さそり座の歌 1006

 しばらく娘と孫が滞在した後、妻がそれに帯同して娘の住む家へ出かけた。3人の乗った車を見送った後、なぜかそのときふっと思ったのだ。もし交通事故があって、3人を喪うようなことがあったら……と。

 縁起でもないと、私は慌ててそれを打ち消したのだが、ちょっと想像するだけでも、身震いがするほどだった。暮らしの半分を共にしている妻、それこそ目に入れても痛くない孫娘、私のことを一番親身になって心配してくれる娘…それらがすべて万一消えてしまったら、いったい私はどうなるだろう。それは、切れ端を考えるだけでも怖ろしいことだった。
 
 リアリティーはないが、そんな過酷なことがもしおきれば、私は独りで生きていく自信がない。

 そしてそのとき、頭の中に稲妻が光ったのだ。そういえば、あの大震災の東北の方々は、そんな口に出すのも怖ろしいような現実を抱えているに違いないはずなのだ…と。

 津波が来る…と、親子で並んで走って逃げていたら、速く走れない親はだんだん遅れて逃げ切れなかった。速く走って助かった息子は、断腸の思いでこの現実を長く抱えて行くことだろう。また、水に流されようとする妻の手を握り締めて、必死になって助けようとしていた方が、ついに力尽きて手を放してしまう映像も見た。その時、子供を喪う、親を喪うなど、あらゆるパターンの悲劇が起きていたのだ。 

 あの大震災の中では、ちょっと思うだけでも怖ろしいような、私が妻、孫、娘を一度に失うような光景が、珍しくもないほど起きていた。直視しできない阿鼻叫喚の地獄図がそこにあった。

 しかし、どんなにテレビを見ても、新聞を読んでも、遠い地の私には、その身も心も凍えるような現実を自分のものにすることが出来ないままここまできている。瓦礫の山とか放射能とかは、何となくおぼろげにイメージは広がっているのだが、そこから、生身の人間の叫び声を聞く力が私にはないのだ。

 そんな折、親しくしている方が、東北大震災復興支援チャリティーコンサートを企画した。もう震災が起きてから2年が過ぎ、忘れないでという声も聞こえてくるこの時期に、あの東北に思いを馳せる機会を作ることは素晴らしいことだと思う。コンサートを通して、たくさんの方が、被災した方の生身の呻きを心に描くことができれば、そこからまた次のステップが生まれてくると信じている。
 
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