さそり座の歌 
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 「俳句武者修行(小沢昭一著・朝日新聞社)を読んだ。ラジオで聞く小沢昭一のしゃべり口と同様、軽妙洒脱な文章で、実に読みやすく、また面白い本だった。

 入船亭扇橋、永六輔、柳家小三治等十名ほどの会員が、月に一度忙しい中で時間をとり、「東京やなぎ句会」という集まりを32年続けているらしい。それは、時々集まって飯でも食いながら馬鹿話をしようという会なのだが、ただ集まるのも芸がないので、俳句でもやるかということで句会になったようだ。

俳句は二の次ということなのだが、それでも俳句に対する興味は深まってくる。そこで、小沢昭一が、各地にある著名な俳句結社の句会に乗り込んで、武者修行をするという実況中継が、この本の主な内容だ。

ここでは一応そのことはさておいて、その馬鹿話をして大笑いをする集まりのことに興味を持った。単純に一言で言えば「いいなあ、そんな集まりがあって」と思ったのだ。

それが楽しみになり、何時しか東京やなぎ句会が30年余りも続いて、「この句会なしに人生はない」というほどになっていたという一文が、私に羨望を起こさせた。

人の心は移ろいやすい。人とかかわるのが煩わしくて、気楽に一人になりたいときもある。またなんとなく人恋しくて、さびしい風に吹かれるときもある。若いときは特に、感情の揺れが激しくて、あちこちに突き当たりながら日々を過ごしていた気もする。

私は今年55歳になる。妙に老け込むつもりはないが、なんとなく、やはり人生のたそがれ、四季で言えば秋の終わりに近づいた感じがしてならない。そのなんともいえない憂愁を味わうとき、人と会っていたいなと思う。

東京やなぎ句会では、江國滋他3名がすでに他界している。共に生き、共にその死を悼みあえる仲間がいるということが、かけがえのないことのような気がする。

そこで俳句を学ぼうとか、人生の意味を考えようなどと、窮屈なことを求めるのではない。つまらない駄洒落が言えて、どうでもいいことに大笑いして、「じゃまた来月」と、言えるような句会が持てたら…それでいい。

さそり座の歌 
837 


 
日曜の午後が空いたので、ビデオ店に行った。すると、昨年テレビを見逃して、いつか見たいなと思っていた「北の国から」が出ていたので借りてきた。二十一年も続いたもので、今回が最終回となり、テーマは「遺言」だった。前編、後編の2巻組みで5時間近くあったが、連続して最後まで見通した。

 このドラマには、ある特有の臭いがあり、それを嫌う人も居ることは承知している。説教臭い雰囲気や、やたら涙の場面の多い感傷が鼻につく場合もあるのだろう。

 それはともかく、いわば我が家は(たぶん他の家庭もそういうところが多かったから支持されたのだと思うが)この番組とともに、子育てをし、家庭が次のステップを踏んできた。小学校入学前後の、蛍や純が、そのままドラマの中で卒業し、働き、恋をしていくように、我が家の子どもたちもいろんなドラマを残してここまで来た。

 同時進行で二十一年続き、今回は「遺言」をテーマにした最終回だった。父の日の今日、それを見ながら、過ぎて行った20年を思い、「遺言」の意味を考えた。

 何度も遺言の指南を受ける「五郎」に「まだ本当に自分が死ぬと思って書いていない。自分が居なくなった後の、子どもや孫の様子を思い浮かべながら書きなさい」と教えている。

 しかし、結局遺言は出来ないままで、五郎の生きてきた日々の暮らしの全てが、子どもたちへ残る遺言になるような終わり方だった。

 この番組では北海道の自然がいたるところに挿入されている。春の咲き乱れる花々、延々と続く農地のみどり、紅葉の輝き、降りしきる雪…四季が巡っていく。植物が芽を出し花をつけ枯れていくように、人も生まれ死んでいく。その大きな輪廻のようなものを、20年余りかけてこの番組は作ってきたのだ。

 最後に、五郎と孫との別れを克明に描いていた。老いるということは、親しいものと、ひとつひとつ別れていくことを、覚悟させる意味合いだったのだろうか。

 もう、私の家庭の「北の国から」は終わった。今はもう、子どもたちそれぞれが新しい「北の国から」のドラマ制作に入っている。今日は、その区切りの父の日だったのだろう。

父の日や 遺言テーマの  
   ドラマ見る 幸一

さそり座の歌 867

 私の出身地の田舎のほうから、1時間半ほどかけて、従兄弟がギター、その娘がピアノ のレッスンを受けに来てくれている。レッスンが終わって、懐かしい故郷のことを話してもらうのが楽しみだ。

 先日、もう家が古くなってという話から、その従兄弟が、よくチラシに入っている展示場1軒限りを格安で譲るというイベントに、もう4、5回応募していることが分かった。痛んだ屋根とかを少しづつ直しても結局、相当な金がかかるし、かと言って、本式の新築はとても予算がない。せめて、あれが当たればと願っているというのだ。従兄弟の知り合いで、17回応募して当たった者もいるらしい。

 同じようなもので、母の住む我が家の田舎の家も、時折帰ると、あそこから雨漏りがした、こちらの瓦が落ちたとか言う話が出る。そのときいつも、さてどうしたものかということになるのだが、もう長いことそのままずるずる日を過ごしている。

 そんなおり、たまたま580万円で譲りますというチラシが入った。冷やかし半分だが、これに応募するとどういう対応があるのか体験学習するのも良かろうと葉書を出してみた。

するとすぐに営業マンがやってきた。当たったとしても、整地や浄化槽など別途料金があり1千万はかかることが分かった。妻と娘は面白がって、貸し切りバスの弁当つき工場見学にも出かけた。

 今回は少し応募が少なくて600名ほどということで、1次抽選があった。それに合格して、次の日が1名を決める本選だった。

 パンフレットなどを見ていると、間取りなどいろんな話が出る。続き間の広い部屋にして、小さなコンサートも出来るといいかな。ピアノを入れて、音を気にせず娘が好きなだけ練習できる部屋も取れるかな・・・などと考えていると、少し現実的になってきた。

 しかし、こちらの仕事の忙しさをどう処理するか、いくらほかの新築の半額程度といっても、用意する大金のことなどを考えると、今当たっても困るなという気持ちもむくむくわいてきた。でもどうせなら当たっていれば、それでこれからの予定がしっかり出来るかな。しかし、ちょっと今は、荷が重いな・・・・。

 そんな諸々の心配は、もちろん無駄で、予定通り落選した。しばらく日が過ぎると、もうその話は霞のごとく消えて、以前と同じずるずるの移行期間になっている。

さそり座の歌
868

 
 ある施設にギターのレッスンに行っているのだが、先日そこからいただいた謝礼で一騒動あった。

 夜8時過ぎにそこのレッスンから帰り着き、かばんからその日いただいた謝礼の封筒を出して、手に持っていたようなところまで記憶があった。次のレッスンがあるので、その前にその封筒の中にある領収書にサインをし、印鑑を押して、処理を済ませなければと思っていたのだ。

 ところがそのとき、そこに子供たちや妻がやってきて、次にあるコンサートの相談などの話が入った。そうこうしているうちに、レッスン時間が近づいたので、私はあわててトイレへ行った。

 トイレから出てみるとギターの生徒のAさんはすでに来ていて、所定の机の前でギターを持って待っていた。Aさんはそこで月謝袋を出して私に手渡し、それに印鑑を押して私が返すというやり取りがあった。それから30分ほどレッスンをしてAさんは帰った。

 それから、ふと思い出して、その謝礼封筒を探すのだが、どうしても見つからない。手に持っていたような記憶はあるのだが、それから先どこへおいたかが全く思い出せないのだ。トイレの間に、妻たちがどこかへ整理したのかとも思ったが、それもしてなかった。みんなで手分けしてあちこち探してもらったのだが、魔法のように消えてしまっていた。

 途方にくれたあと、もしかしてAさんが…という話になり、「いやそういうことをする人ではないよ」と打ち消した。しかし、間違いでということもあるしということで、電話してみるかどうかで意見が分かれた。結局「間違いで持って行ったのなら連絡が来るだろうし、万々一出来心の悪意があったのなら知らないと言うだろうし」というところに落ち着き、電話をしないことになった。

 それから、もしかして車の中かもとか、やはり往生際悪く探したのだが、結局諦めて、整理が悪いのを反省するしかないと自分を責めて一日が終わろうとしていた。夜11時近くに電話が鳴った。Aさんからだった。自分の月謝袋や教本などに混ざって入っていたとの事だった。何度も何度もお礼を言って電話を切り、妻や娘と握手をした。一番いい解決が出来た。

 翌日、すぐにAさんは封筒を届けてくれた。次の日には草の根コンサートにも来てくれた。自分の整理整頓の悪さが、思わぬところで、生徒さんを失ったり、後味の悪い人間関係の崩壊につながるところだった。Aさんに感謝している。

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