さそり座の歌 919
今住んでいる3階建てのビルの名前は、サンシティー紅葉坂ビルという。10軒が接して入居し、長屋になっている。いろんな業種の店が1階にあり、その家庭が、2階と3階に入っている。
ここに入居して、24年ほどになるが、10軒長屋の商売には、いろんな盛衰があった。どういう訳か、うまく行かないところは、次々に商売の内容が変った。もう記憶も定かではないが、クリーニング店、パン屋、喫茶店、貸本などと、めまぐるしく商売替えしたところもあったほどだ。
そういう中で、私のところの音楽院と、両隣の、ラーメン店、寿司屋の3軒は、実に堅実な店だと、時折ビルの人たちの話題になっていた。この3軒以外は、すべて、当初の店から他のものに変ってしまっているのだ。その退却のドラマをいろいろ見て、やはり、商売をするというのは、難しいことだなと身につまされることも多かった。
しかし、寿司、音楽院、ラーメンの健闘振りを自慢していたのだが、ついにこの春、その一角を失うことになった。さびしくてならない。
この次の日曜日で、ラーメン店を閉めるので、ビルのみんなで送別会をするという話が、つい最近あった。隣のラーメン店のおいちゃんに聞いてみると、奥さんの具合が悪くて、決断したそうだ。病気で、もうラーメンの鉢が持てずに、店の手伝いが出来なくなったそうだ。夫婦二人で助け合ってしていた店だから、奥さんが店に出られないと、やっていけないのだろう。
このラーメン店のおばちゃんは、実にいい人だった。その人柄にどれだけ癒されたことか。あるとき、音楽院から出るピアノ等の騒音が問題になりかけたことがあった。そのとき、このおばちゃんが、「いいえ、私は気にならんよ」と話の広がりを折ってくれて、何とか事なきを得たことがあった。
コンサート前に娘が遅くまでピアノを練習することもあった。しかし、おばちゃんは、「私は、ピアノが好きやから、がんばりよ」と、励ましてくれさえした。確かに、隣には相当聞こえていたのだと思うのだが、甘えさせてもらうことが出来た。
そのおばちゃんも、ぶっきらぼうだけど、人情味のあるおいちゃんも、もういなくなる。過ぎて行った、24年の歳月が重い。
さそり座の歌 921
先日ある方から、よそにピアノを習いに行っている子どもを、わが家の娘につけさせてくれないかと電話があった。丁度娘はいなかったのだが、4月から学校へ出るようになって極端に忙しくしており、新規の申し込みはすべてお断りしていたので、その旨を話した。しかし、いろいろと理由を言って、なかなか折れそうになかった。
お腹に次の子どもがいて、遠くまでもう送っていけないので、歩いて行けるお宅へ何とかお願いしたいと、強く粘るのだ。仕方がないので、娘が帰ってから相談してみますという事で、電話を切った。
娘が帰ってからその話をしてみると、案の定、「もう、出来んよ」とにべもない返事で、機嫌が悪くなった。そこを何とかなだめすかして、向こうは今日、先方に断わりに行くと話していたから、とにかく断わるにしても、早く電話してと頼んだ。しばらくして電話してみたが、向こうは留守のようで、連絡が出来なかった。
ところがその日の夕方、そのお母さんが教室に尋ねてきて、向こうさんとの交渉のいきさつを話してくれたそうだ。娘は嬉しそうに、とっても素晴らしい一件落着!とか言って笑っていた。
今日で終わりにしたいと話すと、いえ絶対にやめないでと、泣いて頼むのだそうだ。でもここまで連れて来られないといえば、お宅の家まで出張するから何とか続けてもらいたいと懇願したと言う。そこまで言われれば納得せざるを得ず、こちらに話をしてしまったけれども、そんなことなのでお許し願いたいと言う、お詫びに来たのだった。
娘は引き受けるとは言っていないのだが、粘られるとしぶしぶと言う可能性もあった。それだけに、重荷が思いがけない方向で取れて、こちらとしては良かった良かったという事になったのだが・・・
しかしそのあと、それにしても凄いなと二人で感嘆した。そこまで生徒を大事にするという、情熱と云うか執着に、打ちのめされた。私達なら「あ、そうですか、バイバイ」と簡単に引き下がって承諾することだろう。これでいいのだろうかと、何だか生徒さんに冷たいのではと言う気にさえなってしまった。でも、泣いてやめないでとはとても言えないだろうな。この仕事を長くやっていて、どこかが乾いて失われているものがあるのではと、妙に考え込んでしまう出来事だった。