さそり座の歌 1050

 ギターのレッスンをしていたら、「先生、最近なんだかとても元気そうですね。以前、ちょっと心配した時があったんですが」と言ってくれる方がいた。暑い日が続いて夏バテ気味だが、 そう言ってもらえると、何だか気持ちが弾んできていい気分になった。

 というのも、最近、時折「何だか痩せましたね、大丈夫ですか」とか、「どこか悪いんじゃないですか?下痢でもしてるのでは?」と、率直に言葉をかけてくれる人がいたからだ。

 そういう心配の声が何回か続くと、「まあ、それなりに普通だけど」と思っていても、何だか気持ちが暗くなった。もしかしたらどこか悪いのではと、取り越し苦労もしてしまったものだ。

 落語だったか、友達数人が示し合わせて一人をからかうというか、いじめる話がある。

「おいどうしたんだい、なんだか元気がない顔をして」、しばらくして別の友人が「どうしたんだい、顔色が悪いじゃないか?熱でも出たんじゃないか」そしてまた違う友人が、「おい、顔色が真っ青じゃないか。気を付けろよ」と声をかける

 続けてそんな声を聴いた当人は「はて、俺ってどこか具合が悪いのかな?なんだか寒気がしてきた気もする。とりあえず寝ることにするか」という流れの話だった。

 まさか示し合わせているわけではないのだろうが、あっちからもこっちからも「痩せましたね」と言われると反発する気力もなくして、何だか落ち込んだものだ。それだけに「この暑い中で元気そうですね」という声がどれだけ嬉しかったことか。どうせなら示し合わせて「顔色がいいですね」「溌剌としてますね」「とても元気そうですね。」と、出会う方から次々続けて言われたら、どんな病気も自然治癒してしまいそうな気がする。

 しかしながら、永六輔、大橋巨泉、千代の富士と潮が引くようにいろんな方が亡くなって行く。特に、筋骨逞しい千代の富士が、61歳という若さで亡くなったのには驚かされた。

 普段は地続きであることが見えていない。未来は有限であるが、気分は無限という事でのほほんと暮らしている。「65歳以上の高齢者の方は、熱中症に注意を」という記事を見て、ふと「あれ、俺も高齢者の仲間なんだ」と再確認したことがある。高齢者は高齢者なりに、少し心の準備も必要な時期の気がする。

 

さそり座の歌 1051

 最近久しぶりにメガネを購入した。いいことか悪いことかわからないが、メガネも価格破壊が進んでいる。昔、地元大手などで買うと、4,5万円したものだが、今はその半額ほどが普通のようになっている。

 そういう事もあり、しばらく前から、店先の旗に「メガネ1本5千円」というのを見つけていた。今度メガネを買う時は、と狙いを付けていたので、今回は迷わずそこへ行った。おしゃれでなくても、まあちゃんと見えればそれでいいのでと、安物狙いで行ったのだが、やはりそう甘くはなかった。

 まず最初に「遠近両用メガネ」というと、その分は5千円の分はありませんという。遠近両用は9千800円から始まって、その後「こちらのレンズの方がより歪みが少ないですよ」とかもあり、結局1万7千円で手を打った。

 ある程度はそういう事かもと予想していたのだが、5千円の3倍以上もかかってしまった。気が弱いので、こんなの詐欺ではと騒ぐこともせずにおとなしく金を払った。前回「メガネ一番」で2万5千円均一だったので、まあそれより安いのでいいかと慰めているところだ。

 それはともかく、私は現在メガネを3本持っている。一本は近くがよく見えるもので、楽譜を見て演奏するときに使うものだ。演奏会の時にこれを忘れたら、演奏がしどろもどろになってしまう。

 もう一本は、耳の聞こえをカバーする補聴器メガネ。各種話し合いなどの会話の時の必需品だ。これは電池のある間は良く聞こえるのだが、突然電池切れになるときが困る。また、精密機械なので、汗をかく時に使うのがあまりよくない。今年のように暑い時は、特に野外では使いづらい。

 楽譜メガネも、補聴器メガネも遠くを見る運転には適さないので、だいたい普段は遠近両用をかけている時間が長い事になる。今回交換したメガネは、遠くは見えていたのだが、近くが見えにくくなっていたので、不便になっていたのだ。

 新しいメガネが出来て、近くも遠くもよく見えるのに驚いた。これなら、それ演奏だとメガネを交換しなくて済むほど、近くがよく見える。これまで出かける目的によっては、メガネを3本用意しなければならなかったのだが、少し負担が減るかもしれない。

 新しいメガネで、これからどんな風景を見ていくのだろう。人生の晩年を、このメガネでしっかりと見つめて暮らしたい。

 

さそり座の歌 1048

 5月の第2日曜日は、母の日と決まっている。それが近づくと新聞やチラシの広告に、カーネーションの花が溢れる。母親へ贈る様々なプレゼントを、商魂たくましく満載し購買意欲を促している。

 昨年の秋に母を亡くして、初めての母の日を迎えた。これまで母の日に花を贈ったりとか、品物を贈った記憶はない。改めてそいうことをするのは照れくさい感じもあった気がするし、もともとそういう思いやりに欠けていたのかもしれない。

 ところが今回はどういうわけか、何だか少し母の日が気にかかってしまった。なぜなんだろう。対象を失った気まぐれな感傷だろうか。もしかすると「墓に蒲団は着せられず」という格言の実感かも知れない。

 私は、母に格別お礼の気持ちを表したことはないが、これまでの長い間、母からはたくさん助けてもらった。それは普通の母子にあるありふれた親子の情愛に過ぎないものだと思う。しかし、それはきわめて個人的な私だけの思い出の数々だ。

 私の病歴を並べると長くなるが、学校に行く前から松葉杖をついていたこと、小学校の5年生で発病した腎臓病のことなどを抱えながら、母は私を育ててきた。中学1年生の時に父が38歳で死んだうえ、私は、学校にもあまり行けず腎臓病で苦しんでいた。

 孫が来ていて、熱を出したり吐いたりすると、心配でたまらなくなる。私の病気がはかばかしくなく、入退院を繰り返している時、いわばどん底の時、母はどんな気分で毎日を過ごしていたのだろうか。

 そのころ人に聞いて、母は、手かざしの宗教にのめり込んだ。父も治らず、私もひどくなるばかりで、母は医学の限界を感じていたのだろうと思う。「薬は毒だ」、「手をかざせば自然治癒力で病気が治る」。そんな教えは、藁にもすがりたくなる母にとって、一筋の希望であり精神的な支えになったことだろう。

 差し向かいで座り、右手を私の頭のあたりにかざし、母の祈りを何度受けたことだろう。非科学的で、噴飯物の教えとも言えるが、母は真剣だった。その「母の祈り」が届いたのかどうかはわからないが、2年余りの入院の後、私は、40年余り何とか生き延びることが出来ている。20歳までのぼろぼろの日々を思うと、よくぞここまで生きられたものだと不思議にさえなる。

 もう今となっては母の日に何もできないが、あの「母の祈り」のことをせめて思い出して、これからを大切に生きなければと肝に銘じている。

 

さそり座の歌 1049 
 6月の5週目のお休みを利用して、広島の娘宅へ遊びに行った。遊びと言っても、実は立派な役割というか目的があった。今度の講師演奏会で、フルートの伴奏で娘が出演することになっているのだが、その練習時間を確保するというための旅行だったのだ。

 息子の嫁のフルートと娘のピアノが練習している間、小さな孫を二人連れて出て行き、じっくり練習時間をとれるようにするのが、じじばばの役目だった。幸い二人とも素直にじじばばについてきてくれ、十分練習時間も取れ、我々は孫とたっぷり遊ぶことが出来、楽しいうえに有意義な2泊3日の旅が出来た。

 久しぶりに孫たちと遊んでいると、いろいろ思い出が残った。

 夕食前に、5歳の孫が小さな籠を持って、トマトをご馳走するという。ベランダに行くと、ミニトマトの鉢植えがあり、だいぶ実がついていた。それをもいで籠に入れ、台所で洗い、それぞれの皿にトマトを並べてくれた。

 我々は「これは美味しい」「甘いね」とか言いながらご馳走になったのだが、孫はそれを嬉しそうに見ていた。

 後で聞くところによると、孫はトマトが嫌いだったそうだ。給食などでトマトは残していたらしい。

 ところが、苗を植え、水をやり、少しずつ大きくなるトマトの茎を見ているうちに、何か知らないが愛着が出てきたようだった。成長までの長い時間を経て、初めての収穫をしたトマトを、孫は喜んで食べたという。それ以来トマトが好きになったと聞いて、何だかいい教訓にふれた気がした。

 6月29日は、下の孫の2歳の誕生日だった。ろうそくを2本立てみんなでお祝いをすることが出来た。

 その孫が、じじばばについてくるか少し心配したのだが、何も問題なく母親と別れて我々と一緒に行動してくれた。しかしマックに入ってポテトフライなど食べている時に、不意に孫が独りごとを言った。

「ママは?・・・ピアノ」

 誰に訴えるでもなく、一人で自分を納得させていた。自分で問いかけ、自分で答えていたのだ。喜んでじじばばについてきてくれたものとばかり思っていたが、孫は孫なりに、今日はじじばばと付き合わねばいけないのだと、自覚しているようだった。そうだったのかと思うと、その小さな心の動きが、とてもいじらしくなった。

 そんな経過を経て、いよいよ7月10日には講師演奏会がやってくる。

 

inserted by FC2 system