さそり座の歌 878 
 
 もう3年程前になるが、前の車に10年程乗って古くなったので、新車を購入した。その車が来て、その色やデザインに惚れ惚れとしながら、何度眺めたことか。思い立っては、裏玄関のドアを開けて、駐車場にあるキラキラ光る車体をじっと眺めては、いい気分になっていたものだ。

 ところがある朝、助手席側のボディーに、小さな白い傷を見つけた。ほんの1、2ミリなのだが、気になってさわってみると、微かに指の先に傷の感触があった。
 それが、日が経つにつれて少しづつ、別のずれたところに同じような傷が増えていくのだ。「なぜなのか」と、私は頭を抱えて嘆いた。

 ある日ふと隣の車のドアでは?と思い当たった。駐車場の隣の枠には、ある青年が白い軽自動車を止めていた。朝早く、そっと鍵のかけていない軽自動車のドアを開いてみたら、予想通り丁度傷のところに、その白いドアの端が届いた。思い切りドアをあけることで、その傷は広がっていたのだと、確信を持った。
 しかし、生来気弱でもあるし、はっきりとした証拠もない推測で、文句を言いに行く度胸はなかった。傷を見ては、ただただ悶々と煮えくり返るような怒りで、胃を痛くするばかりだった。ビデオでも仕掛けておこうか?いい車に嫉妬して、恨みを買っているのだろうか?など思いつつも、何も出来ない日が続いた。

 そんなある日、友人の家で夕食をご馳走になることがあり、その家の駐車所に車を入れた。2時間ほどして帰ろうとするのだが、助手席の妻がなんだかいつまでも乗ってこない。苛立って呼んだら、ドアが開かないというのだ。それで行ってみてびっくりした。鍵穴がドライバーのようなものでこじ開けられ、ボロボロになっていたのだ。いわゆる車上荒らしが、他人の駐車場内まで乗り込んできていたのだ。

 苦労してこね回したのだろうが、幸いドアは開いてなくて、車内の被害は何もなかった。保険屋さんに連絡すると、補償の対象になるとのことで、修理代もかからないようだった。

 修理の車が帰ってきて、あっと驚いた。あの傷を、ついでにきれいにしてくれていたのだ。うれしいサービスだった。まさに、禍福は糾える縄の如しであることを実感した。

 それ以後、例の隣のドアの傷はもうつかなくなった。悶々と何も言わなかった間に、ひょっとしたら、少し反省していたのかもしれない。
 

さそり座の歌 879

 五月の連休に、九重でコンサートがあった。その打ち上げで、いろんな方とお会いし、それぞれの方の持つ持論などお聞きし、新鮮な会話が出来て楽しかった。
 
 その中で「孫」の話が出た。まずAさん。息子さんは関東にある大学の助教授だそうだ。そしてその奥さんは、関西にある大学の助教授で、別居生活をしているらしい。育てるのはこちらでやるからと、爺婆は催促するらしいのだが、望みがないようだ。申し分のない息子夫婦だが、この点だけは如何ともしがたいと、さびしく笑うばかりだった。
 
 続いてBさん。そういう話ならと、職場の知り合いの情報を出した。ここの息子さんは、オーケストラの指揮者をしている。そしてその嫁は声楽家で、それぞれコンサートのためあちこち回っているようだ。それで、そのじいさまが時折、Bさんに愚痴をこぼすらしい。
 
 そういう点で言えば、我が家も同じようなものだ。私は余りしゃべらなかったのだが、我が家の長男夫婦も、音楽活動に明け暮れて、その先の人生設計がどうなっているのか、ほとんど分からない。
 
 しかし、よく聞いたり読んだりする事に、孫や子の催促のことがある。それを言われるのが当人にとって、非常に辛いことであるようだ。それもそうだろうと思うので、我が家の、じじばばも、時折小さな声で「どうなっとるんかな」と、こっそり会話するばかりだ。どうにも手応えのない会話は、いつも尻切れトンボで、うやむやに終わる。
 
 孫というと、近所のある方のことを思い出す。その人は、孫を抱いて嬉しそうに、我が家の教室の前を通っていた。近くのお店まで行って、孫に何かを持たせて、また教室の前を引き返して行った。
 
 ところが、そんな光景が続いてしばらくして、その爺婆夫婦は、山奥で、車に排気ガスを引き込み自殺してしまった。息子や孫を残して行かざるを得ない、大変な事情があったのだろう。衝撃的な選択だったが、それでも、孫という自分の血筋が続いたということは、わずかな慰めであったのだろうか。
 
 それぞれいろんな生き方がある。その選択は、やり直しの出来ないものだ。比べてみて、こっちを選ぼうという具合にはいかない。飛び込んでみれば、それぞれに喜びや苦労があるはずだ。しかし、その一歩は当人が決めるしかない。

 じじばばの気休めに、安易に孫を求めるのは、やはり贅沢な望みなのだろう。
 
 



さそり座の歌 880
 
 娘が大学2年のとき、佐賀から猫を拾ってきた。それからもう7年ほどが過ぎ、猫は、我が家の完全な家族になって、いろんな癒しを与えてくれている。家族が揃うと、ちょっとした事で、猫を話題にした話がいつも盛り上がる。間違いなく、家庭円満の潤滑剤となっている。
 
 猫は寝るのが仕事とかで、大概はのんびりいろんなところで寝ている。それを転がしたり、つついたりして、気まぐれに猫にかまうのだが、走って逃げるでもなく、おとなしく一緒に遊んでくれる。家の中だけで暮らしているからだろうが、おっとりとして、猫は、毎日を平穏に暮らしている。
 
 ところが、つい2日ほど前、大騒動があった。もうだいぶ夜も遅かったのだが、1階の階段の下で、猫が鳴くのだ。珍しいな、あんなに鳴いてと聞き流していたのだが、いつまでも鳴きやまない。おかしいなと思って、階段から下を覗くと、しきりに我々を呼んでいる。
 
 そのうち、これは下からでは、埒があかないと思ったのか、猫は階段を駆け上がってきて、我々の顔を見て訴えるのだ。

 「ちょっと、大変だよ。早く来てよ」と言ったかと思うと、また階段を駆け下りて、下でドアに向かって鳴いている。(後でわかったのだが、そこにはどこかよその猫が、ドアを隔てた次の部屋にいたのだ。)そしてまた駆けあがってきて、「誰かが居るんや、大変なことが起きたんや。早く早く」と、私たちの顔をかわるがわる見上げて、懸命に訴える。
 
 それでようやく、何事か起きたなと思って、我々が下に下りていくと、1階のトイレの窓から入り込んだらしい猫がいることがわかった。我が家の猫とその侵入猫は、木のドアを挟んで、「お前は誰だ」「出て行け」とかたぶん喧嘩をしていたようだ。

 ドアを開けると、侵入猫は、慌てふためき、教室玄関のガラス戸に思い切りぶつかったかと思うと、身を翻して、トイレの窓より逃げていった。あっという間の出来事だった。
 
 戦い済んで、静寂が来た。我が家の猫は、あちこちをくまなく匂いながら、点検していた。箱入り娘は、不意の侵入猫に、これまでにない、最大級の仰天をした。そしてそれを訴える鳴き声は、我々が一体の家族であるということを如実に示してくれたようで、嬉しかった。
 
 次の日、そのドアの前で、猫は時折座り込んでいた。そこで、又、あの出会いを待っているのか、それとも警戒しているのか、よくは分からない。
 

さそり座の歌 881

 あるグループの毎月の例会で、蛍を見に出かけた。その日は、メンバー10名ほどが、明るいうちから仲間の所有する高原の別荘に集まった。焼肉の炭火を囲み、わいわい騒ぎながら日暮れを待った。

 しゃべり疲れ、腹も一杯になった頃、闇が降りてきた。まだかな・・とすぐ側にある小川の辺りを、ひとり二人、炭火を離れ蛍の気配をさぐった。しかし、いくら目を凝らしても、その辺りには見つからなかった。

 しばらくして、みんなでぞろぞろ歩いて、すぐ近くの橋まで行くことになった。すると早速木立の暗闇に、蛍の光るのが見えた。「蛍だ」という歓声が、口々に広がると、それに呼ばれるかのように、川の端の草むらから、蛍がふわ〜っと浮きあがってきた。

 それで満足していたのだが、いわば招待者である別荘の家主が、車で偵察に出かけた。そして、「もっとたくさんいるよ」という報告があり、車に分譲して、かなり離れただいぶ大きな川まで出かけた。風の冷たい中で橋の欄干に持たれ、暗い川上を見ると、かなりの数の蛍が、あちこちで光のショーをしていた。

 じっと蛍の光のすじを眺めながら、こうして蛍を見ようとして見たのは、初めてだなと思った。田舎を離れて30年は優に過ぎたが、幼い頃は、別に、見ようとしなくてもごくありふれた光景として蛍が見えていた。夏になればいつも草むらから蛍の光が沸いてきて目に入っていた。

 あれから長い長い時間が過ぎ、蛍をめでるという今を迎えている。なぜか分らないが、ひとつの到達点のような気もしてくる。いろんなことがあったけれども、私なりに悔いのない人生になったのでは、とちょっと大げさなことを思ったりもした。

 すばやい人が、何匹か蛍を捕まえ網籠に入れた。電気を消して、蛍の明滅を眺めながら、これは源氏だとか平氏だとかの薀蓄を披露していた。

 蛍の明かりはよく人魂に例えられる。特攻の映画にも使われたし、俳句関係の方が亡くなると、その追悼句には、沢山の蛍が登場する。そんなことを思いながら、ふくらんではすぐ消えてしまう、蛍の息のような明かりを見つめ続けた。
 
川音に蛍の息のひかりすじ  幸一
 
くずしじのひらがなもじや蛍の灯 幸一
 


 



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