さそり座の歌 906

 久しぶりに医者へ行った。今こうしてパソコンが打てるという、これまでなら当たり前のことが、何だかとても嬉しくなる。この日常がいとおしくなる。
 二、三日前より耳の具合がおかしかった。もともと耳の聴こえは良くないのだが、それなりに落ち着いていて、困った症状はなかった。ところが、今度は耳垂れが出るし、痛みがあった。特に昨晩はひどかった。きりきりと刺すような痛みが、断続的に続き眠れなかった。

 午前二時前だったか、あまり眠れないので、水を飲みに起きた。それから、枕もとの音楽も消して眠ろうとするのだが、なぜか目が冴えてどうしても眠気がやってこない。

 痛みがあり、しかも眠れないと、頭の中をぐるぐるといろんなことがめぐっていく。ひょっとして、雑菌が入って、脳へ達したのかもしれない。それで、眠るという機能がやられて、このまま何日も眠れずにいて終いに死んでしまうのだ。病院へ行けば、これは命にかかわりますよ、すぐ入院して手術しなければという宣告がある。そういう妄想を追いかけていると、ますます眠れなくなった。四時になり、五時になり、夜が明けた。

 しかし、問題山積みなのに決断が出来なかった。病院へ行くには、午前中の五人のレッスン変更が必要になる。それをなんとか済ませて午後でかけるか。いややはり一刻も早く病院へ行かなければ。しかしもしかするとこのままで自然治癒するかもしれない。

 眠れないので、朝六時に起きてひげをそり、新聞を少し読んだ。まだみんな寝ている。考えがまとまらないので、またベッドに横になる。仕事をすべきか、病院へ行くか、病院へ行くならどこへいくか・・・

 朝飯を食いたいという気分にならない。それどころか、何だかむかむかする。これではやはりレッスンは駄目だろうなと、八時にようやく決断が出来た。家族を起して、いろいろな手配をしてもらう。病院へ着くと二番だった。何だか、珍しくもないというような治療をして、あっけなく放免されたのは、十時ごろだった。四,五日通えばいいようだ。耳の中がすっきりし、痛みもなくなると、気分も明るくなった。ほんの数時間前の憂鬱や絶望がおかしくなるほどだった。

 それから連絡しても、レッスン再開は可能だったが、そのまま休みを貰って休養することにした。不思議なことに、あれほど目が冴えていたのが、眠くなった。午前中眠って、昼食後また眠った。いい気持ちで眠れるのは、何と素敵なことか。そして夕方五時過ぎの仕事から、普段どおり全てこなすことが出来た。


 さそり座の歌 907

 息子がCDを出した関係から、宮崎県の日向市でコンサートが開催された。それは9月末に実現したのだが、丁度5週目のお休みでもあり、日向に行ったこともなかったので、私達家族3人は、息子と別便で応援に出かけた。応援と言うより、一泊しての次の日の観光がメインとも言えたのだが・・・。

 唄喧嘩大橋を越えて、大分県を出るのは初めてだった。目的地までの道沿いに、よく稔った黄金の稲田がたくさん広がっていて、息を呑むほどだった。久しぶりの広い稲田は、遠い郷愁へ通じる光景だった。

 延岡を過ぎてその先が日向だったが、宮崎へ行くというイメージからするとかなり近かった。コンサートは、定員80名と言う美術館ホールで開かれた。幸い90名ほどの方が入り、これまでのコンサートで一番多いと主催者が喜んでくれた。

 20名ほどの方々との打ち上げもあり、招待を受けたのでホテルへ帰らずに、私達も参加した。その会の主催者は、まだ活動を始めて5,6年と言う歴史だったが、講師を助けるいろんな人材もいて、若々しい伸び盛りの勢いが感じられた。今の別府は、到達した何かを守っているだけのような気がして、日向の今の雰囲気がなつかしくもあり、一面ほろ苦い思いもわいてきた。

 ひとつ面白かったのは、温泉の話が出て、「我が家は水道をひねると温泉が出る」と言ったのが、全く信じてもらえなかったことだ。そんな馬鹿なことがあるはずがないと、何度、本当なんですよと言っても、取り合ってもらえなかった。話した相手が特殊なのか、水道温泉が、それほど珍しいのか、いまだに分からないでいる。

 次の日は、若山牧水記念館へ行った。受付を済ませると、説明係をつけましょうかと言うのでお願いをした。この方は、写真や書を指差して、懇切丁寧に、ユーモアを交えて一時間半ほども話をしてくれた。少ないときで、毎日一升の酒を飲み、旅に暮らし、43歳で死んだ牧水の全貌が見えてきて、何かしら大きな感動が残った。

 近くに牧水の生家もありそこにも寄った。帰りに買った歌集を読むと、生家からの景色がかなりあり、ああ、あの山や川なんだなと、イメージが豊かにわいてきて嬉しかった。

 帰り道に、宮崎の東尋坊と言われる「馬が背」へ行った。海が見渡せて絶景だったが、風が強くすぐに帰途に着いた。その強い風をものともせずに、とんびが数匹、悠々と舞っていた。

 さそり座の歌 908

 今度の土、日は、またギターリサイタルという特別な日になる。とにかく、この二日が終わるまではと、ほかの事はどれも後回しになって行く時期だ。練習ばかりしているわけではないのだが、なんとなくほかの事は、手につかない気持ちになってくる。

 開催日まで一週間を切ると、いつものように思うことがある。ああ、来週の今頃は、もう終了して、のんびりしているだろうなと思う。その解放感を先取りすると、何となく気持ちが安らぐのだ。

 こんなハードルを設定するのは何回目になるだろうか。毎回同じように不安や、心配の日が続き、本番当日になってゆく。その結果、恥もたくさんかいてきた。汗だくになって途方にくれることもあった。もうこんな重荷を、自分に背負わせたくないと思うこともあった。しかしなぜなんだろうか、また半年も過ぎると、次がやりたくなる。大変と分かっていながら、叩かれても、叩かれてもモグラが顔を出すように、ひょっこり首を出す。

 たぶん私は、厚顔無恥なのだろう。それに、強力な自己顕示欲が、体の芯のどこかにあるのではないかとも思う。自己分析は難しいが、一見、どうぞお先にというような、控えめタイプだとも思うが、実は違うのではないかと言う気もするのだ。並外れた、目立ちたがりやの、脂ぎったマグマが、どこかに潜んでいるのではないかと思う。

 その隠された何かが、恥にへこたれずに前に進ませるエンジンになっているのだろう。それでなければ、やってもやらなくてもいいことから離れて、気軽にのんびりしていたかもしれない。

 しかし、この夏、時折、このコンサートがあってよかったなあと、何度かしみじみ思った。これがなければ、暇があれば昼寝ばかりして、身も心も腑抜けのようになっていたことだろう。そしてその状態に自己嫌悪し、精神状態は極めてブルーになりかねなかった。私の場合、何か目標がなければ、その浮遊の時間が、いたたまれなくなる。その方向のない時間は、極端に言えば、私の生きる意欲さえ削るのだ。

 暑いけど、せめて一度だけでもプログラムを通そうとする自分を見て、この気力が残っているのは、コンサートを設定したお陰に他ならないと、改めて何度か考えたものだ。

 そんな思いをしながら、この夏を、乗り越えてきたが、いよいよゴールの日が後二日でやってくる。

さそり座の歌 909

 最近、新聞に人の自殺記事がよく出る。収賄事件の出納長、世界史履修問題の学校長、そしていじめにあった学生たち等々と、切れ目なく続いて報道されている。

 しかし、報道されないだけで、自殺する人はそのほかにもたくさんいるようだ。統計によれば、毎日百名ほどもいて、年間三万人を越えているということが、いろんな場面で問題にされている。

 自殺したり、またしそうになると、「掛け替えのない」と言う言葉がよく使われる。「掛替え」は、@掛けてあったものをとって別のものを掛ける。Aかわりとして用いるもの・・・と言う意味が辞書に載っている。だから、それがないということは、掛けてあったものがなくなった場合、別の掛けるものがない、かわりがない・・・あなたの命に変わるものは何もない。だから、大切にして、生きなくてはいけませんよと、自殺を止める時に言う常套語になっている。  

 しかし、掛け替えのないものなのだから命を大切にという願いが、自殺しようとする人のこころに届くだろうかという疑問を、私は、いつも持っている。簡単に言えば、自分の命が掛け替えのないものと思える環境の人は、自殺するはずがない。そう思えない環境の人に向かって、「掛け替えのない命」をいくら叫んだところで、たやすく通じるとは思えない。

 自殺のサインを出した時、周りのいろんな方から、あなたを大切に思う、掛け替えのない命だからと、温かく接してもらうのは、嬉しいことだろうと思う。しかし妙な理屈を言うようだが、次の日、隣の子に問題があれば、そこにも掛け替えのないと言うだろう。それは、どんな荒れた子にも、どのような大人にも、溢れてくる自殺願望全ての人に、掛け替えのないが贈られる。言うならば、周りは全て掛け替えのない命ばかりなのだ。

 掛け替えのない人が、たくさん集まったとき、あなただけ特別と言う甘いぬくもりはなくなる。命は掛け替えのない、ありふれた日常であることが分かった時、また自分探しの原点に戻る。それに耐える辛さを思う時、「掛け替えのない命」と言う常套語に変わる、新しい言葉はないのだろうかと思う。

 ごく平凡に、そう取り得があるとも思えないままでも、立派に生きている人は多い。掛け替えがない命かどうかを、別に問題意識に置かないでも、生きていける。その生命力は、どこから生まれてくるものだろうか。そこに、新しい言葉の生まれてくるヒントがありそうな気がする。
 

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