さそり座の歌 882 

 世の中にはいろんな犯罪があり、いつもマスコミでたくさん報道されている。そして、そのそれぞれに、積み重なった問題の背景が当然ある。その中には、罪は憎んでも、人は憎めないものもかなりある。そうせざるを得なかった訳を知り、個人的には、いわゆる情状酌量と思うケースもないではない。

 
 しかし、最近報道されている「訪問リフォーム詐欺」だけは違っていた。完全に悪意に満ちていて、その手口を新聞で読んだりすると、ムカムカしてくる。一番弱いところを、狙い撃ちにする残酷さに腹が立つ。

 
 「おばあちゃん、家を見てあげようか。無料でいいんだよ」「おや、蛍光灯が切れてるね、交換してあげよう」「お茶でもご馳走になって、お話しましょうか」

 
 何とかかんとか言って、家に入り込んだらしめたもの。それから、残忍な金搾りの手口がはじまる。床下や屋根裏をごそごそ回り、いくらでもネタを見つけ出してくる。

「柱が傷んでるよ。地震が来たらすぐ家が壊れるよ」「床下が腐ってる。乾燥機を入れないと」


 七十八歳と八十歳の認知症の姉妹は、四千万円もの工事費をふんだくられ、家も競売にかけられていた。認知症でなくとも、判断力の弱い人や、独り暮しのお年寄りなど、この計画的な詐欺には、ひとたまりもないことだろう。おかしいと少し思っても、因縁をつけるように凄まれたら、抵抗できたものではない。


 善意のかたまりのようなおばあさんが「無料で点検、そりゃまた暑いのにご苦労さんやね。のどが渇いたでしょ。お茶でもいっぱい飲んでいきなさいよ」とか、ニコニコして応対している光景が、悲しく浮かんでくる。それを、赤子の手をねじるように、喰らいついて呑み込んでしまうのだ。


 いつだったか、豊田商事とかがあって、お年寄りから金を巻き上げて問題になったことがある。あれも基本的には、お年寄りを標的にしていた。あれも、狙いすました悪意だったのだろう。


 これから、我々団塊の世代が、未曾有の年寄り軍団になっていく。介護施設や、葬祭場など、もうすでに狙われてはいるが、金儲けのためには、手段を選ばない悪意の人たちがいることも、肝に銘じておきたい。

 

 

さそり座の歌 
    883

 
 最近、腹を立てることが二度あった。最初は、ある俳句の会の原稿のことだった。私は、いろいろと出さねばいけない原稿を溜めて、締め切りに追われるのは嫌いなので、募集を受けてから2,3日以内にはどれも出すようにしている。それが、どういう訳か、これまで、この会で最近2度も締め切り寸前に、まだ原稿が着いてないですが、という催促があった。それに加え、今回3度目の「早くに頂いていた原稿を紛失したようですので」というメールがまたやってきた。
 
 私はムカッときて、「大変失礼ながら、またかという感じです。これで3度目です」と、主宰をする目上の方に、腹立ちをぶっつけてしまった。
 
 もうひとつの腹立ちは、ある方のレッスン変更依頼の問題だった。この20代の働く女性は、来れそうなときに連絡してきて、時間が合えばレッスンをしている。いつも変わるので、内心、何と思っているんだと、かなり気分を壊していた。しかし、いい気はしないながらも、来てくれるだけでもいいかと、諦めながら日が流れていた。
 
 そんなある日、土曜日に電話があり、「明日の日曜日の夕方5時半にしてくれませんか」と言う。休みの日だけれども、この週は一度も来ていないので、私は受けることにした。
 
 その日は朝から遠くに出かけた。普通ならそう急ぐこともないのだが、時間を切られているので、私は、高速を使い、間に合うように帰って来た。ギターを持って待機していると、10分ほど過ぎて、「仕事が遅くなって今日は行けません」と電話があった。むかっ腹を立てた私は、ものも言わずに電話を叩き切った。

 腹を立てると、いつまでも後味が悪かった。そして不思議なことに、自分は間違ってないと思いながらも、時間が経つと、だんだん相手の立場に立ってくるのだった。そんなに原稿がいつも着かないのは、こちらのパソコンがおかしいのかも。彼女も仕事で、遅れたんだし・・・。

 俳句の会から、「このアドレスで着かないようでしたら、間違いがないように、次善の策として、次の二つのアドレスにも入れてください」と言ってきた。私はその返信メールに、「余計なご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」と書いた。

 ギターの彼女からは、何事もなかったように、次のレッスン依頼が来た。「あの時間を待機するために、どれだけ努力したか、あんたにはわからんやろ」など勿論言えなかった。それどころか、「この前休んだ分、もう1回来ていいですか」と言うのに「いいよ」と言ってしまった。

 いろんな筋があることも、勿論知ってはいる。しかし、私は、腹を立てて、ぶち壊すことの出来ないタイプであることを、少し悲しいけれども、再認識する事例となった。



 さそり座の歌 
    884

大型台風十四号が近づいている。のろのろ台風なので、滞在時間が長く、雨の被害や土砂崩れなどの災害も報道されている。怖いことだ。

このパソコンのある三階の窓から見下ろしていると、斜めに降りしきる雨や、風に吹きあおられる並木の様子がよく見える。昨年は、幾つも台風がやってきて、東からの風が並木を吹き上げた。その回数が多かったせいか、並木は寝癖がついたように、そりあがったまま元に戻らなかった。一年が過ぎ、新芽が膨らんでようやく元の形を取り戻した並木だが、また風にあおられて揺れ動いている。昨年のようにまた、いびつな木の形になるのだろうか。

昨日、ドイツへ三週間ほど出かけていた娘が帰国した。気象情報を見ながら、どこかで足止めを食うのではと冷や冷やした。ドイツから名古屋、そして名古屋から福岡、そして、バスでの別府までの道のりが、どれも滑り込みセーフのような感じで、欠航に遭わずどうやら無事帰り着いた。朝の報道で、高速道路の通行止めがわかり、これはバスが動かんな、福岡で泊まることになるかもと覚悟していた。ところが、バスは一般道を通って動いていたのだ。思わぬ予測はずれで、着いたと電話があったときは、ほんとにほっとした。

便によっては運休が出て、空港は殺気立っていたようだ。娘は余分な日本円がほとんどなく、泊まるようになったら、どうしようと不安でならなかったそうだ。たしかに、いろんなお客さんの中には、はいそうですかと、運休を受け入れられない事情の方もいることだろう。どうしても、今日そこへ行く必要ががあるんだと、叫びたい人もいるはずだ。しかし、どうにもならない。無理して飛んで事故でもあれば、それはそれでまた責められるのだから。

もうかなり以前、息子と二人で、大阪までコンクールを受けに行ったことがある。関西汽船乗り場に行ったら、満席でキャンセル待ちとか言われた。どうしてもこの船に乗らなければ、明日のコンクールに出られないかと思うと、かなり心配で長いこと苛々した。出発間際にようやく乗せてくれたのだが、船の廊下で一晩寝らねばならなかった。

しかし、そのコンクールに参加できるかどうか、そして賞をもらえるかどうかは、ひょっとしたら息子の、ギター人生の分岐点になったかも知れない。

台風による運休情報を見ながら、そこにいろんなドラマが隠されていることを思う。

さそり座の歌 
885

 
 最近、サッカーチームとゴルフ場の経営が破産状態で、県や市に助けを求めると言うニュースがマスコミをにぎわしている。
 
 借金まみれになった人が、親しい友人のところへ来て、「絶対に迷惑をかけないから」と平身低頭して借金を頼むことがある。たいがいこういう場合、銀行や親族などではどうしてもうまくいかなくなった場合で、あとはサラ金か、友人かという瀬戸際の場面だ。その場合、貸し倒れになることは目に見えているので、ほとんどは手を引くことだろう。義理のある場合は、返ってこないことを覚悟で、調達する人も中にはいるかも知れない。
 
 この例に照らして、サッカーチームやゴルフ場に対して、庶民から見れば想像も付かないような、何億もの税金の注入には不安がある。そして、その援助から、急に業績が回復して、健全経営になると信じている人がいるのだろうか。今までの行きがかり上、義理を果たすと言うようなことで、捨て金覚悟の上での援助のにおいもする。
 
 先の総選挙で、官から民へと、郵便局の民営化が叫ばれた。民間に経営を任せれば、親方日の丸でなく、血のにじむような企業努力をするようになっていいというのだ。
 
 その経営への情熱は、失敗したり、周りがその企業を必要としなくなったとき、いわゆる倒産となり、消えてなくなるという厳粛な結末があるからだ。普通の企業の場合、最後の最後で税金に助けてもらえるなど、決して思ってはいない。

 このような事態になったと言うことは、冷徹に言えば、ゴルフやサッカーが、多数の県民や市民にとって必要で、存続が可能なのかと言う、問題提起なのだろうと思う。

 話は変わるが、あるとき「市は、アルゲリッチとかやるより、北島三郎をやればいいのに」とか言う、一人の市民の声を聞いてがっかりしたことがある。しかし、それはそれで、厳然たる事実であり、ファンの層も広い。

 私は、ゴルフもサッカーもやらないので、なんとなくそれには冷淡だが、もちろんそれを必要とし、大いに楽しんでいる人のいることも承知している。私が、アルゲリッチの存在価値を感じるのと同じことだ。

 つまり、多様な市民の要求が、自分の好みに応じて湧き上がっているのだ。それを、行政がどう受け止め、どう裁いて行くかということになる。難しい政治問題だ。
 
 
 
 

 

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