さそり座の歌 898

 もうかなり前のことになる。新聞のお悔やみ欄を見ていたら、Kさんの名前が目に入って愕然とした。このところ電話で話すこともなくご無沙汰していたので、内心では少なからずお元気だろうかと、心配していた。しかし、それから先に気持ちを動かすことなく、そのまま日を流していた。

 あとでお悔やみに家へ出かけたら、もう3年も寝たきりで入院していたらしい。しかし、意識ははっきりしていて、最後まで話が通じたそうだ。気持ちのどこかで心配はしていたのだが、それがどんな言い訳になるだろう。生来の不精や思いやりのなさが、お見舞いにも行かないで、無為に3年を過ごしたことになる。

 Kさんとは、30年ほど前からのお付き合いになる。しかし、実を言うと、初めてコンサートをしたときその方が来てくれて、何かと世話をしてくれたのだが、「はてこの方は誰だろう。なぜこんなに良くしてくれるのだろう」といぶかしく思ったものだ。

 私のギター生活のスタートは、ある楽器店の講師から始まった。生徒が10人ほどになるまで、3,4年かかった。それでもその時期、意欲だけはあり、ほんの小さなホールで、コンサートを開いた。そのスタートの時期から、コンサートを開けば、いつもKさんは来てくれ、花を飾ったり、子供たちの世話をしてくれていた。

 「あの人、親戚か何か?」と、始めは不思議そうに接していた家族も、いつしか深いお付き合いをするようになった。家族ぐるみの交流につながり、何やかやとお会いすることが多かった。

 そういういきさつがありながら、健康を害して遠ざかったのが縁の切れ目のように、私は離れてしまっていた。仏前で、「本当に、お世話になりました。ありがとうございました」と何度繰り返しても、私の中の影は消えなかった。

 残された娘さんが「応援する人がたくさんあらわれるまでは、私が応援してあげないと」と何度も言っていたと、涙ながらに話していた。

 いろいろな不平不満はすぐ口に出るのだが、お世話になった人たちのことを思い、その恩を噛み締めることは少ない。ここまで歩いてきたさまざまな場面で、私は、どれだけの方から温かい支えをいただいたか分からない。それに甘えたまま、知らん顔で傲慢に暮らしていることを、Kさんは、最後の最後にまた教えてくれた。



 

 

 さそり座の歌 899

 別府市長選が終わった。今回私は、棄権をしたのだが、何だか今、やりきれないような空虚な気持ちでいる。政治というものの不可解さを痛切に感じているからだ。人の気持ちというか、政治信条のあやふやさを目の当たりに見た思いがして、今回の選挙は、これまでになく後味が悪かった。

 今回当選した現職は、教職員組合の出身で、労働組合とか、平和運動などが基盤のように思っていた。普通は、零細企業の人たちのための支援とか、米軍演習反対とか、大企業の思惑より、景観を守るというという方向へ行ったら、さもありなんと思える方だった。

 しかし、今回は、超大型の店舗を誘致して、町の活性化を図ると全力で言うのだ。ちょっと前なら、それは明らかに保守本流の自民党的政治といえた。

 その上不思議なことに、その自民党的立場のはずの対立候補が、市民の声を聞いてとか、海が見えなくなるのは反対とか、零細商店にひどいことになるとか、何だかしおらしいことを言うのだ。

 簡単に言えば、頭と胴体が入れ替わっているような、奇怪なモンスターの戦いだった。「理屈と膏薬はどこにでも付く」の見本だろうか。たまたま何かの行きがかり上、どちらかへ転んだら、それを正当化する理屈とはどうでもなるのだろうか。それが政治家というものかもしれないが、長い政治生活における基本の筋というものは、存在しないものだろうか。

 個人的には、大分まで映画を見に行くより、別府にそういうところがあればいいなという気はしていた。しかし、現職を支持する市議などの中に、胡散臭い黒い汚れが見え隠れしたりして、支持したい気分には少しもならなかった。

 また誘致反対の候補には、対案がなかった。大型店舗に代わる、具体的な夢を抱かせる対案がなかった。これでは勝負は出来ない。

 これで店舗誘致がつぶれれば、またうだうだと小田原評定が続くのだろうという予感がした。それで、またこれから、何年も草むらのままになる気がすると思い、人々は、何か具体的な変革を、この閉塞寒感の中に求めたのではないかという気がする。

 この結果が、どうなっていくかはもちろん分からない。賛成派の言ういい面や、反対派の言う悪い面などがどのような形になるにしろ、いずれ目の前に現れる。
 


さそり座の歌 900

 最近、モーツアルトにはまっている。というのも、「毎日モーツアルト」というテレビ番組を毎朝10分だけ見るようになったためだ。それは、ほんの10分の番組だが、私の朝の行事にきっちり組み込まれ、いつしかモーツアルトのこころよさに、陶酔することにつながっている。嬉しいことだ。

 今年はモーツアルト生誕250年ということで、いろんなコンサートが開かれ、また、記念番組も放送されている。そんな特別番組の中でも、私の見ている「毎日モーツアルト」は、何と1年間の予定で放送されているのだ。2月から始まり、この6月で、27歳あたりまで進んだ。モーツアルトの膨大な手紙を組み込みながら、その生涯をたどっている。未完になる「レクイエム」を作りながら、35歳で亡くなる場面になるのは、来年の2月になるようだ。

 その番組で、毎日1曲演奏が入る。それを聴き終わった後、「いい曲だな、もう一度聴きたいな」という願いが強くなった頃、丁度インターネットの販売で「モーツアルト大全集CD170枚組み」というのを見つけた。何しろCD170枚で1万5千円程度なので、ちょっと胡散臭いかなと思い、しばらく様子を見ていた。しかし、新品未開封で、かなりたくさん売り上げられているので、思い切ってそれを購入した。

 それは、ドイツの製品で、日本の文字は全くない商品だった。ケースも紙で、170枚のCDが30センチほどのカートンボックスにコンパクトに納められていた。しかし、何しろ全集なので、何でも揃っている。音もいいし、ケッヘル番号を聞いて、CDを探せばすぐ出てくる。

 それで、毎日、番組で放送された曲を、復習のような感じで聴きなおすのが日課に加わることになった。朝8時から10分間番組を見て、それから、放送された曲のCDを3,40分聴く。それは、朝の至福の時間となっている。と言っても、いつしかうつらうつらと、椅子でうたた寝していることも多く、モーツアルトの音楽とともに、まどろんでいる時間でもある。

 今もこれを書きながら、K421の弦楽四重奏を聴いている。この曲は、妻コンスタンツェが今まさに出産の時を迎えようとする日に作曲されたものだ。子供ができることへの、喜びや不安、畏れなどが、柔らかい旋律を豊かに歌わせている。

 これまでモーツアルトは、たくさんいる有名作曲家の中の一人で、特別傾倒していたわけではない。しかし、これから少なくとも、来年の2月の番組終了までは、モーツアルトとともに暮らしていけそうだ。

さそり座の歌 901

 詳しいことや、真偽のほどは確かではないのだが、昨夜のある集まりで、よく知っている方の自殺の話を聞いた。秘密にされていたのか、私は全くはじめて聞く話で、衝撃を受けた。

 ほんの一月ほど前、その方と話をした。いろいろな問題が片付いて、新しいスタートが切れたと嬉しそうに話していた。あれから、どんなことが起きたのだろうか。

 私なら、とても人前に出て行けないようなことを乗り越えて、きちんと仕事をしていたので、凄い人だなと思っていた。いろんな荒波に耐える、したたかな強ささえ感じていた。

 それは、表面的なことだったのだろうか。それとも、その強靭に見えた精神力をさえ崩してしまうことが、新しく起きていたのだろうか。

 五木寛之が、日本で年間に3万人以上の自殺者が出ていることを、よく問題にして取り上げている。毎日毎日、日本のどこかで百人ほどの自殺者が出ていることは、確かに数字的にも恐ろしいことだ。

 自殺と言うことに縁のない人たちにとっては、それは極めて特殊な別世界のことだろう。また、自殺へ至るには、それを乗り越える高い壁が存在しているとも信じている。

 しかし、今回のいろんな情報をまとめると、その選択は計画的ではなかったようだ。たくさんのやりかけの仕事を残し、前後の見境なく突発的で、発作的な実行に見える。

 多分、この方も、つい最近まで自殺などと言うことに関しては、まったく無縁で、笑い飛ばすような、塀のこちら側の人間だったはずと思う。

 しかし、それは、この現実を良く考えれば、別世界でも高い塀の向こうでもなかった。ほんの1回、指をぱちっと鳴らすほどの瞬間に、向こう側へ転がれるのだ。いともたやすく、細い境界線をまたぐことが出来るのを知る人が、毎日百人もいるということだ。

 つまり、こちら側と思い込んでいる私達も、ほんの簡単な振り子の動きで、向こう側へ落ちる。近しい人が、突然遠くへ行くと、その垣根の低さを思い知らされる。ありふれた日常の中に、小さな分岐点があることが分かる。

 それにしても、やはり辛いことがたくさんあったのでしょう。
 謹んでご冥福をお祈りします。



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