さそり座の歌 930

 いろいろしているうちに、今年も十二月になった。九日の「魅惑のギターステージ」が終われば、主だった行事は全て完了という事になる。

 毎年のことだが、何かことを起こし実行していくと、びくびくしながら時間を過ごすことが多い。コンサートを企画すれば、お客さんが入ってくれるだろうか、生徒さんが出演してくれるだろうか、赤字にならないだろうか、進行がうまく行くだろうか、打ち上げに出てくれるだろうか・・・と、びくびくの種は尽きない。

 いろんな方と折衝するコンサートでは、メールなどのやり取りが、びくびくの種になる。しばらく返事がないと、機嫌をそこねたのではないか、失礼があったのではないか、大きな問題が出たのではないか・・・と、びくびくしながら、メールの返信を待っていることが良くある。

 びくびくの日々のストレスを吐き出すことも無く、今年も時間が流れ一年が終わろうとしている。団塊の世代の仲間たちの定年の話を聞くたびに、このびくびく人生を、いつまで続けることになるのだろうと思う。「体の持つ間続けられて、いい仕事やな」と、羨ましそうにいわれる事もある。しかし、仕事を続けるという事は、そのびくびくの日々が続くことでもある。

 そこで、なぜか分からないが、ひとつ自分の中にプランが浮かんだ。来年の三十周年を、私の定年にしようと思ったのだ。
 
肩肘をゆるめて見あぐ枇杷の花 幸一
 
 最近そんな句を作った。枇杷の花は地味な目立たない花だ。顕示するような強い色や形はではない。つつましくひっそりと咲いている。しかし、咲いている。

 三十周年の大きな行事が終わったら、私は、還暦を迎える。ここで一区切りつけて、表面的には変らなくても、自分の中で、肩の荷を降ろしたいと思うのだ。もう、こうあらねばならないという、上昇志向の成功願望への重荷を下ろしたいと思う。

 それは音楽でも、文学でも、家庭生活でも、人付き合いでも、もう華やかなバラの彩を求めるのをやめようと思う。

 なぜかそう思った途端に、もう今から肩の荷が下りて、ふっと体が軽くなった気がしたのだ。分不相応の高望みの暮らしをやめて、自分に出来るだけの、無理のないあるがままの時間を過ごしたい。

 そんなことを思いつつ、流れの速い今年の暮れを過ごしている。
 さそり座の歌 931

 最近、新聞の夕刊に、若くして亡くなった方のドキュメンタリーのような連載が続いている。癌を患い、若い妻や幼い子を残して旅立っていく様子を、深く見つめていて、そのリアリティーに圧倒される記事だ。

 それに加えて、「眉山」、そして「東京タワー」と言う映画も見たが、これも別な角度から死を取り扱っていた。娘、或いは息子が、癌で命を全うする母親を、どう見送るかと言う情愛のドラマだった。我々団塊の世代は、ほとんどがそういう時期にいる。自分の暮らしとは別のところで、否応なく人の死を見つめなければならなくなる。しかも、それは長い間苦労をかけた、自分の親と言う一番血のつながりの濃い相手になる。

 映画は、そんなに親子の関係が、温かく、きれいで麗しいのかと、まぶしいようだった。自分も老母を抱えてはいるが、そんな情愛をもてる自分になれるのか、少し不安になった。しかし、いずれそういう日を迎える覚悟だけはしなければと思う。

 また、昨日の新聞に、ある医者が老人の治療をして一応元気にさせたあとの話が出ていた。老人は退院する時、元気になったことのお礼を沢山言って病院を出て行った。しかし、しばらくして、家での農作業が無理なことが分かり、こんなことなら、どうして殺してくれなかったのかと、文句を言いに来たそうだ。

 若くして癌で亡くなる方は、仕事や、子育てや、或いは自分の趣味の楽しみなどすべて失うことになる。それを思うことから、本人も、また周りの人も悲しみが深くなるのだろう。まだ、やりたいことが沢山あっただろうにというところから、感傷の涙につながる。

 それの焼き直しと云うか、裏返しが、農作業が出来ないのなら、死んだ方がましということにもなるのだろう。

 人は、なぜ生きたいのだろう。死の待っている生の時間に、何を求めているのだろう。仕事をしたいのだろうか。美味しい物を食べたいのだろうか。周りのいろんなニュースを、ずっと見続けたいのだろうか。

 先のことは分からないが、とりあえず今はまだ、病室に一人ぽつんといる時期ではない。声をかければ応えてくれる人がいる。集まりの輪の中に行けば、一緒に笑い会うことも出来る。周りに人が確かにいるこの時間、このスペースがあることが、何よりの喜びだ。

 今を大切にしたい。

さそり座の歌 932

 「お役所仕事」と言う言葉がある。辞書によると「形式主義に流れ、不親切で非能率的な役所の仕事振りを非難していう語」とある。

 何かの手続きで、ちょっとの書類のミスや、印鑑を忘れたなどで、先へ進まないことがある。本人が来ていて、常識的に考えれば、間違いがありえないことでも、たった一つの捺印がなければ、決して通そうとしない。

 しかし、いろいろなケースで、万一何か問題が起きたとき、その部署で寛大な対応をした職員は、責任を問われることだろう。それは、逆に言えば、ちょっとおかしなことでも、一応書類上に問題がなければ、通っていくことにもつながる。それも、一つの印鑑さえあれば、職員は責任を免れることになる。

 事なかれ主義は、柔軟性のない固さにつながる。しかし、その固さは、信頼にもつながっていたはずだ。不正などは未然に防げるシステムが、役所の中には存在すると信じていた。それなら、非能率でも、固くても納得できる。

 しかし、今回の年金の問題は、その「お役所仕事」を根底から覆すものだといえる。

 年金の事務は、数の問題はさておき、極めて簡単なはずだ。事務は、誰からいくらの年金の払い込みをいただいたと記録すればいいだけことだ。いずれ返すことがはっきりしていることだから、誰に返すかもその記録があれば、何の問題もないことなのだ。

 それが出来ていないという。お堅いお役所が、こんな簡単な事務が出来ないのだという。

信じられないようなずさんな出来事で、国民の怒りが爆発し、それが先の参議院の選挙に反映されたことは、記憶に新しい。

 けれど、その怒りはもっともなことだと思う。30年、40年と身を削るようにして掛け金を払い込んだ挙句、「あなたの年金は不明ですから、年金は払えません」と言われた人の気持ちは、どんなものだろうか。「払っているのなら、証拠を持って来い。それで確認できれば年金をやる」というのだ。

 だいたい、もらえる時期になっても、自分から手続きに行かなければもらえないと言うのが変だ。まともな保険会社なら、「満期になりましたので、あなたは何月より、保険金の支払いが始まります」と、お知らせが来る。それが、国家の年金の場合、手続きをしない人、出来ない人には知らん顔で、ふんだくるのだ。

その上問い合わせても、「あなたの年金が払い込まれているかどうか、わかりません」と言うことがあるのだ。何たることだ。

 辞書の改訂のとき、お役所仕事とは、「形式主義に流れ、不親切で非能率的で、信用できない役所の仕事振りを非難していう語」となることだろう。

さそり座の歌 933

 「象の背中(秋元康著・扶桑社)」を読んだ。48歳のサラリーマンが、肺ガンで余命半年と宣告されてからの物語だった。

 余命半年と言われたら、どういう時間の過ごし方を選ぶか?その回答の一つのサンプルが、この小説に描かれていた。人それぞれ、その時の対応はばらばらだろう。こうしたいと思っても、いろんな状況で、ママならないことも多いことだろう。しかし、少なくとも個人的には、この小説のように過ごせたらと私も思う共感を受けた小説だった。

 先ずその一つは、癌に対する治療のことだ。手術や、放射線、抗がん剤などの治療をすべて拒否している。頼るのは、痛みに対するモルヒネ投与だけだ。

 これもいざとなれば、かなり難しい選択だろう。もしかしたら、抗がん剤が効くかもしれない。ひょっとしたら、放射線でがん細胞が消滅するかもしれない。その何パーセントかの希望を医師から説明されたとき、断わりきれるだろうか。

 少しでも長く生きてほしいと願う家族を振り切って、治療拒否できるだろうか。今のところ、私が拒否したいと思っているのは、その治療は苦しいばかりで、効果がないと決め込んでいるからだろうと思う。いろんなデータを見せられて、この人はこうして治りました。この人にはこれが効いて、5年以上生存しています。そんな話を聞いても、拒否するだろうか。まあ、それは転移していて末期の場合はありえないことだろうが。

 この主人公は、なるべく普通に暮らし、どうしてもと言う最後はホスピスに入って、最期を迎える。動ける間は、これまで生きてきた、いろんな思い出やかかわりのあった人物と出会い、いわばその人に遺書を残していく。家族ともできる限りのふれあいの時間を残して、終わりを迎える。

 家族構成は、妻、長男、長女、そして亡くなる主人公の4人となっている。つまり我が家と同じだ。それだけに、男と男の長男との関わり、娘や妻とのいろんな対話が、自分のことのように迫ってきた。

 いささか、きれい過ぎる、かっこよすぎる主人公の死に様だが、そうできたらいいなという願望が、共感にもつながるのだろう。

 余命半年。そう宣告されたら、私はどんな道を選ぶのだろう。茫洋としているが、一つの確かな参考になる小説を読んだ。

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