さそり座の歌 1058 

 最近、冬の空気の乾燥による皮膚炎や血圧が少し高いとかが指摘されて、どうにかしなければと思い始めた。その原因にいつもあげられるのが「運動不足」ということだ。運動不足により血行が悪くなり、血管も細くなって行っていることが、諸悪の根源らしい。

 それはそうだろうなと思う。自慢ではないが、指の運動以外は何もしていない。歩くのは、家の中を必要に応じて動くだけだし、第一に汗をかくという事に全くと言っていいほど出会っていない。そういう暮らしが問題なのに違いない。使わなければすたっていくという、廃用症状という事で、いろんな機能が衰えって行っている可能性は十分ある。

 久しぶりに携帯の万歩計を開いてみたら、平均歩数1186と出ていた。聞くところによると、毎日1万歩を目標に歩いている人もいるようだ。なんとその10%しか歩いていないことになる。やはりこれでは運動不足を言われてもしょうがない。

 それで思い出すのは、20年ほど前に一念発起して「運動しよう!」と気合を入れた時のことだ。

このときは、意識してなるべく歩くことを心がけた。近くの書店やビデオ店に車で行かずに、歩いていくようにした。普通の人には多分近い距離だろうが、私にとっては、かなりの距離になるところまで往復した。

 またこのころは俳句の新聞応募時代の頃で、毎週はがきを出していた。それで5句が出来上がると、近くのポストへ出しに行くのだが、そのポストがかなり広い幅の四車線道路の向こうにある。信号が変わって、向こうのポストまで行き、急いで、青信号の間に戻ってくるというのを自分に課していた。普段歩かない自分にとっては、最初息が切れてかなり難儀だったが、やはりだんだん力がついてきて楽になったのは実感した。

 ところが、ところがだ。せっかく気合が入っているときに、股関節が痛みだした。仕方がないので整形外科に行くと、痛みが取れなければ、人工関節の手術ですねと宣告された。数か月のリハビリで、痛みが治まり何とか今まで来ているが、それで気力は萎えてしまった。

 新人の野球選手が「ケガをしないように無理しないでやります」とかいうことがある。なんという覇気や根性のない奴なんだろうと思う。しかし「練習は嘘をつかない」と苛め抜いて、世に出る選手もいれば、故障で消えていく場合もある。故障するような練習に問題があるのかもしれないが、その紙一重のところが人生の分かれ目になる。

 とかなんとか言い訳をしている場合ではなさそうだ。無理な負担にならないように、そして体に有効な汗をかくどんな運動が自分にできるのか考えなければ。これからの健康維持のために「運動不足」解消を!

 

 

 

 

さそり座の歌 1059

 年初めに風邪をひいて医者にかかった。風邪はともかく、その時血圧を測ったら、「これは治療したほうがいいですよ」と、高血圧の宣告を受けた。

 いろいろ調べてみると、血圧の薬は、飲み始めたら生涯飲まねばならないということのようだった。そして「血圧が下がったから薬はやめていいですよ」という事にはならないらしい。

 それで薬に頼らないで、何とかならないかと調べたり、人に聞いたりするといろんな情報が伝わってきた。

 様々な情報の中で、たまねぎ茶、カカオ90%のチョコレート、無塩のトマトジュースを、とりあえず取り入れてみている。

 たまねぎ茶は、たまねぎの茶色の皮を煎じて、お茶代わりにして飲んでいる。そうそう玉ねぎの皮が手に入らないので、知り合いに一斉メールでお願いをした。そうすると、あちこちから変わりばんこに提供してもらえた。「染色でもするのですか?」と、尋ねられたので聞いてみると、皮は黄色の染色にも使うそうで、まったく知らないことだった。

何しろ皆さんが協力してくれて原料はたくさん手に入り、無料?で出来ることなので、これは続けやすそうな感じがする。効き目が出ると、協力してくれた方に嬉しい報告が出来るが、これは気長な取り組みのあとの事だろう。

それはともかく、最近、健康法を書いた本を読んでいたら、次の文章に出会った。

そこには、『健康になって何をしたいのか?自分の目的とするこれからの人生を、今、しっかりと「イメージ」してみてください。』とあった。

これを読んで、ハッとして、はたと考え込んでしまった。私はいったい、高血圧を治して何をするために長生きをしたいのだろうと、考え込んでしまったのだ。

 具体的なイメージが浮かんでこない。今の暮らしが、そのまま変わることなく続けられたらという以上に、何か大きな夢や心弾むプランが目の前にないのだ。

 こう書いてしまうと、2×5=10だが、私の中にある自分の人生への満足感は、ほとんど完結している。充分幸せな人生だったという悔いのない思いを隠せないでいる。

 健康になりたいという根本のところは、「生きていてこういうことをしたい」という、強い願望に裏打ちされていなければならないのだろう。

 まずそのハードルを越えることが、治療の第一歩のようだ。

さそり座の歌 1056

 親しくしている方より、二つの愛犬の訃報が届きました。一件は11月、もう一つはこのクリスマスのことでした。

『実は昨日うみばーちゃんが天国に旅立ちました。昨年の今日11月9日に海で瀕死の状態での出逢いでしたので本当に丸まる一年間のお付き合いでした。

 けっこうな老犬でしたので少し急でしたが大往生です!認知症も進み目もほとんど見えなくなって来ていて、日々介護的な感じになってきていたので、正直な所お世話が大変になって来ていました。ちゃんと見送って上げられた安堵とともに、やっぱりさみしいものですね。。。』

『昨日朝、愛犬ちびすけが旅立ちました。
 5年前の25日にサンタさんと共に我が家に来て、25日にサンタさんと共に虹の橋を渡りました。
  抗がん剤治療最中でしたが最期は苦しまないで、主人が見守る中旅立ちました。
 色々と励ましのメール、ありがとうございました。』

 2件の方たちは、気持ちの優しいとても人間的に温かい方ばかりですので、愛犬とのお別れが、どんなに淋しいものだったでしょうか。肉親と同じようなものですので、察して余りあるものがあります。

 二つのお知らせで、なぜか不思議なことが重なりました。出会った日と、お別れの日がちょうど重なっているのです。丸1年、丸5年、期間は違いますが、申し合せたように、きっちり日を選んでいます。何でもないことのようですが、気持ち的に、一つの区切りになったと、少し救われることかもしれません。

 我が家も、猫を2匹見送りました。一匹目は、自宅の炬燵の中で亡くなったので、ペット葬儀社に行き、火葬して骨壺に納めました。二匹目は、不意に姿が見えなくなったので、何だかきちんとお別れが出来ていないような、宙ぶらりんの気分のままです。

 「お別れのさびしさ、悲しさがあるので、生き物は飼わないんだ」という声もあります。確かにペットロスの深刻な方もおられるようです。しかし、それは、それまで一緒に過ごしてきて与えてもらった、癒しや喜びに比例するものだろうと思います。その豊かな触れ合いの時間は、人生の中でかけがえのない彩になって残るものと思います。その思い出は、飼わない方には到底感じられない、喜びの時間になるものです。

「うみばあちゃん」も「ちびすけ」も、この方々に見守って育てていただいて、本当に良かったと、一番いい笑顔を見せながら天国で暮らしていることと思います。

 

 

さそり座の歌 1057

 最近新聞で、「プラセボ」について詳しく書かれている記事を読んだ。薬理学的に無視できるものを投与した際と、本物の薬を投与した際の効果を比較すると、偽薬でも、効果がかなり出ることがわかっているそうだ。このような現象を「プラセボ反応」と言うそうで、これはもうかなり一般の間にも広がっていることだ。

 それは人間の体が、機械でないということの証明のような気がする。1+1=2と、きっちり計算し尽されたデジタルの世界で、人間の体や精神を分析できないということではないかと思う。

 そこに、何だか深遠な人間の生命力の神秘な力があるようで、その見えないものがあることが嬉しい気がする。

「物は思いよう、気の持ちよう」とよく言われるが、それは、単純な精神力の掛け声だけでなく、いわば自分で自分に「プラセボ効果」求めていることになると言える。しかも、そこには、確かな効き目があることを思うと、これは生きていく上で、とても大切なことになることだろう。

 記事には、具体的なデータとして、過敏性腸症候群(61%)、添付薬の治療(58%)、変形性膝関節症(49%)、内科領域の心身症(42%)等、臨床試験で見られたプラセボ改善率が掲載されている。「薬が効く」「これで良くなる」と思い込むことで、きちんとした効果が偽薬でも確かに出ているのだ。

 それはすごい数字だと思う。プラセボに対する人間の体の反応が、自然治癒力になって表れていることがはっきりしていることになるからだ。

 インチキ宗教もあるだろうが、「信仰によって病気が治った 」という事例も、この強力信心によるプラセボ効果を受ければ、ありえないことではないともいえる。そこに、数々の宗教が存在できる下地があるのだろう。過信による危ない状況との線引きが、とても難しいともいえるが…。

 薬が大好きで、必要以上に医者に薬を求める人もいるようだ。しかしながら、薬に対する効き目を信頼していて、素直に飲み続ければ、プラセボも加わり効果も増すことだろう。

「薬は毒だ」「一か所良くしようとすれば、どこかほかのところに副作用が出る」と、飲まなかったり、しぶしぶ飲んだのでは、効き目が余りないのかもしれない。しかし、その分、薬を飲まないのが体にいいんだという強い暗示が、強力な「プラセボ効果」になる可能性もある。

 自分に対するプラセボ効果を、どのように求めるか、時折考えてみたい。

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