さそり座の歌 841

「火車」(宮部みゆき著・双葉社)を読んだ。サラ金の取立てに追われる若い女性が、狙い済まして一人の女性を亡き者にし、その身代わりとなり生きていくという内容だ。計画はうまく行くのだが、何とその亡き女性の過去にもサラ金の莫大な借金があることが分り、また逃亡するということになるという、どんでん返しもある。

 この本の出版は1992年で、約10年前のことになる。しかし、その本のリアリティーや警告は、そのまま今の社会に通用する。

あくどい取立ての問題や、夜逃げ、自己破産などが新聞記事に載らない日はないほど、今もサラ金問題ははびこっている。

 カードとかがなかった時は、欲しいものがあっても買えるまで金をためるか、諦めるかしかなかった。しかし今は違う。ちょっと夢見たものは、すぐに買えるのだ。ある28歳のサラリーマンは、給料20万程度で、3000万円余りの借金を作っていた。

 なぜそういうことが可能なのか。誰が貸したのか。どうして借りることが出来たのか…とこの本は問いかける。

 サラ金問題を個人の問題にするのなら簡単なことだ。だらしない性格が自業自得となったのだと。しかし、この本はそうではないのだと強く主張する。「情報破産」という言葉が印象的だ。テレビやマスコミの中でマイホームや車や貴金属や、いろんな情報が甘いささやきを送り続ける。

 サラ金地獄にのめりこんだ人は、大概、最初そう利息が高いとも思わなかった。ちょっとだけ贅沢して、幸せな気分を味わいたかっただけなのに…と暗闇で嘆き萎れるという。甘いささやきが溢れる反面、サラ金の金利や取立ての怖さを若い人に教育するシステムは出来ていない。個人の弱さだけでは捉えきれない、大きなからくりの中で、若者は踊らされているのだ。特に、20代近辺の、気の小さな若者が、その誘惑の小さな糸口から転げ落ちていく。

 ないものがあるように見える幻想が、カードにはある。欲しいと思えば手に入る手立てがあるとき、手に入るものを我慢するということは、生半可な意志の強さではかなえられないことだろう。かなりの確率で、若者の小さな夢の芽が食いつぶされていく。

 最初は、銀行系、信販系・・そして落ち着く所は暴力団の闇金融。大手はいつも損をしないようになっている。一度嵌まり込めば、骨までしゃぶるという、きちんとした仕組みが出来上がっているというサラ金。

 怖い世界だ。

さそり座の歌 842

 

 今回は、怠慢の失敗談を、反省文代わりに書こう。

ちょっとした努力というか、けじめを付けなかったば

かりに、大変な後悔をする破目になった。

 十名ばかりのギター合奏団がある。夜集まるので

「ルベックムーン」と、夜と月をくっつけた安易な命名

だが、いつも何かの折に協力してくれる頼りになる合奏

団だ。

 ある練習日の休憩の時、会員の一人が「先生お願いが

あるんですが」と近寄ってきた。知り合いが、大分のグ

ランシアタで演奏会をするので、教室にチラシだけでも

貼って欲しいという依頼だった。最初から入場券を押し

付ける人もいるくらいだから、ポスターを貼るぐらい、

私にとってはなんでもないことのはずだった。

 仕事がら、こういうお願いや、プログラムへの広告な

どは、頻繁に声がかかる。教室の机の上には、いつも何

種類かのチラシが並んでいるのだが、そうそう入場券が

さばけるというものではない。というより、自分の主催

するいろんなコンサートを抱えていると、やはりついつ

い、それを優先して、その他は後回しで声が次第に小さ

くなる。その惰性の流れの中で、我家にはいろんなチラ

シが散乱している。多分いつしか、それで麻痺するもの

があっての対応になったのだろう。

 日頃から何かとお世話になっている彼女の頼みだから、

ちゃんとやらねばと思ってはいた。ところが練習が終わ

ってそのチラシは車の中に置いたままにしていた。時折

思い出して、ああ、あれを貼っとかんといかんなと、何度

か思うのだが、車までまた取りに行くのをつい面倒がっ

ているうちに、いつしか2週間ほど過ぎていた。

 内心で、早くせねばと思いつつ、まあ、公民館の生徒

である彼女が、教室をのぞくこともあるまいと思うのだ

が、なぜか、もしかしたらとも思った。

 しかし、その悪い予感は

的中してしまった。ある日呼び鈴に出てみると、彼女が

玄関にいた。娘の引越し手伝いで東京へ行くので、お休

みするという知らせと合せて、弦を買いにきたのだ。彼

女は入り口の掲示板をそっと眺めていたが、何も言わな

かった。たぶん、「おせわになりますね。貼ってもらっ

てすみません」とかお礼を言おうとしたのだろうと思う。

 あちゃ・・・と思ったけど、これこそ後の祭り。もう

どうにもならない。そのことには触れないまま、何食わ

ぬ顔で話をして別れた。

 もしかして、そんなことになるのではという、悪い予

感がした通り

になった。その時、ちょっと車まで行くという、ほんの

1分のことが出来なかったのだ。反省!!。

 

お詫びにここで、そのチラシ内容を紹介させてください。

 

小林一男テノール・リサイタル(二期会の重鎮だそうです)

ピアノ伴奏 福田桂子

 時 10月30日()18時30分開演

 所 大分グランシアタ

 チケット S4000円・A・3000円

 大分県立文化センター、トキハ会館、ミュージックETOにて発売中。

 

*なおこのコンサートは、「エイズ感染者支援チャリティーコンサート」だそうです。

 

皆様のご協力、ご支援をお願いします。

 
 

さそり座の歌 843

 昨日は、暇が出来たらやろうと思いながら、のばしのばしにしていたことにようやく手をつけた。たぶん1年ぐらいは過ぎたことだろう。題して「CD救出作戦」。

 仕事柄、たいがいの部屋に音楽を聴く装置がある。その中で寝室に置いてあるコンポが壊れていた。テープは聴けるのだが、CDの方は、誤作動がおきて全く使い物にならなくなっていた。同じ失敗を繰り替えしたのだが、何枚もCDが入るのは、なぜかよく壊れる。指令のコンピューターが複雑になっていて、それがおかしくなるようだ。


 聴けないのはともかく、中に入れた CDが取り出せないのは困るので、いずれ何とかしようと思いながら、延ばしのばしにしていたというわけだ。

 ドライバーセットを用意して、一応修理できたら?と考えてねじを回し始めた。割と簡単に上のおおきな囲いの部分が取れ、内臓が丸出しになった。しかし、もちろん素人のことだから皆目分らない。それで、不燃物のゴミ袋をそばに用意をして、分解を始めた。

 ははーん、ここにCDが入ってるなという見当はすぐ付いた。その近所のねじをはずし、取れる部品は次々ゴミ袋に放り込んだ。しかし、そのブラックボックスは、何ゆえか、がっちり外から覆われていて、びくともしない。しまいには、折れそうな部品は力づくでもぎ取って何とか目的を達しようとした。

 うーん、どうやったら外れるのだろうと、何度ため息をついたことだろう。裏返し、斜めから見て、ねじというねじははずしたのだが、その部分だけは動かない。それでも真剣に注意深く見ていると思いがけない遠い所にねじがあり、それがまた思いがけない所に関連していたりしていた。どこからか油も出てきて、手はべとべとになるし、投げつけて壊したほどだったが、それでは目的は達せない。

 以前何かで、自動車一台をばらばらにする競争か何かがあったような気がする。仕組みが分っていない素人には、こんな小さなコンポでも分解できないのだから、車となるとまた難易度がとてつもなく上がることだろう。

そう言いながらも、結構パズルを解くようで楽しい思いもした。なるほど、これをこうやると、こうなるのかと発見しながら、一人で感動してようやく執念が実ったのは、3時間ほどの奮闘の末だった。

 ちなみに、救出CDは次の3枚だった。「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番・2番」、「ブラームス・バイオリン協奏曲他」、「梅原司平・ここへおいで」が、拉致監禁から救い出された。
 蛇足だが、何枚もCDが入る装置はやめておいたほうがいいようだ。今回壊したのは6枚入るものだったが、以前も3枚入るのが壊れて体験学習し、今は、1枚だけ入るのを買うようにしている。洗濯機でも、炊飯器でも一見コンピュターで便利なようだが、誤作動が出て使用できないことがよくある。ごく単純な仕組みのものに戻る方が故障が少ない気がするが、もちろん、もう戻ることは出来ないのだろう。

さそり座の歌856

 毎年開いて、今年で二十一回目になる春の音楽祭が終了した。このところ毎年、四月二十九日が定例日で、それを終えてやれやれと、ゴールデンウイアークを迎えるのが、恒例になっている。

 今年のプログラムの目玉は「ほのぼのコーラス」の発表だった。「みんなで懐かしい童謡や唱歌を歌いましょう」と一年ほど前に始めた新企画が、この日大きな花になった。

 それに出演したTさんから電話があった。「脳梗塞で倒れてから、こんな舞台に立つことがあろうとは夢にも思っていませんでした」と話していた。感激の声は喜びで弾んでいた。

この方は病気で倒れて以来、ご主人に付き添われてようやく歩けるほどの毎日だった。そんな暮らしの中で、ほのぼの歌声サークルが目に留まり、参加するようになった。そして、今回の発表会にもメンバーの一員になって歌うことになったのだ。階の違う控え室や、舞台での移動など、実はだいぶ心配したのだが、頬を上気させながら、見事にやり遂げた。Tさんの喜びは、周りのメンバーすべてにも広がっていた気がする。

 メンバーの一人にフォークダンスを教える方がいた。発表会の一月ほど前に、冗談のように制服に話が及んだら、その方が、気軽に準備してそろえてくれることになった。

 はじめは、赤面するようなカラフルな踊りの衣装にたじろいでいたが、皆さんそれぞれ気にいったのを持ち帰った。いつの間にやら、瓢箪から駒のように、かわいらしい衣装で歌うことになった。その上、歌う曲は「おもちゃのチャチャチャ」で、それぞれがカスタネットやタンバリンを持ち、それを高く掲げて音を出すというおまけまでついた。

 七十代を越えた方をはじめ、この衣装や振りが、気恥ずかしいという壁をいとも簡単に乗り越えたのは、どういうことだったのだろう。勢いというか、その乗りを今でも不思議に思っている。よくここまでやれたものだと思う。

 それだけになおさら、Tさんの感激は大きかったのだろう。思い切って変身できた舞台は、生涯の思い出に残ることだろう。

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