品等が掲載されています。300円です。よろしければお買い求めをお願いします。



リレー随筆 132 
わたしとピアノ 
ピアノ科 ひらのかすみ(5さい)
 わたしは、4さいからピアノをはじめました。おねえちゃんのみずきちゃんがやってるのをみて、やりたくなりました。
 ピアノをならっていて、たのしいことは、ワークブックとかしているときとか、いっぱいあるよ。かなしいことはないよ。
 しょうらいのゆめは、ピアニストになることです。むかしのうたとかオレンジレンジとかのすきなきょくも、ピアノでひいてみたいです。
さいごにひとこと…せんせい、だいすき。
 
四陸七海レポートJ  ギター科 村上昭子
   〜ラバウル編〜     
 とうとう最後の寄港地ラバウル(パプアニューギニア)に入港しました。島の人口より多くの人たちが船に乗って来ることから、遠くから警戒しつつ興味津々に覗いている姿は、今までにない光景でした。

 ラバウルは、ニューブリテン島の北端に位置し、第二次世界大戦の激戦区ともなり、日本語の単語をいまだに覚えている年配の男性も居るという日本と深い歴史のある国です。1994年には、火山の大噴火に覆われ町の大半が火山灰の下に埋まったままで、少しずつ復興しているとは言え、交通機関もなく整備されてないデコボコ道が続いています。

 自由行動は困難なため私は、火山の近くの温泉に入るツアーに参加しました。移動の車は、日本で言う八百屋の軽トラで、乗れるだけ乗り込みデコボコ道を隣の人とぶつかりながら行くと言う日本では経験できないことをしました。温泉は海水で水着で入ると言う不思議な感じでしたが、船の中で3ヶ月近くシャワー生活だったことから久しぶりの湯船に大満足し、2時間近く入ってました。

 午後からは自由行動だったので、歩いて市場に行きました。市場と言っても広場にフリーマーケットみたいに個々にスペースを設け、葉っぱの皿に果物や野菜、おばちゃんたちが着るワンピース、鮮やかに染められた糸や布が広がっているものです。見ているだけで楽しくなり、日本では見たことのない果物がたくさんあった為、珍しく私は大量に買い込みました。味の想像付かない果物は友達と物々交換し、中には吐き出すほどマズイものもありましたが、それも楽しく感じました。

 ラバウルは今までの寄港地の中で一番素朴な国で、市場で見た子供たちのはにかんだ笑顔はかわいく、映画で見る戦後の日本に近い感じがしました。一日の寄港地でしたが、充実したものになりました。

  ドイツ徒然草<1> 竹内宏子   
 昨年の夏にドイツへ行った時の事を徒然なるままに書きたいと思います。すでに記憶も薄れがちで申し訳ないのですが、少しでもドイツのことをお伝えできればと思います。

 今回は…「音の風景」〜駅編〜
ドイツで音に関してまず感じたのは「静かだな〜」ということ。勿論、私の過ごした所だけかも知れませんが。

♪静かだな〜の例え:パート1「駅」

 日本の駅では「電車が入ります、白い線まで下がって云々…」など、親切(?)な駅内アナウンスがたくさん、しかも声高に流れます。でもドイツの駅内では、必要最低限しか流れません。電車が入ってくる前に、しぶ〜い男性の声で「☆番ホーム、◎◎行き電車、○時発」とボソボソ言って、それで終わり。このぼそぼそアナウンスに、ドイツ語の聞き取りがすこぶる達者な(笑)私は、始終悩まされる羽目に…。「え?マンハイム?マインツ?何時?え?」と一人あたふた。そんな焦る私の心とは裏腹に、駅内はとても静かに時間が流れていきます。すぅっと電車が来て、車掌さんが「ピッ」と笛を一吹きして、電車がまたすぅっと出て行く。そこには、必要以上の音はありません。電車のガタンゴトンという音だけが心地よく響いていました。

今回は、駅の様子をご紹介しました。日本よりドイツが良かったと思ったわけではありません。特に駅では乗換えアナウンスが少ないので、外国からの人にとっては不便かなと思います。実際私は、何度となく「一か八か!」と賭けて電車に飛び乗ったものです。その点日本では、日本語・英語(最近は韓国語も?)で路線の説明をしてくれますからね。とは言え、日本でも私は乗換えがよく分かりません。

CDレコーディング実況! 竹内竜次

 この度、フォレストヒルレコーズよりCDをリリースさせて頂くことになりました。レコーディングは1月11日〜13日に、福岡あいれふホールにて終えていますが、編集とジャケット撮影などが残っているので、発売は4月ごろの予定です。

 レコーディング中の秘話、取り上げた曲への思いなどを次号より書いていこうと思っています。請う、ご期待。

Jan 12, 2006
レコーディング中
 福岡舞鶴にある「あいれふホール」で竹内竜次(りょうじ)さんのCD録音(フォレストヒルレコーズ)が行われています。内容的にも充実したプログラムでした。出てからのお楽しみですね。CDは出来てしまえば一時間ほどの作品ですが、出来上がるまでの過程は途方もない時間と努力が費やされています。出来上がりが楽しみ。(大萩康司さんのブログ「大萩康司のココ最近」より文・写真転載)

<新連載>俳句のときめき  その2 竹内幸一

 与謝蕪村は、1716年に大阪で生まれています。今から300年ほど前のことです。蕪村は、芭蕉、一茶と並び称される江戸時代の代表的な俳人です。画家としても名を成し、たくさんの文化財となる作品が現在に残されています。

 その蕪村に関する一口エピソードは、娘「くの」に対する人間味溢れる、父子の情愛を取り上げてみましょう。

 蕪村は45歳で結婚し、やがて一人娘になる「くの」が生まれます。以後、それこそ目の中に入れても痛くないという様子が、文章になって残されています。

 2月から腕の痛みを訴え、治療を続けたけれども、なかなか良くならない。・・・はかばかしくないので、名医「鈴木多門」に診せる。・・・全快するというので安心する。・・・ 娘はいまだはかばかしくなく、この心情をお察ししていただきたい。

 娘のこのごろはなはだ心良く、手の自由も大方よくなって、琴の稽古も少しずつ始めた。・・・
 (蕪村61歳、娘が13歳のときに、三井の料理人柿屋伝兵衛の息子と縁談がまとまり結婚させます。)
 当月娘をかたづけて、はなはだ忙しく、俳句もまったく出来ない暮らしをしております。来春よりは身も軽くなりますので、がんばります。

 約半年後・・・娘の嫁ぎ先は、金儲けばかりをもっぱらする家で、気に入らない。いろいろ娘もやりにくくて嫌がっている。不憫に思い、取り戻しそうろう。・・・

 当時は、出戻りということがはなはだ異常で、不利な事態になることは分かっていながら・・・蕪村は矢も盾もたまらず、娘を連れ戻してくるのです。年老いた蕪村(62歳)の、父親としての、幼い一人娘に対する溺愛?の愛情が、切なく胸に迫ってくる評伝が残っています。

 やはり、蕪村は天性の詩人だったのでしょうね。純粋で汚れのないまなざしから、繊細、かつ壮大な自然をうたう、素晴らしい名句が生まれてきています。

牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片

春の海ひねもすのたりのたりかな

菜の花や月は東に日は西に

サンシティー音楽院 音楽だより♪273 
エスプレシボ  3月号

EFCもうすぐ50回
                     竹内幸一
  
 梅の花が咲き、ウグイスが鳴いて、いつもの春がまたやってきました。今年は寒い日が続きましたので、この暖かさが例年になく嬉しいですね。
 
 さて今月は、EFCについて書いてみましょう。毎月この新聞でも予定を発表していますが、ひょっとすると、EFCとは何ぞや?と思われる方も多いかもしれませんね。今回は、まずその名前の由来からはじめて、詳しくご紹介しましょう。

 E(エチュード)・F(ファミリー)・C(クラブ)の頭文字をとって、EFCと名づけたこの会は、2002年の4月14日にスタートしました。エチュード(練習曲)を発表する仲間の集いの場所として企画されたものです。1ヶ月に一度、今自分がやっている曲を発表するという目的を持つことで、音楽学習の励みになればということで始まりました。

 それが、毎回10数名の方のご参加をいただき、3月で48回という積み重ねが出来ました。(この5月で、50回という大台にも達することが出来そうです。)ホテル観海荘で12回,亀の井ホテルで10回、その後サンシティー音楽院の教室で26回と続き、場所は変更しながらも、いつの間にか、4年余りの月日が過ぎていました。

 楽器としては、ピアノ、フルート、ギターが多く、年代は幼児から大人までの幅広い層のご参加をいただきました。また、大分などの遠い所から来てくださる方もおりました。いろんな方のご協力をいただけたからこそ、このEFCの灯が消えずにここまで続いたのだと思います。ここで改めて御礼を申し上げます。
実はこの機会にと、これまでの保存プログラムを調べて、参加回数記録を数えてみましたので、ここにその努力の成果を公開したいと思います。ささやかなお礼をこめて、50回記念の会の時に表彰します。(全47回分の記録です)

第1位 高野一男(ギター) 43回
第2位 石原佳奈(ピアノ) 34回
第3位 二宮 守(ギター・ピアノ) 33回
 以下4位 石原倫子(32回)、5位 高畑香代美(30回)、6位 浪江慎二(28回)、7位 ひよっこクラブ(江川美代他2名)27回、8位 本田慧(25回)、8位 石原敬典(25回)、9位 溝口伸一(24回)、10位 上田博章(23回)、次点 佐藤千祥(20回)・・・・と続きます。
 (100回記念の時もまた集計したいと思いますので、皆様の新しいチャレンジをお待ちしています)

 皆さんそれぞれ、4年間の積み重ねが、いろんな成果になって残っていることと思います。いずれその参加のご感想などもいただきたいと思いますが、ここでは、二つの事例を取り上げて、その成果の一端をご披露させてください。

 まず参加回数34回で第2位になりました「石原佳奈(現在小学校3年生)」ちゃんのことです。幼稚園の頃からEFCにいつも参加してくれました。その成果は、カワイのグレード合格、桐朋学園付属子どものための音楽教室音楽会(音の泉ホール)に出演、そして春の音楽祭は皆勤・・・と、発表するというきちんとした目標を持つことで、ピアノが暮らしの中にしっかりと存在している様子が分かります。

 もう一人、森真成君のことを書きましょう。彼は小学校の4年生で、ギターを始めて2年ほどになります。始めた当初は結構練習をしてきていたのですが、しばらくして、だんだん進歩が遅くなりました。飽きてきたのか、レッスンに来ても余り面白くもなさそうな日々が続いていました。

 何とか打開策はないかな?と考えていたのですが、つい4ヶ月ほど前、思い切ってEFCの参加をすすめてみました。幸いお家の方のご協力をいただき、毎月第2日曜日の夜7時に、音楽院までギターの演奏に来てくれるようになりました。

 11月から初めて、4ヶ月ほどになりますが、参加決定以後の成長は、目を見張るものがありました。「じゃ、12月は、この曲を出そうな」と指定をすると、練習の意欲が今までと全然違ってきたのです。お家での励ましも新たに生まれたのだと思います。出るんだからと、家で聞いてあげたりもするようになったのかもしれません(これが、子供さんの成長にとって何よりもいいことだと思います)。

 おお、森君は、もうこれが弾けるか・・・と驚かされるほどの目覚しい上達ぶりがあり、私自身も、EFCの効能を確信することが出来、とても嬉しくなりました。小さい子供さんの場合はお家の方の協力がなければ叶いません。これをお読みになったら、一月に一度ですのでどうぞご検討下さい。

 大人でもそうですが、子どもの場合はなおさら、マンネリで楽器学習の意欲を失いがちです。そこにどのようなアクセントを与えて、いい刺激を作るかは、指導者の一番苦労のいる所です。そのために、このEFCは、うまくもっていけば、短期の目標設定で、実に効果的なのです。

 EFCは、毎月第2日曜日夜7時から開催しています。教室が狭いこともあり、7時から30分ほどは、小さい子どもさんを中心にしています。演奏が終了したら、次の方と入れ替わってもらっています。ご希望の方は、どうぞ担当の先生とご相談下さい。(参加はもちろん無料です)

 EFC50回記念のお知らせ 

■時.5月14日(夜7時)〜
■所.Cafe & Gallery「ピアノ」
別府市南荘園町20組 0977-21-7937
 (南立石公園&法務局のすぐ近くです)
■参加料 会場使用料として、それぞれ何か(コーヒー等)飲食をお願いします。
■特典 出席回数3位までの方は、賞状と賞品として記念演奏会のお飲み物無料券を贈呈します!
■演奏参加はどなたでも出来ますが、所要時間の想定がありますので、出来ましたら、予約をいただけるとありがたいです。聴くだけの方も歓迎します。
 
 <行事予定>
  
■第48回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
3月12日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
  3月8日・22日 水曜日午後2時から。
■第178回 さわやかコンサート
3月24日(金)鶴見病院 6時40分〜
■第10回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
  3月15日(水)午前10時半〜
■オペラ鑑賞 ワーグナー楽劇「ヴァルキューレ」@
  3月26日(日)午後1時半〜 <500円>
■ミュージカル鑑賞会 「キャバレー」
  3月19日(日)夜7時半〜<500円>
■第23回 春の音楽祭 4月29日 サザンクロス
  申込書はお手元に届いたでしょうか。ほんの小さな勇気ですが、それが、自己革新の始まりです。新しいチャレンジは、新しい生命力につながります。みんなでわっしょい!春のお祭りに参加しましょう。プログラム作成や記念品の注文などの当日の準備がありますので、済みませんが、3月25日の締め切りをよろしくおねがいします。

●ルベックスペシャルのお知らせ
3月4・11・18・25 4回練習です。 夜7時西部
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
祭日お休み 3月21日(火曜日)
5週目のお休み 29(水)〜31(金)

リレー随筆 133 

わたしと、はじめてであったピアノ

ピアノ科 ふじさわももえ(7さい)
 
 わたしは、おさえてなるピアノがすきです。だって、おさえたらすぐなるからです。
ドやレやミのところをおさえることをおしえてもらったのがたのしかったです。
かなしかったことは、しゅくだいをしていなかったことです。
おもいでは、クリスマスかいのときに、うたをうたったり、ドレミのきょくをひいたことです。
 すきなきょくは、ドレミのうたと、大きな木のしたでと、大きなふるどけいです。
 しょうらいのゆめはピアニストです。せんせいわたしりっぱなピアニストになるね。
 
四陸七海レポートK  ギター科 村上昭子
   〜最終回 まとめ編〜     

 この連載がスタートしてから1年が経ちました。今回、私がこの船旅をしようと思ったきっかけは、8年前勤めていた会社の同僚の「旅行の中で、船旅が一番の贅沢!!お金があっても暇が無い、暇があっても体調が悪いと行けないから」と言う一言からでした。いつかは行ってみたいな〜と思っていましたが、30歳を目前に、今しか時間がないと急に思い立ち102日間、1人で船旅に参加しました。

 16の国・地域に寄港し総航海距離3万180マイル(約5万6千キロ)の長い航海で、文化の違いの驚き、差別・貧富の差にショックを受け、こども達の笑顔に癒され、広大な景色に感動し、新しい友達もたくさんでき、行った人にしか説明のできないたくさんの経験をすることができました。

 日本各地から、偶然に乗り合わせた829人の参加者は、それぞれ違う感想をもっていると思います。私の周りでも、もう一度行きたい国が違っていたくらいです。

 今回の旅行で感じたことは、最近の日本は連日のようにニュースで残酷な事件が多く恐いと思っていましたが、今回の旅行で日本は海外に比べて、安全な国で日本で生まれ育った私は幸せだということです。

 そして世界を見て、貧富の差や差別をどうにかしたいと思いましたが、それよりも今私にできること・・・身近な人にやさしくしよう!無駄使いをやめよう!家族を大切にしよう!といった初歩的な気持ちを持つことができました。それだけでも参加して良かったと思います。

 1年間の連載の中で最近は、記憶もあいまいになり日常生活で感動も薄れてきていたので、原稿の締め切り近くになると日記を読み直したり、写真を見直し思い出しながら書きました。これもいい経験です。この機会を与えてくれた竹内先生ありがとうございました!1年間読んでくれた皆さんありがとうございました!

  ドイツ徒然草<2> 竹内宏子   
 
今回は…「音の風景」〜お店編〜

 ドイツのスーパーやお店に入ると、「え?この店、開いているよね?」と度々思いました。始めはなぜそう思うのか、自分でも分からなかったのですが、何度目かに「あ〜そうか!BGMが流れてないからだ!」と気がつきました。ぱっと入った時に、し〜んとしているから、開いているか不安になったのです。日本のデパートでBGMが流れてなかったら、きっと不自然に感じると思います。ドイツのお店では、BGMは流れていないし、「いらっしゃいませ〜」と歓迎の挨拶?もしてくれません。店内は静か。ショッピングカートを使うと、その車輪のシャーっという音が辺りに聞こえるほどです。

 BGMのないドイツの店では、「本当にほしい?」「じっくり考えて、要るものだけ買いなさい」と勢いで買うのを止められる気がします。静かな店内は、始めはちょっと物足りない気がしますが、慣れると落ち着いて買い物ができますよ。イメージは、図書館で本を選ぶように、お買い物をするという感じかな…。


CDレコーディング実況!A 竹内竜次

 CDがどのようにして出来上がるのか?ということについて僕は全くと言っていいほど無知でした。(実は今もよくは、解らないのですが…笑)今、レコーディングを終えて言える事は、CDが一つの作品となって出来上がるまでには、多くの人々が関わっていて、そのピースのどのひとつがかけても完成はありえない、と言うことです。プロデュ−サーという総監督、エンジニアという音作りのスペシャリスト、論評や曲目解説を書いてくださる評論家の先生、それを英訳する翻訳家の方、ジャケットの写真を撮ってくださるカメラマン、写真と文章のレイアアウトを決めるデザイナーの方etc・・・

 出来上がったものだけを見ると、演奏家がクローズアップされがちですが、制作に携わる人、皆で作り上げている一つの作品、と言う印象が、今は強くなっています。聴いてくださる皆さんにはもちろんですが、CDが出来るまでに、お力を頂いた全ての方に、感謝の気持ちで一杯です。

 さてここからは、CDが出来るまでに沸き起こる様々な疑問について書いていこうと思います。 
 
疑問1 どこでどのようにして収録するのか?

 スタジオとホールと言う2つの選択肢があり(もちろん今では自宅でレコーディングすることも可能になってきましたが)、音楽のジャンル、求めている音によって変わります。クラシックの場合はホールでとることが多いようです。

 今回は、福岡県にある、あいれふホールで行われました。スタジオだと録音の機材がそろっていることが多いようですが、ホールの場合、全て持ち込みで今回は演奏者控え室に機材を設置しました。ホール内に設置されるのは3本のマイク。(それぞれ演奏者との距離が近い場所、中間、そして遠い場所の音が拾えるようになっているんだそうです。)控え室にはハードディスクとパソコンがそれぞれ一台づつ、後はスピーカーのみ。ずいぶん少ないんだなと思っていたら、これだけコンパクトに、そして最新と機材を使って録音できるようになったのは、ここ数年の話なんだそうです。

 この光景だけを見るだけでは、音楽と関係のある作業が行われているとは、とても思えません。超アナログ人間の僕にとってそこは、目が回りそうなほど、ハイテクかつ、デジタルな世界です。(ちなみに、遊びにきていたギタリストの大萩康司さんの話では、ここで使われている機材は、彼が所属するビクターよりも進んでいるとのことでした。すごいなあと思うと同時に感謝です。)次号では実際に録音していく過程をお伝えしようと思います。

俳句のときめき その3 竹内幸一
 
 尾崎放哉(おざきほうさい)は、明治18年に生まれ、大正15年に42歳で亡くなった、無季自由律俳句の代表的な俳人です。山頭火と双璧と言ってもいいでしょう。

 放哉は、東京帝国大学を卒業し、現在の朝日生命保険会社の要職について働きます。しかし、39歳のとき、会社も辞め、妻とも別れ、無一文になって、あちこちの寺を渡り歩き、寺男として住み込みながら、俳句を作るようになります。
 
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
 
 放哉の生涯は、酒によるいろんな問題で、人生の方向が変わったようです。保険会社の中の、いろいろな駆け引きによる混濁した人間関係に耐えきれませんでした。その中で、放哉は飲まずにいられなかったのです。退職の原因も、酒によるものだと言われています。

 清濁併せ呑むことのできない詩人は、ただただ、人と離れて孤独に暮らすことを求めます。
 
一日物云わず蝶の影さす
たった一人になりきって夕空
障子しめきって淋しさをみたす
こんなよい月を一人で見て寝る
淋しいぞ一人五本の指を開いて見る
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
犬よちぎれるほど尾をふってくれる
 
 逃げて、逃げて、すべてを捨てて極限まで逃げながら、やはりいつまでも淋しいのです。人恋しいのです。その素直で正直なつぶやきが、たくさんの句になって残っています。いやなことが続いたりすると、孤独になりたいとか、人間嫌いになることもあります。しかし、本当に一人になったときの淋しさの深淵は、底の見えない暗黒です。凡人は放哉にはなれません。
 
咳をしてもひとり 
入れものが無い両手で受ける
 
 放哉というと、これが代表的な句になります。
サンシティー音楽院 音楽だより♪274 
エスプレシボ  4月号
 
無我の境地 竹内幸一

  桜の開花宣言も出て、春がいよいよ本格的にやってきました。今日は、車に乗ってはじめて暑いと感じました。季節が大きく動いていますね。

 ところで俳句の季語に「春愁(しゅんしゅう)」という言葉があります。春は心が浮き立つ反面、そこはかとない愁いや哀しみがあるというような、淡い思いを表現したい時に使います。

 「春愁や眼鏡は球をふけば澄み (上村占魚)」と言う句があります。なんとなくすっきりしない気持ちが良く出ていますね。

 春に限ったわけではありませんが、生きていくうちにはいつも大小の不安や心配が肩に乗っています。合奏団の出足が悪いけど、どうにかなるのだろうか。**さんはお休みが長いけどどうしたんだろう。最近良く人の名前とか忘れるけど、若年性認知症かも?

 ・・・と、いろいろ浜の真砂は尽きるとも、生きていくうえでの悩みは尽きません。

 そんな日々の中で、「無我」という言葉と出会いました。それは、仏の道を歩む人が何年も厳しい修行をして悟ることだと思います。ですから、簡単になまかじりのことは書けませんが、私なりに、少し気持ちの整理がつきそうですので、今回は、この「無我」を取り上げてみました。

 この「無我」は、釈尊の教えの中でも、特に大切なことだそうです。無我とは簡単に言えば、「我がものは、何も無い」ということのようです。それはどういうことなのでしょうか。ご一緒に考えて見ましょう。

 今、生きていて「自分のもの」と思っているものはたくさんあります。あるとおもっています。仕事、家族、ある程度のお金、子供、妻、友人知人・・・そんなさまざまな、自分のものと思っているものに囲まれて、暮らしています。

 しかし世の中には、リストラで仕事を失っている人もいます。死別したり離婚したりして家族のない人もいます。倒産したり病気をしたりして、貧乏になった人もいます。いろんないざこざで、機嫌を損ねて離れていった友人を持つ人もたくさんいます。

 つまり、我が物と、かっては思っていたことが、そうではなかったんだという事態に、どの人も大なり小なり出会います。最終的には、どの人も老いて行き、死によってすべてを失うのは、人類史の変わることのない冷徹な掟でもあります。

 そう言ってしまえば、実も蓋もありませんが、よく考えてみると、「これは、永遠に我が物だ」と言えるものが果たしてあるでしょうか。

 仕事、家族、趣味・・・そういった、私自身を私らしくしているレッテルをすべて剥ぎ取られたとき、私という人間とはなんだろうと思ってしまいます。裸になることは、今ありえないと思っているので、身にしみて怖くはありません。しかし、そこを考えるところから本当の自分探しの旅が始まるのでしょう。

 万一、レッテルを1枚剥ぎ、2枚剥ぎすることが続けば、自分がどこまで生を保てるのか、不安になります。今持っているものが、自分のものだという思い込みが強ければ強いほど、ショックは大きいことでしょう。失いたくないという執着が、自分を滅ぼすことになりかねません。

 合奏団の集まりが悪い。合奏の行事が出来なくなるかもしれない。→そこには、これまで続いてきた、合奏団の歴史と実績への執着があります。我が物と思い込む、人とのつながりがあります。いつまでも同じように続いていくという、思い込みがあるのです。

**さんは連絡も途絶えて休んでいるけど、もうやめるのだろうか。何か気に入らないことでもあったのだろうか。→いつか終わりがあるとは思いながらも、やはり終わりを認めたくないという執着があります。この人に限ってという、勝手な思い込みがあります。

 痴呆症とかアルツハイマーとか、自分の体に不安の気配を感じると心配になります。息切れがすれば、心臓病を疑います。痛みがあれば、癌ではないかと心配します。→ごくごく明白な、人は年を取るということさえ、私たちは認めていないことがあります。もうこういう年齢になってしまった。どうしよう・・・白髪が増えた、肌が荒れてきた・・・と、若い過去にいつまでも執着しているのです。

 執着していると苦しくなります。不安が募ります。しかし、ひらくちで言えば、「生まれたときは、みな裸じゃないか」が「無我」の原点だと私は思います。
年を重ねるにつれて、いろんなものが自分の周りに増えて行きます。しかし、それは、神様、仏様が、貸し与え、恵んでくれているものだと思うのです。それは、すべて時が来ればお返ししなければならないものです。

 仕事を恵まれれば喜んで、それに精出せばいい。家族が増えれば、仲良く助け合えばいい。

 何もなかった自分に、いろんなプラスはいくらあってもいいことです。しかし、そのどれも、「我が物ではない」という「無我の境地」に少しでも近づければ、これからのいろんな試練に少し、抵抗力がつくのではないでしょうか。

 いつまでも変化を認めず、今までどおりの暮らしに執着し、それが叶えられないとき、自分の命を絶ったりするようなケースもあります。これまで長い間、自分のものと思ってきた事柄を失うことは、精神的に大変な負担です。私たち中高年は、これからいろいろお返ししないといけない辛いことに出会います。それは、絶対に避けることは出来ません。しかしそのとき、ただ、奪われていくと嘆くよりは、お返しする時期が来たと思える自然体ほうが、精神的に健康的ではないかと思うのです。

 手放すのが惜しければ惜しいことほど、ふっと「無我」のことを思い出していただければ幸いです。なかなかそんな境地にはなれませんが、なろうとすることは出来ます。今回は「無我」のお奨めでした。
 
<行事予定>
 
 ■第49回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
4月9日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
  4月12日・26日 水曜日午後2時から。
■第179回 さわやかコンサート
4月28日(金)鶴見病院 6時40分〜
■第11回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
  4月19日(水)午前10時半〜
■オペラ鑑賞 ワーグナー楽劇「ヴァルキューレ」@
  4月5日(水)午後1時半〜 <500円>
■ミュージカル鑑賞会 「ファニー・ガール」
  4月16日(日)夜7時半〜<500円>
■第23回 春の音楽祭 4月29日 サザンクロス
  プログラム完成は4月15日の予定です。集合時間や出演順、写真撮影時間などは、プログラムをご覧いただければわかるようにしておりますので、よく見ておいてください。 ●発表会の会費は、ほとんどの方よりいただいていますが、まだの方は担当の講師までお願いします。
  
●ルベックスペシャルのお知らせ
4月1・8・15・22の4回練習です。 夜7時西部
 ★4月29日の練習はお休みです。
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
祭日お休み 4月29日(土曜日)
5週目のお休み 29(土)〜30(日)
◎春の音楽祭のあとは1週間のお休みです。
4月30日(日)〜5月6日(土)

リレー随筆 134 
はじめてであったピアノ
ピアノ科 阿部結花(小2・8さい)
 
 ピアノをはじめたきっかけは、ピアノをうまくなりたかったからです。
 ピアノをしていてたのしいことは、先生から、あんぷをしてと言われてできたことです。
 ピアノをしていてじょうずになり、おうちで、おたんじょう日の人とかにひいてあげたいとおもいます。
 
  ドイツ徒然草<3> 竹内宏子  
 
 春。花粉症がなければ(笑)、本当にいい季節です。さて、今回は〜ドイツ語編〜

 外国で一番壁になるのが、「言葉」。ドイツ語は、ウムラウト(あいまい音)の発音や、名詞の男性・女性・中性名詞の格変化など、もぉ〜難しい!!それに、ナチスの映画の印象か、ドイツ語はフランス語などに比べて、ゴツゴツしたイメージがあります。実際、生のドイツ語を聞くと、男女問わず、なかなか力強い印象を受けました。

 ドイツの人は、英語でも、特に抵抗なく話してくれます。それも皆さんかなり達者で、達者すぎて、早くて分からない時も多々あります。だから、英語が話せれば、ドイツでは最低限の生活には困らないかもしれません。が!私の場合、英語もほとんど話せないので、英語が通じるからといって、特にメリットにはなりません。ただ、少し込み入った話 (日本語にすると込み入ってないけど・・・) の時は、ドイツ語でも英語でも、とにかく知っている単語をぐちゃぐちゃに混ぜて使いました(たまに日本語も混ざってたり・・・それが通じてるし・・・)。

 ドイツで英語が通じると言っても、実際は、交通機関や、郵便局などの公的機関、又は大きなデパート等、英語を使えるところかな・・・と思います。例えば、私のお気に入りのお店たち;焼きたてを出すパン屋や、店独自の味を代々守っているチョコレート店、水が安い近くのスーパー・・・これらの店では、みんな英語を話せるのですが、英語を使っていませんでした。

 小さなお店では、私が初めて買い物に行った時から、ドイツ語で話しかけられます。それは、私に対するノックのようなものだったと思います。「もしもし、この場所に交わってくれますか?」と。それに対し、こちらがドアを開けば、次第に相手からも受け入れてもらえるように思います。

 初めはそのことに気が付かずに、ある店では、ドイツ語で話しかけられたのに、私は英語で答えていました。イヤな顔はされませんが、次に行っても、あなたは外国人だ、という距離があります。でも、パン屋さんで、毎朝ドイツ語で挨拶や簡単な会話をしてパンを買っていると、始めは「外国人だ、厄介だな・・・」と距離がありましたが、次第に「お、また来たね!」と、そこに住んでいる人と同じように応対してくれるようになりました。表面的には表さないけど、やっぱりドイツの人は、ドイツ語を大切にしているんだな・・・と思いました。

 日本人でドイツに留学しているピアノ科の方と言葉について話す機会があって、その方からも、どんなに話せなくても、とにかく、どこでも「ダンケ(ありがとう)」は言う。それと、お店では「美味しかったよ!」と一言お礼を言って、帰る・・・これは大切!と教えてもらいました。

 もちろん、ドイツ語を話すようにすると、人とすっかり仲良くなるわけでも、ドイツの友達がたくさん出来るわけでもありません。まして私のドイツ語は、コミュニケーションをするには、余りにも語彙が少な過ぎました。もっと話せたら、と何度も悔しい思いを・・・(涙)。それに、表面化されていませんが、ドイツではアジア・トルコなどの人種に対する偏見や差別は根強く、20年以上ドイツに住んでいらっしゃる私の先生でも、進めば進むほど超えられないものがあるそうです。

 そうだとしても、他の土地に行った時、自分とは異なるもの、言葉だけに限らず習慣、文化など、受け入れてみようとすることが大事と、改めて思いました。それが、そこに住んでいる人を大切にすることと同じだと、知りました。これは、外国に限らず、国内の他の都市でも、他の会社でも、他の家庭でも、きっと同じで、私のいる所で大切にしているものがあるように、それぞれ異なるけど、他の人が大切にしているものがあるんだな・・・と思いました。

CDレコーディング実況!B 竹内竜次
 
 最近「らくだの涙」というドキュメンタリー映画を見ました。難産で傷ついた母親らくだが、子育てを放棄するのですが、馬頭琴の響きと素朴で美しい歌声によって癒され、子らくだへの愛情を取り戻すと言う神秘的な話です。音楽の持つ根源的な力にため息が出ました。

 らくだの親子を見守る家族たちの生活は、貧しく、環境は非衛生的で、自然の脅威にもさらされます。しかし彼らは(らくだを含めて)たくましく、おおらかで何より程よく力が抜けています。(らくだの顔を見てるとほんとに力が抜けますよ。油断してるとこっちまでよだれがたれそうになったりして…ほんとに。)

 さて今回のお題はどのくらい時間をかけて収録するの?です。

 レコーディングは今年の1月11,12,13日の三日間にわたって行われました。この間は、ホールを借り切って頂いているので、朝10時から夜10時までセッティング以外の時間は、全て録音に当てることが出来ます。もちろん12時間ぶっとおしで弾き続けることは出来ないので、途中食事や休憩をしつつ。今回の場合は1日目で収録予定の約半分のプログラムをとることが出来たので、2,3日目は、わりと余裕を持って望むことが出来ました。

 それでも1日で5時間は弾いているので、CD1枚(1時間)のプログラムのために、その15倍の時間は弾いている事になります。(なぜそんなにたくさんの時間弾いてるかは、また別の機会に)もちろんホールには僕一人。架空の聴衆を想定して集中力と緊張感を高めていくのは思ったよりも難しいものでした。

 やはり訴えかける人があっての音楽なのですね。誰も居ない「しん」としたホールでその感触を自分一人で楽しむのも悪くはないのですが、だんだん時間がたつにつれ、嫌いなにんじんを食べられず、一人残されて、給食を食べさせられている子供のような気がしたりして・・・・(笑)

 次号はプロデューサーとエンジニアはレコーディングの間何してるの?です。

俳句のときめき その4 竹内幸一
 
 高浜 虚子(たかはまきょし)は、明治7年に生まれ、昭和34年に86歳で、俳句界の巨人として大往生を遂げました。本名は高浜清(たかはま きよし)ですが、尊敬する偉人正岡子規のすすめで、虚子と名づけました。

 文化勲章を拝受したとき、まず一番に子規の墓に詣でています。 参りたる墓は黙して語らざる/我のみの菊日和とは夢思はじ という2句を残し、子規を生涯畏敬してきた気持ちを表しています。

 子規が友人とともに創刊した俳句雑誌、「ホトトギス」の発行を虚子は引き継ぎます。虚子の俳句作品と俳句観は多くの俳人の支持を受け、ホトトギスは膨大な数の投稿者を抱える大雑誌へと成長します。そこから歴史に残る俳人がたくさん生まれています。現在活躍している俳人のほとんどは、この流れに沿っていると言ってもいいほどです。虚子→高野素十→倉田紘文→そしておこがましいのですが私もこの後に一応続いています。

 虚子は俳句において季語が発揮する強力な象徴機能を重視し、無季の俳句を徹底して排除しました。花鳥諷詠の中に、俳句の真の伝統を創作し続けました。伝統俳句を壊そうとする、河東碧梧桐との論争は有名です。 たとふれば独楽のはじける如くなり という句を、碧梧桐の死に際し弔句として贈っています。お互いが全力で回転し、はじきあったのでしょう。

 虚子の俳句は、分かりやすいものがたくさんあります。その景を思い浮かべてみてください。
 
 蛇逃げて我を見し眼の草に残る
 白牡丹といふといへども紅ほのか
 早苗とる水うらうらと笠のうち
 夕影は流るる藻にも濃かりけり
 春の浜大いなる輪が画いてある
 顔抱いて犬が寝てをり菊の宿
 川を見るバナナの皮は手より落ち
 もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
 岩の上の大夏木の根八方に
 手にうけて開け見て落花なかりけり
 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ

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