さそり座の歌852
 
 数日前の夕刊を見て、「あぅ」とのけぞった。鶏インフルエンザの発症した工場の会長夫妻が、首吊り自殺をしていたからだ。勿論、連絡の遅れなどのいろんな責任もあるが、あれだけ新聞テレビなどのマスコミに小突き回されては、平常でいられるはずもなかったことだろう。その何日間かの地獄のような心労を思えば、この悲劇も予想できないことではなかった。

 今回の騒動で、会長夫妻の作り上げた工場も、いわば首吊りをせざるを得なくなる。そんな大きな規模の養鶏会社にまでするには、いろんな苦労や努力の末であったに違いない。おそらく会長夫妻が、夜を徹して働き、金策に走り、ようやくここまで育て上げてきたのだろう。

 それが、どこからか分からないところから、得体の知れないウイルスというものがやってきて、あっという間に真っ暗闇の中に叩き込まれることになろうとは・・・。ほんの一月ほど前には、のんびり普段の業務に精を出し、今度の休みにはどこかへ行こうかとか言っていたかもしれない。そのありふれた日常が、あっという間に大嵐になり、工場も命も何もかも奪われてしまうことになる。この理不尽の怒りを、どこにもぶつけようの無い悔しさは計り知れないものがある。こんなことがあっていいのだろうかと、眠れない日が続いたことだろう。

 ウイルスの発症を早く知らせていればと、被害にあった周りの者も含めて、怒りはぶつけられる。マスコミはそれを何百倍にも増幅させる。確かに,きれい事では、早期連絡が善に違いないが、商売に苦しみ、経営の難儀を背負う人の、弱さや悲しみは、切り捨てられている。そうしたくても出来なかった、商売人の悲哀が、騒動を極限まで膨らませることになったには違いない。しかし、中小零細企業の経営難に対する思いと、人間的良心を天秤に乗せたとき、簡単にどちらが善だとスパッと割り切れるものだろうか。その弱さは確かに悪とはなったが、今、政治家や警察など本物の悪を思うとき、切ない思いがわいてきて仕方がない。

 命絶ちお詫びの夫婦春の雨 幸一 



さそり座の歌 853

 サンタナ会という集まりが、月に一回ある。サン・タナカという建築会社を中心にした集まりなので、サンタナ会と名付けられている。集まる場所もサン・タナカの事務所の二階で、そこには十数人ほどでも囲めるような、大きなテーブルが用意されている。私は、音楽院の一階の教室を作ってもらったご縁で、二年ほど前よりこの会に出かけるようになった。

第三水曜日の夜になるといろんな方が集まってくる。甘味茶屋という店を経営しているご夫婦。杵築から来る陶芸家ご夫婦。喫茶店をやっていて、主人は自衛隊員のご夫婦、デザイン会社経営の社長…等々いろんな顔ぶれがいて、いわゆる異業種交流の会だ。

外国ではよくホームパーティーを開くようだが、基本的にはそれと似たようなものだろう。それぞれの方がいろんな食べ物を持ち寄り、それを食べながら飲み会をするわけだ。それは、珍しいことではないだろうが、この会の特徴は、毎回何かのテーマを持ってそれに取り組むということだ。

これまでにやったことを思い出すと、絵手紙、凧作り、そばうち、菓子作り、俳句会、篆刻、オカリナ製作・・・と、全部は思い出せないが、実にいろんなことをやってきた。それが不思議なことに、どのことをするときも、仲間の誰かが一応指導的な立場になり、ほかの人々はそれで全く知らないことも何とかやれるという仕組みになっているのだ。ただ、飲み食いするだけではないので、私もレッスンをやりくりして、無理しても出かけたくなるのだと思う。

それに、毎回恒例になっているのだが、会の終わりに、私のギター演奏を三曲させてもらえる。私の場合は,ご馳走を持参しない代わりに、演奏でということにしてもらえるのは、いろんな面でありがたい。

お世辞にしろ、「飲みながら、こうしてギターが聴けるのは最高」と言ってくださる方もいて、私もやりがいがある。三人でも五人でも、人前で演奏できることは、ありそうで意外とそういう機会はない。楽器を仕事にしている私にとって、こういう機会が多いほど、自分の中の練習に対する気持ちが自然に高まるので、ありがたい限りだ。

もちろんそれに、前に書いたように初めて取り組むようなことに出会えるのも、大きな魅力だ。

毎月第三水曜日の夜は、私の暮らしの中の貴重なオアシスになっている。

さそり座の歌 854

 このパソコンの置いてある部屋は3階にある。広さは、3畳ほどの狭い部屋だが、今こうしてキーを叩いているパソコンをはじめ、ステレオ2台、キーボード、印刷機2台、本箱、CDラックなど、私の日常に必要なものがたくさん並んでいる。メールチェックにパソコンの前に座ることも多いので、仕事の時以外は、一日のほとんどをここで過ごしていることになる。大げさに言えば、ここで私の人生が創られ記録されている気がする。

 ここに住みはじめて20年になるが、このたび重い腰を上げて、前々からの夢?というか願望だったミニ改築を実施した。改築というほどのことでもないが、窓を2重サッシにしたのだ。

 この部屋の前というか下には、4車線の県道が通っている。そこでは、いつもひっきりなしに車が行き来し、特に雨の日などはすごい音がいつまでも続く。部屋で音楽を聴いていても、文章を書いていても、かなり耳障りなので、いつか何とかしたいと思っていた。

これまで、我慢すれば何とか過ごせたので、20年も過ぎてしまったのだが、思い立って工事のお願いをした。

 朝8時半ごろより工事が始まり、1時間程度で、あっけないほど簡単に窓が2重になった。1枚閉め、続いて新しい窓を閉めると、確かに違った。しんとなるこの感覚は、この部屋では味わえないものだった。

 私は文章を書くときだけは「ながら」が出来ない。音楽など全て切って、それに集中しなければ、考えがまとまらない。それで今、2重窓を閉めて、いわば理想の形でこれを書いているのだが、さて成果はどうだろうか。

人間の耳は、必要なものだけを聴くという不思議な機能があるらしい。何かを夢中でしているときは、時計の音など耳に入らないのだが、何かの拍子に、秒針が動くたびに音が耳に刺さるように聞こえるときがある。いつも同じ音量で音は続いているのだが、こちらの状態によって聞こえたり聞こえなかったりするのだ。つまり、これまで20年ほどこの部屋で文章を練っていたが、真剣に集中しているときは、窓の外からの音は聞こえていなかったのではなかろうか。

その意味では、音の遮断がいいものに結びつくと短絡できはしない。やはり基本は、書きたいと言う強い衝動のある暮らしをしているかどうかが、問題のはずだ。

何はともあれ、環境改善構造改革が一つ実現した。ここで、自分を見つなおす新しい出発をしたいものだ。

 

さそり座の歌 855

 久しぶりに芥川賞の受賞作を読んだ。昔文学サークルに出かけていた頃は、毎期の作品を読むのが決まりになっていた。しかし、そこから離れ、その行事に参加しなくなると、全く読まなくなった。そうなって、おそらくもう十年ほどは過ぎていることだろう。

 今回は、ギターの仲間から文藝春秋が回覧されてきて、全く偶然だが、最年少と騒がれる女性二人の作品を読むことになった。

 そういうことをはじめに言うのもおこがましいが、私は読みながら、こういうことはとても自分には書けないなと思うところが多いほど、作品の評価が上がる。その点で言えば、二作とも、「すげーや、こんな表現はとても出来んな。受賞するだけのことはある」と思わせた作品だった。表面的な動きをなぞるだけでなく、心の奥の見えないひだの影を、とらえることの出来る力量を感じた。私などがぼんやり思うことも、きっちり文にして表現していた。これは、やはり一口で言うならば、書くと言う事の才能だろうと思った。

「蛇にピアス」は、殺人や舌にピアスや刺青など、道具立てが派手で、それだけでも度肝を抜かれる気がした。意味不明のことも多く、時代の違いというか、私とは別世界のことだった。しかし、このかったるいとか、だるいとか言う少女が、一つづつ言葉を集めてつなぎ、とてつもなく根気と粘りのいることをなし遂げている。その奔放な暮らしが書くことと結びついただけで、私は感動してしまう。大学教授の父親の影響も大きいのだろうが、導き方しだいで、そういうこともありうるのだという、貴重な事例ではないかと思う。

蛇足だが、私の前に読んだ二十代の女性が「私には未知の国でしたので、ご安心下さい」というメモを付けていたのには、笑ってしまった。

「蹴りたい背中」のほうは、そんなにびっくりするような材料ではない。しかし、クラスの人間関係や、にな川との葛藤が、すごい筆力で活写されている。ありふれた材料なのに読ませるということは、われわれの見えない心理の深いところくりぬいているからこそ、面白く読ませるのだろう。何気ない描写の威力に、私は驚愕した。どちらかといえば、私はこの作者のほうが、長期的な文学的可能性を持っていると思う。

その点で言えば、「蛇にピアス」の作者には何か不安を覚える。いつか自殺したり、殺人に巻き込まれたりして、ニュースに出るのではと、危惧している。

いい作品を読むたびに、とても自分には小説は書けないなと思う。今回も、それを念押しして余りある作品だった。

 

 

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