さそり座の歌 874 

 いささか自慢めいてくるが、今年は気合を入れてギターの練習をしている。珍しく正月元旦から、年末に手に入れた一冊の曲集にかじりついている。内容を見て、なぜかわからないが、よしこれが全部弾けるようになろうと、心に決めたのだ。そんな意欲がわくのは、ほんの偶然のような気もするが、体力や曲への興味など、複雑な背景があるはずだ。いつも意欲があるわけではないので、そうなったのがなぜなのかは、はっきりとはわからない。

そして、これも体験的な実感なのだが、努力して演奏がどうやらすこし様になってくると、不思議に、演奏の仕事が来るのだ。そのたびに「神様が見てくれているのだ」と私は思う。見えないところで認めてくれる神の存在を感じるのだ。

偶然といえないことも無いが、もうそれを何度か繰り返したので、今回も、またかという感じが、実はするのだ。孤独な練習時間だが、どこかで見ている目があることを感じて、何度喜んだことかわからない。

イオン三光ショッピングセンターから、セントラルコートでの演奏依頼が来た。一度も行ったことのないところで、普段なら縁もゆかりもないところだ。

国際観光港でのイベント、地獄蒸しランチのイベント、九重の別荘のイベント、杵築市の薔薇コンサート、北九州市の社会福祉協議会の大会などが、普段の定例行事のほかに入っている。

私の演奏実力は、本当のプロからすれば、二流の仲間にも入れないだろう。本当の演奏家は、音楽で弁論大会が出来る。聴衆をぐいぐい引っ張る演説が出来る。内に秘める音楽性と、演奏のテクニックがマッチして、音楽で訴えることの出来るステイタスがある。

三流、四流の私の場合は、本の朗読をするばかりだ。読み間違いがなく、支えずいければ、上等だ。その朗読に、思い入れの表情が少しでも付けば最高だ。

といっても、きちんと朗読をするだけでも、大変なことだ。一箇所も読み違えないで最後まで行くには、相当のテクニックの裏付けと、指に覚えこませる繰り返しがいる。聞いている人に、不安を与えず、体でリズムを取りながらいい気持ちにさせられれば、どんなにいいことだろう。しかし、テクニックも、集中力も、音楽性も、まだまだ、到底そこまでは達していないことを、私は知っている。

とは言え、神様が与えてくれた場はありがたいし、楽しみだ。ありふれた日常から抜け出して、いろんな場に出かけ、いろんな方に会えるのは、とても新鮮な時間だからだ。

 



さそり座の歌 875

 兵庫に住む古い知り合いより、メールで地震のお見舞いをいただいた。「九州で大きな地震があったようですが、大丈夫ですか」とあり、そのあとに、「大震災を体験した者にとっては、他人事とは思えません」という一文もあった。

 このメールを読んで、二つのことが私の中を一気に駆け巡った。

ひとつは、この方のところで、十年ほど前に大震災が起きたとき、私は、お見舞いのメール一本打っていなかったことを思い出したのだ。きりきり歯噛みをして、今頃嘆いても遅いが、こういう気配りが、私に欠けていたことを思い知らされた。そうか、こういうときは、お見舞いをしなくてはいけないのだと、メールをもらって初めて学んだ。お粗末なことで、恥ずかしい。

もうひとつは、このメールをいただいて、福岡や佐賀の知り合いに、やはり何もしてないことに気づかされた。そうだ、この方はまだ間に合うとばかりに、それからあわててメール見舞いを書いた。

しばらくして福岡のある方から、写真つきのメール返礼が届いた。家の中の家具が倒れた様子や、壁のひび割れの写真が添えられていて、状況がよく分かった。そして、ああ、お見舞いをしてよかったと、ほっと胸をなでおろし、安堵の溜め息をついた。

これも、兵庫の方の一通のメールのおかげである。それで、ひとつの人間づきあいの常識を、遅ればせながら学ぶことが出来、かつ反省することにもなった。忙しさにかまけたり、不精なことを隠れ蓑にしたりして、ともすれば、こういう常識儀礼を、私はなるべく省略しようとしている。もう、若いから知らないのだという言い訳も、通用しない年齢であることを噛み締めたい。

それにしても、地震の怖さが、ひたひたと迫ってくる。あの時私は、パソコンの前にいた。揺れる机を押さえて「止まれ、止まれ・・・」と念力をかけるように、心の中で祈った。いつの日かそう心の中で叫ぶ甲斐もなく、まわりの物が倒れだし、家が傾くようなことに出会うことになるのだろうか。恐ろしいことだ。

福岡は、地震が起こると言う想定のないところだったらしい。つまり、これからどこで起こるか、専門家にもまったく分からないということのようだ。ずいぶん以前に「日本沈没」とか言う本が大ヒットし映画にもなった。プレートが下にもぐりこんでという仮定も、あながちSFだけのお話ではなくなりそうだ。ノストラダムスの大予言などと同類項の、荒唐無稽な「日本沈没」であってほしかったのだが・・・・・。

 

 

 

 

 さそり座の歌 876
 
 プロ野球が本格的に始まった。勝負の世界だから厳しくて当たり前だが、特に監督というものは大変だろうなと思う。


 敗戦まじかや敗戦後に、監督の顔がテレビで大写しになる。脂汗で土気色になったような、憔悴しきった表情をよく見る。とくに、これで何とか勝利と思わせてくれて、土壇場で思いもかけない裏切りにあったときは、他人事ながら、その断腸の悔しさが思いやられる。

もっとも、そんなことでへこたれるようではもちろんプロとは言えないのだろう。年間何十回も負けるのだから、そのたびに胃潰瘍を患う訳にもいかない。打たれ強くなり、気持ちの切り替えも上手になっていくのだろう。


 昔、西武ライオンズの黄金時代に広岡という監督がいた。何が起きても、余裕綽々だった。どんな悪い結果が出ても、すべて織り込み済みといった表情をしていた。


 たった七試合の日本シリーズで、捨て試合などがあることが伝えられて、そんなものかと思ったものだ。我々素人からすれば、どの試合も勝ちに行って当たり前と思っていたので、なんだか印象に残っている。

あごを上げて、すべて俺の読みどおりだという顔は、嫌いな人も多かったようだ。確か監督になってすぐ優勝した時、監督を嫌っていたような、ちょっとごつい性格の選手がインタビューで「優勝したんだから、いい監督なんでしょう」と言っていた。その裏には、「好きでもないし、尊敬もしてないけど」とか言うニュアンスが聞き取れた。

しかし、それから西武は面白いように勝ち、黄金時代を築くことになる。それこそ勝てば官軍で、やはり広岡は名監督だという結果を残した。どんなに態度が不遜だろうと、それに見合う結果がついてくれば、認めざるを得なくなる。


 今、その広岡監督の表情を思い浮かべると、昨今の監督の表情は、どうも軽い気がする。苦渋が表面にすぐ出てしまう。だから、監督は大変だろう、気の毒だと思わせてしまうのだ。滝に打たれて精神修養してではないが、やはり、監督はメンタルな面での強靭な精神力があってこそだろう。


 でもとにかく勝ちたいだろうな。のどから手が出るほど勝ちを祈っているだろうな。ひりひりする思いで勝利を求めているだろうなあ。しかし、現実は、なんと思い通りに行かないことの多いことか。やっぱり、監督は真に大変だ。


さそり座の歌 877

我が生の 砂時計なる 
         花吹雪  
           幸一 
 花びらが散っていくのを見ているうちに、それが砂時計に見えてきた。砂時計は、限りある時間を示す砂が、ひとすじ静かにこぼれてゆく。砂が落ちきって、決まった時間が来ると、動きは止まる。
 
 今年も、桜の花を見ることが出来た。私の生の時間の中へ、渦巻くように花びらが流れて行った。よくある発想の、桜への感慨が沸いてくる。もうあと何回桜を見られるか。桜の花の下で生を終えたい。ありふれているけれど、花びらの砂時計にも、いつか終わりが来るのは間違いのないことだから、同じような思いに行き着く。
 
 とりとめのない時間が過ぎてゆく。病気で入院することもなく、地震で家を壊されることもなく、平和で幸せな時間が、静かにさらさらと流れてゆく。何かが起きて振り返れば、今という時期が、どれほどいとおしくなることか。それを知らないわけではないが、どこかに倦怠の、ぜいたくな飽食がある。
 
 22回目の春の音楽祭。27回目の魅惑のギターステージ。そんな、年に一度の行事が、桜の花びらと同じように毎年散っていった。それぞれの汗や涙や喜びが、思い出の花びらのひとひらになって舞って行った。それは、美しい思い出の、たくさんの花びらの蓄積の日々だった。

 学歴も体力もない私が、趣味の延長でここまできた。ギターという音の花びらを、未熟ながらこれまで、どれだけ紡いできたことか。そして、その音のご縁で、たくさんの人と出会うことができ、色とりどりのたくさんの花びらをいただいた。私は、いつでもその花の下で安らかな終わりを迎えられそうな気がする。これしかありえないというような、しあわせな仕事との出会いだった。

 今年も、もうすぐ、春の音楽祭という開花に出会える。来年も出会えるかもしれないし、ひょっとしたら、花びらの砂時計は残り少ないのかもしれない。

 このまま、朝が来て、夜が来て、レッスンをして、行事をこなしていくうちに、あるとき軽がると、花びらの砂時計の最後の1枚が散っていく。いつも、いつも、その最後の1枚へ向かって、花吹雪は続いているのだ。

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