さそり座の歌 911
ある方のエッセイを読んでいたら、「正しいことを信条にしたらあかん…たのしいことをしたらよろし」と言う一文があり、はっとした。今をときめく、田辺聖子の言葉だそうだ。
長く生きていると、だんだん人と一緒に暮らしていくことの難しさが分かってくる。それぞれの言い分がぶつかって、険しい雰囲気になることが多いのだが、自分の言い分が通って、相手が素直に変化してくれることなど、まずありえない。たいがい、腹を立てて喧嘩別れになるばかりだ。
そんな暮らしを長いことしている者にとって、「正しいことを信条にしたらあかん」と言うのは、全くもってそのとおりだと、強くうなずいてしまう説得力があった。
自分の言っている事に間違いはない。いくらなんでもそれはおかしいだろう。いい加減にしたらどうだ。何度言ったら分かるのだ。…と、自分の正しい理論を振りかざして、押さえ込もうとしても、事態は暗くなるばかり。よく考えれば、相手は相手で、自分は正しいと確信を持っているのだから、かみ合うはずもない。火花が散るばかりで、何も進展はない。不愉快な思いが、充満するばかりだ。
そんな長い間の体験から来る悟りから、「たのしいことをしたらよろし」というのは、実に素晴らしい到達点に感じる。勿論、その悟りは、ほんの浅いもので、すぐ化けの皮がはがれるものではあるのだが・・・。
しかし、努力目標として、ちょっと引いて、ユーモアや笑顔で受け流すことが出来れば、深刻な亀裂には至らないことが多い気がする。
正しいことで斬りつけるよりも、ゆとりを持って、ソフトに対応すれば、意外と話が通じたりもする。
とは言うものの、それがまた生半可なことで自分を変えられるものでもない。キリキリと、自分の正しさをいつしか押し付けて、相手にと言うより自分に腹を立てている。しかし、そんな私達にもう一つ田辺聖子の言葉がある。
「人間が人間のプロになれる頃には、八十才になっているだろう」
相手を変えるということは、出来ないんだと分かったとき、人は一つのステップを踏む。そして、変える事が出来るとすれば、自分の心がけに、少しだけ可能性があることが分かってくる。
しかし、自分自身との戦いも、なかなか手強い。その難しさを噛み締めながら、齢をとっていくのだ。人間のプロになるには、八十年かかると思えば、未熟な自分をそう嘆かずに済む。少しばかり気が楽になる。
さそり座の歌 913
今日は2月10日。日教組の大会の始まる日だ。2月の初めと言うのに、春のような日差しが溢れて、我家の下の道はすいすい車が流れている。何事も変化のない、実に平穏な日である。
5日ほど前の、私の勝手な予想では、我家の下に右翼の街宣車が溢れて、軍歌の洪水の中で顔をしかめているはずだった。それが、全く持って肩透かしなので、拍子抜けしてしまっている。
今年になって、街宣車が時折通っていた。時折何台も連なって行くこともあった。普段にないことなので、不思議な気持ちで、長崎ナンバーの街宣車を見送ったりしていた。
その訳がはっきりしたのは、5日ほど前だった。すぐ近くのビーコンプラザで、日教組の全国大会が開かれると言うのだ。その対策で、ビーコンの回りの道路は通行止めになると言う知らせもあった。
日教組と街宣車の対立構図の模様は、新聞などで知っていた。商店街は休業し、街は右翼に占拠されるような感じだった。それを恐れて、会館が大会開催を断わるところもあったりして、言論集会の自由の問題も報道された。
あの凄惨な洪水がやってくるのか?これは大変なことだ。道路封鎖の図を見ると、我家の少し下になっている。つまり我家の下の道路までは、自由に街宣車が行ける事になる。進入禁止箇所の前まで、街宣車がだんごになって身動きできない状態になるだろう。
そんな予想のもとに、家族とも議論をして、大会前日から終了日までのレッスンを休むことにした。せっかく遠くから公民館などに集まってくれているのに、私の車が身動きできずに行けないことになれば、大変申し訳ないことになる。それで、二つの公民館の講座、デパートの文化教室を休むことにして、連絡に明け暮れた。最初は、右翼の車がとか訳を話していたのだが、だんだん面倒になってきて、とにかくちょっと用事でお休み、振り替えはいつしますとだけ知らせるようにもなった。
嬉しいような、少しがっかりしたような複雑な気分だが、とにかく、過剰反応に終わった。我家の上の三叉路にバリケードが出来、街宣車は全て、よそへ流していた。下からのも、こちらへは全く来ずに、このところ街宣車は全く見かけない。台数は来ているのかもしれないが、地獄の坩堝の予定が、ビーコンに近すぎて聖地になったようだ。
やれやれなのだが、休みにして空いてしまった時間が、何だか空虚で仕方がない。