さそり座のうた 894

 妻の通っている水彩画教室が、市民ギャラリーで展覧会を開いている。今日は何人入場者があったとか、多すぎてプログラムの追加を刷るとか、いろいろ騒がしい毎日だ。

 のんびり生きていると、このような気持ちの高鳴ることにはなかなか出会えない。暮らしの中に芸術を持つということは、そこから派生するいろんな出来事が、人生に彩を添えてくれるという見本のような展覧会といえる。

 妻がこの絵画教室に入るきっかけを考えて見ると、実にたくさんのプロセスがあり、なかなか興味深い気がするので、ここに書いてみることにした。

 市内唯一のデパートの屋上に、新聞社のカルチャー教室がある。8階には、教室が二つあり、隣りあわせでいろんな講座が開かれている。
 実は、私の指導しているギター講座がひとわくそこにもある。そして、たまたま、同じ時間帯に、ギターと水彩画教室が並んでいたのが、そもそもの始まりだった。

 6年ほど前に、そのギター教室にSさんという方が入会して来た。あとでわかったのだが、Sさんはそのとき、隣の水彩画に無断で奥さんを申し込んでいたのだ。同じ時間なので、送り迎えも出来るしと言う事で、引っ張り込んだようだ。

 それで数年が過ぎていった。夫婦は、それぞれの講座を熱心に続けていた。特にギターのSさんは熱心で、外国製のいいギターも買い、次々教本をあげ、合奏団にも入って活躍するようになった。その上に、何だか人柄が合うのか、いつの間にか家族的なお付き合いも始まった。何やかや理由を付け、一緒に食事をしたりすることも多くなった。

 そんなおり、Sさんの持つ高原の別荘に、家族ぐるみで遊びに行って泊まった。そこでわいわい話しているうちに、水彩画教室のことが話題になり盛り上がった。

 その雑談がきっかけだった。そこなら私もギターの講座に行くので、送り迎えも出来るし、Sさんの奥さんもいるなら、ということで、なかなか一足を踏み出さない妻が、思い切って申し込んだという経過だ。
 それが、いつしか結構はまって、長い時間をかけて、猫や棚田などを描くようになったのだ。それが、今回の展覧会に結びつき、始めてよかったなあという感慨を生んだ。それで、その経過を、久しぶりにたどってみたという訳だ。

 もっと遡れば、私が、そこで講座を開くようになったということ、いや、ギターを始めたということ…と限りなく縁の連鎖は広がっていく。それは、生命誕生のまだその先までもということになるので、もう止めよう。
 

さそり座の歌 895
 
 NHKに勤めていた古い友人が、局長になって大分に帰ってきた。地元で定年を迎えることになり、いろんな懐かしい思い出をたどりながらまた交流が復活した。

 そんな中で、丁度一年前になるが、「定年前の最後の仕事に、風のハルカという朝の連続ドラマを持ってきたので、見てよ」という話があった。

 私はあまりテレビを見ない。夜はいつも不規則で時間が取れないし、朝の連ドラを見る習慣もなかった。しかし、その奨めから、「風のハルカ」を見るようになった。それが、もうあと1週間ほどで終わる。

 朝7時に起床。着替え、洗面の後、1階の玄関の鍵を開けに行き、新聞を持ってあがってくる。朝食をしながら、新聞を読み、その後3階へあがり朝のメールチェック。そこまでは、大体この20年ほど変わらない流れだったのだが、それに、8時15分からの連ドラを見るという毎朝の行事が加わった。

 明るいタッチで、ちょっとふざけすぎのところもあるが、泣かせる場面も多く、毎日楽しみにするようになった。親子の別れや、出会いには、私も老いたのかもしれないが、なんだか涙がたくさん出た。暗いドラマではないが、実にたくさんの涙を流した。私は朝見るのだが、昼飯の頃妻や娘も見る。それでついついもう一度見て、2度泣きということも多かった。

 以前は、朝の練習開始が結構まちまちだった。しかし、このドラマを見るようになってから、だらだら時間をつぶすことなく、8時半になってハルカを消してから、「さあ、練習だ」と、きっちりしたリズムも出来た。それだけでもありがたいことだった。

 それにしてもこの番組は、全編「湯布院礼賛広報番組」とも言えた。ローカル色を前面に出すのに、現地ロケはもちろん、しゃべる言葉も身近な大分弁で、見るほうもきちんとはまりやすくなっていた。これまでほかの朝ドラを見たことはなかったが、ここまで地域性のあるドラマがあったのだろうか。

 これでまた湯布院は、よりいっそう人気が出るのだろうな。観光地別府の人間としては、少しねたましい気もする。

 人の生涯の涙の量は、定量だと何かで読んだ気がする。塞翁が馬の類かもしれない。それなら、もうほかで私の涙場面は余りないのだろうか。これで涙をほとんど使い果たしたことになるのならいいなと、虫のいいことも考えている。
 

さそり座の歌 896

 最近、佐賀のほうで原子力発電の受け入れが決まったとかのニュースが流れた。私は、この原子力発電のことについては全くといっていいほど無関心でここまで来ている。しかし、最近何度か新聞広告で「ニューモ入門!」という駄洒落タイトルの宣伝が出た。私は、それを何気なく読んで、それこそ背筋が寒くなった。

 この広告は、「知ってほしい。今、地層処分」ということで、安全に放射性廃物を処理することが出来るということを、みんなに伝えたいらしい。この広告は、反対の立場で批判的に書かれたものではなく、いわば原子力発電を推進する立場の記事だ。しかし、それでさえ恐るべきことが書いてある。

 原子力発電で使い終えた燃料をリサイクルしたあと、高レベルの放射性廃棄物が残る。それを地下3百mより深いところに埋設する。その物質は、寿命が長い放射性物質を含むので、数万年以上にわたり、私たちの生活環境から隔離する必要がある。その最終処分地の候補を全国の市町村から公募する。

 およそ、そのような内容の記事だ。若い女性が、青空の見える丸い穴から、地中をのぞいている写真が付いている。そこに埋設すれば安全だと、この広告を読んだ人は思うのだろうか?

 数万年以上とは、半永久的ではないか。それだけ隔離せざるを得ないということだけでも、空恐ろしくなる。そんな廃棄物を、人間は日々作り出しているのだ。しかもそれは、1回限りではなく、原子力発電を続ける間は、いつまでも高レベル放射性廃棄物が貯蔵されていくのだ。

 たぶん今の科学で、理論的には、この埋設で安全確実というのだろう。しかし、これだけ地震があちこちで起こる中、それさえ予知できないではないか。ましてや、地震で地中がどうなるかが、数万年先まで分かるというのだろうか。

 3百mの地下に、人間自らの、そして地球の生死を賭けるような、癌細胞を移植しようというのだ。ぞっとしない人がいるだろうか。そんな犠牲を払ってまで、原子力発電の電気がいるのだろうか。いわば地球を滅ぼす時限爆弾を仕掛けるような恐怖を、私はこの広告から感じた。

 推進団体でさえ、原子力発電について、これだけのことを書かざるを得ないのだ。ましてや、反対の研究者の意見を読むとすれば、どれだけ恐ろしいことが出るかわからない。私たちは、もっとこのことについて、敏感でなくてはならない気がする。



 


 
 

さそり座の歌 897

 もうかなり前になるが、玖珠の片田舎にあるコンビニに強盗が入り、新聞で報道された。

 それを読んで、私は、ただただひたすら悲しかった。侘しかった。

 事件の概要はこうだ。45歳の無職の男が、午前4時ごろ現金千円と食品を奪い、駆けつけた署員に逮捕されたというのだ。食品とはソーセージ2本で、210円の品物だった。また、千円の金を店員から奪うのには「金を出せ」ではなく、「お金をください」と言ったという。

 調べに対し男は、「金がなく、腹が減っていた」と供述したらしい。まるで、戦争で焼け出された孤児が、食い物をあさっているような現実だ。

 そんなことを言っても始まらないのはわかっているが、今、ピッピッとパソコンで株の売買をするだけで、天文学的な金額を動かす人もいる。また、冷酷無残に、無関係の人を殺して、のうのうと逃げている極悪人もいる。

 だが、そんなことは、何の助けにもなりはしない。やはり、罪は罪なのだ。しかしとにかく悲しいのだ。「金を出せ」と言えない弱々しさは、自分の影を見ているような気がしたからだ。もし私が、落ちぶれ、ひとりになり、貧しくうらぶれて、やむにやまれぬようになっても、行き着く先は同じように「お金をください」だと思う。

 それは、強盗ではなく、乞食といったほうがいいだろう。店員に「金を出せ」と喧嘩腰にすごむなど、私には到底出来ないことだ。喧嘩をしてもどうせすぐ負けるのはわかっているのだから。

 ソーセージ2本というのも、悲しい。そのまますぐ食べられるほんのわずかな食品を盗むことが、逮捕という事態になる。しかし、その男は逃げようという意志はなかったのかもしれない。食品と、千円札1枚を手にしたまま、非常ボタンで駆けつけた警官に、店内でそのまま捕まっている。いくら警察の来るのが早いと言っても、ほんの5歩ほどで、男が店の外に出るより、警察のほうが早いとは思えない。よくあるケースのように、男は、刑務所を安楽の地に選んだのだろうか。そうとしたら、それもまた、45歳の男には、あまりにも悲しい選択肢だという気がする。

 「お金を恵んでください」というような、弱さ、悲しさがあふれていて、このコンビニ強盗という記事は、私の心を泣かせた。
 


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