エスプレシボ 5月号 (251)

合掌 
  竹内幸一

 春の音楽祭を終え一夜明けましたが、まだ作日の興奮や疲れが体をめぐっています。でも、この達成感は何にも代えがたいものですね。いろんなご縁で結びついた方々と、毎年このような行事が開催できることを幸せに思います。皆様ご協力ありがとうございました。

さてこれからしばらくお休みですが、とりあえずこの新聞を完成させてからゆっくりしたいと、朝からパソコンに向かいました。今回はちょっと抹香臭いものになりそうです。じつは、我が家の若い論説委員諸氏には、こういう類は不評なのですが、(他にネタもないので)断行します。休み中に印刷してしまえばこっちのもの・・・(笑)

毎日顔を洗う洗面台の横に、一枚の小さな紙が貼ってあります。あまり古びて汚くなったので、捨てようかなと思って読み直してみると、う〜んなるほどと改めて思いましたのでここに取り上げることにしました。今朝その紙をはずそうとして画鋲を抜こうとすると、錆びていてピンが折れました。つまりそれほど古いもので、実はこの紙の出所はもう記憶にありません。ともかく、10数年前に、なかなかいい言葉だなと感動して鏡の横に貼ったのだと思います。その紙には次のように印刷されています。

合掌

 

父母に合掌すれば考順となり

子供に合掌すれば慈愛となり

目上に合掌すれば敬愛となり

お互いに合掌すれば平和となり

自己に合掌すれば徳行となり

事物に合掌すれば感謝となり

み仏に合掌すれば信心となる

 

合掌とは、体の前で両手を合わせることです。深い意味は知りませんが、「あなたに危害を加えるようなものは、このように、何も持っていません」ということを示していると聞いたことがあります。

私は何も信仰を持たない人間ですので、普通は、あまり合掌することはありません。親戚や知人などの葬儀や法事、あるいはたまに家に帰ったとき仏壇に手を合わせるぐらいのものです。しかし、何ゆえでしょうか、この小さな紙のいくつかの合掌が心をとらえ、長いこと貼り紙をしていました。

これを読み直しながらふと思ったことがあります。それはもうずいぶん昔のことで、雑誌か何かの人生相談でした。占い師のような人の、悩みの相談に対する解答だったような気もしますが、その答えに対し、嘲笑したことを思い出したのです。家庭でのいろんな困難や、悩みの出てくる原因は、「あなたの実家の墓が草ぼうぼうで荒れているからだ」というのです。若いころの私は、それに対し、そんなことが、何の関係があるものか、くだらないと吐き捨てていました。

しかし、年を取ったせいかもしれませんが、なぜか今それを思い起こして、自分の考えの甘さを実感しているのです。勿論、墓に霊があって、そのたたりでなどということを信じている訳ではありません。墓と、それぞれの方との暮らしは、全く何も現実的にはつながっていないと思っています。

とは言え、父母や、先祖に合掌するという気持ちを持たないことが、草だらけの荒れた墓になるとしたら、その家庭の暮らしはいかがなものだろうかと思ったのです。勿論、いろんなケースがありますから一くくりには出来ませんが、子供が荒れたり、夫婦関係が冷たくなったりする裏には、ひょっとしたら、荒れた墓もやはり結びつくこともあるのではと、今は思うようになりました。

このおじいちゃんは、こういう人でね・・・と命のつながりを墓掃除をしながら子供たちに語る暮らしをしていれば、考順、慈愛、敬愛・・・といった気持ちが育つのではと思うのです。父母や祖先に対する親の後姿を見て、子供たちも親や子に対する接し方を学んでいくのではないでしょうか。今、悲しい出来事が多いだけに、そんな意味の合掌が不足しているのではと、痛切に思います。切断してしまった係累は、次々とそのまま連鎖していくのだとしたら、墓掃除という行いの持つ意味も、深いものがあるような気がするのです。

ほかの合掌もそれぞれ掘り下げる意味がありますが紙面に限りがありますので、「自己に合掌」について少し触れてみましょう。私が思うに、合掌は、短い座禅のような気がします。手を合わせたほんの少しの間に、いろんな雑念をはじめ、自分のこれまでのこと、そしてこれからの歩んでいく方向などが、稲妻のようにひらめくことがあります。

またそのとき、普段では見えない自分が、そこに照らしだされて、ハッとすることもあります。恥ずかしい話ですが、最近、我が子供たちの扱いにくい面、嫌な面を思っているとき、ふと、「ああ、これは、自分の独善的な態度がそこに反映されているんだ」とようやく気が付きました。そして少し肩の力が抜け、寛容な気持ちにならざるを得ませんでした。その親の責任を思えば、子供たちを簡単には叱れません。その気持ちをひょっとしたら「慈愛」とあらわすのかもしれません。

時折でも、自己に合掌することで、偉そうに人を裁いている自分が少しでも見えれば、それが徳行に結びつくこともありうる気がします。

ただし、今回の「合掌」は、目に見えるところで手を合わせるというより、それぞれの方の心の中のことだろうと思います。

「心の中で手を合わせています」

素敵な優しい言葉ですね。

生きていく上では、いろいろ心配の種は尽きませんが、その解決の方向に「合掌」が少しでもお役に立つことを願っています。

 

 第15回よちよち音楽入門鑑賞講座 

★オペラ*時.5月19日(水曜日)

昼の部 午後1時30分からベルディー:歌劇「仮面舞踏会」(136分)レバイン指揮・メトロポリタン歌劇場管弦楽団。いよいよ3大テノールの最後、パバロッティーの登場です。

     オーケストラ*5月23日(日)

◎幼児・小学生の皆さんへのやさしい音楽講座。夜6時〜30分。やわらかい感性のあるうちに、本物の音楽に触れてください。目に見えないことですが、音楽を愛する上で、一番大事なことは幼い時にいい音楽にたくさん触れることです。

◎一般。夜7時半〜  ベートーベン:交響曲第9番「合唱」(カラヤン)。長い間ベートーベンの交響曲に取り組んで来ましたが、今月で全曲終了となります。

●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)

<行事予定>

■第25エチュード・ファミリー・クラブ例会 5月9日(日曜7時)サンシティー音楽院。
■第156回 さわやかコンサート5月28日(金)鶴見病院6時40分

■ほのぼの歌声サークル(月2回・会費月額千円)会員募集中   5月は12日と26日・水曜日午後2時から

■オンパク 竹内幸一甘味茶屋ギターコンサート 追加演奏会開催。5月20日分が満席になりましたので追加いたします。

5月21日(金)午後2時 1500円(甘味茶屋特製の抹茶と和菓子付き)30名限り。茶菓の準備がありますのでご予約をお願いします。   予約受け付中。(21−9167・竹内まで)
     松田奈緒美女神の歌声 5月9日11時半3500円(杉乃井ホテルにてランチ付き)

     岩下倫之(F)・竹内竜次(G)コンサート 5月22日19時・枡屋 2千円(飲み物付き)

●ルベックスペシャル告知板 

5月の練習。毎週土曜日の5回です。だんだん顔ぶれがそれって合奏らしくなってきました。7月25日に福岡でのフェスティバルもありますので、よろしくお願いします。 

レッスンお休みのお知らせ

5週目のお休み】

5月29(土)・30(日)31日(月)

リレー随筆109

初めてのギター
別府トキハギター講座 高橋美穂

私はギターを習って4ヶ月になります。

 何か楽器を始めたいと思っていた頃、新聞で教室の存在を知り何も知らない状態で見学にいったのですが、すぐに習いたくなって入会していました。音がとってもいいなとおもいました。

回が進むにつれコードをたくさん覚えないといけない事を知り大変ですが、子供の頃に慣れ親しんだ曲が多いのでなんとかがんばっています。

ただ、まだ30分も弾くと手も足もつる状態なのでもっとギターにふれてたくさん練習して自分の弾きたい曲をらくに弾けるようになりたいです。そして趣味のひとつになれば楽しいだろうなとおもっています。

これからも先生をはじめ皆様よろしくお願いします。

♪親子でリレー随筆をお願いしました♪

リレー随筆 110 

ピアノをはじめて

佐藤千祥(ピアノ)

わたしは、六月にピアノをならいはじめました。さいしょは、かた手でもむづかしかったです。でも一か月二か月とたっていくうちにだんだんじょうずになりました。今ではりょう手で3つのゆびをつかってもかんたんだとおもいます。でもあと二ヶ月で一年たちます。これからもピアノをがんばります。

リレー随筆111 

たからもの
        千祥ちゃんのお母さん

うちの一人娘は、4月で小学校2年生になりました。ピアノとお絵かきが大好きな、主人と私の宝物です。
 今 現在、かきかた教室とこちらのピアノ教室に通わせていただいています。

英語にスイミング、ダンス・・・習い事がたくさんある中で、させてあげたいことは山ほどあるけれど、予算の都合(?)と、あまりたくさん習い事をさせて 子供時代の自由な、そして貴重な時間を奪うようなことはしたくないという、主人と私の考えで、2つだけにおさえています。

ピアノを習い始めたのは 本人の意志ですが、正直言って、私自身の強い意向もあります。内気で押しが弱く、繊細な、私たちの小さな娘が これから成長して 小学校、中学校、高校・・・そして社会にでていくまでに友人関係に悩み、人生の様々な問題にぶつかることもあると思います。それは勿論、本人が乗り越えていかなければならないことだけれど、そんな時に、ピアノが、音楽が、この娘の周りにあって、“心の支え”“やさしい存在”になってくれればと心から願っています。

私の知り合いに、「ピアノを弾ければ、将来、保母さんにもなれるし、習わせたら役に立つわなあ。」と言った人がいました。そんな気持ちもわかるし、私も親なので、はやく上達してほしい、もっと頑張ってほしいという期待や欲も確かにあります。

でも、そんな気持ちが娘の負担になるのは避けたいし、何よりもそれを抑えられる親でありたいと思っています。そして、今日もピアノを楽しそうに弾く娘を見守っていたいと思っています。

♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜佐藤家のあったかエピソード

ちあき「家で、お父さんとお母さんがピアノ聴いてくれた!」

(竹宏)「聴いてもらったん〜!?」

ちあき 「うん!弾き終わったら、お父さんが『アンコール』っち言ってくれた!お母さんは『よかったよ』っち」

こんな温かいご両親に心から感謝します。

ちあきちゃんは、毎週、音楽院のちょっと重たい扉を一人でヨイショと開けて入ってきて、必ずはじめに「こんにちは」と言ってくれます。教室中に響き渡るような大きな声ではありませんが、誠実で気持ちのこもった、ちあきちゃんの「こんにちは」が、私は大好きです。

 そんなちあきちゃんと一緒に過ごして感じるのは、何に対してもまず‘自分で‘乗り越えようとしているな〜ということです。これは、とってもすごいことだと思います。例えば、ピアノで少し難しいところが出てくると、何度も弾いて、弾けるようになるまで自分で頑張ります。自分の力で階段を上っているのですね。

また、音楽院に一人で入ってくることも、子どもたちにとって、始めは少しドキドキする事かもしれません。これは、ピアノに限ったことではなくて、生活の中に自分でしなければならないことはたくさん出てきます。一人で買い物をしてみるとか、何かを一人でやってみることは、私たち大人でも、パワーがいります。

自分で出来るかな?出来ないかもしれない。その色々なドキドキを乗り越えて、「でもやってみよう」と思ったとき、出来た・出来なかったには関係なく、1つ殻を破っているんですね。

4月29日には、年に1度の発表会「春の音楽祭」に、たくさんの参加者がご出演して下さいました。出来るかな、緊張するし、「やっぱりやめておこう」と止めていたら、なかった一日。そこを乗り越えて「出てみよう」と決めたことで、目に見えない何かが変化したと思います。出演者や、応援してくださった方、共に過ごせた皆さんに感謝申し上げます。

*親子リレー随筆の応募をお待ちしています。また、春の音楽祭出演の感想文もお寄せ下さい。大人の方も、小さな子供さんも歓迎します。紙面の都合がつく限り、この新聞に掲載させて頂きます。(竹宏)

エスプレシボ 6月号 (252)
不滅の恋人
  竹内幸一

若葉の風がこころよい季節です。これから入梅までが、年間でいちばんしのぎやすいころかも知れません。

 さて今月は、ベート-ヴェンの生涯をたどっている映画「不滅の恋人」を取り上げましょう。実は昨年の7月より「べートーヴェンの交響曲全9曲をDVDで聴こう」という企画を続けていました。それが先月どうやら終了しましたので、そのまとめもしたいと思います。

ベートーヴェンには9つの交響曲があります。有名な、「第5番・運命」や「第9」はどなたでも耳にしたことがあることでしょう。しかし、1番とか、4番とかを演奏会で聴く機会はめったにありませんし、CDを手に入れてまで聴くことも、よほどのマニアでなければないことでしょう。そこで、たまたま1〜9番までの全曲のDVDが手に入りましたので、これを月に一曲映像を見て聴いて征服しようということになったのです。途中順延などもあり、9曲を終えるのに11ヵ月かかりましたが、どうやら目的を遂げました。ご参加の皆様有難うございました。その終了記念に、今までのベートーヴェンの総復習も兼ねて、映画「不滅の恋人」を鑑賞しました。映画は、57歳で亡くなったベートーヴェンの出棺風景から始まります。世紀の音楽財産を残した偉大な作曲家が群衆に送られる場面は壮観です。

しかし、そこから一転して、遺産争いのきわめて人間的などろどろした場面になります。ベートーヴェンの弟が、遺産は自分のものだと言いはるのです。しかしそこに最後の遺書がベートーヴェンの弟子によって示されます。それには、「私の楽譜、財産の全てを「不滅の恋人」に捧げる」と書かれてあります。では、その恋人とは誰なのかというミステリー?仕立てでドラマが始まるのです。

伯爵夫人ジュリエッタ(ピアノの生徒・その家で新しいピアノを試奏しているとき、耳をピアノの蓋につけて月光をベートーヴェンが弾くのが印象的)、伯爵夫人アンナ(ピアノ協奏曲第5番皇帝の初演のとき、耳が聞こえないことから、オケは止まり立ち往生する。そのベートーヴェンを助けた女性)・・・そんな不滅の恋人の候補になる人を追って、ドラマはフィードバックされ、華麗なる女性関係のベートーヴェンの過去を綴って行きます。

その流れの一つに、ある女性と束の間の恋が実り、ホテルでの密会場面が描かれる所があります。そのいきさつは、映画の全体をも暗示します。約束の時間になっても、待っている女性のもとに、ベートーヴェンは現れません。丁度そのころ、嵐の中で、ベートーヴェンの馬車は事故で進めなくなっていたのです。何としても行こうとしているのだと、至急の手紙を送るのですが、ちょっとした手違いで、彼女にはその手紙が渡らないままになります。それで、恋の終わりを決め込んだ女性はそのまま悄然とホテルを発ちます。そのすれ違いが、生涯にわたって胸に秘めた不滅の思いだったことになるのです。

あとで分かりますが、その女性は、その後ベートーヴェンの弟ガスパールと結婚していました。ガスパールが亡くなったあと、ベートーヴェンはその息子カールに異常に執着します。裁判を起こしてまでその母親と争い,自分のもとに引き取ります。そして、カールに、ピアノを教え、音楽家にさせる夢を追います。

しかしカールは、自分の限界を知り、あまりのベート−ヴェンの期待と重圧に、ピストル自殺を図ります。未遂で終わったカールは母親のもとに運ばれます。駆けつけた耳の聞こえないベートーヴェンに、カールは紙に文字を書いて渡します。それには「2度と、僕の前に現われるな」と書いてありました。

5年間ほどカールをひたすら溺愛したベートーヴェンは、演奏も作曲もせず貴重な人生をすり減らしました。しかし、この映画でのカールは「不滅の恋人」ヨハンナとベートーヴェンの間に出来た実子だという示唆をしています。弟の子の甥「カール」ではなく、自分のたった一人の血筋ということを、もしべートーヴェンが意識していたなら、ベートーヴェンのカールへの異常な執着が理解できる気がします。とはいえ、その思いの強かった分だけ、ベートーヴェンは絶望のどん底に落ちます。カールを自殺未遂に追いやったベートーヴェンの評判は地に落ちます。浮浪者のようなベートーヴェンは、近所の子供にも蹴飛ばされ突き飛ばされます。

しかし、天才、そして超人ベートーヴェンはそこから立ち上がり、人類史上最も記念碑的な作品といわれる最後の交響曲をその後書くのです。「全世界にその大いなる愛を与えよう」と自由、平等、博愛を訴え、「星空のかなたに、神は必ず住みたもうのだ」と高らかに歌い上げる第9番「合唱」は、映画の中でもクライマックスとなっています。彼の底知れぬ絶望は、そこに巨大な反作用の花として、豪華絢爛たる輝きを見せます。

泥水の中で動かなかった馬車のこと、遅れを伝える手紙・・・それがヨハンナのもとに、ベートーヴェンの死後ようやく届いて、「不滅の恋人」は泣き崩れます。ほんの小さなすれ違いの切ない哀しみを残して、映画は終わるのです。

みんなでベートーヴェンの交響曲の山に登ろうと決めたころ、私は、家にあるだけのベートーヴェンのCDを車のカーステレオに入れました。それがこの11ヶ月ほどの間に何度めぐったことでしょうか。その効果が少しはあったのでしょう、今はベートーヴェンを聴くとなんだか懐かしいふるさとに帰った様な気分になります。

映画では、ロンドン交響楽団(ショルティー)、ヨー・ヨー・マ、マレイ・ペライアなどの演奏によるオールベートーヴェンの音楽で、素晴らしい効果をあげていました。どうぞ皆さんも、貸しビデオ店にありますので一度ご覧下さい。

 第16回よちよち音楽入門鑑賞講座 

★オペラ*時.6月16日(水曜日)昼の部 午後1時30分からロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」(141分)アバド指揮・ミラノ・スカラ座管弦楽団。ヘルマン・プライのバリトンをお楽しみ下さい。★オーケストラ*6月27日(日)6時〜6時30分幼児・小学生の皆さんへのやさしい音楽鑑賞講座。夜6時〜30分。「ポルカ」ってなんだろう。馬が曲に合わせて踊ったりもするよ。

  一般音楽入門鑑賞講座

6月27日(日)夜7時半〜60分程度

【新企画開始】8回シリーズ)

スペインギター史の旅

巨匠ジュリアン・ブリームの演奏とお話で、スペインの美しい風景と共に、歴史順にギター音楽を聴いていきます。演奏を楽しみながら、ギター史を辿ることが出来る一石二鳥のスペインの旅へ!

1回目→ 第1章【黄金の世紀】 古楽器ビウェラによるルネサンス音楽の数々をお聴きいただきます。<黙って座れば・・・それであなたもギター通>*ご予約お待ちします。●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)

 

<行事予定>

■第26回エチュード・ファミリー・クラブ例会 

6月13日(日曜7時)サンシティー音楽院。

■第157回 さわやかコンサート

6月25日(金)鶴見病院6時40分

■ほのぼの歌声サークル

(月2回・会費月額千円)会員募集中

   6月は9日と23日・水曜日午後2時から

●ルベックスペシャル告知板 

6月の練習。5・12・26(土曜日)+

20(日曜日)←19日の土曜日は公民館が使えませんので変更しています。

レッスンお休みのお知らせ

5週目のお休み】6月29(火)・30(水)

 

春の音楽祭の感想を聞かせてね

(♪・・・出演者 ☆・・・お家の方 ○・・・講師)

田中孔貴(小1)・ピアノ

きんちょうをしました。

だけど、たのしかったです。 

☆こうちゃん、ちからづよく、どうどうとひけたね。かっこよかったよ。

○ピアノを弾くこうちゃんの顔は、真剣でかっこいい!        
田中太基(4歳)・うた

ちょっとドキドキやった。

☆たいちゃん、おおきなこえでげんきにうたえたね。ままもぱぱもうれしかったよ。

○初出演。歌詞をおぼえたね〜!たいちゃんらしく、のびのび歌えたね。

♪平野かすみ(3歳)・うた

☆きちんとできるか心配しましたがなんとか最後まで歌え、よかったです。よい経験になったと思います。ありがとうございました。

○初出演。練習の時と同じように、元気に歌えたね。

♪平野瑞希(5歳)・ピアノ

せんせいがいたから がんばれた。

☆みずきにとって2度目の発表会。広い場所に少し戸惑っていたようですが、リハーサル、先生方の励ましがよかったようです。ありがとうございました。

○みーちゃんの頑張りを、ち〜ゃんと見てたよ! みーちゃんは、リハーサルで緊張のあまり弾き始める事が出来ませんでした。でも、自分で乗り越えて、本番は立派に弾けました。弾き終わった後の「できたよ〜!」というみーちゃんの笑顔に涙涙。

佐藤千祥(小2)・ピアノ

さいしょはかいじょうが広いと思ったらあんまり広くなかったからおちつきました。うたは大きな声でうたえました。ピアノもじょうずにひけたけど、あいさつをわすれそうになったけどちゃんといえました。たのしかったです。    

☆記念品として頂いたお花が次の日にすぐに枯れてしまい残念でした。勝手なお願いですが次回はできれば日曜日に開催していただければ嬉しいです。大袈裟な発表会ではなく子供も思ったより緊張せずにのぞめたと喜んでいました。

○一生懸命歌って、一生懸命弾けたね!初出演。

♪小川さくら(小6)・ピアノ

「トルコ行進曲」という大きな曲を発表会でひけたことをすごくうれしく思っています。発表会、ひき始めのときは少しきんちょうぎみで指がかってに動いているみたいでした。だけど、中間くらいのところからリラックスできて最後は最後らしくひけて、とてもうれしいです!!去年は「エリーゼのために」今年は「トルコ行進曲」という有名な曲を2年連続ひけてほこり(?)に思っています。これも教えてくれた先生たちのおかげと思っています。来年はもっともっと有名というか難しい曲にちょうせんして発表会でも難しい曲にチャレンジ☆してみたいです。終わったときにすごく力がぬけて、ホッとしました。来年もがんばります。     

☆前日の練習を聴いているとだいぶミスも多かったのに本番は何とか弾けて良かったです。六年生になったら感想文をスラスラ書けていてちょっと驚きました。親の出る幕がない。父親も日頃の疲れをしょい込みながら娘の曲は真剣にきいていました。母は、PM(一般の部)、耳の肥やしにと残りましたが、年配の方が一生懸命一曲を確実にマスターして発表会に臨んでいる点は大変感動しました。 今後共よろしくお願いします。本日は大変お世話になりました。

P.S.兄弟、姉妹などが、歌っている姿がかわいかった。毎年その方たちが成長しているのも、楽しみですね。民族衣装のオープニングも皆さんお似合いで流石。

○難しい曲に挑戦してやり遂げた時、弾き終えた時、さくらちゃんの笑顔は最高だったよ。よく頑張った!!

♪荒金佳子(一般)・ピアノ

ずっと前から好きだった曲「Honesty」を弾くことができてとても満足できました。本番前最後のレッスンの時、先生がおっしゃったように「楽しんで弾く」ということができたと思います。自分の好きなものに能動的に取り組んで楽しむ一音楽を自分で弾くということは本当に良いことだと感じます。

○「好きこそものの上手なれ」だといつも思います。荒金さんの気持ちが、ピアノに表れていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本番だけでは見えないドラマが、たくさんありました。緊張や不安・・・技術面だけでない、その子なりの課題を乗り越えて、確実に成長していく子どもたち。感動。

一般の部では、体調が悪い中、素敵な演奏をして下さった方。久しぶりに舞台に上って下さった方。忙しい仕事の合間を縫って演奏された方。それぞれみなさんが何かを抱えながら、参加して下さったと思います。心から感謝いたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●ご質問にお答えして・・・音楽祭のご参加有難うございました。4月29日(祭)に開催している理由は二つあります。1つは日曜日が、サザンクロス自体の行事があってホールが使えません。(それに代わる適当な会場も今のところ見つけにくいようです)。もう1つは、音楽祭はレッスン日の1回分として、音楽祭終了後は、1週間のお休みを頂くようにしています。それで、なるべく皆様のお休みが長くならないように、そのお休みをゴールデンウイークにかぶせるようにしています。ご理解いただければ幸いです。(竹内幸一)

♪気ままなコンサートレポート 5♪

第6回 別府アルゲリッチ音楽祭

(2004.5.5〜5.16 Bコン&県文化センター)

今年も、別府の町が!Bコンプラザが!豊かに湧き、輝いた数日間でした。今思えば、夢か幻のようですが、ここから5分ほどのあのホールで、あの豪華なメンバーの演奏が実在!していました。もう、言葉で書くことはありませんが、やはり、「生」の感動を感じたことと、音楽の喜びを感じたこと、それらをここに少し記したいと思います。

今年、私個人としてフーツォン(p)、イダヘンデル(vi)の演奏を楽しみにしていました。アルゲリッチは、もう言うまでもありません。が、この2人はそろそろ高齢のために、いつまで聴けるか分かりません。フー・ツォンとイダ・ヘンデルの共演は、本当に素晴らしかったし、それぞれのソロも、貴重な演奏だったと思います。イダ・ヘンデル、フーツォンの演奏を聴いている時、なんだかこちらが彼らの演奏を聴いているのに、フー・ツォンが、イダ・ヘンデルが、私の話を「うんうん」とうなずき、じ〜っと聞いてくれているような、そんな安堵と温かさに包まれた気がしました。え?この曲って、超絶技巧を要する曲じゃなかったっけ?という難曲でも、その安堵感は変わりません。特にイダ・ヘンデルは、今まで別の演奏家で聴いたものと、同じ曲に聴こえないほどでした。これは、彼らの音楽であり、それはまた彼らの人間そのものであるからだと思います。私は、音楽に感動したと同時に、名演奏家の人間に惹かれたのだと思います。

今回、音楽祭で、たくさんの名演を聴きながら、いつも同じこと感じました。それは、よく言われますが、やっぱり音楽は、「人」がつくるんだな〜ということです。演奏者と、聴衆と、「人」それぞれが、音楽を含めた無二の空間をつくり上げる。当たり前ですが、面白いと思います。今回の演奏家で、今回の観客にしかできない音楽祭。今回の演奏家はもちろん、今回の聴衆も、誰一人として欠けてはダメなんですよね。「生」演奏はほんとうに一期一会です。

音楽というと、なんだか遠い存在のような気がします。でも、作曲家である「人」が作ったものを、演奏者である「人」が奏し、それに観客である「人」が触れ、また観客同士「人」と「人」が触れ合う・・・音楽はきっと、超人的に美しいものでも、神秘的なものでもなく、いま、ここにある、「現実」なんだと思いました。だから、喜びとなる気がします。だからこそ私は、今回アルゲリッチ音楽祭を聴いて、「生きてて良かった!!」と感じたんだと思います。私が生きてて、隣の知らないお客さんも生きてて、名演を繰り広げる演奏者も、みんな生きてる!なんにも疑いのない、この、手に届く確かな現実;音楽に、この上ない喜びと尊さを感じました。音楽祭に感謝!

たくさんの感動を、たくさんの人に与えてくれるこのアルゲリッチ音楽祭が、この別府の地でこれからも長く長く続ていくことを、心から願います。(竹宏)

エスプレシボ 7月号 253

戦争をしないと決めたこの国で 

                竹内幸一

台風がそれてくれたのは良かったのですが、以後本格的に暑くなりましたね。今、パソコンの横では、今年はじめて扇風機が登場し、首を振りながら風を送ってくれています。

さて、今回は、5月の末の5週目のお休みに、家族ではじめて沖縄を訪れましたので、そのことについて少し書いて見ましょう。ギターの生徒さんに沖縄出身の方がいます。出発前にお話をしたら「梅雨ですね・・雨が」と心配してくれましたが、幸いすっきりと快晴の日が続きました。真っ青な空、白い建物…何だかスペインの雰囲気が漂っているようでした。

レンタカーを借りて、いきたいところにナビをセットすると、車は、首里城や、沖縄ワールドやひめゆりの塔や、水族館などいろんなところを案内してくれました。その車を運転していて、沖縄はいいところだなと感じることがありました。知らないところですので、急な方向転換や、割り込みなどをすることがあるのですが、それを少しも咎めずに許してくれるのです。一度だけならともかく、それが何度も続くと、県民性の全てがそうなのかと驚くやら、いい気分になるやらでした。福岡あたりで少し妙な動きをすると、前、後ろから警笛をぶつけられて、イライラせかせかと殺気立って運転しているような雰囲気がするのとは大違いでした。

あとで先の沖縄出身の方と話をしてみると、あちらでは沖縄時間というのがあって、全てがおおらかでのんびりしているので、運転もせかせかしないんだそうです。「そのうち着けばいいさ」というのはいろんなことに影響があるようで、時間に縛られているよそ者にはそのルーズさが耐えられないんだとか。同じ時間の流れの中を、いろんな過ごし方があるものですね。

この観光では、居酒屋での三線やサンバなどを使った島歌ライブなど楽しいこともありましたが、やはり、いろんな情報は少しずつあったにしろ、「ひめゆり平和記念資料館」が一番の衝撃でした。女学生の手記を読みながら、これが戦争なんだとあらためて認識しました。終盤,軍の「解散命令」という都合のいい無責任な切捨てで、女学生たちは戦場の山中で死の彷徨を続けることになります。そのいわば地獄の中で100余命は死亡します。この女学生たちに限らず、日本は、最後の持久戦ということで、沖縄を捨石にし、沖縄南部県民のどこの家にも戦死者のいない家はないといわれるほどの、23万人あまりの戦死者を沖縄に強いているのです。

くしくも今これを書いている7月23日は、沖縄戦死者のための「慰霊の日」です。その「沖縄全戦没者追悼式」で、高校生の金城実倫君が自作の詩を朗読すると新聞が報じています。まだ内容は分かりませんが、その題が「戦争をしないと決めたこの国で」ということで、今回のタイトルに使わせていただきました。

ひめゆりの塔は勿論、広島、長崎の原爆の悲惨さ、その他全ての戦争犠牲者へのお詫びの誓いが、私は、今話題になっている憲法になって輝いていると思います。「過ちはもう繰り返しません」という強い思いが、日本という国の背骨を作っているのです。

「…国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。…陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

まさに、この9条は、国が戦争をしないと決めた最大で最高の約束でした。そんな憲法があったらいいなというような、夢のような条文です。しかし、これは夢でもなんでもなく、その素晴らしい願いの込められた憲法が、今現在存在しているのです。そして、私たちの意思表示しだいでは,いつまでもそれを守り抜くことは可能なのです。

確かに、自衛隊という軍隊が存在したり、人道支援という名目で派兵したりと、憲法が空洞化されていることも事実です。しかし、いろんなところで、やはり、それは憲法に違反するのではないかという歯止めがあったればこそという、ケースもたくさんありました。

いま、いろんなごり押しなどに蹂躙されて、人々の良心が衰弱しつつあるような気がしてなりません。しかし、大勢に仕方なく呑み込まれて、現実に埋没してしまうことが、ひいては改憲という道を開くことにもなりかねません。現実に憲法をあわせて、それ以上の空洞化をまた許すのか、理想を掲げて、その憲法に近づく国を作ろうとする気概を持つのか、今その大きな分岐点にいるような気がしています。

ちょっと話が大きくなってしまいましたが、決して風化させてはならないものがあることを、沖縄は教えてくれました。

第17回よちよち音楽入門鑑賞講座 

★オペラ*時.7月28日(水曜日) 午後1時30分から・ヴェルディー:歌劇「トロヴァトーレ」(132分)レヴァイン指揮・メトロポリタン歌劇場管弦楽団。パヴァロッティーのソプラノをお楽しみ下さい。

★音楽鑑賞講座●幼児・小学生の皆さんへのやさしい音楽鑑賞講座。*7月18日(日)6時〜6時30分

●一般音楽入門鑑賞講座   7月18日(日)7時半〜8時半スペインギター史の旅 2「宮廷音楽・バロックギター」に関する巨匠ジュリアン・ブリームの演奏とお話です・

●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)

<行事予定>
ギター連盟定期演奏会 74日(日曜日)西部公 午後2

■第27回エチュード・ファミリー・クラブ例会 7月11日(日曜7時)サンシティー音楽院。

■第158回 さわやかコンサート7月23日(金)鶴見病院6時40分
 
■ほのぼの歌声サークル(月2回・会費月額千円)会員募集中   7月は7日と21日・水曜日午後2時から

■竹内さんちのおやこリサイタル   8月29日(日)午後2時 1,000円    シャンテドール・・・さて今年はどんな企画が?

リレー随筆112

ほのぼの歌声 効果

ほのぼの歌声サークル 吉弘美穂子

 先日、オンパクのツアーで、内成の棚田散策コース(総勢20人位)へ、連れも無く一人で参加してきました。棚田ではもうすでに、苗を植えられるように水を張っている田んぼや、今、私達の目前で機械(耕運機?)を使い、乾いた田んぼの土を「モコッモコッ」とひっくり返し田起こしをしている人?(本当は私、田起こしがどういう作業なのかは、まったく知らないのだが、目前でなされている作業がそうであろう思った)、そしてまだまだ草ぼうぼうとして、少し作業の遅れている田んぼと色々でした。今ではもう、どの田んぼにも田植えは終わり、空を写す鏡のようになってることでしょうネ。

そのような棚田の風景を見て思い出したのです。「田舎へ住みたいなあー」と思っていた私の夢。

 私は友達と二人して実際に田舎で暮らすってどんな風かしらと、色々検討してみた結果「気力・体力 がとっても必要ね」という結論になり、なんとも簡単に夢敗れたのでした。あ〜ぁ夢は夢なのねぇ。

があきらめ悪く、今度は娘に「あんた農家の人と結婚しない?」と、そろーっと聞いてみた。「私、コンクリートジャングルが好き」と一言のもとに却下されてしまった、あーららっ。

しかし何時までも夢など見ているわけにもいかないし、夢はまぼろしと消し去ってせわしない毎日に戻りましょうか。

五月の末に私の住んでいる町内で、高齢でお一人暮らしされている方の親睦会が有りました。おしゃべりをしながら昼食・他等をするのですが、私もそのお世話係りの一人でした。会は間もなく終わりという頃、突然お仲間のお世話係りの一人に 「吉弘さん、『今日は“こいのぼり”を歌いましょう』と皆さんに言ってください」と言われ、思わず口移しに、「では皆さんご一緒に歌いましょう」とステージ前で言いました。そして、誰が代表で前で歌うのかしら?と見回しても・・誰もいない。「エッ、これって誰が歌うの?もしかして・・私?!」とそれまでは上品そうに気取っていたのも忘れ、私は叫んでしまったのです。(そういえば会の終わりには代表が前に出て、童謡や唱歌の指揮をとっていた) 「吉弘さん、皆さんに言って」とさっき言った彼女は、「私が後ろで踊るから早く歌って」と涼しい顔。なに言ってるの〜、こっちはハトに豆鉄砲なんだからねぇ!(@_@)

頭の中では♪い〜ら〜か〜のな〜み〜と〜♪が駆け巡る。でも、その後の歌詞は・・なんだっけ?「そんな突然で歌詞もわからない」と、また私は叫びながら、アタフタ・キョロキョロである。見回すと他のお世話係りさん達は澄ました様子で、後ろのほうに立っている。その様子に会場の皆さんは大笑いしながらも、♪屋根よーりーたーかーい♪と教えてくれたのです。皆さんの助けてくださる歌声に、「あー、その歌があった」とホッとし、それからは落ち着いて(開き直りともいえる)大きな良い声(??)で歌い終えることができたのです。もちろん会場の皆さんの声も負けずに大きい声でしたよ!!

ほのぼの歌声サ〜クルへ入れていただいて、もう間もなくで一年になるかしら、人前で歌う経験など無かった私には大いなる 『ほのぼの歌声効果』でありました!!先生をはじめサークルの皆様、今後とも宜しくお願い致します。

 エスプレシボ第251号を思い出して 感謝の合掌です。 

教室のほんわかエピソード Part1

「ひとりで来た!」byこうき

6月20日朝9時半、何かいつもと違う様子で入って来たこうちゃん。入って来た途端にまず一声!「今日な、一人で来た!!」。
 いつもは、パパかママと一緒に車で来るこうちゃんですが、扇山からたった一人でバスに乗って、この教室まで来てくれたのです。

バスに乗った様子や、バス停から教室まで歩いた時のことを話してくれました。「バス降りて歩いたらな、すぐやった」「バスに乗るのも意外と簡単やった」 着くまでの不安と、着いた安堵感とが交錯しているのが、伝わってきました。頑張ったな〜〜。

ふと、こうちゃんが一枚の紙を広げて見せてくれました。ママの手書きで、バス停から教室までの地図・バスの時刻・バス停の名前が分かりやすく書かれた紙でした。これを楽譜と一緒にカバンに入れて持って来たようです。「これがあったけんな、大丈夫やった」…一枚の大切な紙に励まされて、教室まで来た様子が目に浮かぶようです。カバンの中には、パパとママの気持ちがいっぱい。そうか〜、こうちゃんの大事な一歩は、パパとママの気持ちに支えられていたんだな〜。

その日のこうちゃんの顔は、何だかキラキラして、「一人で出来た!」という自信に満ちていました。6月20日は、こうちゃんにとって記念すべき日!おめでとう。(感涙))

教室のほんわかエピソード Part2

 スナックにて

武蔵町からギターに来てくれているYさんは、息子さんが鶴崎にお住まいです。そこへ遊びに行ったり、ご一緒に旅行をしたりも良くしているようです。

 今月の初めのレッスンのときの事でした。Yさんは教室のドアをあけるなり、「鶴崎から生徒を連れてきました」というのです。

聞けば、息子さんと鶴崎のスナックで飲んでいるとき、たまたま居合わせたIさんと話が弾み、ギターを薦めてくれたんだそうです。

それで、Iさんも遠いのにYさんと別府のどこかで落ち合って、遠い教室へ来てくれたようです。Yさんの勧誘トークはすごい!

以来、Yさんは朝9時から(武蔵町を朝7時半に出るんだとか)、そしてIさんは鶴崎から来てくれて9時半からと、二人続けてのレッスンが順調に進んでします。

そういえば、つい一年ほど前Yさんは、手首を骨折し、またギターが弾けるようになるか心配になりましたが、熱心なリハビリで、驚異的な快復をしました。またIさんも、半身不随と言う大病を乗り越えて、ギターが弾けるようになったとか・・そんなエピソードもお聞きしたお二人です。

 それにもう1つ面白い秘密を皆さんに・・このYさんは 「毛沢東主席」に、そして、Iさんは自民党の古い政治家 「金丸 信」に似てる(笑)とひそかに思っています。もしお見かけして・・・確かに!・・と認める方がおられましたら、ご一報下さい。

 気ままなコンサートレポート6

 河合優子ピアノレクチャー&コンサート

      6月12日(土)13時〜コンパル

 河合優子さんは、ショパンのナショナルエディションのエキエル版を研究し、ショパンのレコーディングも数多くしている方です。楽譜は奥深いもので、出版社によって、その曲の解釈が全く違うことがあります。ナゼそんなことになるか?というと、作曲家の音符が走り書きだから!(ホントに)後々出版社の皆が、「これはミ?いやファ?」「いや実はインクのシミかも」なんて言いながら、きれいな印刷譜にしてくれます。また詳細を書かない作曲家の場合、後々親切に?説明を付け加えることもあります。何版を使うかが、どれほどの差を生むのか、というよりも、何版を使うか吟味することが大切と彼女は語っていました。ナゼ楽譜にそれほど重要な意味があるか?それは、死んでしまった作曲家の音楽は、楽譜しか手がかりがないからです。誰かが演奏しているのを聴くのも手がかりの1つですが、作曲家本人の声は、楽譜からしか聞くことが出来ません。作曲者がこの曲で何を言いたかったのか、耳を傾けることは大切なことですね。楽譜をしっかりと見つめ直すことは、その曲を知る唯一のチャンスであり、原点だと言えます。(竹宏)

エスプレシボ 8月号 254号

華氏
451
 

 甲府では40度を越えたと言う報道がなされていました。30度を越えれば暑いのに、40度とはまさに熱波ですね。早くこの猛暑がおさまって欲しいものです。

ところでこの40度というのは、摂氏(セルシウス氏の考案した温度目盛り。水の氷点を零度、沸点を100度とする 〔記号〕。)のことですね。これに対し、日本ではほとんど使われませんが華氏(ファーレンハイト氏の考案した温度目盛り。水の氷点を32度、沸点を212度とする〔記号 *〕。という温度表示もあります。

今回はその華氏を使った温度表示を題名にした「華氏451」という映画をご紹介しましょう。

この映画は、今から38年ほど前に英・仏合同で作られた作品です。

 主人公のモンターグは、消防署に勤めるサラリーマンです。しかし、これはSFもので、昔、消防署は火を消す仕事だったのが、この時代になると、火を点けて燃やすのが仕事になっています。何を燃やすかというと、各家庭にある本なのです。国家の法律により、反抗心を起こさせるような本の所持は禁止されています。内偵や投書により本のある家が見つかれば、消防車が急行し、家に押し入ります。隊員は家の中のあらゆる隠し場所を探し当て本を持ち出し、本人の目の前で、バーナーで火を点けて焼いてしまいます。その本が燃え出す温度が「華氏451度」であることから、映画の題名がついているのです。

 モンターグがまじめに本を焼く仕事をしたある日、帰りに昇進を上司から内示されます。家に帰って上機嫌で妻に昇進の話をしますが、妻は、大画面のテレビを見たままで、そっぽを向いてそら返事です。やっと昇進が伝わると「それなら、もっと大きな画面のテレビが買えるわ」と反応します。

 いわば管理社会の典型として、その妻は描かれています。国家はテレビを通して洗脳し、ものを考えない従順な体質の国民に変えているのです。

 テレビを見て笑うと言うことは、全国の膨大な数の人間が、部屋の中で同じように大口を開けて笑っていることなのです。また土曜ワイド劇場を見て、何千万人の人が、同じ時間に殺人場面を見、犯人のめぼしをつけたりしています。そこはきわめて類型的な知的安住の横並びの世界です。

 次々に摘発されて燃やされていく本の炎を見ながら、本はいったいなんなのかと、何度も考えました。隠し倉庫のようなところに本をたくさん入れていた老婦人は、消防署に乗り込まれて、焼かれている本の炎の中に飛び込んで、投身自殺してしまいます。

 本とはなんでしょうか。その活字の後ろには、それを紡ぎ出した人間がいて、そのメッセージが、読む人それぞれにいろんな思いを贈ります。その反応はそれぞれ違います。いわばそこにものを見る考えの自由が生まれます。画一的でない様々な思想が受け継がれます。そのいろんな思いのふるいを越えていくものが、端的に言えば、人類の幸せの道筋になっていくことでしょう。独裁者の暴走に、本は有効な歯止めになるから嫌われるのです。

 さて、映画の中のモンターグは、消防署員でありながら、いろんないきさつがあり、本の魅力にはまっていきます。それを知った妻は、当局に投書し、一緒には暮らせないと家を出て行きます。

 それを知らないモンターグが仕事で出動すると、消防車は自分の家に着きます。そこで自分の教育した部下が、あらゆる隠し場所から本を探し出してきます。そして上司は、その本に火をつける役をモンターグに命じます。逡巡するモンターグは、その炎を上司に向け、焼き殺します。

 殺人犯となって逃亡するうちに、モンターグは山奥の小さな村にたどり着きます。なんとそこは、本の存続を願う熱心な人たちの村でした。その村人たちは、私はトルストイ、この人はニーチェと、当局に乗り込まれても心配ないように、みんな頭の中に文字を覚えこんでいるのです。亡くなりそうな人は、それを若い人に口伝えの暗唱を繰り返し、財産を引き継いで死んで行きます。今の政治体制が変わって本を読む自由が来る日まで、その小さな山奥の村は存在しようとするのです。
 本が自由に読める時代のわれわれには、よそ事のような気もします。本が読めるありがたさは、余り実感できません。しかし、今から38年も前に、未来の予言としてのテレビのあり方は、かなり的を射ている気がしてなりません。垂れ流しにされるテレビの情報洪水の中で、われわれは、思考停止状態でものを考えない体質になっていないか、一度見直してみてもいいのではと思います。

 消え去っていくめまぐるしい映像の世界は使い捨ての情報です。じっくり腰を落ち着けて活字を読むことで、心にしみこんでくる本の楽しみも、時には暮らしの中に取り入れてみたいものです。本の中にあなたの内面を確実に育ててくれる出会いがあるかもしれません。

第18回よちよち音楽入門鑑賞講座 

★オペラ*時.8月25日(水曜日)

 午後1時30分から・レオンカヴァッロ

歌劇「道化師」(71分)プレトール指揮・ミラノ・スカラ座管弦楽団。久々ドミンゴの登場です。8月は暑いので短いのを選んでいます。

★音楽鑑賞講座

●幼児・小学生の皆さんへのやさしい音楽鑑賞講座。*8月22日(日)6時〜6時30分

●一般音楽入門鑑賞講座

   *8月22日(日)7時半〜8時半

スペインギター史の旅 (2+3)

「宮廷音楽・バロックギター」+「ロンド・古典派時代の音楽」 (2回分を続けてやります。)

●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)

<行事予定>

■第28回エチュード・ファミリー・クラブ例会 8月8日(日曜7時)サンシティー音楽院。

■第159回 さわやかコンサート8月7日(金)鶴見病院6時40分

■ほのぼの歌声サークル(月2回・会費月額千円)会員募集中   8月は11日と25日・水曜日午後2時から

■竹内さんちのおやこリサイタル   8月29日(日)午後2時 1,000円    シャンテドール・・・前売り券発売中!

●ルベックスペシャル告知板 

8月の練習。21・28(土曜日)2回

 ちょっと夏休みをして・・・後半から。

レッスンお休みのお知らせ

●お盆休み 8月10日〜16日

5週目のお休み】8月29(日)・30(月)・31(火)《8月のレッスンは3回です》
リレー随筆113

実技ならいいけど・・・

ほのぼの歌声サークル 菅田敬子

世の中に尊敬する人達がいます。文章を書く人と楽器を演奏する人達です。

「夏休みに読書感想文の宿題がいつまでも終わらなかった。右手と左手が違う動きをするなんて私には無理。」それらを難なくできる竹内先生はすごい人だなあと思います。

その先生から「このリレー随筆を今度は菅田さんお願いします。」と言われた時はドキッと心臓が止まりそうになり、つい「実技ならいいですけど・・」と言ってしまいました。何の実技かとお思いでしょうね。

小さい頃より身軽で、みかんの木が遊び場所でいつも木の上にいたような子ども時代を過ごし、中学、高校と体操部に籍を置き、国体強化選手の名の元にしごかれ、「根性」という言葉がぴったりの学生生活を送りました。しかしその後は普通に結婚し、専業主婦になったのですがある時フォークダンスに出会いました。そのときから今日まで25年間どっぷりとダンスに漬かっています。「継続は力なり」と言いますが、おかげで元気でハリのある毎日があるように思います。

出会いというのはいろんな所であるもので、竹内先生のファミリーコンサートでとても笑顔の可愛い方が目に止まりました。その方は男の子を膝に抱いてニコニコと音楽を聴いていらっしゃいました。その時に頂いたエスプレシボでほのぼのコーラスの先生がその方だと知り、歌うことが下手な私でもほのぼのできるかなと入会を決心しました。

今はその先生(岩田めぐみ先生)に赤ちゃんが生まれましたので代わって元気の良い、声も姿もきれいな白石先生が教えてくださっています。毎回皆さんの笑顔が絶えず歌声もだんだんと大きくなり、楽しさもふくらんできたように思います。 

今年のサンシティー音楽院の発表会の時には私の提案にすぐ乗ってくれて「さすがにほのぼの会員」可憐な村娘風に変身してくださったことを、タンスに眠っていたスカート&ブラウスとともに感謝いたします。 

いつの日かダンスもやりませんか? 実技なら任せといて!声もなかなか出なくて隣の方に迷惑をかけていますが、皆様今後ともよろしくお願い致します。

(今年の春の音楽祭にほのぼのコーラスで初出演!することが決まり、さて衣装は・・・?という話になると、菅田さんが素敵なダンスの衣装を、全員分!快く貸して下さいました。皆で衣装を着て、舞台に立って、気持ちを合わせて歌った思い出は、みんなの心に残りました。多謝)

 

教室のほんわかエピソード3

こどものためのよちよち音楽鑑賞講座編

 

こどものための鑑賞講座を始めて、半年以上が経ちました。毎回親子で、音楽を‘楽しんで‘聴いています。この企画を始めた時は、「オーケストラの長い曲は、子どもたちには退屈だろうな〜」「知ってる曲以外は楽しめないかも」などと色々悩んでいました。でも実際に始めてみると、なんのなんの!子どもの柔軟な感性に驚かされました。今回はそんな、私が驚かされた鑑賞講座の様子を書きたいと思います。

 30分ほどの時間の中で、まずその日に聴く曲や作曲家について、少しお話をします。はっきり言って、みんなの頭にバッチリ残っていってるとはいえません(笑)が、更にはっきり言って、話をしている私自身、この時間を余り重要視しているわけではありません。なぜなら、子どもたちに「知識」で音楽を聴いて欲しくないな、と思っているからです。私たちが音楽を聴く時、または演奏する時、「この作曲家はこんな人物で、時代背景はこんなで、曲の構成は・・・などなど」そういうことが分かると、本当の意味でその曲を理解し、その音楽の深みに進んでいけるような気がする時があると思います。また、そうあるべきだということを読んだり聞いたりします。でも、子供たちが聴いているのを見ていると、果たしてそうかな?と思います。

 子どもの鑑賞講座の時間は、コンサートのように、大人しくじっとして聴いているとは言えないかもしれません。でも私は逆に、大人しく聴いて欲しいとも思っていません!自然な状態のままで、子どもの耳に、音楽が届けばいいなと思っています。それに、子どもが生き生きと楽しそうなときに、大人しく座っている?いやいや、体中で表現するはずです。コンサートでは、四角い椅子に座って、微動だに出来ません。子どもにとっては苦痛だろうな〜と思います。思わず踊りたくなった時は、どうすりゃいいんだ!ってね。

鑑賞中の子どもたちは、音楽を聴き、感じたものを体いっぱいに表現しています。ポルカを聴けば、ママと可愛らしく踊るかなちゃんがいる。楽しくはつらつとしたビバルディーの四季「春」を聴けば、音楽にあわせて嬉しそうに飛び跳ねるたいせい君がいる。ベートーヴェンの「第九」を聴けば、カラヤンを真似て指揮をしながら思わず一緒に歌いだすあっくんがいる。四季「夏」を聴けば、「暑くて疲れちゃったの?」と想像を膨らますこうくんがいる。

子どもの素直で生き生きとした、素晴らしい様子はたくさんあります。調子のいい曲を聴いていて、思わず指パッチンで(しかもカッコ良く!)リズムを取ったり。フォルテ(大きく)とピアノ(小さく)の差を感じて、フォルテの時は大きく跳んで、ピアノの時はすこ〜しだったり。早い楽章では足踏みしていたのに、緩徐楽章になると横になってまどろみ始めたり。ビバルディーの四季「夏」第3楽章での嵐のシーンと、以前に聴いたベートーヴェンの田園交響曲第4楽章の嵐のシーンを結び付けて想像したり。素晴らしい名演に!カラヤンに!思わず思いっきり拍手喝采してしまったり・・・。

こんな子どもたちを見ていて、ビバルディーがどんな人かとか、ベートーヴェンの生きた時代背景とか、そんな知識は要らない!とにかく、音楽を‘聴いて‘感じている‘んだな〜と思います。

これが!音楽を聴くってことじゃないかな・・・と思います。音楽そのものが語りかけるものを、耳と心で感じることが、音楽を聴く、または演奏する原点であるような気がします。音楽は理解するものではないですから。

私たちは、頭の中に知識が入りすぎていて、子どものような状態で感じることは難しいかもしれません。でも、曲に出会ったときに、まずその曲を自分の思うがままに感じてみることが大切なような気がします。クラシックだろうと、JAZZだろうと、演歌だろうと、同じように。クラシックが、音楽の分野では特別「理解するもの」でもないし、演歌だからどうの、ということもない、どれもが、どう感じるか?から始まると思います。あ、ここきれいね〜。ここははずんだ感じ。これは好きじゃない(これもあり)。眠くなる(正直でいいな)。何となくでいいし、何となくというのが、感じたものに一番正直かもしれません。知識によって曲を理解することは、曲を感じるということと関係はあるけれど、同じではありません。楽曲や作曲家への理解が不必要とは思いません。でも、それがあればあるほど、音楽の素晴らしさを知れるのか、というと、そうでもない気がします。

よく「私は何も分からんから」というのを聞きますが、私としては「う〜んそれは最高!!」といいたいですね。な〜んにも知らなくっていい、感じたままでいい、そんな気持ちで音楽が聴けたら、演奏できたら、何か少し違ったものが見えてくると私は思います。

この講座で、音楽からそれぞれ何か感じている・・・そういった子どもたちに、音楽の可能性と素晴らしさを改めて教えてもらったと思います。子ども達に心から感謝。ありがとう。

子ども達は、鑑賞講座以外の時間でも、音楽を楽しみ始めています。「お父さんがビバルディーの四季のCD聴かせてくれた!」と嬉しそう。「僕の好きな曲は、この曲!(←革命のエチュード)かっこいい!弾きたい!」(そ・それは・・・)「私はオペラ魔笛の夜の女王の歌が好き、ラ・ラ・ラ・ラ・ラララララ〜♪」(なかなかの美声)、などなど・・・。この子達が大きくなったらどうなるかな。音楽を楽しんでくれてるかな。楽しみです・・・(竹宏)

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