さそり座の歌 974 

 自慢話は、人に嫌われる。この話もそうなりかねないので、少しためらいや迷いもある。しかし、このヘトヘト到達を、何とかありのままに書いてみたいと思う。出来れば、自分史の一つに加えられたらとも思うからだ。

 「えんぴつで奥の細道(ポプラ社)」という本を書店で見つけたのは、もう四年前のことになる。俳句を少しかじっているので、「奥の細道」を、この際きちんと読み、書くのもいいだろうと、決心したのだ。

 本は出発地の深川から旅の終わりの大垣まで、五十章に分かれている。それぞれに解説があり、鉛筆でなぞることの出来る薄い字で、全文が掲載されている。

 「月日は百代の過客にして・・・」という有名な書き出しを鉛筆でなぞるスタートのころは、かなり気合が入っていた。一日に一ページとノルマを決めて、たぶん一週間ぐらいは毎日鉛筆を持った。

 しかし、何かの折に一日飛ばし、また二日休みとかが続くと、いつの間にか何もせずに一、二ヶ月が過ぎているのだった。

 本はいつも机の端においていて、いつでも書ける様にしている。気合を入れなおして取り組めば、内容も面白く、やはりこれは俳人にとって必須だと何度思ったことか。

 しかし、意志が弱いのか、面倒くさがりなのか、さぼりだすと、いつしか書かないことが当たり前の日々が過ぎて行った。しかし、時おり、机の端のこの本が気になるのだ。

 あるとき、ふと思いついて、一ページというと取り掛かる前から重荷になるので、半ページの五、六行だけを書くことにした。これならすぐ終わるので、鉛筆を持つことが少し気楽になった。

 しかしそれでも何度挫折したことか。時間にすれば一回がほんの七分ほどのことなのに、なんでこれが出来ないのだろうと、自分のぐうたらにあきれたことも多かった。

 あるとき久し振りにページを開いたら、紙を食べる小さな虫が本の上を這っていた。その時は、このままゴミに出そうかとも思ったほどだった。すぐ挫折する自分にたいする自己嫌悪も一緒に、目の前から無くしたくなっていたのだ。

 さぼらずにきちんとやれば、おそらく一年も経たずに出来上がることだろう。そういうものに、空白の多い四年の歳月をかけて、ようやく、今日、九月一日に、最後の一行を書き終えた。
 

さそり座の歌 975

 平成二十二年九月二十八日、新しい命が誕生した。その日、娘の入院している産院では、四名の誕生があったので、世間的にはごくありふれたことなのだろう。しかし、我が家にとっては、初めての第三世代の出現なので、この日のことを書き残しておきたい。

 朝十時の方のレッスンをしている時だった。入り口のドアが開いてタクシー運転手が現れた。不意の事だったので驚いて、確かめると、私の知らない間に兆候が現れて、産院へ出発となったようだった。

 十月一日が予定日で、初産は遅れるだろうと決め込んでいたので、いよいよかというような心づもりもないままのスタートになった。

 診察を受けると、七p開いているとかで、そのまま入院になった。その連絡のあと、妻と娘の昼ごはんがないので何か買ってきてという依頼があった。コンビニで弁当を買い届けに行った。
産院の受付で、「竹内宏子の部屋を・・・」と尋ねると、書類を何度かめくって、「そういう方は入院されていません」と困ったように受付が言う。「おかしいな、今日十時ごろはいったはずなんやけど・・・」と言ってふと気がついた。娘の苗字は結婚して変わっていたのだった。

 一度目の「ペパーミント」という部屋の訪問。妻と娘は、ホテルでも来たかのように、にこにこ顔で迎えてくれた。しばらくして、佐賀から娘の夫も休みを取って駆けつけてくれた。二十六日に運動会があって、それに重なると休めないと言っていたので、日取りとしては丁度いい時期だった。

 仕事があって一度帰る。二度目の訪問は、午後四時ごろだった。部屋に入ると無音。娘は、襲ってくる痛みに耐えていた。二人がそばで、手を固く握ったり、腰を揉んだりしていた。痛みが襲ってくるたびに、身体を固くしているのがわかり、こちらまで息苦しくなるほどだった。少しめまいがした。

 痛みの頻度を表すグラフが限界に来たようで、五時半ごろ分娩室に入った。六時まで私もそこにいたのだが、仕事もあったので、また家に帰った。七時半からの仕事だったので、まだ居ても良かったのだが、私の気分に限界を感じてしまった。全力で苦しむのを見るのは、やはり辛かった。

 夜八時過ぎ、仕事を終えて、三度目の「ペパーミント」訪問をした。恐るおそるドアを開けると、雰囲気は大転回していた。

 娘は、点滴をしながらも、ベッドに起きて食事をしていた。先ほどの苦しみが嘘のように、明るい笑顔が見えて、あまりの場面展開の速さにとまどうほどだった。

 六時四十四分に、二千七百十二グラムで世に表れた命は、部屋の小さなベッドに安らかな寝顔を見せていた。

 あれから五日ほど過ぎ、もう退院の運びになった。これからまた、あれよあれよという間に、いろんな喜びを与えてくれるのだろう。
 
泣き声を 賜る笑顔 秋日和
 
天高し 母子見つめ合ふ 授乳かな 
 
灯下親し 産着いろいろ かざしけり  

さそり座の歌 976

 「修ちゃんを救う会」の応援をしている。2歳の男の子が心臓病なのだが、移植でしか助からない難病なのだ。しかし日本では幼児の移植ができない。そこでその子は、アメリカに渡って移植を受けることになった。その費用が1億5千万円という事で、小さな命を救おうと、今その支援の輪が広がっている。

 ギターの生徒さんが、その子の父親と親しくしていることから、私のほうにも支援依頼の話が来た。できるだけのことをしようと、私のパソコンにあるすべてのアドレスに、お願いのメールを送った。

 しばらくして少しずつご協力の声が届いた。「ほんの少しですが」という笑顔に接するたびに、心が温かくなった。あるギターグループは、ほんの1万分の1ですがと、みんなで出し合って1万5千円を届けてくれた。

 そんな中で、ご協力をいただけたある方と話していると、次のような声があった。「修ちゃんに丁度合う心臓をくれることになる、その幼い子も、本当は助けたいわね」と言ったのだ。

 「そうですね」と私は生返事をしたのだが、その深い意味を持つ視点のふくらみに、少なからぬショックを受けた。修ちゃんの親がいて、心臓を提供して子供亡くす親がいる。その矛盾の上に、移植という治療が成り立っている。移植というものの冷酷な面の切っ先が、私の胸に刺さった気がした。

 むずかしい倫理観や生命観など、私には軽々に判断ができない。移植というものが人類にとって許されるかどうかは、神の領域のことかもしれない。

 しかし、最近の日本での移植のニュースを見ていると、一人の善意が、たくさんの命を救っていることが分かる。肺は山形大へ、肝臓は愛媛の病院へ、腎臓は埼玉の病院へ・・・などなどと、それぞれが移植を待っている人のところへ届けられている。

 その一つ一つの臓器が、瀕死の人へ贈られる。一人の失われゆく命が、何人もの生命の中に宿って生きていく。

 自分のこととして考えるには、あまりにも遠いことで現実味がないが、どうせ助からない自分の命で、何人もの方の命を救えるのなら、それが喜びとなるのかもしれない。

 どうしても助からないわが子なら、どうぞその心臓を差し上げて下さい・・・という、敬虔な祈りのような慈悲の声を、アメリカでいただける日が来ますように。

さそり座の歌 977 

 2週間ほど前のことだ。田舎に住む85才の母から「年賀状が、もう一人では書けないので、何とかして」という連絡があった、それで、母宛の年賀状をもらうために家に帰った。以前は腰の具合が悪く、歩くのも難儀そうだった。しかしその日は、外まで見送りに出てきて、私を安心させてくれた。

 火曜日・デイサービス、木と土曜日・ホームヘルパー来宅、水曜日・送り迎え付きの病院行きというスケジュールで、要支援1ですが元気にすごしています。

 そんな原稿も決まって、印刷準備にかかろうかとした日に、母を担当する介護のケアマネージャーから電話があった。

 「転んで手を骨折しましたので、入院します」というのだ。つい二日前に、元気な姿を見たばかりだったので、不意打ちを食らった感じだった。

 慌てて市民病院に行くと、右手を肩から吊った母が、左手一本で、止めるのも聞かずベッドに起き上がった。右手が使えないと、いろんな不便があるという話をしながらも、普段と変わりなさそうで一安心だった。

 入院承諾書、手術承諾書など提出書類が、いろいろあった。そして、病状の説明、手術内容の説明と、付き添いの仕事もかなりあった。

 翌日が手術だった。前日夜9時以降絶食していたのだが、その日は、4名の手術がありなかなか順番にならなかった。黙って寝ている母に、腹が減っただろうと尋ねても、点滴をしているせいか、空腹の苦痛はなさそうだった。
 午後6時、順番がようやくやって来た。5階の病室から、2階の手術場へ移動した。手術場の入り口の横に、控え室があった。付き添いはそこで待機することになっているようだった。暇なので、その部屋で、知らせたほうがいい人へ電話をかけた。従姉妹夫婦は、すぐに、その控え室へ駆けつけてくれ、心強かった。

 終わってから、レントゲンを見ながらの説明があり、長い一日がようやく終わった。

 手術から一週間後に病室へ見舞いに行くと、もうすでに包帯などはずしていた。ギプスを長くしているのかと思っていたので、その早さに驚かされた。

 何はともあれ骨折騒動は、これで一件落着の気配になった。ありがたいことだ。しばらくは、安穏な日々であってほしいものだ。

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