さそり座の歌 904
息子のCD「ソノリテ」が出たので、お盆の1週間前に田舎へ帰った。お盆で触れ合う親戚縁者に、CDが渡ればと思ったからだ。
仏壇にCD10枚を重ねて供えた。手を合わせて位牌を眺め、先祖は、この妙なお供え物に驚いているだろうなと思った。代々百姓の家柄の果てに、この様なお供え物をする人物が現れたことを、きっと不思議に思っていることだろう。
八十を過ぎた母親の手作りの昼食は、野菜の煮付けに、豆腐の冷奴などで、やはり味になじみがあった。それを食べていると、母が、「今日、郵便局へ行ってくれんかえ」と言うのだ。何でも私のために10年ほどかけた保険の満期が来たらしいのだ。しかし、受取人である私本人が行かないと手続きが出来ないらしい。
もうはるか昔に田舎を出ているのに、母は、まだ私のことを思って保険をかけていた。乏しい年金から、1万数千円の保険を10年もかけていた。そして今年の満期に、たった5万円出ると言うのだ。10年の苦労の割には、悲しいほど小額の満期祝い金だった。
家から、旧道を5分ほど走ると、昔の木造の郵便局が見えた。小学校の社会見学で、引率されて入ったことがあった。木のペンキは剥げ、崩壊寸前のような、旧郵便局の前に、安っぽいサッシ作りの新郵便局があった。といっても、出来たのはもう相当前のことだろう。
日曜日だったが、村の郵便局は開いていた。私は、その郵便局へ行くのは初めてだった。局員は親しげに、母に話しかけていた。地域に密着した、普段のつながりが見て取れた。「いろいろ厳しくなりましてなあ」と局員は、私の免許証をコピーし、書類を書かせた。
おそらく「日曜しか息子は帰らんよ」と言う話が、温かく受け入れられる郵便局なのだろう。今、経済優先で、儲けの少ないところは集配しないとか、いろいろ民営化の後に影響が出始めている。それだけに、この温かさが嬉しかった。田舎に住む年寄りの数が少なければ少ないほど、今の郵便局が存続してほしいと、強く願わずにいられなかった。
帰ってから、コーヒーを飲みながら、いろいろ話をした。「ま、何もなくて、よかったち思わんとな」「うん、保険ちゃそげなもんよ」
久しぶりにまた、親が子を思う強い絆を感じながら、快晴の夏空の下を、街へ向けて車を走らせた。
さそり座の歌 905
ようやく涼しくなった。個人的なことだが、涼しくなると、音楽が楽しめるようになる。なぜだろうか。涼しくなるのと音楽とが、どうして結びつくのか不思議に思われる方も多いことだろう。今回はその訳を書いてみたいと思う。
私の部屋は3階にある。ほんの3畳ほどの狭い部屋だが、ここは私の城といえる。パソコンがあってこうして文を書くし、メールのやり取りも頻繁にしている。テレビやステレオもあり、仕事をしていない時のほとんどの時間を、ここで過ごしている。
しかし、この部屋のすぐ前を4車線道路が通っている関係で、その車の通過音が、とてつもなく大きい。その難点がこの部屋の長い間の悩みだった。窓を開けた状態では、話も出来なければ、音楽も聞こえないのだ。
それに耐えかねて、2年ほど前だったか、道路側の窓を、二重サッシにした。この効き目は抜群で、轟々と言う車の通過音のほとんどを消してくれ、部屋はとても快適になった。俳句王国などの番組を見たり、好きな音楽をステレオで楽しめるようになった。
とはいえ、その楽しみは、涼しい時に限るのだ。暑い時に二重サッシを閉めれば、音にはいいけれども、暑さがたまらない。それで、ついつい窓を開けてしまうので、音楽を聴くということから、遠ざかってしまうという訳だ。
実は、この部屋にも一応冷房が付いている。だから冷房をつけて、窓を閉めればいいのだが、そこまでして音楽を聴こうという気力がない。
仕事場で、一日の大半は冷房に浸かっている。生徒さんが来てくれてのレッスンだから、この快適空間は省けない。しかし、一日の仕事を終えて風呂に入り、やれやれというころ、私はもう冷房に入ろうとは思わない。体の芯がぐったりしているのを解放するには、窓を開けた部屋がいいのだ。扇風機でもあれば充分だ。(うちの女性軍は、いつでも冷房大好きなので、これは人それぞれだと思うけれども・・・)
まあ、そんな訳で、冷房期間に限り、夜のくつろぐ時間は、二重サッシの窓を開けて暮らす。それで、音楽とはご無沙汰ということになるのだ。
昨夜は、久しぶりに窓を閉めて、モーツアルトの弦楽四重奏を聴いた。その麗しい旋律に身を任せていると、大げさのようだが、生きながら天国にいる心持がした。これこそまさに至福の時というのだろう。いい季節がやってきた。