エスプレシボ 4月号 238号

金子みすヾ  竹内幸一

いろいろ間に挟んでいくと、時間が経ちすぎて旅行の新鮮さがなくなりますが、昨秋旅行記の最後に金子みすヾだけは取り上げておきましょう。

最初に訪れたのは、長門市にある『みすヾ記念館』でした。ここはこちらでも馴染みのスーパーマルショク(サンリブだったかな)の5階にありました。狭い部屋に受付があり、若い受付嬢が暇をもてあますように本を読んでいました。(金子みすヾ関係の本は読みつくしているでしょうね)。しかし、そこには3冊の遺稿集など、色んなみすヾに関する貴重なものが展示されていました。

そこで近くの市立図書館でも「みすヾフェアー」をしているというのを聞いたので、そこにちょっと寄り、それからみすヾ生誕の地仙崎へ行きました。丁度昼食時分でしたので、駅前の『浜屋』でウニ釜飯を食べました。ウニが生臭くなく、また煮えすぎてパサパサになっていることもなく、程よい甘みと風味で絶品でした。(食い物の事だけはなぜかよく覚えてるんだなあ…笑)

仙崎駅は、おもちゃのセットのような小さな作りでした。懐かしいふるさとの香りがするという感じかな。その仙崎駅の正面に1キロほどの細い道があり、それがかの有名な「みすヾ通り」でした。

実は旅行に出る前に、松たか子主演の『明るいほうへ、明るいほうへ』というビデオ映画を2度見ました。そのイメージを持ちながら、金子文英堂(書店)とか、角の乾物屋・・・とか見るのが楽しみでした。どこにでもある田舎道でしたが、違っていたのは通りのどの家も、何らかのみすヾの詩を、板切れや紙などに書いて、軒先に下げたり、門に飾ったりしていたことです。通りの住民全員が、ここを歩く観光客を意識しているのが分かりました。みすヾという素材にも恵まれ、またそれを軸に通りの人たちも団結しているのでしょう。

仙崎駅の中に『みすヾ館』がありました。ここはハイテク機器も装備し、ビデオ鑑賞なども出来るようになっていました。ここは駅前だけに人の出入りも多く、受け付けの人がゆっくり本を読む暇などは?なさそうでした。

皆さんも,みすヾの512編の詩(童謡)のうちのいくつかは、きっと目にしたことがあるでしょう。陸ではいわしの大漁というとき、海の中では何万ものいわしの弔いをしているというような、優しく新鮮な視線は、印象的ですね。

みすヾのもう一つの代表作といえば「私と小鳥と鈴と」でしょうか。

私が両手をひろげても お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、 地面を早くは走れない。  私が体をゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがってみんないい。

童謡詩人矢崎節夫氏は、「丸ごと認めて傷つけないということです。みんなちがって、みんないいを、だれもが本気で大切にしたら、いじめも戦争もなくなるでしょう」と書いています。

私もその通りだと思います。お互いを大切にし、認め合うことが出来れば、どんなにいいことでしょう。

ただここで、本質とはちょっと離れますが、『教育の情熱』ということと、どう兼ね合いを取るのだろうかと、ふと考えてみました。

私の小学校5年生の時の担任は、O先生でした。なぜか今その先生が、私を引っ張って川を横断して泳がせてくれたことを思い出します。当時はプールとかはなく、夏は学校の裏の川で水泳をしていました。私は水に浸かるだけのような時間でしたが、ある日O先生が、『竹内、お前も川を泳いで渡ってみろ、出来ないことはないぞ』というのです。いやいやと尻込みする私を抱えるようにして、O先生は私を川に引っ張り込みました。無我夢中でばたばたしているうちに、いつの間にか向こう岸に着いていました。先生も全力をあげたようで、大きく大きく息をしていました。もう何十年もなるのに、そのことをはっきり覚えています。

その時、「お前は体が悪いんだから、渡れなくてもいいんだ」と、言われていても、それはそれで済んだことでしょう。むしろ、そんなケースがたくさんあったはずです。それだけに、O先生に横抱きされた、体の厚みが何時までも鮮烈なのです。

みんなちがってみんないい・・・ということが、ひょっとしたら、(極端なことになりますが)何もしなくていいということと、すりかえられはしないかという危惧を、私は持ったのです。
 この子を変えてやろうという教育の情熱と、当然違いのある、それぞれの個性との境目を、どこに置くかは、非常に難しい気がします。横並びを求めるのではなく、此処まではできるはずだ、行かせてやりたいという、生徒一人一人に対する強い<愛情>こそ、やはり求められているのではないでしょうか?

勿論私も、教育者の端くれですから、その方にどこまで要求できるのか、耐えてくれるのかの、ギリギリのところを見極める、プロの視点を磨かねばと思っています。

そうそう、帰りに電車の中で食べた「かまぼこ」がまた美味でした。・・・と、食い物でしめて、この旅行記を一応終わりとさせていただきます。

2回 よちよち音楽入門鑑賞講座 

 よちよちと、歩みは遅くても、触れているだけで少しずつ音楽の喜びに近づきます。新しい世界へ目を向けてみませんか。
●時.4月30日(水曜日)

昼の部 午後1時半から     夜の部 午後7時から

●所.サンシティー音楽院 A教室

●今月の100インチDVD鑑賞曲

ヴェルディー:歌劇「椿姫」(全曲)123分 ショルティー指揮・コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ管弦楽団&合唱団  ●受講料 500円(資料とお飲み物付き)昼夜とも、各10名程度先着順に受け付けます。

<行事予定>

■第143回 さわやかコンサート

4月25日(金)鶴見病院6時40分

■第13回エチュード・ファミリー・クラブ例会 4月13日(日曜日午後7時)会場変更→亀の井ホテル2階ロビー

前会場ではピアノの音が出ないことがありましたので、2年目から新しい会場でスタートすることになりました。亀の井ホテルでは、グランドピアノもありますし、これまでのようにお飲み物のお願いとかはありません。これまでと同じように普段着の気楽な会にしますので、どうぞ気軽にご参加ください。

■春の音楽祭 4月29日サザンクロス  集合時間などは、出演人数によって変わりますので、プログラムを良くご覧下さい。 ★みんなで思いっきり間違って、明るく恥をかいて 気楽な楽しい一日にしましょう。

●ルベックスペシャル告知板 

 4月は毎週土曜日4回練習があります。

レッスンお休みのお知らせ

 4月30日〜5月6日 春の音楽祭のあと1週間は全科目とも 音楽院はお休みになります。

J.S.バッハについて 7 友永敬子 バッハの生徒の中に公爵の甥アウグスト公がいた。公爵とアウグスト公の仲が急速に悪化し、2人の対立に巻き込まれしまったバッハである。バッハが、アウグスト公のドレーゼが死んだ時、その後任にバッハでなく、才能のはるかに劣るドレーゼの息子を据えたのである。バッハは深く傷つき、ワイマールを去る決心をした。アンハルト・ケーテン公から宮廷楽団の楽長にならないかと誘いがあり、バッハは受ける。だが、公爵は辞任を許可せず不服従の罪で、バッハを拘禁する。それから1ヶ月後バッハを釈放し、退職の許可を与えられた。   (続く)


リレー随筆93

現在進行形

     ギター科  清末昭子

 映画「禁じられた遊び」のあのメロディーに魅せられた青春時代からうん十年。ギターを弾きたい願望をやっと叶えられる時がきたのは3年前でした。

ある教室を知り、竹内幸一先生との出会いに恵まれました。まだギターにさわった事も無かった私を、先生は優しく導いて下さいました。また教室の先輩方の所属されいている<ルベックひまわり>と言う素晴らしいグループにも入れていただく事ができました。

演奏会にも 一人の舞台、グループでの舞台と出演させて頂きましたが、何回出てもあがってしまいます。これを克服しない限り練習した成果はでません。私には永遠の課題です。

教本の中には耳にした曲が沢山あり、とても弾きやすいし、早めに先生のOKがでます。又聞きなれない曲もしっかり手ほどきを受けて弾ける様になると これが又達成感倍増でとても嬉しい!

こうして難しい曲も弾けるようになっていくのかなと思うとわくわくします。それとも年と共に思う様に弾けなくなっていくのだろうかと思うとさびしい・・・。

同窓会等で 〜一曲弾いてよ、禁じられた遊びがいいわ〜なんて言われますが、まだとんでもないことです。でもいつか皆の前で
弾いてみたいと思っています。


長崎見聞録 6  河野観光社

大相撲の話などしながら待っていると、最後にお母さんが降りてきました。
「さて、晩飯はどこにしようか」と言いながら、足は「夢彩都」に向かいます。複数の長崎市民が薦めてくれたところです。近いしいろいろなテナントがあって面白いのだそうな。行って見るとそこは稙田タウンのようなところのようだが、大分よりあか抜けた感じがしました。ゴチャゴチャしていない。長崎市民の自信かなあ?
 イタメシ組と中華組に分かれて食事しました。イタメシ組は長崎らしくないけれどビールがウマかった。
 19:00から再度市民会館へ行きましした。「ギターソロの夕べ」が催されるのです。
このプログラムの内容は後から、後日に記します。
 21:00時に「ギターソロの夕べ」が終了し、今日の日程が終わりました。これからホテルに帰る予定でしたが、みんなでなにか食べようとなり、辛口好み組の予定の店の一口餃子をたべに行くことになりました。この店は、前に来たときおいしかったのでもう一度と思っていました。名前は「雲竜亭」。小汚さは昔のままでした。幸い、10人そこらも入れました。

餃子もさることながら話題が豊富で楽しい時間を過ごしました。中でも彼女2と紳士5さんの手話会話のやりとりは圧巻でした。少し残念に思ったのは盛られた餃子でした。もうちっと、きれいに盛りつけをしてくれれば良かったのに、と思いました。それでも、満足に会を終了しました。23:00前。
 辛口好み3人と行司役の紳士5さんはもう一軒寄って帰ろうと帰ホテル組と分かれました。ここからがまたすごかった。飲んじゃいました。注文の時、飲みきれなければれば、もって帰ればいいよなどと言いながら焼酎を
ボトルで、つまみをそれぞれ注文しました。
話はギター理論から売れる音楽、うまい音楽、青春時代の素性話、モンゴル講話、手話の復習ととっておきの話が続きました。ホントにこの方々はよく飲むし、話もうまいし時間を忘れます。お開きの時には、焼酎はすっかり飲み干しておりました。
 とっくに午前1:00を回っていたので、いい加減帰ろうと腰を上げました。ホテルはすぐそこなのに、タクシーに乗ってしまい運転手のひんしゅくをかいました。ごちそうさまでした。おやすみなさい。
 前日「朝の散歩」の話題が出ておりましたが、5:30起きられません。エイッ、もう一眠り。起きたのは6:30した。そそくさと身支度をし部屋を出てホテルを一周して戻ると彼女2、彼女3さんが朝食をとっていました。佃煮とのり、サラダ、ご飯とみそ汁。生活習慣病が気になる者には健康的な食事ではありましたが、「あじの開き」などなかったの?食事中ほどなく、彼女さん、紳士6さんが下りてきました。
 今日は、午前中空きで午後コンサートの予定です。それで皆んで午前中長崎観光としゃれ込む段取りです。散歩がてら、駐車場まで歩きました。こうすると町の大きさがおおよそつかめるんですよね。
 出発予定は8時半です。やはり最後はお母さんとそのつれあいさんでした。ホテル前は駐車できないので車の移動をおこないました。それでまだ来ない。ご両親を気にして、ソリストの娘さんも、少し心配そうでしたよ。
 ホテルの地の利を生かしてまずは、「出島」の探索から観光は始まりました。
 <追伸> 「ギターアンサンブルの調べ」について我らが出番は1番。曲目も、はらはらどきどきの様子も前に書きました。演奏後評価もいただきました。我ら以外は皆コテコテのクラッシックばかりでした。異彩を放つ意味で、評価を受けたのか?指揮者はいいます。オリジナルだよ。
 プログラムで気になったのは、佐賀と長崎です。佐賀のクシコス・ポスト/H.ネッケ。 ギタロンのメロディなんて聴いたことないよ。アンサンブルのおもしろさを聴かせてくれたと思います。最後は長崎の交響詩「フィンランディア」シベリウス。ブラボーでした。聴き応え、期待するもの、積み重ねた練習の量.すべてを満たしてくれました。
「ギターソロの夕べ」について
 実力者揃いで、演奏も楽しめました。中でも竹之内美穂さん。鹿児島という地理的ハンディをしょってのがんばり、応援しますよ。
そして、平戸健吉君。今回は開催地のマネジャー的仕事をこなし、演奏も一生懸命さが目につき、合奏ではリードの役割で、そのけなげさが強く印象づけられました。大坪憲司さん。地味ですけどいいですねエ。ホッとします。
「ギター協奏曲の調べ」について
 ここで我らが主役、竹内竜次が登場します。名だたる演奏家に伍して堂々たるもの
でした。「南の協奏曲」/ポンセ 。力強さを感じました。山下先生から、「彼がソロやるのに、何で合奏をやらないか」と言われたと聞いたとき悔しく思いました。「これに勝る応援はないぞ」と。
 松下隆二君は、何度も聞く機会を与えてもらっているし、竜次君の兄貴分と勝手に思いこませてもらっていますので、安心して聴けました。
 山口修さんは、よくぞお師匠さんのためにかけつけてくれましたね。嬉しく感じました。気持ちを込める演奏パフォーマンス、うまいです。「アランフェス協奏曲」。新たな魅力を展開してくれました。
 坂元敏浩、平戸健吉の兄弟弟子。いいですねエ。まったく。山下先生を支える3人の2人。実力と自信のほどがにじみ出ていました。
でもやっぱり、今回は、眼は平戸健吉君に向きました。兄弟子がろうろうと奏でるギターに一生懸命あわせていこうとするその演奏姿に、またまた感じいりました。いい演奏ありがとう。
 最後に今回のオールキャストを紹介します。
彼女=安部智子  紳士2=荒木正文 紳士3=周藤康一 紳士4=笠木哲也 紳士5=高野一男 紳士6=手嶋修一 彼女2=浦島順子 彼女3=遠藤みどり お母さん=竹内八重子 竹先生=つれあい=竹内幸一 ソリスト=娘=石井暁子、主役=竹内竜次 mkunn=溝口伸一 運転手=河野啓二 ゲスト プライムの紳士=小笹昭洋 以上でした。   
 CM  今回は河野観光をご利用いただきましてありがとうございました。次回ご利用の節には、「リンゴの歌」でも歌えるガイドを    人材派遣会社(suncityONGAKUIN)に、掛けあってご用意しおもてなしをなんて考えておりますので、よろしくお願いいたします。

(代表取締役 corin)

inserted by FC2 system