さそり座の歌 1030

 物忘れやうっかりミスが最近多い。痴呆症の新聞記事もよく出ているので、それを読んでいると心配になる。名前が出てこない時、ふと、これが実生活で困ることにもつながるのではと、不安になることも多い。

 それで、その対策のために、新しい刺激を脳に与えたらいいのかもと、焦りにも似た気分で、いくつか取り組んでいることがある。

 まず一つは、「短歌」を始めた。これまで俳句や詩はかなり書いてきたが、短歌には全く縁がなかった。今回初めて、5・7・5にプラスして7・7を加えるものに取り組んでみた。俳句で短く凝縮して言い足りない事に、少し思いが加えられるのは、また新しい面白味があった。

 毎週3首、新聞の文芸欄に投稿している。なかなかできないこともあるが、これが、脳の刺激になるはずと、ノルマを果たしている。

 時折新聞に掲載されることがある。ある時、母親がインフルエンザで発熱していることを書いたら、思いがけない人から、「お母さんは大丈夫ですか」と尋ねられて、びっくりしたものだ。新聞を読んでいる方が多いのに、驚かされる。

 もう一つは、この1月から本格的にウクレレを始めた。ふとしたことがきっかけで、楽器、教本、チューナーなどがセットになっている物を取り寄せた。ギターをしているのが役立つこともあるのだが、音階やコードは全く別物なので、ちょっとこんがらがることも多い。コード名など、ついギターの押さえをしていて、長い間の習慣が邪魔になってしまう。

 漠然と練習していても面白くないので、聴いてもらう方には申し訳ないけど、毎月教室で行っているミニ発表会に下手なウクレレとギターの両方を出すことにした。これがいい刺激になって、練習に身が入り、結構ウクレレも楽しくなってきた。

 もう一つおまけは「クロスワード」という500円の本の楽しみだ。食卓の近くにこの本を置いていて、夕食などの準備が出来て並ぶのを待つ間、クロスワードに取り組む。ほどほどに難しいので、頭の体操になる気がする。例えば「女性が一人」というヒントに、6文字の枠がある。ぱっとひらめく時はいいのだが、どうしても思い浮かばないことも多い。これが「コウイッテン」と気づいてみれば、な〜んだなのだが、なかなかすぐには出てこない。この本には解答が載ってないので、どうしても解けないところはインターネットであれこれ調べて完成させる。分かってきれいにはまった時の快感は何とも言えない。

 ちょっと切ないほどの涙ぐましい痴呆対策だが、少しは発症を遅らせられるだろうか?

 さそり座の歌 1028

 先日妻が「牛乳パン」を買ってきた。その「牛乳パン」という商品名に思わず声をあげた。「おお、今でもあるんや」となつかしさでいっぱいになった。

 牛乳パンというと、思い出すことがある。小学校の5年生で発病した腎臓病はだんだんひどくなり、中学に入ってすぐ、国立病院に半年入院して手術を受けた。

 退院後もあまり改善せず、中学に通いながら、週に一度バスに乗って町の医者まで通っていた。同級生がグランドで体育をしているのをバスの窓から見ながら、ひとり別行動をしていたのだ。

 診察はすぐ終わり、注射をして薬をもらうだけで、30分もあれば良かった。それから夕方のバスまで相当時間があったので、駅でぼんやり過ごさねばならなかった。

 この待ち時間に駅の売店で、少しだけ余るようにしてくれていた小遣いを使った。最高の贅沢が出来る時は、牛乳パン、ヨーグルト、そしてスポーツ新聞を買った。手持ちが少ない時は、牛乳パンだけにすることもあった。

 病気をしているとはいえ、やはりそのころは食欲があったのだろう。かなり大きな牛乳パンを美味しく食べたものだ。確か、20円だったと思うが、なんだかとても大きかった気がしてならない。安くて、腹が膨れて、しかも美味だった。

 50年も前のことだし、幼い時なので、それは、幻想にすぎないのだろうか?

 今度久しぶりにお目にかかった牛乳パンの貧弱なことには、驚きを通り越して悲しくなった。消費税などの影響を受けて値上げをしない代わりに、量が少なくなっていると聞いたことがあるが、それにしても、小さくなり過ぎだった。

 そのうえ食べてみて、仰天してしまった。なんとそのパンの中に甘いクリームが入っているのだ。それはまぎれもない菓子パンで、「牛乳パン」と呼べるものではなかった。冗談はやめてくれと叫びたくなるほどだった。

 時折スーパーなどでおかずを買うと、「なんでこんなに甘いん?」と顔をしかめることがよくある。しかし、それで売れるというのは、人々の味覚の大半がそれを要求しているのかもしれない。牛乳パンもその犠牲者なのだろう。

 本物の「牛乳パンは」袋がはちきれそうに中身が大きかった。程よい微かな甘みと牛乳味がこころよく、それをゆっくり噛みしめながら実に楽しんで食べたものだ。何度買っても、その味に飽きることはなかった。

 私の「牛乳パン」は何処へ。

さそり座の歌 1029

 20代の頃一緒にギターを学んだ仲間と、時折同窓会をする。臼杵に1名、大分に2名、宇佐に1名、それに私を加えて5名のお付き合いが続いている。今回の同窓会は、昔指導していただいたM先生を、みんなで博多まで訪ねて行く会を開いた。

 M先生に教えを受けていたのは、どれくらい前かなと思い出す手掛かりに、当時息子が生まれた事を思い出した。先生に電話をして、「今日あたり生まれそうですので、今日のレッスンはお休みさせてください」と言ったのを思い出したのだ。その息子が、もう今では39歳になる。もう遥か彼方の幻の時代のことなのだ。

 何十年ぶりかでM先生にお会いした。人で混雑する博多駅に迎えに来てくれていた。地下鉄やバスを乗り継ぎ、祇園山笠の櫛田神社観光をした後、昼食場所へ元気な歩みで添乗員をしてくれた。その変わらない様子に、長い時間が過ぎているのが信じられないほどだった。

 私が、ギターを趣味ではなく、仕事にするスタートを支えてくれたのが、このM先生だった。厳しい面も持っておられた先生だけにその時、「やめときなさい」と進言されたら、会社勤めを辞める決心はつかなかったことだろう。

 しかし、ギターを「仕事にしたい」という私に、「そう、それなら私の自宅にいらっしゃい」と、特別に応援していただいた。危なっかしい私に、一番簡単な教本から、ギターの教え方の手ほどきのレッスンしていただいたのだ。甘えてレッスン料などのお礼もしないまま、基本になる大切なことをたくさん教えて頂いていたことを、今改めて思い出している。この別府に根を張って、ギターで暮らすことが出来ているのは、M先生のお蔭なのだ。どんなに感謝してもし過ぎることはない。話の中で、面と向かってお礼が言えなかったので、今これを書いている。

 電車の中、食事場所でそれぞれの近況を話したのだが、一番ショックだったのは、Iさんのことだった。2年前の同窓会は、奥さんを急に亡くされたIさんを訪ねての会だった。まだ60代の奥さんを惜しんだのだが、幸い娘さんが同居しているということで、少しは救いがあった。ところが、何と、その娘さんが急逝して、今は一人暮らしになっているという、ありえないことが起きていた。何たることだ。

 貴重な一日はあっと言う間に終わり、遠ざかっている。5人全員にいただいたM先生のお土産の「いか明太」を食事のたびに出して、「これは美味しいな」と連発している。

さそり座1031

 6月の終わりに広島へ行った。土曜日のレッスンが夕方5時ごろまであり、それが終わって6時過ぎに出発した。広島到着が遅くなるので、小さい子の二人居る娘宅へ直接は行かず、一泊目はホテルに泊まった。

 サンルート広島というホテルの窓からの早朝の景色は、緑が溢れていて清々しかった。すぐ下に川が流れ、そのそばに広い平和公園が見えた。

 朝、7階の窓から見ていると、ホテルの下から、ぞろぞろと旅行客が出てきて、川沿いを歩いて進んでいた。随分早くから熱心に観光するものだと驚きながら見ていた。その時は気が付かなかったのだが、何とその川沿いの少し向こうに「原爆ドーム」があったのだ。とりあえずそこへ向かっていたのだと、あとで納得したものだ。

 朝食会場は、日本人より外人の方が多かった。理解できない言葉が、あちこちで飛び交っていた。後で調べたら、外国人の日本における観光希望地の第1位が「原爆ドーム」とのことで、国際的であることに納得がいった。

 朝食が終わる頃、娘と孫2人がホテルに来てくれた。しばらく部屋でくつろいだ後、近くの原爆資料館へ出かけた。悲惨な陳列品を見ていると、4歳の孫が「怖い」と呟いた。これが同じ人間のした所業であることを理解するには、これから長い時間がかかる事だろう。資料館について書きだすと長くなるので、これはまた別の機会にしよう。

 テレビのドラえもんの宣伝によく出るという「ココス」という店で昼食。下の孫の1歳の誕生日に対する記念撮影のサービスもあり、いいランチタイムになった。食べる途中で上の孫が、「これから、そらのおうちに来る?」と何度も尋ねて確認していた。長い事楽しみにしていたのだろう。

 広島大学の社宅という4階建てのビルは、外壁は古ぼけていた。しかし部屋はリニュアールしたばかりということで、きれいな部屋だった。部屋数もかなりあり、泊めてもらうのに十分の家だった。

 その夜は、1歳になる孫の誕生日祝い。まあ、このお祝いに行くのが主目的でもあった。何種類かのお好み焼きをごちそうになり、ろうそくを一本立てるケーキも登場した。

 翌日は、孫の幼稚園まで見送りに行った。部屋も見せてもらい受け持ちの先生ともお話しした。孫は孫の新しい世界がそこに広がっていた。ここで様々な体験をして、大きく育っていく事だろう。

 その日の帰りの新幹線に乗る前に、「原爆ドーム」に寄った。豊かな日差しの中で、赤とんぼが舞い、ドームのふもとには平和を象徴するような、クローバーの白い花が咲き乱れていた。この平和が続きますように。

 5時9分ののぞみに乗ると、約2時間半で、もう別府に着いていた。1回目の広島旅行が、あっけなく終わった。

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