エスプレシボ 新年号 259
うすあかり 竹内幸一

 新しい年が始まりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。昨年は恐ろしい地震や津波などの大災害がありましたが、今年は穏やかであってほしいと祈るばかりですね。天変地異などという言葉を何度も聞きたくないものです。


 いろいろお忙しいことと思いますが、どうぞ今年も音楽やこの新聞とのお付き合いをよろしくお願い致します。ありふれた時の流れの中に、一服の清涼剤が、お届け出来ればと念願しています。

さて今年はじめてのテーマは、久保田万太郎の作品である俳句の

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

についてです。作者の思いとは、たぶん少し離れるとは思いますが、私の感じるところを書いてみたいと思います。

久保田万太郎は明治22年生まれの小説家で、俳人としても名を成しています。文化勲章などももらっています。この湯豆腐や…の作品は、万太郎が亡くなる半年ほど前に書かれたものです。

68歳のとき、長男を結核で亡くし、その5年後、別れた妻のあと一緒になった一子も脳出血で亡くしています。一子が亡くなって半年ほどのちに万太郎は73歳でこの世を去るのですが、その最晩年に書かれた湯豆腐や…の句は、いわば遺作と言っても差し支えのない作品ではないかと私は思います。

では少し私なりの解釈をして見ましょう。

「湯豆腐や」→これは、日常ということでしょうか。ごくありふれた食べ物ですが、ほかほかと湯気の上がっている湯豆腐を、ひとりでつつく日々を過ごしている作者です。その暮らしの明暗が奥の深さを感じさせます。

「いのちのはての」→ごくありふれた取り止めのない暮らしを続けているうちに、誰も同じようにいつか終末がやってきます。時期は誰も分かりませんが。

「うすあかり」→実は、ここは長いこと私を悩ませたところです。今でもよくは分かりません。日常が過ぎて行き、その果てに見える「うすあかり」とは何だろうと昨年からずっと考えていました。万太郎は、そういう状況で、どんなあかりを命の果ての先に見たのだろうと考えるのですが、しっくりする答えを見付けられずにいました。

しかし、この問題があったからこそ、この欄に書いてみようということにつながりました。

そういうある日、自宅の3階へ行く階段の踊り場にある、1枚の絵に目が止まりました。もちろん複製ですが、そこにはミレーの「晩鐘」が掛けてありました。もう夕日もほとんど消えかかろうという「うすあかり」の頃、若い夫婦が手を合わせて、一日農作業が出来たことに感謝の祈りをささげている祈りの絵です。私はそれを見た瞬間、(普段は見過ごしていたのですが)、なぜかその日に限って、体に電気が走りました。「これだ」と思ったのです。

悲劇が訪れれば誰でも、悲嘆や恨み、あるいは運命への呪いなど、暗くさびしい思いに包まれます。最愛の人を二人も失えば当然のことです。しかし、そういう心持の間は「うすあかり」は見えないことでしょう。

万太郎は、その段階を超えた次の精神状態の中で、晩鐘にあるような感謝の糸口を見付けたのではないでしょうか。そこに「うすあかり」という言葉が生まれたのだと、私なりの解釈をしました。
 当然私にも、いのちの果てはやってきます。しかし、この句をいろいろ考えているうちに、おこがましいようですが、私にも少し「うすあかり」が見えた気がしました。

耳の問題、股関節の痛み、あるいは10代の頃からの腎臓病など、命の果てへの不安がないわけではありません。しかし、それは人の持つ限りない欲というものでしょう。

先日も、田舎で母親と、18歳から2年あまり入院していた頃の話が出ました。見通しの暗い日々でした。そのまま朽ちてしまうのではと何度か思いました。

あの頃を思えば、よくここまで来たものだという感慨でいっぱいになります。そしてそこには、無宗教の私ですが、大地の恵みに手を合わせて祈るあの「晩鐘」の心が育っています。それは万太郎の「うすあかり」に通じるものだと私は思っています。これから先どんなことがあっても、この感謝の敬虔な祈りから導かれる「うすあかり」を失いたくないものだと心に誓っています。

とはいえ、耳のことで、ちょっとここでお詫びとお願いです。最近人から注意されて聞こえていないことによく気づきます。たぶんいろんな方にご迷惑をおかけしている事と思います。この場を借りまして、深くお詫びをいたします。聞こえているのに無視したりすることなど、決して決してありませんので、不信や恨みなどにつながりませんように、どうぞお願いします。左側のほうがほとんど聞こえません。どうぞ皆様ご寛容にお付き合いをお願いします。反応があやしいなと思ったら、済みませんが、右側から再度確認の声かけをお願いします。ご面倒をおかけして申し訳ありません。

そんな私ですが、今年も何とか仕事を続けて行きたいと思います。たくさんの方に助けてもらわなければ、いろんな行事は一つも達成できません。皆様とご一緒に実りある1年を過ごさせて下さい。おねがいします。

<行事予定>

■ニューイヤーコンサートDVD鑑賞会
 17()午後1時半〜 <無料>
 ベルリンフィル・指揮 カラヤン1983ウイリアム・テル序曲/モルダウ/悲しきワルツ/うわごと/ジプシー男爵)

■第34エチュード・ファミリー・クラブ例会 1月9日(日曜夜7時)サンシティー音楽院。

■ほのぼの歌声サークル 1月12日&19日・水曜日午後2時から。

■ハーモニアス別府ニューイヤーコンサート
  123()午後2時 ビーコン国際会議室  遠藤真理チエロコンサート <1,500円>  カザルスで有名な「鳥の歌」も演奏されます。  前売り券は音楽院にて発売中です。

■オペラ鑑賞会 ドン・ジョバンニ U

 126()午後1時半〜 <500>

■第164回 さわやかコンサート

28日(金)鶴見病院 6時40分

■新企画音楽と映画鑑賞会 「ある愛の歌」

 1月30日(日)午後7時半〜 主題曲ピアノ演奏アリ 映画音楽生演奏+映画鑑賞の新企画です。<500>

■第22回春の音楽祭 429日(金・祭日)

 曲目はお決まりですか。年に一度の大切な思い出の曲がこの日を目指して生まれますように!

●ルベックスペシャル告知板 

1月練習なし。164時〜パート編成会議(西部公民館2階) 166時 新年会(春香苑)

 

●別府ギターサークル連盟新年役員会

 116()午後2時〜 西部公民館

 役員,サークル代表の方ご出席をお願いします。

 

レッスンお休みのお知らせ(1月のレッスンは3回になります)

【お正月のお休み】1日〜7日

5週目のお休み】129(土)〜31(月)

別府市縦断草の根コンサートを終えて     竹内幸一

 ルベック始まって26年目にして、初の企画でしたが、いろんな思いでを残して無事実施できました。3つのグループが2ずつ公民館を受け持ち、市内6地区公民館ですべてコンサートを開くというハードなスケジュールでしたが、それに向けての各サークルの特色ある準備は、いろんな成果を見せてくれました。

 まずその成果は、普段取り組むことのない少人数の合奏による、新しい楽しさの発見でした。またそれにより、会員同士の新鮮な親睦が生まれることにもつながりました。ギターの魅力を別の角度から体験するよい企画になったようです。
  問題は、普段3グループ合同のコンサートにおける聴衆の数字が、簡単に言えば6等分されたことによるさびしさでした。また2回公演の体力的、精神的な負担の大きさもありました。

 それを踏まえ、27回目の「魅惑のギターステージ」をどうするか考えてみました。ひとつは、合同演奏会の復活です。30周年までの3回は、100200名規模の小さな有料コンサートを開きたいと思います。12月の1週目124日に予定しています。

 それに加えての、昨年度の草の根形式の独自コンサートは、基本的にはそれぞれのサークルの企画にお任せしたいと思います。実施するしないを含め、グループの皆さんの意向を反映する会にしていただければと思います。

 私の気持ちとしては、せっかく昨年のような形が育ちましたので、何らかの形で残ればとは思っています。自己改革の目標へのチャレンジコンサートがあることは、いいことのような気がします。年末の最後の練習日に【忘音会】を開いて、その人それぞれの努力の成果を恥のかきすて?にする小さな仲間内の会があってもいいのではと思います。皆様でご相談ください。もちろん、2重奏や3重奏などの取り組みが行われるようでしたら、適当な楽譜のお世話をいたします。

♪よちよちジュニアクラブ開講♪

 会費 500円   日曜日18時〜30分程度 月1回(発表会練習等のため2回の場合もあり)

昨年1年間、よちよち子ども鑑賞講座で、色々な曲を鑑賞してきました。この講座を今年から、少し盛りだくさん?にしてみました。音楽鑑賞だけでなく、様々な方面からのアプローチをしてみたいと思います。音楽をより身近に、楽しんでもらえたら嬉しいです。30分の個人レッスンでは出来ないけれど、大切なことがたくさんあります。少しずつ一緒にやっていきましょう。楽器を習ってない子どもたちも、どうぞ。

1.音楽鑑賞・・・今まで通り、100インチ画面で名演を鑑賞します。

2.うた・・・歌は音楽の基本です。声を合わせて元気に歌いましょう。(発表会やイベントなどで、歌の発表も出来たらと思います。)

3.楽典・・・音符の読み書きなど、知っておくと役立ちますよ。(音のカルタなど、ゲーム性のあるものも取り入れたいと思います)

4.ソルフェージュ・・・音とり・新曲視唱・新曲視奏など、少し専門性のあることですが、たまに挑戦してみましょうね。

 一回の例会の中で、1〜4の中から2つほどを組み合わせてやりたいと思います。

♪1月は・・・1月30日(日)18時〜

 うた と 音楽鑑賞 です

4月の発表会に向けて、歌の練習をはじめます。音楽鑑賞もしましょう。

♪私の好きな一枚♪

エルガー チェロ協奏曲

チェロ ジャクリーヌ・デュ・プレ

ロンドン交響楽団 ジョン・バルビローリ指揮

 寒くなりました。屋内で過ごす時間が増えるこの時期にこそ、音楽をゆっくり楽しめそうです。

  今回のCDは、チェロ奏者ジャクリーヌ・デュプレです。ジャクリーヌは1945年1月26日イギリスはオックスフォード生まれ。6歳でチェロ・スクールに入学、在学中の1961年にストラディバリウスを手に16歳でデビュー。20世紀最高のチェリストと賞賛され、 神童として音楽界にデビューしたジャクリーヌは華々しい子供時代を送ります。翌年3月21日ロンドン・ロイヤル・フェスティバル・ホールでエルガーのチェロ協奏曲を初演奏して大絶賛。一輪の早咲きの花・末永く美しく咲く花と称せられた彼女は、幅広く演奏活動をし、CDを出して、その後も輝かしい時期を過ごしました。そして、ピアニスト・指揮者であるダニエル・バレンボイムとの情熱的な結婚生活・・・。なんとジャクリーヌは、その絶頂期に、天才的な才能を持ちながら28歳で不治の病といわれる難病の多発性硬化症に冒されます。1973年に音楽界から引退。

活躍した時期が華やかなら華やかなほど、華やかでなくなった自分の人生を見つめなければなりません。どんなに自分自身との戦いを必要としたでしょう。ジャクリーヌは次第に精神をも病んでいきます。そしてとうとう42歳の若さで生涯を閉じるのです。

 このジャクリーヌが奏でるチェロが、このCDに詰まっています。このCDは、1965年録音ですので、ジャクリーヌがまだ20歳前の、デビューして間もないころの演奏です。チェロに対しても、人生に対しても、勢いのある時期であることが、ダイナミックな演奏からもうかがえます。エルガーの協奏曲は、彼女がその短すぎる生涯をかけたテーマと言われていますが、このCDのエルガーは、ジャクリーヌのチェロの始まりの方に位置づけられると思います。エルガーの協奏曲のCDは、他に、夫であったバレンボイム(指揮)との共演もあります。これは71年の録音ですので、ちょうど発病し始めたころ;まだ病名を知らずにいるころの演奏です。

 ジャクリーヌの魅力は、息もつかせないぐんぐんと迫ってくる推進力にあるように感じます。今まで、チェロを聴いて、チェロは心がゆったりとなる幅広い楽器だな〜と思っていました。でも、ジャクリーヌの演奏を聴いて、このチェロじゃ眠れない!と思ったのです(大抵私はチェロだと心地よ〜く寝てしまい・・・笑)ジャクリーヌの演奏を聴くと、早く出口に出たい、出口はどこ?どこにあるの?と必死で問われている気がするのです。このCDも発病する前ですが、ジャクリーヌがどこかへ向かって急いでいる、必死に急いでいるように私は感じます。そのダイナミックで前進し続ける演奏は、心に残ります。また、その楽器がチェロであることでより心に迫るものがあります。チェロは、本当に素晴らしい楽器ですね。                 ジャクリーヌだけでなく、どの演奏家でもそうですが、私たちが魅力を感じるのは、華やかな部分をみているのだけど、間接的にその裏の部分を、演奏を通して感じているからかもしれません。美しいドレスで見えなくなっている部分が、音楽を通じて私たちに語りかけるからこそ、自分にとって心に残る演奏があるのだと思います。       ジャクリーヌの生涯を描いたといわれる『ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ』という映画があります。「妹はチェロの天才だった。でも、人生の天才ではなかったのです」。まだご覧になっていない方は、ぜひビデオやDVDで!(竹宏) 

教室のほんわかエピソード 8

クリスマス会 終了御礼
        ‘04.12.26 教室にて

 年末のお忙しい中、有難うございました。春の音楽祭とはまた違った、あまり堅苦しくない発表の場が年の締めくくりにあればいいな、と思って企画しました。結構みんな緊張してたかな。いつもはやんちゃなあの子、おしゃべり好きなあの子が、大人しかったり、少し顔がこわばっていたり・・・。緊張は、場所や人数にはあまり関係ありませんよね。

連弾あり、ソロあり、リコーダーあり、自作曲披露あり、みんながんばって演奏しました。自分の名前と曲目もきちんと言えて、「やればできる〜(嬉)!」と感心!!司会の奈緒ちゃん、ありがとう。最後にはケーキで、しめくくり?。ケーキの飾りつけでもそれぞれ個性を発揮してくれました。お父さん、お母さん、ご協力有難うございました。今年は、ますます自分の楽器を楽しめるようになって欲しいなと思います。

エスプレシボ 2月号 bQ60
猫の楽しみ

竹内幸一

 もうかなり以前に、「困った時の猫頼み」とか言う題で書いたのを思い出しましたが、今回も少し「猫の手」を借りて(そんなに忙しいわけでもないのですが、ネタ不足なので)、何とかこの新聞のスペースを埋めましょう。

 私の起床は毎朝7時です。別に目覚ましとかはかけませんが、ほとんど10分と狂わず目が覚めます。3階の寝室から足音をさせて降りていくと、階段の下の暗闇で、猫が朝の挨拶に来てくれます。

それから洗面をしたあと、下の教室に行き玄関の鍵を開け、新聞を取ってくるのですが、その間、猫はついて回ります。

 その私の朝の日課は、毎日変わりません。そしてそれに付随する猫の動きもほとんど変わりません。玄関のガラス窓から、しばらく車の動きをさも珍しそうに眺めます。ピアノの上に飛び上がって、あちこち点検して回ります。

 いつも物憂げに寝ている猫を見ながら、猫の生きていく楽しみとか、生きがいとは何だろうなと思うこともありました。しかし長く一緒に暮らしていると、猫が笑う?(喜ぶ)顔が見えてきます。

妻が洗濯物を篭に入れていると、もうベランダのガラス戸の前で嬉しそうに待っています。洗濯物を干すとき、猫はベランダに出ることを許されることを知っているからです。また、妻がごみ捨てに出て行くと、ニコニコした顔をして戸の前で待っています。ごみ捨てに行ったついでに、猫が食べられる草を、お土産に持って帰ってくるのを期待しているからです。

 我々人間から見れば、それはほんのささやかなことですが、猫の毎日の暮らしの中では、それらは、大きな喜びであり、目的でもあります。猫にも、いろいろ楽しみがあるのです。

 では、それなら私はどうなのかな?とふと思います。毎朝の決まりきった変哲もない私の動きを眺めながら、猫は、この人はいったい何を楽しみに生きているんだろうなと思っているかもしれませんね。毎日同じことの繰り返しで何が面白いんだろうと・・・。

 ちょっと話は変わりますが、つい最近、(一面識もない方ですが)ある医院の副院長(若先生というのかな)がお亡くなりになったのを新聞記事で読みました。そのとき、その親である老院長先生の喪失感の慟哭が偲ばれました。子供を持つことは、大きな喜びもある代わりに、それに匹敵する以上の耐えがたい悲しみも用意されているのです。

 その新聞記事が、見ず知らずの私の胸にまで悲しみとして届くのは、やはり私の暮らしの中での、子供の占める喜びや目的の大きさからなのでしょう。跡継ぎの出来た喜び、そしてそれを失う悲しみを思うとき、自分が何に依拠して生きているかを思い知らされます。

 人はいろんなものに依拠し、そこに楽しみや目的を作ります。しかし、それを失う覚悟をしている方は少ないことでしょう。もちろん、そういう体験をせずに済めばそれに越したことはありません。しかし、たまには万一のことに思いをはせることも大事かもしれません。それによって、依拠しているものをより大切に思う心につながり、また感謝の心も育つのではと思うからです。

 イメージしにくいことですが、仕事、妻子、猫?等…いろんな依拠しているものを取り払った裸の自分は、どんな風になるんでしょう。裸になったとき、どんな楽しみを見付け得るのでしょうか。いえそこに何か残されているのでしょうか。

 跡継ぎを喪った老先生は、大きな冷たい空白を抱えながら、それでも生きていかねばならないことでしょう。時間が悲しみを癒し、いつの日か、暖かな冬の日差しをしばらく浴びるだけのようなことでも、安らぎを覚えるようになれるでしょうか。

 毎朝変わりなく、猫がついてきてくれていますが、万一のことが起きた以後には、暗がりに幻想を見るかもしれません。思い出が多くなればなるほど、その喪失感も大きくなります。以前は笑っていましたが、今では、ペットレスという重度な病的症状も充分理解できるようになりました。

 だからこそ、それに備える覚悟がいるのだと思います。自分が周りに依拠しているもののすべては、移り動き消滅していくものだという無常を知ることで、今あるもの、今出会っている人を大切にしたいと思えるようになるはずです。

 今回は、ちょっと酷な話になりましたね。そんなにあらたまって正面から取り上げると、少し深刻になって疲れますね。済みませんでした。

 (猫足じゃなかった蛇足を書きます)

猫のことを書くと、中には、ぜひお会いしたいと来てくださる方もいらっしゃいます。しかし、その姿を見ると、「オッとっと」と、なんとも言いようのない、のけぞるような容姿です。決して箱入り娘にしてお見せしないというわけではありませんが、文字の中だけでいいイメージ?をお持ちになるほうが幸せではないかと思います。声と性格?だけは、すばらしいのですが、これがまた、短時間ではとてもお見せできないのが残念です。

不細工な猫ですが、今回はまた助けてもらいました。やっと月に一度の締め切り原稿が終わりましたので、これから猫にちょっかい出して遊びましょう。

<行事予定>

■第35エチュード・ファミリー・クラブ例会 

213日(日曜夜7時)サンシティー音楽院。

■ほのぼの歌声サークル

  2月9日・23日 水曜日午後2時から。

■西部地区公民館高齢者セミナー

グループアルファー「ほのぼのコンサート」

 2月15日()午後1時半 西部公民館1

  ○第1部 ギター(竹内幸一)・キーボード(竹内宏子)・ソプラノ(白石まさ子) 各ソロ演奏

  ○第2部 皆さんよくご存知の童謡・唱歌など15曲をご一緒に歌います。

   (どなたでも参加できます。無料です)

■オペラ鑑賞会 フィガロの結婚 T

 2月16日()午後1時半〜 <500>

■第165回 さわやかコンサート

25日(金)鶴見病院 6時40分

音楽と映画鑑賞会 「オズの魔法使い」

 2月27日(日)午後7時半〜 主題曲「虹の彼方に」のピアノ演奏もあります。

映画音楽生演奏+映画鑑賞の新企画です。<500>

◎2月27日(日)午後6時〜 よちよちジュニア <500円>

■イオン三光ショッピングセンター

竹内幸一ギターコンサート  (無料)

  319() 午後4時半&6時半 (2)

■サンシティー音楽院講師演奏会 (シャンテドール)

  321(月・祭日)午後2時から 1,000

■第22回春の音楽祭 429日(金・祭日)

 曲目はお決まりですか。年に一度の大切な思い出の曲がこの日を目指して生まれますように!


リレー随筆 118
 

ふたたびギターを手にして

       ギター科 工藤美智子  私が、最初にギターを手にしたのは20年近く前になります。

あの頃は、NHK教育テレビでもアントニオ古賀さんの「ギターをひこう」という番組もあって、私もギターを弾いてみたいと思っておりましたので、職場でギター部が発足することを聞いて、即入会しました。

 初日には竹内先生に来ていただいて、どのように指で弦を押さえるか等のてほどきをしていただいたことを覚えています。

メンバーには学生時代に演奏活動をしていた人も数名いましたが、全くの素人も何人かいて、ずいぶん手をやかせました。当時土曜日が半ドンでしたので午後から練習をしていました。指導者は、現在ルベックでご活躍の手嶋さんです。部長でもありました。

 どれ位経過したかは忘れましたが、私達もギター連盟に加入し、合同演奏会に出演しましたが、私のパートがうまく弾けなくて恥ずかしい思いをしたことを思い出します。

平成4年、土曜日が完全週休になると、集まりも悪く、仕事も忙しくなり、ギター部が休部となりました。その時からギターを手にすることはなく、部屋の隅においてありました。

ふとしたことで、竹内先生にお会いし、友人に誘われ、再びギターを手にするように

なり、初歩からの始まりです。

なかなか練習時間がとれませんので、上達はしませんが、生活の中のうるおいの一つ

として楽しんでいけたらと思っています。

 あの時、部長が弾いて聴かせてくれた「愛のロマンス、アルハンブラ宮殿の想い出、

サラバンド」などいつまでも忘れません。 

新春メール俳句大会開催         

  メールでお付き合いをいただいている方に呼びかけて、新春俳句大会を開催しました。はじめての企画でしたが、たくさんの方の投句、そして選句・選評をいただきました。その結果を皆様にもご紹介致します。

俳句は初めてという方ばかりでしたが、珠玉の作品が集まりました。思い切ってやって見ると、不思議なほど皆さん俳句らしい作品をものにされていました。何でもやってみるものですね。

では、投稿者の皆さんで選んだ、公明正大な結果をご覧ください。(特選3点、準特選2点、並選1点で計算しています)

【第一席】

薪の火が 指ゆるゆると ほぐしゆく 

(てまり) 14点特選 一読して、感嘆!言葉使い、感性、情景描写が渾然ですばらしい。(えーと干支)特選 かじかんだ手を温めてこれからギターの練習を始めるのでしょうか?(ゆけむり女)特選  指がほぐれるのではなく、火がほぐしていくという視点が、素敵だと思いました。ゆるゆる という言葉も、すごい!(長月)準特選 指だけでなく心もゆっくりとほぐれていく作者を感じます。(信)並選  暖かい象徴のような薪ストーブでしょうか。 寒くてかじかんだ指が少しずつほぐれていく。 外の冷たさと部屋の中の温かさ、そこには 気持ちを温かくする人たち(家族か友達)もいて。(ゆめ女) 並選 日常のなにげない光景が心温まります。(ムツゴロウ) 並選 私なら 薪の火や 指ゆるゆると ほぐしゆく としたかな。 いい句です。(若水)

【第二席】

コンビニの深夜煌々月冴ゆる (若水) 9点
特選  寒気のなか、コンビにだけが煌煌と明るい。月も冴え冴えと冷たいという感じがとても印象深い句だと感心しました。素人の厚かましい気になる点ですが、煌煌はコンビニの明るさとは思いますが もしかしたら月にかかるのかなと思うことと、コンビニの明るさと月の明るさが二分していないかという点です。(ゆめ女)準特選 冴えきった空気の中で胸きゅんとなる様な侘しさがいい。(ムツゴロウ)並選   厳寒の夜の冷たさと静かさを感じます。コンビニの人工的な光と,月の自然の光との対比がおもしろいと思いました。(てまり)並選  (風車) 並選 同感!コンビニの言葉がとても効いている。(えーと干支)並選 実は、夜歩き好きの私です。冬の夜の冴え冴えとした空気は心身が清められる気がします。コンビニと月の対比も、いいなあと思います。(うりこひめ)

【第三席】

歓声のきこゆるがごと雪だるま (長月)  8

 特選 別府にも雪が積もって欲しいな、そして

         子ども達の歓声を聞きたい!(信)特選 冬、まれにしか味わえぬ飛び上がる様な嬉しさがいい。(ムツゴロウ)準特選 子どもの頃、しもやけになるのがわかっていても 雪が降ると嬉々として精いっぱい大きな雪だるまを作ったものです。             私の耳にもその歓声がよみがえる気がします。(うりこひめ)

【選外佳作】

■雪や雪災害年を消し去らん(えーと干支) 4点 

■音もなく雪の奏でるシンフォニー

(うりこひめ) 4点

■炬燵猫這い出しときに大あくび(ゆめ女)4点

賀状出すポストにはねる霰かな(若水)3点屠蘇に酔いウィーンの香りに酔う今宵 (信)3点

雪景色玉砂利ぬかるむ平安宮(ゆけむり女)3点

■年賀状 気になる詞(ことば) 添えし筆

(ムツゴロウ) 3点

初春や 御題抹茶の 口を切り (信) 3点

清流のトトロの里も寒の入り(若水)2点

■束ねしも顔それぞれに年賀状 (長月) 2点

夫留守の夜湯豆腐の湯気の前(ゆめ女) 2点

■日向ぼこ なにはなくとも 幸せ気分

 (えーと干支) 2点

 炬燵から津波のニュースながめけり(長月) 2点

良く来たと あ・うんでむかうる東大寺 

(ゆけむり女) 1点

■明けし朝 出し遅れびとへ 屠蘇の前 

(ムツゴロウ) 1点

 

きままにコンサートレポート 9 

  第11回ハーモニアス別府

ニューイヤーコンサート 

遠藤真理チェロリサイタル 

 聴き終わった後、よし!今年も一年頑張ろうという爽やかな思いになった本当の?ニューイヤーコンサートでした。トークを交えながら、気取らず、ごく自然体で舞台に立つ遠藤さん。そんな遠藤さんのお人柄と、会場が適度な広さだったことで、より音楽を身近に、自分の肌で実感して楽しめました。会場ごと遠藤さんで、その中でチェロが鳴っている感じでしたね。音楽はしなやかで、本当に素晴しかった!それはまるで川の流れのようでした。ドナウのように幅広いと思えば、時には源泉のように繊細。勢いよく速い時も、緩やかな時もあり、またその色彩は刻々と変わる自然の色のように、多彩に変化しました。チェロに魅了された!チェロが好きになった!という方がきっと多いはずです。ピアニストの酒井さんは、音色が超きれいでした。お人柄もそうでしたが、包み込むような温かさが音楽から伝わってきました。選び難いですが、私が特に忘れられないのは、グノーのアヴェ・マリア;平均律1番(バッハ)「神の栄光のために」と曲の最後に必ず書いたバッハ。自分の栄光ではなく、神の栄光のためという、その思いが音として溢れてくるような演奏でした。ハッと息を呑むほどに美しい音に触れることができて本当に幸せ。バッハのはじめの一小節だけでもいいから、もう一度酒井さんのピアノが聴きたいな。

  前日お会いする機会があって、そこでのお二人の非公開会話をちょっと紹介(非許可ですが)「E;チェロは男の人が弾くものだね」「S;ピアノも」(どうしてだろう?)「E;作曲家は男性ばかりだからね」「S;どうしても分からない部分があるもんね」「E;男の人が弾くと、やっぱり何か違う」(なるほど)「E;でも、女性が弾く良さもある」「S;作曲家でもホモの人も結構いるしね」「E;あ〜そうそう」・・・笑。雑談でありながらも、音楽に対して深く考察するお二人の会話でした。

エスプレシボ 3月号 bQ61

森の時計 竹内幸一

 テレビの連続ドラマ「優しい時間」という番組を最近見ています。「森の時計」という喫茶店を軸にして生きる、さまざまな人間模様を描いた番組です。

その内容を紹介する前に、なぜこの番組を見ようと思ったかをまず書いておきましょう。そのキーワードは「倉本聰」と「富良野」の2つです。この2つの名前を出せば、思い当たる方も多いことでしょう。そうです、舞台も作者もあの「北の国から」にほかなりません。

北海道の大自然の厳しい冬や、美しい紅葉をバックにして1981年「廃屋」〜2002年「遺言」まで約20年続いた「北の国から」は、私たち家族の子育てと共に進んでいました。子役の純や蛍の実物が成人し、大人になっていくという長い時間を掛けたドラマ作りは、画期的なことではなかったでしょうか。私たち団塊の世代は、そのドラマの成長と重ね合わせながら、子供を育てていた方も少なくない気がします。

長いようで短かった子育ての頃のことが、あの黒板五郎のしわだらけの顔や富良野の広大な花畑と共に思い出されます。それは、過ぎ去った遠い思い出をたどる、ひとつの美しい感傷かもしれません。

それがバックにあり、あの「北の国から」を作り続けた「倉本聰」が、また富良野で90パーセントロケをした新作品を出したということで、私は番組が始まるのを心待ちにしていました。実を言うと私は、暇があれば映画をよく見るのですが、テレビはほとんど見ません。このような連続ドラマを見るのは、ごくまれなことなのです。

前置きが長くなりましたね。ではそろそろ本題に入りましょう。

このドラマの題名は「優しい時間」、そして主な舞台の喫茶店名は「森の時計」です。つまりそのテーマは「時」ということのようです。主人公の喫茶店のマスターは、大企業の商社員として猛烈に働き、家庭をほとんどかえりみるゆとりのない暮らしをしていました。それが妻の死をきっかけに「商社の苛烈な時計」を捨て、ゆっくり進むという「森の時計」のマスターになるのです。

こういうのを見ると、過酷な労働現場の方は、その変身にあこがれることも多いでしょうね。でも、いろんな条件が必要で、簡単にそういう希望は叶えられないのが現実とおもいます。

叶わないからこそ、ほんのつかの間の「ゆっくり進む時」のかけらを求めて、人は喫茶店に顔をだします。そこにコーヒーを飲みに来る人たちは、バックにいろんな暮らしを抱えていますが、コーヒーの香りに「優しい時間」を見つけようとしているのです。

その設定からどのようなドラマが生まれるのかと、期待して見ているのですが、実は半分ほどは裏切られている気分です。いい部分もありますが、「倉本聰」老いたり!と言ってしまいたくなるほどの、見え透いた筋立てが、私を興醒めさせます。

しかし、なぜかもう見るのを止めようとは思いません。なぜなんでしょうか?

それは「富良野」という北海道の風景が、私の心の郷愁に通じる気がするからです。その大自然の彩りは、訳もなく私をいい気持ちにさせてくれます。とってつけたような人の安易な軽い動きを、やさしく包み込む、豊かで雄大なふところを感じさせる「富良野」があるからこそ、このドラマが私は好きです。

 それもこれもすべては「倉本聰」の富良野を愛してやまないところから、かもし出されるものでしょう。富良野に住み、富良野の空気を吸って長い間暮らしているからこそ、台地に根を張ったような景色を提供できるのだと思います。

ドラマの中で時計の話が出ます。小刻みに動く0.001秒台の時計は作れるが、1年に一巡りするようなゆっくりした時計は、今の技術では作れないんだそうです。

 しかし「倉本聰」は、その時計を持っているのです。枯葉が静かに散り、吹雪がどこも白く染め、波うつ大地一面に花畑が広がります。目にはすぐには見えませんが、確実に時は動き、1年の時を示す針を進めます。「倉本聰」は、ドラマの隅々で、その時計を見せてくれるのです。私たちは、そのゆっくりした時計を忘れているのではないでしょうか。その鮮やかな映像は、目先のことに翻弄される小ざかしい心を洗い清めてくれます。

 ドラマの中での印象深いところは、亡くなった妻(大竹しのぶ)との対話(実は自己との対話)です。一日の終わりに、今日あったことを一杯のコーヒーを飲みながら振り返ります。あわただしく暮らしていると、「疲れた、寝る」という終わりで、1日が簡単に過ぎてしまうことが多くあります。いわば幽霊役である大竹しのぶの、深い悲しみをバックにしての、透き通った語り口には癒しがあります。それは、悲母観音像でもあります。心静かに、自分との対話、あるいは亡き大切な人との語らいを、時にはゆっくりと持つゆとりがほしいものです。(番組は木曜夜10時〜TOSで放映中)

<行事予定>

■第36エチュード・ファミリー・クラブ例会 

3月13日(日曜夜7時)サンシティー音楽院。

■ほのぼの歌声サークル

  3月9日・23日 水曜日午後2時から。

■オペラ鑑賞会 フィガロの結婚 U

 3月16日()午後1時半〜 <500>

■春の午後のあったかサロン 鉄輪 冨士屋ギャラリー

 318() 午前11時半〜 <会費3千円>

 ミニコンサート&地獄蒸しランチ(コーヒーお菓子付き)

 ♪演奏 竹内幸一(ギター)・竹内宏子(ピアノ)

■イオン三光ショッピングセンター

竹内幸一ギターコンサート  (無料)

  319() 午後4時半&6時半 (2)

サンシティー音楽院講師演奏会 (シャンテドール)

  321(月・祭日)午後2時から 1,000

  前売り券発売中・生徒の皆さんの応援がないと

  この演奏会は成り立ちません。先生も努力していますので、その成果に拍手をお願いします。

■第166回 さわやかコンサート

25日(金)鶴見病院 6時40分

音楽と映画鑑賞会 「卒業」(107分)

 3月27日(日)午後7時半〜 

主題曲「サウンド・オブ・サイレンス」のピアノ演奏もあります。

 映画音楽生演奏+映画鑑賞の新企画です。<500>

  ◎3月27日(日)午後6時〜 よちよちジュニア <500円>

■第22回春の音楽祭 429日(金・祭日)

 申込用紙が出来ました。皆様の勇気ある挑戦をお待ちしています。(締め切りは325日です)

●ルベックスペシャル告知板 

3月練習5121926 の4回です。

レッスンお休みのお知らせ)

5週目のお休み】

329日(火)・30日(水)・31日(木)


リレー随筆 119 

憧れのピアノ                             川 辺 恵 子

 

 三人のやんちゃな男の子(現在9歳・7歳・6歳)が音楽院にお世話になって、早くも二年が過ぎようとしています。独身の頃、ピアノが弾ける女性にとても憧れていて、自分の子供が女の子なら絶対に習ってほしいと思っていました。

 予想に反して三人の子供は皆、男の子でしたが、「ピアノを弾ける男の人も素敵だし…」と考えてやっぱりピアノを習っています。時には三人一緒の大合奏大会になっていて、他の生徒の皆様にご迷惑をかけていたりすることもあるかと申し訳なく思っています。

 子供達の練習するピアノが日毎に上達してくるにつれ、母である私も、小さい頃から憧れだったピアノを習ってみたいなと思っている今日この頃です。

 サンシティー音楽院の先生方、教室生の皆様 これからもどうぞよろしくお願いします。

♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪

 川辺家の3人兄弟は、3人別々の個性があって、レッスンしていて楽しいです。今回は、一番上のお兄ちゃんとのレッスンでのひとコマを披露させていただきます。

今日は、川辺あきまさ先生(9歳)に音符の読み方を習いましょう。皆さんは、楽譜を思い浮かべて下さいね。では川辺先生お願いします。ド〜ソ編。

注)五線の中は海の中。五線の外は陸(浜辺)。音符は魚。…と、想像を働かせるのが前提。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私「先生、音符を覚えるのに、良い方法がありますか?」 

あきまさ先生 「次のように覚えましょう!」

真ん中の『ド』は、釣り上げられて、浜辺で串刺しにされて焼き魚にされているやつ。『レ』は、槍に皮だけ刺さって、浜辺に置かれた魚。『ミ』は、体の真ん中を槍に刺された魚で、もうすぐ浜に上げられるやつ。『ファ』は、槍と槍との間に挟まって、危ないところで命が助かった魚。『ソ』は、海の中で槍にグサリとやられている魚。」

・・・(笑)というように、私では考えられない面白い発想が飛び出すのが川辺ファミリー。これだから、子どもたちのレッスンは面白い!

♪ハーモニアス別府 
新会員募集中

音楽院よりのお願い*竹内幸一

サンシティー音楽院は、「ハーモニアス別府」を応援しています。現在、会の事務局長を竹内幸一がやらせていただいておりますので、音楽を愛するサンシティー音楽院の皆様方のご入会を、この春に心よりお願い致しております。内容についてお知りになりたい方は、資料を差し上げ、詳しくご説明を致しますので、お気軽に声を掛けてください。

年会費は千円です。会員になったからといって、特別な任務などは何もありません。年3回お届けするニュースレターをお読み頂いて、コンサート・音楽家・作曲家などの記事を、お楽しみ頂ければ嬉しいです。ニュースレターで、別府付近のコンサートのお知らせもしていますので、お好きなコンサートなどのイベントがありましたときにだけ、ご参加いただければと思います。どうぞお気軽に仲間になってください。

その皆様のご協力をいただくことによって、少しずつではありますが、別府の音楽文化の発展に貢献できればと願っております。

また、こんなコンサートが聴きてみたい、こんな企画なら参加してみたい、そんな会員の皆さんの声を、身近な存在として、お聞き出来ればと思います。音楽を楽しむ皆様の声を、いろんなかたちで実現できるよう、ハーモニアス別府は活動していきたいと念願しています。

<年間会費千円>で、心苦しいのですが、皆様のご支援をいただけますよう、切にお願いいたします。

祝 音楽療法士 資格試験合格

吉弘 典子さん      

お仕事をしながら、東京に通い、講座の講師・大学の講師などもされ、本当に多忙の中の受験でしたね。その努力が実って、見事、音楽療法士資格試験に合格されました。おめでとうございます。今後も、吉弘さんのパワーと音楽で、ご活躍されるでしょう。そのことで、ますます音楽療法という分野が広がっていくことと思います。

 

♪次号より、音楽療法についての英文の論文を連載させて頂きます。英文では、私が何を書いているのか分からないので(涙)、翻訳者・井野和子さんに翻訳をお願いしました。(感謝)

きままにコンサートレポート 10

  小林道夫がいざなう ピアノの変遷

   〜大作曲家たちの愛した音〜

( ‘05222日(火)19時 音の泉ホールにて)

 名前は聞いたことがあるけど、見たこともない!古い楽器の場合、そういうものがたくさんあります。このコンサートで私は、初めて見る、初めて音を聴く、という経験をたくさんしました。

まず、コンサートホールに入ると、「おお〜!」という感じ。舞台の上に、チェンバロ、クリストーフォリ、ロングマン、シュタイン、それからクラヴィコード(だったかな?)が一台。そして、ベーゼンドルファーのC.グランドピアノ。これらが整然と並んでありました。詳しい人が見ると、もっと何やら違う感想を持つのかもしれないけど、私の素人感想で一言。「きれい〜!」いや、ほんとに綺麗です。

チェンバロは、優雅さを全身で表現しているような鮮やかな緑色の外観と、金色か何かの内塗り。  やっぱり高級感が漂い、宮廷で弾かれていた楽器らしさがあります。(チェンバロが私の家にあったら、違和感あり!)クリストーフォリは、私の中でピカイチでした。シンプルだけど形がしなやかで、上品で美しい。このシンプルなのは、材の持つ響きをそのまま生かそうとして、クリストーフォリが塗装を施さない!と決めたためだそうです。ロングマン、シュタインは、よく使い込まれた家具のような木目そのままの味わい。楽器を見ただけで、時代と共に音楽がどのように変容してきたのか、分かる気がします。

これらの楽器は、今のピアノのご先祖様たちで、色々なニーズ・作曲者の要求に応える形で変化していったものです。チェンバロ以外は、CDなどでも音を聴く機会は少ないと思います。そうか〜、スカルラッティーはこんな音を聴いていたのか・・・、モーツァルトはこんな変容の時期にいたんだ!などと、とても興味ものばかりでした。

 このコンサートで得た大切な発見は、「ピアノって弦楽器だ!」ということです。勿論、知識としては知っていますが、今のピアノで、弦を意識することが少ないですよね。でも、ピアノのご先祖様たちの楽器を聴くと、何とも弦の美しい音。より弦に近い、どちらかというと、ギターのような音です。(そういえば、たまにギター演奏を聴いて「ピアノみたい!」と思うこともありますね。)また、同じ弦の音でも、初期のつめの様なもので引っ掛けて音を出す形から、ハンマーで叩く形に変化してから随分と音色が変化していることも知りました。

 小林道夫さんの解説も素敵で(声もなかなかダンディーで素敵)、私が感銘を受けたのは、「チェンバロから『発達』して今のピアノに至ったのではなく、『変化』して至っている」ということをお話されていたことです。だから、今のピアノが発展した頂点ではなくて、それぞれが、それぞれの頂点であり、また通過点でもあるわけです。確かに・・・。ギターがリュートなどから変化してきたり、木管が金属管になったり。どの楽器でも、時代とともに変化します。でも、楽器には到達点はないのです。現在の私が、ご先祖様の頂点にある・・・なんてことを言わないのと同じですね。

例えば発展途上国・先進国、という言葉。これは一体何を指して途上と先進を決めているのでしょう。先進と誇る国が、発展途上といわれる国へ水道設備を持ち込んで、その国の独自の石積みによる水路の文化を壊してしまった、というような話も聞いたことがあります。何が優れていて、何が先進的か、誰が価値付けを出来るでしょう。

話が飛びましたが、それぞれの楽器の特徴をつかんで、またそれぞれの価値を本当に認めて、大切な宝物のように、ひとつひとつ私たち観客へ解説される小林道夫さんの姿は、本当に素晴しいと思いました。

エスプレシボ4月号 
bQ62

もとのその一
          竹内幸一
 
 今年は、冬らしい冬?でしたね。雪もよく降りましたので、例年の暖冬という言葉も忘れてしまうほどでした。でも、やはり季節は動いています。春一番という暖かい風がようやく吹いてきました。
 
 さて今月は、千利休が茶人の心得について書き残した「利休百首」を取り上げてみました。それを、茶道から音楽を学ぶことに置き換えて、私なりの解釈をしてみたいと思います。
 
 まず第一首目です。「其の道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ」→水を飲みたくない馬を、無理矢理岸辺に連れて行っても無駄ということがよく言われます。この楽器をしてみたいという意欲こそが、まず何よりも大切だということでしょう。其の道に入るか入らないかのスタートは、自分の意志にかかっています。
 
 「恥を捨て、人にものを習うべし これぞ上手の基なりける」→習いたいということは、未熟な自分を認め、それを変えてくれる師を求めることだと思います。年齢を重ね、だんだん精神の柔軟性を失ってくると、人に頭を下げ、自分の無知をさらすことがきつくなります。しかし、自分を豊かに変えようとする意欲からしか、自分の新しい成長は望めない気がします。
 
 「上手には、数寄と器用と功つむとこの3つそろう人ぞよく知る」→数奇(風流を好む)とは音楽を愛することです。器用とは、指の動きや音感などその人の持つ体質です。そして、功つむは練習するということだと思います。この3つのうちで、数奇と功つむは、自分の思い入れで、ある程度はどうにかなるものです。しかし、器用は、走るのが早い人や声のいい人など、それぞれ持って生まれたような体質のことですので、簡単には自分で変えることは出来ません。
 
 レッスンをしていても、この方は器用だなと思うこともあります。しかし残念ながらそんな方に限って「功つむ」に耐えられず、せっかくの才能を無駄にしてしまうケースをよく見かけます。逆に、あまり器用でないと見えた方が、長年こつこつやっているうちに、その人なりの開花を見せてくれて、大変嬉しい思いをすることもあります。
 
 他人の「器用」を羨んで嘆く方もおりますが、上を見れば切りがなく、頂点には天才が存在しています。いわば無駄な嘆きなど捨て、自分なりの「功つむ」ほうが、どれだけ実利的か分かりません。
 
 「けいことは一より習い十を知り十より帰るもとのその一」→これは、今回のタイトルに使わせていただいたものです。ギターのレッスンをしていて、「それは6弦ですよ」と言うと、1弦をさわったりする方が、かなり長くやった方にもいます。あまりの単純ミスに、申し訳ないですが、私のほうも苦笑してしまうことがあります。
 
 これは1弦、これは2弦…この事はたぶん一番最初のレッスンで覚えてもらったことだと思います。ごく簡単な初歩的なことですが、いつの間にか忘れているんですね。そんなときに思い出してほしいのがこの「もとのその一」です。たまには、懐かしい初心者の教本をめくってみると、新しい発見に出会うことでしょう。
 
 「習いつつ見てこそ習へ習わずに善悪言うはおろかなりけり」「こころざし深き人にはいくたびもあわれみ深く奥ぞ教うる」→少し長く楽器をやっていると、いつの間にか師よりも偉くなっている方も、たまにですがおります。これはこういうものだと、自分なりの考えで決め付けて硬直してしまうと、それ以上は進まなくなります。
 
 ある本で、演奏家の年賦などを研究していたのを読みました。それによると、その演奏家が伸びている間は、いつもその方の中に、尊敬し学ぼうとする師になる人が存在するのだそうです。それを失くしたとわかる頃から、急激につまらない演奏家に落ちていくというケースがたくさんあると書かれていました。指導する私たちも心に銘ずべきことだと思います。
 
 尊敬を受けないのは、もちろん師のほうにも問題があるのでしょう。その意味では、教えるほうの側も日々自分を磨き、生徒さんのはるか先を歩んでいなくては、教え導くことは出来ません。
 
 その上で、講師は、生徒さんの暮らしている環境の総合的な面や長期的な展望を考え、上手になっていくための助言をしているはずです。しかし、生徒さんの中には、ごく一部ですが、自分の考えを優先して、それを受け付けなくなっている方もおられます。教えるほうからすると、今は是非こうしたらいいのになと思うことが、受け入れてもらえないことは、悔しいし、大変残念なことです。
 
 「習いつつ見てこそ習え」です。ともかく指導を受けてやってみていれば、自分がそれまで思いも及ばなかった新しい世界が開けてくることがあります。からっぽになってそれを信じてください。
 
 自分を変えて学ぼうという柔軟な姿勢、そして、「十よりかえるもとのその一」の繰り返しが、音楽を学ぶ上での真髄だと思います。
 
 ちなみに裏千家では、自刃した利休をしのび、3月28日に「利休忌」という特別な日を設けて全国で追悼の茶会をしています。

<行事予定>
 
 ■第37回エチュード・ファミリー・クラブ例会 
4月10日(日曜夜7時)サンシティー音楽院。
■ほのぼの歌声サークル
  4月13日・27日 水曜日午後2時から。
■オペラ鑑賞 歌劇コシ・ファン・トゥッテ(モーツアルト)
 4月20日(水)午後1時半〜 <500円>

ギターフェアー開催
  4月10日(日)〜17日(日)サンシティー音楽院2F
ギターの上級機種をご希望の方は、たくさんの本数の中から、ご自分の好みの音やデザインのものを選べる、絶好のチャンスです。講師による模範試奏会も行いますので、お聴き比べになってお選びください。(要・予約) フェアー特別割引もあります。
 30万円〜50万円程度のギターを取り揃える予定ですが、別のご希望価格帯の取り寄せも出来ますので、お知らせください。自分の将来への先行投資をして、豊かな音楽ライフを確かなものにしてください。

■第167回 さわやかコンサート
4月22日(金)鶴見病院 6時40分〜
■音楽と映画鑑賞会 「黒いオルフェ」(104分)
 4月24日(日)夜7時半〜
主題歌「オルフェの歌」ピアノ演奏付き <500円>
  ◎4月24日(日)午後6時〜 よちよちジュニア <500円>
■第22回春の音楽祭 4月29日(金・祭日)
 いよいよ今月は音楽祭です。音楽祭までの緊張感こそ宝物です。当日は、あるがままに気楽に。音楽祭に出ない方は応援をお願いします。
●ルベックスペシャル告知板 
4月練習2・9・16・23の4回です。
30日(土)は連休につきお休みです。
サンシテイー音楽院レッスンお休みのお知らせ)
春の音楽祭のあとは1週間のお休みです。
4月30日(土)〜5月6日(金)(発表会に出ない方もお休みとさせていただきますので、よろしくお願いします)
■中部公民館・会場の都合で4月23日・29日はギターお休みです。

リレー随筆 120 
インド旅行と音楽                             田 中 幸 子
 先日 時々私の家に遊びに来ているAPUの双子の学生に誘われて、インド旅行に行って来ました。
 ニューデリーでは、同じくAPUを寿退学した女の子の結婚式に出席しました。4頭立ての馬車に乗って花婿が現れる絢爛たる結婚式でした。そのパーティーの間中、インド独特のリズミカルな音楽が流れていました。そのムードの中で私も思わずステージに立っていました。
 その後 インドの東北部のパトナという町でホームステイをしました。(双子の学生の実家です。) インドのガンジス河(ガンガーGanga)が合流している所に位置する町で、私たちが希望して船に乗せてもらいました。
 小さな、そして汚い路地を通って河のほとりについた時、音楽が聞こえてきました。汚れた布の上に赤や黄色の汚れたサリーをまとった女性や子ども達、足のない男性など10数人が、太鼓らしきものを伴奏に、賑やかに、リズムカルに、そして寂しげに歌っていました。彼らは巡礼者だそうです。
 ホームステイした家では、日曜日の夕方、50人ほど集会がありました。2つで1組の太鼓の伴奏に、その家のお父さんとお母さん・叔母さんが先に歌いはじめ、全員が歌い、体でリズムをとっていました。1時間続きました。ヒンズー教のおいのりだと思われます。音楽と宗教が結びついたものでしょう。
 インドの音楽は、西洋より古い歴史を持つと言われています。古代インダス文明のモヘンジョダロ遺跡からも踊り子の像が出土しています。世界最古の舞踏は、アジアの舞踏の原型にもなり、舞踏と音楽は、宗教と深い絆で結ばれていたそうです。
 そのホームステイの家の集会の後の事です。 私達が『わたしの娘イシャ・シュレアの日本のお父さんとお母さんです。』と紹介されました。そして イシャのお父さんは主人がハーモニカを持っているのを知っていて何かして吹いてほしいと希望し、主人が「荒城の月」を吹きました。静かな 悲しい曲調がインドの人達の心を打ったかどうか疑問ですが、その後の沢山の拍手は、感動的でした。
 その次の日の朝、前の晩の拍手に気を良くしてか、主人が寝室でハーモニカを吹いていました。曲は「月の砂漠」「花影」等です。その家の家族が、1人1人ソファーの上やいのりの部屋で瞑想している時間です。 朝食の時、イシャのお父さんが言いました。「あなたの音楽は、心の深いところに静かに入り込んで、より深く瞑想に入ることが出来ました。すばらしい」と。 最も英語ですから、よくわかりませんが。
 インドの人たちの音楽を聴いた私達、ハーモニカで日本の音楽を聴いたインドの家族や友人達、それで何となく心が触れ合った気がするのは、音楽の力でしょう。音楽とはなんと不思議なものでしょう。
 今 ギターを習い始め、ウミガメのたまごからかえったように、やっと海の方に向かって歩き始めた私ですが、辛抱強く、かつやさしく、ほめじょうずな竹内先生にささえられて、このすばらしい音楽に携わっていきたいと、気持ちを新たにした旅行でした。
 
四陸七海レポート@
            ギター科 村上 昭子
 私は、去年の10月22日から102日間の船旅にいきました。航路は、アジアからアフリカ、南米、南太平洋、そしてオセアニアの南周りです。
 まず、今回の私が乗った船「トパーズ号」について説明したいと思います。船籍:パナマ、総トン数:31,500トン、全長:195m、デッキ数:9階、乗客定員:1487人、実際乗った私ですら、そのくらいの大きさか説明が難しいのですが、タイタニック号ぐらいかと思われます。(想像ですが・・・)
 施設は、プール(10mぐらい)トレーニングジム、スポーツデッキ、ミニシアター、レストランが2ヶ所、Berも2ヶ所、売店、美容室、その他フロントにツアーデスクがあり、1つのホテルが動いている感じです。
 102日間のほとんどが船内の生活で、船内生活を飽きさせない仕掛けが、いっぱいあります。まず1つは、世界各国から専門家を招いての歴史や文化、社会問題などの講座の時間があり、他には参加者が先生になる自主企画と言うものもあります。自主企画とは、参加者が得意とする企画を出し、好きな時間に好きな企画に参加すると言ったものです。
今回、人気があったのは「折り紙クラブ」「エアロビ」「和太鼓」などで、変わったものでは「マジッククラブ」「南京玉簾」「徳性占い」などでした。毎日、盛りだくさんの企画があり、地域を越えて世代を越えた仲間ができ、とても良い経験になりました。 今回は、船・船内について記載しましたが、参加者・寄港地については次回からの記載にしたいと思ってますので、楽しみにして下さいね。
                        (つづく)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                       
先月ご紹介した音楽療法士の吉弘さんより、テキサス大学の論文をお借りしました。井野和子さんにお願いして翻訳をしていただきました。折角の機会ですので、ご紹介します。

3年間のピアノレッスンが、子供の学力、学業成績、自信形成に及ぼす影響 bP
                 (訳:井野和子)
3年間のピアノレッスンの影響に関する本調査は、モントリオール州の公立小学校に通う117名の4年生を対象に実施した。サンプルとなった小学生たちは、それまでに音楽のレッスンを正式に受けたことはなく、家にピアノもない子供たちである。これらの子供たちの家庭の平均年収は4万カナダドルであった。
 実験グループ(63名)の子供たちは、3年間毎週ピアノの個人レッスンを受け、無料でアコースティック・ピアノが提供された。管理グループ(54名)の子供たちには、音楽のレッスンを実施しなかった。これらの子供たちには、本プロジェクトの開始時点およびピアノレッスンを実施した3年間の間に、自信形成、学力、認知能力、音楽的能力、運動能力のテストが実施された。テストの結果、ピアノのレッスンは子供たちが自分に対する自信を深め、学校の音楽の評点を上げるという効果があったが、標準テストによって判定されたり、学校の成績表に記載される、数学や言語の学力には影響を及ぼさなかったことが明らかになった。
 ギリシャ人は、2,000年以上も前に、音楽を学ぶことの重要性、音楽が人間の心に与える好影響を認識していた。それ以来、音楽は、ギリシャにおける中世の主要三学科(訳注:文芸・修辞・論理)の柱となっていたが、現代の学校では、そのポジションは大幅に小さいものになってきている。しかし、ここ10年の間に、音楽の子供の教育に対する貢献への関心が急速に高まってきた。
 音楽のレッスンを受けたり、受動的に音楽を聴くことの認知学上の利点(モーツアルト効果として知られている)に関する研究が学術界において議論されている。音楽のレッスンが子供たちの一定の空間能力を発達させるという証明は多い(ヘットランド 2000年、「関連研究の異分析」を参照)が、(p.140)モーツアルト効果は、最近の研究では支持されていない(シェレンベルク 2001年、「文献検討」を参照)。積極的に音楽に触れることの教育効果に関する調査では、音楽のレッスンによって、数学の問題の解答能力(グラツイアーノ他、1999年;ロイシャー他、1995年、1997年;フォアーン2000年)、および言語能力(チャン他、1998年;トンプソン他、2002年)等の一定の認知能力が向上することが明らかにされた。しかし、数学や言語等の学力に音楽が与える影響は、明確には示されていない。
 
教室のほんわかエピソード
 ギターを習っている小学生の少年のエピソード。ある日、ギター講師が「スカボロ・フェア」という曲をその少年に聴かせました。「今からスカボロ・フェアを弾くけんな」。少年は「先生、スカボロって、どういう意味ですか?」と尋ねました。少年は続けて尋ねました「スカートが、ぼろぼろっていう意味ですか」(・・・笑!)

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