サンシティー音楽院 音楽だより♪267
エスプレシボ
9月号2005年 9月1日発行・
情けは人のためならず
竹内幸一
暑かった夏が、ようやく終わりそうです。でも、人の心は身勝手なもので、秋の気配が漂ってくると、過ぎて行く時間の速さに、言い知れぬ寂しさを感じたりもします。
さて今月は、偶然ラジオで耳にした、ひとつの格言「情けは人のためならず」について書いてみたいと思います。時代が移り、この格言の解釈には、二通りあり、現に両方が併記されている辞書もあるということです。
【旧解釈】人に情けをかけておくと,巡り巡って結局は自分のためになる。
【新解釈】人に情けをかけて助けてやることは,その人を甘やかすので、その人のためにならない
。
この二つのうち、どちらが正しいか…という問題ではないのです。その両方が、生きていて現在は混在していると言うことです。おそらく、私たち団塊世代以上の年配の方は、たぶん旧解釈がほとんどのことでしょう。しかし、若い方の中には、新解釈が浸透しているようです。
ではその両方の解釈について、私の個人的な思いを書いてみましょう。旧解釈の「巡り巡って」と言う箇所が私は好きです。
周りに住む人たちが何か困っているときに、少しでもお手伝いのできることがあれば、手を差し伸べたいと思います。
ただ、その行為に対しては、具体的にすぐ見返りがあるとはいえません。たぶん、ないかもしれません。しかし、思いやりや、小さな善意を発信することで、それが、それを受けた人から次の人に、また同じような波が発信されることがありうるとは思います。それが幾人も、幾人も続いて、「巡り巡って」自分のところに、帰ってくると言う、気の長いサイクルが、私は好きなのです。
帰ってくるかどうかわからない、遠い未来を信じることは、周りの「人」を信じることでもあり、ひいては自分を信じることにもなります。
皆さん、想像してください。あちらでも、こちらでも、善意の見返りを求めない思いが発信され、それが人々の間を巡り巡っている情景を・・・。それは夢物語といえるのかもしれませんが、人は本来、そうやって共存できるのではないかと思います。
さて新解釈です。私はこれを読んで、実は、自分の中にも、3割か、4割?ぐらいはこういう気分があるなと思い知らされました。
この「人を甘やかすのは、その人のためにならない」と言う意見は、周りの人を思う、やさしさや、思いやりからだけで出てきているのでしょうか。もちろん、それが、その人のためになるケースもあることでしょう。
しかし、自分の中にある思いからでもわかるのですが、結局は、そこに、「何もしないで済まそう」という口実が隠されている気がします。わずらわしいことにはかかわらない、面倒なことには首を突っ込まないという、デジタル的な思考が感じられるのです。もっと極端なことを言えば、そこには、冷酷とさえ言える、無関心が潜んでいます。
何もしないと言うことで、人と人との関係の何かが、プツンぷつんと切れて行く気がします。いつのころからか、かかわることがわずらわしいと言う気分が、増幅されてきました。
関係を次々と絶ちながら、その一方で、寂しさや孤立感から、また人を強烈に求めています。1・0・1・0・・・と、きちんと答えの出る即物的な暮らしの思考が蔓延しています。それはうがった見方かもしれませんが、パソコンをはじめとする、コンピュータ製品の増加と比例している気がしてなりません。
今は、スイッチを入れれば、いつかご飯が出来ています。しかし、もう戻れませんが、かまどでマッチを擦り、小枝を燃やし、割れ木を燃やし、ぶくぶく吹いてくるお釜を見つめると言う時代も有りました。その落差は、私たちの中の、豊かであったはずの心のひだのようなものを、そぎ落としたのではないかと思います。複雑な色合いが、ボタンひとつの一色でしか存在しなくなったのです。
パソコンの世界には、「巡り巡って」というような、あいまいに有るかないかわらないファジーは存在できないのです。たぶんないだろうけど、ひょっとしたらあるかもという楽しみを信じて、とか言うような不明確な回答は、パソコンでは導き出せないのです。
今こうしてパソコンに向かいながら、自分の中のデジタルな乾いた冷たさを見つめています。格言の、二つの解釈を読みながら、自分の中の心の変遷にも気づかされました。
だからこそ、またあらためて、「情けは人のためならず」の旧解釈を噛み締めたいと思います。
幸い、周りには、いろんなやさしさを贈ってくれる方に恵まれています。出来るだけそれを、次の方に回せるような毎日を送れたらと念願しています。
残暑が厳しいですが、皆様お元気で。
<行事予定>
■第42回エチュード・ファミリー・クラブ例会
9月11日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■中部公民館高齢者現代セミナー 9月12日(月)
■ほのぼの歌声サークル
9月14日・28日 水曜日午後2時から。
■第4回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
9月21日(水)午前10時半〜
■オペラ鑑賞 歌劇「バラの騎士」(その1)
9月19日(月祭)午後1時半〜 <500円>
■第172回 さわやかコンサート
9月30日(金)鶴見病院 6時40分〜
■ミュージカル鑑賞会X 「巴里のアメリカ人」(114分)
9月25日(日)夜7時半〜 <500円>
■白石まさこ ソプラノコンサート
9月18日(日)午後2時開演 冨士屋
1,000円(コーヒーつき)前売り券発売中
■竹内幸一ギターコンサート (2日間)
前売り1,500円(ケーキ・コーヒー付き) 50名限り
10月2日(日)&3日(月) 午後 4 時 開演
サンヨーコーヒー・カフェプラザ 特設会場
★皆様の応援で、この日までの苦労が報われます。
気合を入れて練習しますので、どうぞ応援してください。<前売り券発売中です>
■ハッピーコンサート 10月30日(日)午後2時
■第27回 魅惑のギターステージ 11月23日午後2時開演・ビーコンプラザ中会議室 前売り800円
●ルベックスペシャル告知板
9月練習3・10・17・24の4回です。
10月23日(日)午前10時〜5時 ミニ合宿
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
<祭日お休み> 9月23日(金)
*9月19日(月)はレッスンがあります。
<5週目のお休み>
9月29日(木)〜30日(金)
リレー随筆 126
私のギター手習い事始
田島信子(ギター科)
事の始まりはこうです。光の園にギター教室ができ、子ども達が竹内先生のレッスンを受けることになりました。そのギター教室の世話係りとして私も一緒に練習に加わることになったのです。
むか〜し、昔、今からうん十年も前のことです。我が友人が、何の前触れもなく突然にこう切り出したことがあります。夢見る夢子の面持ちで私、ギターを習うことにしたの!貴女も一緒に習わない?℃рフ返事といえば、にべもないものえ〜、習わないよ。だって手が小さい、それに弦を抑えるのって痛そうやし=E・・
そんな事があってから幾年月、思いもかけなかった私の○歳の手習いが始まりました。弘法ならぬ身ゆえ、やると決めたからには道具が大事、手に合ったマイギターも手に入れ、しばらくはマイブームが続きました。
何しろ休日ともなれば楽器店で楽譜をめくり、これはと思えば購入、弾けもしないのに楽譜を眺め、いつの日かを夢見てワクワクと胸躍らせていました。CDもソル、カルリ、コストやポンセ等の作品集を求め、夜毎それをバックミュージックに眠りにつくのが日課になっていたのです。
とにかく、クラシックギターは未知の世界(私の学生時代はギターといえば、ベンチャーズ、エレキの全盛期でした)自分が取組み始めたクラシックギターのことに関して何でも貪欲に吸収したかったのだと思います。
ギターの持ち方から始まり、i m i mと練習を重ねちょうちょう≠メロディとアルペジオに分かれ二重奏出来た時の嬉しさといったら!
しかしです。それからが問題、知るほどに難しいのですね。遅々として進まず、職場の異動も重なってしばらく練習から遠ざかった時期もありました。マイブームとはいえませんが、その後、子ども達との練習を再開し今に到っています。
初めてギターを手にした日から、練習はいつも子ども達と一緒でした。園での催しや連盟の発表の場では大人は上がりっぱなし、気が付けば楽譜が逆さまなんて事もありましたが、子ども達は本番に強い。そのエネルギーと思いっきりのいい演奏で技術不足をカバーしてくれます。
遠い昔、友に誘われ習わない≠ニきっぱりと断った私。そんな私が子ども達と居たからこそあったギターとの出会い。その縁を大切に子ども達とはこれからも欲張らずにステップbyステップ≠モットーに練習していきたい、そしていつの日か、私もどこかのグループに加えていただき、合奏のパートを担えたらなと願っているのですがどうでしょうか?
四陸七海レポートE ギター科 村上昭子
〜アルゼンチン編〜
人口の97%がヨーロッパ系の人たちで占められているブエノスアイレスは、ヨーロッパ風の街並みが続き、「南米のパリ」と言われています。ただ、『きれいな街』という印象ではなく、2000年12月の経済危機に伴って起こった「暴動」以来、町中では今でも政府に生活改善を求める小さなデモ行進が起こっていました。
今回、私はツアーを選ばず自由行動をすることにしました。バス・地下鉄・タクシー、ありとあらゆる交通手段を使って、コロン劇場・エビータのお墓・タンゴショーと観光しましたが、英語がほとんど通じず・・・大変でした。
スペイン語が公用語なのでビールがセルベッサ!!肉がカルベイ アベス!!全く聞き覚えのない言葉ばかりで、ご飯を頼むだけでも一苦労。買い物は、フロリダ通りで革製品が安く手に入ることもありバックやブーツなどがあり、2日間ショピングだけしていた子もいるほどでした。買いたい物はたくさんありましたが、観光分のお金しか持ち合わせてなく悔しいおもいをしました。ツアーではない楽しさや発見がたくさんあり度胸も付き、いい経験ができました。
3日間の航海を経て、南米大陸の先端のウシュアイアに寄港しました。青い海・空・氷河・アンデス山系の山々・かわいらしい家々・・・おとぎの国みたいな町に治安の良さもあり、自由行動に味を占めた私は得意のジェスチャーでタクシーに乗り、市内から約20キロ行った所にある広大な国立公園に行きました。
「世界の果て」号と言うおもちゃのような蒸気機関車が走っていて、乗りたかったのですが私たちの船のツアー客で貸し切りになっていて、残念なことに乗れませんでしたが、山々をず〜と見ているだけで時間があっと言う間に経ち、いつまでも居たい気持ちになりました。
町の観光もしたかったので慌てて戻ってみると小さな町ですが、南極クルーズの出発の町と言うこともあり観光地されていて、ほとんどのお土産に「地球の果て」と書いてあり面白かったです。
日照時間が長いので、いつまでもお昼の明るさなので不思議な感じで夕飯を食べ、ゆっくり買い物をしていました。
汽船リミットの21時に間に合わない人が100人以上も出てしまいクルースデレクターに注意されると言う結果になりましたが、なんとか出港時間には間に合いました。
出港した22時でも明るく名残惜しい気持ちで船からウシュアイアを見ながら、また来ようと心に誓ってアルゼンチンを後にしました。
3年間のピアノレッスンが、子供の学力、学業成績、自信形成に及ぼす影響
bT
(訳:井野和子)
音楽レッスンが自信形成に本当に貢献するのか否かに関する実験データが相反するにもかかわらず、音楽活動をする人々は、音楽をすることで自信が湧くと答えている(デューケ他、1997年)。
音楽レッスンの効用への信奉に関する研究では、デューク、フラワー、ヴォルフェ(1997年)が、米国のさまざまな地域でピアノを習う多数の子供たち、その両親、ピアノ教師にアンケートを実施した。
このアンケートの結果、米国でピアノを習っているのは大半が白人(80%)の女の子(70%)で、郊外の家に住みピアノを家に所有していた(96%)。彼らは両親とともに住み(84%)、(p.142)両親は高等教育を受け(両親の80%が少なくともひとつの学位を取得している)、中程度から高額の収入を稼いでいた(83%が4万ドル以上、2万5,000ドル以下は4%)。
これらの子供たちや両親、彼らのピアノ教師は、ピアノレッスンが、たとえば、自己主張をはっきりし、自分に自信を持ち、幸福に感じるといった多くの面で、子供たちの生活を向上させていると信じていた。ここで問題となるのは、これらの報告された効果を実際にもたらしているのが、ピアノレッスンなのか、彼らの恵まれた環境からくる他の要因によるものなのかである。
本研究の目的は、より特権色の薄い層の子供たちについての3年間の観察を通じて、ピアノレッスンの子供たちの発達に対する影響を調査することであった。調査対象の子供たちはピアノを持っておらず、正式に音楽のレッスンを受けた経験もなかった。調査対象の約半数の子供たちにピアノレッスンを3年間受けさせ、調査対象の子供たちは全員、定期的に一連のテストを受け、アンケートに答えた。以下に、学力、学校での成績、自信に関する結果を示す。
<調査方法>
サンプル まず、このプロジェクトを説明した手紙を、カナダ、モントリオール州の最大規模の教育委員会に属する、英語で授業を行っている20の学校に通学する4年生の児童(9歳)の保護者(698名)に送付した。289名がこのプロジェクトに関心を示した。手紙に返答しなかった保護者のうち、43名は電話で、74名は郵便で連絡をとり、回答者の人口学的特徴に差異がないことを確認した。 (つづく)
サンシティー音楽院 音楽だより♪269
大塩平八郎 竹内幸一
雨が降るたびに、少しずつ寒くなっていきますね。皆さん、もう衣更えはお済でしょうか。今頃は、上に何かはおると少し暑いし、かといって着ないと寒いようでもあり、迷いますね。
さて今月は、最近読んだ本を取り上げて見ましょう。「大塩平八郎(安達勝彦著・耕文社)」という本です。大塩というと「大塩平八郎の乱」という日本史の記憶がどなたも、思い浮かぶことと思います。しかし、おぼろげなイメージはあっても、詳しくご存知の方は少ないことでしょう。私も、この本を読んではじめて、彼の人となりや時代背景が分かりました。
この本を読んで、一番驚いたのは、その内容の半分以上が、乱を起こした後のことだったことです。一見華やかな乱の様子よりも、その後の苦悩を主題にしている所が、私に大きな感銘を与えました。
大塩平八郎は、与力の家に生まれました。幼いころから役人を志し1818年、大阪東町奉行所の与力になりました。この与力のころより、その正義感と潔癖性から、賄賂などで汚濁の激しい為政者等を白日にさらし、庶民の喝采を浴びました。
与力をやめたあと、朱子学や、陽明学を学び、のちに「洗心洞」とよばれる塾を開きました。そこに平八郎を慕う若者がたくさん集まりました。
平八郎は、飢饉で飢え死にする者が何人も出るような現実から目をそらすことが出来ませんでした。その対策を奉行所に訴えますが断られました。時の奉行は全くの無策でした。
そこで、自分の持っている本を売り払い、それで得たお金を、人々に分け与えました。しかし、それだけでは人々を救えませんでした。そこで門弟たちと、どのような道が残されているのか長い間議論を重ねました。
その結果1837年、平八郎は米を買い占めていた大商人をおそう計画を立てました。これが「大塩平八郎の乱」です。その結果、大阪の5分の1が焼けてしまいましたが、人々は、平八郎を「大塩様」とよんで尊敬したといわれています。
そこまでは貧しい人のための、シンボルともなるスターでした。しかし、その全国波及を恐れる時の幕府は、大塩平八郎一派を極悪非道罪人としてとして、殲滅を図ります。見つけ出したものには報奨金、かくまったものは市中引き回しの上斬首という、これ異常ない厳しさで、大塩たちを追い詰めました。
そうしているうちに、次第に仲間が捕まり、切腹、死刑、牢死などで命を落としていきました。
平八郎も、息子と二人で僧に身をやつし逃げ惑います。最後は、ある支援者の離れ座敷に身を隠すのです。その家の主人の「大塩様を守りたい」という義侠心、そして、その妻や娘の、家庭のすべてを破壊してしまう災厄忌避の願いの、相反する葛藤が、克明に描かれています。
その頃でも「大塩様」とその崇高な姿勢を評価する人ももちろんいたのですが、たいがいは、潮目が変わったとでも言うのでしょうか、人々の心は、お上の付け狙う謀反人として、手のひらを返したように、冷たくなるのです。
これを読んでいて、先の選挙のころの郵政民営化のことが思い出されました。「田舎に一人で住むようなばあちゃんに、今までと同じように、葉書きが届いて欲しい」そんな、過疎の田舎の声を大事にした面があればこそ、民営化反対を唱える議員もいたのだろうと思います。選挙前、参院で法案を否決したころ、その方々の意思は輝いていました。
しかし、戦い済んで、どうなったでしょうか。大塩と同じように、まるで謀反の残党狩りをするような中で、寒々と生きざるを得なくなっています。恐ろしい現実です。
贅沢三昧をして暮らす豪商たちは、旱魃や飢饉でさえ金儲けの材料でした。そして、その潤沢な賄賂を使って、為政者や法の番人をまるめこみ、米の値段など高値に吊り上げて、自分たちの儲けのためには、どうでもなるように自由にしていたのです。道端には、飢饉で餓死する人が、珍しくもない現状があり、そのうえに汚れきった超富裕層がいました。
平八郎は、何度も何度も、奉行に掛け合い、豪商たちに義捐金を求めます。また幕府に建議書を出します。それがかなえられないとき、自分の蔵書をすべて売って、その金を貧民に配ります。
それだけで、立派過ぎるほどの人であることは間違いありません。普通は、そこで止まるところです。止まったところで何の傷にもなりません。
しかし、平八郎はより尖鋭的に、前へ進みます。豪商の金蔵などを打ち壊し、奪った財宝や米をついてきた沢山の貧民に配ります。また、庶民のために何もしない奉行所などを焼きはらいます。
それが良かったかどうか・・・平八郎自身にとってはもちろん、それに従った門弟たちにかかわる一族郎党の罪人としての過酷な現実を思うとき、その乱の功罪に考え込みます。
長いものには巻かれろ・・・寄らば大樹の陰・・・やりきれない閉塞感がどれだけ長く続く中でも、庶民はいつも、黙っています。平八郎にはなれません。
<行事予定>
■第44回エチュード・ファミリー・クラブ例会
11月13日(日曜夜7時)サンシティー音楽院
■ほのぼの歌声サークル
11月9日・30日 水曜日午後2時から。
■第6回 ハーモニアス歌声サークル「野ばら」
11月16日(水)午前10時半〜
■オペラ鑑賞 歌劇「シモン・ボッカネグラ」(137分)
11月29日(日)午後1時半〜
<500円>
■第27回 魅惑のギターステージ
11月23日(水・祭日)午後2時開演・ビーコン
プラザ中会議室 前売り800円発売中です。
ギターをする人の総力を挙げた年に一度のコンサートです。皆様の熱い応援をお願いします。
■第174回 さわやかコンサート
11月25日(金)鶴見病院 6時40分〜
■ミュージカル鑑賞会 「オクラホマ」(114分)
11月27日(日)夜7時半〜 <500円>
■ルベックひまわり なごやかコンサート 無料
12月4日(日)午後2時開演 西部公民館
■クリスマストリオコンサート
12月18日午後2時開演 冨士屋ギャラリー
出演 石井暁子・竹内竜次・竹内宏子
■きらきらコンサート 12月23日(午後2時〜)
トキハ別府店8階・入場無料
●ルベックスペシャル告知板
11月練習5・12の土曜日通常練習+11月14日(月)夜7時から(変則ですのでご注意を!)
*19日夜の土曜日通常練習はお休みです。
11月20日(日)朝10時 西部公民館文化祭
11月23日(水・祭日)第27回魅惑のギター
サンシティー音楽院レッスンお休みのお知らせ
<祭日お休み> 11月3日&23日
<5週目のお休み>
11月29日(火)〜30日(水)
リレー随筆 128
ピアノをならって ひらの みずき
(ピアノ科・小学校1年)
わたしが、どうしてピアノをならうようになったかというと・・おんがくがすきだからかな〜。
ピアノをならってたのしかったことは、ワークブックをすることです。
ピアノをならってつらいことは、しゅくだいがでることです。
はっぴょうかいにでたときは・・はずかしかったです。
すきなきょくは、なんでもすきです。
これからのゆめは、ピアニストになることです。
四陸七海レポートG ギター科 村上昭子
〜チリ編〜
パタゴニアフィヨルド遊覧を含む6日間のクルーズを終え、バルパライソへ入港しました。町の名前は「天国のような谷」という意味で、港を囲むように広がる丘の斜面にカラフルな屋根の小さな家が立ち並ぶ景色は、名前の通り美しい小さな町です。町の大きさや斜面の感じが別府にとても似ていて、日本の反対側なのに親しみが湧きました。
私は、2日間の自由行動で首都サンチアゴまでバスで移動しました。4人で出発しましたが・・・地下鉄に乗る途中でドアが閉まってしまった為はぐれてしまい、2人での行動になりました。幸い地図とガイドブックは私たちが持っていたので、それを頼りに観光して、なんとかホテルもチェック・インできました。
2ヶ月振りの揺れていない場所での宿泊は、新鮮で楽しかったです。はぐれた2人と再会できたのは船内に戻った翌日の夜。日本では携帯が普及しているので当たり前に連絡が付くけれど、久しぶりに不安と心細さを感じました。その分再会の喜びは大きく、空白の2日間の話で、朝までチリのワインを飲みながら盛り上がりました。
1週間のクルーズを経て、今回のクルーズの寄港地で1番人気のイースター島に入港となりました。しかし港が小さい為、着岸はせずに通船(テンダーボート)で6人づつ入港となりました。
南太平洋にぽっかり浮かぶ「絶海の孤島」イースター島は、市場も1つ・学校も1つの小さな島です。今回のような多くの観光客は珍しく、交通機関は全くないため自由行動は諦め「島の子供たちとモアイ見学」に参加しました。
代表的なアフトガリキ(15体のモアイ像が並ぶ)や、モアイ製造工場だったと言われるラノララク火山(作りかけと思われるモアイが、なんと390体)へ行きました。風の音しか聞こえない孤島でモアイ像と海を眺めながら、ゆっくりとした時間を過ごしました。
天候によって入港できない可能性があるので、予備日がありましたが、初日から天気に恵まれた為、2日目は船内での待機になりました。船からイースター島を見られるゆっくりとした時間があり、イースター島に沈む夕日を見ながら、もう2度と来ることはないんだろうな〜と思い、そして旅の終わりも近づく寂しさもあり不思議な気持ちになりました。この気持ちも神秘的なモアイ像を見たからかもしれません。(つづく)
3年間のピアノレッスンが、子供の学力、学業成績、自信形成に及ぼす影響
bU(訳:井野和子)
本調査に参加した117名の子供たち(女子58名、男子59名)は、それまでに正式に音楽のレッスンを受けたことがなく、家にピアノを保有せず、家庭の年収は4万カナダドル以下(調査時点で3万米ドル)であった。調査対象の子供たちの約25%の保護者が失業中で、30%が片親と暮らしていた。子供たちは、無作為に、実験グループ(67名)と管理グループ(50名)に分類した。倫理上の問題および現実的問題から、3校では管理グループを設けず、4校では実験グループを設けなかった。8校では、管理グループと実験グループ両方を設けた。
ある1校の子供たちの半数(10名)が、本プロジェクトの最初の2年間でピアノレッスンを止めた。この学校は、サンプルの無作為性に疑問があったため、分析対象からは除外した。実験が行われた3年間の間にピアノレッスンを止めたが、必要なテストは全て受けた子供たちのデータは、実験グループとして、および、分離した「ドロップアウト」グループとしての、2つの方法で分析した。あるテストの複数回の実施の1回を受けなかった子供は、分析から除外した。合計81名の子供たち(管理グループ35名、実験グループ46名)が全ての言語のサブテストを受け、(p.143)80名(管理グループ35名、実験グループ45名)が全ての数学のサブテストと、自信に関する判定試験を受けた。
<処置>
実験グループの子供はそれぞれ、無料で、3年間ピアノレッスンを受け、アコースティック・ピアノを与えられた。9名の教師(女性6名、男性3名)が、子供たちに毎週ピアノの個人レッスンをした。ピアノのレッスンは、3年間の間、調査参加校で行われた。レッスンは、最初の2年間は1回30分間、3年目は45分行われた。教師は、基本テクニックの上達を目標に、単純な良く知られたメロディーからクラシックのソナチネまでのレパートリーを基本に、伝統的なカリキュラムに従い、レッスンを行った。
<テスト>
管理グループと実験グループの間の、学力、自信、音楽的能力、運動能力、認知能力の差を明確にするため、全ての子供たちは、実験開始の前に、一連のテストを受けた。テストは、カナダ学力試験2(CAT2)のレベル14の言語と数学のサブテスト、クーパースミス自信形成要因試験、音楽能力特定のための音感・リズムサブテスト、ブルーニンクス-オゼレツスキー運動能力試験の運動能力サブテスト、発達認知能力試験(DCAT)のレベルEであった。t検定(訳注:二群の平均値の差の評価)の結果、調査の開始時点において、実験グループと管理グループのテストの点数に差はみられなかった。ピアノレッスンの2年目と3年目の終りに、子供たちは、CATの言語と数学のサブテスト(レベル15、16)を受けた。1、2、3年目の終りには、自信に関するテストと、DACTの適正レベルのテストを受けた。テストは、全ての学校で、同じ順番で、実験グループと管理グループの子供たちを混ぜて実施した。テストは午前中に行われ、各テストの間には適正な休憩時間を設けた。
子供たちは、CAT2の「言語メカニズム」と「言語表現」から成る言語テストと、「計算」および「数学概念とその応用」から成る数学テストの4つのサブテストを受け、その総合点を出した。また、クーパースミス自信形成要因試験により、“一般”“社会”“家庭”“学校”“総合”“うそ”の6項目の点数を出した。
子供たちの両親からは、3年(調査開始の前年度)から6年までの子供の学校の成績表を入手する同意を得た。学校の成績表は、教師が生徒の進歩を判断して評価するので、学業の主観的判定であり、生徒の学力を客観的に判定したものではないが、両親や教師、そして生徒にとって最も重要なものである。子供たちの、音楽、数学、英語、フランス語の4教科の評点を調査した。
<結果> 自信形成
反復測定(年度:実験前、ピアノレッスンの1年後、2年後、3年後)による分散分析(ANOVA)により、管理グループと実験グループの自信形成に関する点数の合計を比較した。グループと年度の相互作用は、標準有意レベル(F[3,234]=
2.48, p <
0.08)に近似しており、この関係をさらに検証した。単純効果分析では、実験グループの点数は、調査期間の3年の間に有意に上昇した(F[3,234]= 11.16,
p <
0.01)が、管理グループの点数は上昇しなかった。2グループの間の差は、4年間の間には確定しなかった。(つづく)
エスプレシボ 12月号
270号
リレー随筆 129
ピアノ たなか たいき
(ピアノ科・5さい)
ぼくは、「とけい」をたいせつにしています。
ぼくは、ぴあのをはじめたとき、たのしかったです。
ぼくのゆめは、ぎたーのせんしゅになることです。
四陸七海レポートH ギター科 村上昭子
〜年末年始・タヒチ編〜
2004年最後の寄港地イースター島を出港してからの船内は、年末年始のイベントの準備で賑わっていました。私もお正月の「新春お茶会」に向けて、チケット作りや会場作りで忙しい日々を過ごしていました。
日本らしいお正月をと言うことで、多くのイベントがあった中で1番楽しかったイベントは「紅白歌合戦」です。出演者は、書類選考から1次審査を行い選ばれた12組です。記者会見を船室のテレビで放送して本番を向かえアイドルから演歌まで年齢差もいろいろでした。衣装も工夫していて本物さながらの演出で驚きました。
コタツも除夜の鐘もない海の上での年越しですが、たくさんの企画をみんなで作り上げた分、例年以上に盛り上がったものになりま
した。カウントダウンライブで年越しをして、初日の出を友達見るためにバーで飲みながら待った日の出は、南太平洋に雲なく綺麗な初日の出でしたが、寝不足で眩しかったです。
お正月気分が抜けないままタヒチ(パペーテ)に出港しました。
本島には白浜が無いため私は、8人のグループでモーレア島に泳ぎに行くことにしました。ビーチまで海沿いを歩きましたが、どこを覗いても透き通る海で、肉眼で熱帯魚が泳ぐ姿を見ることができました。社会人になってから日焼けを気にして海で泳ぐことがなかったけれど、久しぶりに時間を忘れて熱帯魚を追いかけて泳ぎ、楽しかったです。
旅慣れてきた人たちは、ヒッチハイクをしたり現地人の家に泊まったり野宿したりと様々ですが、私たちはホテルを予約出来ただけで満足していました。
2日目は、バスで本島を半周しながら観光し、のんびりすることにしました。時間にルーズな島国タヒチは、バスの時間表も無ければバス停も無い場所も多く、行きで一時間以上バスを待つ羽目になった私たちは、それにこりて帰りは回送中のバスをヒッチハイクするという荒技を体験しました。
タヒチは「キレイな海」「美しい花々」「色鮮やかな魚たち」といった南国のイメージを裏切ることのない寄港地でした。(つづく)
3年間のピアノレッスンが、子供の学力、学業成績、自信形成に及ぼす影響
bU(訳:井野和子)
ピアノのレッスンの子供たちの自信形成に対する影響を詳細に研究するため、反復測定による4回のANOVA分析を、ピアノレッスン開始前、開始後1年、2年、3年(年度、反復測定)の、管理グループと実験グループの“一般”“社会”“家庭”および“学校”に関するサブテストの点数について実施した。年度とグループの相互作用は、“学校”に関する自信形成点数でだけ有意として現れた。実験グループの“学校”に関する自信形成点数は3年間を通して上昇する傾向にあったが、管理グループでは、下降傾向であった。単純効果分析では、2つのグループ間に有意な差はみられなかった。
追加の独立変数として、性別、収入(2万カナダドル以下、2万〜3万カナダドル、3万〜4万カナダドル)、家族構成(片親世帯、両親のそろった世帯)、保護者の雇用状態別に、別途分析を実施した。付加情報であるこれらの変数は、モデルに同時に含めることはできない。たとえば、保護者が失業中の家庭の収入は、全ての世帯で2万カナダドル未満であった。これらの分析は、前述の報告結果と似た結果を出しており、ピアノのレッスンとこれらの変数の間の相互作用は示されなかった。
最後の分析は、3つの子供のグループのデータをもとにした分析である。3つのグループとは、ピアノレッスンを途中で止めた子供たち、3年間のレッスンを完了した子供たち、そして、管理グループの子供たちである。これらの分析結果も、前述の調査結果と類似していた。3年間のピアノレッスンを受けた子供たちの自信形成点数の総合点は、有意に上昇し途中で止めた子供たちと、管理グループの子供たちの点数は上昇しなかった。3つのグループの間にその他の有意な差はみられなかった。2つのグループの子供たちを対象としたANOVA分析と違い、ピアノレッスンは、3つのグループの“学校”に関する自信形成テストの点数には有意な影響を与えていなかった。
学力
実験グループと管理グループの子供たちの成績のうち、CAT2の言語の総合点と数学の総合点を反復測定のANOVAで分析した(年度:実験開始時、1年度、3年度)。この結果には、ピアノレッスンの有意な影響はみられなかった。
子供たちの学力をさらに詳しく調べるために、2つの数学のサブテストと2つの言語のサブテストのそれぞれの点数を分析した。反復測定のANOVA分析では、管理グループと実験グループの間に有意な差は現れなかった。ピアノレッスンの数学の計算の点数への影響は、有意に近く、タッキー(Tukey)法での比較でさらに分析した。実験グループの点数は、特に、ピアノレッスンが2年経過した後は、管理グループの点数より高い傾向にあったが、2つのグループ間の差は確定できなかった。
データを、性別、収入、家族構成、保護者の雇用状態を考慮して再度分析した。これらの分析の大部分は、前述の分析結果と類似の結果を示し、ピアノレッスンとこれらの調査変数の間の相互作用はみられなかった。独立変数として収入を組み入れた数学の計算の点数の分析では、年度とグループの間に有意な相互作用が現れた。この相互作用は、前述の分析で唯一有意性がみられたものである。実験グループの計算の点数は、管理グループと比較して明らかな上昇を示したが、タッキー法での比較では、子供たちがテストを受けた年度のいずれにおいても、実験グループと管理グループの計算の点数の間に有意な差はなかった。
3年間のピアノレッスンを終了した子供たち、レッスンを途中でやめた子供たち、正式な音楽のレッスンに一度も参加したことのない子供たちの学力も比較した。ほぼ全ての分析が、ANOVAの言語の総合点および言語表現のサブテストの点数を除いて、前述の分析と類似の結果を出した。タッキー法での比較では、ピアノレッスンを2年受けた後で、実験グループが管理グループより、言語の総合点で高い得点を示しているが、3つのグループの子供たちの言語表現のサブテストの点数には差はなかった。
学校の成績
反復測定(3、4、5、6年の成績表)のANOVA分析を、実験グループと管理グループの数学、音楽、英語、フランス語の4教科の評点について実施した。ピアノレッスンは、子供たちの音楽の評点に影響を与えていた(年度xグループの相互作用。単純効果分析では、管理グループの評点は、3年間の調査期間中を通じて有意に変動した一方、実験グループでは変化しなかった。管理グループの音楽の評点の下降傾向は、実験グループではみられず、実験グループの評点は、ピアノレッスンを受けた3年間の間、管理グループよりは安定していた。
数学の評点の分析でも、ピアノレッスンが有意に影響していることが示されたが、事後比較分析では、管理グループと実験グループの間で、学校の数学の成績に差はみられなかった。
ピアノのレッスンは、性別、収入、家族構成、保護者の雇用状態を分析の独立変数として考慮した場合でも、子供たちの言語の成績には影響を及ぼさなかった。これらの変数を考慮しても、子供たちの数学と音楽の評点に関する前述の結果は変らなかった。 (つづく)