サンシティー音楽院 音楽だより♪
エスプレシボ第242号
8月号2003年8月1日発行・
流れゆく日々
竹内幸一
今年は異様に雨が多かったのですが、ようやくさわやかな夏の風が吹き始めました。皆様いかがお過ごしでしょうか。暑中お見舞い申し上げます。
さて先月は、息子の福岡リサイタル、スペシャルの熊本フェスティバル参加など大きな行事がありました。それに加え、毎月恒例の、よちよち、さわやか、ほのぼの(ネーミングを笑ってください?)、EFCなどをこなしているうちに、流れるように日が過ぎていきます。急角度のベルトコンベアーに乗せられて、あれよあれよという間に1ヶ月が終わってしまう感じです。怖いほどですね。
そんな日々を過ごしながら、もうこの仕事を始めて何時しか27年ほどになります。お陰様で、その間たくさんの方と永いお付き合いをさせていただいています。マンネリのようでも、毎年毎年同じ顔ぶれが長く続くということは、実は大変素晴らしいことだと思います。ムーンや、ひまわりの皆さんなどの同じ顔ぶれが、私の誇りです。
しかし、時の流れにはやはり冷徹な面もあります。このまま何時までも続けたいと願っても、20年、30年もの時間が過ぎると、どうにも避けられない現実と出会うことになります。悲しく、さびしく、辛いことですが、これから直面しなければならない無常が少しづつ出て来ることでしょう。
実は、先月、かなり長いことギターに来ていただいていた「築城厚士」さんがお亡くなりになりました。済みませんが、ここにそのささやかな追悼文を載せさせてください。
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追悼 築城厚士 さん
年に一度のギター連盟の定演が終わった夜、最近亡くなった築城さんのうちへお参りに行った。もうギターから離れてかなりの時が過ぎていたので、一緒に行ってくれたのは最古参のYさんだけだった。
二階の仏間へ通されて、まず目に入ったのは、仏壇においてあるギターを弾いている写真だった。春の音楽祭での独奏している写真を飾っていた。
「仕事を辞めてから、ギターだけが趣味でしたから」…と奥さんが涙ながらにいろんな話をしてくれた。
葬儀屋さんから、生前何か趣味にしていたことはと問われてギターの話をした所、その演奏テープを通夜の時も葬儀の時も流してくれたそうだ。それに、あの世に行っても、ギターが弾けるようにと、棺の中に楽譜をたくさん入れてくれたりもしたらしい。
築城さんはかなり熱心に長いことギターに来てくれていたのだが、リューマチか何かの病気で指が曲がって伸びなくなり、やむなくギターから離れた。豪放磊落な方で、いつも周りを明るく笑わせてくれていた。顔をくしゃくしゃにした笑顔がよみがえって、切なく懐かしくなる。
レッスンに来ていた頃、どこかの山の中に名水を汲みに行くようになり、一つでも、二つでも一緒と、私には持てないような重い容器に水を汲んできてくれていた。それでご飯を炊いたり、コーヒーを飲んだりすると、やはり味が違うなと家族と話したのも懐かしい思い出になった。また、音楽院で出しているエスプレシボも大事にしてくれていて、「綴じているのが、こんくらいの厚さになったがな」と何度か手で示してくれたものだ。
「先生に来ていただいて、主人がどんなに喜んでくれていることか・・・」と奥さんに言われて、通夜にも、葬儀にも行けなかったことが悔やまれてならなかった。新聞のお悔やみ欄に載っていた名前にふと気が付いたときは、もう遅かった。しかし、築城さんの晩年に、ギターがそれほどの位置を占めてくれていたのかと思うと、身が引き締まる思いがした。お陰で私の仕事の存在意義も少し感じられて嬉しかった。
72歳といえばまだ若い。それでも二人の娘さんが、たった1本残っていた歯を二つに分けて胸のお守りに入れてくれたのだそうだ。いい奥さんと子どもさんに恵まれて、築城さんの幸せな生涯がしのばれた。
食道癌でのたびかさなる手術や入院は大変だったことだろう。今は、この蒸し暑い梅雨もない、さわやかな所で、あの豪快な笑顔を見せていることだろう。
築城さん有難うございました。こうして最後までお付き合いが出来たことを、嬉しく光栄に思います。私もこれからこの仕事を、もっともっと大切にしていきます。 合掌
梅雨空のかなた音ある黄泉の国 幸一
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別れは辛くさびしいことです。しかし、これは私の人生の貴重な財産だと思いました。この仕事の持つ、かけがえのない意義を築城さんは教えてくれた気がします。ありがたい限りです。
長くなると、マンネリや惰性で、気の抜けた指導態度になることもあります。しかし、毎日ギターを通して触れ合う人々と、今こうしてともに暮らしていることが、どういう意味を持っているのかを、築城さんは再確認させてくれました。
人生の幕を下ろした時、築城さんのようにギターを人生の歴史として残してもらえるよう、どうぞ皆さん、これからもお付き合いをさせてください。私自身の体力も含め、条件の許す限り、ともに暮らしていきましょう。お願いします。
第6回 よちよち音楽入門鑑賞講座
★オペラ*時.8月24日(日曜日)
昼の部 午後1時半から
夜の部 午後7時から
*しばらくプッチーニにはまりましょう。前回の「蝶々夫人」に引き続き、今回はまた特に劇的な内容の「トスカ」です。
プッチーニ:オペラ「トスカ」(116分)
バルトレッティー指揮・ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
★オーケストラ*8月29日夜7時半(夜だけ) ベートーベン:交響曲第2番 (カラヤン) *これから毎月1曲9番まで続けます。
●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)
<行事予定>
■第147回 さわやかコンサート
8月22日(金)鶴見病院6時40分
■第16回エチュード・ファミリー・クラブ例会 8月3日(日曜7時)亀の井ホテル2階ロビー
■童謡、唱歌を歌いませんか。
ほのぼの歌声サークル(月2回・会費月額千円)会員募集中 8月は20日と27日・水曜日午後2時からです。いつでも入会出来ます。
■たけうちさんちの親子リサイタル
8月31日(日曜日)午後2時開演 お菓子のシャンテドール 2階 入場料 1000円(お土産つき) *会場が狭いので先着予約70名ほどでお願いします。前売り券発売中です。
★福岡コンサートツアー 竹内竜次ギターリサイタル 終了御礼
別府から29名、現地での参加16名(合計45名)もの方より熱いご声援を頂きました。遠い所なのでどうなることかと心配していましたので、感激いたしました。皆様大変有難うございました。
●ルベックスペシャル告知板
8月は23日と30日の2回練習です。
レッスンお休みのお知らせ8月10日〜16日(お盆休み)
8月29〜31日(5週目のお休み)
リレー随筆99
出会いの喜び
ほのぼの歌声サークル 滝口 京子
竹内幸一さんとは「別府を音楽の溢れる街にし、音楽を楽しみながら、豊かなこころを育んでいける街にしよう」と結成された市民グループ、ハーモニアス別府の活動を通じて知り合いになりました。ハーモニアス別府の事務局長として、恩着せがましいことも言わず淡々と仕事をこなしておられる態度や人柄にいつも感心しています。
本業の音楽活動はもちろん、その他俳句やエッセイなどいろんなことをしておられますが、あの物静かな竹内さんのどこにあれほどのエネルギーが潜んでいるのか不思議です。時間があれば文章を書き、パソコンを駆使してメールで発信する・・・本当に驚くばかりです。
さらに感心するのは豊かな人間関係です。そのネットワークは素晴らしいものです。私は2年ほど前からコンサートなどのイベントを企画したり、事務所に設けた小さなサロンで、ワイン講座やクラシック音楽講座など、プライヴェイトのカルチャー講座のようなことをしています。イベントをするたびにいつも感じることは、その催しに参加して下さる方々がどんなに有り難いことかということです。
竹内さんをはじめ竹内さんを通じて知り合った方々がいつも忙しい中、時間の都合をつけて催しに参加してくれます。きっと単に楽しそうだからと言うのではなく、せっかく企画したのだから協力しようという気持ちで参加してくれているのだと思います。
わがトータルブレインはそういった多くの人々のおかげで支えられていることをあらためて感じています。
最近は竹内さんのところで開催される「ほのぼの歌声サークル」に参加させていただいていますが、そこでも素晴らしい人材に出会いました。古布をつかってとても素敵な洋服をつくっている女性です。早速わがサロンでお話をしていただきました。何十年ぶりに声を出して皆さんといっしょに歌うことはもちろんですが、そこでのいろいろな人々との出会いも楽しみのひとつです。これも竹内さんのおかげです。
素敵な人達との出会いをつくっていただいたご恩を忘れずに、これからも人とのつながりを大切に生きていきたいと思います。
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トータルブレイン 滝口 京子
〒874-0919
電話&FAX 0977−26−7288
E-mail tbrain@fat.coara.or.jp
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*音楽院で開催しています「別府百景・和泉 明郎切り絵展」を8月よりトータルブレインにて開催して頂けることになりました。
皆さん一度遊びに寄ってください。いろいろ面白い企画がありますので、興味の持てるものに出会いましたら、ご参加下さい。(竹)
J.S.バッハについて 最終回 友永敬子
この間、教会音楽の分野では『暁の星はいと麗しきかな』、『喜びて十字架を担わん』をはじめとする多数のカンタータ、『ヨハネ受難曲』、『マタイ受難曲』、『クリスマス・オラロリオ』などの名作が続々と生み出された。そして、バッハはライプチヒ大学の学生を主体とする演奏団体コレギウム・ムシクムの指揮者も務める。この団体のために『コーヒ・カンタータ』などを演奏して、市民の世俗的な音楽生活にも大きな貢献した。
しかし、バッハの作風は概して難解なものとみなされ、若い世代を代表する評論家シャイベから音楽誌上で痛烈に批判された。出版には至らなかったが、『平均律クラヴィーア』第2巻も、ライプチヒ時代の後期の重要な産物である。
また、サンスーシ大王に『音楽の捧げもの』として献上した。
晩年、白内障を病んだバッハは、ほとんど視力を失ってしまった。しかし、目が見えなくなってもバッハは、作曲を止めなかった。こうして作曲されたのが晩年の『フーガの技法』である。しかし、この大曲は未完成のままに終わってしまった。
バッハは、2回の眼の手術を受けた。しかし、手術は失敗し、手術の時用いた薬で体力を消耗するばかりだった。
1750年7月28日ヨハン・セバスティアン・バッハは、65歳での生涯をとじた。
3.おわりに
バッハの一族には、多くの音楽家がいた。彼は生まれた時から、音楽と音楽家にかこまれていた。まさに音楽家なる以外、考えられない環境にあった。
この時代の音楽は、毎日の生活の一部だった。教会に行けば賛美歌を唱和し、また、オルガンの響きや少年聖歌隊の合唱にも侵される。記念祝典や王侯のお成りがあればトランペットの晴れ晴れしいファンファーレ。そして、華やかな声楽曲が町中に鳴り渡る。狩りにも宴会にも結婚式にも、その場にふさわしい音楽は必要不可欠なものだった。そして、そのほとんどは、教会や宮廷、市といった「お上」からの注文だった。
バッハもそんな枠組みのなかで、音楽家職を転々として生き終えた。ある意味において音楽家としては、普通の道ではなかったのでは。しかし、彼はその中で偉大な演奏家、音楽家としての地位を築いた。
彼の足跡をたどればたどるほど、バッハの音楽へのかぎりない愛と、音楽を極めたい、その高みに上り詰めたいというたぎるような情熱を感じる。
「月光の下で筆写」という逸話は有名であるが、バッハは、音楽家から音楽の伝統をがむしゃらに学び、吸収していった。そして、それは彼の中の音楽と、とけ合い、次々に沢山の作品を生み出していった。その1つ1つに感動さえ覚えずにはいられない。
また、「音楽の父」としてふさわしく、家庭では妻を愛し、子ども達も愛した。家族を大切にしている良き父親であった。そして、教育者としてすぐれた資質を持っていた彼は、多くの弟子を育てている。
バッハの死後、彼の後を継いで、音楽家になった息子たちや弟子たちによって、彼の音楽は大切に守られ、次の世代に受け継がれていった。次の世代を担うモーツアルトやハイドン、ベートーヴェンなどに大きな影響をあたえ、『バッハは小川ではなく大河である』と言うベートーヴェンの言葉にも納得できる。
ゆえに、現在もバッハの音楽は、世界のあらゆる国、民族に受け入れられ、人類共通の財産として愛されているのではないだろうか。
このレポートするにあたって、J.S.バッハを知ることで、音楽の父としての偉大さを深く感じる。
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8年ぶり・・・帰ってきた
たけうちさんちの親子リサイタル
親子リサイタルは1991年より5回行なっています。最後は、1995年の6月4日で、竹内竜次が高校を卒業して、9月にフランスへ留学するという3ヶ月ほど前のことでした。
「たけうちさんちのさよなら親子リサイタル」と名うって、竹内幸一、竜次のギター、当時青山高校2年だった竹内宏子のピアノ、それに竹内八重子のさそり座の歌の朗読なども入れて、会場も今回と同じシャンテドールで開かれています。あれから8年・・・・・・・・
いろんなことがありました。竹内竜次の3年間のパリ留学を終了しての帰国。そして石井暁子さんとの結婚。竹内宏子の、大学進学、そして卒業。それぞれが選んだ人生の道を歩んで今日まで来ました。
今年は、また「たけうちさんちの親子リサイタル」が開催の運びとなりました。さよならリサイタルから8年・・・今またこうしてこのような企画が出来ますことを幸せに思います。
それに、今年からは新しい家族が増え、竹内暁子(注)がフルート奏者として演奏に加わることも、特筆すべきことです。(*注 普段の演奏活動では、他の竹内姓3名の講師との混乱を避けるためもあり、石井姓のいわば芸名で通していますので、一応(笑い)お知らせしておきます。)
「たけうちさんち・・・」 このネーミング、そして会場・・・以前と全く同じ条件でまたコンサートが開けます。それは、8年ぶりに演奏する私達にも特別な思いがあります。また以前と同じように、皆様にもご声援をいただけたら大変嬉しく思います。お待ちしています。
サンシティー音楽院 音楽だより♪
エスプレシボ第243号
9月号2003年9月1日発行・
ホームページ http://www10.ocn.ne.jp/~t1a0k2u6/
Email takesan@oregano.ocn.ne.jp
This,too,shall
pass
away. 竹内幸一
今年は夏がないのかと思ったら、残暑がとても厳しい毎日ですね。どうぞ皆さん体調を崩さないように気をつけてください。
さて今月は、ある方よりいただいた『落ち葉(ステファノ・デランジェラ著・ドン・ボスコ社)』という本を取り上げてみました。この本の著者は、イタリア生まれの司祭で、生きかたの指針となるようなエッセーをたくさんこの本に書いてくれています。
今回はその中から一つだけご紹介しましょう。ちょっと気取って英語のタイトルにしましたが、日本語に訳すと『これも過ぎ去るだろう』ということだそうです。では、この言葉の由来などについて、先ずご紹介していきましょう。
ある国の王様が、国中の賢者を集めて、自分に多い悩みと苦労と心配事を克服するための金言、または格言を考えて欲しいと依頼しました。しかもそれは、指輪に刻めるほどの短いものという注文もありました。王様は、それを見て自分を励まし、苦難を乗り越えたいと願ったのです。
賢者達は知恵をしぼりますが、なかなか見つかりませんでした。長い日月を要して、やっと結論の出せる日が来ました。
人生の全ての事情に当てはまり、しかも指輪に刻めるほどの短い金言・・・・それが
This,too,shall pass
away. だったのです。『これも過ぎ去るだろう』・・・・どうですか?皆さんそれで苦難や悩みが解決されそうですか?
100年ほど前に一人の詩人がその伝説を読み、詩を書きました。長いのでその一部分を・・。
兄弟よ、不幸があなたにふりかかったのなら
意気盛んな状態にいるのなら
危険にひんしているのなら
誘惑と戦っているのなら
英雄のように崇拝されたのなら
次の賢明な言葉を心に留めなさい。
『これも過ぎ去るだろう』と。
何だか諸問題の解決法としては、ずいぶん安易なような気もします。「そう簡単に行くものか」と思われる方も多い事でしょう。
私が考えるにこの「これも過ぎ去るだろう」と思えるかどうかが問題であり、大きな分かれ道なのだろうと思います。
貧乏や人間関係のいざこざやいろんな悩みが人を襲います。その時、これも過ぎ去るだろう、だから今は我慢しよう。そして、我慢している間に、少しでも改善の道を探ろう・・という方向もあります。しかし、これが過ぎ去るだろうと思えなければ、悲惨です。いつまでもこんな苦しみが続くならと自殺したり、気に入らない相手を殺してしまったりと、自暴自棄になって思わぬ悲劇につながる事もあります。
そう思えばどんな時も「これも過ぎ去るだろう」と自分に言い聞かせる事は、消極的なようですが無駄にはならない気がしてくるのです。
逆に権力や富の絶頂のときも、この金言は大切でしょう。政治家とかが敗北する時にいつも感じるのは、この権力の時代が、いつまでも続くと錯覚してしまったのではと考えさせられるのです。
当選当時の謙虚な気持ちがいつか薄れ、おごりや傲慢な態度がいつしか周りの人々の目に映ります。「この権力もいつか過ぎ去るだろう」という事をしっかり肝に銘じておけば、まわりの人々への思いやりや、政治への取り組みにも、又変わった対応があったかもしれません。
他人事ばかりではありません。例えば、我が家の場合、「親子リサイタル」を開きました。こういうものも日が過ぎるにつれて、当然いろんな変化が生じてきます。みんなでそろって舞台を作る事が、いつまで続けられるか勿論わかりません。「これも過ぎ去るだろう」という思いを抱きながら、この行事に取り組めば、今こういうことが出来る幸せや、感謝の気持ちがより大きくなってきます。そして、それを大切に思えば思うほど、それを守り育てる事への努力のエネルギーも沸いてきます。いつまでも続くものだと、油断や錯覚をした所から、いろんな崩壊が早まっていくのでしょう。
一番分りやすい例で言えば、「健康」という事でしょうか。病気になってみて始めて、そのありがたさが分るという・・・のはごくありふれた事です。
しかし、元気なうちに「これも過ぎ去るだろう」と思うことが出来れば、そのことへの感謝がわき、少しでもそれを守っていたいという努力も生まれてきます。暴飲暴食を慎んだり、少しずつ運動したり、それを守るための対策も出てきます。
でも、大概、「俺はいつまでも元気だ」という油断と言うか思いこみに人はいつしかはまり込んでいます。その状態では、健康への感謝も生まれませんし、それを守ろうという対策もなかなか取れません。そして、失って始めてありがたさを実感するのです。
今月は何だか、抽象的な話になりましたね。皆様の頭の片隅に「これも過ぎ去るだろう」というほんの小さな1行の文を、さりげなく置いていただければと思います。もしかしらたいつかお役に立つことがあるかもしれません。
第7回 よちよち音楽入門鑑賞講座
プッチーニ:オペラ「トゥーランドット」(133分)レバイン指揮・メトロポリタン管弦楽団
★オーケストラ*9月30日夜7時半(夜だけ) ベートーベン:交響曲第3番英雄 (カラヤン) *毎月1曲9番まで続けます。
●受講料 500円(資料と休憩のお飲み物付き)
<行事予定>
■第148回 さわやかコンサート
■第17回エチュード・ファミリー・クラブ例会 9月14日(日曜7時)亀の井ホテル2階ロビー
■ハッピーコンサート 無料 10月5日(日曜日)午後1時開演予定 亀の井ホテル・2階桜の間
■竹内竜次・石井暁子ギター&フルートデュオリサイタル
■きらきらギターコンサート 無料
■ルベック25周年記念魅惑のギターステージ
レッスンお休みのお知らせ
9月15・23日(祭日のお休み)
9月29〜30日(5週目のお休み)
高畑香代美 ペーパークイリング作品展
(9月1日〜30日・音楽院A教室)
リレー随筆100
退職後の楽しみ
ギター教室 岡内 博
私がギターに興味をもったのは、今から約45年も前になります。当時日活映画が全盛の頃で、今は亡き石原裕次郎、タフガイ小林 旭等のスターが演じる姿に憧れていました。
又、古賀政男先生の演歌をレコードで聴いてギター音楽に憧れ、いつかはギターを自分で演奏してみたいと思っていました。
高校生の頃、ギターを手にする機会がありましたが、先生もいなくて、自己流でただ真似ごとでギターを手にしましたが、音符も分からずいつのまにかギターもどこかにいってしまいました。
最近になって、妻や子供から、ギターを何のお祝いか忘れましたが頂きました。しかし、仕事で単身赴任をしていたため、ギターはまたもお蔵入りをしていました。
退職を機会に今までギターを大事にしていなかったことを思い出し、3月からサンシティー音楽院に入会し練習をするようになりましたが、練習嫌いのためなかなか上達をしません。1年後には自分でギターが弾けるようになりたいと思っています。
先生はじめ皆様方のご指導をお願いします。
(平成15年3月入会)
リレー随筆101
企業理念とは何だったのか<1>ルベックスペシャル 熊谷正司
今年5月末で、定年定職いたしました。 会社生活37年に及んだわけですが、長年の勤務先、アイビーエムでは昨今の日本でのリストラより一足先のほぼ10年ほど前に、強烈なダウンサイジングの荒波にあえいでおりました。
私の随想は、定年を期にして、復興の立役者・前社長ガースナーが昨年末に回顧録として出版した“巨像も踊る”をベースにしてお話させていただきます。 (この“巨像も踊る”と私の会社経験を通じた“企業風土とか企業理念”の部分のお話は少々長くなってしまいましたので、それらは後ろに「補足」として別添いたします。)
私事で恐縮ですがこの30年来ずっと愛読を続けている著者がいます。上智大学教授の渡部昇一先生です。
自らを正しく律して、常に自己向上を行いつづけて、尚かつ少年、青年時の気概を抱き続けているとお見受けする魅力ある方です。 最近読んだかれの本の中で、ヒルティの幸福論の中の一節の“仕事をする技術”の紹介の箇所の文章が、アイビーエムの信条とガースナーの行動指針を二つながらにして、纏めていると思わず膝をたたいたものです。少し、長くなりますが、『ヒルティの言葉』と「渡部昇一先生の解説」でまとめてみます。
「 “仕事をする技術”の中でヒルティーはこう述べています。」
『習慣は肉体的性質を持つ事柄に対してのみ役立つのではなく、高次元の精神的性質を持つ事柄に対しても役たつ。』
「怠惰な人はあるときだけ怠惰になるのではない。常に怠惰なのだ。怠惰などの悪徳は習慣化されて身についているから悪徳なのである。そのほかケチや、悦楽や、浪費や無節操などの悪徳も、すべて習慣化されているから悪徳になるのである。同様に美徳もまた習慣である。正直な人は誰に対していつでも正直であって、うそはつかない。勤勉、節制、倹約、寛大といった美徳もまた習慣のものである。
怠惰を抑えて人を勤勉に向かわせるのは、まさに『習慣の力』である。」
「ヒルティは『美徳の習慣がついたら、そこで人生の苦労や困難の大部分は終わりになる。』とさえ断言している。
では、どのようにすれば美徳の習慣を身につけることができるのか。そこで、ヒルティは“仕事をする技術”の最初に述べたことに戻る。」
つまり、
『とにかく直ぐにやり始めろ。グズグズ先延ばしにするな。』
「仕事をする上での最初の困難は、仕事に取りかかる初めのところにある。考えたり準備したりグズグズと時間を費やしていると、かえって仕事に取りかかるのが難しくなるものである。まず、やること。それも真面目に真剣にやる。仕事をやってみたが面白くないというのは、真面目さ、真剣さの度合いが足りないからだ。仕事は真面目にやると面白くなる。これは人間の本質だ。そのことは遊びと比較してみるとよくわかる。遊びは必ず飽きるのである。真面目にやって面白くなった仕事は、絶対に飽きることはない。真面目であること。これは仕事にリズムを創り出す基本なのである。気分が乗ったり、感興が湧いたりするのは、やることの中でしか起こらないものなのである。」
右のヒルティ“怠惰”と言う言葉を(かってのアイビーエムの)高慢とか慢心に、また“高次元の精神的性質”を基本的信条に置き換え、そして、“まず、やること”をガースナーの行動指針に置き換えてみるとぴたりと決まるのです。
かっての“美徳”がビジネス上の成功によって顧客の視点に立った基本を蔑ろにした、社内の部門のエゴや我執に囚われた“悪徳”に変身した行動パターンをガースナーは正しい軌道に戻すべく尽力してきたのだと解釈できるのです。
こう書いているうちに、実は、竹内先生の毎日の俳句、ギター・歌唱を通じたふれあい活動を思い浮かべています。日々欠かさぬ実践こそが最も尊い姿であることを。丁度たまたま、日経マスターズ8月号の最新号で比叡山延暦寺長寿院の酒井住職の言葉が目に留まりました。「過酷な修業だけが“行(ぎょう)ではない。どんな些細なことでも、続けることで行になる。毎日続けることが大事。雨の日も雪の日も必ずやる。これは大変な行ですよ。」
昨日、博多へのソニック号の電車の中で読んだ、林望さんの最新の著作“「芸術力」の磨き方”(PHP新書)の194ページの“本番が最大の練習になる”でまたまた、はたと膝をたたきました。竹内先生を通じたサークル仲間とのお付き合いでの(合奏とはいえ)聴衆を相手にした舞台での活動は正に正鵠なりと得心しました。ありがとうございます。
平成15年8月8日
<補足>
アイビーエムの100%子会社である日本アイ・ビー・エムでの経験を通じて、あの神話とも言うべきワトソン親子の創造したアイビーエム“会社信条“とはなんだったのかを振り返ってみたい思います。アイビーエムの創始者トマス・ワトソン親子の代に確立した三つの基本信条(●完全性の追求、 ●最善の顧客サービス、 ●個人の尊重 )がその本来の趣旨を発揮していたよき時代は、誠にエクセレントカンパニーの模範であったことを私も誇りと思っております。(この三つの内、解釈の必要なのは、一番目の完全性の追求ですが、要するに、何事をなすにも最初から完全を目指して事を着手せよと理解してください。)
“巨像も踊る”では、三つの基本信条がその後の会社、社員の間で如何に捻じ曲げられて解釈されていたかを、いわば社外の人の立場(ガースナーはアイビーエム社外から会社再建のCEO(社長)として迎えられました。)から喝破しています。たとえ永遠普遍であると信じた“信条・指針”の言葉であっても、社員個人個人が、自己の権益を守るため、また各部門のエゴを貫くために、勝手な解釈で使用し、それが“企業文化”という風土を形成するようになる時、如何に怖ろしき状態を呈するかを描写しています。
但し、ガースナーの場合は、きわめて短期間の内に言わば瀕死の状況にあった会社をV字回復させる使命を帯びての対処をやってきた観点から延べられておりますから、“信条”言葉の数々を暗黒の面からのみ指摘している嫌いはあります。
(次号に続く)