さそり座の歌 984
もうそろそろほとぼりも冷める頃なので、一応、妻の入院のことを記録に残しておきたいと思う。
7月の半ばに、娘の演奏活動がだいぶ入っていた。それで、どうしても困る1週間ほどの間、妻が孫の子守のために、泊まりこみの手伝いに行く予定を組んだ。
その留守の間には、食事、風呂、洗濯、猫の世話などのいろんな対策が必要だった。頼りない留守番役の私は、くどくどと何度も念押しされながら準備がすすんでいた。
ところが、まだきちんと準備が済まないある日、妻がちょっと検査に行ってくると、なぜかあっさりと病院へ出かけた。いつもだと、うだうだと言いつつ、なかなか行動には移さないのだが、今思えば自覚症状が相当あったのだろう。
夕方「このまま入院するようになった」とメールが来た。あわてて丁度帰っていた娘と病院に行くと、詰め所ですぐに、「先生が説明しますので」と、内視鏡の画像のある部屋に案内された。入院というだけでも動転しているのに、何か深刻な話かもと思うと、先生の前に座って足が震える感じだった。
「まあ、一週間ほどで退院となるでしょう」という言葉に、やれやれと、肩の力が抜けるのがわかった。
たまたま娘がいたので、入院の準備から、家での私の世話まで、何やかやと大車輪の働きをしてくれた。それでも、佐賀のほうの家でも演奏などのはずせない仕事があるので、ぎりぎりまでいてくれて、帰って行った。
たまたま妻の長期不在の話が進んでいたので、一人になっても、そう慌てふためくことにならなかったのは幸いだった。しかし、仕事が済んで、一人でぼそぼそと遅い夕食を食べていると、なんだかやけに部屋が静かに思えた。これで、もしあの時医者から、「末期の**です」とか言われていたら、それこそ食事が喉を通らなかったかもしれない。
娘は帰る前に、孫や猫などの写真に、いろんな言葉を添えたお見舞い状を、7枚作ってくれた。それを1日に1枚妻に渡さねばならないので、私は毎日病院に行かざるを得なかった。長男の嫁は、食べきれないほどのいろんな料理を届けてくれた。
家族のいろんな絆を感じられたのはとても嬉しかった。
しかし、しかし、私は今回痛切に思ったのだ。残されたくない。私は妻より先に死にたい。
さそり座の歌 985
7月の終わりにテレビが映らなくなって、約2ヶ月が過ぎた。新聞で見たのだが、この機会にと、テレビ離れしたという方が、9万人もいるという記事を読んだ。全国での数だから、それが多いのか少ないのかすぐには判断できないが、報道されるぐらいだから、NHKも驚いているのだろう。
しかしながら、この契約解除の数字は、届け出て手続きした分だけのことだ。実際の数はもっとあるのではないかと思う。と言うのは、契約解除のやり方が、かなり難しいという体験があるからだ。
テレビを見なくなれば、自動的に受信料契約が解除になると何となく思っていた。勝手に放送を打ち切ったのだから、これまでの契約者は自動的に契約が抹消され、新しいテレビを買って契約した人だけが受信料を払えばいいだけのはずだった。
しかし、少し不安になったのでネットで調べてみると、何と何と…自己申告制なのだ。まず電話でNHKの担当部署に電話(細かいが、この電話代はこちら持ちの有料)をする。そこで担当からいろいろと審査の質問があり、その返答がすべて契約解除に該当すれば、NHKから申請書類が郵便で送られてくる。それに記入し、印鑑を押して返送して、その後しばらくして、契約解除できましたという知らせが来るという仕組みだった。
つまり、何もしなければ、テレビは見ていないのに、受信料は払い続けるということになるのだ。これ、皆さんご存知なのだろうか。70、80代の年配の方は、この手続きが出来るのだろうか。
ネットで連絡先の電話番号を調べ、有料にもかかわらず審査時間の長くなる電話をきちんとした人の数が、9万人ということなのだ。その表向きの人数が正確だろうか。
ちょっと横道にそれるが、大震災で被害にあっても保険の手続きが出来る人はいいのだが、家族、親戚の皆さんが被害にあわれ、誰も手続きをしなければ、保険会社の丸儲けになるのだろうか?素朴な疑問である。
ともかく、私は今回完全に、契約解除の手続きが済んだ。テレビ離れをしたという事を知らせたら、ある方からそのことに関して連絡が来た。
「私は、テレビをやめて4年になります。なかなかいいもんですよ」と、励まされた。仲間もいるのだ。
また、別の機会にテレビのない暮らしの実態について、普段の様子を書きたいと思っている。